生きる理由の考察
今回は、倉木が生きている理由という話なんですけど
いやーこれ結構考えてみたら哲学的な問いですねこれね あの
簡単に言ってしまうと 死ぬのが怖いってことなんですけど、それだけでしかないんですよ
倉木なんてね
うーん 逆説的な説明になってしまうんだけど
人生の希望はね
死ぬことなんですね どんな苦しんでても将来ね
病気なり寿命なりで命がなくなるわけでしょ
今までのエピソード聞いてもらった人はわかると思うんだけど 死んだら楽になるっていうのとまた考えがちょっと違うんですよ
そもそも 生物に
始まりも終わりもないと思ってるからね 人間が勝手に定義付けしてこの人は生まれた
死んだってそれまあ戸籍状の弁儀上ね まあそういう生まれた死んだって
考える必要があるんだろうし まあ古代文明の頃は
何をもって死んだと言っているのか あと
ミイラなんかね作った頃は 多分
今とは全然その死の定義が違うだろうね
まあそれ相当考えてませんでしたね えーとね だからね
というふうにそもそも生まれる死ぬなんて人間の頭の中であれだけでもモンだと思ってるから
まあだから死んだら楽とかそういう感じでもないんだけど ただね実際
まあ
自我なんかももう死んだら 働かなくなるし
だから自分 っていうもの
に対する意識もなくなるわけだからね まあその時がまあ
それが希望なんですけど つまり心の底からの希望ではないんですね
本当の本当の希望
なんていうのはもちろんないと思ってるから クラッキーに握るな性格だから
人生に希望なんかないと思ってるから ただまあ今回はこんな話どうでもよくてね
ちょっとまあ結論から言いますかね あんねーなぜクラッキーが生きてるかっていうと
人とのつながりと使命感
これは人間の 向上性というのかなぁと
物理学的に言うと 感性の法則ですよ
今まで生きてたから そこまで大きな変化を起こせなかったら
まあ次の日も生きてるしその次の日も生きてる まあそういうことですよだから
惰性といえば惰性なのかなぁ
まあでもここまで 途絶えてない絶滅してない種っていうのは
そもそも本能的にそういうところがあるかもしれないね
特に人間なんかはね 変化に対する恐怖心ってあるし
あとは他の動物はね 自分で命を立とうなんて考えないでしょだから
動物的な 言い換えると本能的な
にはね まあ生き続けるように自分の命を保つようにできてる まあそこでしょうねクラッキーが生きてる理由って
特に頭で考えてどうのこうのじゃないんですよ 逆に言うと頭で考えてどうのこうのじゃなかったら普通に生きてたら
まあ 自分で命を立つことはないってことですよだから
あと前も話した通り まあなぜ命を自分で命を立たないかっていう
問いに対しては答えは簡単で まあ今回のテーマとなんか似てるような気もするけど
答えは簡単で
本質的にはもう人生って 意味なんかないと思ってるからだからね
命を立つことに意味を感じないんですよ 違いがないと思ってるから今
死ぬのも10年後死ぬのも20年後死ぬのも どれがいいかなんてわかんないだとすればわざわざ大きな変化を起こすっておかしい
クラッキー的には おかしいんですよね
っていうのはただのまあこじつけかなわかんないんだけど まあそうだろうね
どうして生きてるかってまあやっぱり 一番の理由は
どれぐらい苦しむことになるかわかんないからですね自分で命を立てる
科学的根拠ないからね
どれぐらい苦しむのかっていうのは だからスイスの安楽死ぬの団体に前登録してたけど
これもね 本当に苦しまないかどうかってわかんないからね
でも生きてる理由ってまあ 本当になんか単純そうだけど複雑でもあり
難しい問題でもあり すごいまあテーマ
掲げてしまいましたけど もちろんね
普通だったらね
生きてる意味なんか考えないだろうね クラッキーは以前はねまあ宗教やってたから生きてる意味って
まあ
宗教の本で学んだり講演会で学んだり するわけですけど
まあ学ぶって言うより信じるより近いんだけどただ当時はね学んでると思ってたんですけど これが本当の
正しい考えだとねこれが真相真理だと思っていたわけですからね だから当時はあんまり疑問に思ってたりしなかったんだから
哲学的な問いは自分に問いかけたりすることはありませんでしたね もう答えはわかってると思ってるからね
それでもね やっぱりクラッキーは割と一人でいろいろ考えることも多かったかなでも
それことに関しては 人生の意味っていうのかな
まあそれ自体がやっぱり 普通じゃないと思うし普通はね
生きてる意味なんか考えないと思うし 今回の話はね生きてる意味っていうんじゃなくて
生きてる意味なんかもうそんな即答ですからクラッキーは 生きてる人生に意味なんかないないないんだから
っていうかまあクラッキーにとっての人生の意味はないんだけど
生きてる理由ですんだからね まあでもそんなことも普通は考えないだろうね
生きてる意味はもう愚か 自分なんで生きてるなんで生きてるだろうと
どうして命を絶たないで生きてるんだろうと考えないだろうね でも選択肢は2つなわけでしょ
自分で命を絶つか自分を待ったせるか だからそこまで真剣に考えてないんだろうね
とりあえず昨日生きちゃったから今日も生きるっていう
でも以前話したたり 人間いついい地獄になるかわかんないからね
その時に後悔しても遅いんですけどね あとはねやっぱり
親がね3回も流産して産んでくれたわけですから
流産した後にですねそれでも諦めないで産んでくれたわけですから まあ洋館のことは恨んでるけど
でもなんかね
なんかねっていうかまぁ やっぱり人命を割としなきゃいけない
親より先に生きるわけにはいかないっていう思いはやっぱりありますよ だからこそ
親が亡くなった後は本当に生きる 気力はなくなるだろうね生きる意味はもう感じなくなるだろうね
生きれるなんてないって思うかもしれない あとね自分で命を絶ってる
地縛霊になるとか地獄に陥るとかそう思ってる人もいるだろうし クラキも以前はそう思ってたしね
バカバカげたことは信じてましたね
それはちょっと話ずれるてしまうんですけど こんな感じのクラキなんだけど
坂道を応援した時は
これはもう使命感みたいなもんだから 坂道のことに縁がある子がいてね
応援しなきゃいけない状況になり それからはね
特に最初の1年なんかはね 生きなきゃいけないっていうそういう感じでしたね
その他にも応援しなきゃいけない人がいて まあだから
その人たちが成功するのを見届けたいという思いは今はあるかな まあでも親戚とも親父通だしね
クラキは生きててもなという思いはありますよ
でもクラキの性格的にね 自分が生きてて何が悪いんだと
そこらへんきっぱりしてるから それはその性格なのは良かったね それではしたっけ