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2025-04-01 12:27

第2149回 躁鬱倉木は気分がいい時(快感)とそうでない時、極端過ぎる

引きこもりの生活をユーモアを交えながら赤裸々に語ります。醜いところを露呈するだけだし、悲惨なところをひけらかすことにしかならない、そして引きこもりの意外な面を知ってもらえたとして何のプラスにもならないと思いましたが、それでも挑戦してみようと思いPodcastを始めました。

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サマリー

倉木は、自身の気分の浮き沈みや友情について振り返ります。特に、高校時代の仲間との交流や部活動の経験から、心地よい瞬間や劣等感について考察を深めます。また、他者とのコミュニケーションにおける自分の立ち位置や感情の変化を掘り下げています。

気分の浮き沈みと友情
倉木 凪(です。
倉木 凪( いや、今日改めて、改めてというか、
いや、ちょっと振り返ってみてね、昔を。
やっぱりどうやったっても自分の気分がね、そこがない時と、
逆にものすごい多効感がある時と、
倉木がはっきり分かれててね、
まあ幼いのかな、幼いと言われてしまえば、そうなんだけど、
まずね、気分が悪いのはね、
何人かで歩いてる時、例えば遠足とかで、
まあ中学校も高校もあったけど、
まあそういう時、大抵倉木が主役じゃないから、
3人も4人もね、倉木と仲良いやつがいて、なんてなかなかないですよ。
でもね、奇跡的に高校の時は先輩とも同級生ともね、
仲がいいっていうか、倉木が人気者になれたっていうね、
この時はね、まあそういう今までの鬱屈した思いもあるからね、
もう部活中は常に気持ちよかったね、
まあダブルスのやつ以外に関してはね、
そうでしたね、女子もそうだけど、
のけ者にされてきた倉木としては、
女子が特に倉木には優しくしてくれて、
大会でもね、1人で応援してくれた女子もいたしね、
誕生日プレゼントくれた女子もいたし、
バレンタインデーはね、みんな安心であげてたけど、
だから、講師室に行ったらいつも同級生が話しかけてくれて、
あれはいつも気分が良かったですね、
あと高校の学校祭の劇で、
あのジャグリングなんかね、目立ってたけど、
全然気分は良くないですよ、
だけど部活動紹介の時に、
あのステージの上であることを披露したんだけど、
それはもう最高に気分が良かったです、あれは、
まあそういう場所を用意してくれたのね、先輩がね、
もうあれは天にも昇る気分でしたね、
こういうね、目立てる時は嬉しいし、
気分が良い時と悪い時もはっきり分かれますね、
学生時代はそんな学生時代でしたね、
自分の位置づけと交流
人と話しててもね、なんか、
キャッチボールできてるというか、
手応えがあるなと、話しがいがあるなっていう、
人とそうでない人、まあトモロコシは割とね、
そういう感じはあった、でも洋館に話してもね、
そういう感じじゃなかったですよね、
まあ簡単に言うと、自慢をしてたところで意味ない、
意味ないと思われる人と、
理解してもらえるっていう人と別れるっていう話なんだけど、
なんか片透かしに合ってる気分になる時と、
しっかり手応えを感じる時、
この人に言っても意味があるなと思えた時、
自慢っていうニュアンスが違うな、
なんか話しがいがあるというか、
自分の持論をね、しっかり受け止めてくれるような、
理解してくれるかどうか、
そこで快感がどうかも分かれますね、
まあでもそんなことで人を選んで話してられないんだけど、
合唱コンクールなんか割と気分は良かったな、
歌が得意なわけでもないんだけど、
で、クラッキーなんかみんなでなんかやったところで、
意味がないと思われるんだけど、
あとね、やっぱりスポーツでも団体競技はもうダメですね、
クラッキーは、
勝ったところで野球なんかだと、
そんな9分の1の力だろと、
まあ試合中交代するからもっとか、
あと監督もいるし、
でもね、
今はね、
思うのは、
まあ一人でやったところで、
まあ表面的には一人では、
勝ったように見えるけども、
でもまあよく言うじゃないですか、
アカデミー賞なんか取ってもね、
アメリカのアカデミー賞見てると、
誰々のおかげでもあるし、
誰々のおかげでもあるしみたいな、
まあそういうことなんですよ、
まあそれもそうだし、
あとは、
まあ運次第なところも多分にあると思ってて、
勝ち負けなんてのは、
まあでも当時はそんな考えもなくて、
相当個人主義な考え方、
だから日本人じゃないみたいな考え方なんですよね、
野球の試合で勝ったら全く嬉しくないし、
逆に一人で勝ったら、
個人競技で勝ったら、
マラソンなんかもそうだけど、
めちゃくちゃ嬉しいしっていう感じでしたね、
でも団体競技でも自分がホムランを打って、
ヒーローになれたら、
それはもう手放しで喜べたし、
あとは普通はね、
人に認められたときには嬉しいと思うんだけど、
それがたとえ自己満足であっても嬉しいんですよね、
人に賞賛されたりしなくてもね、
自分なりに納得いったらそれで嬉しいんですよ、
それが人と違うところかな、
逆に人に褒められても、
ここにしなんか思い起こされるけども、
自分で納得いかないときは嬉しくないんですよね全く、
こんなことで逆に褒めないで欲しいと思ってしまうんですよ、
もっと大きなことを出しておけたときに、
褒めて欲しいと思うんですよね、
なんか自分をちゃんと評価されてないような気がして、
あんまり嬉しくないんですよね、
あと遠足のとき以外も、
意見と言葉の価値
二人でラドリッツも同じなんですよ、
とにかく一人でラドリッツで、
とにかく人にペースを合わせるっていうのもできないしね、
あと会話してると、
二人だったらいいんだね、会話のときは二人ならいいんですよ、
三人で話してるときなんかは、
まあ今までで、
三人で一緒にシュワフェルコなんかで歩いてて、話してて、
うまくいったなんて経験がないっていうのもあるんだけど、
三人で歩いてる、あるいは行動してる、あるいは話してる、
三人以上だと成功体験もないし、
嬉しかったこともないし、
全然好きじゃないですね、これは。
とにかく自分が目立ってないとね、あんまり嬉しくないんですよ。
逆に何人かで話してても、
自分がね、目立ってる場所だったら、
さっきも言ったように部活中とか、
あと学校祭のときもちょっと勘違いしてね、
なんかクラッキーが目立ってるような感じがして、
喜んでたことあったんだけど。
あとそうだ、優越感を持ってるとき。
まあでも親友に対しては、
負けず嫌いなところはありました。
ライバル心は持ってました。
でも、優越感を持ってたかっていうとなんか違うんだよな。
だからね、優越感を持ってる相手、
で、なおかつおかしなやつでないやつっていうかね、
尊敬できるやつ。
この2つがね、揃ってないとダメだね。
できれば憧れを持てるやつ。
親友は両方あったね。
で、完全な劣等感だけだったら、
妄想時点でアウトですね。
まあでも本当に、
何だろう、劣等感というか、
まあ憧れることはできて、
しかもこういう風になりたいなと思えるようなやつだったら、
劣等感とか出てこなくて、
もう関わっちゃって気持ちいいね。
自分と共通点があって、
自分が好きになれないやつが一番ね、
えー、
不愉快な気分でしたね。
何人か思い当たるんだけど。
クラキは苗物をねだりするとかあるからね、
クラキとあんまり共通点がなくて、
で、憧れるやつってね、
なんか好奇心もあるしね、
どんなやつなんだろうと思って。
まあそういうやつとは、
気がおけない中になるってことはないんだけど、
まあ話してて面白いのは面白いんですよ。
一回自分があまり尊敬できないなってやつで、
仲良くなったってやつはあまりいないね。
仲良くなったやつがね、
あまり長い間うまく関われたってやつはあまりいないね。
いとこの旦那さんなんかもね、
ガジェットタクで自分にいないような要素があって、
憧れるとは違うけどでも、
興味はあったから。
話してて面白かったですね。
で、いとこなんかはなんか話しててもさっき言ったように、
片透かしに合うような気分になってね。
だし、なんか自分にとっては宇宙人っていうかな。
よくわかんなかったですよ結局、いとこはね。
話しやすいのは話しやすいんだけど。
おじなんかも今考えてみるとちょっと、
うーん、
わかりづらかったかな。
トウモロコシもそうですね。
あと自分がね、気分が良かったっていうことで言うと、
親はどうかな、宗教のミーティングなんかでどうだったかな。
自分のね、治論を語ってるとき、感想なんかを語ってるとき、
自信持って話してた記憶もあるしね。
親友に対してはあんまり治論を言うことはなかったかな。
他愛もない話が多かったかな。
あと三者面談のときなんかはね、進路相談みたいな感じだけど。
トイレでもね、話すことをしっかり考えて。
で、治論というか相談というか、
あれはね、自分の意見が言えて、
普段なかなか他人に言いなかったから。
あれは言い場でしたね。
はっきり覚えてますね。
逆にディベートなんかは多分ね、クラキュアはダメだと思うな。
よくわからず、
なんかロジカルに話が進んでってのがよくわからず、
とりあえずボンボンボンボン言っていくみたいな、
ああいうのはね、ダメだね。
ラジオ、テレビ、動画、これであまり気分良かったってことはないですね。
で、クラキュアはだから自分一人で何かをね、じっくり考えてる方が気分はね、だからいいですね。
人と話してるときも今と同じように。
何か意見を言い合ってるよりも自分の意見を言ってる方が気分がいい。
まあ分かってくれる相手じゃなきゃ意味ないけど。
で、反抗というか立てついてきたり、
歪んだというかひねくれた考えをしてきてないやつなら、
自分の意見を言う価値はあると思ってましたね。
それではしたっけ。
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