祖母の自伝とその感想
では、祖母の自伝の感想を話していきたいと思います。
いや、そこに書いてあった言葉、自分の今の言葉は、なんかピッタリというかね、その言葉は
共通点があるというか、その自伝に書いている本の内容って
ある勉強会、というか夫人会というか
まあ、そういうもので
書いて、感想を見せ、 書いた文章を見せ合って
あーっと意見をもらったりしてたんだろうけど っていうことをやってたらしいんですよね。5年間
それまでやってたって書いてあったんですけど
文章を書くってことは、そうやって他の人にね 見られるから、誓いの言葉になると
だから 自分にルールを課すことになるってことですよね
でも この後話すこと
この後話すんだけども まあそんな風に人間ってのは
本能と理性で戦ってると、だから 動物的な部分
に勝てない時もあると、だから こうやって文章を書いててね
それを書いている自分と
でもそれに勝てない自分とで、いつも攻め合ってると
なるほどと思ったんですよね。こうやってぼっとき合って話してるのも
確かに そう思ったこともありました。あの子で話したことは
守らなきゃいけないなっていう
祖母も同じに感じてたというか
言葉にするってことは誓いになると あーなるほどと思ったんですけどね
本能と理性の葛藤
で 祖母はね
どうしても言いたいこと 自分のことについて書くと抽象的になってしまった
だから 映画で例えると
日本の映画を紹介してくれたんだけど 一方はね
ある 戦争が起きてる国の少年が
逃げて母のもとに帰る
あるいは あーこれ日本の話か日本兵がいる
まあでも亡くなってるんだけどね多くの人が どこに
行って自分も亡くなるのか まあ死んでしまうわけだけど
どっちを選ぶかってことで まあ後者を選んだらしいんですね
でもう一本の映画は家族を守るために銃を持って戦った人
でそれがね
ある人の感想でね
銃を持って戦った方が素晴らしいと思ったと でも祖母は
それとは反対系だったらしいんですよ 自分は銃は持てるだろうかと
でもその人に言ったらね では撃たれてしまうかもしれないだろうと
でこの日本の映画でね 一つ目の本で言うと
映画で言うと
自分は 逃げて母の方に行く方を選んでしまうだろうと
日本の映画で言うと 自分はきっと銃で戦ってしまうだろうと
その場になったら その時になったら
それで人間ってのは どうしても
本能の自分に負けてしまう まあでさっきの話に繋がりますよね
こうやって文章に従えることが自分には 重要だってことだと思うんだけど
ちなみにね本能に負ける
本能が理性により上回ることが
何か自分にとっての負けみたいな
いう風に捉えていいのか クラキも悩むとこありますねそれ自体そもそもね
でしかも
それの答えだと悩みに 葛藤があるわけでしょ
しかもクラキの場合 どっちが本能なのか
理性なのかが わかんなくなる時があるから
最近だとね 昨日着替える予定ね
だったんだけども もう気持ちがどんよりしてきてね明日着替えるのかと
これ複雑でね その日ってルーティンがいつもと違って逆に
楽なこともあり
でもこの時期はね辛いんですよね寒くて だからそういう意味でも
なかなか難しいとこで しかもちょっとポッドキャスト撮る時間が短くなったり
それはそれで自分としてはね やっぱり葛藤があるんですよ
まあその分楽と言えば楽だし 撮れないっていう思いもあるし
そのジレンマもあって
で昨日の場合結構引き伸ばしてて その前の日入るっていう選択肢もあったけど
まあでも前の日が結構 ポッドキャストをちょっと撮る時間が
夜中でちょっとだけだけど短くなってしまって
ちょっと遅く起きてしまってで その瞬間を改めようと思って
それには まあこのいつも通りのルーティンの方が良かったんですね
あとね一昨日で言うと
昨日で言うと 一昨日か一昨日の昼間の話かって言うと
まあそういうことだったかな
いやー今日悩みましたね ストーブをね
が結構 夜中点けてたから
まあちょっと暑いぐらいになってて まあこれだといつも通りのルーティンの方が
つまりポッドキャストを撮る
早くから撮ってる方が いいということになり
葛藤はあったんだけどでもね 今日着替えようと思って
一昨日の話に戻るけども ここどうしようか悩んだんですよ
次の日着替えるかどうか でいつもだったらねなるべく嫌な音を早く終わらせたい性格なんで
こういう時って先延ばしするなんて最悪なんだけども罪悪感がすごくて 昨日やってればよかったなぁって
でも倉木にとってはね 早く嫌な音を終わらせる方が楽なんで
そっちの方がさっきの理性とか道とかで話で言うと そっちの方が割と
本能的というか 楽を従える
だからすごい複雑なんですよ さっき言ったように着替える方が逆に楽な音もあったりして
で今日起きる時にすごい悩みましたね
レソボの本を読んでる限りやっぱりその 前も確かね言ってたんだねあの宗教に
と出会った時の話でね やっぱり人間の弱い部分を見てきてるとかで
正しく生きない人が損をしてみたいなことが非常に嫌いだったみたいで
でもそういうことそういう話ってよく聞きますよね 正義感が強くて
この社会のこの 嫌な部分がねどうしても受けられないっていう人
一定数いると思うんだけどまさにそういう人で どうしても理性が分けてしまう
その人間の弱い部分が 許せないけどでも自分もそうなってしまうこともあると
どっちが正しいのか どっちがっていうのは
まあ理性に理性が勝てない部分もある時もあるけども まあそれでもいいのかっていうことですよね
まあでも宗教に出会って相当 救われたんだろうねそこのねでもねー
じゃあ宗教に出会ったからってそんな この世界に絶対的なものなんてないんだからやっぱり
矛盾点に気づいてしまうわけですよ だからやっぱりどうせ葛藤が生まれると思うんだけど
まあでもそこのことだからきっとね
単なるおめでたい人で終わるんじゃなくてそこは宗教に入ってもあの 探求してきてると思うんですよ
葛藤があり探求があり 試行錯誤して
だから祖母の話聞いてね ああ考えがすごい深いなぁと思うことも
万葉集と家族の関係
多々ありましたね まああと祖母は人生経験がね
豊かな感じがしますねそれだけ いろいろこうやってね
自伝をかけるぐらいだからいろいろ考えて生きてる 生きてるなあって自分を内省して生きてきてるなあっていうのがわかりますね
次の話最後ですけど 前回ねおばと
トモロコ氏が 万葉集から名前取ってるけども女子と接続詩でできてるっていう風に
話したんだけども 要は
祖父が 何もわかってなかったってことだよね
万葉集に興味も落ち始めて でもねトモロコ氏に聞いてみたらね
洋館に聞いてもらったらね 好きな家人のから名前取ってると
よくよく考えてみたらおばが 7、8年後に生まれてるから
だからね 万葉集にも造形があってね好きな家人とかもいたりして
だからトモロコ氏はよかったんだよ おばだけね
女子と接続詩 で王子は好きな家人から
でしかもおばはねその漢字も嫌いだったみたいで 意味もそんな感じでしょ
いやー辛いだろうね一人だけ であと驚いたのがトモロコ氏がちゃんと
教えてもらってたんだね それではしたっけ