社会の要求に寄与する人間
今回はですね、結局、社会が要求してくれるものを 人は寄給しているんだということを話していきたいんですが
では早速ですが どういうことかというとですね
人に喜ばれたいとか 倉木だと
人に喜ばれたいもあるけども そんなのよりはるかに大きいのは
人に認められたい でも人に認められることってどういうことでしょうかね
学歴があるとか そういうことだとしたら
やっぱり社会が そういう人材を求めていますからやっぱり社会が寄給すること
いや自分ではそんな意識はなかったです だって社会に迎合しているようなものですからね そんな生き方
倉木はそんな生き方を絶対したくないと思ったけど だから
どうですかね皆さんもそういうこと 倉木と同じようなことになっている
可能性は十分ありますね 自分としては自分の考えたただしたがって生きている
社会に迎合しようなんて考えてない でも結局社会が求めている自分になっているだけですね
価値観と賞賛の追求
そんなことはまあまああることだと思います 常識のある人間でありたいと思う
なんていうのも
ただ正義感なんだと思っていたけれども これも
社会にとって都合のいい 人間になっているだけかもしれない
最終的な 着地点としては
でもそういったものも多いですよね 学校で成績を取った学校やから 思ってもらえれば嬉しいし
いい会社に就職したいと思うし
部活やってる人は大会で優勝したいと思うし
これ全部社会が寄与していること
にかなったことをして そこで賞賛を浴びる
ことを人間で喜ぶとしちゃってるわけですね結局 そういった意味では本当に人間で自由になれるって
いうのは難しいんじゃないかなと思いますね 自分の考えに従ってっていうのは
結局そういうところに帰結するわけですからね 善悪なんかもそうでしょうね
結局その時代 そのコミュニティでの
都合のいいものが善というわけだけど 自分が善
善悪でいうと悪人じゃなくて善人でありたい と思うのは
間違いなくこれでしょうね
でも自分の考えに従ってそうしているとも思ってますよね
この社会で常識価値観を 植え付けられてそして社会が
要求するもの自分の姿に 近づこうとして必死になり
賞賛を浴びたらそれで舞い上がり
ということを繰り返しているわけですね結局ね
それではしたっけ