価値観の変化
最近ですね、価値観の変化っていうことにちょっと気になり始めて
で、最近もエピソード撮ったんですけど、その時はですね
二重人格と価値観の変化もあるから、そもそもストイックで自分が疑わしくなってくるみたいな話もしまして
今日は人間万事塞翁と価値観、両方について考えたらどうなのかという話になっております。では早速ですが
皆さんどうですか?人間万事塞翁と聞くと、失敗してもうまくいかなくても
この後どうなるかわかんないとか、うまくいっても 油断するなみたいな教訓だと思ってるかもしれないけど
まあそういった意味はないと思ってるんですよ
これの始まりはそんなことじゃないと思ってるし
まあでもこういうふうに捉えてしまうのが人間だったらわかるんだけど
だってよく考えてみてください
馬から落ちて 骨折って、で腐りにいけなくなって
その前にまずあれか馬が逃げるんだ でも他の馬だったか羊だったか引き連れてきて
いつも話してる通りクコなんてものは この空間に存在しなくて頭の中にあるだけだから
たられ場はたられ場でしかないんだわけですよ そういう世界線が別にあるわけでもないし
まあそうやって言うような 言う人がいるかもしれないけどそれはあくまでもフィクションですから
実際存在しないんですよ だからね
もし馬から、あーだから もしって言った時点であれなんだけど馬から
まあ 馬がどっかに
行っちゃったからも悲しいけど でもその後いいことがあったって言うけど
じゃあ馬がいたらいたで もっといいことがあったかもしれないし
でもこのままたられ場だから こんなこと考えてもしょうないんですよね
でもだとするとですよ馬が 逆に馬が
どっか行ってなかったらこんないいことがなかったと 捉えること自体もおかしいですよね
あくまでもその事実があるだけなんですよ でも今の文章自体が
おかしいってわかりますかね 馬が 今の話からすると
あくまでもあるのは事実としてあるのは馬がどっか行って引き連れてきた
だけど馬がどっか行ってなかったら こんないいことはなかったってたられ場でしかないんですよ
だから まあその後ね 引き連れてきて
その後でも馬から落ちてしまって っていうのも
悪いこと いいことがあったと思ったけど結局
そんな悪いことが
いいことがあったけどでも悪いことが起きて まあいいことだと思ってたけどもそれがな
もう一回落ちてなかったらこんな悪いことが起きてない っていうのもたられ場でしかないんですね
だから逆にいいことがあったから
逆にその悪いことも起きてしまった
っていうのもたられ場でしかないわけですよ だから人間ってそうやって別のね これをやってなかったらこうなってしまってたらっていう
別の世界線を想定してこの人に出会ってなかったら
こういう風になれなかったか言うけど その考え方ってそもそもおかしいんですね
人生の意味の探求
で まぁちょっと
話と趣旨がずれてしまいましたが どうですかね 最初
馬どっか行っちゃって 悪いことが起きても
その後 月連れてきたんだから
逆にいいことが起きた これだけ切り取って考えると
悪いことが起きた後に いいことが起きる
だから人生は丸い谷みたいな っていう捉え方もできるし悪いことが
起きていったとしても それは悪いこととは捉えられない
とは限らない これ皆さんどっちで捉えますかね
こうしたら正しいと思うんですよ 別に悪いことが起きて それは
その後 いいことが
起きる確率が 高くなるわけじゃないですからね
でもよく考えてみてください その後また悪いことが起きるわけですよ
馬から落ちてしまいますよね
だとすれば 最初は悪いことだと思ってた
けどもそれは 単純に悪いというふうに捉えることはできない
正確に言うとね 最初悪いことが起きて
でもその後いいことが起きて いいことが起きたと思ったらまた悪いことが起きて
悪いことが起きたらいいことが起きて
でもさっきの捉え方でいくと 悪いことだと思ったのが実は悪いことじゃなくて
でその後いいことだと思ったのがいいことじゃなくて っていうことなんですけど
まあだから こんなのね単なる
どうでもいい価値観によって 価値観で捉えること自体がどうでもいいって
いう教えだと思ってて 今回はの本題ですけどここからが
でもそもそも人間の価値観って変化するようなと思ってね
グラフィック最近もねあったんですよグラフィックがあの 何だったかな忘れたんだけど
その一つが ストイックにありすぎるのって
なんか意味感じられなくなったのと あとはね
食事中のことも話しましたね あと何だっけな
いやーそれでですね この人間に万事最大我慢の話でいくと
馬たくさん来てもね 別にその時点でどうでもいいんですよ
結局どう捉えるかっていう
話だからあの
まあ良いことだって捉えたら悪いことだって捉えたりそれが あとから振り返ってみて
1ヶ月後には馬なんて興味なくなってるかもしれない 必要でなくなってるかもしれない
これ価値観の問題じゃないかもしれないけどここまで
生活にかかることであれば まあだから小さいことであればあるほど
生活に密着しないことであればあるほど 本当価値観次第でね全然変わってくるわけですよ
だからさっきね良いことの後には悪いことが起きるだろう何だろう言ったけど そもそも
それ良いと捉えてるのは価値観であり その価値観が変わってしまったら
さらに話がややこしくなって そもそもそんな
というかまあそもそもがね 良い悪いと捉えるのってただの人間の価値観でしかないんですよ
なおかつこの話では まあ馬が
来たけれども馬から落ちたとか まあそういうこともあるって話ですけど
この2つのことを教えをブレンドしてみるとだからさっき言った 価値観がどうせ変化するんだから
良い悪いなんていうのは そんな
一時のものでしかないっていう 考えも合わせると
何が何だかこの話はわかんないですよね そういうことなんですよ人生振り
自分の人生も これが良いとか悪いとかって簡単に単純に言えるもんじゃないんですね
だから馬どっか行ってしまって別にそんな
別の人からしてもらってみたらどうでもいいかのことかもしれないし で馬をきっ連れてきてね
枕木だったらどう思うかというと まあうまくいかないときにまくいったなと思うんですよ
これでねまたね馬が大事な時だったらああいうラッキーと思うかもしれないけど
人によって全然捉え方違うとですね まあ別にいいんだけどまぁ来てくれたことに
まあいいことに欲したことがないって捉える人もいるかもしれないし
まあ頭を切り替えてせっかくこんな馬がたくさんいるんだな 使えない手はないなぁと思うかもしれないし
まあでも基本はね 馬がいなくなったのもどうも思わないし
馬がたくさん来たのもどうも思わないし で馬から落ちて
こんなたくさん馬来なければと思うかもしれない 相当運が悪く感じるかもしれないし
で戦争に行けなくなって 逆に悔しいかもしれないし嬉しいかもしれないし
だから今あることもこの
あの人と出会えたおかげで 自分は大学に受かることができたとか思ってても
そもそもね後で その人が嫌いになるかもしれないだとすれば
なんか大学も嫌いになるかもしれない あとは大学
受かるのなんて後から考えてみたらちっぽけなことに変わるかもしれない とすると人生振り返ってみてあれがあったからとか言ってもやっぱり意味がないんですね
それではしたっけ