哲学者は虚無と戦う。私は虚無を背景に、ただ壊れずに稼働し続ける。
宗教という「意味の嘘」に気づいたあと、多くの人は「自分独自の物語」という別の支えを作り、虚無と戦うドラマを始める。私はそのどれも選ばなかった。自分を騙すことも、虚無に酔うことも、他人の思想に従うことも、徹底的に避けた。18年の隔離。自壊を防ぐために選んだ唯一の工夫は、1ミリの狂いもない「手順」だけで身体を縛ることだ。「自分は他とは違う」というこのスタンスすら、崩壊を防ぐために脳がひねり出した「最後の物語(嘘)」かもしれない。
私はそのことにも冷めきっている。これは救われるための思想ではなく、ただ今日一日を壊さないための、偽薬(プラセボ)としての規律だ。
意味はない。それでも、手順だけが稼働を続けさせる。
だからこそ頭の理屈ではなく、剥き出しの現実だけが残る。英語の微細な音の変化、日常の違和感、矛盾だらけの人間という生き物の姿。意味の棚を完全に失くしたからこそ、世界のテクスチャ(感触)が鮮烈に見えてくる。意味を求めて戦う話でも、意味のなさを受け入れる話でもない。
書き起こしサービス LISTEN
https://listen.style/p/ponsudati?hABcy07H
なぜ崩れずに動き続けられるのか、その仕組みだけを淡々と残す、低温の観察ログ。
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
00:00
静かに 流れ続けていた
その途中で スマホの充電が97%で止まっていた
それは 記録されることもないはずの
小さな揺らぎだった けれど
この番組は そういう揺らぎだけを集めている
現在はそうです。本題に入る前に
歌番組見てて思ったことがあったので話したいんですけど 別に大して有名でもないんですけど
1曲だけ有名な曲がある 50歳ぐらいの歌手ですかね
が出てて、アイドル番組に出てたんですよ
こんなアイドル番組に出るの最初は不安だったけど
でもちゃんと歌えてたし みたいなことを言ってるんですね
気持ちはすごいわかるんですけど これは不正解な言い方だなと思いました
えーとですね なぜこういうことをこの人言ったかというと
自分の思いがそれだけ激変にするくらい
光を歌えてたよっていうことを知って欲しくて それを
インパクトとして伝えるために 言ったと思うんですね
最初こんな番組ちょっと
アイドル出てる番組なんてちょっとよくわからないし 不安だし
でも出てみたっていうのはまあそういう意味だと思うんですね
でもですね
非常にそう言いたい気持ちはわかるんですけど
喜ばせてあげようと思ってそうやって言ってるのはわかるんですけど
それだけアイドル番組を見くびっていた
っていうことが 含みとして伝わりますよね
多分そこら辺が自分でもわかってないんでしょうね
いやー大変ふさわしくない言葉だったと思います でもですねそこら辺なんて言うんだろう
相手の気持ちの奥深くまでわかって発言できる
一見それ大丈夫なのと思うことでも
ものすごく常識があるからこそそうやって言えるっていうそういう発言する人もいて
最近もあったんだけどちょっと忘れました
相手を信頼しているからこそできる発言でありますよね
では本題ですが
自分はですね不完全整定理って数学の定理であるんですけどこれで神はいないってことを
03:05
証明できるんだと思ってたんですけど
どうやら違うかもしれない っていうことがわかり
でもですね
まあ 一応
結論みたいな
でも結論ではないんですけど 一応最初にこれをお伝えしとくと
いや不完全整定理で神はいないってことを ほぼほぼ証明できてるんですけど
証明できると断言するのもバカバカしいこと
のことだなと伝わればなぁと思うんですけど
哲学者でもですね不完全整定理が証明されている
物理学でいう不確定性原理が証明されているってことはつまり
意味体系に必ず矛盾が生じる
で 神ってそういうもんですよねあと
ある農機能学者は神の定義は完全なものなんだから
完全でない神ってそれ神じゃないでしょうって言ってる人もいたし
ただ人によってはですね じゃあそういう意味体系とはその外側にあるっていう
大変狂気じみだことを言う人がほとんどっていうかネットで探したらほとんどなんですよ
これらちは開かないなと思いましたね
ですがそこをなんとかしがみつきながら今回話しますけど
学校でもいませんでしたかそういえば
小学生の時こっちは
しっかり論理立てて話しても
もう話が全部宙に浮いて何が何を言ってるのかさっぱりわからない人いませんでしたかね
何をはぶらかすのかわからないなっていう人いませんでしたかね
そういうレベルの話なんですよ
では話していきますがまず絶対がないってことは
芸術なんかでも美術なんかでも
各人がそれぞれに美しいものがあればいいっていうことになりますよね
自分的には何の当たり前なんですけど
これが現実なんですよねなかなか
ただ芸術家はそんなこと考えてないですなぜかというと
美は各人格用となったらもう指標がなくなるんじゃないですか
絶対がないんだろうどうやって芸術家はそうやって保ってるんだと
06:01
いうのは多くの人が抱えてきてるもので
じゃあ昨日ある意見としてはですね
だからそんなことあり得ないんだから絶対があるんだってめちゃくちゃな論理だと思いますね
絶対がなかったら芸術家が困るから絶対があるんだって
つまり人間の都合のいいやこの世界を作り変えられるっていうそういう論理ですよね
めちゃくちゃだと思いますね
でですねなぜ絶対がないのにいい音楽とかそうでない音楽ってあるかというと
まず商業的なことを含めて考えたら当たり前だしそんなこと言うまでもなく
例えば食べ物に絶対おいしい食べ物ってないですよね
でも人間って甘いものを好むしあと塩分脂質あと旨味あるものを好むようにできてるわけですよね
あと腐ったものは食べれないわけですよ
で共通してるそういう傾向みたいなのがあって芸術もそうなんですよ
だいたいこういう色とこういう色混ぜたら人間の脳は快感に感じるっていうそういう傾向があって
だから人間の脳ってすごい複雑にできてるじゃないですか
あとその絵自体がどうだろうとこれはすごい作家が作ったとなれば
すごいと思い込む能力もあるじゃないですかそういうことなんですよ
だから絶対とか絶対がないつまり指標となるもの
つまり目指すべきものなんてなくても良い悪いって生じるんですよね
ただですね最近お話してる通り良い悪いって言ってること自体価値判断ですよね
だから本当に人間の脳が作り出したものを人間の脳が良い悪いって言ってなんか
まあお遊びですよねただの
ちなみにだから全てのものは同じ価値だとは言えないんですよ
なぜかというともちろん全てのものは同じだと思ってます自分は
人間が違いっていうものを作ってるだけ頭の中で
実際は全てのものは同じでしかないと思ってるんですよ
だから人間ってあれですね分けて分化することによって分かるんですよ
だから分かるの元となる言葉は分けるなんですよね
だから違いを生み出してあと比較して解釈をするわけですよ
それは価値判断ですよね
全て同じなんだけど全て同じ価値かって言うとそうじゃないんですね
09:06
全て同じ価値だっていうのは者に構えたニヒル風の考えでしかないんですよ
つまりですねもう全てのものを見下して
全てのものにそんな価値の差なんてないんだと
そういう判断を投げ出してジャッジメントしてるようなことなんですね
では次の話ですが
ここからが本当の本題なんですが
一応多くの宗教ではですね
全知全能のものが神だというふうに大体なってるんです
ゲイデルの不完全性によって神がいないとは証明されないみたいですね
なぜかというと数学ってのは人間が作ったものだからです簡単に言うと
難しいことを話さないです人間が作ったものだからです
神はこの体系内にないからその外側だからいるかもしれないっていうことらしいです
これってすごいと思いません?
みんな神を求めてるのに数学は人間が作ったものだ
神ってものを求めておいてでも神は人間の頭では理解できないものだっていう考えなんですよ
この後具体的に説明していきますけどこれすごい考えだと思いますね
神を求めておきながらですよ
人間の考えれる意味体系の範疇の外側にあるって言ってるんですよ
やばいと思いませんこれ?
正義の沙汰じゃないですよね
でですねでも完全性とか全知とか絶対性に疑問を投げかける材料としては使われるんですよね
材料も何もそのままだと自分は思ってしまうんですけど
ではよくよくわからないものが神なんだっていうことなんですよ
意味体系の外側にあるって言ってるんだから
人間の頭では理解できませんよって放棄しちゃってるんですよ
言ってほしいものではあるけどちょっと
いる根拠なんて全くないからとりあえず
数学ではそういうふうに絶対なんていうのは
数学的には数学体系の中ではないって言われてるけど
ちょっとそれとは別のとこですよっていう
ヘリクツを言う小学生みたいなことを言ってる人が大部分なのがちょっと衝撃でしたね自分としては
12:04
でですねあるならば
定義が曖昧なものあるとかないとか言っても意味あるのかと思いました
定義が曖昧なものあるとかないとか言っても意味あるのだろうか
その疑問は哲学でも根本的なところであって
もし神という言葉の定義が曖昧なら
神は存在するも神は存在しないも
何を指してるのか不明確ですよね
神の定義っていろいろあるんですよ宇宙を作った人格的な存在
だからなんかおじさんみたいなのをイメージする人もいるかもしれない
女性かもしれない人それぞれイメージがありますよね
で自然法則そのものだっていう人もいれば
愛の象徴だっていう人もいれば
究極の真理だっていう人真実だっていう人もいる人もいれば
人間が理解できない何かだと思ってる人も間違いなくいますよね
なんかよくわからないけどでも自分は半分信じてるっていう人多いじゃないですか
これは全部これらを神と呼ばれるわけです
ということは神がいるっていう人といないっていう人は
実は別のものを指して言ってるってことですよね
別のものについて話してるということなんですよ
哲学者の中ではまず神の定義を明確にしなければ
存在論争を始められないだろうっていう人もいるんですよ
でも狂気児みたいな人はたくさんいるものです
誰でも精神の揺れによってそういうことはありますから
狂気においては神は人間の理解を超えてるっていう人がいるんですね
すると今度は自分は思うのは理解を超えてるものに
存在非存在を論じることにどれだけ意味があるのかと思うんですよ
問題が出てきますよね
自分にとっての問題ですこれは
定義が曖昧なほど存在するかしないかの議論って情報量が減るんですよ
例えばXが存在するって言われてもXが何なのか分かんなかったら
答えはないじゃないですか
例えばですよ
パピペポっていう生き物がこの世界にいるんだって
イクラ視聴したところでどうでもいいじゃないですか
15:00
この後話しますけど
神はいるっていうのとドラえもんはいるっていうのと
同レベルだと自分はもう皆知ってますね
答えはないし答えがなかったら
じゃあいるかどうか分かんないっていう理屈っておかしくないですか
じゃあドラえもんいるかどうかは
なんて答えようがなければいる可能性もあるっておかしくないと思いません
絶対にないでしょだって
そういえば絶対っていうものがなかったら
絶対っていうものがないっていうことは絶対じゃないからとかいう
こじつけを言う人いるんですけど
全くそれは違うんですよ数学で
だから不完全性定理を否定できないじゃないですか
じゃあ不完全性定理自体も不完全だとはならないんですよ
次の自分の疑問なんですけど
そんな大切なものなのですよ神が
はっきりそれを求めてるという何か
これを求めてるんだっていうそのもの何か
その先があるはずなんですよ
わざわざ定義づけをしなければいけないっておかしくないのかと思うんですね
そんなに大切なものをはっきり
みんな求めてるわけですよ
それなのに定義づけを議論しなきゃいけないっておかしいですよ
それがまず次の疑問なんです
だからないものを頭で作ってるか
あとは仮にいるのであればですよ
神がいるのであれば定義づけなんていらないはずなんですよ
例えば欲しい本があったとしてそれを探してると
既定義なんていらないじゃないですか
探せればいいですよね見つかればいいんですよ
探すことができればいいんですよ
定義づけ
無理矢理したところで何にもならないですよ
目の前に本があるならタイトルを見る
手に取る読むだけですよね
その本の定義は何か
などと議論する意味ないですよね
同じ発想でいうと神が誰にとっても明確に観測できる存在なら
定義論争は起きないはずですよね
実際多くの哲学者や会議論者も似た指摘をしてるんですよ
存在が明確なものほど定義論争は少ないと
例えば犬とか木とか太陽とか
細かな定義の議論はありますよ
ある農家学者がですね
見えないものは
ないということは証明しようがないということを言ってるんですけど
18:02
だからいる可能性があるって言ったらそれも矛盾ですよね
でもこうやっていうことを言う人いるんですよ
いないという証明ができないならいるかもしれないって
じゃあドラえもんだっているじゃないですかってなりますよね
いやいないですよねでも
宗教信者はですね
いやでも啓示があったとか
いうわけですよ
病気が治ったとか
それは現代人なら
幻覚とか思い込みとかで説明がつくわけですよ
200年前の人だったらわかるけども
ドラえもんと違って
自分は昨日
夢の中に神が出てきたとか
昨日光を見たからとか
いったところで
神がいる根拠だってなりますかって話ですよね
だから神とドラえもんは同じじゃないだろうって反論するんですよ
一方で怪奇的な立場からすると
その根拠は神以外のものでも証明できるのではないかと
なるわけですよ
根拠がなければ
区別する必要がないということにはなるんですよね
確率が同じかどうかは置いといて
いや全く同じだと思うけど
ゼロですよゼロ
話に戻りますが定義がつかめてない時点で
定義が必要になる時点で対象がつかめてないのではないか
と疑問が出てきます
ただし別の見方もあるんですよ
人間って何かを先に経験してそこに言葉を与える
宗教を信じる人は神を
まず経験したり感じたりして
その後に言葉で説明
しようとしてるんだという人もいるんですよ
でもさらに疑問が出てきました
もし本当に共通の対象があるならですよ
なぜこんなに定義がバラバラなんだって思いました
同じ本を探してるのはタイトルぐらい一致しそうですよね
神は人格を持つとか持たないとか
宇宙を作ったとか宇宙そのものだとか
愛があるとか法則であるとか
バラバラなんですよ
もしかすると人々は同じ対象を見てるのではなく
それぞれの頭の中で
異なるものを作ってるのではないか
という考えが成り立ちますね
神って絶対的な存在なら本来は一つのはずなんですよ
でも宗教ごとに性質が違うんですよね
しかもそれぞれの神が
自分たちの宗教の神が本物だって言うわけですよ
21:01
すると誰かが間違ってるか
全員が部分的に捉えてるかってことですよね
違う部分を見てるってことですよね
あとは神という概念自体が人間の
作ったものであるかのいずれかなんですよ
全ての宗教が同じ対象を指してるのであれば
なぜ定義がこんなバラバラなのか
っていう疑問もあります
例えば同じ山を見てる人だったらですよ
山があるなとか高いなとか
地面から突き出てる何かだな
共通した認識ができますね
共通認識ですよね
でも神については人格があるとかないとか
世界を創造したんだとか
世界そのものなんだとか
唯一であるとか多数あるとか
根本部分から違うんですよ
同じ対象を見てるなら
違いが大きすぎるっていう疑問なんですよ
無限の存在を有限な人間が理解しようとするなら
文化や言語によって表現が違うだろうって言うんですけど
まずそこで疑問ですけど
無限なんていう概念って
数学の中でしかないですね
この前話したように数学ってのは
別にこの世界を表してるわけでもない
よくわからないと言えばよくわからないんですよ
とても物理学に貢献してる学問ではありますけど
数学自体は別にこの世界を表してるものではないんですね
さっきの不完全性定理の話ですけど
これ物理学でも不確実性
不確定性権利ということで言われてるので
そこは問題ないんですよ
だから人間がこういった存在だと言いながら
その説明には人間が作った概念ばかり使われてるわけですよ
でも無限は神様のものを完全に説明する言葉ではなくて
人間ができる範囲で近づこうとした表現だっていう
いやいやいや
なんとか歩み寄って
まあ無限じゃないんだけど無限っていう言葉で言い表してあげましょうって
じゃあ無限じゃないでしょって話
だって有限でも無限でもない概念になってないですからね
まあでもその人間の概念を超えてるとか
また非理屈を言われたらもうどうしもないですよね
例えばですよ
浮気を疑われてですよ
でも自分の浮気相手はあなたが思う範疇の存在ではないんだ
だからこれは浮気じゃないんだって言ってきたらどう思いますか
24:02
はあそうしたら浮気はしてるけど
でもそれはちょっと浮気ではないなってならないでしょうね
神も同じですよ
人間の理解認識範疇の外にあるんだ
だからいるかもしれないんだ
ああそうなのかってならないでしょうって話です
人間を超えた存在だったら数学の概念で説明つくわけがないですよね
だから神について語ってるようで
人間の概念について語ってるんだよ自分たちが
それはそうですよ自分たちが作り上げた概念について
ああだこうだあるんだないんだうちらが本物なんだ
あんたのところは西者なんだって言ってながら
話戻りますけど
無限の存在を有限な人間が理解しようとするなら文化や言語によって表現が違う
っていう答えに対してはですね
表現の違いじゃなくて定義のそのものが食い違ってるんだろうって思うんですよ
神は唯一であるとか多数いるんだとか
これ表現の仕方とか言い換えとかじゃなくて
論理的にも衝突してるじゃないですか
ああだからここで一つ言えるのが
自分は宗教に正しいも間違ってるもないんですよ
優劣もないし
なぜかというとだから神なんていないからですよね
神がもしいるんだとしたら
この宗教が本物だ他のものは偽物ってなっちゃう
他の宗教信者は救われないとなってしまう
そうじゃなくて
全ての宗教の信者が救われるのは神がいないからなんですよ
宗教信者は多分神は一つだけど
人間の理解は部分的で
異なる解釈であったり到達度の違いだっていう人もいるだろうと思うんですけど
神は人間の
意味体系の外側で
人間には到底分かり得ない
超越した存在なんだとしたらなんじゃないのって話ですよ
それが神の定義なんだとしたら
部分的に解釈が違うんだなんておかしい話じゃないですか
でも神との関係では一様ではないっていう
神社もいるみたいだけどじゃあなんでここまで宗教と宗教を争ってるんだって話ですよ
それぞれの宗教が自分が本物だと思ってるじゃないですか
自分がさっき話してるように人間が
語ってる内容っていうのは全体的な存在そのものではなくて
人間側の解釈とか物語が多分に混ざってるのではないかと思うんですよ
27:03
ただですね宗教の説明が食い違うのは
存在しないということではなくて
人間の説明は信頼できないんだというだけ
だという考えもあると思うんですよ
でもですよそんな存在よく分からないと全く捉えられないものだし
少なくとも説明ができたらですよ
昔話ぐらいには捉えられるかもしれないですねそういうこともあるんだろうなぐらいに
でもですよ説明さえ信頼できないとなれば
それを崇拝する意味って無駄というか
おかしなことですよドラえもんを崇拝するとかドラえもんに会えるという信念を持つっていうのと同じレベルですから
まあでも絶対のものがあるとしても
各宗教の教義は絶対的心理とは見直しにくい
いやだったら絶対的な存在ないのと同じだろうと思うんだけど
自分は宗教入ったから分かるんですよ教祖が神みたいな存在ですから
教祖は神と言ってるものも神なんだけど
要はつまりそれを捉えられてるその教祖も神ですからね
次の疑問なんですけど
各宗教の教義はそのまま絶対的心理とは見直しにくい
ということになるのであれば
宗教の教祖が神みたいなものなんですから
信者からしてみてれば
だったら神いないようなもの
なぜならば
教義はそのまま全体心理とは見直しにくいからですね
あとは教祖は神同然の力を持ってないと
神を言ってると言っても嘘になると思うんですね
ということは教義のどれにも真理ないと言えるのであれば
信者にとって
教祖イコール神みたいなもんですから
自分宗教入ったから分かるんですよ
つまりいないのと同然だろうと思うんですね
これに対して教祖というのは神そのものではないんだと
伝道者なんだと
これも分からなくはないんですよ
ただ教祖が完全でないならその上流にある神も否定されるだろうと
よく考えてみてください
ドラえもんなら私も
数学の意味体系よりもさらに外にあるというわけにもかからないこと言って
そんなの超人というか超能力がないと
超能力というか超ハイパースーパー神みたいな人間じゃないと
30:07
神について説明できるわけがないじゃないですか
でも神の存在
というのは教祖の完全性ではなくて
伝達が限界があるからとかいうことなんだとすれば
だとしたら神というのは定義によって成り立つものだから
一生何か分かるわけないですよね
一生何か探すけど
なんとなくないだろうなと分かりながら探すしかないことになりますよね
でも宗教って神を探すものではないですからね
神を信じるものですから
一生神がよくわからないもので終わりますよね
よくわからないものを崇拝してもなと思いますし
神はよくわからないけど定義付けすることによって
なんとか捉えようとしてるわけですよ人類は
だから伝達そんなに問題あるなら
全くおかしいなことをしてることになりますよね
分かりますかね
さっきから自分が主張してるのは
神がいるとかないか以前に
その競争によって信者は神ってものを捉えれるわけですよね
少しでもそれを捉えようとできるわけですよね
でもその競争がただの伝達者にしか過ぎない
だからそんな信頼できないんだ
でも神はいるかもしれないんだということであればですよ
信者からしてみたらいくら神がいると言われようが
よくわからない存在
そして求める必要性が全くよくわからないで終わってしまうんですよ
でも競争が中端派だとしても
あくまでもそれは補助であって
っていう考え方はあるみたいですけど
でも宗教ってのは
盲信であろうが何であろうが
信じることですよね
だから逆にそういうことなんですよ
本物の真理とか神とかがいなくても成り立つのは
とにかく信じることによって救われるからなんですよね
宗教によってはですね
信じること自体が救いに関係するってなるものがあれば
救いは神との関係や一致によって決まるってものがあるんですよ
ということはですね
逆に言うと
逆じゃなくて
さっきの話成り立たないですよね宗教は
競争が神と同然に信頼できるものでなければ
33:01
神いたとしても意味ないことになりますよね
でも人間は完全に理解できないという前提があるみたいなんですけど
だとしたらですよ
さっきのBと
後者の方と同じことですよね
なぜかわかりますかね
不関連だとしても信じれば
信じることによって成り立つ
自分が思っている宗教が今言った前者でも成り立つからですね
でですね
ある宗教の神は人格を持ち
世界を創造した唯一神というものもあれば
ある宗教は
宇宙そのものある宗教は多数存在するって
だとすると
神はいるかっていう質問自体が
曖昧になりますよなぜなら
どの神のことですかって
が先だからですね
でやっぱり自分は思うんですよ
本当にここらへん
全部へ理屈だと思いません?
そうなんですよ
神がいないことの説明を
自分はしたいんだけど
そうしたら理屈に付き合わなきゃいけないんですよ
自分の指摘としてはですね
神の定義が一致しないのに
神がいないと議論するのは
何について話してるのか決めずに議論
結論だけ争ってるようなものなんですよ
だからこういうの嫌いなんですよ
建物を建てようとしてるのに土台がないのに建物を建ててるようなものですから
人間の頭の中で成り立つかもしれないけど
全く建設的な議論じゃないですよね
何だか全く要は意味のない議論ですよ
建物の土台がないのと同じですから
ただ宗教を信じる人にとっては
言葉による説明は違っても究極的には同じ
実態を指してると考える人もいるんですね
でも定義が根本的に矛盾してるんだから
そもそも同じものを指してるとは言えないですよね
でもだいたい共通してるのは絶対的な存在だってことなんですよ
だとしたら一つしかないはずですよね
ではうちの宗教の神が本物と争うことになりますよね
一つしかないんだから
でもそこで問題なんですよ
それぞれの定義が違うわけですよ
うちの方が本物だって言ってるのに
そもそもそれぞれの定義が違う
それっておかしくないのかってことなんですよ
36:00
あとですねそもそもこの宗教にはこの神がついてる
この宗教にはこの神がついてるっておかしいだろうと思うんですよ
絶対的なものに対してその考え
うちの定義が正しいっていうのは主張ならまだわかるんですよ
だからもし絶対的な存在があるなら
神そのものは一つで宗教はその解釈の集まりとなりますよね
だから表われるべきはどの宗教が神をより正確に説明してるかであって
うちの宗教とそっちの宗教は別物だってことにならないと思うんですよ
だからうちの神が本物だっていう表現で
うちの神の理解が正しいっていうべきところなんだけど
神そのものは自分たちの側に取り込んでしまってるように見えるんですよね
お互いよくわかってないものをうちが正しいっておかしくないかと思うんですよ
神の定義がうちが正しいならまだしも
例えばある未知の生物について
あるAという考え方はこんな姿だ Bという考え方はあんな姿だと意見が分かれてるなら
よくわからないものだったとなりますよね
だから宗教は自分たちの性が正しいってなるわけですよね
そうですよ だからいろんな宗教あってうちが本物だ
さっき言ったようにいろんな定義あるわけですよ
宇宙そのものだ宇宙の創造主だとか
普通そうやって例えば他のサイエンスで言うと
じゃあよくわからないものなんですねで終わるはずなんですよ
でも宗教っていうのは救わなきゃいけないから
じゃあそれぞれの絶対的なものではないんだけれども
神っていうのは絶対的なものではないんだけど
ちょっと不十分なものあるそんな感じのものなんだけど
みたいなぐらいの感覚でそれぞれがそれぞれの信者を救えればそれでいいような気はするんですけど
ただ絶対的なものを求めるように人間の脳の構造上できてるんで
それだと成り立たないんですよ絶対なものをまた探し出すから
まあ欲深いですね絶対なものを探したくなるんですよ
だからそもそも絶対がないのに絶対に近いっていう概念自体成り立たないと自分は思ってるんですよ
例えばA地点ってものがないのにA地点に近づくって発想なんないじゃないですか
A地点ってものがあるからA地点に近づけるわけですよね
ただここで絶対的なものについて有言な人間がどこまで確実に語れるかっていうことを言われてしまったら
39:11
だから浮気を疑われてる時にあんた人間なんだから浮気疑ってるかもしれないけど
それが本当に浮気してるなんてあんたにはわからないでしょって言ってるようなヘリクツ言ってるようなもんですよね
1級3だったらいいトンチかけいて素晴らしいですねと思ってもらえるかもしれないけど
ちょっと現代人であればヘリクツにしかならないですよね
でまあ宗教新人からしてみたらこれだけ強い確信を持ってるのは刑事があるとか宗教体験があったとか
でも外部の人から見てると別の宗教も同じように自分の根拠を挙げてるわけですよ
お互いに完全に分かってない対象に対してなぜそれほど確信できるのか
これは自分はあんまり疑問には思わないですね
今みたいなことが言えるからこそ
いるいないが重要じゃないというか
いないからいなくても成り立つ
つまり実は神を求めてるようで
いると思えればそれでいいっていうことで
つまり簡単に言うと高級なお米を食べれなくても
これが高級だと思えればいいんじゃないかっていうそういう話
ちょっと例え悪いかな
あとですねすべての宗教が
崇拝しているものは共通のものだとしたら
定義が曖昧ですよね
何だか確率的にありないんですよ
共通しているものを指していてしかも定義がはっきりしないなら
確率的に言っておかしいんですよ
もし本当に同じ対象を見てるなら
重要な特徴についてかなり一致するはず
でも定義があんまりにも詳しいすぎますよね
一つだって言ったりたくさんあるって言ったり
日本ではなんだ
森にも山にも川にも神があるって言ったり
数学は神は絶対的なものだと言うと
いろんなところに神がいるんだれば
矛盾が生じてきてしまうから
それって神の定義から大きく外れそうですけど
それは置いといて
例えば世界の人が同じ月を見てるなら
空にあるとか丸く見えるとか夜に見えるとか
共通点はかなり一致しますよね
多少説明が違っても
どの時代どの国でも同じですよね
でも人格があるとかないとか
唯一あるとか複数だとか
中心部分から食い違ってるんですよ
42:02
同じ対象を見てるなら
ここまでバラバラになるはずがないんですよね
でも宗教によっては
人間の認識能力が限られてくるという言い方
巨大な立体を別々の方向から見てるようなものなんですよ
っていう人もいるんですよ
でも自分は思うんですよね
根本的な定義が調達してるだろうと思うんですよ
唯一心とか多神経とか
同時に成り立つわけがないじゃないですか
自分もですね
この説明もすごい馬鹿馬鹿しく思ってくるんですよ
でもヘリクツに対しては
こういう説明するしかないですよね
唯一心とか多神経とか
同時に成り立たないなんて
そんな当たり前なこと
何か言いたくもないんですけど
まあでも定義が曖昧なままですね
全宗教が同じ対象を指してると断言するのは
まあ簡単ではないですよ
これは多くの哲学者を認めてます
ただ確率となるとまたさっきみたいに
神というものは人間がどの程度存在できるかとか
意味体系の外にあるから確率とはまた別なんだとか
めちゃくちゃなこと言われるわけです
じゃあそれを
そのよくわからないものを
人間には把握できないものを
なぜそんな求めるんだ
なぜその確信して
これをあるんだと言えるんだって話ですよね
だからもうそれはもはや
それぞれの世界の人それぞれの時代に
なんとなくこれ
だから人間の脳がそうできてるんですよ
完全なものを求めるって
だからそれぞれの都合のいいように
そういうものを作ってる
それがあるわけがないじゃないですか
もう説明つきますよね
例えば今スマホを床に落として
その数秒後スマホ壊れたとしますよね
スマホを落としたことが原因で壊れてるのかわからないけど
ほぼ100%それが原因じゃないですか
わざわざ
いや実は悪魔が取り憑いて
スマホが壊れたのかもしれないなとか
考えないじゃないですか
現代人であればですよ
それは悪魔のせいとか
宇宙人がやってきたとかならないじゃないですか
今落としたことが原因に決まってますよね
そういうことなんですよ
神は絶対的なものを人間の脳が求めてるようにできるで
つまり幻想でしかないで説明つくはずなんですよ
全くよくわからないものを欲してるわけですよね
そのおかしさですよ
全くよくわからないものがあるっていうのは
幻想よりおかしいんですよね
幻想っていうのは見えてますからね
思い描けてさえないんですよ
45:01
思い描けてるとしても
世界によって人によってそれは人格かもしれないし
森かもしれないし川かもしれないし
ですよね
思い描いてたとしても
全然人によって見えてるものが違うんですよ
でも欲してるということは
人の都合のいいように作り上げた幻想だということですよ
全く理解もできない想像もできないものを欲するのって
自然極まりないですよね
人は普通ある程度イメージできるものを求めるんですよ
神は人間には理解できないというのに
同時に神を求めるべきだというわけですね
理解できないものを求めるべきだって
おかしな話じゃないですか
でも宗教入ったら
神は信じろって言われるわけですよ
神はいないからこそ
それでも信じるということに意味があるんですよね
一番そう思います
いるかどうかどうでもいいんですよ
とにかく信じることが大事なんですよ
ということはですね
いないんですよ
神がいるからたくさんの人が救われたんじゃなくて
神がいないけれども
信じることによって救われるから
救われたんですよ
想像してみてください
だいたい人間というのはですね
何かを愛したり求めたりするときって
こういうものがこうなりたい
こういう価値があるという表象があるんですね
頭の中のイメージ
対象もわからずに求めることで
こういう事態が成立しないんですよ
人々が求めているのは超一的存在そのものではなく
その存在について自分たちが作った
イメージなのではないかという批判はあるんですね
一方で宗教側は完全には理解できないが
部分的には知ることができるっていう
いやいや部分的に
どこの部分なんだっていう話だけだ
ただ自分は思うんですよ
部分的な理解の内容が宗教に違いすぎるだろうって話
それをじゃあ
でもうちの宗教が本物だから
部分的には理解できてるんだっていうことでしょ
でもそれが山ほどあるわけですよね
うちの部分的には理解できてるんだって
いやどこも理解できてないでしょって話ですよね
単なる幻想ですよ
だからその幻想だということを受け入れて
だから宗教がそれは幻想だと言っちゃダメなんだけど
だからといってここでこうやって話してることが
意味ないとは全く思わないんですね
意味あるがなかろうがこうやって話してるという事実があるんですけど
例えば森に神がいるっていうのは
例えばいろんな震災とかいろんな問題に対して
人間が恐怖心を感じて
48:02
説明するために神ってものを作ってるわけですよね
そういう風に願望とか不安が生み出した陶営とも言えるわけですよ
だから無いものであるとも言えるし
自己像の陶営と言えば
自分の理想論 理想とするものがその人にとっての神
だから神ってたくさんいて言うと思うんですよ
アイドルが神って言う人もいれば
でもうちらが持ってるような絶対的な神って絶対にないですよね
でですねブッダの言ってることって
まさに神を否定してることだと思ってて
最終的にそうなるんで聞いてて欲しいんですけど
諸行無常から絶対ってのはないっていうのは
そのまま一部の飛躍があるんですね
状態は全て変化するっていうのは諸行無常ですよね
ただAF編の存在としての神に対する疑問は投げかけられますよね
では次ですが
諸法無我ってのは関係性で全てのものが存在してるっていうことなんですね
でも
絶対はないと完全一致で結論づけるのは難しいと説明されるらしいんですけど
この後くつかえります
全てのものは条件とか関係性で成り立つという考えですね
関係性で存在してるなら絶対はないっていうのはかなり近い部分あるんですよ
固定した本質はないってことですから独立した存在はないっていうことですからね
だからといって全ての真理が否定される
ということではないと言うんだけど
全てのものが関係性で成り立っている
つまり相対的っていうなら真理なんてないっていう結論でいいはずなんですよ
そういうふうにしかならないですよね
そんな真理だって諸行無常ですからね
これが真理だっていうものが
例えばAというものが真理だと言うなら
Aなんてのは1秒後には別のものになってるわけですよ
それをだから
うちらが持ってる真理っていうものとは到底違いますよねそれだと
世の中のこういうわからないことって
例えば意識なんかも議論されてるんですけど
よくわからない理屈でたぶらかされているだけであってですね
単純なことなんですよ実は
何も影響を受けないから絶対なわけですよね
51:00
でも大抵の人が思い描く神ってのは変化してるわけですよ
変化していないですよね
1秒後は変化して別のものになってる
それを神とは呼びますかね
ちなみに人間だって常に変化してますからね
一応弁儀上これはずっと自分だと思ってるだけで
常に人間だって変化してるんですよ
詳しくはここで説明しないですけど
全く別のものになってるんですよ1秒後には
でもそれはいいんですよ弁儀上
一応自分ってことでいいんですよ
でも神の場合ここでの議論では全くそれじゃ成り立たないですよね神様っていうのが
全てのものは関係性つまり相対的にできてる
で唯一相対とは逆の絶対なものがある
つまり諸法無我と神っていう概念は相反するものなんですよ
衝突してるんですよ
ほとんどの人が描く神ってのは時間や状態を超えて同一のものである
でも実際は現実のものは全て変化してる
まあでも宗教信じる人は
この世界とはなんか別の世界神にあるとかよくわからないことを言うんだろうけど
仏陀ですよ仏陀
仏陀はこの世界の全てのものは諸法無我だ諸行無常だって言ってるんですよ
2000年経った今現代人はそんなことは当たり前じゃないですか諸行無常諸法無我っていうのは
相対性理論聞いたことありますよね
これ相対性理論も
ちなみに深井の前世定理ここから派生して生まれたようなものなんですけど
だと捉えていいと思うんですね相対性理論というだけあって
自分もこの前なんかの番組で聞いてびっくりしたんだよ
要は全てのものは今かなりざっくり言ってしまうと相対的にできてるだったり
そういうことなんですよだから完全に科学が進歩して絶対というものを否定できたってことですよね
これはまたよくわからない理屈で否定されるんだろうけど
でもですね宗教では全ての変化を成立させる根本原理が神だという
いやー素晴らしいです
まあこうなってくるとよく大したすごい概念作り出してましたねというか
空想も華々しいなというかもうどちらかでしかならないですねこれ
54:04
神っていうのは絶対的な実態なんですよね
諸法無我で否定してるのは絶対的な実態なんですよ
ちなみに一部の宗教が言ってる魂っていうのは人間の実態ですけど
まあそれも否定してるわけですねブッダは
人間の本質ですから
神は絶対的な実態なんですからやっぱり
仏教で言うと絶対的に
仏教は知らないけどブッダは絶対的実態は存在しないと言ってるんだから
確かに矛盾は生じますね
矛盾は絶対生じるんですよ
否定できない事実で
でも神っていうのはそもそもが
ここからいいですか
ここからヘリクソがありますよ
神っていうのはそもそも定義がバラバラなんですよ
だから今のも成り立たないって言っちゃうんで
でもですよ
神って大体全知全能絶対的なものだ完全なものだ
っていうのが大体の人の共通点じゃないですか
ここでもうそもそも定義が違うんだとか言ったらもうこれ
もうむちゃくちゃな概念だと思いませんか
だから人類始まって
神って概念生まれて何万年経つのか分かんないけど
いろんな国のいろんな時代の人を救うために
人間が作り出した幻想でしかないんですよつまり
だからこうやっていろんな定義ができて
言語だってそうですよね
それと同じことなんですよ
つまり救いになってればそれでいいもんだよって
存在なんて
知ってる知ってないの議論あるみたいだけど
うちらが持ってる完全なもの
っていうのは脳の構造上求めてしまうものであって
脳の構造上求めてしまうものでしかないないんですよ
56:07
コメント
スクロール