宗教の教えの矛盾
倉木 凪です。
今回のエピソードは、どうかなと思ったんだけど、
これも話しておかなきゃですね。あの、宗教の
話にはなるんですけど、倉木 凪 入っていた宗教
きったりとな教えが多かったんで、
話していきたいと思います。では一つ目。
自分に全ての原因があると思いなさい。
人間関係で問題があっても、会社のことで問題があっても、
全ては自分に原因を見なさいと。
倉木 は ね、
それが
大前提となって人生を生きていたわけですよ。
それはいろいろ問題が起きますよね。
まあ、なんか、
物事に意味を感じすぎている考えですよね。だってね、
まあ、理由なんてあるといえばあるし、
問題を解決しようとした時点で理由なんか見ればいいわけだし、
理由なんかないといえばないわけだし、
人によって解釈も違うだろうし、
で、警察がその、誰が悪いんだとか、
そういった視点でのまた、
何か言い悪いみたいなのもあったりするじゃないですか。
道徳的に見たらどうかどうかとか、いろいろあると思うんですよ。
それをね、100%自分に原因を見ろって、おかしな話なんですよ。
だから、収穫旅行で友人にね、友人というか同級生に、
何か問題があった場合、それは
相手の責任か自分の責任かどっちだと思ったら、
半々じゃないかって言ってて、
ばっかだなと思ってましたよね。
あっという間にそっちの方がまともじゃないですか、でも。
だから全て問題が起きたら、
自分を責める癖ができてましたよね。
自分がいけないんだと。
それだと問題解決できないんですよね。
感情に関するルール
ああ、こういう時には
こうしなきゃいけないんだって、
普通の手段ことができないんですよ。
分かりますかね、どういうことか。
例えば、相手にバシッと言う時が必要かもしれない。
そういう意味でいくと、次のおかしな話だけど、
この宗教では、
他の仏教系の宗教とかどうなんだろうな、
うちの宗教では、怒りが煩悩だと考えて、
怒りの感情が出るのはダメ。
でもね、臨床心理師さんに言われましたよ。
こうやって
攻撃したりっていうのかな、
そういうおかしな話ですよね。
攻撃したりっていうのかな、
そういう怒ったりだと思うんだけど、
そういうことが悪いと感じて過ぎてしまってると。
本来であれば、
もっと感情むき出しになるんだとこでも、
それが悪いと思っちゃってると。
そういう偏りがあるわけですよ。
これもこの宗教の責任か。
宗教入ってたからでしょうね、多分。
怒りの感情を出すのはダメだし、
それを表現してもダメだし、
態度に表してはいけないってことですね。
そういうことはなるべく、
最初は、
シート取り組ませるんだけど、
最初はまず行動から渡らないとダメで、
徐々に徐々にそういった感じも出ないようにすると。
でも宗教関与、
5000人の祖母でさえね、
施設で喧嘩してる人がいると、
もっとやれやれってね、
闘争心みたいなのが出てきたって言ってたんで、
いくら年取ったってなくなるわけがないんですよ。
なくそうと思ったってなくなるわけもないし、
そういった部分の性格って変わらないですから。
怒りっぽい人に、
だからね、これだけは思ってましたよ。
なんとかしてこの育ちに説得したいなと思って、
怒りっぽい人が怒るのをやめたところで、
ストレス溜まってるか、
他のところに怒りぶつけてるかでしかないと。
相当集中しないと、
怒りっぽい人が怒るのをやめるのってできないんだと。
相当犠牲になってるといろんなことが。
っていうことを言ってやりたいと思ってましたね。
では次。
この宗教では我が愛語っつって笑顔でいなきゃいけない。
そこをやけに強調するんですね。
他にもいろんな修行があるのに。
で、クラゲがずっと笑顔でいたら、
人に反感かったこともあるし、
なんか変に見えたんだろうね。
にやけて見えたのかわかんないけど。
あとこれはクラゲの責任でもあるけど、
宗教に入ってたこと自体が問題っていうのが、
人が悲しい話してるときにも笑顔でなっちゃって、
それで怒られたこともあったし。
さっきの怒りの感情を出しちゃいけないってのと通じるとこがあるけど、
人間だから気度合い楽あっていいんですよね。
ずっと笑顔でいなきゃいけないっておかしな話なんですよ。
あと言葉も愛語ってことでね、
そういう言葉を出さなきゃいけないと。
品がある人はそれでいいかもしれないけど。
だからクラゲは同級生と、
小学生男子なんて、田舎者なんてね、
言葉は悪いけど、
だからそれにうまくなじめなかったり、
大変でしたよ。
多少ね、威嚇するくらいね、
じゃないと、
必ずやつ当たりの対象になりますから。
弱いものいじめの対象になるわけでしょ。
使命と運命の考え方
いつも笑顔でいて、いつも
のんきな感じでいたら。
では次。
人間の心は電光石火で動いてるって言うんだけど、
人間の心なんて、
常に動いてるんだし、
電光石火で動くっていうけど、
常に変化してるとも言えるし、
だって修行無常なんだから。
変化しないものなんてないんですか、この世界に。
何から心が平常心に保ちたって、
常に動いてるんですからね。
電光石火で動くと言うのっておかしいし、
しかも、
そうやって言っときながら、
そうやってシートで心の動きを見ろって言うんですよ。
たぶん心理師さんがこれ聞いたらびっくりしちゃうだろうね。
では次。
この宗教では、
使命があるとされてる人間。
人によっては、
青年の場所ではよく、
本でも書かれてたんだけど、青年向けの本で。
人を助けたいっていう使命があるかもしれない。
願いというか。
あとは、
人を支えたいっていう。
すごい漠然としてるけど、
そういうのがあると。
だからそれを早く見つけなさいっていう。
で、それをやるためには、
それをできる仕事がいいって言うんだけど。
どっちかにしてくれると思いませんかね。
そうやって漠然とね、
そんな抽象的なんだったら、
どの仕事だってできるんだろうし。
それで仕事ね、
やっぱり選んだほうがいいと言っときながら、
別に医者じゃなくても、
それ以外の仕事でも、
人を救うってことができるし、
とか言うんですよ。
どっちかはっきりしろって話ですよね。
人間にはカルマがあるっていう考え。
で、煩悩をなくせば、
どんどんカルマが減ると。
いや、この宗教で、
煩悩が
限りなく少ないようになるなんて、
人は見たことないし。
正直言って、
言い過ぎかもしれないけど、
煩悩だらけの
人が多いの見える。
まあ、つまり、
まあ、他の庶民とは変わんないですよ。
というか、それを隠そうとする気ですらないですね。
あと、
そのカルマを、
煩悩が減ってことに減らすことができるって言うんだけど、
さっきも言ったように煩悩は、
あるものですから。
仏教では何と言われてるか分かんないけど、
減るようなものでないですからね。
あと、
菩提神によって、
現実は変わってくるって言うけど、
人間万事作用が馬ですからね。
それはこの世界の道理ってものでしょう。
だから、
たとえ、
現実が良くなったって言っても、
何もこの教祖がね、
この宗教学んでれば良くなるんだと言い聞かせたいだけであって、
現実にそんな良い悪いもないですからね。
良く見えてるだけですから。
だから心は変われば、
現実が違って見えるっていう、
そういうトリックかもしんないですね。
それはさすがに、
でもそれで騙されてる人は、
自分いると思いますね。
あと、占いとかね、
そういうのも、
教祖は危惧してるよね。
運命ってのは、
自分で変えていくものなのとは、
全くもって、
よく分からない、
論理ですよね。
まず運命の定義。
こうであると言っときながら、
でもなんか漠然としてる。
第一、運命なんて、
それ変えていけると、
なんとなくスピリチュアルの世界の話だし、
逆に変えていけない、
で良いと思うんですよ。
だってコインの表が出るか裏が出るか、
変えれないでしょ。
でもこの人は変えられてる。
変えられると、
じゃあとりあえずこの動画で。
それでは明日っけ。