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#84「神」や「美」に、対義語はあるのでしょうか?
2026-02-24 09:45

#84「神」や「美」に、対義語はあるのでしょうか?

今回のテーマは、

「神や美に、対義語はあるのでしょうか。」
わたしたちは普段、

光と闇、善と悪のように、

なにかを二つに分けて考えます。
でも本当に美しいものの前では、

比べる気持ちすら

消えてしまうことがあります。
ただ、そこにあって、

言葉よりも先に

胸が静かに震える。
日本の「間」や「詫びさび」のように、

なにもないようでいて、

澄んだ気配だけが満ちている世界。
そこに、

神や愛や美は

息づいているのかもしれません。
対義語がないのは、

反対がないからではなく、

比べる必要がないから。
虚無を見つめながらも

それでも表現せずにはいられない、

その人間のまっすぐさ。
二元をこえた場所にあるものを、

今日は静かに見つめていきます。

画像拝借元

⁠Unsplash⁠の⁠Kate Branch⁠が撮影した写真

https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/%E8%B5%A4%E3%81%84%E3%83%88%E3%83%AA-%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA-%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA-mm77KVH5WGM
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感想

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00:05
はい、今日のテーマは、神や美に対義語はあるのでしょうか?
二元を超えたところにあるものについて、静かに話していこうと思います。
今日は、美についてずっと考えていました。
その中で、どこか神と美って似ているような気がしました。
神は美しいのだろうか?それとも美しいものの中に神がいるということなのだろうか?
だからこそ神は美しく、私たちは美しいものの中に神を見るのかもしれない。
ただ、日本の美しさは少し独特な気がしました。
先ほど僕が言ったのは西洋的な考え方だなと思いつつも、
日本的な神や美しさというのは、
間やわびさび、余白や空間、何もないように見える場所、
だけどそこには何かがあるというより、あることが棲んでいるような感覚がある。
日本の神は草原というよりも、どこかすがすがしい。
そう考えていると、ふと僕は思いました。
ただ、その中で美しいっていう言葉の対義語って本当にあるんだろうかっていうのを考えていました。
世間一般っていうか、考えるっていう風になると、
確かに美しいの対義語って見にくいっていう言葉はあると思うんですよね。
ただ、本当に美しいものの前では対比なんて浮かばない気がするんですよね。
なんというか、ただそこにあって美しい。
言葉より先にも感じてしまっている。
もしそうなら、神とか愛とか美とかって言われるものっていうのは、
そういう人間の中にはいないのかなって思ったんですよ。
例えば良い悪いとかそういうものですね。
そういう対義語がないっていうのは、反対がないからではなくて、
そういう比べる必要がないからっていうことなのかなと思ったんです。
だからこそ、もうその次元にいないのかなっていうのを思ったんですよね。
そう考えてた時に、たまたま小林秀夫さんの言葉を目にする機会があって、
その言葉っていうのが、
芸術家は最初に虚無を所有する必要があるという言葉が私の目に入ってきたんですけど、
それってその虚無って何もないよねみたいな、何も意味がないよねみたいな感じだと思うんですよ。
03:00
でも本当に何もないのだろうかというか、
例えばこの世界も僕たちが生きている意味というか、
そういったものにも全て意味がないっていうような中で、
でもそうだったとしても僕たちは表現せずにはいられない衝動があるというか、
苦しいけど生み落とさない方がもっと苦しいというような、
なんかそういった人としての足掻きというか、
それでもっていう気持ちっていうものが美しいとか美とかっていうものの
もしかしたら最終形態の一つなんじゃないかなとも思ったんですよね。
その虚無があるけど虚無じゃないというか、
そんな世界をもう美しいと感じるというか、
僕たちというか表現する方々、生きているだけで表現者だと思うんですけど、
私たちはそういった人たちをもしかしたら芸術家と呼ぶのかもしれないなと思ったという今日1日でした。
はいじゃあ少し補足していければと思うんですけど、
なんていうか最近すごい感じることがあって、
この大義語っていう感覚というかその概念というか考え方があると思うんですけど、
なんていうか、ただ僕の中ではもうこの大義語って言われることっていうのはないのかもしれないなっていう感覚がずっとあるんですよね。
その大義語って言われるもの自体がその比較の世界にあるのかなと思って、
その光と闇とか善と悪とか成功と失敗とか、僕たちが一般的に生きていると、
そういうふうなそのどっちなのっていう選択を迫られる場面が多いと思うんですよね。
ただなんていうかそういうさっき言ってきたその美とか愛とか神っていう言葉が、
なんていうか僕たちのその胸の奥にその金銭として触れるときというか、
なんかそれが胸の中にあるときっていうのは、
そのどこかそういったその二元的なというかそういう評価、相手の視線とか目線とかっていうか、
なんかそういう私っていうものの視点すらもなくなってしまうような気がするんですよね。
なんか私が私がじゃなくて、ただそこにもう美しいだったり愛してるとか、
例えば神様がいるような感じがするとか、なんかそういう次元が一個飛んでるような気がするんですよね。
なんかそういう中で例えば、例えばというかその美しいからいいとか見にくいから悪いっていうわけじゃなくて、
そのなんていうか言葉でのよしよしではないんですよね。
その感じるっていうかただ震えるとか、そのただ静まるとか、ただ涙が出る、本当になんかあったかくなるとか、
そういうなんか言葉ではなく体感覚として感じるってことだと思うんですよね。
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だからこそそのさっき僕が言ってた日本の間とか余白っていうのは、
何もない空間っていうことではなくて、その可能性が開いているっていう空間なのかなと思ったんですよね。
そのなんていうのかな、さっきの二元的な言葉をそこに置かないっていうか、
なんかそれすらも自由でいいでしょうみたいなのあると思うんですけど、
なんていうか、そういう二元的なものではなくてっていうか、そこに何を感じるかっていうことなのかなと思うんですよね。
なんかそういうなんていうのかな、その空っていう考え方があると思うんですけど、
でも空ってゼロではなくて、そのなんか満ちているゼロっていう感じだと思うんですよ。
あるけどないけどないけどあるよねっていうような、
まるで僕たちの心のような感じだと思うんですけど、
そういった中に芸術家というか表現する人たちっていうのはそのゼロの上に立つっていうか、
なんかそういうないけど、じゃあその中で虚無とか色々自分の黒い部分とか明るい部分とかみんなに見せてる部分とかっていうのを、
そういうなんていうのかな、掘ったりまた壊したり作り直したりっていうのをしながらどんどん表現していくっていう、
なんかそれってすげー美しいなというか、
なんかそういうところに僕たちは心を打たれるっていうようなことが多いにあるなというか、
そういう姿じゃなくても作品と通してもそうだと思うんですけど、
なんかそういうのってなんていうのかな、
完成された形ではなくて、なんていうのかな、
未完成だったとしてもそこに生き続けてるからなのかなっていうのはあるんですよね。
そこにそれでもというか、だからこそそういう世界の中には大義語ってないのかなと思ったんですよ。
それの向こう側にあるっていうか、そういう人間の向こう側にいるっていうか、
そのなんていうのかな、もうそういう言葉いらないよねっていう感じなのかなって思ったんですよね。
だからこそその表現者とか芸術家っていうのが表現するものっていうのは、
言葉っていうよりかは、もっとこう自分が感じたものというか、
そのなんていうのかな、
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そういう二元的なものだけでは表せない世界っていうか、
一個上の部分に触れているというか、
自分たちが普段生きているだけでは触れない部分を表現してるっていう部分があるのかなっていうのを思ったっていう、
この二元的な考え方を考えつつもっていうのを、
はいすいません長くなっちゃったんで最後に一言言っておろうと思います。
比べなくていいものがきっとあなたの中にもあります。
それはもう美しいのかもしれません。
はい今日はここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあまたね。
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