人生の意味と死
どうせ人生は終わるんだから、今頑張っても意味ないとか、今死んでも同じだとか、そういう疑問を持っている人って多いと思うんですけど、これについての話になっております。
では早速ですが、倉木は以前話した通り、全く持ってくるわけもそう思うんだけど、
またふと疑問に思ったのが、そもそも意味なんて絶対人生に無いし、よく考える人が多いと思うのが、自分で意味を作っていく。
というので言うと、別に死んだらそれが帰結するわけじゃないと思うんですよ。結論が出る話じゃなくて。
一瞬一瞬に生きる意味って発生するわけだから、発生する要因っていうのがあるわけだから。
生きる意味、自分をマットすること自体がゾウの子の以前に、あれ、何と言おうとしたんだっけな。
詳しくは前回話しているのであれですけど。今回話したのはここから本題ですけど。
倉木はあまり理解できないけど、後世に自分がやってきたとは引き継がれるから、そうは思わないって考える人。
後世に引き継がれることを幸せ喜びと感じているなら、まだ勘違いだとしか思えないけど、
残念ながら都合のいい間違った論理だとしか思わないけど、それはそれでいいと思うんですよ、でも。
そういうふうに思って生きがいを感じているのであれば。
どうせ死ぬから、生きてても意味がないという人もいれば、後世にやってきたとは引き継がれるから、意味がないということはないじゃないか。
とは言えですよ。それと同じことなんだけど、人間というのはそうやって死を嫌いますから。
倉木の考えだと、スポーツ選手が少しでも長くいたいというのは同じことだと思うんだけど、スポーツ選手にとっては現役引退が死ですからね。
命に限ったことじゃないんだけど、人間はそういうのが耐えられないんでしょうね。
それを受けられなくて、古代文明の頃から、エジプトだとピラミッドを作ったり、日本だと古墳を作ったり、お墓を作ったり、現代でもしますよね。
子孫を残すというのも、他の動物は違うだろうけど、人間の場合はそういった理由もあるわけです。
後世に何かを引き継ぎたいという。そしたら自分が生きていることも無駄じゃないと思える。
これはね、本当に人間の、何としても生涯病死を受けられたくない、生きてやろうという、もう人間の業だとしか思わないけども。
後世への影響
しかも勘違いですよね。いくらお墓を作ろうが、命に限界はあるんですから。気まぐれにしかならない。気納めにしかならないわけですよ。
自分を慰める。一瞬慰めることにしかならないんですよね。他ならないわけです。
でも子孫を残すとか、これは古代文明の頃からやっている。お墓なんてみんな持っているわけだし。これぐらいならいいんですよ。
でもあまりにも執着する人っているわけですよ。
みんな共通しているのは、生きている間、これが残っていくという安心感を得られるだけで、実際はどうでしょうか。命が無くなったら。
例えば感謝をね、存続させることができた自分が、成功を込めて耕してきた自分の土地、農家を息子は続けてくれる。
でもね、いつまでも見届けられるわけじゃないわけですよ。
でも生きている間は、いつまでも見届けられて思ってしまう。
これは単なる幻想に過ぎないんですよね。
いつまでも自分は生きられるんだと思ってしまうんですよ、そういうことをすると。
でも残るのは会社が残るというだけ。その人は何の縁もなくなるわけですよ。
いい意味での勘違いでもある。
でも、死ぬ前、幸せに旅立ってくれるならそれでもいいけども。
でもね、子供に執着して、自分の夢を叶えさせるために無理やり嫌なことをやらせてとか。
そんなはた迷惑なことないですよ。
それではしたっけ。