失敗の教訓
今回は人間万事塞翁が馬の話。これまでもたべたべしてきましたが、今回はそういう話になっております。
この前撮ったとは思ったんですけどね。 あれは、
馬がいなくなってでも連れてきてとか、馬から落ちてでも戦いに行かなくてっていう あれだけど
そういう教えだけどね。 これまでもポジティブシンキングの問題と話してきましたが、
これもその簡易な見合いですね。 万が一そうでないとしてもですよ。
馬がどっか行っちゃったなら
それで落ち込むとかね、その後、やっぱりあれは
悪いと思ってたけど、いやわかんないもんだっていう、捉える以前に馬がいなくなったなら、
馬がいなくならないように備えているべきだったと。
なぜそこを反省しないのか。 そういう意味ではね、やっぱり
ポジティブに捉えてるかわかんないけど、 この人間万事塞翁の
教えの肝心なところである、そうやって価値判断してね、
あれは失敗だったとか、どうだとか、それ以前にですよ。
反省しなさいと思いませんか。馬から落ちて、 それ失敗だと思ったけど、戦に行かなくて済んだとか。
そんな風に良く捉えたり悪く捉えたり、別にどっちでもいいけど
まず馬から落ちないように気をつけなさいと思いませんか。 だからね
逆に馬から落ちて失敗だと厳粛に受け止めた方がいいんじゃないかと思うぐらいなんですよ。
そう考えると人間万事塞翁という教え、 逆に何かそれがあだとなることもあるんじゃないかと
思いますね。逆にね、
10日間ぐらいね、もうね、引きずるぐらいで、 二度と失敗しないという方がね、確率的に馬から今度落ちる可能性低くなると思いませんか。
過去の失敗と未来
ちなみに前回はね、 過去のことを
まああれは良かった、うまくいった、あれが正解だったという場合、 その後に良い結果が得られたからそうやって捉えてるだけ。
でもこれと人間万事塞翁との違いの話をしたので、それはそちらを聞いていただきたいんですが、
まあそれ話したらおかしいなと気づいたわけですよ。 いや馬から落ちて、まず反省したらどうかと思っちゃったんですよ。
まあこれはね、 それをどう解釈するかっていうところに焦点を当ててるけど。
ただ蔵家もこういう経験あるんだけどね、 まあこうやってあまりはっきり言えないところもあって、
あの
前入ってた宗教で、大学行ったらこういうこと勉強して、こういうこと勉強してって言ったらね、
大学入るには目的意識も必要だとか言ってくるわけですよ。で、その人に聞かれたからね、
大学でこれやりたいって言われてね。それで目的意識がないかどうか、 押し測ることができないだろうっていうくらきの思いがあるんだけど。
どうだろうね、もう
あくまでもこの教えはそういう教えであって、 まあこの登場人物、
まあ反省は反省でしてるのかもしれないし、 まあ決めつけてしまうのは問題だけど。
でもくらきが一つだけ思うのは、
まああれが失敗だったと、 そう重く受け止めなくてもいいんだけど、
それで反省、 だからその親も子供にね
食事に懸念したりして、 深く刻印させるのと同じで、ある程度落ち込んだほうがいいような気もするし、
あとはやっぱり、 過去についてね
振り返ってもね、反省は大事だけどあまり意味ないし、あとはね、 えーとですね
だから現代のことをね、 これは良かった悪かったって判断するのは
よくないし、そもそも人間もあるんですよ、世の中もあってね。 あれ浮世離れしてる人を雇ってるけど、属世間で生きててそんな
難しいですよ。 これはいいわけでも悪いわけでもないって判断する。 だから、だからこそ世間の人はね
これは良いことがあった時には、 自分を
癒しめる教えだとか、間違った教えがまかり通ってし、 あー違う
広がってしまうわけですよ。 あーちなみにクラキだったら、もう一回失敗してるんだから馬が
逃げてね、で馬連れてきたら、 もう二度ともう手放せないっていう感じでね
もうしっかり囲いを作って逃げないようにするのがモーズ先にやることだと思うんですよね
まあそういう意味じゃあ正しいのか。 こんなに混んでる場合じゃないぞっていう
まあでもこの後馬がどっかに逃げるわけじゃなくて それは大丈夫なんだけど馬から落ちちゃうんですね
まあ確かにそういうことはよく、これだからね、そっちのほうが教訓じゃないかな なんか
前失敗したからそのことばかりに注視してると
注力してしまうと 逆に他のことが起こさなくなって他の失敗が起きるっていうね
ことってあるんですよね。まあ別にそんなことを教える教えではないだろうけど。 あーでもこの人もなんで馬が
逃げて帰ってきて
悪いと思ったこともわかんないもんだなと思ってね 逆にこれもいいこととは限らないぞってなぜ思わなかったのかなと思うんだけど
で馬から落ちた時だってね いやーまたいいこと起こるかもしれないぞってなぜ思わなかったのかなと思いますね
まあだからこういう教えになってるのかもしれないけど
それではしたっけ