00:03
意味がなくても止まらない
ここに撮っております。たまにミュージシャン見ててですね、彼らの表現力ってどうなってるんだと思うことあるんですよ。
普通の人が抑える衝動を抑えずに、むしろ増幅させてますよね。
で、彼らは自己観察の方にだいぶ
頭の容量を使ってるんですね。おこがましいんですけど自分もそうなんですよ。
完全に内側の方のノイズを優先して捉えてるような感じなんですよね。
だから煩わしいのは世界周りというよりも自分なんですよ、自分の場合。
もちろん外部からの嫌な影響ってのもありますけど。
あと芸術家って普通の判断基準がないから、こんなことしたら恥ずかしいだろうとか、そんなのがもうないですよね、フレームの中に。
フレームとしてそんなものはないですよね。
本当にシンプルなことで正常化すると創作が続かないんで、自分は芸術家って異常だなと思うんですけど、その異常を維持しなきゃいけないんですよ。
次ですが、人間って相当いろんなものを保管して、見えないものを聞いたり聞こえないものを聞いたりしてるんだなと思うんですよ。
それと共通するかわかんないんですけど、歌をカバーするときに別にそのまま、別にモノマネしてるわけじゃないからそのまま歌はなくてもいいけど、どうしてもそれが全てだと思ってしまう。
これも保管みたいな感じだと思うんですよね。
そのまま歌ってしまうことってあると思うんですよ。
他の歌い方の可能性もあるのに、これはこういうもんだと思ってしまう。
これは歌ってる本人は多分気づいてないんですけど、それを聞く側じゃないと多分わかんないんですよね。
03:03
どういうことかっていうと、曲があってそれをアレンジして歌った形ですよね。
だから別にその人の真似して歌わなくていいんだけど、そういう歌い方のもんだと思ってしまうみたいなことが起こるんですよ。
こういうことで日常生活でもありますよね。
今の例えていくと、一番最初の単なるメロディーを、その本質の部分をただ知ってるだけだったら、そんなことは生じないんですよね。
だから日常で言うと、こんなことしなくていいのに形だけ理解するから余計なことをしてたりということはあると思いますね。
それを保管することって、人間関係でも最初みたいに話した印象で、その人はこういう人だと決めつけてしまう。
でも単なるその日のその人の状態に過ぎないんですよ。
先輩のやり方を見て、それが絶対だと思い込んでしまうとか、社会の常識が唯一のものと見えてしまうなんてこともあると思うんですけど。
今日はカバーを聴いてて、そうだよな、そのまんまこういうもんだと思って聴いて歌ってしまうよなと思って決めてました。
もちろんそんな変な思い込みとかではないとは思うんですけど。
あとですね、本当にちょっとつまらない捉え方なんですけど、真がある人とそうでない人。
基本的に真はあまり特に日本人はないなって感じるんですけど、のいずれかには分けることができると思ってて。
例えば以前二通りに人間を分けるなんて無理だって言ってる人もいましたけど、でも基準点を設ければ分けれるのは決まってるんですよね。
でですね、やっぱり真がある生き方って不器用な生き方だなと思うんですよ。
それよりも優遇化して流されるように生きた方がいいと思うんですけど。
でもですね、生きやすいかどうかの視点でいくとそうだけど、やっぱり真がある方が生き方の重みが出たり。
単純に一番かっこいいと思うんですよ。
でも不器用な現れでもあるのかなって。
不器用な人ばかりではないかもしれないけど、生きづらいだろうなっていうふうに思うんですよね。
06:02
ただかっこいいのかっこいいんですけどね。
ただですね、今日ライブ見てて、ちょっと歌の一部もう一回やろうとしてて、それがうまくいかなくて。
でもその後その人の気持ち考えたらかわいそうだよね。
他の人と話してる時も、いやどんな気分だろうなと思って。
で自分も小学生の時そういうことあったんですよ。
てか毎日でしたね。
ただ今振り返ってみると、どういう時なのかと聞かれればわかんないけど。
いっつもそういう後ろ目たいのか。
今考えてみると残酷ですね。
でもう一人の人が何をやってくれたんだみたいな感じで。
本人も別に様子を見てただけなんだけど、その様子がですね。
こういう風に見てるやついたなと思って。
それでまた心が痛くなり、そんなことありましたね。
あとですね、天秤の歌っていう歌がどうも気になって。
今日学生の男女でデュエットしてる動画をいくつも見てしまって。
でですね、ブリッジの一文が何かの曲に似ててこれまた始まったぞと思って。
そしたらすぐわかったんですよ。明日への扉っていう曲のイントロですね。
でどっかでこの曲見たぞと思ったら、YouTubeでちょうど今関連動画で出てたなと思ったんですよ。
たまにこういう不思議なことが起こるんですね。
でも今日も本当に1月3日でしかないけど、よくすぐその曲出てきたなと思いました。
かと思ったらまた今度は別の曲でですね、また似てる曲があり、頭悩ましてました。
あとミクニシェフが地元でお店開いてっていうのを見てましたね。
まあ感想一つだけですね。フランス料理人にラーメン作らせてかわいそうだなと思ったんですよね。
みんなラーメン頼んでるし。
で、この動画見てるときもトラウマが蘇ってくんですよ。
もちろん彼らは違うと思いますけど。
なんかカオスな状態で、もっとこうした方がいい、こうした方がいいって言われても、自分の場合も
いやーそれ、そんなこと話したって意味ないんじゃないの?って思っちゃうんですよ。
そういうトラウマがありますね。
09:02
全然建設的に思えないんですよね。
今日のは盛り付けの仕方で話し合ってたんですけど。
もちろん自分のこともそうだし、見ててなんか不便になってくることが結構あって。
なんか論点がおかしいっていうか、別の理由があって。
ちょっとただうまくいってない?
でもすぐなんとかなりそうなもの。
うん。
原因を吐き違えられてそれを注意されたり。
それってもうそれ以上どうにもならないんですよね。建設的な話し合いにならないと思うんですよ。
だって原因がちゃんとわかってないからね。
そんなもんパッと改善するものを別のところで原因を置いてしまったりとか。
でもこういうなんか上の人が下の人に言うときとかもそうだし、話し合いとかもそうだし。
なんかもうそれぞれ論点が全然ずれてるだろうって結構見てたらあるんですよね。
まあそれでも話し合いしてる気になってしまうんでしょうけど。
まあでも下の立場の人はもう聞くしかないですよね。かといってそのまんますればいいっていうわけでもないんですけど。
もちろん文脈を間違ってる、自分の文脈を優先してしまってるとか。
あと言葉の表面に引っ張られるとかいろいろ原因はあるんでしょうけど。
まあ本題でないところで意識が向いてるとかいろいろ原因はあるんでしょうけど。
特に自分の場合はそこらへんうまくまとめる力もないんで、整理していく力もないんで。
まあなんかもうとりあえず一からゆっくり考えていかなきゃいけないことをパッパッパッパッと人に
これをなんでこうなんだ、こうしなきゃいけないんじゃないかとか言われたところで
いやいやそもそもそもそも論でしょと。そもそも土台がまずできてないでしょとか思っちゃうんですよ。
だから本当は一度リセットして考えたいのに情報が多すぎて混乱するなんてこともあるし
単に混乱してるだけじゃなくて単純に意味ないでしょってことが見ててもあるし自分もあったなと思うんですよ。
まあそんなトラウマを思い出してました。
まあでも完璧主義の典型例ですね。そこまで完璧になっていられないはずだけどでも一から考えなきゃいけないと考えてしまうんですよね。
あとアイドルの子が同じグループの子。みんな頭痛てて、なんでそれを知ってるのかと。
高校の辺たちなんか知るわけがないだろうと思っていちいちwikipedia見るのかなとかそれ以前から疑問なんですけど
12:00
それを親に話してみたんですよ。したらですね。
まあまた変な回答返ってきました。
高校の辺たちさえも知ってるってことはつまり家は金持ちかどうかも知ってるに決まってるよねって言ったら
なんて言ってきたか忘れたけどまあとにかく否定してきたんですよ。
全く根拠もないしなんで勝手にそれが違うと言い切れるのかわかんないしなんか言い方がまた腹立たしいし
では次の話ですが。
そうだちなみにですね今の全く根拠もないのに本当にただ否定したいだけなんだろうなと
なんとなく違うと言いたいんだけどなんだろうなってのはもう見て取れるんですね。
では次の話。
自分の高校がなんか地元のテレビにもテレビに出てたんでそれもう一度見てて見てましたね。
まあこれ見ててもですねいや偏差値当時から変わんないけどまあこいつら頭良さそうだけど
自分と同級生はみんな精神年齢が幼くて嫌だったなーって思い出してしまったのと
あと先生がですねずいぶん自己顕示欲がありそうな生物の先生で
まあ若くしてこの高校来れたんだろうなーとか色々考えてましたね。
テレビに映れてまあ良かっただろうなーとか考えてました。
あとですねデュエットのそれ何がなんで高校生の別にわざわざ見てるかっていうと
なんか本当に物語を感じるんですよ。
たぶんこの後大勢から告白されてるんだなーとかこの二人仲良いのかなーとか考える余地があるんですよね。
あと単純にね歌が上手い人つまりプロが上手いよりも意外性があるのがいいんですよね。
だから葬式でなんか面白いことがあるとめちゃくちゃ笑いこられるのは大変ですよね。
何でかというと笑いが起きるはずのない場所で笑いがあるからっていうのも一つの理由だと思うんですよ。
逆に芸人さんが面白いこと言っても何一つ面白いこともないんですよ。
でですね次の話ですけど
引きこもりって日本が一番多いんですけど韓国って意外なのがイタリアが結構多いみたいで
あとはラテン系の人たち中南米ですよね。
15:00
メキシコとかチリとかブラジルとかアルゼンチンとかドミニカとか色々ありますけど
意外と孤独っていうことが社会の問題になってて意外ですよね。
だからなんだろうと、しかも彼らって明るいじゃないですか。
でこの明るいのと孤独っていうのが実は関係があって
そういう人たちだからこそ実は裏ではそういったものを抱えてるような感じ。
そう考えると人間ってそんな単純に語れないですよね。
レッテル張ってしまうけれどもこういう人たちはこういう人たちなんだろうと。
あと面白いのが面白いと思ったことが最近あってですね。
何ヶ月か前なんだけどR&Bの曲なんですよ。
Anxietyっていう曲。
不安とかっていう訳でいいのかな。
それでグラミ衣装にノミネとったりぐらいの曲なんですけど。
これはですね、もう不安で押しつぶされそうな思いとかを書いた曲みたいなんですけど。
これが受けてるんですけど。
まあ見た感じ強そうな女性のR&Bの曲なんですよ。
R&Bヒップホップの曲なんですよね。
でそもそもアメリカ人って日本人に比べたら明るいイメージですけど
ポジティブな、めちゃくちゃポジティブなんですよ彼らは。
なんですけど、
不安とか孤独とかっていうのは非常に大きく取り上げられる。
誰もが関心持っていること。
やっぱり人間にとってこういうのは共通しているものなんですね。
ちなみに不安とかメンタルヘルス系の概念自体に対して
自分はですね、ちょっと病んでる人たちの
自分とは畑違いな人たちっていうイメージなんですけど
いやいや、自分が誰よりも不安で生きてきたし
今も不安を抱えながら生きているだろうと気づくんですよ。
だからなんで自分の心を単純に捉えてないのか。
でもやっぱり精神的に病んでる感じというよりも
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精神的に病んでる人はまだ救いがあるんですよ。
いつも言ってますよね、絶望してる人は全然まだ希望を持ってるっていうのと同じで
自分はですね、もうどうしようもない感じ。
だからこれはメンタルヘルスとかいう話じゃないって自分では思ってるんですよ。
大抵不安な場合、何々が不安ってあると思うんですよ。
自分は特定できないんですね、全体的に不安。
正直不安だらけですから、不安があるのかどうかさえ分かんないぐらい
常に不安な感じ。
これはもう不安という概念じゃないんですね、多分こうなってくるとは。
医学的に言う不安とは大分ずれてくるかもしれないです。
例えば、一郎みたいに毎日同じ行動をする人っていうのは
それだけ精神が揺れやすいから何とかそれを留めるためにそうしてる。
いやもう自分もそれに関してはじゃあ
そういうタイプなのかと言われても何とも言えないんですけど
今現在はそうですね、精神は大分揺れやすいんですよね。
ただ大分そういう意味では過敏なんですよね。
だから常に不安定な状態、そういう意味での不安なんですよ。
安心できないっていう意味の不安。
安定しないっていう意味での不安ですね。
人間って選択肢がないと不安に感じるらしいんですけど
自分は自由が奪われた方が生きやすくなるし
不自由ではありますけど
そことの不安との相関関係って考えたことはないですけど
ちょっと自分はそんなことはあるかわかんないですね。
あとメンタルヘルスって会社でどんなストレスがどうだ
人間関係だ、自己肯定感がどうだ
生きづらさはかさとなる部分はあるかもしれないけど大分違う
こういうことなんですよね。
自分の場合は生まれてこの方、どうにもならないっていう感じで
きっぱりそう言える状態。
あんまりメンタルヘルスでストーリーを作られても
何のこっちゃわからないんですよね、自分にとって。
もう自分は一刀両断できますよ。
こういうふうにできてるんだから不安は出てくるし
失くそうとすればするほどおかしなことになるし
失くそうとすればするほど辛くなると思いますね。
失くせないことに気づくから。
あとですね、さっきのミクニシャゲの店でのことなんですけど
21:01
前の店の味を残すってことがコンセプトなんですけど
もしが自分がですよ、お店残してくれるとなったら
ちょっと一瞬は嬉しいかもしれないけど
でも残していっても自分の特徴なんて
あるとは信じてやってきたけどそんなに
他の店とのそんな違いってはっきりこれってあるとも言えないし
あったとしてもそんなものを伝承していけるわけないし
どんどん多分ずれてくし
それほどわざわざ残す必要もあるのかとか
ちゃんとそれほど細かく
はっきり何かアイデンティティーみたいなのがあったら
あれだけど
だいたい残すと言っても限られてくる
だからあんまりその事実を見るのに前にしたときに
自分がやってきたことに何か意味を感じなくなってしまう
と思うんですよね
そんなことを考えながら見てたのと
あと母のないじいちゃんなのか
ちゃんと話せてなくて自分も将来こうなるのかと思ったら
もう絶望的で
だってボットキャストで話せないじゃないですかそうなったら
ちょっとさっきの話の気づいたことあるんですけど
普通人の話聞くときって起承転結で聞くんですね
ABCってのがあったらそういう物語の並びを聞いて
ストーリーとして理解するわけですよね
なんですけど自分の場合は構造を見てるんですよ
だから論点がずれたなとかずれてるなとか
今の話を受けたなとか気づいてしまうんですね
簡単に言うと余計なところに焦点が行ってしまってるということです
次ですが一郎は記録を残して
だいぶ歪んで見られてるなと思うことがあって
例えばカレー
毎日食べるのって
試合のために偉いなって世間の人は思ってるかもしれないけど
でもそもそもですよ
毎日食べることができること自体にまず違和感を感じないのかなと思うんですよ
すごい人の習慣だから合理化されるんでしょうね
あれが正しいとなってしまうけど
だからそうなんですよ
どのように変わったことをしてても
24:01
すごい人はそれが
天才だからやっぱり変わってるよねぐらい
天才の程度で
日本人でさえねそういう捉え方ですよね
でもそうでなかったらなんだか変わってる人があって
完全に否定されますよね
だからライブなんかでもですね
周りと違う
態度をとってるとですね
非常に居心地がみんな悪いみたいなんですよ
そういうふうに
周囲と違うことをしていると
飲まれてしまうわけです
でも天才は違うわけですよね
だけどやっぱり改めて考えてみたんですけど
それをやってる高一代はやっぱり変なんですよ
どんな天才だろうと
今それともう一つ言いたいのはですね
一流はそうやって
すごい人見られてるからあれだけど
あまり気づかれないだけで
相当変なんですよだから
毎日カレー食べれるって異常じゃないですか
普通無理ですよね飽きて無理なんですよ
そもそもですよ
世間の多くの人は試合のためにそうしてるんだろうと思うけど
一流の話聞いてたら分かるんですけど
あくまでも生活しやすくするためにカレー食べてるし
引退してからも毎日同じルーティンをこなしてるから
やっぱりそのためじゃなかったって分かりますよね
シーズンオフだって毎日牛タン食べてましたし
そうなんですよ試合のためじゃないんですよ
野球選手じゃなかったとしても同じように生活してたんですよ
絶対変に見られるはずだったんですよ
でもそういった凄さに上書きされてるだけで
毎日いっつも同じルーティンで過ごすって
はっきり言って異常事態ですからね
どの口が言ってるんだと思うけど
今日の冒頭の芸術家の話した時も
どの口が言ってるんだと思いました
自分を表現し続ける
彼らは本当に表現欲だって
自分を抑えないで表現して
それを続けられる
何の恥ずかしさもなく続けられるのって
彼らは異常だなと思うんですけど
でもこうやってポッドキャストで
全部セキュララに話して
2年以上続けられるのも異常だと思いますね
ただ自分は以前は表現欲異常にあったんですよ
27:00
今は非常に冷めてるんで
低音のままだから
それが書いてよかったんだと思います
これ以上詳しくは言いませんけど
もし熱を帯びたままやってたら
何をしだすか分かんないですねきっと
表現欲がありすぎて
今はエネルギーが出すぎてしまわないように
抑えて抑えて生きてるんですよ
でですね
カレーうち1週間
自分は食べてないんですけど今は
匂い嗅ぐだけでですね
結構匂い疲れが起きると思うんですよ
スパイスの刺激がすごいからですね
で、異人の行動として語られるけど
身体的リアリティをですよ見てみたらですよ
毎日素振りして毎日カレー食べてって異常ですからね
あとですね
自分は食事中
集中して食べれないから
いつか将来たくさん食べれることがもしあったらなー
なんて思ったんですよ
今豆腐健康的にも問題ないし
たくさん食べれて
珍しく理想が叶った形なんですよ
じゃあどうなったかっていう感想なんですけど
毎日好きなものたくさん食べれてますけど
もちろん飽きるし
唯一理想が叶ったけど
甘く言ってるとは言えませんね
でも半年以上はもう豆腐生活続けてますね
気づいたら豆腐
大豆10キロ買ったけどもう残り2キロみたいだし
いやー困りますねあの
ひよこ豆も
こんなにたくさんもう使い切れないよと思ってたけど
あれあっという間に少なくなったんだなったら
それはそれで
ほらそんなもんかと思って
検査案が終わらないなと思っちゃって
失望な性格です本当に
高校の受験の時もそうだし
のことを考えて
あとは
人気ポッドキャスターみたいにならないし
何やっても自分はうまくいかないし
ネット関係全部ダメでしたね
宿命を受けれるそういう方を作れたんですね
ただですね
こうやって虚無にやっているのも
単なる逃げでしかない
っていうのが単純な捉え方だし
その可能性もなくはないんですよ
ただですね
自分の場合意味が
自分の存在を壊すから
虚無にいなければいかない
30:00
ということは
意味を持つことによってエネルギーが爆発する
前世の意味ですね
持つことによってエネルギーが爆発する
そして収集が少なくなる
という事実によって
そういった型を作れたってことですね
この宿命の中で生きても大丈夫だっていう型を作れたんです
正直これは運が良かったんだと思います
周りから見たら逃げとも取られるけど
都合よくそうやって価値観を薄くしているわけですからね
だから学生時代別に
後悔はもちろんありますけど
基本的には別に引きこもりになったから
何なんだっていう思いもあるし
ポッドキャストでうまくいかなかったから
なんじゃだから何なんだって思うし
そう思えるのも運が良かったと言えば良かったんですね
これはもし単なる逃げなんだとしたら
自分は絶対そんなことしないですから
自分に対しての嘘になるんですよね
だから自分にとっての救いっていうのは
自分にとっての単なる嘘でしかないんですよ
次ですが才能あったら使わないともったいないじゃないですか
チャンスがあるときは逃さないように
っていう風に考え苦しむ
自分はですね
最近も絵も才能もあって
音楽も
俳優もできて小説も書けてっていう
そういう人がいてですね
自分がもしこういう能力があったら
人生苦しむだろうなと思ったんですよ
何でかっていうと
そうやって才能があるなら
それを活かさなきゃいけないと思うから
あとチャンスがあるっていう意味では
レコード大使を3回連続で取った人は
4年目きっとどんな気持ちでやるのか
自分の作品も作らなきゃいけない
自分らしさも出さなきゃいけない
でも狙いたいところでもある
きっと自分の人生壊すだろうなと思ってるんですよ
自分は自分に嘘をつきたくないから
自分の才能なんてないっていう風に思い込むのは嫌なんですよ
やっぱりないから
ないと受け止めてんですね
運が良かったんですよね
もし自分に才能が一つでもあれば
引きこもりになって悔しくてしょうがないじゃないですか
でもちょっと今日高校生の動画見てて
これ歌うまかったらなとか
ちょっとそれは嫉妬してしまいましたけど
33:01
でもその一方で
もし歌うまかったら
それを活かせばってあんまりないから
悔しいだろうなっていうのも思ってましたけど
何か自分にとっていいものって
使わなかった自分が
想像して
それが自分の背後に立つんですよね
想像力って恐ろしいですね
チャンスは逃したら後悔するのも分かってるし
判断ミスだなっていう風に思うだろうし
無駄にした気分にもなるし
だから失敗の責任ってものが生まれてしまうんですよね
チャンスがなければ
責任なんて生まれないんですけど
それは自分に対する責任ですね
人に対する責任じゃなくて
自分にとってチャンスっていうのは意味が
もう意味を感じて生き生きしてないですけど
もしチャンスがあると認識して
実際チャンスがあるのであれば
もう意味というものが暴走してるような状態
だから熱を帯びた生活になるんですよ
でもいろいろですよ
本当に生きてる人もいるだろうし
逆にそっちの方が多いような気もしますね
天才型のタイプって
高校生の時のことちょっと今思い出してたんですけど
純研で北大の先生来てて
自分は興味があるんです
興味があるっていうか
なんだろう
地学自体には興味ないけど
純研自体にはなんか興味あるっていうか
自分は北大の先生が来てるということ自体に興味があって
でもですね
それを態度に表すのが下手なんですよ
だから多分先生たちからは興味ないように
ちょっと見られてるんじゃないかなって
今考えてみたらそれは
ちょっと自意識過剰ですけど
今思ったんですけど
もしかしたら宗教が原因かもしれないですよね
感情を出すことは煩悩だと思ってるし
だから下手に喜ぶのも
感情が爆発してるだけだし
不安になるのも感情が現れてる
これは宗教では煩悩だと言いますから
それが原因で
感情が出なくなったっていうのもあるかもしれないし
あと今思ったんですけど
感情
感情
それは変わりますけど人間
例えば痛いとか思うのも感情だろうし
熱い寒いも感情だろうし
でもそこにやっぱり物語って乗るんですよね
例えば
喜びっていうのは感情が爆発だし
悲しみっていうのは
36:00
にひるに近いのかな
意味を濃縮してるような状態
不安は未来に対する圧力ですよね
怒りっていうのは
あ、逆か
怒りが
熱が暴走してる状態で
喜びっていうのは
過剰な意味化なんですね
意味があると感じすぎてる状態
そういう意味じゃ今も
あまり感情的にはならないように
気をつけてますね
本当に関係ない話なんですけど
感情的に
感情が動くっていうのと
違いますよね
感情の大小じゃないんでしょうね
揺れ幅の問題じゃなくて
感情的になるっていうと
声が荒れるとか
呼吸が激しくなるとか
そういう外部に出てくるものですよね
見て取れるもの
だし単純にコントロール効いてない状態ですよね
でも感情の大きさの話じゃないと思うんですよ
感情が動くっていうのと
動くっていうだけだと
あくまでも内部の話
だから周りから見て取れないわけですよね
自分はそっちの感情が動く方の話なんですよ
今言ってたのは
感情的になるっていうのは
自分はちょっと
正直ないですねそれは
なくそうとしてるよりないですね
もっとあったほうがいいんじゃないかと思うぐらい
ないですね
それが悩みなんですよ
自分の中で感情が現れない人いるかなと思って
でも感情って演技して
現れ
現そうとして現すのはわざとらしいし
案外感情があまり出てない人は
ぶっ切れ棒だったら話は別だけど
感情がわりと平坦な人の方が
わりと現れてるのは分かりやすいと思うんですよ
暑い時に汗かくって
患しいけど体にとっては大事なことですよね
涙が出るっていうのは
本当に精神的にピンチな時の防衛反応だろうし
そういういろんな感情が動く全般において
人間にとってある程度必要なんでしょうね
それがあることによって
エネルギーを放出できてるたりするんでしょうね
少なくとも防壁になってるはずなんですよ
次の話ですが
以前歯磨きに半夜10分時間かけてたんですよ
でも今考えてみると
それによって歯の表面削れますから
それで10年以上やってたのかと思うとですね
39:00
悔しくて
今は歯磨きティッシュ使ってるんですけど
これだったら
こっちの方が汚れ落ちてるし
歯傷つけなくて済んでたし
やっぱり10年って長い
オケですよ
その間に
歯がどうなってるかと考えると悔しくてですね
あとですね
前回話してた通り
メモ何回も見て何回も見て
後で思い出すんですよ
自分の記憶が信用できなくなりました
違うファイルに
ここで話そうと思ってたことを置いてあって
まず何が辛いのかっていうと
別のファイルを何回も何回も見てたこと
意味ないですよね
あとは
メモのファイル自体が
何か支障があるのが問題だと思ってたんですけど
それはないと分かった時点で
また今度は
ここで話せないこと自体のが問題だろうってことに
そっちの方に悩みの比重がいってしまうんですね
でもこれよくありそうですけどね
ある問題とある問題を比較して
ある問題解決したら別の問題が大きく感じる
でも自分の場合は
よくあるパターンとして
Aの方が悩みで
Bも悩みがあり
Aが解決されるあたりで
これって実際Bの方が問題あったんじゃないかと気づいてしまう
まあまあでもそっか
うーん
そっちにフォーカスがいってしまってるのか
次
うまくいってる時は
より良いものないか探し始めてしまうんですよ
せっかくうまくいってるならそのまま突っ走ればいいじゃないですか
なぜか変な欲の出方がするんですよ
これ欲っていうことなのか
分かりますかねこれ
普通の時に
普通の状態の時より良くする
なら分かる
でもより良くなってきた
良い状態の時にだけ
もっと良い方があるんじゃないかと考え始める
ってちょっと異常ですよね
普通ですね
普段何もない状態の時に人間って
安定してる感覚になりますよね
災害もなく
社会的なトラブルもなく
周りで何もない状態の時
精神的に安定するんですよ
でも自分の場合
何もない時の方が
不安定になるんですね
自分は筋トレしてたりした方が安定だったりするんですよ
何かに追われてた方が安定してたりするんですよ
逆に普段はあまり安定しないんですよ
42:03
だからこそ
ちょっとうまくいってる時の方が
そういう探索モードになるんでしょうね
内部のノイズがあるからですね
いろんな思考が
散っている
でも負荷がある時は
内部のノイズが減るんですよね
余計な妄想とかが出なくなる
現在夜です
ちょっと
人生を振り返って話したいんですけど
普通はですね
引きこもりになったら
失敗と捉えるはずなんですね
でも自分はそのタイミングで
宗教を辞めて
絶対的な価値観
とか軸とか支柱とか
人生の意味
全て剥ぎ取られたようなもんなんですね
だからこれが複雑なんですよ
つまり今まで
自分が持ってる価値観ってありますよね
もちろん日本人としての価値観とか
個人としての価値観はありますけど
引きこもりになったら失敗と捉えますよ
でも自分はですね
この絶対的な
自分の中での価値観が
そんなタイミングで
奪われてるわけですから
無くなったわけですから
しかもですね
宗教によって
救われてたと思ったら
宗教によって実は壊されてたってこと
でも気づくわけですよね
今まで思ってた自分の中での宗教
自分が入ってた宗教
全く見え方が変わるわけですよね
もう外部の
単なる宗教法人でしか
無くなるし
そこに意味も感じないし
ずっと中にいた人が
外に出るわけですからね
だからいくつも宗教があって
そのうちの一つにしか見えないんですね
だから世界観が崩壊したようなもんだし
家を失っていても
地面が抜け落ちたみたいな感覚ですよね
普通であれば
宗教を失った時点で
大事な柱が無くなり
崩壊するんですけど
自分の場合は
宗教があった頃からも
壊れてたんですよね
つまり救いが救いでなかった
ってことなんですよ
でも宗教って不安を
一時的に和らげるものですけど
でも普通に考えたら
一時的なものでしかないって
分かりませんだから
自分の考えとしては
やっぱり不安を生む原因はやっぱり
この世界の意味がいらうことだと思っているので
45:00
意味がないことに
真摯に向き合うしかないと思っているんですね
そうですね
ずっとある曲に似ている曲を探していて
ずっと探していて
明らかに似てるんですよね
松戸谷由美の
アニバーサリーって曲だったんですけど
乃木坂の懐かしさの先っていう曲
何かの曲に似てて
今考えてみたら
松戸谷由美の何の曲だって分かったのか
ちょっと不明なんですけど
何かのカバー曲のプレイリスト聴いてる時に
出会ったんですけど
じゃあカバー曲なんだとしたら
松戸谷由美の曲だって
分かんないはずだし
松戸谷由美が歌ってるの聴いてるはずだし
だからちょっとこれも不思議な話なんですけど
たまたまちょっと
曲聴いてたら
何曲か松戸谷由美のもう一回曲聴いてたら
たまたまですね
それに出会って
やっと見つかりましたね
ちょうど今日アプリとかで
似てる曲探す方法ないか見てたんですよ
では夕食の話ですが煮物ですね今日
うま煮
スーパーの買ってきたやつなんですけど
あとあれは何なのかな
レンコンとごぼう入って
あと鶏肉揚げたの
和の料理ですけど
完全にあれは大学芋の味でしたね
サツマイモの味でした
レンコンもごぼうも
そうするといつも研究が始まるんですよ
これって
確かに
あれはコンサイレンっていうのかな
土の中で育つものだから
似た味なのかなとか
甘い味付けだとこの味になるのかなとか
考えてました
うちの親カレーの時は最近
自分はうま煮になること多いかな
好きなものも続くとちょっと飽きてしまいますね
それ言ったら豆腐は半年以上続けてますけど
だから面白い構造ですよね
さっきの話に戻りますけど
普通だったら引きこもりになって
人生の失敗になった悪い状況にまで
追い込まれた
48:00
偏方向転換のタイミングになるわけですけど
でも実は宗教をやっていた頃の方が
失敗だったっていうことなんですよ
自分からしてみたらですね
宗教やってたとしたら
その時の価値観のままなんで
なんとかしなきゃいけない事態
大変な試練がやってきた
とられるかもしれないけど
そのタイミングで宗教を辞めてるんでね
善悪の軸も完全に失われたわけですから
しかもそれは絶対的なものだったし
それが失われて
善悪で判断できなくなったのもそうだし
その基準がなくなったわけですからね
どうなるかっていうと
まあまあ変な状況ですよね
変な感じですよだから
失敗なんだけど
引きこもりになって
大変な状況なんだけど
そもそも生まれてからが失敗だったから
宗教入ってて
今は辞めれたけど
っていう感じ
頭が取ってあります
今またパンツの中に
夜
手を入れて書いてしまってて
その後の記憶はないんですよね
その後足を書いてた記憶もあるし
やっかいなのが夜中
どこも書いてないけれども
でも手洗いに行きたいなと思った記憶もあったし
これでもう20分ぐらいずっと考えてましたね
不安で
まあそれでも
一式全部
触ってるかもしれないから書いたこともあったし
ベッドのものですね
あと今日夏服に着替えたんだけど
夜中寒くて
風邪ひかないか不安だし
いやーちょっとまだ早かったなと思って後悔してましたね
では次
好きな人というか
好きな時
その人の顔がよく見えるっていうのは
その人の顔の形じゃなくて
自分の感情を見てるんじゃないか
好きだという感情
とかよく見えるという感情を見てるんじゃないかと思ったんですね
51:01
これって多分感情とか記憶とか印象とか
仕草症状とかまで総合的に
見た上での
その良さなんでしょうね
なんか性格を知ってしまったら
すごい悪く見えるってことは全然ありますよね
逆に仕草とかあと自分の声で
よく見えるってことあるし
なんかさっきの補完の話にも綴るとこありそうですね
声がいいから
顔にプラスで何か
見えないものを見てしまってるんですよね
補完というか顔の造形プラス
補正されてるってことですよね
では次の話ですが
生きる意味ないのは分かってるんだけど
そこで楽しければいいっていう方向に行ってもいいと思うし
そういうパターンも多いんですよね
どういうことかっていうと
切なし気って言いますけど
今こうやって目の前のことを充実させていれば
生きる意味がないことに囚われなくて
済むだろうっていう考え方ですね
でも自分はそういう風にならないんですよね
あと苦しい時も
そうでない時も
いかんしてるのはですね
できれば生きたくないっていう考え
生きたくないんですよね
普通はちょっと違うと思います
楽しい時は生きたいと思うだろうし
充実させてる
人生に生きがいを感じてる人は
生きるってことに執着してるだろうし
でも自分はいつ何時
もう生きることができませんと
嫁半年ですと言われたら
喜んで旅立たせていただきますっていう気持ちなんですよ
次の話ですが
規律っていうのは
繰り返すことなんですよね
だから秩序を保ててるで
自分がいつも話してる物語っていうのも
実はパターンからできてるんですね
人間の繰り返し起きることに物語をつけやすいんですよ
54:06
いつも失敗してたら自分がダメな人間だとか
あの人はいつも何か言ってくる
嫌いなんだろうとか物語を書き始めるんです
この関係って何だろう
自分は規律によって物語を作らずに住んでるけど
この規律自体実は繰り返しであることとの関係が気になったんです
物語っていうのは
繰り返し起きることに
付与されるもの
そして規律は獣の中で自分が保てるもの
ということで結局関係があるかないかというとなかったんですけど
ただですね
一部ではあるんですけど
その規律が物語を作ってるんですよね
規律も物語を作ってるって感じなんですね
物語を書かないために規律を作ってるわけですけど
どうしても人間の構造上
毎日のこの繰り返しによって
継続する自分という人間の
人生であるっていう物語を書き始めるんですね
書き続けてるんですね
だから物語を排除する忘れようとするほど
物語を排除しようと努める自分の
物語が強化されてることになるんですよね
物語を排除する人間生きてますよっていう物語を排除するためには
自分の中での物語の
規律の定義を変えざるを得ないですね
今の定義というか
捉え方みたいなものですけど
自分を保持してるものなんですよね
なんとか下へ繋ぐための生存戦略なんですよ
これは昨日の自分を捨てるしかないですよね
イチローも言ってたんですけどこれは分かってたのか
これは1日を完全燃焼させることに注力していて
その日が過ぎ去ればその日のことは忘れるっていう感覚らしいんです
だからその日1日を1日を生きてる感覚にするしかないですよね
物語を書かないっていうのはそういうことなんですよ
昨日の自分は知りませんっていう感じでいるしかないですよね
57:06
でもこの考え方って諸行無常ですよね
人間ってどうしても昨日のある連続の中に今日を見てるけど
変化するっていう考え方ですからね
諸法無我もそうなんですよ
ここにいるこの体心は自分だっていう物語を書いてるわけですよね
自分って将来のことで不安だったりそれが基準になってるんじゃないかってくらい
現在の行動に影響を与えるんですけど
これも物語を書きすぎてしまってるんですね
物語を書いて低音のままでいれなくなってるんでしょうね
普通起立って自分がこの世界をコントロールできてるという認識を生むためのものなんですね
だから明日も今日と同じでいられるっていう安心感はいられるんですけど
自分がコントロールできるようにするためっていうよりも
その感覚が全くなかったとも言えないんだろうけどこれは
というよりも自分崩壊させないためのものだったと思うし
あと起立が必要にはならなかったんですね
支えてくれるものではなかったんですよ
だから軸にするっていうよりも気づいたらあるものって感じだったんです
起立って自分と自分でないものの境を作るってことなんですね
自分がコントロールできることをはっきりさせることによって
そうでないものと境界線を作ることによって自分でのものの輪郭ができるんですね
ということはさっきの話で言うと諸行無常の話しましたけど
諸法無我のほうとは対立関係ですよねちょっと矛盾ですよね
ボッドキャストはこの17年間さらには宗教時代の頃からのことを
ある意味連続体として物語として語ってますけど
うーん
まあこれはやむを得ないのかな
あとですね
修行僧も
1:00:03
やっぱり起立は正しいんですよね
でも今言った通り
起立っていうのは
事故というものを確立するものだし
ただボッドキャストをしてて
それを振り返っているとやっぱり自分というのは固定的な存在ではないんだって
気づかされるんですよね
もちろん遺伝の変化しないというのはあるんですけど
まあそれをもってしても人間って
もっと抽象的な意味で言うと常に変化してる
っていう風に
いう風な考えに至るんですよね
修行無常なんだけど
このボッドキャストで記録を残そうとしたり
まあいろんな形がありますけど
まあそれって
これは人間が生み出した人間なりの
この世界自然の節律に対する
高度な
一つの在り方ですよね
現在朝です
今日はもう朝から
ボッドキャストの録音のことで
また悩みが増えて
あとはちゃんとできてたのかっていう悩みと
あと番組名ですね
最近はもう夜中もずっと考えれて
自分が捨ててるものは何なのかっていうことですよね
希望的なそういうことなのか
でも絶望さえもしないようにしてるし
なんか救いなのかとか
もっと広い意味なのかとか
あともちろん単純に捨ててるという言葉では表せないし
救いとかそういうものを構造的に
観察してる
節もあるし
で決まったら決まったで
なんでこんなことに何ヶ月も使ってるんだっていう気になるし
まあまあ冷静に考えてみると自分の
この10年以上ほど
まあ
モラトリアムというにもならない
もう何にも
他人からしてみても何の意味もない10年間だっただろうし
まあだからこそ
その10年過ごすのはまあ辛かったですね
でも
それでも
こうしてるしかない
できれば自分だって充実させたいですよね
1:03:00
仕事だってできればよかったし
でも
とにかく
この家でこう
呼吸をし続ける
他にないってことで
できることは他にないんだと
あとは暇つぶし
まあまあ
するしかないんだと
いうことでしたよね
一番ですね
全てのことに集中してるつもりなんですけど
全くそう
集中してない
集中してなかったなってことが
行動があることに気づくことがあるんですね
まるで二重人格でないかと思うぐらい
集中モードの時もあるし
自動的に
体を動かしてるモードの時もあるし
これは習慣だけで走ってる状態ですね
あと観察モードの時もあるし
これは食事中なんか間違いなくそうですね
動画見てる時もそうです
あと思考がループしてるモードの時もありますね
これ学生時代の時
不安障害で
常にそんな感じでした
心ここにあらずみたいな感じ
これらが勝手に切り替わるんですよね
自分はですね
皿を並べる時でさえ集中するようにしてるんですよ
不器用なものでミスをするから
だからですね
あれ
全然集中してなかったなって気づくんですよ
前も話した通り
自分に負荷をかけるために
なるべく行動を急いでするようにしてるんですけど
あれこの1ヶ月間
全く
無意識になってしまってたなって気づくんですよ
だから本当に人事中人格なんじゃないかと思うぐらい
でも気づいたら違うことをしてたってことはないです
多分何か考えごとに集中してると
過集中になって
目の前のことが置き去りになってしまうんですよね
集中してると
自己モニタリングが多分できてないんですね
自己モニタリングがあるからこそ
目の前のあることに集中できるんですけど
考えごととかにふけてるとそうなっちゃうん
けどももちろん考えてないし
集中
してるのはしてるんですけど
なんていうか
では次の話ですが
美人でだまい人なんて大量にいることを最近分かって
るんですよね
だから結局売れるかどうかって
運じゃないかなと思うんですよ
あとですね
CMのコピーライティングなんか見ても
自分でも考えれそうな感じがするし
これなんかもだからタイミングとかそういう運で決まる部分も
1:06:01
あるんだろうなと思うんですよね
タイミングですよね
見つかる場所に立てるかどうかっていうタイミングとか
あと結構これも大事で
継続できるかどうか
そういう条件が揃ってない人も結構いるんですよ
だから1年2年で終わっちゃうとかそういうこともあるだろうし
もちろん家族の療傷とか色々な条件重なるんですよね
それも含めての運なんですよ
では次で話ですが
人は必ず正解を追求するけど
何か大きな変化があったら
その正解が変わってしまい
今までのものが台無しになると思うんですね
それが予想もしないことだと
全く無駄になる
何かを諦めつけることが
せっかくできていても
例えばAIの進歩で
それができるようになってしまう
一体どうすればいいんだって
行動が分からなくなりますよね
でも人間って正解を
求めるようにできてると思うんですよ
簡単に言うと
どこか目的地に行くのに
どの道を行けばいいかっていうのは
これは動物であれば考えることですよね
よく変化に合わせて
臨機応変にとか言うけど
これは単なるファンタジーですね
でも正解が変わると分かりながら
正解を求めなきゃいけない
でもそんなことをわざわざ
するかなと思うんですよね
それができれば
その時その時変化することはできるけど
例えば自分の才能何かって探してて
ないなと諦めがついて
でも時代の変化 価値観の変化で
もしかしたらこれが
自分に合ってるかもしれないとなって
でもそのたんびに
変えるわけでもいかないじゃないですか
あとはですね
そうやって時代の変化によって
自分が作ってきた足場が崩れ落ちて
自分がやってきた道のりが
全部無価値に感じることも
無きにしまわずだと思うんですよ
例えば大学行ったけども
そこが平行になりましたって言ったら
せっかくいい大学行ったのに
何の意味があったんだみたいになりますよね
大事な人を思って
大事に結婚生活を送ってきたけど
離婚したとなったら
何のためにこの人を
思ってやってきたんだと
離婚するという
今までとは全く違う環境に置かれるとは
今まで価値を置いてきたこと
1:09:00
そしてそれを大事にして
ここに歩んできたことが
無駄に感じてしまう
っていうのもありますよね
それは乗り越えるのは
まあ難しいのかな
でもそんな過去は
捨てるっていう気になれればいいけど
ちなみに自分はですね
今自分はそんなこと
難しい性格だからこそ
逆に今はできるんですね
ニヒリズムだから
ただですよ
何かポッドキャストで工夫して
こういうやり方でやっていこうって決めて
でも何かポッドキャスト業界で変化があって
そのポッドキャスト業界で
どっちがいけるか
そのポッドキャスト業界で
何かポッドキャストやっぱり
いくらでも
ということに向かって
やっぱり
人生って
ポッドキャスト力を持っていこうと
どっちがいけるか
みんなが
やっぱり生活していく上で正解を求めなきゃいけないから悔しいんですよ
あとはその世間社会の変化に追従しないってことですよね
自分の何か固定するものを持つ
いやそれはありだと思いますよね
あの兼ねてから
本当はそれがしたいんじゃないかという思いもあったけど
だからアーティストでもそういう人はいますよね
トレンドに流されないで
でもそれって商売としては結構辛いと思いますよね
あまりにも売れなくなるのもちょっとあれだし
さっきの話に戻るんですけど
目の前の作業には集中してるけど
急いでやる意識的にやるっていう意図が行動に乗ってないんですよね
ある瞬間に悪いに変えるんですよ
いつからか一番処理の安定性を優先するようになったんで
意図して何かをするっていう行動
例えば急ぐとか丁寧にやるとか
そっちよりも集中すること
ときは作業モード
作業モードっていうのは手順だけで処理していくっていう
もう無意識な状態ですよね
いずれかの方が優位に立つんですよ
だから学生時代なんかもそうだのかな
簡単に言うと時間を忘れてしまう
だからいろんなことを考慮しながら
でも集中するっていうのが難しいんですよね
目の前にあることに集中してしまうんですよ
1:12:02
だから試験なんかは大変なことですよね
いろんなことを考えながら計画立てて
テストを進めていくなんて自分には無理なんですよ
目の前の問題を解くことに集中してしまうから
だから自分は後は早くしようとしたら
常に早く早くっていうふうにするか
そういうふうにやってるときもありました
あるいはタイマーを置くしかないんですよね
目の前にあることに集中してしまうから
はい