優柔不断の心理的要因
倉木 凪です。 優柔不断な人がね
どんな気持ちでいるか、なかなか
わからないんじゃないかと思うんです。なんでかというと、優柔不断な 倉木でさ、優柔不断な人を見ていると
なんかもどかしいというかね、いや別に土地だって同じだろうと思っちゃうんですよ。 でも前、ある動画を見てて
ギターをどれにするか、2つの選択肢があって。 持ってはやめて、持ってはやめてってやってるんだけど
もうそこまで来たら、あとはもう運次第だって。見てたら、 まあ旗から見てたらね誰もがそう思うと思うんですけど
でもまあそんなことないんだっていう話なんですけど、今回の話は。
まあ 単純に考えるとね石橋を叩いて叩いて
単純にその一歩を踏み出すってないような状況。 だから清水の舞台から飛び降りる気持ちで
決断すれば、というかいずれ決断しなきゃいけない わけだからそれを自覚して
っていう風にそうすればいいんじゃないかと思いますよね。 でも今、それを
このことを考えて思ったのが
もっと根本的な次元でもっとね 常人にはちょっと理解できないレベルでの悩みだと思うんですよ
あとね悩むって これはもう動物にとってのねもう宿命ですから
他の動物も悩んで ストレスになることも、ものすごいストレス過多になることもありますし
となるとここまで 生き残ってこれた種、いろんな種はその
迷うっていうことがあるからこそ生き延びれているとも言えないわけでもないと思うんですけど
多分ね迷ってる間自体は問題なんだけどその迷うっていうその習性があることによって
何かを防げているあるいは
何かを可能にできていると考えるべきだと思いますね
そういう視点に立ってみると優柔不断になってしまうのも、まあ
なければない方がいいけれども そういう人が一定数いるのもしょうないなって分かってくると思うんですけど
そんなことが分かったところで優柔不断の人本音はね 周りの人に理解してもらえる程度で
でもね周りの人に理解してもらうっていうのはすごい大事だと思うんですけど それじゃないとなんでこの人こんな悩んでるだろうってなるでしょ
決断と人間の矛盾
でもね周りから優柔不断な人の気持ちってなかなかわかりにくいですよね
でねー 人間ってのはね誰でもそうだけど矛盾ってものを抱えてるんですよ
またその分かりやすい例として
受験に落ちた人 1週間も経てば忘れちゃうでしょ
あと 友達と喧嘩してね次の日には
普通に話してるじゃないですか子供だったら でこれを話しなきゃいけなかったんだあのね
考えれば考えるほど より正解に満ち着くなんて、たどり着くなんて思ってないし
そもそも正解なんてもないと思ってるし もうどっちがいいかなんて
大抵のものは
もう運次第だと思ってるしそんな暗き例さえね なぜかその時になったらそんなことを忘れ
迷ってしまうからこれもう 理屈云々じゃないんですねきっとね
本能的に迷ってしまうんですよ ってねー
時間制限があればもうパッと決めるけどね 案外ね優柔不断の人ってね
時間制限を設けてあげるとパッと 諦めつけて決まる人あるいは
0か100だからねもうねそういう人って 逆にもう無頓着になってパッと決めて決めてしまうっていう人もいるだろうけど
で 時間をかければかけるほど正解に近づくとは思わないけど
かといって早く決めなきゃいけない っていうわけでない場合
やっぱりなんだかんだ考えちゃうんですね 早く決めるってことに意味を感じないから
で時間をかける しかないんですよねそういう時はねもうね
自然とそうなってしまうんですよ 秋読みの舞台から飛び降りる
覚悟でね パッと決めちゃった方がいいのかとも思うけど
でもねある意味ではその
なんていうかな 思い切りが大事だと言えるような
そんな単純なことがあってねこういう場合 決めれない場合
とも思うし
結局どれが正解なわけでもね だとしたらじゃあ
悩んでもいいだろうってなっちゃうんですよ
なんか悩むことによって 安心したいんだろうねそれで安心できる
できるんでしょうね
なんだろうそういう
習慣になっちゃってんだろうね だから悩まないで決めちゃうとなんか失敗そうな気がしちゃうから
だからこれ感情の問題なんですよねだからね 決してその悩んだことによって
うまくいったっていう経験が多いわけじゃないんだけど 逆に直感でやった方がうまくいった経験の方が多いんだけど
語弊を恐れずに言うと悩んでる時間が好きというかね その失敗しても成功しても
そんな 結果的なことよりも
まだ悩んでる時がまだ まだ花だというかね
悩めてる時まだ花だという 感じもしないでもないし
っていうところなのかなぁ説明するとしたら 明らかなエピソードを聞いてくれてる人はわかると思うけど日々いろんなことに悩んで
きましたよ 小さなことから大きなことまで
でも小さなことが小さなことだと自覚できないから 大きなことと同じように悩んでしまうんですよ
最近だとね まあ暇つぶしどうするか
youtube を見るのか それとも何か新しいものを見つけようとした方がいいのか
それで倉木もねー 悩むのは嫌なんでっていうかもう悩んだらもう頭痛くなるんで
ポッドキャストに宣言してどんどん選択肢を狭めるって 方法を身につきましたね
これはまあ優柔不断の人の 共通した思考回路だろうけど
まあAとBはただしてね AとBで 悩んでるって感じじゃないと思うんですけどそういう
単純にその
そういう悩みだとしたらいやそういう悩みなんだけど でも単純にAとBで悩んでるって本人も分かってるようだったら
どっちか決めしかないってなるんだろうけど AとBで悩んでる場合
さっき二重人格の話
しましたよね あれしなかったっけなさっき
いやあの
あー矛盾を抱えてるってとこの話ですね 二重人格的なことなんですよねだから
暗く言えばそれがねもう顕著なんだけど 顕著の形で現れてしまうんだけど
人間に矛盾なんてものはなかったら まあすんなりねAかBかどっちかで決めようってなるんだけど
ある感情の時はAが いいと思ってある感情の時はBがいいと思って
だからねAとBで悩んでるって感じじゃないんですよね 自分の中のある二つの人格が共存してて
でそれぞれでAがいいBがいいって言ってるような状態 だから
誰かと誰かが議論してるような状況なんですよだから ある人は絶対こっちだある人はこっちだつって
だってそうでしょだって
それでなんとかどっちかがすぐ引き下がってくれるだったら 戦争なんかもう得意なくなってますよね
それではしたっけ