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2025-09-27 13:36

第4489回 人間万事塞翁が馬と結果論の違い人生哲学雑談回

いつもつまらない話を聴いてくれてありがとうございます。 訳あり倉木家の日常の修羅場を毎日話しています。

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サマリー

このエピソードでは、「人間万事塞翁が馬」と結果論の違いについて議論されており、プロセスと結果の解釈方法が中心テーマとなっています。挑戦や偶然の出来事に関する考察を通じて、結果に基づいて振り返ることの重要性が示されています。

挑戦と結果の解釈
倉木 凪です。
今回はですね、
最近話しましたが、
あれは素晴らしかった、
あれは正解だったというのは、
うまくいったから、
あとから振り返ってみて言える。
例えば、
何かに、きっかけに出た場合、
うまくいったから、あれは
素晴らしい挑戦だったと言える。
という話しましたが、
それは還元すると、
挑戦したという行為、
そして挑戦しようと思い、
実際、
野球なんかだと、
普段やらないことを、
作戦を立ててやってみた、
その行為自体ですね。
あとから、いいだの悪いだの、
都合よく解釈しているだけだと、
という話をしたんですが、
これについて、
ではないんですけど、
今回の話は、
ちょっと考えさせることがあったので、
話していきたいと思うんですが、
人間万事さようがままというのは、
一見似ているようなことなんだけど、
違うんですね。
似ているというのは、
何が似ているかというと、
過去のことを振り返ってみて、
あれは良かった、悪かった、
人間万事塞翁が馬の考察
というけどそれは、
後々考えてみると、
まだ分からないことだ。
だけども、
人間万事さようがままの場合、
自分でどうしようとかじゃなくて、
例えば馬が逃げたとか、
馬から落ちたとか、
戦に行かなくて済んだとか、
これは自分の意図していることじゃないですよね。
意図していることじゃないことに対して、
最初は馬から落ちたのは、
運が悪いことだ、
大失敗だ、
と思ってたけど、
その限りではない、
という取り方ですよね、
人間万事さようがままって。
対してさっき言ったほうのほうは、
挑戦したこと、そして挑戦したその行為、
は、
その時点ではね、
もう全くカオスな状態です。
一方で話戻りますが、
人間万事さようがままのほうは、
起きた出来事のその時点では、
人間万事さようがままというのは、
失敗だって捉えたり、成功だと思ったり、
うまくいったと思ったり、
そういうふうに捉えてますよね。
また話戻りますけど、
挑戦したり、その行為、
本当に最後の最後、
最終的には結果が出ないと、
まだ勝ちの状態だから、
なんとも言えないんですよね、
それとも、
人間万事さようがままのほうは、
人間万事さようがままのほうは、
人間万事さようがままのほうは、
人間万事さようがままのほうは、
言えないんですよね、
それってね。
で、これは、
後から振り返ってみて、
成功したから、
あの挑戦は良かった。
例えば、
この前も話しましたけど、
受験する時に、
偏差値の高いところを、
目指したと。
で、この賭けは、
賭けというか、
すごい挑戦だったけど、
受かったから、
ちょっと高すぎるところを受けたことを、
称賛するわけですよね。
受かったという結果の後に、
過去を振り返ってみて、
良かった悪かったというわけですよ。
どうでしょうか、人間万事さようがままは、
例えば馬から落ちたとは、
でも戦に行かないくせに済んだとは、
さっきも言ったように、
馬から落ちた時点で、
カオスな状態ではなく、
もう解釈してるわけですね。
失敗をして運が悪いと。
で、これは、
自分で意図してやってることではないからですよね。
で、その後に戦に行かないとなったら、
さっきはね、
受験に挑戦した
コンツの行為自体が、
素晴らしい、
その人のやり方は素晴らしかった。
だけど、さっきの馬の話の場合は、
馬から落ちたというのは、
その人の意思とは関係ないですよね。
というか、逆に意思とは
もうに反してることですよね。
で、戦に行かないと分かって、
行かなくていいことになり、
それは失敗だと思ったけど、
分からないと。
まあでも、
さっきの話と違って、
馬から落ちて、
良かったとは思いませんよね。
馬から落ちた子、
それ自体は、
もちろん悔しいけども、
でもそれを悪いと、
結果論と反省の重要性
分かるじゃないという、
そういう捉え方ですよね。
だいぶ違いますね。
言ってるようなことなんだけど。
どうしてこの2つで違いがあるか。
で、クラキがちょっと疑問に思ったんですね。
もう同じことじゃないかと。
後から、
このことを振り返ってみて、
ああだこうだと言って、
良い悪いで解釈しちゃってるわけです。
で、クラキのこれ、
自論なんだけど、
戦に行かなくて済んで、
で、馬から落ちたことが、
悪いと思ってたけど、
その限りではない。
その考えは正しいと思いますね。
ただちょっと補足しなきゃいけないんだけど。
で、さっきの、
後から振り返ってみて、
これこの前話しましたけど、
受験で演説大会とか受けて、
成功したとかいうのは、
まあ結果論だろうという、
思いなんですね。
ちなみにこの話、
人間万事災害のまま、
当てはまると思いますかね、
この事実に。
この事象にはあまり当てはまらないんですよね。
受験で、
受かって、
まあその後受かってよかったと思うんだけど、
悪いことが起きる。
まあこんなことはここで話してないし。
挑戦したこと。
それは最初は、
よかったかどうかはその時点では分からないわけですから。
一気に注意したりしてないわけですよね。
まあでもそれがあったから、
受かったっていうその因果関係があるのは、
間違いないですよね。
馬から落ちて戦いがなったっていうのも因果関係ある。
共通点もあるんですけどね。
で、なんでこういうことが起きるかっていうと、
何か挑戦しましたとか、
こういうふうな行動を取りましたってこと自体に、
自分で意図してやったことに関しては、
それ自体はね、
人間がいちいち解釈しないように、
自分でこれやろうと思ってやったんだと。
その時点では、
それをやったことを主として、
その作戦を遂行できたその時点で、
まあ多少ね、
思ってた通りにはできたくらいには思うかもしれないけど、
それをいちいちうまくいったうまくいってないって、
考えたときに、
それをいちいちうまくいったうまくいってないって、
解釈しないってことですね。
だから人間万事さよならの考えからすると、
これは理にかなってるわけですよ。
あとさっき
言い忘れましたが、
クラキはね、
戦争に行かなくてよかったから、
まあ戦に馬から落ちて、
馬から落ちて、
クラキだったらね、
落ちて、
落ちたことがだめだったとは、
思わないけども、
かといって、
じゃあそのおかげで、
戦に行かなくてよかったよ。
だから馬から落ちて、
あればあれでよかったんだ。
それはちょっと、
都合が良すぎる考え方だと思うし、
あとは、
馬から落ちて、
まあある程度、
失敗だったという捉え方も大事だと思うんですよ。
なぜかというと、
次回また落ちたら困るから。
やっぱりそこは反省しなきゃいけないし、
だから実は人間万事最後までも、
馬が逃げてってしまったら、
これなんかも、
人為的なミスもあるのかもしれないし、
まあそうでないんだとしたら、
ちょっとまた違いますよね、
馬から落ちるっていうのとね、
人為的なミスじゃないんだとしたら、
まあ馬から落ちるもそうかもしれないけど、
これに関してはね、
反省しても意味ないから、
そもそも、
落ち込んでもしょうないようなことではあるんですよね。
ところで、
人間万事最後までもって、
結果論だと思いますかね、これ。
これは違いますよね。
で、また一つ違いが見つかりましたが、
戦に行かなくて済んで、
まあ結果論だとあれだともできるけど、
まあこの教えはそういう教えじゃないですよね。
まあ戦から落ちて、
まあさっきからお話している通り、
馬から落ちたことをね、
まああれは正解だった、あれは失敗だった、
まあ違っていた、まあさっきの話だとこういうことなんだけど、
この話の場合は、
まあ失敗だと思ったけど、
まあでも結果論なのか。
まあこれで単に馬から落ちただけだったら、
まあそのまんまの捉え方。
でも結果論ではないですね、もう。
馬から落ちた時点で解釈しちゃってるわけだから。
ちょっとこれ以上話せると、
さらにややこしさが待ちそうなので、
まあでも、
まあ昨日話したことと、
人間万事さよがまって、
まあ似てるようでね、
だいぶ違いますけど、
これ、
まあ実生活に当てまで考えてみると、
これどっちなのかって難しいですよね、
今回の場合どっちなのかって。
人間万事さよがまの捉え方だったら、
結果論とは言えないし、
例えば朝ゴミ出しに行くのを忘れた。
人間万事さよがま、
的に考えると、
まあこれが失敗だとも限らない。
まあでも先ほど話しましたがね、
ちょっとこれに関しては反省するのがまず第一だろうね。
で、さっきの捉え方だと、
結果論ということだから、
これはまあ当てはまらないですよね。
もう常に解釈しちゃってるわけだから。
失敗したと。
で、この後何が起きても、
ゴミ出しに行かなかったのは、
あれは素晴らしい行為だったとは
なりませんよね。
だからその行為に焦点を当てて
考えてるのが前者なのかな。
それを運が悪いと言うのが後者で、
まあでもその、
別の見方をすると、
ゴミ出しに、
行くはずだった直前の行為を、
見て、
だから振り返ってみて、
あの時ああしてれば、
あれは失敗だった、
ということを言い出したらやっぱり
結果論でしょうね。
で、ゴミ出しに行ってたら、
別にそんな反省してないだろうし。
だから人間万事最後はまあもう、
馬の乗り方がどの子の言い出したら、
戦に行かなくなったっていう、
その時に、
もし戦に行かなくて、
もういいっていう状態になってなければ、
相当反省すると思うんですよ。
でも戦に行かなくていいとなれば、
馬の乗り方はやっぱり、
反省しないと思うんですよね。
それだしたっけ。
ご視聴ありがとうございました。
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