大学受験の失敗
倉木凪です。
今日もすぐに本題いきますが、一つ目。
普段あまり考えないようなことをしていることなんですけど、いきなり。
大学受験で失敗したとは思ってないけど、失敗した形には何のかな、世間からしてみたら。
それで、よくあるパターンとして、こんなの小さなことだよと
笑い話になるさっていう風に受け止める。
で、次に多いのが、まあなかったことにする、食欲から消去してしまう。
で、まあこれはあんまりいないかもしれないけど、
でも倉木的にはね、これはなんかよくありそうな感じにしちゃうんだけど、
まあ一般ではそんなことないかもしれないけど。
もちろん劣等感って出てきますよね。
だって失敗したら。
で、その現実を受け入れるわけでも受け入れないわけでもなく、
結果オーライっていうのかな。
まあ自分にとってはこっちのほうが良かった。
まあでも落ちたことには変わらないだろうから。
うーん、まあちょっと、わかんないかな。
ちょっと想像つかないんだけど、
まあでもね、都合よく考えてるって思えてしまうような考え方しないと思うんだけど、
でも自分の性格的にね、都合よく考えると思うんですよ。
他の人とは違う意味で。
で、多分そうしてたと思うんですよ。
でもこれあくまでも落ちてた場合、さっき失敗って言ったけど、
あのね、そう単純な話じゃないんですね、クラゲの場合。
だからね、これはもう本…
まあここでね、嘘ついてもしょうないんで本音ですけど、
大学受験で落ちたとか失敗したとかいう思いはね、一ミリもないんですよ実は。
浪人の経験
大学行っていればなっていう思いはありますよ。
引きこもりになってなかっただろうなって。
クラゲはもし彼女で来てたらって度々話してる、その話って。
まさにそういうことですから。
大学に行って引きこもりになってなかったかもしれないって。
いいことですよね。
で、クラゲの場合ね、もう鬱病で、
なんか考えもしれべつれつで、当時は当然そうは思いませんよ。
でも今振り返ってみるともうそんな感じで、
もうね、勉強も手につかないし、進路も全然決めれないし、
宗教を極めていたことと鬱病とか、
まあいろんな環境的なこととか、
親に理解されないとか、
そのストレスとか、
いろんなことが混ざり混ざって、
間違えました。いろんな思いがですね。
いろんな悩み、思いが混ざり混ざって。
で、もう浪人にするなんてもう決まってたし。
いや、高校最初の頃は、
そんなお金もかかるし、
浪人にするなんて考えない奴は理解できないと思ってたけど。
ちょっともう高校生のうちは、
もう授業を受けるのに精一杯だなって感じでね。
もう放課後もずっと悩んでるだけだし。
で、まあ浪人にすることになって、
いや、浪人中のやってたことも失敗だとはあまり思わないんですよね。
落ちたという感覚にはなってないんですよ。一浪目も二浪目も。
あんな勉強法で悩まないで勉強していたらっていう後悔はあるけど。
だからもしね、大学で受かれそうで落ちてた場合、
多分その現実を受けられなくて、
人と比較されたくないから、それはそれで引きこもりになってたと思うんだけど、
また全く違う心境だったと思いますね。
もちろん、もし受かっていればっていう思いもあるだろうし。
宗教に統合主張者の奴いてね、
その現実を見て見ないふりをしてるような感じがしてね。
で、宗教に来て癒されてると。
なんかそういう奴って大嫌いですね。
多分友の子もそうなんだよ。
大学行きたいとこじゃないけど。
でもこの大学行ってたからこそ、この宗教に入れた先輩と出会って、
入れたと。
そう思いたいからこそは宗教を続けてるような気もするし。
なんかそういうの嫌ですね。
多分そうなってたと思うんですよ。
僕だけの場合ね、
もうちょっとそういった次元を超越していたところにいたんですね。
偏差値自体が超越してたわけじゃなくて、
気持ち的にね、いろんなビジネス書とか読みまくっていたせいなのか。
これから落ちるの次元ではなかったですね。
いかに偏差値を80近くまで上げるかってことばっかり考えてました。
実際受験も一回もしてないし、
勉強でも全然取り掛かれなかったんで、
そういう悔しさっていうのはないんですね。
当時もね、別に勉強してたらある程度まではいくだろうし、
北大ぐらいは普通にいくらだろうし。
ただ自分は東大の医学部に行く。
無理でも京大の医学部か、半大の医学部か。
医科しかないか。
医学部が無理でも。
東大の理科一類か、京大か。
って考えてましたから。
そんな悔しい思いがないかってさっきから言ってるように。
自己分析と受験生の意識
別の意味での悔しさがあって。
でも親戚からね、そうやって現実逃避してるように見られるのは嫌ですね。
別にそういうわけじゃないから。
受験で落ちて現実逃避してるわけじゃないからね。
それで引きこもりになってるわけじゃないから。
まあ高校の時もね、引きこもりになってしまう。
引きこもりになってしまわないですから。
慶応に、慶応のSFGとかも考えてればよかったなとか。
私学部もよかったなとか。
こうやって考えてたんだけど、全部ね、やっぱり
想像の世界の中で生きてた感じですね。
別にファンタジーとかじゃないんだけど。
まあそれもビジネス書を読みすぎたからかもしれないです。
まあでもこれは良くなかったらいいなのに、
そういうたられ場はね、
ただのたられ場であって、
受験においてはこれが必要だと思ってたんですよ。
受かった自分を想像しなきゃいけないですから。
もしね、受験当時からもう10年以上経ったら今、
別の意味での後悔。
負けすぎないっていう意味での後悔。
まあ受験って競争ではあるけど、
クラーキンの中では人のどの比較じゃなかったんですね。
とにかく自分の偏差値をいくら上げるか。
周りの奴らなんて顔中にいないって感じだったし。
あまり周りとか近所とかのどう見られるかなんて意識はなくて。
まあよく言うと、もっと高みを目指してたというか。
でもね、より現実が見えてきたからこそ、
負けすぎないような自分が出てきて、
あいつらに負けないみたいな思いが出てくると、
まずいのもわかるんですよ。
だからそういう意味ではね、
これもパンドラの箱です、自分にとっては。
一切ある意味考えてこなかった領域ってのがあって。
なんだかんだ言えど、言ったって、
結局は受験生としてはね、
まあ受験生であろうが受験生でなかろうが、
クラーキンとしては受験生であったっていう感覚はないんだけど。
まあもう一人でスポーツ選手とかになれば話別だけど、
保健官になったとか、パーティー選手になったとか、
そうじゃないからね。
やっぱりね、いくら言い訳したって、
大学受かった奴からしてみたら、
受かってない奴なんだろうなと思って。
そういった国にさせられるんだろうなと思って最近ね、
たびたびパンドラの箱を開けそうになってる状態ですね。
それでは仕上げ。