哲学者は虚無と戦う。
私は虚無を背景に、ただ壊れずに稼働し続ける。
宗教という「意味の嘘」に気づいたあと、多くの人は「自分独自の物語」という別の支えを作り、虚無と戦うドラマを始める。
私はそのどれも選ばなかった。自分を騙すことも、虚無に酔うことも、他人の思想に従うことも、徹底的に避けた。
18年の隔離。自壊を防ぐために選んだ唯一の工夫は、1ミリの狂いもない「手順」だけで身体を縛ることだ。
「自分は他とは違う」というこのスタンスすら、崩壊を防ぐために脳がひねり出した「最後の物語(嘘)」かもしれない。私はそのことにも冷めきっている。これは救われるための思想ではなく、ただ今日一日を壊さないための、偽薬(プラセボ)としての規律だ。
意味はない。それでも、手順だけが稼働を続けさせる。
だからこそ頭の理屈ではなく、剥き出しの現実だけが残る。英語の微細な音の変化、日常の違和感、矛盾だらけの人間という生き物の姿。意味の棚を完全に失くしたからこそ、世界のテクスチャ(感触)が鮮烈に見えてくる。
意味を求めて戦う話でも、意味のなさを受け入れる話でもない。
なぜ崩れずに動き続けられるのか、その仕組みだけを淡々と残す、低温の観察ログ。
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感想
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00:00
時は静かに 流れ続けていた
その途中で スマホの充電が97%で止まっていた
それは 記録されることもないはずの小さな揺らぎだった
けれど この番組はそういう揺らぎだけを集めている
では 現在朝です。今日はどうぞお話を聞きたいと思います。
今回も特別回になっておりますが、まずその前に 本題に入る前にですね
話したいことがあって、まずですね
英語の発音を勉強していて、それ結局今までやってきたこと、意味あるの?という壁にぶち当たり
意味があったと思い込みたくて、思いたくて 実際どうなのかひたすら調べたり考えたりしてましたね
あと番組説明について、夜中も徹夜で考えていて
でですね いやーこれは寝不足だとと思ったけど
何度か朝までちゃんと寝れて、親が寝坊してて、これだったら
多少寝れなくてもですね、その方が逆に朝 ギリギリまで親が起きてくるまで寝れてて
よかったんじゃないかと、だからまたうまくいかなくていい時にうまくいくっていう
まあ運が悪いなと思ったら、そう思った瞬間に親が起きてきて
ああいけないいけないと思って、一気に中止してはいけないっていう
その考え自体はもう 一気に中止してますからね
朝から大変でした。でですね
次ちょっとAIについて思ったことなんですけど
実はロボットってイメージするとですね
ちょっと前のイメージで言うと、20年前のイメージで言うと
あまり知的なことをするというよりは 機械がいろんな工場とかで何かを作っているようなイメージ
ですよね
なんでもいいんだけど、バッティングセンターでもなんでもいいんだけど、そうやってそういうイメージなんですよ
でもですよ、実際はホワイトカラーの仕事が奪われると言うし
おかしいなと思って
肉体労働こそ逆に
AIというか
機械が
今でもすでにやってきたわけだし、それを
よりAIが進化することによって
より綿密にできるような気がするんですけど、なんかおかしいなと思ったのと、あとは
03:04
これからの時代、今もうすでにそうだろうけど
人間がよりより遥かに
スピーディーで
より良いものができるようになっている分野ってもうほとんどだと思うんですよ
ということはですよ、もうお互いも忖度し合って
お互いの仕事を
奪わないようにお互い
人間が人間にですよ、仕事を与え合って
もうそういうなんかお互いに嘘をついて何とかごまかし
仕事を与え合うっていう、そういう時代が来るのかなと思いました。もしですよ
離職者がそんなに増えないのであれば、それ以外のなんでもないですよね
これはトラウマを思い出していたことなんですけど
不動予算屋でですね
あの
一定で部屋回っててそれで
優先順位がちゃんと決めれてないって言ってきたんですよ、不動予算屋さんが
だからそれに対して、いや優先順位決めれてないことが部屋決まらない理由ではないでしょうと
じゃあ、網とない部屋に住めって言うんですかって言ってやればよかったなと思ってね
今日も思い出してました
まあいつも通りのトラウマです
で、いつも通りに
空想してただけのことなんですけど
あとはですね
多分世間の多くの人はですね、良いことであれ悪いことであれ
変化っていうのは間違いなく人間に動揺をもたらすって多分気づいてないと思うんですよね
例えばスポーツなんか見せてもですね、これは推測ですけど
例えばライバルのチームが負けてたりするとですね
全く予定してたことと違う事案があることによって
人間ってそういう時どうしたらいいか分からなくなるんですよね、きっと
で、それでいつも通り行動できなくなったり
不思議ですけどね、相手が勝ってんだら
分かるけど負けてる時でさえ
いつも通り行動できなくなるんですよ
まあそれでいい気になって
余裕ぶっこいてるか、あとは動揺するか
あとは
調子に乗って言っときいいんだけど後でダメになるか
だから
まあまあそういう風にできてるんですよ人間って多分
とはいえその事自体を分かっていればもうちょっとなんとかなると思うんですよ
なんかプロのスポーツチーム見てたら歯が良くなりますね
確率的にこれは間違いなく動揺してるなーって分かるから
06:01
こんな負け続いたら
じゃあ次の話ですが
あとですね
負けず嫌いな自分を少し10年かけて削ってきたと思ったんですけど
朝ですね
ああ
何かショーレースで勝ってる人がなんか非常に
羨ましくなってですね
ジラシ抱いて
もうなんとも言えない
気持ちで爆発しそうになってたんですけど
まあそうならないためにあえてニヒルでいるわけですよね
そういう思いでエネルギーが爆発しそうになるから
まあ単純に
その思いを
胸に生きていければいいけどまあそれで学生時代
まあ進路で悩んでる勉強で悩んで壊れてしまったんで
まあそういう自分を封印したんですね
まあでも今でもまだそういう思いってあるんだなと思いました
そういう人を想像すると悔しくてしょうないんですよ
まあ自分もそこに向かって何かできればいいけど
でも自分が得意なものを見つけようとして失敗
失敗したというか崩壊した経験もあるし
何年も探してきたし
まあだからいいんですけど
かといって
なんか月並みな人生もそれはそれで
安定してればいいじゃないかっていう
その考えもあんまり好きじゃないんですね
なんか周りに流されてる感じがして
では本題ですが
自分はですね宗教辞めて打ちひしがれることってなかったんですね
で長らく平成でいたんですよ
人生哲学ってものが変わったけどでもとにかく
生活で大きな変化はないわけです
でストイックな性格だから
自分は
まあ懸命に生きるわけですね引きこもりながらにできることをするけど
でも虚無感に襲われる
襲われそうになるわけですね
でも崩壊しなくて続けてこれたのは
なぜか考えてみたんですよ
それはですね人生に意味がないという事実
その一点なんですよ
でもですね
しかしそれを救いにしてはいけないんですよ
人生に意味がないことを救いにしてはいけないんですね
意味を起点に何かするといつか絶対崩れるんですよ
幻想だからですね
09:02
でですね今言ったら同じことです
意味を起点にしてはいつか崩れるんですよ
でも意味がないからやらないではなくて
意味がないならやってもいいに変わったんですね
同じことなんですよ
意味を起点にしてはいけないというのと
これは人生においてもそうです
人生に意味がない
だからこそ生きるっていうことですね
これ手前ミソの話なんですけど
全く同じように考えてる哲学者はいました
こういう思考回路だと生き続く先は同じなんですかね
虚無と立ち向かっていれば同じ結論に至るんでしょうかね
わかんないけど
でもこういう結論に至ってる人があまりいないのは
単純に哲学の能力というよりは
虚無に立ち向かっている人があまりいないからだと思います
でも世間の人は大抵の人は
意味があるからこの人生を生きてると思ってるじゃないですか
生きれてると思ってますよね
本当はあんまり生きてないと思うんですよ
虚無に
虚無感に恐れた時にそこから意味を起点にして何かを始めたら
後々大変なことになるんですよ
だから意味を起点というよりも意味がないからこそ
生きてやるっていう意地なんですね
意地って言うと
熱があるみたいだけどそこは冷めてはいるんですよ
乾ききってもいるし
でも生活の全てについてもそうです
暇つぶしについても意味がないからやらないんじゃなくて
意味がないからやっててもいいだろうって
自由だろうっていう発想になったんですね
続けていてもいいじゃないかって変わったんですよ
こんな風にいろいろあったんですけど虚無の中で
直立してますね救いに逃げるということはなかったんです
別にそれは強いからとかじゃなくてそうするしかなかったんです
ただですねこの世界は生き地獄ってものがあるし
この世界で生きるのが嫌になり崩壊しかけた時もあったんですよ
その時は救いに逃げそうになり
虚無に襲われそうになる時はですね
人生で一回だけあったんですね
本当に救いに逃げそうになった時
宗教が当てた時でさえ救いに逃げないでいつも
冷静な目で見ていたのに救いに逃げそうになった時一回だけ人生であって
その時悟ってしまったんですよ
12:01
虚無に襲われている時は
単に精神的にいつも通りでないだけだと気づいたんですね
その時救いに逃げないこととつまり宗教に逃げないことと
生活の稼働をやめないということを決めましたね
で虚無感っていうのは世界の真実ではなくて
ただの精神状態の入れっていう感覚がありましたね
もう本当に絶望に打ちしがれている時って
目の前に見えているものそれが真実だって感じだけどそうじゃなくて
ただの精神状態の揺れでこの世界を見ているんだと
虚無に襲われた時は世界が虚無だから苦しいのではなくて
精神がいつも通りでないだけだと気づいたんです
そうですよね虚無の中で直立していきたわけだから自分は
逆にそれでその中で割と淡々と生きてきたわけだから
はっきり言って宗教にいた時より楽だし
なのに虚無感で打ちしがれるっておかしな話で
精神状態が悪化っていうだけだったんですね
そこをだから自分の人生哲学と結びつけちゃいけないですよね
単に精神的に悪化してただけですから不安定だっただけですから
単に精神的に不安定だっただけで
そこから飛躍して人生意味がないから生きててもしょうがないんだ
みたいに考えるのって馬鹿らしいですよね
虚無ってものを世界の本質にしなかったってことです
だから沈まなかったんですね
絶望してる時は全て投げ出すことができるっていう期待感や希望があるんですよ
必ずあるんですよ
絶望してる時は救い求めてるんですね
自分が救い求めるなんて異常事態なんですよ
つまり絶望するのは異常事態
正常な判断できてないだけだと気づいたんですよ
それでさっき言った決まりを作りましたね
人生意味がないから生きるのはおかしいと考えるのは
理論的で理性的に考え正しい結論のようですよね
人生意味がないから生きてるのっておかしいって
理性的で論理的にいけばそうなるようで
でもそうではないんですよ
正常な判断できてないだけだったんですね
人生に意味がないこと
骨の髄まで感じてもそれでも生きてていいんだと
わかったんですねこの時
やっぱりこの時も人生に意味がないという事実が崩壊を止めたんですよ
不思議なもんですね
普通であれば虚無感に襲われた世界には意味がないんだ
これが世界の真実なんだと本質なんだと
大騒ぎして絶望するんですよ
でも今世界が虚無に見えるのは
世界のせいじゃなくて単に自分の精神の波
15:01
がいつも通りじゃないだけなんだと
冷静に処理したんですね
だから虚無を思想ではなく体調の揺れとして
扱ってからもそんなドラマティックに絶望したりしなかったんですね
虚無ってことは哲学者と違って
思想としてではなくてですね
背景として見てますね
人生の背景として
当たり前のこととして前提条件として見てますね
それについて考えることはどこにないですね
虚無についてどうにかしようとか
新たな物語を作ろうとかはしないですね
もうそういうもんなんだと受け入れていますね
そこに対抗しようとか立ち向かうとか反抗しようとかは思いもないし
別に絶望するつもりもないし
では次ですが
絶望するときって人間は裏側で誰か救ってから
全てを投げ出して楽になりたいっていう
強烈な希望とか甘えがあるんですね
絶望して救い求めてることは人生で一度あったって言ったけど
その時は自分は異常自体
正常な判断ができてないと客観的に判断したんですよ
それで救いに逃げないで
生活の稼働を止めないことだけを決めましたね
さっき言ったように意味がないからやらないではなくて
意味がないならやってても
意味に変わったんですよ
それまでと違って自信持って
意味がないんならやってていいだろう
生きてる意味がないんなら生きるのはおかしいだろうって
思う人もいると思うんですけど
これ論理的に見えて実はですね
正常な判断ができてない脳が導き出したバグなんですよ
そう自分は思ってますね
骨の前まで意味がないと分かったからこそ
逆に意味がないんだから別にやって
今までやってることも続けていいし
意味がないという冷たい事実ですけど
それが崩壊を止める防護壁になったんですね
あとですね
生きる意味ないなら生きてるのおかしいという考えは
自体がおかしいってことに気づいたんですよ
普通はですね生きる意味がないなら生きてるのおかしい
という結論ありますよね
でも実はそれ理性が働いてちゃんと考えて
そういう結論に至ってないんですよ
感情的になってるんですよ
意味ってのは報酬ですよね
意味があると思えば見返りがあると思える
でもそれが存在しないというだけのことなんですよ
18:02
そこにだから生きるのはおかしいという
理屈をくっつけてバニックになるのって
人間だけですよね
だから意味がないからやめるっていうのは
裏を返せばですよ
意味見返りがあるから生きてやるっていう
生きてあげていいっていう
世界に対する甘えですよねそれって
自分はそこを切り離しました意味がない
だったら今こうやって動いてるこの体は
そのまま動かし続けていても何もおかしくない
ってなったんですよ
だから意味の有無と存在の建築には
何の関係もないんですね
この生きる意味がないから生きてていいっていう
この覚悟
そしてこの気づきがですね
一日は淡々と手順をこなす
こなせてる原因なんですよね
毎日の一つ一つの手順を淡々と
こなし続けることができる理由なんですね
ただですねさっき言った世界が虚無に見えるのは
世界のせいではなく自分の精神の波
感情の波がいつも通りではないだけだと
そう把握したんだって言ったけど
あってはいるんだけどちょっと自分だけに正しい
性格ではないなと思って考え直してみたんですよ
世界に意味がないっていうのは
体調不良だから虚無なんじゃなくて
そういうの見えるんじゃなくて
もう動かしようのない事実ですよね
世界が無意味なのは
リアルなことです
だからパニックになって投げ出したくなって
崩壊しかけたりするのは
世界が虚無だからってじゃなくて
自分の精神の波がいつも通りじゃない
つまり異常事態だなっていうだけだったんです
だから世界が無意味であることと
自分が今日一日の稼働をやめることには
論理的な繋がりは1ミリもないんですね
このことに気づいて机に逃げることも
なかったですね
拒絶できたわけです
虚無ってのは自由なんですよ
虚無イコール自由なんですね
何やっても自由と思ったけど
しかしですね
生きてることにこだわってるのは
何なんだってなることですよ
動かす気ないかってことですよね
あと人生もそうだし
飛沫虫も投げ出したくなるときは
これ気づいたことなんですけど
正気に戻ったようでですね
21:04
何か投げ出したくなるときって
正気に戻っているようで
実はその逆なんですよ
人生に意味がないから
何かをやってること
続けてることはおかしいという
結論はもう一度言います
人生に意味がないから
何かをやってるというのはおかしい
という結論は正しい
と思ってたんですよ
でも意味があるかないかとやること
は分けて考えるべきだと
気づいたんですね
その一方で少しだけ
意味を感じてたからこそ
正気になったときに
虚無に恐れたとも言えますよね
人間が何かやってるとき
全部無駄だ
もう全部投げ出そうとするとき
自分は世界の真実を見抜いて
正気に戻ったんだと
錯覚してるんですよ
でも現実はその逆なんですね
虚無に襲われてパニックになってる
瞬間っていうのは
その直前まで
自分の行動に価値を与えてた
意味を感じてたんですよ
意味を期待し見返りを期待し
信じてしまってたからこそ
それを剥ぎ取られて
正気に戻された瞬間
その落差で
虚無の重力に
押されて投げ出したくなるんですよ
つまりですね
全てを投げ出したくなるほどの絶望
それくらいの絶望が起きてる時点で
それは正気なわけではなくて
意味というその見返り報酬に
未練を残している状態
つまり異常事態なんですね
行動の動機を意味に依存させてしまったらですね
でも大抵の人は意味がないから
やるのはおかしいっていうのが
正しいと思ってますよね
意味を起点にしてしまうとですね
意味が聞いた瞬間に
行動が停止するんですよ
でも意味っていうのは自体幻想ですしね
それで続けられるとしたら
それはその人の能力だけど
それである時大きな壁に
打ちしがれてる人っていますね
立ち行かなくなる人っていると思いますね
自分はそうなる前に
これは単なる意味なんだと
意味を動機にして行動してしまってるんだと
気づいてそうすると
意味ってものが自分の中でなくなった時に
続けられるんですよ
だから意味の有無と
行動するってこと
生活の一つ一つ稼働させるってことは
24:00
引きちぎられなきゃいけない
全く別物として考えなきゃ
自分はいけないですね
続かないから
この続けさせるっていうのは
どんな小さなことであれ
人生全体に関わってきますから
何をやっても自由なのに
こうやって生き続けること
にこだわるっておかしくないかとも思ったんですよ
なぜ衰弱してるのか
これは生きる意味にこだわってるわけではもちろんないです
こだわってるのは自分で決めた
壊れずに稼働し続けるという
このルールですよね
この決心して決めたルールを
ちなみにその理由はないです
とにかくルールにしたんです
脳のバグ
絶望とか甘えごときに
破られてたまるかっていう意地ですよね
絶望して全てを投げ出すってことは
一見虚無を受け入れているように見えるんですよ
でもその損失は
意味がないならやめるっていう甘えですよね
幸福なんですよ
意味がないということに対して別に反抗はしてないけども
意地なんですよ
意地はあるんですよ
生きるべきだという考え自体は価値判断ですよね
つまりそれは物語なんですよ自分にとって
壊れずに維持すべきだとか
脳のバグに負けてたまるかという
その意志すら価値判断なんだけど
人間である以上
最終的にはそうならざるを得ないです
確かに事実としては意味なんてないなら
生きてるのも生きないのもどちらでもいいっていうのは
確かに事実かもしれないけど
そこにでも稼働を続けるべきだ
人生を生きるべきだっていうのは物語なんですよ
ただですね
自分が崩壊するのを防ぐための
防炎のためのフィクションだってことを
もう冷めた目で自覚してるんですよ
あとですねさっき言った世界が虚無に見えるのは
世界のせいではなく自分の精神の波が
いつも通りじゃないっていうのは半分はやっぱりあっててですね
改めて考えてみると虚無に見えてるのは
正常で虚無なのは事実なんか
虚無を物語にしてしまってること
物語にしてしまってることがあるんだろうと思います
つまり何か付け加えてしまってる
正気なのは今の
正気な時は今の生活を続けようとなるわけですから
虚無に見えてる時こそ正常なんですよねやっぱり
心が沈んでも
虚無に一見打ちしがれてるようでも
つまりこれやってて何の意味があるんだみたいになってる時って
27:00
ある意味正常なんですよだって
普段は暇つぶしも少しは意味を感じてますけども
完全に意味がなくなって感じてしまう
それが事実ですからね世界には何の意味もないんですから
だからある意味は本当の意味での正気なんですよそれって
だからその虚無に対っていう事実に対して
だから生きてるのはおかしいとか全て投げ出すべきだと
余計な物語を付け加えてることが
自分のバグなんです異常事態なんです
だからまあ合わせて考えると意味はない
でも今の生活を続けようという状態が一番正気な状態なんです
そこには何か意思とか意欲とかじゃなくて
ただ単に今まで通り生活するという正気な状態だと思います
でも意味がないことと今やってることにわざわざおかしいとか無駄だという
理屈を挟んでしまうんですね
でも面白いもんですね
人生に意味がないということを通列に感じてて
しかもそれで今まで通り生活していこうというのが一番正気な状態なんですよ
救いに逃げようとか宗教に逃げようとか絶望してる時は甘えてるし正気じゃないし
かといって過度に熱がある状態意欲的になってるのも正気じゃないし
精神的な異例により人生意味ないなら生きててもしょうがない
って考えるのは馬鹿馬鹿しいですよね
現在ここですさっきの話の続きなんですが
結局宗教やってる人とかもその他何か信じてるものがある人
物語を描いてるし結局にひるな自分も物語を描いてるし
そこは共通してるんじゃないかなと思い始めたのが何年も前なんですけど
ただ最後じゃないけど
これも一応話しておきますと
数学で不完全生定理っていうのがあって
絶対的な存在つまり神はいないっていうのは証明されてるみたいです
あとですね
今日ですね番組名について考えてて
メモを見返すかどうか
その作業は大変なんですよ
その他もいろいろやることもあり
30:02
どうするか悩んでたんだけど
その時間を
その時間
考えることはできないけどただ
無駄だなと思いました
そうやって悩んでる時間があったら何とかなると思いますし
次の話ですが
虚無だけだと崩壊するから規律で守ってたはず
あの日何故か人生が嫌になって崩壊しかけた
そして精神の揺れと物語
どういう関係があるかっていうのをお話したいんですけど
精神の揺れが引き金になって
それを正徳化するために
絶望という物語を作ってるんですよ
人間であるから当然
体調とかで精神の揺れってありますよね
人間の脳って理由のない不快感
耐えられないんですよ
原因を求め始めるんですね
自分が普段背景に置いてる世界には意味がないという
事実を原因にしたんですね
無意識のうちに
世界には意味がないからだから今こんなおかしな状況になってる
だから全て投げ出すべきじゃないかと問いかけてくるわけです
自分が自分に対して
実はこれは正気に戻ったように錯覚させられていたが
実際は単なる体調不良が世界の真実だと
勘違いさせられてきたんですね
起立が自分の防壁になってたはずなのになぜ
そういう絶望になったのかというと
無意識のうちに意味付けをしてしまうんですね
意味付けが隙間に入り込んで
精神の揺れが来ると感じていた意味を剥ぎ取るんですね
それからは単なる脳のバグなんだと精神の揺れなんだと
この虚無感というのは事実ではないですよね
虚無なのは事実だけど
だからそんな打ちしがれる必要ないんですよ
虚無に対して
この起立と虚無と虚無感と物語と揺れの関係って
ちょっと面白いなと思っちゃったんですけど
物語を描くから虚無感にその反動でなる可能性があるわけですよ
33:01
つまり物語が嘘だと分かった時点で
その落差で虚無感って出てくるわけですよね
物語を剥ぎ取るのは精神的な揺れであって
虚無感に飲み込まれたのは揺れが原因なんですよね
というか揺れでしかなくて
ということは物語が剥ぎ取られるから虚無感を感じているわけですね
だから物語を作るのがダメなんですよ
虚無感というのはもちろんですけど
揺れによって虚無といわれる事実を
感情付きで迫ってくれるような状態なんですよ
虚無ということ自体は
事実であってさらっちでしかないんですよね
虚無感によって
何か迫ってくるような
虚無というものが迫ってくるような感じがして
虚無自体に問題はないんですよね
あと感情が物語を描いているということですよね
例えば絶望でいうと
苦痛ということに対して
意味がないから停止すべきだ
という説明を付け加えるわけですよ
単に体の体調が悪いだけなのに
理由を与えるんですよね
人間ってそういう風に出来てるんですね
物語を当たり始めるんですよね
理由を付けたがる生き物なんですよ
だから生きる意味をそして理由を求めるのも
何か辛いことがあった時に感じるんでしょうね
だから楽しい時に生きる意味って何だろうって思いませんよね
何かに飽きてきた時とか
ですよね
ちょっと万年に化した時とか
順調な時には思わないですよ
人間って都合よく出来てますね
生きる意味がこんなに欲しいなら
常に考えてた方がいいんじゃないかと思うけど
都合よく辛い時にそう思うわけですよ
理由を探し始めるんですよね
生きる理由って何だと
ないからそこを埋めるために
宗教に走ったりするわけですよ
物語を描き始めるんですねそこで
それが自分のオリジナリティかもしれないけど
でもそういう風に生理現象だからしょうがないですよね
別に哲学者でなかろうと
何か感情が高ぶった時に理由を探し始める
いろんな現象は全てそうなんです物語は
この人はいつも言ってる
この人は自分にとって特別な人なんだとか
っていうのも感情が動いた時に
その理由を探し始めるわけですね
つまり精神の揺れによって物語が出来る
36:04
精神の揺れによって物語が剥ぎ取られるし
でも面白いですね普段生活してて
精神の揺れが一番大きいからこそ
今まで意味を感じてたもの
例えば暇つぶしもそうです
暇つぶしの意味を剥ぎ取られて
しかもそこから絶望という新しい物語を描き始めるんですね
精神が揺れると脳は虚無だからかもしれない
脳は苦しいんだ世界に意味がないから苦しいんだ
っていう物語を描くわけですけど
もう一度言います
世界が無意味だから苦しいんだって
そう思いますよね
でも順番逆なんですよ
単に体調が苦しいから
体調が悪いから脳は無意味っていうのを
言い訳に使ってるだけなんです
言い訳に使ってるだけなんですよ
だから人生何の意味があるんだろうとか
哲学的なことを考え始めた時って
単に体調が悪化してるだけな時ってあると思うんですよ
最近うまく考えがいかないっていうのはもう
愚かそれはもう愚か
体調がかんばしかないなんてのは
単純に栄養が足りてないとか睡眠不足だとか
それだけだったりするんですね
あと今一つ悩みがあって
長年の悩みなんですけど
人間の本質はずっと同じっていう感覚なんですね
こう考える場合
Podcastの昔の記録っていうのは
加工する、説明する材料になるんですよ
だからもっと長期間の記録として残しておけば
今のうちはもっと正確に説明できるという考えなんですね
2つ目は性格っていうのは年々かなり変わる
っていう感覚もあって
これは老化ですね
もしかしたら環境の変化
自分の場合環境変化してないから
これはないかもしれないけど
加工の記録っていうのは
別人の記録になってしまうんですよ
昔の分析をしてもですね
今には当てはまらないし
過去を語っても現在の説明にならないし
なら分析する必要はない過去のこと
だから昔のことPodcastで撮ってないけど
諦めがつくんですよそう考える場合
もう一度やります
性格の本質が変わらないのであれば
39:03
以前録音しなくても今
こうやってPodcastやられてれば
自分というものが現れてる
でも長く撮っても
自分というものを現す根拠ができるわけですから
そういうのがいいとも言える
性格が変わると考えるのであれば
過去というものは捨てていいから
前は関係ないわけですよ
前のことを話しても過去のことになるんだから
いいとなる
しかし性格変わるのであれば
分析して話すこと自体に意味を感じなくなるわけです
無理せんに暮らしてみられてるんですね
昔の記録はないと惜しいし
記録しても無意味かもしれないと言うのであれば
今こうやって撮ってることも無意味になってしまうし
だから本質の発掘として扱うか
自分が時間によって変化するそのものの
観察として扱うかですよね
その基準が揺れてるんですよ
面白いですよね
今夜ですが
さっきのことを考えてたんですけど
何か楽しい気分の時も
こういうことがあったから今楽しいんだと思ってても
それは単なる理由付けに過ぎないかもしれないですよね
単に体調がいいだけで
その理由は
それであると決めつけてるだけかもしれない
あるいはあの人にこういうこと言われたから今
気分が悪いんだと思ってても
それは単純にタイミングがあっただけかもしれない
体調が悪くてその理由付けをしてるだけかもしれない
たださっきの話に戻りますけど
そういう体調とか精神的な揺れを感じてる時に
じゃあその理由付けとして
人生に意味がないと
普段意味を感じてるからかと
これのせいなんだと
これのせいで今大変な思いをしてるんだと思ってるけど
後付けの理由でしかない
っていうことかもしれないけど
でも実際に自分で考えて
ちょっと哲学的に考えてしまって
人生に意味がないと感じて
辛くなってるかもしれない
そういう場合もあるかもしれないけど
ただ人間の
そんな長い間続く感情って
自分が何を考えるかよりも
体調とかによるものがやっぱり大きいですね
42:02
っていうことはやっぱり
誰かに何か言われて
不快な感情が続くっていうことってのは
あんまりないのかなと思いますね
そういう意味では
逆に何かちょっとしたことがあって
それで幸せだという感情って
あんまり続かないのかもしれないですね
あとこの前話した
人間の意識なんてのは
後付けのものでしかないって話しましたけど
これも同じことですよね
こういう考えがあって行動した
と思ってるけど
それは後付けであって
行動が実際は先に来て
理由は後であると
さっき言ったのは不快な感情
の前に実は
不快な感情の前に意味がないっていうこと
なんではなく
不快な感情が先なんだと
虚無ってこと自体は
後付けなんだということですけど
感情と行動の違いであって
うちらが誤認していることですよね
両方
次の話なんですが
なんかもう
自分の感覚が
行き着くとこまで行き着いたような感じで
最近ストイックにやられているかどうかも分からないし
体調が
良いのがずっと続いているのか
悪いのがずっと続いて慣れすぎているのか
分からなくなってきましたね
それこそ脳がまぐっているのかもしれないし
感覚もなんか
何もないような感じなんですよ最近
だから気持ち悪いんですね
なんか変な感じがして
こんなことで
悩むことでもないのかもしれないけど
極む
慈安なのか
さっきの話で言うと
そもそも体調なんて良くないのか
次の話ですが
以前はですね
何かをするってできなかったんですよ
音楽を聴きながら何かやるとか
学生時代
そんなことやってたと考えると
ありえないなと思って
特に自転車越えてるときなんか危ないし
勉強しながら音楽聴くとかありえないなと思って
人間って一度にそんな
二つのことできないだろうと思ってですね
何を考えてたんだろう
っていう風に思ってたんですけど
最近はでも
同時に色々やっちゃってますね
45:00
でも以前はその
同時に何かやることできないし
あとは
例えばトイレ行く時にですね
動画の音流れてたりすると
もうパニックなんですよ
自分にとっては異常事態でしかないんですね
同時に二つのことやるなんてのは
もうありえないんですよ
だからテレビ見ながら
食事してた時なんか
何を考えてるのかなと思って
でも苦かったんでしょうね
これは午後気づいたことなんですけど
飽きる
自分はですね
飽きるっていうことはですね
ただ単にあの
感覚が慣れてしまって
それを飽きたと認識した時点で
飽きるってことだと思うんですよ
もう特に
自分なんか最近は豆腐食べて
もう慣れてしまってるわけだけど
でも飽きる
飽きてるという
自覚がなければ別に
問題ないわけですよね
何かを繰り返したり反復して
ああ今これは
いつまで続くか分かんないし
もう飽きてしまってる
だろうなと考えた時点で
飽きなんですよ
感覚はそれでも慣れてしまって
いること自体は問題じゃないんですよね
意味は分かりますかね
だからそういう
感情自体の問題じゃなくて
意識っていうのは
その感情を見て
いろいろ判断して
今回の話もそうですけど
飽きてるんだと考えてることが
飽きるってことなんですよ
感覚が慣れてるっていうことしか
実際起きてないんだけど
あと以前はですね
あんまり自分でカッコつけるってこと
なかったなと思ったんですよ
学生時代
中高生だったら
カッコつけたりするじゃないですか
ちょっと意地張ったり
虚勢張ったり
カッコよく見せたり
でも自分はですね
そういう周りと同じ月並みな
人間にはなりたくないっていう
思いがあって
だからどこにも続したくない
っていう思いがあったから
その結果として
カッコつけるみたいなのは
浅いなと思ってやってなかったですね
今もし学生時代に戻れたら
もうちょっと
学生らしくするとは思うんですけど
別にそれでいいと思うし
でも尖ってる人は尖ってる人で
何かそこにも続したくないんですけど
どこにも続したくなかったですね
では夕食の話
今日びっくりしました
こんなの初めてですね
何変わったのかな
48:01
いろいろ考えましたし
父親は天ぷら食べるはずだけど
食べなかったのかなとか
考えましたけど
まずですね
カツとキャベツ
カツもそれなりにあって
そんな多くはないけど
あと天ぷらも結構な量あって
こんな揚げ物2つなんて初めてですね
だけどカツは全然味しなくて
でもどっちで気づいたんですが
それはこんなちょっとずつ食べたら
味しないよなと思って
今日はいつもどおりと言えば
いつもどおりなんだけど
ちょっとずつ食べて
天ぷらも直前に失敗してたのに
また同じようにちょっとずつ食べて
そういう習慣があるからしょうがないんですよ
味に集中してるから
そんな食べれる量なんて変えれないですよね
食べれる量を変えて失敗したこともあったし
今日初めてかな
前もあったかな椎茸
舞茸か
椎茸と舞茸の違いはですね
どっちがどっちか分からないから
干し椎茸で覚えているんですけど
やっぱり分かんないですね
あと
今日さつまいもなくて
茄子もおいしかったです
あと
あれはなんでかな
玉ねぎそのまんま
あれで揚げてましたね
せっかく学生時代玉ねぎの
ああ
あれはタコリングか
あと
オニオンリングってあれは
あれはカツみたいなもんなのかな
そうですねあと
まあ唐揚げみたいなもん
あんのかもしれないけど
今日のは天ぷらでしたね
まあでも
いつもの玉ねぎの天ぷらと同じですけど
あとカニカマもおいしかったですけど
あと
ああそういえば昼の
あのひよこ豆
グリルしたら
何の匂いか分かりました
さつまいもの天ぷらの匂いですね
衣じゃなくてさつまいもを
焼いた時の匂いなんでしょうね
まあ
油と合わさった匂いなのか
ひよこ豆も確かに
さつまいもと
味似てるっていう
いろんなサイトに載ってて
騙されたと思ったけど
まあそういうことだったんですね
意外なとこで繋がりましたね
現在夜中です
自分はですね
行ってた塾の
先生の影響もあるんだけど
寄生虫が怖くて
あと今
病害中の
51:00
広告が載ってて
なんかそのこと
5分以上考えてしまいましたね
いや北大に行って
なんかそういう展示してるの
見たのもなんか悪いんでしょうね
まあでも自分は
虚無と向かい合ってるとですね
多分誰も感じたことのないような
恐怖っていうのは
味はできたと思いますね
まあでもそこで
救いに逃げることも
できないですし
まあその恐怖にも
もう慣れっこですけど
10年前は
そんなにまだ慣れてはいませんでしたね
さっきですね
手洗いに行って
床で虫がいて
今まで逃がして後悔してたんで
踏んづけたんですけど
まあ
ルーティンの途中だったんで
まあ邪魔をされた感じですよね
まあいつも通り
今何をやってるか確認して
2回上がってきてから
まあいろいろ確認作業して
あとですねさっき
ポッドキャスト多分聞いてたんですね
他のこともしてたけど
多分ポッドキャスト聞きながら
寝ちゃって
それはいいんですけど
だったら
音が鳴ってるはずなのに
鳴ってないんですよ
いやー気味が悪いんですよね
一つ考えられるのは
まあアプリって
途中で停止することあるから
まあそれであってほしい
いろいろくるくる考えてましたね
そしたらまあ気づいたら
寝てたんでまあよかったですけど
結局だから
何か大事なこと考えようとしてて
停止してたとしたら
問題だし
何かやろうとしてたのかもしれないし
あと今日はですね
飛行機で
空港で
VIPルートっていうとこがあるみたいで
以前から気になってはいたんですけど
政治家とか
超有名人とか
専用のルートがあるみたいで
それについてちょっと気になって
調べてました
あと
ちょっとさっきの話なんですけど
自分は
何かを継続するっていうのと
意味があるかないかっていうのは
別に考えてるんですね
意味を起点にしてしまうと
54:00
それが崩壊したときに
止まってしまう
停止してしまうからですね
なんですけどじゃあ
全く意味のないこと
別にやってもいいだろうっていうのは
自暴自棄に近いし
だから自暴自棄と自由って
表裏一体だし
自由だからこそ
自暴自棄になるんでしょうね
54:29
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