教育制度についての考察
今回は哲学雑談ぐらいですが、話を行きたいと思います。
まず一つ目の話ですが、これから大学まで義務教育にしたらどうかってね、
ちょっと最近思いまして。
そもそも、学校になって、子供が変な方向に興味を逸れるのがすぐ要因にしかならないと思ってて、
学校なんてそもそもいらないと考えないんだけど、
しかも勉強も無駄な知識を入れるだけだと思ってるんですけど、
一応現実的に考えて学校はいいんだけど、
ただ大学まで義務教育だとすると、それは税金かかりますよね、当然。
だから、倉木がいつも言ってる。
ベビーシッターを雇って、責任つかない生徒は怒って、
これ、中学校も高校も同じですよ。
で、あとは予備校の先生の事件、映像を流せばいいんですよ。
これも大学も同じですよ。
で、なんで大学まで義務教育にした方がいいかと思うかっていうと、
そもそも高校はみんな行くようなもんだから、
あんまり変わんないかもしれないけど、
中卒で就職できないっていう人が減るだろうし、
不登校だろうが、中卒にはならないわけでしょ。
あと、どうせ日本人は大学に入っても、
だからこそ仕組み変えてね、義務教育にして、
受験で寒電燃焼しちゃって遊んでるような部分もあるから。
小中高大と同じように、
コンスタント勉強していくような形で、
大学に入って、大学に入って、
同じようにコンスタント勉強していくような形で。
大学でも同じでいいんですよ。
よい子の先生の授業で。
倉木は大学に行ってないけど、
さっき勉強も無駄だとは言ったけど、
大学までそうやって義務教育にするのもいいんじゃないかなと思ったんですよ。
生きる意味と哲学
では次。
あと、生きる意味ってことについて考えるときに、
人生に意味なんかないから、
自分で見出すんだっていう人と、
自分で人生に意味があると思っている人。
前者は宗教的な概念がそもそもしっかりあって、
後者は宗教的概念なんで、
その人にはないことすらでね、
もう意識してないよちょっと。
生まれてこの方、そんなものないと思ってる。
日本だと無宗教だから、自分はあり得るんですよ。
だから、こうやって聞いてくる人はどういう意味で、
生きる意味があるとかないとかに悩んでいるのか、
わかんないで話している場合ってね、
まあまああることだと思っていて。
根本的にだから、この両者違うってことですね。
だから、宗教的な価値観を持っている人からしてみたら、
人生の意味なんてないから、
自分で見出せばいいっていう発想、
よくわかんないだろうし、
何でかっていうと、どこかにあるもんだと思ってるから。
プラトンっていう哲学者の言うイデアですね。
後者はそもそもそんなものの発想がないわけだから。
落とし所なんてあるはずがないんですよね。
折り合いをつけることができないわけです。
幸せの壊れやすさ
次の話ですが、作るのと壊すのどっちが簡単か。
まあ、自分が作った習慣、
これは作るのも大変だけど、
これは壊すのは簡単だけど、壊したときに慣れるのが大変って意味では。
あと人間関係で言うと、
壊すの方が圧倒的に簡単でしょうね。
壊したときの代償は大きいけども。
あと建物なんかもね、壊すのって実はすごいお金かかったり、
まあそれで大変、
安心して壊すのが大変だったり、
壊した時の代償は大きいけど、
まあそれで大変な被害が出たり、
まあなかなか大変なことがあるんですよね。
では次。呪いは効くか。
まあこれはね、オカルトなんで、クラキは。
信じてないんだけど、ただ、
まあ気候と同じで、
呪われた人が、
この人は呪ってるっていう風に思って、
たまたまそれが時期が同じだったり、
あと呪ってるということをなんとなく察知して、
そうすると、
その人の精神状態とか行動ってぎこちなくなりますからね。
それで心身に負傷を起こす。
まあ相関関係が、
因果関係は全くないかというと、
十分ありますよね。
そういう意味では占いは、
違う、呪いっていうのは効果はあるんじゃないかなと思います。
では次。
無償の善意、これは絶対ないと思いますね。
絶対何か報酬だったり、
その人のために何かをやることによって、
人間はオキシトシンという脳内物質が出ることも分かってますし、
だから親が子供のために何かやるとかもそうだけど、
だって親が子供のためにね、
ミルクあげようが、おむつ買いようが、
それ無償の愛って言わないですよね。
言う場合もあるかもしれないけど、
そんな崇高なことではないですよ。
だから無償の愛っていうのは絶対に生きてる限り、
生きてる間、煩悩が絶対無くならないってことと同じで。
では次の話ですが、
こういう疑問を持ったことで荒らしていると思うんですけど、
仏陀が言っているのは執着するなってこと。
だけども、仏陀の教えをいただいて、
お弟子さんでですよ、現代人でもいいんだけど、
教えも学んで、
苦しみを受け継いで、
結局執着しちゃうじゃないかと疑問を持つ人もいるんだけど、
倉木も全く持ってその通りだと思いますね。
当時お弟子さんもどうだったかわからないけど、
今の修行僧のほとんどはそうだと思います。
では次の質問です。
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
お父さんは、
無くなっているように見えても、例えば
人間の体も、土になり
その後、川になりで蒸発してっていうことですよね
それと仏教によっては
それと
それを輪廻転生と呼んじゃったりするわけですけど
でも世間の人は絶対勘違いしますよね
世間の人は思っている輪廻転生って
別の体にまた魂が乗り移ってみたいなイメージでしょ
この時点で勘違いされてしまうし
実際
世間の人の中にも
そうやって万物は
有から無になったりしないから
でもそれは体の話であって
輪廻転生とは全く話が変わるわけだし
でも全然そういうことはあると思いますよ
逆にこの原理を分かっていなくて
という人もいるらしい
性格が悪い人と一緒にいたら
性格の悪さが映るのか
人間だからそれは映るでしょうね
人間にはミラーニューロンってあって
頭の中で人の動きを自分の中でシミュレーションしている
だから人間で共感能力があるのもこのミラーニューロンが
一つの
要素でもあるし
見て学んでしまう
なんか人との動きがね
あとは
関西弁の友達がいたら関西弁に乗り移るのと同じで
どうしても映るんだけども
まあ本当に影響を受けやすい人は影響を受けるだろうし
ただその程度の性格の悪さって
映ってもあまり問題ないんですね
その人の口が悪いとこ映ったって
また品の良い人と関わってたらすぐ治りますから
生まれ育ったとこで身につけた方言がね
3ヶ月も経てばなくなってしまうのと同じことですね
ただ反面教師でその人の
絶対同じようにやりたくないと思っているら
乗り移らないだろうし
乗り移らないというかその行動を移らないだろうし
次
人間が文明をここまで発展させられたのは何故か
これだけ言語だと思いますね
言語屋ができたから発達したから
だから科学の基本は数学ですけど
数学だって基本言語ですからね
言語を使わせる部分が発達していなかったら
あと言語屋とあと論理的思考とか
サイエンスも生まれてないですし
言語は科学技術もないわけですし
あとは共感能力なんかよりも
論理的思考力が得意な理系人間みたいなのが
人類には存在するからですね
では次幸せというのは何故すぐ壊れてしまうのか
という話なんですが
まずは不快感は続けた
快感は続かないからですね
あと幸せを手に入れた瞬間
より強い幸せを願うから
というのもあるでしょうね
あとは物事が変化するから
というのもあるだろうし
人間は幸せというものを認識しづらいのかな
どうなんだろう
逆にすぐ壊れてくれた方がいいような気もするんだけど
それでもう完全燃焼しちゃわないから
幸せの定義にもよるけど
結婚してもすぐ仲が悪くなる
それでも幸せだと言えれば幸せだろうし
仲が悪くなること自体は幸せじゃないというのであれば
何かしらの理由を見つければいいだけであって
この問いに対して
そんな
人間は飽きが来るということですよね
あとそれは悪い習慣があれば
愛想疲れるというこれだけのことですよ
それではした