幸福恐怖症の概念
幸福恐怖症ってね、心理学の中での病名というか、多分医学的にはそんな病名、診断名もないし病名もないと思うんだけど、まあでも心理学の世界ではあるみたいでね。
前ある専門家がテレビで言ってるのは聞いてわかったんだけど。これについてちょっと今回話していきたいんですけど。
まあこのね、名前を聞いただけでね、はっとしたね。だしまあそういう人がね、世の中にいて苦しんでるのがわかって、まあ倉木だけじゃないんだなと思ったしね。
まあそれまでは、まあ発達障害のなんか、また他の人にはない、他の発達障害の人にもない特性なんだろうと思ったんですよ。別に発達障害の本に書かれてるわけでもないし、まあ倉木だけなんだろうと思ったんだけど。
まあこんなことはあるあるだから。なんだけどまあ、一定数いるってわかって驚いたんだけど。
これもなかなか厄介なんですよね。
まあこれに少々のエピソードを使うのもどうかと思ったけど、いやーこれも話しておかなきゃいけないなと思ったんですよね。
でまあ一言で言うと幸福境所って、幸せが、幸せなことが自分に何かあってはいけないって考えるあれで。
まあ児童虐待に遭った人とかが多いって言うんだけども、あれ倉木はね理解できないね。
その多分ね、児童虐待に遭うってのは表面的なことで、もっと本質的なことを見れば児童虐待でなくても、何かしら子供の時にねこじらせる何かあって、
例えば親にね理不尽な怒られ方をしたとか、親に認められることが少なかったとか、いろいろあると思うんですよ。
なんで幼児虐待っていうことに懲り固まるのかなと思うんだけど。他にもいろいろあるだろうと思うんだけどね。
で、倉木も虐待は受けてないけど、まあ変わった親だから。まず倉木のことを褒めてはくれないし、倉木のことを受け入れてはくれないし、倉木の疑問を疑問として受け取ってくれないと単に否定してくるだけだし。
遊んでくれないし、話は聞いてくれないし、そんな親だからね。
まあこれ親に原因があるのかは置いといて。何かしらあったんだろうね、理由が。何かしらあるんです理由が。
専門家にそういう風に言ってましたね。
で、なぜかこじらせてこんな自分が幸せな状況になってはいけないと。
可愛いペットがいたら潰したくなってしまうとか。
原因と影響
でも誰でもあると思うんですよね。そういうね、可愛い赤ちゃん見て食べたくなってしまうみたいなね。
まあそれはちょっと違うか。でも倉木は分析したがる性格だからね。
あの可愛い動物の赤ちゃん見るとみんな苦しそうにしてるんですよね。
だからね、誰でもその、なぜか快感なはずなのに、あまりの快感の強さに不快感が出るっていうね。
ビールはまた違うかな。苦いからああいう苦々しい顔するんだろうけど。
まあでも誰でもあると思うんですよ。なんかうまくいきすぎて、この後なんか心配だみたいな。この後なんか起きそうな気がするみたいな。
だから宝くじでね、小学でも2回連続で当たったりしたらね、何か逆に幸せすぎてなんか怖いってなるじゃないですか。
その感じがね、倉木は常にあるわけですよ。こんなこと、こんな思いをしていてはいけないっていうね。なんだろうね、焦りというかね。
まあだから一生幸せになれないんだろうなと思いますよ。恐怖業種の人って。本当にね、厄介な病気なんですよ。
どこまで行っても幸せになろうとはしない自分がね、戦ってるからそれ、そういうね、快感である自分と。
少しの隙も許さないって感じなんですよね。少しも快感、幸せ、楽しい、こういう感情を味わってはいけないってね、思い込んでしまってるんですね。
いろいろ原因は思い当たるけど宗教やっててね、うまくいってる時こそイケイケドンドンで行かないで立ち止まりなさいと。でもね、それってよろしくはないね。
また経営者とかでね、イケイケドンドンで行って、まあ大変なことになる人もいるけど、でもそれはね、宿命ですよそれは。だからといってね、途中で立ち止まってたら、本当にマグロだってそうでしょ。立ち止まってたら生きていけないわけですよ、どんなに。
それでね、休んだ方がいいかもしんなくたって、そのまま突き進めたらまずくたって、もうそれじゃないと生きていけないんだから。それと同じことですよ。
なのにそういうまあ、ヘンテコリンな教えを教えられて、まああとはね、まあ自分は今死みなさいみたいな。とにかくそういう幸せ、単純に舞い上がったり打ち落としになったり、それは煩悩だと考える宗教だったから。
そういうものは否定されてきたから、クラキは。まあそれも理由だろう、それが大きな理由だろうね、どんどんこじらせていったら。そんなのを小さい頃から教えられたのが問題だろうね、きっと。
だからこんな気分を味わってはいけない。こんな穏やかな日々を過ごしてはいけない。和やかな気分を味わってはいけない。って思い込んじゃってるんですね。
みんなこの宗教の人はそう思ってたから。いけないね、本当に。小さい頃から宗教に入れるのはいけないね。
クラキもね、子供の時から人間のことをね、割と本質が簡単にわかってしまってるっていうか。
だからね、ああ、結局最初に楽をしてしまえば後で大変になるんだってわかるんですよ。
だからね、楽をするのってダメだなってわかったんですよ。
常にニュートラルにいるか、逆に苦しい思いをしてたほうが後で、まあ結局同じなんだけどね、人生全体見てみたら。
でもね、なんか後で大変な思いをするって想像するのは嫌なんですよ。
でも後でなんか大変なことが起きそうな気がするって想像するのって結局大変な思いをしてるんだけどね。
まあそこまで考えてるあれだから、キリがないんだけど。
まあでも幼少期の頃の宗教とか親の教育とか、まあそれは多分に影響してるだろうね、この高級教授に。
そうね、割と、おばもそうですね、発言聞いてるからね、今。
苦労を人生でするのが美徳と考える。
倉木の内面の葛藤
だからね、歳とっても祖母はいつも頑張ってましたね、宗教に。
たくさんの人勧誘してね。
なんか楽をするのがダメだっていうふうに考えちゃう人ってやっぱりいるんですね。
忙しくしてることが、逆にそうしてないと落ち着かないっていうね。
常に忙しくびっちりスケジュール回ってないとなんか変な気がするっていう、いそうですよね、そういう人ね。
非常に高級教授と似たものを感じますね、そういう人に。
そのくせね、楽をしたいとか、楽しく、楽しいことをしてたいっていうときはね、割と普通になんか楽しいことをしてたりするんだけど。
倉木も二重人格ですから。
そういうときもあるんですよね。
つまり、幸福教授の倉木とそうでない倉木がいるんですよ。
後から幸福教授の倉木が何を今やってたんだっていうふうに言い出して後悔を増して。
こういう人いましたね、芸能人でね。
仕事であまりうまくいかなかったら、床で寝るようにしてるっていう風にして。
いやぁすごい倉木に似たものを感じたし、ちなみに倉木はね、今の話でいくと倉木も寝てるときに、
マークがある子が寝てるときにね、こういうふうに寝てるときにね、
暗きも寝てるときに
あの、まあ
敷布団ね、別に乾くこともできるんだけど
なんかね、まあ別に今のままでいいやってなっちゃってますね
なんかこれで楽をするのが嫌なんですよ
それに慣れてしまうのが
人間慣れますよね、でもね、だからね
幸せな状況になれるのがね、嫌なんですよ
そうでなくなったときの自分を想像してね、怖くなるから
だから幸福恐怖症って自分の病気でありね
でもさっき言ったね
先に幸せを感じてしまえば
後で幸せな気分になるって、これはこの世界の
原理だしね、そこは変わらないし、幸福恐怖症治っても
前、何回もエピソードで話してきたんですよ
好きなものは先に食べるべきか、後で食べるべきか
これ人生においても言えるんですよね、人生において
ある映画をね、友人に進めるとして
本当にその映画が好きで、だって場合
早く見てほしいけど、でもこれを見てしまったらもう人生
これ以上の喜びはないだろうなっていう気持ちになるじゃないですか
なら、なんか人生6時まで撮っておいてほしいなみたいな気持ちになる
だからそういうことなんですよ
先にね、いい思いをしてしまったら
それはもう、その幸せって味わえないし
なんてこと
いつも考えてるからね、幸福恐怖症は
自分にとってね、単なる病気じゃないし治んないし
でもね、やっぱりもっと本質的なところで
こうやって頭でこういう風に考えなくてもね
幸せを遠ざけようとね
これも反射的にね、どこまでも尽きないですね、これね
それでは、したっけ