人間関係の壁
まず一つ目ですね。
倉木は発達障害であろうとなかろうと、人間と人と関わって壁が立ち上がると思うんですよ。
とは言っても、倉木の場合、人間関係というものは頭で理解しているだけであって、他の人みたいに本能的に理解できないから、
ああだこうだと言ったところで、急所の苦労にしかならないかもしれないんだけど。
その壁が立ち上がって、自分の意見を聞き入れてもらえないこともあるし、
相手の意見も聞きながら、バランスよくやっていかなきゃいけないんだなって、
いれんのじらめまと格闘し、板挟みになり、妥協もして、自然に学んでいくと思うんですよね。
ここでもう一つ問題があって、倉木は一人子だからね。
それを自然に学ぶことはできなかったんだよな。
まあでもね、一人子だろうとどうだろうと。
それは幼稚園に行ったり小学校に行ったりして、誰だって手段の中に入るんだから。
そこで遅かり早かり学んでいくだろうけど、倉木の場合は宗教派って人だからね。
そうやっていろんな妥協をしたり、そうやってなかなか自分の思い通りにならなくても、
でも自分の意見も聞いてもらうべきな時もあるし、
そうやっていい塩梅でバランス取りながら人間関係をやっていくしかないんだなと。
妥協したり希望を持ったり、そうやって揺る動きながらやっていくものなんだろうけど、
倉木の場合もうね、完璧な性格もあって、
もうこういうものです、人間関係はこういうものですって勝手に決めつけちゃうんですよ。
もう自分の意見を聞いてもらうことはもう諦めますと。
人に合わせるしかないですと、人に気遣うしかないですと。
だから妥協は率直に言うことができなかったですね。
妥協の宗教では率直に言うというそういう修行があるんだけど、
それもね、実践したこと、仕事したことあるんだけどやっぱり無理でしたね。
そんな勇気が出なくてね。
だから率直に言うのはダメなことだと思ってる人があって、
だから、あった瞬間で診断を受けた時の心理テストでもそうやって心理者に言われましたね。
今話したように言われました。
あとね、頑固って言われるのもやだしね。
だからね、人間関係においてはね、すごいこだわりが少なかったと思うね。
でもストレスは溜まりますよ、その分。
知らず知らずのうちに。
でもしょうがないね。あともいいんだからね。
人の意見を聞き入れてばかりましたね。
あとまあ、一つちょっとトラウマになったエピソードがあって。
小学生の時の小門の先生がね、国語の先生だったんですよ。
宗教と好奇心
なんだけど、宗教の本を進めて、今考えてみると、国語の先生に本を進めるってどうしちゃってるんだと思うんだけど。
宗教を進めるにしたってね、関与にするにしたって、他の方法だったらあったわけですよね、今気づいたけど。
だからどうにかしちゃってるんですよ。
中学生のくせにね、なんてもん買っちゃってると思ってるんだね。
これはずっと変わらないですよ、小さい頃から。
だから好奇心なんかないんですよ。なんでもん買ってると思ってたら好奇心なんか出ないでしょ。
何か新たなことを知りたいと思うから好奇心出てるわけですよね。
だから宗教をやめてからは、好奇心すごいただ漏れですよ、やっぱり。
好奇心があると何があるかっていうと、いろんなことを知ろうと思う欲が湧かないですよね。
他の人はある程度知ってる知識もくらきは全く知らなかったりね、そういうことはありましたね。
例えば動物の名前とか、動物の特性とか、あと色の名前。
サイダー色って何色なのかとか、ブラウンって何色なのかとか、そういうの分かんないから。
未だにブラウンって何色なのか分かんないんだけど。
あ、でもブラウニーって言うし、濃い茶色なのかな、ちょっと分かんないけど。
他の子供なら当然興味を持つべきとこにくらきは興味がいかないんですね。
これ宗教やってからですよ。
なんか完全に人として欠落してますよね、それ。
あと人間ってね、人間でね、ってか動物全体だと思うけど、本能的に自分は守ろうとするわけでしょ。
だから自分に危害を加えてくる人がいたら、そりゃあ攻撃したり、逃避したりするわけでしょ。
でもこの宗教では怒りの感情をむきなしにするなんてありえないし、煩悩だって言われてるし、
どんな現実逃避したって意味がないと思ってるし、
逃げてはいけない物事に向かっていかないといけない、試練を乗り越えなきゃいけないと思ってるから。
これもね、宗教自体もね、もちろん偏りはあるんだけど、子供が周期に入っちゃうことの問題ですよね、これね。
大人だったらね、うちも親も育てたら、半分信じて半分うまくやってくるんですよ。
それをなんていうかな、うまく生きてくってことはできなかったんです。だからそれも欠落してるってことですよ。
うまく自分なりに考えて、知恵を働かせて生きてく。
そんなのは全体的にダメだと思うんですよ。だからね、中学生の時も合理的に勉強しようとか、
効率的に何かをやろうとかそういう発想なんなかったから。
とにかくそれよりも精神を鍛錬する人として成長していくことが大事だと思って。
だから効率的にやってる人はすごい嫌いでしたね。うまくやろうとする人。
その反動で高校になってから、そういう人の方が逆に憧れるようになったんだけど。
だからもうなんていうかな、考えが完全に受け離れちゃってるし、
常になんか精神世界の中で生きてるような感じだから。そういうね、現実がちゃんと見えてなかったりね。
あんまり合理的なことをしないんですよね。
だからね、この宗教では優仏主義もいけないって言われてたし、
そんな理論を聞く以前からね、宗教は全てそうかもしれないけど、
やっぱり物に興味を持つよりも精神を高めていく方が宗教だと教えられてるからね。
だからあんまりね、子供のくせにいろんな物に興味を持ったり、
プラモデルに興味を持ったり、子供になったら化学の実験キットに興味を持ったりするわけですよ。
そういう時期はあったんだけど、結局すぐやめちゃうんですよね。
ゲームもまあまあ時間潰しでやるぐらいの程度で、そんなにハマったりしないですよ。
だからね、何かに没頭するというのはなかったんですね。
で、クラキはね、好奇心がないって言ってたでしょ。
自己防衛と反抗期
そしたらね、世界がね、色と言って例えると灰色なんですよね。
しかもね、うつ病のところと相まって。
だからね、宗教辞めてからはね、いろんな物に感動してますよ。
だからね、感動できないっていうところもね、問題点だったね。
本当にたまーにのたまーにしか感動しない。
そんな子供の学生時代でしたね。
あとはね、人間関係以外でも、自分を守ろうとするのはしすぎるのはいけないと思って。
でも人間はね、ある程度自分を守るんですよ。
ある程度っていうか、自分を守るなんて大事に考えるべきだし。
でもね、それも煩悩だと思ってやってるから、クラキは。
自分を大事にしすぎてね。
それよりも、でもなんでそれが煩悩だと思ったのかな。
そう思ったんですね。
それよりも、人のことを思って、人のために何かすることが大事だと思ってるから。
完全に問題ですよね。
だからね、本当に今考えてみたらありなかったなと思ってね。
自分の命を大事にしたり、そういうことを本当にないがしみにしてきたわけだから。
本当に人としてね、当たり前に発達していく中で身につけるべきことを身につけてないわけですよ。
だから反抗期がないのとかも、宗教に入っちゃうせいかもしれないね。
反抗しちゃいけないと思ってるわけだからね。
これも宗教のせいかもしれないですよ。
あと勉強をして偏差値の高いところに行きたいのであれば、単純にそれをやればいいわけですよ。
何か自分のためだけに、つまり利己的な自分ではいけない。
そんな風に考えてしまって。
もっと勉強やりたかったらそればっかりやればいいのに。
何か必要のないバランスを取ろうとしたんだよな。
人とかかる時間も大事にしようとか。
でもね、他の人ともそうだと思うんだけど、他の人は単純に友達と遊びたいから遊んで。
ストレス発散して。
クラウキーの場合は義務感によるものだったりするんですよね。
それだしだっけ。