自己矛盾の重要性
最近ですね、どこかのエピソードで
今回の話に通じる自己矛盾の話はしたんですけど
色々気づいたことがまたあったので、お直ししていきたいんですが
人間って生きてる時に
こういう感覚になるってことは
誰でもあると思うんですよ
思っていたよりちょっと説明が難しくなりそうなんだけど
120%の力を出そうとか
逆に今は80%で蓄えとこうとか
でもね、それだけじゃなくて
まあまあいいのかな、それで
今の話、大体のことは今の説明でつくと思うんだけど
説明つくと思うんですけど
さっき言ったね、最近のエピソードでは
そういう時って
どっちかを取るしかないですよね
AとB2つがあったとして
Aの方に比重を置く必要があるかもしれない
Bの方かもしれない
ちょっとわかりづらいかな
簡単に言っちゃうと自転車漕いでて
安全面を気にしたら
スピードあまり出せないかもしれない
スピード出したら安全面は大ざなりになってしまうとか
あとは
何かをやってる時に
他のこと
何か注意することあったかなということに
意識が少しでもいけば間違いなく
目の前のことに集中できなくなるし
かといって
あらゆる考えを遮断して
目の前のことに没頭するのであれば
集中はできるんだけど
リスクはその分ある
わけですよ
最近のエピソードで話したのは
ざっくり言うと
両輪があるから
両輪って言うと言い方違うかな
2つの中で
悪く捉えると板挟みになってるけど
でもこの2つがあるからこそ
バランスを取ろうと人間はできる
片方一方ではそのまま
突っ走ってしまう
問題が起きてしまう
起きる前に気づくはずなのに
起きてしまうっていう話をしたり
したのかな
選択のプロセス
またそのことで
まず一つ目ですが人間って
頭の中に2つのことがあったらね
それこそ迷って生きることができないくらい
羊なんか
ヤギだっけな
目の前に2つのまったく同じ道があって
餌がどっちにもあって
同じような道で同じ餌だと
ストレスで死んでしまうっていう話だったんだけど
人間もね
常に
っていうか大人の時間
こうやって両者で迷ってたら
とてもとても生きられないから
自分がやってるとき
どうしても
もう一つの大事にすべきことを
忘れるようにできてるのかなと思ったんですよね
で後から振り返ってみたら
おかしな話で
両方大事にすること
2つ大事にすることがあったら
どっち大事にすればいいんだ
辛いことや
やっぱり
一番大事にしようと思ったら
やっぱり
一番大事にすること
そういうのって
僕ら気が重いには
毎回毎回じゃないけど
覚悟を決めて
でまた切り替えてってやると思うんですよ
だからそれをやってる時に
もう片方の方は忘れてしまう
さっきの例えで言うと
ちょっと他のこと犠牲にしても120%の力を出そうと
してる時もあればいやこれじゃいけないと思って
もう片方の方を大切にして
つまり今のやつは80%にすると
いうことをしてるわけですね
で前回その話したのはね
人間ってその完璧じゃないから
こそつまり今の例で言うと
何かが120%になれば
何かは犠牲にしなきゃいけないわけですよね
でも全部完璧になんていうふうにはなんないんですよ
っていうことをなかなか受けられなくて
Aを選んでたけど時にはBに行ったり
でBに行ってたけどAに行ったり
そんなことしてバランスを取ってるって言ってたけど
そういったことが理由にありますね
理由の一つとしてありますね
一体的にそれをやってる最中は
例えば自転車越えてる時
安全なことあんまり気にしなくても
それをやってる最中は
迷いなんか生じないようにできてるんですね
うまくできてますね
でもそれだけだと安全なことを
一生考えなくなる
人間の生き方
そんなことはないですよね
でうまくバランスを取ってやってるわけですよ
でも一応言いますけど
安全とスピードと
一秒きりどっちにしよう
どっちにしようとか悩まないですよね
うまくできてますよね
ある程度はスピード出して
でしばらく経ったら
ああそうだ安全ってことも考えなきゃいけないな
とかそういう叱るべき時に
安全ってことを思い出したりしますよね
人と話す時なんかもこれ上手にできてると思います
これは倉木がね
人間ってものを頭で考えて捉えた結果でしかないんだけど
相手の話を聞くで大切にしたり
自分でボディランゲージも使って
しっかり相手に伝えるってことも大事にして
その時その時
その人がコミュニケーションにおいて大切にすることも変わるだろうし
あとはあんまり怒らないようにしようっていう
あとは働かす方もいるだろうし
でも常にその3つ4つ5つ6つを
同時並行でやってるっていう感覚ではないですよね
うまくバランス取ってるんですよね人間って
一応説明しとくと
かといってじゃあ一つのことを大事にしてる時
さっきの自転車の例でいくと
安全のことはもうゼロになるかというと
そういうことではないんですけどね
ただやっぱりある程度犠牲になってる
スピードを出して意識を働けばね
スピードも出すし
しかも安全もどっちも
より大事にしようってのは無理なんですね
だからこの両者で
言ったり聞きたりを繰り返すんですよね
そういうことだと思います
矛盾については過去に何回か話したんで
そっちを聞いてもらえればと思うんですけど
自分の矛盾ってことについては考えてきましたね
まあそれでそれも織り混ぜて話しますと
AとBの両者で板挟みになってることにも気づかず
うまくバランス取って生きてるわけですけど
そこで板挟みになってると自覚があった場合
もう潔く諦めて
片方は犠牲になるんだと
心構えでやることが何より大事なんですね
そこで迷わないことが大事なんですね
これは絶対迷っちゃいけないんですね
迷う癖をつけてはいけないんですよ
すごいストレスになるし
時間の無駄だし
普通はそういうことないですから自転車越えててね
今スピード出したいけど安全も考えなきゃいけないんだなんて
普通は思わないですよね
上司に怒られてる時
とにかく謝ることで頭いっぱいでしょ
その時に
でも
早くは言い返してやりたいなって思わないですよね普通
それでいいんですよ
どっちかにしなきゃいけないんですね
中にはね
同時変更で何かできる人も
ごく稀にはいますけど
そういう例外については今回は考えないですけど
でもひねくな
もので
例えば自転車越えてる時もスピードも安全も
20点起きるような
存在でしたら
こんな事例も生じないんだろうけど
それが無理だから
なのか
無理と捉えて
でもいいのかな
あえてそうしてるようなところも
そうしてるっていうか
だからこそ生きることができている
人類はここまで続いてきた
とも言えなくもないと思うんですよね
それはもっと根本的な生物学的なことになるから
それでね
無理
AとB両方大事にするのは無理だと
その結果
でもどっちも大切に
しなければいけないのはわかってるから
時にはAということに集中して
でもそのままでいいとは絶対ならないですね
その不十分である
自分に対して不十分であるという自覚と
不十分ってものは人間嫌いですからね不完全なもの
それが相まってBに打てるか悪いかという思考回路なんですね
それではしたっけ