天才の必要性とその限界
今回はですね 天才さえいればいいんじゃないか、この世の中
っていう発想についてどうなのか話していきたいとおもいます。 民主主義なんかもね
まあどうなのかという話をしました。 結局正しいことを言う人
なんて少数派だし、そもそも
一番優秀な人が
一番でなくてもある程度優秀な人が
国のことを決めた方が
いいんじゃないかなんて話をしましたけども
まあそういう天才たち これ人間以外もそうだろうね
鳥でいうとより高く綺麗に飛べる鳥が
生き残り
その方がその種は強くなるんじゃないか って言うと生物学者から言わせたら
いやクラキから言わせてもそんなのはまあ間違いだったらわかるし 例えばアリの世界で言うと働き有りがいたり
そうでないのがいたり ああちなみに
まあだからそういう仕組みが必要だし それがあるからそこの種は残っているわけだしあとは
不思議なもので働き有りだけにしたら今度は働き有りのから から怠け者が出てきてってあるから
その人類の進化っていう意味ではね何百年も経っていれば またそうやって優秀な遺伝子が
どんどん劣化していくようなことが起きると思います 結局平均化するとですねだからね
ただどうでしょうか今現在のいろんな仕事 AI化したらねこの限りではないかもしれないけど
優秀な人たちだけではやっぱり成り立てませんよ 自分は優秀じゃないから
こういう仕事しかできないんだという自覚がある人が多数いるから 世界は成り立っているような気がするんですよね
ただまあ脳科学的には 何かの部分がずば抜けてたりIQが高い場合
何かしら欠陥があるんですね欠落している部分があるんですよ そういう意味ではまあ単純に偏った人たち
とも言えるだから偏った人
だから脳科学的にね 生物として偏ってる
のばかりになったら まあ間違いなくそれでバランスを取ろうと
進化の過程でなるだろうから うーん
天才ばかりの世の中になっても やっぱりいずれ
まあ絶滅するか バランスを取るか
だと思うんですよね 自分は天才ばかりの世の中できてあまりいいイメージにならないんだよな
多様性の重要性
あまり偏りがある人たちとしか思ってないし それはだからもう人間のエゴですよたたたんに
優秀だと捉えて 本当偏りがあるだけですから天才って
まああと生物はそうやって何か 優れたら何かを犠牲にするようにできてますよ
脳科学が欠落してますからそういう人っていうのは 記憶力があれば考える能力が
その分ないかもしれないし 頭が良ければ運動能力
がないかもしれないし
知恵はあっても
感性はないかもしれないし 皆さんも天才で
ね なんか憧れるしと思うかもしれないけど
要は何かが偏ってるでそれを
天才の定義を都合よく変えてしまえばいいかもしれないけど
まあでも理論上天才ばかりになるっていうことはですよ
何か偏っててそれが人間が優れてると皆知ってるだけで
まあでも都合よくなんないんですよ
こんな天才いてはいたら困るだろうっていう天才も現れますから
世の中そういう天才ってたくさんいると思いますよ クラキも漢字の画数数えるのは天才だと思ってるし
でもねどうでもいいですよねそんなの あと喧嘩をする天才だっているだろうし
ヌスットの天才もいるだろうしゴイモンみたいのもいるだろうし現代でも
まあこれを天才の定義に含めなきゃいいっていう話なのかなどうなんだろう
ああでも天才だけにしたら 遺伝子は引き継がれて天才ばかりになるかたら
そんなことないんですよ天才 あの頭いいのと頭いいのの子供は
割と知的障害だったりするんで性高いのと性高いの 結婚すると子供はね性低いのが生まれてきたりするんですよ
やっぱりそうやってバランス取るようにできてると思うんだよな 人類がどんどん強化されるかというと
そんなことないと思うんですよね だから
もう
DNAがそうやって ただの偏りがある人たちなんだと
いうことを理解してるからですよね それが今年を残すために
天才の方がいいって言うなら ただ単にそう言えるんだら
天才と天才の子供はもっと天才になりますよ
それでは明日っけ