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楽しみは人にとってストレスになる、自由は人を不幸にする、がテーマ。意外なストレスの話。誰にでもわかる発達障害と哲学の話。
自分にとって楽しみのことってできればない方がいいものであって、あってはならないぐらいまで考えてますね。ストイックすぎだと思うんですけどね。
小学生時代はそんなことはなかったです。いつからかな。でも本当に自分でそういう、それを人生哲学にしたとかじゃなくて、まあでもなんかこじらせた感はなくはないけども。
ただやっぱり人生感が変わってそういう風になったっていうよりは、自然とそうなったっていう、それは自然、本来の自分っていうかね、いう感覚はあるんですけども。
幸福恐怖症っていう病気もあってね、それである可能性も高いというか、まあ間違いなくそれなんですよね。
で、前アイドルの子がね、自分は犬を、かわいい、それは赤ちゃんかな、赤ちゃんですね、を見たら潰したくなると。最初ゾッとしたんだけども。でもよく言いますよね、そのかわいい赤ちゃんのペットを見たら食べたくなるとか、潰したくなるぐらいかわいいとか。
まあ、あれはまあそこまでではなくても、幸福恐怖症のちょっとした現れというか、誰しもが持っている感情なんでしょうね。
ある心理師さんが言うにはね、自分が幸せになってはいけないという思いがあるんですよ。だから目の前にある幸せをなくしてしまいたいと。だから幸せに対する罪悪感ですね。
その幸福恐怖症というものを知った後、ちょうどいいタイミングでね、動物を、これもアイドル番組で動物を見ているメンバーが、確かに苦しそうな表情だったし、自分もね、やっぱり動物見てかわいいと思うことはあるんだけども、動物の赤ちゃんかわいいと思ったことは以前何回かあって。
確かにかわいいという感情が3割、7割はね、なんかあまりにもかわいすぎて苦しくなってくるというかね。幸福恐怖症って虐待を受けた人とか、なんか子供の幼少期に問題がある家庭で育った人が多いみたいだけど、うちは表面的にはそういうことはないんだけれども、やっぱり何か問題があったのかなと思いますね。
それは育った環境なのか、友達、友人とそんな会うこともないし、幼稚園でもないし、まあ家庭かな、両親に進行周期が入ってて、自分もよく言ってたんでね、そういうのでこじらせた感はありますね。全くないとは言えないという感じで。
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自分にとって楽しみだけじゃなくて、希望持つということも困るんですよ。希望というのは楽しみと似ている部分もあるけれども、まあ絶望の逆ですよね。それまであまり希望を持っていなかったけれども、少し光が見えたみたいな、これなら大丈夫だみたいな、その感覚、感覚的な問題なんだけれども、それが問題なんですよ、自分にとって。
経験的に大問題だってわかるんですよ。これ決してストイックだからというだけじゃなくて。
まずね、さっきの楽しみもそうだけど、平常心が失われる。まあこうやって言うとちょっとした精神的な健康のためっていうだけに聞こえるけどもね。かといって人生哲学とかでもないんだけども、まあその厳格義的なこともないこともないけども、やっぱりそれとも違う。自分はオカルトを信じてないんでね。そんな厳格義ではないんだよね。
あとね、オカルトを信じてない自分でさえね、そういう弦を担ぐって、なんか大事な、大事には思ってないけども、そうなってしまうんですよ。そう考えるのは何でかっていうとね、一郎が、まあ一郎もそんなオカルトはそこまで、オカルトっていうかスピリチュアル的なことを信じてるわけではないだろうし、まあ死後の世界ぐらいは信じてるかもしれないけど、まあなんか仮想にするか、自分の造式は。
みたいな、あれは風装っていうのかな、なんか海に流すとか、なんかそんなこと言ってたけども、風で、葬儀の葬って書いてある風装って言って、まあバラマ役ってことですよね、だから。
でね、一郎は、ヒットが打てないと、ゲーキ時代、ヒットが打てないと、次の打先では、そのヒット打てなかった打先とは逆の足でベンチから出たりとかね、あとはあんまり調子が良くない日はいつも使う球場の洗面台じゃないところを使うとかね、まあちょっと細かいところにこだわってるわけですよ。
でね、やっぱりその気分…でもね、気分転換なのかな、それは。自分もね、これもいつからなのか。やっぱりこういうことをしたらこうなるみたいな経験則ができてくると、オカルトを信じてないのにもかかわらずそれをしないみたいなね。
で、あまりにも多くなってくるんですよ。今はなるべくこれは単なるオカルトだと思って。ただね、やっぱりそれをしてしまうと必ず上手くいかないっていうオカルトじみた考え方になってしまうんで、そんなの確立論であってね、だけども絶対そうなってしまうって考えてしまうんですよね。
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なんでか。これだから人間誰もが持ってる感覚なのかな、これ。前上手くいかなかったらなんか今回も上手くいかなく感じてしまうみたいな。
話に戻るんですけど、例えばね、希望持つっていうのはブログを書いててですよ。上手くいってなかったのが、なんか上手くいく兆しが見えてきた、あるいはこの方法論でいけばなんかいけそうだぞみたいな希望を持つと、要はね、希望なんていうのは頭にあるだけなんですよね。
この物理空間にはどこにも存在しなくて、たぶん石ころもそうじゃないですか。これは綺麗な石だ、これはなんか力のありそうな石だって言ってもね、その人の頭がこれは綺麗だなとか判断してるだけで、まあ力がありそうだなまでいくとさすがにだいぶオカルトが入ってくるわけだけども。
それと同じことなんですよね。全部石なのはただの石だし、人がそれを綺麗だとか形の違いとか察知してるだけであって、この石にそんな綺麗なんていう、そんなものは石の上にも石の中にも石の外にも存在しないと。綺麗だっていう感想がその人の頭の中に存在してるだけであって、同じように希望なんてものもこの物理空間に存在しないわけですよ。
ということは、このやり方ならちょっとなんとか道が見えてきたぞみたいな希望がで、それで希望がね出てきたと、そりゃその人はそう言ってしまうと思い込んでるだけですよね。
実際はそれまでと今では変化があったっていうだけなんですよ。しかもその変化だって人間が変化があったと捉えてるだけであって。ということは勘違いなんですよね。希望が生まれたと思ってるけど、希望なんてのは頭の中にあるだけであって、実際は存在しないと。
でも何か希望となる前よりも確実に現実が明るく見えてるわけですよ。実際にはみんな明るくなんかなってないのに。
自分が入った宗教で、今の最後の話しちゃうと、だから勘違いをしてくれると正しい認識ができてないんで、ある程度は希望を持ってもいいけど、誰にとってもね、あまり希望を持ちすぎるとそれは本当に大きな勘違いで問題が起き起こすと。
人にもよって自分の場合はちょっとした希望でさえ問題なんですよね。非常に自分が希望を持つことによって精神的に不安定になると。
あとでこれは自分の頭に希望というものが生まれただけであって、別にこの世界が何ら変わったわけじゃないということに気づいて絶望してしまうんですよ。
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これはドラマを見ている人が単なる映像の中の話で、単なるフィクションでしかなかったんだって気づいたような状態ですね。あれだけ感動してたのにバカバカしかったみたいな、そんな状態ですよ。
となると何かを続けていこうとした時にそれは問題なんですよね。別に辞めてしまっていいことならいいけども。
生活しててね、いろいろと続けていかなきゃいけないことをやるわけじゃないですか。自分の場合、引きこもりになってからほとんどの行動はそうですよ。
食事をとったりね、睡眠なり、自分は歯を磨くんじゃなくて歯磨きティッシュで歯をきれいにしてるんですけども、それとかね、洋館と話をしたり予定を聞いたり確認作業をしたりですね。
自分にとって楽しみっていうのも問題だし、これ誰にとっても楽しみがあるとあまりやりすぎると困るんですよ。
一番前からそれは薄々感じてたんですよね。
その前にさっき忘れたんだけども、自分の入ってた宗教でね、順調に行ってるって感じるのが問題だみたいなね。
シンデレラをたとえにしてたのかな、あれは。
順調に感じててもその後どうなるかわかんないみたいなことを言ってたんですね、その教祖が。
その人間の煩悩というか、言い切りになってしまって。
例えば分かりやすいのは会社員で言うと、事件をどんどん言い切りになって拡大していって、どん底に突き落とされるみたいな。
こんなのその教祖が言うまでもなくね、日本人ならことわざとか教訓とか童話とかね、いろんなことで学んでますよね。
絵本とかかもしれない。紙芝居かもしれない。今は紙芝居なんてないのかな。
自分は結構紙芝居って幼稚園とか図書館とかで見たんですけど、まあそれはいいですけど。
でね、その宗教で強く言われてて、それは人間の煩悩だみたいにね。
だからね、うまくいってたら、少しでもいい気になろうと思ってたら、突き進んでると立ち止まってしまうとどん底に落とされるみたいなね。
なんかそれ聞いてね、多少こじらした顔は拭えないですね。
でね、楽しみの話に移るんですけども、以前からね、やっぱりこれも感覚的に誰から教えられたわけでもなく、
楽しみっていうのはあると非常に自分を苦しめてしまうなと、苦しくなるなってことに気づいたんですね。
ああ、それで結構苦しんでたんだなと。
なんとなくわかんないですか。誰もが少しは理解してもらえると思うんですけど、
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例えば、でも自分だけなのかなって、自分がね、小学生の時にこれから問いざらすに行くとなると、
いや楽しみなはずなんだけど、なんか不安にもなるみたいな。
で、問いざらすで、やっぱり欲しいゲームがなくて、今回はやめようとなったら、
せっかく楽しみにしてて、なんか切なくなると同時になんか少し安心感もあるみたいな。
昔からだからそういう感覚って少なからずあったわけですけどもね。
楽しみな時ってね、手放しになんか将来うまくみたいな、これも勘違いですよね。
ただの思い込みというか、実際どうなるかわかんないのに。
まあだから後で痛い目に遭うっていうかね。
こういうことを何千回、何百回何千回と繰り返してきてると、
反射的に楽しみ、例えばね、ほんの小さいことでもいいですよ。
次の日、あのテレビを見れるみたいな。
そういう感情が湧くとね、その罪悪感というかね、また楽しみという感情が出てきてしまったと。
まあこれも、置かれ閉じ見てるけどなんか、それで何か悪いこと起きるみたいなね。
そこまでは考えなくても、本当にね、ダメだダメだって思うんですよね。
ストイックなだけならいいんだけどもね、本当に楽しみという感情によって平常心が完全にその時点で失われるわけですよ。
それだけ楽しみになった分だけ、それと同じ量だけ、同じ程度だけ、後でドインとなってしまう。
それが直後かもしれないし、数時間後かもしれないし、次の日かもしれないし、わかんないけれども。
でね、あと楽しみは、そうやって自分にとって問題でもあり、
あとね、発達障害のアスペルガス諸国でね、子供なんかでね、
アスペルガスに関してはね、自分にとって問題でもあり、
あとね、発達障害のアスペルガス諸国でね、子供なんかでね、大人なんかもそうだけども、
子供なんかがわかりやすいけれども、子供なんかだと親がね、
3時に今日は帰ると言ってたのに、帰ってこないと。
そういうね、予想外のことが起きると、子供は完全に3時に帰るって思い込んでるのに、
帰ってこないって予想外に起きることが起きると、パニックになるんですよ。
それとか、大人でもありますよね、そんな予想外のことなんて。
これから何時にバスに乗ろうと思ってて、バスが来るかな、ちゃんと行ってしまったかなと思ったら、
バスは来たと、良かったバスに乗れたと、バスに乗れて一安心してたと思ったら、
バスの運賃代を忘れたと、財布を持ってなかったと、みたいなね、予想外の出来事。
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それで普通ならうまく対処しようとしていると考えるんだろうけど、
アスペルガス諸国の人はそういう時パニックになるんですね、普通より。
普通の人でもパニックになると思うんですけど、それが異常なんですよ。
異常な程度にパニックになると。
で、自分も同じなんですけども、こんな風に言われてますね。
で、あったち多いのって楽しみな、良い予定外の出来事、想定外の出来事でもパニックになってしまうんですよ。
普通ね、サプライズで何かプレゼントを渡されたり、パーティーを開いてくれるとかなると嬉しいじゃないですか。
びっくりするけど嬉しい、びっくりっていうかね。
一瞬動揺するかもしれないけどすごい嬉しいみたいな。
パニックになったまんまで嬉しいなんて感じが出る間もなく、出る隙もなくパニックでパニックでって感じみたいなんですね。
自閉症の子供とか。
で、って言われてるし、あと楽しみってストレスになるみたいなんですよ。
ストレスになるみたいなんですよ。
ストレスって普通不快な感情によって溜まるものだと思ってるじゃないですか。
これから嫌なことがあるっていうことでストレスが溜まるってのは誰もが分かってることだけども。
楽しみ、これから楽しみがあるっていうのでストレスが溜まるなんてほとんどの人そんなことに経験的にも分かんないしそんな知識もないし、そんなこと話してる専門家もいないし。
でもね、自分はよく分かるんですよ。
自分にとって楽しみってのも非常にストレスになるんで、それをしたときは納得でしたね。
あとこれ自分だけじゃないんだと、人間そういうふうにできてるんだなと思います。
ただ、そのストレスの量はやっぱり人によって違いがあって、我がハスペルガー小国の自分は楽しみが大きなストレスになるわけですよ。
イチローなんかはストレスにすごい弱いみたいで、変化を嫌うわけですね彼は。
古畑インザブロとかね、白い巨頭のあれはDVDで見てるのかな。
まあ現役時代なんか、たぶんDVDでしょうねあれ、時代的には。
VHSだった時もあるかもしれないけども、オリックス時代なんかそうかな。
VHS時代からずっと見てるわけですよね、古畑インザブロを。
あれなんかも、自分の趣味を少しでも変えたくないと。
楽しい時間ですら野球に関係ないとか感じするけど、それですらね、変化があるとストレスになるわけですね、彼にとって。
まあそういうことだと自分は思ってるんだけども、自分でも多分意識しないだろうけども。
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そういう理由でそうやって変化を嫌ってるわけですよ。
で今、3つぐらい楽しみっていうのは人にとって問題だって話してきたんですけども。
テーマはね、楽しみは人を不幸にすると。
楽しみによって人はストレスがたまる、テーマか。
まあ人間にとって楽しみってあながちいいこととも限らないなってのはわかってもらいたいと思うんですけども。
自由ってことについては後編で話したいと思います。