2025-11-16 20:46

第5142回 哲学雑談回親ガチャを発達障害倉木が考察&対人関係上手い人は嘘と演技が得意な人❓

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このエピソードでは、倉木が親ガチャや対人関係について考察し、人間関係は嘘や演技で成り立つという視点を示します。また、親の影響や社会的な条件が人生に与える影響についても深く掘り下げています。さらに、親ガチャや発達障害に関する考察を通じて、自己受容や生きる力について語ります。経済格差や人間の能力が遺伝によるものであり、努力だけでは解決できない現実についても触れています。

対人関係の本質
では、哲学雑談回、話していきたいと思います。早速ですが、
常識ってないのも、もちろん社会生活って困りますけど、
常識がある、あるいは正義感が強すぎるとか、大人すぎるとか、これはこれで問題で、
一般的な人たち、テレビですよね、テレビ見てたら、
周りの人間もそうだけど、どうしても気になってしまうことが多くなるわけですね、他の人より。
他の人は別に目をつぶる、あるいは気づかないことに気づいてしまう。
ということはですよ、能力が高かったり、頭が人並みでなくする以上の場合、相当なストレスになる可能性があるんじゃないかなという、
の、倉木の治論ですね。
では、次いきますが、次の話ですが、
これ実際当日だったかわからないけど、今現在は人間と変わるということは、
自分は相手にとって都合のいい人間である、ということをわかってもらう。
まあちょっと言語化するとこういうことになってしまうんだけど、もっと言い方あれだけども、
相手の欲望を満たすための人材になり得るということを理解してもらう。
人間関係ってのはそういうことでできてると思ってるんですよ。
っていうかそういう感覚がありました、学生時代やっぱり。
これだからどうでしょうね、皆さんも無意識にこういうことをやってるかもしれないし、
ただ単に倉木はそれに気づいたっていうだけで、気づかない人がほとんどなのかもしれないし、
ただそれが人間関係の本質、対人関係の本質だと思ってるんですよ。
それは以前話した通り、人間はみんな演技してるようにしかあんまりないですね。
倉木はいつも能面であったし、ボディランゲージも含め、
全くそういう演技するってことはできなくて、愚かだったなと思うんだけど、
普通は表現するじゃないですか、表現したり、相手に伝わるように大げさに言葉自体も含めやりますよ。
それってこういう方はしないだろうけど、嘘でしかないわけですよ。
でも日本人ってわかりやすい嘘をつけますよね、例えば。
全然嬉しくもないのに、嬉しそうな表現をしたり。
それ嘘ですからね、そういうことをしてるわけですよ。
過剰に喜んだり、教師が怒ってるっていう態度を見せたり、
全てが演技と言ってしまってもいいわけですね。
だからですよ、そうやって嘘をついて、さっき言ったように自分は相手にとって都合のいい人間であるということをいかに知ってもらうかっていう、
ゲームみたいなもんであるっていうのが実情なのかなって思っちゃうんですよね。
今言った嘘をつく能力があるかどうか、演技する能力があるかどうか、
人間関係どうなるか決まってくる部分が多いと思うんですよね。
ただ大事なのはこの場合、単に言葉の嘘と違って、
そんな簡単に嘘なんてつけられる問題じゃない。
演技しなきゃいけないから。そこが大事なとこですね。
できない人はやっぱりできないんですよ。
だからコミュニケーション能力のない人はいつまでたっても身につくものではないのはそういうことですよね。
次の話ですが、自分の応援しているスポーツ選手だったり歌手って、
存在価値の探求
もう余計に持ち上げて評価するわけじゃないですか。
時には神だとあがめたりしますよね。
自分としてはですね、間違いなく自分の評価を高めるための、自分が自分のですよ。
材料にしてるなっていう感覚があったんですね。
世間の人はそれを意識しているのかどうかわからないけど、
その一方で、人を見下したり見くびったりする場合、
そもそもこれを理解してもらわなきゃいけないと思うんですけど、
自分はそんなことしないと思うかもしれないけど、
人間であれば当然、下に見てしまったりしますからね。
こういう職業の人よりは上だとか、囚人とは一緒にしないでほしいとか、
あいつとは一緒にしないでほしいとか、
そういう場合ですね、自分の存在価値を高める、
あるいは自分の存在を脅かされないように、
危険な状態に自分の存在自体がならないように、
転がけることができる材料にしてるだけなんですね。
だからそう思ってますね。
だから誰かを応援してるって場合、
あるいは自分はこの県で生まれたからこの県が大好きだって言って地元愛を持ってる場合とか、
家族愛も場合によってはそうかもしれないし、
そういう場合ってすごく感じるんですよ。
そうやって、母校愛もそうだけど、自分で一人じゃなくて全体でのし上がっていこうってせっかく、
だからやっぱり同じように自分の存在価値を高めてくれる材料なんですよ。
だから地元の人がスポーツで優勝したりしたら、
異常にその人を褒めたたえるっていうのもそういう真理なんですよ。
自分を高めてくれる存在。
同じ場所で生まれ育ったんだから自分だってすごいと思える材料なんですね。
いやーこうやって話してるといかにも冷めた音で言ってるように聞こえるかもしれないですけど。
いやそんな、何の曇りもなくこうやって言えますし、そんな冷たい話ではないと思うんだけど。
親ガチャの影響
次親ガチャについての話なんですが、
クラゲが毎週休やった時、
教祖はこう言うんですね。
こうなってしまった。こういう風に生まれたからこういう風になってしまった。
では宿命を生きることになる。
こうだったからこうできた。っていう人生に持っていけた。
でもですよ、足がない人がそれなりの人生を送れたとして、
それは足がないからそういう風にできたというよりも、
足がないながらに何かできたというだけで、
伝わるかな。
足がないことを何か強みにして何かやられてると思うのは、
それも奇麗ごとまやかしでしかないと思ってるんですよね。
思うんですよね。
だって比較できないでしょ。もしその人が足があればどういう人生だったか。
足がないからこそ。
もちろん全く違う人生でしょうね。
でも足があれば足がある時の人生、足がない時は足がない時の人生。
それは捉え方の問題ですよね。足がないからこうできたと捉えるのか、
足がないながらにそれなりにうまく生きたというのか。
これは単なる解釈の問題であって。
足がないことを強みにしたというのはもう、
解釈がひどすぎると思うんですよ。
足がない人なりのやることをやった。
それだけのことでしょって思うんだけど。
あとはくらきは大は小を兼ねると思ってるんで。
別に足がある人でもできることだろうし。体制のことは。
いつも言ってる通り、平等なんてのは単なる人間の概念だから。
それについてはどうでもいいと思ってるし。
いくらでも平等でもあるとも言えるし、
親がちゃったことは別に不平等だとも言えるだろうし。
それはどうでもいいことだと思ってるんですが。
言ってしまえば不平等だからなんだって思うんですよ。
不満も持たないし。
一人というかそれがマジュリティだとしても、
その人たちの捉え方なんだなと思うだけであって。
くらきは別に不平等だと思わないし、
そういう感覚って一切ないですね。
言われてみれば確かに不平等かなと思うけど。
見る抽象とによって違うと思いますよ。
同じ人間だと思えば同じ人間だし、
同じ動物だっていう風に見たら、
身長が高い低いなんてエチっぽけなもんだしそんなもん。
あとは人間に生まれて、
鳥みたいに羽がないから不平等だなとかね、
ライオンみたいに速く走れないなとか、
そんな発想って子供レベルでしょ。
そこに不平等さを持っていればあまりしないですね。
ということはですね、貧乏だから親がち失敗だとかいうのも、
そのレベルのことかもしれないですね。
自分は羽がないんだとか速い足がないんだとか、
言ってるレベルかもしれないですよね。
でもな、与えられた条件を、
あとはどうやって生きるだけか。
どうやって生きるかが大事であってみたいな。
努力次第になんとかなるみたいな。
それも本当に勘に触るんだよな、そういう発言、そういう考えはね。
勘に触るって言ったら違うんだ。
なんか違和感を覚えるんですよ。
絶対違うなって確信があるんですね、それは。
さっきの平等不平等と同じことで、解釈の問題で、
良子丹麗に生まれてくるか、つんぐりむっくりに生まれてくるか。
ある意味もちろん、
どういう人だか、美人、イキメンと結婚できるかどうかもその時点で決まってくるし、
でもそれって視野の狭い、レベルの低い視点だと思うんですよね。
とりあえず、
努力でなんとかなるとか、それはとにかく馬鹿らしい考えだってことですね。
そんな、解釈次第では、
努力してもどうにかなるものでもないだろうし、
親がちゃで決まってくるって言ってる人、そういう意味では正しいと思ってるし、
思いますし。
でもよく考えてみてください。
結局、イキメンか美女なんていうのは、成形すればなんと恩人でもなるし、
そういうことなんですよ、クラッキーが思うのは。
結局、それでさえあんまり考える、親がちゃだなとかなんだとか考える、
必要性がないんじゃないかなと思ってしまうんですよ。
でもその一方、成形できるかどうか、
成形できるだけの金を蓄えることができる仕事に就けるかどうかの知能も親がちゃで決まってくるとも言えますよね。
でも成形がうまくいくかどうかなんていうのは、運だとも言えるし。
でもこうやって、ああだこうだと親がちゃで文句を言いながら、
親ガチャと自己受容
結局それを受け入れて生きていくのが人間だし、
そうやって愚痴を言うのは間違っていることではないし、
愚痴を言う人たちに、それはおかしいって言うのもそれで別に正しいと思うし、
とにかくそうやって愚痴を言ったり、受け入れたりっていうバランスを取りながら生きていくのが人間だと思って思いますね。
クラキも元々はですね、本当に人に嫉妬する性格だったんで、こんな風にだったのなとか、よく考えていましたよ。
でもですね、年々大人になるにつれ、馬鹿らしいなって気づくんですよね、そんなの。
ただ一貫して努力でなんとかなるとは思わないけど、
努力で追いつこうとすることがあったかもしれないけど、
努力で何とかなるとは思ってはいませんでしたね。
もちろん人と比較するんだけども、
本当に年に数回人に嫉妬してしまうだけで、その親がちゃっていう部分って言うとですね、
結局は目の前にあることに集中して、それで精一杯なんですよね、人間って。
自分の気持ち次第で明るく生きることもできることを学んだんですね。
でも割と早い時から、人間なんて違いは違いしかなくて、
そんな双方的に見て全面的に比較できるもんじゃないと。
ある側面では劣ってる優れてるあるかもしれないけど、
っていうことに早から気づけていたのも良かったのかもしれないし。
でもこう捉えることもできますね、科学が発展する前の時代のことを知ると、
もう到底そんな時代に生きれないし、
そう考えるとこうやって現代に生まれてきただけでも、
十分アドバンテージあるんじゃないかと思うけれども、
でも当時の人は、じゃあ実際に現代にタイムトリップして、
いや、こんなとこではとても自分たちは生きていけない。
逆に向こうの人は思うかもしれないし。
そういう視点で見てみるとですよ、やっぱり優劣なんてのは、
尽きれたもんじゃない。
すなわち親がちで、自分はひどい口を引いてしまったと思っていても、
それをやっぱり一つの側面で見てるだけだと言うこともできますよね。
でもまあ、どうやったって生まれた環境と経済格差は決まってくるとも言うし、
でも幸福をなんてその人の価値観によるもの、
だから貧乏でもうまくやってきる人はうまくやってきるし。
で、まあどっちも正論ではあると思うんですが、
あくだけこの世界は生き地獄ってあると思ってるんで、
まあある程度年収低すぎると、
あと機能不全過程だったりして、
なかなか仕事もうまく続けれないようだと、
あと障害があったりして、
やっぱりそれも生き地獄になりうるのかな、落ちるのかなと思うんですが、
それでまあ宗教にハマってしまったりして、
抜け出せなくなって、
まあそれだけならまだあれだけど、
それで麻薬とかにハマってしまったりして、
まあこれを生き地獄と言わずして何を生き地獄と言うかと思うんだけど、
でもですよ、こうとも言えると思うんですよ。
年収、まあそこまで低すぎなかったら、
まあこれはまあ親がずの良い部分で、
例えば貧乏で環境で育った人たちだって、
いくらお金丁寧に入れても、
結局良いものを食べても口に合わなかったり、
いくら生活水準を上げても身の丈に合わないことをしても続かないし、
あんまり年収高くても意味なかったりするんですよね。
で年収200万と年収600万の人の生活ってそんな大差ないんですよ。
年収まあ2000万あったら多少生活変わるかもしれないけど、
でも次の年の年収なんてどうなってるかわかんないですよね。
人間っていつどうなるかわからないですから入院するかもしれないし、
それこそAI化が進めばなおさらどうなるかわかんないですから。
いやそれこそそうですよAI化が。
コロナもそうだと思ったけどコロナに関してはちょっと、
今後どうなっていくかわかんないですけど。
今後50年、こうやってコロナは落ち着いて何年も経ってるとはいえ、
わからないと思ってますから。
AI化でホワイトカラーの仕事どうなるかわかんないって意味では。
親がちゃなんてなんも関係ないと思いますけどね。
今までであればですよ、なんだかんだ頭がいい人は得せるようにできてると思ってたけど、
頭がいい人は逆に仕事ない時代が来ますからね。
さっきですね、言いようとしたとわかりましたが、
親がちゃだけど努力でどうにかなるっていうのは、
感覚的には親がちゃ半分、自分の努力半分だと思ってるかもしれないけど、
そこはもう厳粛に止めるべきだと思いますね。
そこの部分は努力でどうにもならないですよ。
今言った経済拡散は嘘だけど。
ただ、裏切りは言いたいのは、
顔なんかもどうにもならないんだけど、でも整形できちゃうから、
そういう意味ではあまり考えても意味ないですよってそういう話ですね。
あとは立ち弱いっていうものに出会って、
自分の能力なんていうのは伸びるもんじゃないってことがわかってから、
生きやすくなったんで、だから、
自分をどう投げ込むか、自分は自分で、
そのまま自分として生きていくしかないってこと、
生きれるってことが大事なのかなと思いますね、この親がちゃ問題については。
遺伝と努力の影響
ただこの言葉、最後の話ですけど、この言葉に出会ったときはすごい嬉しくてですね、
世の中の人は、特に知能なんかは、やっぱり遺伝と考えるのはタブー視されてるし、
でも実際は、人間の能力なんて遺伝で決まってくると。
そう努力振興が強い日本で、それを生きれる人がどれだけ現れるかなと思ったけど、
こうやって親がちゃって言葉が流れたのは本当に嬉しかったですね。
真実を見れる人が多くなって、とても不思議には思ったけどね、嬉しかったです。
それでは明日っけ。
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