生きる意味の探求
倉木凪です。
昨日、ふと皮肉なことだなと思ったことがあるんだけど。
ある事件を見て、いろいろ連想して結論があったんだけど。
例えばね、自分なりにいい例えがないかなと思って、こういう話を作ってみたんだけど。
砂漠である人が歩いてて、空想地見てるけど、あるとこに水があって、ガシしそうだったんだけど、そこから何日間か生き残りました。
っていうのと、そこに水なんかなくて、命を失ってしまう。数分後に命を失ってしまう。
どっちの方がいいかって考えたら、ガシしそうな状況。
で、水があるがために、そういう時に人間、理性はもう働かないからね。
無意識に飲んでしまうわけです。
したらね、その苦しい状態はまだ、そこから何日間か続かなきゃいけない。
これはパラドックスですよね。
救世主となるものが現れたせいで苦しむことになるんですよ。
これ人生にも当てはまるなと思ってね。
もし自分が生きてなかったら、こんな毎日苦しむ必要もないし、事件に巻き込まれることだって絶対ないし。
でも生きてることによってその可能性があるわけですよ。
でもね、さっきの例え話と一つ違うのは、さっきの話だと、水がなかったら生き延びることができてしまった。
人生はこれ違いますよね。
一つ違う点がね、そんな救世主となるものは現れなくても、生き延びることができるわけですよ。
ここが違うんですよね。
さっきの話だと、水があったから生き延びれた。奇跡的にあったから生き延びれた。
そこが違うんですよね。
こっちのほうが近いんじゃないですかね、人生。
電車。この先乗ってたら目的地に着くっていう電車と、乗ってたらこの先橋が壊れてしまった。
実はそういうね、レールで走ってる電車だとして、落ちてしまうと。
電車に乗ってたら、いやこの、例えばどうもうまく説明できないな。
まあいいや、普通に目的地に着くことができると、電車に乗ってたら。
でも途中で橋の上を走ってるときにね、窓から飛び降りることもできる。
その2つの選択肢が与えられてると。
したら別に普通に乗ってたらね、目的地に着くわけですよ。
で、クラキはね、2ヒルだからね、別にどっちでもいいじゃんって考えになっちゃうから。
だったら別に、あえてそんな行動を起こさないでも普通に座って乗ってるわってなるんですよ。
今の話と人生が似てるからね。
普通にしてたらまあ地面まで行けることになりますよね。
だからさっきの砂漠の例えだと、まあできるは水、そこで水が現れなかったらよかったなと思うけど。
人生、人生も同じように、生きてることによって事件に巻き込まれるかもしれないし、行き地獄を味わうかもしれないし。
でも今の電車と同じで、まあクラキなら2ヒルだから。
まあ座って目的地に着くの待つだろうなって、そういう感覚なんですよ、今生きてるの。
生きてる理由は何故かって聞かれたら。
選択と苦しみ
別に理由もないけども、まあどっちかって言ったらまあ寿命も圧倒するでしょっていう。
そういうことなんですね、クラキは。
だし、まあそれが人として正しいと思ってるし。
まあでもさっきのね、話で言うと、まあ最初ね、さっきある事件を見て行ってたんだけども、
もしですよ、自分が監禁されて、で大変ひどい目に遭って、
でももしそこにパンを置かれたらね、生き延びることはできちゃうけども、食べ物がなかったら、
まあ数時間後、命が亡くなると。
でパンを置かれたら、もう食べざるを得ない状態になってしまう。
そういう状態になってしまう。
でも人生は違うのは、まあパンとなる、この今の例えで言うとパンとなるような物が現れなくても生きれる。
今の話だとパンがなかったら生き延びれない。
ここが違うとこなんですよね。
クラキはわざわざ自分の命を断とうと思うほど、人生に意味を感じていない。
すごいこれもなんか矛盾してるように聞こえるかもしれないけど。
まあクラキの人生すごい寂しいもんだなって思うかもしれないけど、
全く思ってその通りなんですよね、残念ながら。
それぐらいのもんなんですよ、生きてる理由って、クラキにとってはね。
でも人間の本質って、さっきの砂漠とか監禁されたとか、
それが本当に言い表してるような気するけどね、人間の本質。
それでは明日っけ。