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  2. 第495回 死後の世界やオカルト..
2024-08-16 42:48

第495回 死後の世界やオカルトを信じなくなった理由 その2

内容は、不可思議なこと考察・今日あった珍事件・グルメ・毒親VS毒息子・生き方生活術・北海道・新興宗教暴露・音声配信・発達障害・アイドル(坂道)・海外・スポーツ・難病等です。

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00:24
前回に引き続き、自分がオカルトを以前は信じていたのに、信じなくなった理由を話していきたいと思います。
倉木 凪です。よろしくお願いします。
神様ってね、世の中80億のどれくらい信じているのかな?神様でしょ?
少なからず信じているという人は、そのうちの8割以上はいるのかな?
自分の中の8割以上は信じているのかな?
ある時から信じなくなったんだけども、まず不完全性定理ってものがあるってわかってからですね、
物理学で言う不確定性原理だけど、数学で言う不完全性定理、絶対的な存在は存在しないというものはないし、
神様の定義って絶対的定義だけど、絶対的な存在は存在しないというものはないし、
絶対的な存在は存在しないというものはないし、神様の定義って絶対的ってことだからね。
こうやって言うと、神様がいないっていう考えも絶対ではないんじゃないかと。
確かに0%でないっていう確率的なことで言うとそうなんだけども、
ただね、それを言ってしまうと不完全性定理っていう定理がね、そこにも矛盾があって、
っていうのもこの不完全性定理っていうのは、どんなに数学でね、どんな定理を構築しても、
どこかで必ず矛盾が生じてしまう。
だから要はパズルが、ジグソーパズルが完成することなんてないと。
どこかに穴が空いてしまうと。
穴が空いてしまうとは、パズルがね、30%できてようが、99%できてようが、50%だろうが、
全くただの組み合わせた紙でできたものであることに変わらなくて、
これで100%できたらやっと絵が完成すると。
そういう話なんだけども。
でもね、不完全性定理もそれにも矛盾点があるから、
完全なものも中にはあるんじゃないかとはならないわけですよ。
同じようにこの世界に絶対がないから、じゃあ神様がいないのも絶対ではないとはならないんですね。
そこはやっぱりいないものはいないんですよ。
で、ある、誰だっけな、学者さんが、
プラトンでもないしニーチェでもないし、誰だっけな、
うーんとね、最後、精神病になって亡くなる人なんだけども、
うーんとね、だからニーチェかな、
でもニーチェではないんだけどもね、最初は宗教を信じてたかで、
でもニヒリズムになり、
誰だっけな、ソクラテスでもないし、
03:02
神様はいないと科学的に証明できるかもしれないけども、
でも神様っていうのは人知でわかるようなものではないんだと。
つまりは科学的にどうだこうだで、それだけで片付けるような問題ではないってことですよね。
だからいるんだと。
でもね、それじゃあ神様の定義とずれちゃうから、
それじゃあそれ言い始めたらもうキリがないだろうと思うんだけどもね。
それ神様じゃないだろうし。
だしまあ、100歩譲ってね、神様はいるかいないか考えたところであまり意味がないとかね、
いるとかいないとかそういうのではないんだならわかりますよ。
そのいるんだって、どうしてそういう結論が出たのかも。
まあでも人間の都合の良すぎる話というかね、
もう言い訳もしすぎて何が何だか自分でもわかんなくなっているような、
もう知慧滅裂で理性も働いているのかよくわかんないような、
もう理屈だというのはわかると思うんですよ。
神様がいないって証明されてしまって、
いるかいないかじゃないんだみたいな。
人間の頭で考えてもわかんないんだみたいなね。
無理のある発想だってわかると思うんだけども、
それまでいるって主張してた人がね、都合が悪くなって、
そうやって言うのって子供がダダをこねてるようにしか思えないんだけども。
神様ってさっき言ったように80億の多くの人が信じてるけども、
だからといって神様がいる可能性が増えるわけはないんですよ。
でね、この世界がね、死後の世界にしろ、
人間の都合の良いように作り変えられるわけじゃないのはわかると思うんだけども。
サンタクロースってね、子供がいてほしいってどんなに願っても、
それで現れるわけでもなければ、
いる可能性が高いと言える根拠にはならないですよね。
それと同じことなんですよ。
多くの人が信じていようが、
だから神様はこれだけ多くの人を信じているんだから、
いないと決めつけるのはどうかっていう考えは間違ってるんですよ。
それで可能性が高くなるわけじゃないんですから。
いきなり変なこと言い出したかと思わんかもしれないけども。
パピプペポっていう生き物がいますっていうね、
今このポッドキャスト配信のために架空の生物を今自分は思い描いたわけだけども。
じゃあこれが存在しますって言って、
じゃあこれと神様といる確率どの程度違うと思いますか?
全く同じなんですよ。もうゼロなんですよ。ほぼ。
どっちも共通してるのは全く根拠がないことなんですよ。
パピプペポっていうのも今勝手にね、
自分がそうやって名前をつけて、
まあでもいないんですよ。
こうやってパピプペポって名前をつけた超本人がそうやっているんだから、
まあいないんですよ。
それと全く同じ理屈で神様はいないんですよ。
世界の誰かが神様がいるって言い始めて。
06:02
人間っていうのは絶対的なものを信じるようにできてるんだよね。
まあそういうふうにできてるだけなんだよね、あとはね。
でもその、それと今の宗教的な神様とはまたちょっと話が変わってくるようで、
でも別物でもないというか、
っていうのもね、自分がもう、
例えばイチローをね、野球少年が自分にとって全てだと思ったりね、
あるいはアニメのキャラクターでもいいですよ。
家にね、何だろうあれ、グッズを置いて、
これが自分の全てなんだと。
これを信じて、もう自分の人生哲学は全てこのイチローによってできてるとか、
まあそれも今言ってるその絶対的なものを信じてるということなんだけども、
だからそういう絶対的な存在を求めるようにはできてるんですね。
だからちょっとややこしい話になってくるんだけども、
まあでも絶対的なものを求めるけども、
絶対的なものなんてないっていうのは証明されてるし、
宗教的な意味での神様、
まあこれは一神教であれば一つの神様だし、
多神教であれば山の中に神がいて、川の中にも神がいて、
まあなるんだろうけども、まあいずれにせよね。
人間が絶対的なものを信じるようにできてるから、
イチローになる人もいればアニメのキャラクターになる人もいれば、
だって宗教の古くからあるそういう山に神が宿ってるとか、
キリストだとか、
キリスト教はキリスト神様だと思ってるのか、
じゃあラファエルとかミカエルとかはどうなのかな、分かんないけども、
それとは別に神がいると思ってるのかな、分かんないけども、
分神的な感じなのかな、分かんないけどもね。
これを信じてる人もいるし、そういうふうに人間ってできてるわけですよ。
だから神様がいる根拠があってこうやって宗教というものが存在するんじゃなくて、
宗教というものができるように人間というのができてるわけですよ。
歌ってものがね、古くからあって言葉ができる以前から歌は存在したって言われてますけども、
そういったものが人類に、まあでも歌ってものはね、
どの民族でも歌ってものが存在するわけですよね。
どんな先進国であろうと、どんなアフリカ民族であろうと、
歌を歌うっていうふうに人間はできてるわけだけども。
だから神様がいる根拠になるかというとそうではないんだよな、残念ながら。
で、その数学で言うところの絶対というのと宗教で言う神様とはまた違ってくるんじゃないかというのは、
残念ながらそういう数学ってね、そういうものではないんだよね。
物理学よりもより普遍的でね、だし残念ながら神様の定義っていうのは絶対的なものっていう。
それ以外の、まあ自分の定義だったらそれは神様じゃないし、
09:00
まあそもそもが人間が勝手に定義付けたものしかないんだけどもね。
まあそれ言い始めたらちょっとキリがなくなるんで、今は話せないけども。
でもね、大抵の人はね、神様の定義もよくわからず神様はいると思ってますよね。
何かそういう全てをわかってるようなおじさんみたいな人がいて、
まあそれもサンタクロースに近いよな、なんかイメージがあるじゃないですか、そういう人間みたいなね。
そんなはずもないのに、形があるはずもないのに。
まあ形があるはずもないっていうか、あるはずもないはずも、
もうそもそも全てはそれは人間の発想でしかないんだけども。
イマジネーションが作り出したものでしかないんだけども。
まあでも実際いるかどうかじゃなくて、救われることに宗教の意味があるんで、
いないことによって問題はないんですよ。
いないと片付けてしまうのはどうかと思うかもしれないけど、いないのはいないし。
次、超能力の話に移りたいと思うんだけども。
超能力も以前は真実だけども、これもただのオカルトでしかないと思うようになりましたね。
まあ超能力の定義が曖昧なんで、何をもって超能力というか、
定義も曖昧だからね、超能力もないと言ってしまっていいのかと思うかもしれないけども。
それもね、安藤が考えたことあるけどもやっぱりね、定義は曖昧とはいえ割と単純な話で、
科学的にね、メンタリストの醍醐は何と定義してたかな。
科学的に、醍醐じゃなかったかもしれないけど、科学的に説明できるようなもの以外ですよね。
となると、まあ人によってはね、専門家によっては、100年後、200年後の、
科学で証明されてないだけであって、
あ、に証明されるけど今は証明されてないだけであって、
あの、まあ超能力的なものもあって、
でも超能力ではなくてね、いずれ科学的に証明される歴史としたものだみたいな。
それもちょっと間違ってると思うんだよな。
人間が今すでに頭で考えてね、
これはちょっと超能力だって現代人が思うようなものは、
それはもう、ただのオカルトでしかないんですよ。
100年後であろうと、200年後であろうと、今であろうと、
ちょっと現代人がね、
ちょっと、現代人って今、今現在の人がですよ。
ちょっとこれはおかしいなって、超能力だなって思うようなものは、
ただのオカルトでしかないんですよ。
オカルトって言ってもね、オカルトを信じるのも自由だろうと、
ないと言ってしまっていいのかと思うかもしれないけど、
単なる自分の信念じゃなくて、
オカルトってのはね、信じてる人がいる何の根拠もないもの。
根拠がないってのはさっきも言った通り、パピプペポって同じなんですよ。
パピプペポっていう生物がいないのと、根拠が全くないのと同じだし、
ドラえもんがね、いるかいないのと同じで、
いるかいないかって言ってるのと同じなんですよ。
12:00
バカバカしくないですか。だからオカルトがね、正しいかどうかっていうのは、
そういう話なんですよ。
トランプ大統領がいるかいないかどうなのかっていうのと、
ドラえもんがいるのかいないのかっていうのと、
全く話が違うじゃないですか。
何をもってドラえもんって言うかだよね。
あの青くて、手足が短くて、そういった形のもの。
って言うならまあ人形でいいだろうし、
でもそれでいるって言っていいのかね。
まあだからバカバカしいってことですけど。
で、その形に尚且つ話し出して、
で、あの声で、
ならまあ別にテレビ画面の中にいるし、
まあそれをいるって言うのがどうなのかって、
まあ人それぞれに寄ってくるだろうから。
それはいるとは言わないだろう。
二次元の話だろうって言ってしまえば、
嘘だし。
じゃあ、そのグッズでね、
そういう、あの声で、
で、動くのでって言えば、
いや、動くし話すとは言ったけども、
これは聞き換えがなしてるだけだし、
うんとか言い始めたりも、もうキリがないですよね。
まあいると言えばいないし、いないと言えばいない。
けれども、じゃあいる可能性があるのかっていうと、
いや、今言った通りね、
またドラえもんがじゃあいるって言ってしまっていいのか。
それはね、
ちょっと頭のおかしい人以外であれば、
まあこの発想自体がバカバカしいし、
まあいるって言ってしまうと、
それは話が変わってくると。
今言ってるいるいないは、
またちょっと違う意味で言ってたなと、
なると思うんですよ。
だし、子供の心の中にいる。
大人の心の中にもいる。
とかもう、サンタクロースもね。
そういう話じゃないですか。
いないと言ってしまったら間違いだし。
そもそもサンタクロースがいるいないっていう発想自体がね、
何を議論してるのかよくわかんないし、
子供にね、いるのかいないのかって聞かれて、
もうそれもまたいるいないだし。
発想がおかしいっていうかね、だからね。
実際に、
自分なりに考察してみることもありました。
超能力をね。
で、自分の秘習家の教授がね、
金粉を手から出すことがあったんだけども、
金粉から、
なんぼ知恵袋でね、
ばんばん出てくるんですよ。
それはこういうことだって。
前のエピソードで話したので、
話せないけども。
あとは、野菜棒をね、
手から宝石出してきて、
いやー、これも、
いや本当だとしたら、すごいなと思ったんだけども。
醍醐なんかはなぁ、トリックだっていうし、
まぁ醍醐もね、スプーンマーケットはやってるけども、
だからこそね、
そうやって、信じさせるっていう、
メンタリストとしての、そういうね、
手法も分かってるんだろうし、
そうやって人間って引きつけられるんですよ、
そういう超人的なものに対してね。
だからメンタリストもああいうのを始めたっていうんですよ。
で、ちなみにメンタリストのスプーンマーケット見たことある人は、
もうあんなの、ちょっとトリックがあるとは思えないと思うはずなんだけども。
あんなのYouTubeでね、やり方なんて出てくるし、
だからフォークもね、
スプーンとかフォークとか、
フォークはね、固いんですよね。
スプーンで、安いものだとね、
すごい柔らかくて、
15:01
そういうものがあってね。
で、手この原理を使って、
で、筋肉の使い方とかもね、
すごい醍醐は研究してるんですよ。
で、そういったものを使ってやってると。
だから誰でも真似してできるようなことではないんだろうけども、
でも誰にでも真似してできることでなければ、
超能力化って言うと違いますよね。
大谷がね、
時速165kmで、
卵投げれるから超能力化って言うと違うじゃないですか。
サーカスの人がね、
超能力化って言うと、
違いますよね。
同じなんですよ。
で、スプーン曲げ、
で、醍醐って最後ね、
追ってたかと思うと、
最後、真っ二つにしてしまうんだけども、
あれはね、
そういう手品のね、
用品が売ってるんですね。
あれがうまいですよね。
それまでは科学的なテコの原理でやってたかと思うと、
急に手品製品を使い出すっていうね、
あれがうまいなと思うんだけども、
そこの辺もメンタリストだからできるんですよ。
そういう矛盾があるとね、
途端に理解できなくなってしまって、
人間の特性をうまく取り入れてるわけですよ。
そういえば以前ね、大谷がね、
ある人が青を選ぶか黄色を選ぶかみたいなことをやって、
でも既に潜在意識に働きかけて、
いわゆる洗脳ですよね。
まあ醍醐なりの今まで聞いたのだといろいろあって、
その言葉を何回も聞くと、
心理学で言われてるのはあとは、
サブリミナル効果とかね、
あれなんかもあまり科学的根拠はないっていう人もいるみたいだけども、
自分はあんまり信じないですね。
サブリミナル効果って、
広告の間に短い時間、
短い時間広告で入れたりすると、
それをすごい影響を与えてしまうと人間に。
とか、テレビ画面の端っこの方に
意識できるかどうかわからないレベルで広告を入れたりすると、
無意識にそれに引っ張られてしまうとか、
買ってしまうみたいな。
自分は信じないんだよな。
だから意識できないレベルだと、
一瞬でも意識できないと、
だしさっきの一瞬挟むっていう例でいくと、
一瞬ね、っていうのが広告的って言われてるんだろうけども、
今言った一瞬でちょっと、
言葉の矢で紛らわしくなってしまったけども、
ちょっと別の話なんだけども、
一瞬挟むっていうのがサブリミナル効果になるとか言われてるけども、
どうだろうかなと思うんだよね。
全く自分はそう思わないし、
さっき言ってね、
意識全くできないっていうので、
いう意味のね、
それもね、
人間全く意識せずにね、
その商品を買ってしまうって、
ちょっとオカルトだと思うんだよね。
それはいいんだけども、
まあそういったものでね、
だから醍醐もその時も、
確かにね、
何回もその言葉を連発したり、
でもそれでね、
黄色か青か選ぶんで、
どっちか選べってなってね、
18:00
黄色っていう風に仕向けたから、
じゃあ黄色、
選ぶ可能性って、
ほぼ、いい大人に対してはほぼ効かないと思うんだよな。
もうほとんど理性が当たらないようだね。
そういう人でさえね、
に対してでさえ、
だってこれからどっちか選べって言われてね、
頭で考えるじゃないですか。
人によっては、
どちらにしようか、
神様の言う通り言って、
もうやられたらおしまいだろうし、
右左右左右、
でまあ適当にね、
じゃあ5番目にしようと、
右左右左右、
5番目に、
自分が言った5番目に、
とかね、
そんなこと言われてもおしまいだし、
頭の中に黄色っていう言葉が何回も言われたせいであったとしても、
いい大人であればね、
すんなり素直にじゃあ黄色ってなるかっていう話なんですよ。
慎重にどっちか選べなきゃいけないという状況でね。
これでもうね、
もう一瞬で直感的に選べたら、
例えばなんだろうな、
ちょっと思いつかないけども、
直感でもう思考する猶予も与えてもらえずだったら、
まあある程度仕向けることはできるのかもしれないけども、
3秒以内に決めなさいって言われてそこから選択肢を与えられて、
とかなら考える猶予はないかもしれないけども、
まあそれだとね、
そういう風に仕向けてるっていうのとはまた話が変わってくるし、
他に選択肢がないとも言えるし、
まあそれはどうでもいいんだけども、
サイバーなんかはね、
間違いなくトリックですね。
だしただの、
いくらオカルト信じてたってね、
宝石出すのはさすがに無理があるって現代人ならわかるだろうし、
逆にそんな能力ないと信じる方が自然だしね。
あと一心伝心。
えーとね、何事件だっけな、
あのー、
昔ね、
そういう人がいて、
目を閉じて紙に書いてるものを当てるっていう人がいて、
で実際に科学的に実験をするわけですよ。
えー、
そしたらね、本当にね、
あのー、
これはあると言えばあるし、
全くたまたまだと言えばたまたまだし、
そのレベルなんですよ。
神秘眼って言ってたかな、確か。
そういう能力を持ってるんだけども、
今歴史上で日本で研究されてて、
一番有力というか、
よく取り上げられるのはそれなんだけども、
そのレベルなんですよ。
まあ、
全くたまたまと、
まあ少し、
超能力があるかもしれないなっていう程度でしか当たんないわけですよ。
で、
たくさんあると思いますよ、
そういう実験って。
前聞いたのは。
ただね、
前、
ビートダケシの番組だったかな。
で、
自分で調べてみたのかな、
結局、記事で。
でもそれもね、
あ、
番組の中で言ったのかな、
専門家が。
えー、
ある実験室で、
外に、
別室に、
また、
えー、
他の実験室で、
ある人が、
ある人の考えていることを当てると、
何を選んだかみたいな。
21:00
で、
しっかり、
研究、
科学的に、
それを証明できたかのように思えるけども、
それで、
結局に当たってたようなんですね。
で、いかにもね、
えー、
しっかり統計も取れてるし、
何回も、
実験を重ねて、
たまたまだないと、
言ってるように、
思えるかもしれないけども、
そういうのって結局ね、
必ず穴があるというか、
いくらでもそうやって、
あると、
言うように見せかけることができるというかね、
らしいんですよ。
それで、
あのー、
あると言えば、
あるようにできるし、
全くないという風な、
研究結果にしようと思えば、
そういう風にできるし、
何の、
科学的根拠もないと言ってしまって、
いいらしいんですよ。
いかにもね、
研究者がやってれば、
科学的な実験に、
思ってしまうけれども、
いかにもね。
で、前ね、
ギャオでね、
そういうね、
映画を見たことがあるんですよ。
したらね、
自分が思ってもいなかったようなね、
映画の内容としては、
オカルトを否定するような、
映画なんだけども、
オカルトを否定するような映画なのか、
ちょっと分かんないけどもね、
そういう学者さんの話ですね。
が、
いろんな、
オカルトを暴いていくっていう、
そういう、
超能力のあるっていう人もね、
したらね、
時計の針によって、
タイミングを合わせてとかね、
まあそういう、
ちょっと常人では思いつかないな。
その人別にね、
耳にイヤホンとかさせてるわけでもない。
だからどっからも、
情報入ってこないはずだと。
で、密室で、
誰も人はいない。
なのに他の人と異心、
テレパシーがあるように、
何かを当てることができてると。
なんかね、時計の針を利用して、
このタイミングで、
これが、
あるとみたいな、
もうちょっとね、
そういう手法で、
あれなんですね。
あとはね、
トランプの手、
次のその人が取ったのを当てると。
自分もね、
どういう理屈なのか、
いくら考えてもわからなかったんだけども、
眼鏡に反射して、
そのマークがね、
こんなことね、
誰が考えてもわからないと思うんですよ。
まあ手品師であれば、
わかるのかもしれないけども。
だからいくらね、
超能力でしかないと思っても、
何かあるんですよ。
何かあるというよりも、
何かあるというよりかは、
そう考えたほうが自然ですよね。
絶対にこれは手品でも何でもない。
超能力でしかないと思ったから、
だからそれは超能力だと。
あるいは人間に超能力、
超能力が、
超能力を持っている人がいると、
言ってしまうのは、
全く自然じゃないし、
安易だというかね。
それよりも、
何かトリックがあると、
超能力で見えるだけであって、
そう考えるほうが、
まず先だと思うんですね。
圧倒的にそっちのほうが自然ですよね。
そっちのほうが確率が圧倒的に高いですよね。
超能力なんて、
そんなまことしややかで、
そんなのある可能性は、
24:00
ないけども、
少なからずあるんじゃないか。
でも自分たちもわかってるわけですよね、
超能力なんて。
可能性は低いかもしれない。
低いのはわかってるけども、
でもそう考えないといけないと。
でもそう考えないといけないわけじゃないんですよ。
そう考えないといけないなら、
超能力だと言ってしまっていいけども。
何かしらのトリックがあって、
それをわかってないだけであってね。
何かでも超能力があるように見せかけて、
それを商売にしてる人もいるだろうし、
それで人を惹きつけて、
宗教を唱えてる人もいるかもしれないし、
でもそういう知恵を働かせている人が、
いるっていう事実があるんですね。
それが悪気があるかもしれないし、
自分でも無意識にやってしまってる、
経験的にそれが勝手にできるようになったのか、
できるようになったのかもしれないし、
でもやっぱり超能力ではないんですよ。
超能力だと自分で思ってて、
他の人も超能力に見えてるかもしれないけども、
何かしら、さっき言ったように、
メガネに反射してるみたいな、
単純なそういう理屈があるわけですね。
で、その映画もなんかね、最後ね、
どの映画か言ってないんでネタバレにならないと思うけども、
なんかその超能力を持った人、
持ってない人かな?
持った人なのかな?
が、って言われてるでしょね。
が、なんか急に感情的になってしたら会場が、
もう、ひびが入って、
で、そういうなんか完全な、
誰が見てもオカルトな作り話で終わってしまうんだけども、
結局そういったことも起こり得るんだよって、
絶対起こり得ない話で、
起こり得るんだよっていう、
そういう結論で終わってしまったのかなあれは、
よくわかんないけど最後の。
それまでね、ちゃんと科学的に、
というかね、ただの作り話では終わらせない、
面白みがあったんだけども、最後はなんか、
完全なオカルトで終わってしまったんだけども、
オカルトですらないっていうね。
ちなみに自分はもうね、
あ、超能力なんてないなっていうのは、
その映画見ても、
まあその前からもうそう思ってるけどもね、
まあ改めてそう思いましたね。
考えさせられるような映画なんだろうけども、
自分はそう、
完全に超能力を持ってるとか、
自分で勝手に言ってる人もね、
思考回路がもうわかったし。
あとね、テレビで、
よくありますよね、海外の。
亡くなった息子さんと、
テレパシーできますとか。
でね、前アンビリバボーでね、
そういう人がいたんですよ。
で、相手の名前も当てられると。
あなたは何々さんですよねと。
まあ当たってますと。
でもね、アンビリバボーは当たらないんですよ。
まあ似たようなのはいくつもいろんなの見たことあるけども、
アンビリバボーはわからないけれども、
今アンビリバボーって名前出しちゃったんでね。
一応アンビリバボーはわからないってことに。
もっとあの、
じゃあ他のものに。
で、似たものってことにしましょう。
で、こういった場合ね、
いますよね、海外の。
27:01
まあ日本人でもいいけどもね。
相手の名前当てたり。
で、驚いてるみたいな。
で、こういう場合って、
やらせである可能性が高いというか。
テレビって、
やらせなんてほとんどないと思うじゃないですか。
ドッキリの番組なんかってね。
今すぐネットで調べてもらったらわかると思うんだけども。
まあほとんどドッキリの番組なんかね、
やらせだって、いやそんなはずないと思うじゃないですか。
調べてもらったらわかるんだけども。
やらせなんだよね。
いや嘘だと思うはず。
と思うんだけども。
でね、NHKでさえね、
やらせがあるっていう、
本当かと思うようなね、
報道番組でね、
あの中立中性高性な
あのNHKで
もちろん
あるわけです。
もちろんね、やらせがどうかは
はっきりはしませんよ。
ここで自分の
考えは表明はしませんけども。
してやるのもなのかな。
で、
どういうことかっていうと、
番組もグルグルになって、
冷媒師とかとね、
冷媒師の何か
当てたりとかね、
あなたは
この時期にここに
行ってたでしょみたいな。
そういうのでやらせである可能性って
十分あるし、そっちの
それで説明がつきますよね。
どう考えても説明がつかないっていうならね、
超能力としか言えない
っていう理由がわかるけども、
言いたくなるのもわかるけども、
それで説明がつくのであれば、
超能力っていう
全くよくわかんないのがわかると、
で、いちいち説明する必要がないんですよね。
ちなみに自分はね、
いくら考えてもさっき言った
名前を当てるっていうのはね、
わからなかったけども、
やらせだとなれば、
やらせだっていう風に考えれば、
わかるし、
それ以外考えられないですね。
でね、そのアンビリーバーはね、
いろんな血液型とか、
当てるんだけども、
それをウィキペディアで前もってね、
記憶しとけばいいし、
まあ記憶力がすごい持ち主ではあるかもしれないけども、
自分の宗教の教祖もそうですよね。
自分はそんなこと
誰にも言ってないのに、
なんで当てるんだ、みたいなことを
信者とのやりとりで
あるんだけども、
その人が誰にも言ったっていう
記憶がないだけであって、
そんなのね、
この宗教、乾燥シートっていうのを書いたり、
いろいろシートに書いたりするんだけども、
そういうので書いてるのも
自分で意識できてなかったり、
忘れてたり、十分あり得るし、
それに書いてても
人に言われてないって言ってる可能性もあるし、
それを全部ね、
記憶してるだけなんですよ。
宗教教祖は、
自分でも超能力だと思い込んじゃってるんですよね。
30:01
何かテレパシーで
それがわかってると思い込んじゃってるんだけど、
頭の中にあるものを
記憶を掘り下げてるだけなんですよ。
このようにして、
自分でもいろいろ考察してみたり、
どう考えてもね、
これはオカルトだし、と思うようになったり、
それでいろんなことね、
オカルトって言ってもいろんなジャンルあるけども、
全部信じなくなりましたね。
だからオカルトを
信じなくなったし、
またこれは
オカルトかどうかっていう
ところのすり合わせもしながら、
超能力なんかね、
特にオカルトと言ってしまっていいかどうかは
微妙だったんだけども、
単なるね、
オカルトかどうかの
単なる自分の判断基準で
オカルトは信じないから
じゃあこれも信じないみたいな。
それだけの話だと、
それもおかしな話だから、
でもね、それもちゃんと自分なりに考えて
そうなってしまっていないか。
単なる自分の自己満足で
終わってしまっていないか。
自分を納得させるためなのね。
それもしっかり考えてきながらやってきたわけだよ。
ここまでいくつも
お礼を出して話してきたけども、
浪人2年目くらいかな。
からオカルトを信じなくなって、
宗教も
いつ頃からかな。
まずはね、
教えも信じないし、
宗教の会に対する恨みも
どんどん出てきて、
人に会わなくなるとね、
人への恨みってトラウマとかね、
どんどん膨張していくんですね。
それか、
それまで無神経になっていたのが、
あの、
現実をしっかり分かって、
どれだけひどい思いをさせられてきたか、
分かるようになるのか。
例えば都会でね、
小さな音が気にならなくても、
田舎に行くと、
小さな音でも敏感に感じるみたいな。
それは感覚が研ぎ澄まされてね、
音より立ちできてるようになるんだけど、
なってるわけですよね。
ある意味では、
単に敏感になっているだけだと言えるけども、
だからある意味では、
無駄にね、
気にしすぎだとも言えるけども、
でもそこら辺の判断もできてるんですよ。
学生時代は明らかに
無神経だったと、
ひどい思いをしているのに、
人間関係で問題もあったのに、
それを普通の人であれば、
もっと重く受け止めるとこう、
軽んじていたと、
軽く見ていたと、
小問じていなかったことに、
気づいたんですね。
まあそんなのはどうでもいいんだけども、
それとか、
前回のエピソードでも話したかな、
生物学者の話を聞いて、
人間って、
生物でしかないんだなってことに気づいたんですよね。
だとすれば、
死んだら終わりだし、
そう生物学者も言ってたんだけどもね。
生物学的にはね、
人間は生きている意味というのは、
思想を残すことでしかないと。
人間が生きていたのが、
まともじゃなかったっていうのね。
それまでの考えが。
33:01
そこに気づいて、
宗教をやっている人はまともじゃないかと言うと、
それは全く話は違うんですよ。
宗教を信じること自体は、
死後の世界を信じること自体は、
人類にとって、
本能的というかね、
と言ってしまうと、
信じていない人は、
何なんだって話になるけども、
まあでもね、
アフリカ民族でもね、
祈るってことをするじゃないですか。
やっぱりそういう本能的なんでしょうね。
どんな信じていなくても、
祈ってしまうみたいなね。
とは言っても自分は今、
どんなに旧死に一生でも神様に、
まあでも、
祈りたくなることはあるのかな。
まあでも一切神様は信じていないんで、
神様に祈るってことはないでしょうけどもね。
だからもっと、
違う意味なんだろうな、
もっと深い意味なんだろうな、
神様がどうかこうかじゃなくて。
どうだこうだじゃなくて。
神様が信じていなくても、
祈るっていう行為はできるんですよ。
でまあ、旧死に一生の時とかね、
どうしようもない時とかは、
祈るように本能的にできてるんですね。
まあそれが意味がないとは、
理性ではわかっていてもね。
まあ涙が出るとかと、
汗が出るというのと、
まあ同じようなことなんじゃないですか、きっと。
涙が出たってね、どうにもならないけども、
解決もされないし。
でもじゃあそれが、
意味がないと言ったところで、
意味がないという発言が何か意味がないじゃないですか。
うん。
話戻しますけども、
それでね、
幽霊とかも一切信じなくなりましたね。
それまでね、かなり怖がりで、
その見えないものに対してもね。
だから、
自分の部屋でさえ、やっぱりね、
怖い夢見たりするとね、
もう心臓バクバクで寝れなくなるし、
親戚の家なんか行ってもね、
ホテルなんかでもね、
そうだし、やっぱり幽霊が出るんじゃないかという、
狂信があったんだけども、
今は一切ないですね。
もう完全に信じないんですね。
それまで、死後の世界があると思ってたし、
幽霊も信じてたし、
パタッとね、信じなくなった。
少しずつではないんですよ。
パタッと信じなくなったんだよな。
大抵の人はね、
宗教20年以上もやってれば、
それで辞めてもね、
なかなか、
引っ張りと、
縁を切るっていうかね、
信じるのをやめるってできないじゃないですか。
やっぱりその名残惜しいじゃないけども、
諦めきれないというか、
辛くなっては宗教にすがりたくなる。
やっぱり戻っていいんじゃないか。
戻って、
信じようって思いたくなる。
あるいは、
宗教に入らないまでも、
やっぱり死後の世界はあるんじゃないかと思いたくなってしまう。
神様はいるんじゃないかと思い、
思ってしまいたくなる。
それで他の宗教に入ったりもする人もいるのかな。
さすがに20年入ってて、
辞めた人が他の宗教に入るっていう風には
ならないのかな。
自分は絶対ならないけども。
大体20年入って辞めた人がね、
宗教であろうとなかろうと、
大体そこからの残りの人生
続くわけがないんでね。
36:01
そんな風に、
また信じたくなるんだろうけども、
自分は一切そんなことなかったですね。
ちなみにね、
ニーチェっていう徹底学者がいるんですけども、
この人はね、
自分と全く同じ教育で、
自分と同じような人生なんですよ。
違うのは、
哲学の才能があるかないかで、
あとは同じなんだよな。
かなりのね、
家がね、
キリスト教の厳しい家で、
この人も小さい頃から
どっぷり使ってて、
かなりの熱狂的な信者で、
でも、
ある時、反抗するというかね、
あるあるなのかな、
そういう宗教二世の、
どっぷり宗教に使ってたからこそ、
矛盾点が分かったりね、
反抗したくなるみたいな。
それで、神は死んだっていう
哲学を唱えるというかね、
神様なんかいないし、
生きてる意味なんかないですよってことを、
っていう世の中の真理を
言ってしまうわけですね。
で、
超人論とかね、
超人だっけなっていう、
何かっていうと、
2ヒリズムを超えて、
生きることができると。
こと言って別に人生に意味を感じる
っていうのとは違って、
その人はね、
この世界っていうのは、
何度も繰り返してるのだと。
できてはなくなって、
で、また、
1から、
映画をね、最初から再生するように。
で、それでも、
2、
生きれるとすれば、
それは超人だと。
でもね、
ニーチェの言ってることを
研究してる学者さんなんかも、
それは可能性としては低いと
言ってる話を聞いたことあるんだけども、
あくまでもニーチェはそういう例えですよね。
例えでそう言って。
あとね、前のエピソードで、
あいつの話を思い出しました。
不完全生定理の人ですね。
それを
研究した数学者の人が、
神はいないってことを
証明してしまうわけだけども、
でも、それで逃亡主張者になって、
で、山ん中で、
神は、
神はでもいるって、
もう頭おかしくなって言い始めて、
で、最後、
それで死んだ。
まあ、亡くなってしまうんだけども、
頭おかしくなってね。
でも、神はいるって
言ってたと言われてるんだけども、
それが違うんだっけな。
まあ、とにかくいずれにせよね。
逃亡主張者になって、ちょっと頭おかしくなって、
もう、
確かね、なんかもう、
自分でもわけわかんなくなって、
神はいるだかなんだか、
それも理性的に
そう言ってるんじゃなくて、
何か根拠があって言ってるわけじゃなくて、
もうよくわかんなくて、そういう風に、
なんか最後になったみたいですね。
まあ、だから、
39:00
それ聞いてね、
ああ、これは多くの人にとって
恐怖になるんじゃないかなと思って。
そうやってね、不完全正定理を
証明した人でさえ、
やっぱり神様に
縋っちゃうわけですよ。
でも、本人がわかってるわけですね、一番ね。
もう神様はいないと証明して
しまってるんだと。
わかってるのに、そう本人がでさえ、
で、不完全正定理ってものが
どういうものか、
もう深くわかってる本人でさえ
信じてしまうという神様を。
自爆法、宗教辞めて
10年以上、
1回だけ戻ろうかと
考えたことがあるんだけども、
スイスの自殺
報助団体みたいな、
スイスは違法なんで、
自殺報助するのは、
みたいな団体、ちょっと違いが
忘れたけども、
で、広報な団体で、
自殺ミスしてるんだよ、
自分は。
本気でそこに登録して、
もし受かったら、
受かったらっていうかね、登録はしたんだけども、
それで、その団体の
予約を取れるとなれば、
本気で行こうと思ってたんで、
自殺ミスと何ら変わんないんだけども、
自殺ミスって自分で死のうとして、
でも、現在生きてる人ですよね。
で、そうした人と同じことなんですよ。
本気で死のうと思ったけども、
でも死ねなかったと。
同じことですよね。
他の人ならあり得ないんだろうけども、
本当に、そこに、
自殺ミスに行こうと思ってたわけですから。
普通の生活は、
それまで通りしてたとはいえね。
逆に言うと、だからこそ、
3ヶ月後には、
もうね、生きてないんだろうし、
そうあってほしいし、
そうなると信じてるしね。
無理かもしれないとは思わないで、
本気で、
ただただ、受かることだけ考えて、
やってたんでね。
これが受験生であれば超優秀なんだろうけども。
落ちるなんてことは一切考えてないわけだから。
だからね、
そんな状況だから、
もう、生きた心地しないし、
でもその中でね、
それまでのルーティンを曲げずに、
生きてこれたのは、まあ、褒めてあげたいけれども、
普通ならね、
もう残り人生、あと少しだし、
最後どうなってもいいんだって自暴自棄になったりね。
あるいは、やっぱりでもな、
それね、受かればね、
いいけれども、まあ受かる確率は、
どの程度あるのか分かんないし、
自分はどの程度あるか分かんないなんて思ってませんよ。
100%受かると思ってるし。
とはいえ、
感情的になって不安になったりもするわけですよ。
で、自分も実際ね、思ったし、
あの、
揺らぎはするわけですよ。
不安なものが出てくるし、
親も若いわけじゃないからね、
そんなチャンスもないし、
もし彗星に行く前に何かあったらどうなる、
どうしようとか、
このチャンスをつかめなかったらどうしようとか、
お金がなくなったらどうしよう、
いろいろ不安はあったけども、
そのあたりはそのあたりでね、
じゃあ自暴自棄になるのなんてありえないし、
逆にね、
今まで通り、
もし彗星に行けないってなったときのことを
42:00
考えたら、
じゃあね、
行く前提で生きてるんで、
いつも通り本当に
生きているのだろうかって、
また脅迫性障害みたいなところも、
出てくる、
出てきてはいないんだけども、
そういうもうね、
本当にもう精神状態はもう、
もうなんていうのかな、
乱れる、たいけども乱れることもできないみたいな、
もう、
何が起きてるのか分かんない、
パラドックスなのか、
もう軸が歪んでるのか歪んでないのか
もう分かんないよな、
もう説明しててもよく分かんなくなってきたけども、
そのときはね、
宗教にすがる思いが出てきたんだよね、
でもそれ以降はないですね、
だし死後の世界を信じたり、
神様を信じたりっていうのは、
一切ないですね、この10年は。
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