人間と価値観の影響
最近、どこかのページで、人間って意思の力なんてほとんど与えられていないんだ。
ほとんど流されて生きてるんだ、っていう話をしましたし、最近だとサイコロの話もそうだし、以前もずっと前もしてましたね。
今回は、また別の話なんですけど、知っていきたいと思います。
人間って、親が変に価値観を落ち着けなかったら、
もっと自由に、変に決まりきった考え方をしないで生きれると思ってる人も多いかと思うんですけど、
だからそうやって自由に育てるなんていう教育を推しの人もいると思うけど、人間って絶対価値観って流れてきますから。
今なんて子供はね、スマホを見て、YouTube見れたり、テレビも見るだろうし、
価値観が流れてこないって、恐ろしいですよ。そんなことありませんから。
価値観が流れてこないってことはね、例えば、
親と他人と、
普通であれば親のほうを大事にしますよね。でも全く同等なものをみんな知ってしまうわけですよ。
だから相当複雑に、
ものを価値判断人間で知るわけですよ。これよりこっちのほうが大事だとか。
例えば無意識にね、これは本能的なことだけど、
怪我をした場合、顔は守るとかね。
そうやって優先順位が必ずあるんですね。 優先順位をつけれないって本当に致命的ですから。
なぜそれがわかるかというと、
今話してるこのクラキが価値観がなさすぎて
あまり優先順位をつけれないからなんですね。 人によってそういう多少違いはあるんですよ。
とはいえ人間全員に価値観ってどうせ流れてくるものなんですね。
価値観が流れてくるってことはどういうことかというと、
冒頭で話した通り人間は意志の力なんてほとんど働かないんですよ。
流されるままに生きるしかないんですね。
自分がこれは主体的に行動できてると思っていても、
結局どっかで見聞きした情報をもとに、
それを統合して思い考えて行動してるだけですから。
分かりますかね。 もう一つ話しておきたいんですけど、
これも大事なことで、 これも分かってるか分かってないかって結構大事なことだと思うんですけど、
でも人間は価値観に流されていくしかないんだけど、
生き方も決まってきてしまうから、 自分の生き方について考えないといけないんですよ。
オリジナリティと自由意志
でもそれに抗おうとする存在でもあるんですよね。
なんとか自分で、そんな決まりきった生き方なんてしないで、
オリジナリティを持って生きれる個性を出せる。
そう信じて生きるのが人間なんですよね。
だって単にね、自分の生き方について考えないといけないんですよ。
そう信じて生きるのが人間なんですよね。
だって単に流されて生きてるというだけだったら人生はつまらないだろうし、
だってどこに向かっていくか分からないって不安ですよね。
船を漕いでいて、どんなところに漂流してしまうか分からないって怖いですよね。
今ここに向かってるんだ、そしてここに向かって近づいてるんだっていう風に、
嘘でも思い込んで生きてるわけですよ。
暗記が入ってた宗教なんかでは、
時代からそういったものが流れてくる。価値観が流れてくる。
現代社会の中で作られる価値観ですよね。
それが流れてきてしまう。
あとはその土地、だから日本の愛知県で育ったとか、
関東から流れてくる価値観、関東で育ったからこその価値観、
田舎で育ったからこその価値観、都市部で育ったからこその価値観、
歴史のあるところで育ったからこその価値観、
そうじゃないところで育ったからこその価値観ってあるし、
あとはどういう家系か。
そういえばその宗教では、この血の流れってことも言ってたけど、
DNAに関してはまた別なんですけどね。
DNAっていう点でいくと今回の話で言うとね、
これ話し出すとちょっとまた矛盾が生じてしまうんだけど、
時代やいろんな価値観が流れてきて、それに翻弄されてしまってる、
それに流されるとは言ったけど、
黒毛は結局親から流れてくる血で、
人間の行動なんて全て決まってると思ってて、
ちょっと矛盾してきてしまいますね。
どうしたらいいんだろう。
でもね、もちろん根本はそこなんですけど、
表面的なところでしかないんだけど、
あくまでも今回は表面的なところですね。
根本的なところも結局DNAで決まってくるし、
それ以外のところは自分の意思によってなんとかなるかっていうと、
価値観との闘い
そういうことではないし、
表面的な言い方って言うとあれだけど、
わかるかな。
わかってもらえるでしょうかね。
根本的なところと表面的なところの化学反応によって
凍突でできてますからね。
単なる表面的なところっていう、
どうでもいいところっていう意味で言ってるわけじゃないんですよ。
宗教ではそういうふうに教えてました。
いろんな価値観が流れてくると。
それに流されないで生きる方法なんかを説いていたんですけど、
それは理想論であり、基準の空論であり、
価値観なんて絶対なくならないですから。
価値観がなくなるっていうのはつまり、
なくならないですね。
どんなに修行僧が修行を積んでも、
どんなに山で暮らしてもなくならないですね。
でもブッダが言うような、
空の思想で説いているようなことなんていうのは、
別に一日中そういう風になりましょうって言ってるわけじゃないんですね。
クラキューンはブッダの言うことを信じてるんだけど、
どうするかっていうと根本にはその考えは置いてるんだけど、
要は価値観がない状態。
でも表面的には無理ですね、そんなのはね。
ブッダが言うには、親も、親以外のものも、
結局同じなんだと、どっちが重要だとかないっていう考えなんだけど。
やっぱり日常生活を送っててそんなことはできませんからね。
つまり価値観をなくすなんてことは日常生活では絶対無理なんですよ。
クラキューンが入った宗教ではもう、
菩提神によってそれを完全になくそうっていうね、
本当にただの宗教じみた、
奇情の苦論でしかなくて。
ブッダの言うことは信じてるけど、
それは本当にバカバカしいと、
宗教でやってたことは本当にバカバカしいと思ってますね。
でもさっき言ったように、
それに抗える存在であると思い込んで生きるのが正解なんですよ。
価値観に流されるからもうどうしようもないと思って生きるのは、
あまり権限ではないですね。
でも自分の意思の力で生きれてるかというとそういうわけじゃないから、
それはちゃんちゃらおかしな話であって。
意思の働かなんて限られてきますからね。
それも含めですね、
全部自分の価値観で流されて生きてることにしか過ぎないんですよ。
今まで身につけた価値観によって。
そんなものを捨ててしまってるつもりでもね、
流されてないつもりでも、
その価値観に影響を受けないようにしようとすればするほど、
より影響を受けているというのかね、
相変わらず影響を受けているというのか、
影響を受けているわけです。
例えば親に大学に必ず行きなさいと言われて、
それに反抗していてもね、
結局親からそうやって教えられたから、
そういう行動をとっているわけであって、
影響を受けないなんてことは無理なわけです。
それだしたっけ?