00:00
時は静かに流れ続けていた。その途中で、スマホの充電が97%で止まっていた。
それは記録されることもないはずの小さな揺らぎだった。
けれど、この番組はそういう揺らぎだけを集めている。
夜とっております。まず今日気づいたことを話していきますが、
まず意味って3種類あるんですよね。人生の意味とか、あと救いとか、あとは成功とか、
これも意味なんですよね。成功だとか、そういう価値判断をすることですね。
あともう一つは因果関係。これはこういうことがあったおかげでこうなったみたいなことですね。
自分はいずれも幻想でしかないっていうふうに日常で処理してるんですけど、
ただですね、そもそもなんでこれを幻想として全く受け付けないかというと、
そういうものを持ってしまうと、自分の場合その反動が大きいからなんですよね。
単純に自分が生きるために必要な条件ってものに絞っていった結果、そういうものは削られたってことですね。
でですね、前から薄々気づいたんですけど、自分って多分思い込みやすいんですよ。
だからですね、もしかしたら催眠にもかかりやすいかもしれないし、だからこそ物語だとか、
もっと工技で言うと何かを思い描くこと、イマジネーションを働かせること、広い意味ではそういうことになりますね。
それ自体が自分にものすごく影響を与えてしまうんですよ。
だから物語を描いたら、例えばあの人のおかげでこうなれたとか、これをやればうまくいくとか、
これが本物である、真理であるとか、そういうものを持ってしまうことによって問題になる。
でですね、今番組説明について考えてて、自分っていうこととか、
03:01
ポッドキャストについても非常に考えさせられてるんですけど、
まず最近付け加えようとしたこととしてですね、絶対っていうのは人間が作り出したモデルでしかないと。
人間はただ定義付けして、モデルにしか過ぎないということを盛り込みたいんだけど、
ただそういった話をしてるわけじゃないですよね、あくまでも。
それを背景として話してるわけですよね。
あとはですね、意味っていうのは意味が広すぎるんですよ。
そのうちのすべてを否定してるわけじゃないし、すべてが幻想なわけじゃないし、
どうお伝えしたらいいかって前から考えてるんですけど、意味体系と言ったらいいのか。
やっといい表現が見つかってですね、意味っていうのは結局は事実に後から尽きられる。
後付けの物語家なんですよね。
普通ね、日ごろ人間っていうのは後から理由付けしてるんですよ。
意識がやってることって準備じゃなくて後付けで理由を付けてるだけ。
人生全体においてもそうですね。
あの人のおかげでこうなれたとか、あの時宗教に出会えてよかったとか、
あの時あの選択を選んでよかったとか、そうやって後付けの理由をするんですよ。
しかもその時によって後付けの理由がコロコロ変わるのが人間ですけど。
だから人間版自体が生まれてそういうことじゃないですか。
そういう意味と理解してる人ってあんまりいないと思うけど。
別にマウントを取ってるわけじゃなくてですね。
あれの意味を真摯に誠実に受け入れてる人ってあんまりいないんじゃないかなと思っています。
あとですね、規律とか日本語だと規律になっちゃうんだけどそれだと
違うし、手順っていうとルーティンだけになる。
でももっと滝に渡るルールだとか、もっと細かいことなんですよ、全てにおいて。
それでですね、それを何と表現するか、これも悩んできましたけど。
結局残った条件なんですよね。
06:00
自分がこうやって稼働できる残った条件を採用して使ってるんですよね。
あと宗教でいた機関のこともどう伝えるか、入れないほうがいいのか。
これも今で悩んできました。
重くなってはいけないし、だけど説得力を持たせて。
やっぱり意味という疑惑を飲んできた。
言った方が説得力は増すと思うんですよ。
人生に意味はないと言ったところで、普通の人が言ったところで説得力ないですよね。
でも宗教自体のことを何と言うか、これも悩んできました。
意味というもの、意味という構造を凝視してきたとも言えるし、
以前は熱心ではあるんだけど意味を無意識に拒絶反応するような体質だったとも言えるし、
だからこそ盲信しないで意味とは何なのか見てくれたんですよ。
さっき言った生きていくための条件、自分が生活して何と言えばいいか、
崩壊せずに済むための条件っていうのは滝に渡るんですけど、
もしこれがなかったらってちょっと今日、これがなかった世界線を想像してみたんですね。
まずはですね、全くこの条件をすべて除去している状態。
あとは多分寝たきりが、ただこれ足られ場なんで、結局自分のDNAからしてそうはならないのか。
だとすれば、規律によって崩壊しないというか逆説的ですけど、
崩壊できないようにできているとも言えるかもしれないですよね。
その結果、この規律とか手順、ルーティンができたとも言えるし、
人間って不思議な構造をしてますよ、だから。
いくらでも理由づけはできるんだけど、そこの因果関係ってよくわからないもんで。
あとはですね、何かに集中する。
確かに今やってるこのルーティンも毎日やってることで集中して、
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ただですね、違うのは何かどっかに向かってやってるとか、成長するためとか、目的意識、使命感じゃないんですよ。
あくまで崩れないために必要なものだったんですね。
意欲的に何か目標を持って、何かすごい勉強したり、計画立てて何かをやるとか、
効率的に、合理的に、短期集中で何かを目指して、
がむしゃらに何かやるっていうことをしたらどうなるかって言うと、高校生時代みたいなぶっ壊れ方をすると思いますね。
病んでしまうでしょうね。
次の話ですが、まずですね、
今日あったことですけど、まずは隣の娘さんは絶対隣には誰がいるか聞くと思うんですよ。
絶対隣の家の人は自分がいないことにした方が都合がいいですから。
だから自分の存在はきっと消されてるんだろうなと思ったら悲しくなってきてですね。
家にいると言われてもそれはそれで嫌だし、わからないですけど、何と伝えてるか。
野木坂の情報を知りたくて、アドバイスサイトやってた時もそうだし、それ以後も非常に嫌な思いしてきてるんで、
見てですね、嫌な思いしてきてるんで、見ないようにしてはいたんだけど、やっぱり最新の情報そこからしか入手できないし、
またこれでも悩み始めてるし、あとは最近はですね、せっかちすぎて、英語会今日はですね、昼食の後、
暖かくなってきたからということをいいことにとって、いつもと姿勢が違うからお腹壊さないか心配で、
それで大変なことになったことありましたよね。昼食後いつも座るんだけど立ってて、午後の間もう地獄というか激痛だったんですよ、それだけで。
次の話ですが、いや、誠実な人を見ると感心してしまうんですよね。
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自分はポッドキャストに関してだけは誠実でありたいと思うんですけど、自分は誠実な人間だとはあまり思わなくて、
侍と自分とすごい似てるんですけど、忠誠心みたいなものは全くないと思うしですね。
自分はなんでここの誠実じゃないかというと、道徳心っていうのがないと思ったんですね。
なんで道徳心がないかというと、ある哲学者も全く同じことを言ってるんですけど、
自分は道徳心ってですね、弱い立場にある人が、自分は道徳心があるからこれでいいんだと思う。
逃げ道というか、言い訳というかでしかないと思ってて。
例えば自分は貧乏だけれども、でも金持ちの人は道徳心に書いてるから、
でも自分たちは成功に対して悪い欲みたいなものがないから、だから素晴らしいんだみたいなふうに使える道具にしか過ぎないと思ってるからですね。
それが物心ついてから徐々にわかってたんですよ、たぶん。
ではちょっとすぐ次いきますけど、人生つらいことあるけど、でも楽しいことあるんだから素晴らしいんだっていう人理解できないんですよ。
いやつらいこともあるんだからプラマイゼロじゃないのかなと思うんですけど。
5秒前に言ったこと忘れちゃってるんですかね。つらいことあるって言っときながら、でも楽しいことあるんだから人生は素晴らしいものだって。
全く理解できないです。
あとですね、つらいことあると最初言っときながら、まるで人生100%楽しいことだっていうような表現をする人いるんですよ。
表現だけの問題なのかもしれないけど、それにしてもちょっとひどいなと思うんですよね。
そんなわけないだろうと思うし、ポジティブに捉えたらその人にとってはそうなると言いたいんだろうけど、
人生こうやって毎日朝から夜まで全て輝いて自分は楽しんだみたいな、
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それはちょっと、それこそ人間万事才能がうまいっていうことの教えをもうちょっと理解した方がいいのか。
ただ、そうやって人に対して人生ってものを語るときに過去の良い部分だけ思い起こされてしまうのかもしれないですけど。
だからその人も同じようにつらい思いをしてるわけですよ。
何でかというと動物なんだから。
あと将来が希望だけの人っていうのも理解できないです。
ただ自分はですね、医学部目指してたときは大学に対して希望しかなかったですね。
それは小中高等、地獄だったからっていうのもあるかもしれない。
大学にやっぱり希望という幻想を持ってましたね。
実際どうなるかわかんないのに。
多分大学で相当つらい思いしてただろうし、もし行ってたとしたら。
不思議です。だから自分も同じように希望だけだったんですよ。
ただもちろん人生そんなことはないし、希望はあくまでも頭の中のものでしかないし、それはわかってはいるんですよ。
それ前提で大学に対しては希望的観測として、大学っていうのは
他の人が思うような遊べるし楽しいし、ゆかざしみたいなイメージじゃなくて、
たくさん医学の勉強できたり、研究できたり、充実できるんじゃないかっていうことですね。
恋愛だとか遊ぶとかそんなことは頭の中にはなかったけど、
そうやって充実して勉強できるってことだけでも自分としては希望だったんですよ。
なんででしょうね、希望だけの人っておかしいと思うんですよ。
50-50であるべきだったと思うんですよ、絶望。
絶望までしなくていいけど、希望の反対の意味で言うと。
だからいいことも悪いこともあるっていうくらいの理解でいいと思うんですけど。
それはわかった上で、大学っていう期間に関しては割と希望的に見ていた。
まあいいや、では次の話に行きますが。
またですね、親が電話してて、トイレ流してないんですよ。
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後から流しに行ったけど、その後トイレ行けないじゃないですか。
しかもまたその後手洗わないでコップ触ってる音聞こえた。
手洗ったのかもしれないけど、時間的に短かったような気がするんですよ。
この前、母親に行ったばっかりなんですけどね、ちゃんと見てくれていると思うんですけど。
これは一昨日のことなんですけど、本当は着替えたかったんですけど、買い物行くってことで着替えれなくて。
ちょうどその日も寝れて、いつものルーティンでなくてよくて、ただ親の用事があって結局着替えれたんですよ。
なんとも運が悪いなと思いました。
しかもやっぱりその日着替えたかったんですよね。
でも着替える日は本当にすごい悩みます。どうするか。
昨日も悩みましたね、結局着替えたんですけど。
ルーティンが崩れるんで、いろんな意味合いで勘案しなきゃいけないんですよ。
あとゴミがですね、ソファーの上に置いてあって、こういうとこに人間って現れると思うんですよ。
人のことを軽く見てるってわかりますよね。
かと思ったらまた今度は、これ母親でした。
結構あるんですよ、こういうことは。
その時はあまりなんとも思わなかったけど、やっぱり多すぎますね、こういうことは。
あとですね、エンターテイメントをやってる人ってさ、やっぱり一生懸命やりますよね。
歌手でも一生懸命、ライブ後半きついだらけで一生懸命歌ってるなとか、わかるわけですよ。
芸能人は今、スタジオの人座ってて疲れてるだろうなとか、疲れてる表情してるなとか、わかるんですね。
でですね、なんか違和感を感じてたんですね。
人間の構造上、これはしょうがないんだけれども、最初は楽しくやってても途中からやっぱり体ってものがありますから、
疲労がつきまとうし、不快な感情にもなるし、汗だってかくし熱くもなるし。
かついって歌うたってる時、途中から止めるわけでもいかないし、人間の構造上しょうがないんでしょうけど、なんか違和感があって。
エンターテイメントやってる人が、なんか衝動とか、爆発的なエネルギーみたいな、それに近い表現したいっていうものではなくて、
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一生懸命頑張って歌うっていう精神でやるのってなんか違和感があって、しょうがないんですけど。
かといってですね、理性なんかぶっ壊して、やりたいようにやってちゃそれはエンタメも成り立たないんですよね。
人間って難しいですね。
しかも自分の場合は、他の人はやりたいことだけやっててもあれだし、やりたくないことだけやるわけにもいかないし、バランス取るんだろうけど。
自分の場合はさらに他の人とは違った意味でのバランスの取り方なんですよね。
他の人と同じようなバランスの取り方できないんですよ。
うまくやりたいことやるんだけど、やりたくないこともやってっていう感じではないんですよ。
いずれかしかできないんですよね。
だから例えば進路探す時も、本当に自分がやりたいこと、しかも快楽とか娯楽とか好きなこととかいう意味じゃなくて、
例えば研究をやりたかったらずっと研究をしてられる仕事をやりたいし、なんかそのバランスを取れないんですよ。
やりたくないこと?筋トレとか。
だったらもうそれだけやりたいし。
つまりやりたいことだけやるか、やりたくないことだけやるかが自分のやりたいことなんですよ。
あと最近また似てる曲があってですね。
似てる曲がありました。
似てる曲があるんだけど、曲名はもちろんわかんないし、したら親が思い出してずいぶん親がいい気になってるから、なんか悔しくてですね。
聞いたけど、親は全く似てるとは思わないみたいだし、記事でも全く出てこないんですよ。
しかもですね、今回の場合も間違いなく似てるんですよ。
多分影響を受けて書いてるなって感じなんだけど。
でもですね、世間の人が気づいてないってことは、またどうでもいいところに力を発揮してしまったし、
自分はですね、こういう時いつも思うんですよ。
もしこういう音楽的な部分的にでも才能が少しでもあるのであれば、悔しいじゃないですか。
日の目は浴びないから。
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そのことに気づいてしまう。
だから記事以下はなくて、自分だけ気づいてしまったなと。
これ結構あるんですね。10曲のうち7、8曲くらい。そんな感じかな、最近は。
でも間違いなく似てるんですよね。
でもよくよく聴いてみると、似てるとはいえよくこれに気づいたなと思う。
完全に手間ミスの話だけど。
ただ残念なことに嬉しくはないんですよ。
しかも似てる曲見つかったからって、じゃあ1回聴いて終わりですし、でもそれに何分もかけてるんですよ。
じゃあ次の話ですが、自分は他の男性もそうなのかもしれないけど、アイドルの子ですね。
アイドルじゃなくてもいいんだけど、ボーイッシュっていうのかな。
ボーイッシュな人全員ではないんだけど、割と女性からもモテそうな感じの女の子。
それは魅力的に感じるんですよ。
自分は別に普通に女性のことが好きだし、そこら辺普通なんですよ。
自分がいくら普通と言おうが、どの口が言ってるんだろうと思うかもしれないけど。
しかも発達障害のどこが普通だとか、あとはBotcast聴いてくれてる人は、一体あんたのどこが普通なんだって言うかもしれないけど。
自分は女性のことが好きっていう、そこら辺の対象は極めて普通だと思うんですけど。
でも女性の男っぽいっていうのとは違う、なんて言うんだろうな。
でもいますよね、女性から見てもかっこいいなと思うような。
いや、でもボーイッシュなのがいいとかじゃないんですよ。
でも共通してるのはめちゃくちゃ美人だってことですね。
めちゃくちゃ美人で、単にかっこいいって言うだけじゃないんですよね。
かっこいい人はもちろん魅力的なんですけど、女性でかっこいい人は。
なんて言うんだろうな。
男性に近いとかでもない、すごい難しいんですけど。
最近も動画で見てて、なんかすごい魅力的に感じるのは、これ多分男性みんなで共通してると思うんですけど、不思議なんですよね。
それは可愛らしい女の子の方がいいに決まってるわけじゃないですか。
宮崎駿の映画の主人公、女性の主人公ってかっこいい感じするじゃないですか。
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まあいうイメージかな。
というか、全ての人間から見てそういう、なんか惹かれる部分があるんでしょうね。
その凛としてる感じというか。
あとですね、芯がある人っているんですよ。
芯なんていうのも実際ないんだけど、幻想なんだけど。
だからその人と自分の中のあれなんですよね。
その人だけでもダメだし、自分のどっか、その人のどっかが響く感性と両方が必要ですよね。
もちろん芯なんてものは見て取れるものではないんだけど、
あくまでも自分の中で作り出すものでしかないんだけど、この人は芯があるんだと。
単なる思い込みでしかないんですけど、作り出せるものでしかないんですけど。
やっぱりなんかその人自分の中での、なんだろ、響き合うとかじゃないですよね。
なんていうんだろう。
何かその関係性の中で、この人芯があるなっていう、はっきりそれは見て取れるんですよ。
この人芯があるなって。
芯がある人っているんですね。
そういう人は魅力に感じるんですよ。
でもよくよく考えてみると、芯なんてものはあるはずないし、
つまり何か共通しているものがあるんでしょうね。
だから肝が座ってるとかじゃないんですよ。そういうのとは違うんです。
違うんですよね。
でもやっぱり芯なんてないはずなんですよ。
じゃあ芯がなんだんだって聞かれて絶対答えれないし。
次。
あの、あれ。
もらい泣きって曲ありますよね。
あの人。
人というものをもらい泣き。
あの曲って、画家の友達が段ボールに挟まって出られなくて、
でも助けに行きたいけど、その人も何で挟まってるのか理由も答えてくれないし、
それでもらい泣きしたって曲みたいなんですよ。
で、こういうなんか話って好きなんですね。
自分ってそういう文学とか音楽の歌詞も嫌いだし、音楽って単純に音を楽しむってもちろん書いてるし、
それだけじゃないだろうけど、そこがいろんな意味での楽しみではあるっていうのは、
そのことも含めあくまでも音を楽しむものであって、
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何だろう、芸術ではあるんだけど、変に文学と絡めたりとかっていうのがすごい嫌いで、文学自体も嫌いで、
だからそうやって、なんか深い意味がないっていうと違うかな。
いや、それだけのことですよっていう。
書いてることはすごい深いんだけど、
でも受け取る人はみんな何かずいぶんそこから変にいろいろ汲み取っちゃってるけど、
実際はそれだけのことでしかないですよって、なんかその渇ききった感じがですね。
そういうのは好きなんですよ。
なんかありもしないものを突き出してるのとは逆な感じがしてですね。
そういう感じの好きなんですね。
モーツァルトってすごい高尚な感じがするじゃないですか。
なんか堅苦しくて、到底自分にはわかんないみたいなイメージあるじゃないですか。
もう天才的で、もうちょっと上陣離れしてて、
もうすごい深い部分で試作をしてるようなイメージ。
だけどあの人、あの人すごいもんなんですよ。
何と伝えたらいいかわかんないけど、
まあ非常に景品だし、そんな高尚な感じがないんですよ、人間自体。
で作ってる曲もですね、それはもちろん高尚と取るかどうかはわかんないけど、
そんなうちらが思うような小難しいものじゃないんですね。
本当にそれこそ音を楽しむために作ってるような。
もちろん楽しいばかりじゃないんですけど、
ただその変に、自分は純文学が嫌いなんですけど、何でかっていうと、
芸術性を持たせようとしてなんか変にグロテスクだったり。
でもですね、モーツァルトの曲ってそういう意味では、
変に芸術性を持たせようとするんじゃなくて、
すごいダークな部分があったり、悪魔の音楽って言われたりするんですけど、
逆にそれが気持ちいいんですよね。
芸術性を持たせようとして、変に暗くして闇を描いてるっていうよりは、
単純に悪魔の音楽って言われるぐらい、落とすとこまで落とすみたいな。
33:04
そこに余計な意味付けもされてませんよね。
そういうのが好きなんですよ、自分は。
中田康太くんなんかは、別に音楽の歌詞に意味なんかなくて、
響きとかリズムっていう観点でしか考えてないんだとか、
あと坂本隆一は、音楽の歌詞は後まで入ってこないから、
さっさとオールスターズ、何がいいかさっぱりわかんないとか、
そういう話は好きですね。
ちなみにさっき似てる曲ってですね、
乃木坂の子がカバーしてて、
東京事変っていう、自分が大っ嫌いなバンド。
椎名リンゴも大っ嫌いなんですけど。
椎名リンゴが好きだっていう人は大っ嫌いなんですけど、
それは置いといて、そんな曲聴きたくもないんですけど、
乃木坂の子がカバーしてたんでしょうがなく聴いて。
それがですね、日溜りの歌っていう曲に似てるんですね。
サビですね。
それをひたすら探してました。
椎名リンゴってですね、まあ嫌いなんだけどそれはいいよ。
では次の話いきますか。
一郎と性格だったり行動の仕方とか、
野球の才能っていう点以外は全て似てる。
自分もでも野球はやってたのか。
ただ野球の才能っていう点以外は、
性格だけで言うとすごい似てるところがあって。
それずっと前話したんですけど。
ただ音楽の感性だけで言うと、
ヒップホップが好きなのは似てるんだけど、
矢沢恵吉が好きだとか相当好きみたいだし、
椎名リンゴも好きみたいだし、
そこだけはですね、全く似てないですね。
自分の嫌いなものが一郎が大好きみたいなもので、みたいなんで。
しかも年は違うとはいえ、
自分はその世代の曲だって別に好きになり得るだろうし、
だから一郎の世代の音楽は別に好きだし、
ちょっと上すぎるかもしれないけど。
あとは番組説明について考えてるけど、
番組エピソードタイトル分かってはいたんだけど、
ここにもうちょっとこだわってたらどうだったかなと思って、
36:02
ここをなおざるにしてないかなっていう風に思って悔しいんだと。
番組説明、以前に作ったものいくつも出してみるわけですよ。
したらですね、これやっぱりいいじゃないかってなるわけですね。
ということは、自分が見てるこの世界って、
やっぱり言葉でさえそれ自体を見てるわけじゃなくて、
それ自体というよりも、
上書きした自分という感情を見てるみたいなのが最近思ったんですよ。
頭の回線遅いからかもしれないけど、ただですね、
意識ってやっぱり感覚とずれがあるなと。
でも意識がこの感覚であり、この行動を司だってると思ってますよね。
でもやっぱりですね、なんか小さなものがあるんですよ。
何度伝えたらいいかわからないけど、何と何がずれてるかって難しいんですけど。
明らかにこの意識ってものが、
自分というものの大部分を占めて、自分というものを司って、
自分というものの中心にあってっていうのはやっぱり違うとしか思えないんですね。
だったらこんな時差が生じないと思うんですよ。
だからなんて言うんだろう、食べ物を食べてる時なんかも、
食べてる自分を意識してる観測者みたいな感じなんですよ。
でも普段はそんな観測してるって意識はないんだけど、
時折その時差があるわけですよね。
普段はこの意識が全てを動かして全てを見てると、
勘違いできてるんだけどできなくなる瞬間があるってことです。
では次。
キムタクとモノマネする人。
似てるけど、モノマネする人じゃ超イケメンだってならないじゃないですか。
これってよくよく考えたら不思議だと思いません?
超かっこいい人に似てる人って、
全く超かっこいいどころか普通だってなってしまう。
これは面白いもんですよね。
あとですね、美人な芸能人の父親を見たら、
その人に似てて自分はそういう場合ですね。
もうなんか冷めてしまうんですよ。
可愛らしいと思ってたのが、なんかちょっと違うっていうか、
39:03
なんて言えばいいんだろうな。
難しいんですけど、でもまあそれも自分だけがそう思うだけであって、
別に父親と娘に似てたからって、娘は可愛いわけですよね。
もうその娘に似てる父親が可愛いとはならないじゃないですか。
これも不思議と言えば不思議だし、
当たり前なんですけど、
さっき言ったイケメンに似てる人はじゃあイケメンにならないってのも不思議なことで。
でですね、ある乃木坂の子がある人と似てて、
いや似てるってうちの親が言うんですよ。
だから可愛さで言うと同じぐらいだって言うんですよ。
でもですね、さっきの話と同じなんですよ。
じゃあ木村拓がこのモノマネする人と似てるから、
じゃあ木村拓もあんまりかっこいいわけじゃないってならないじゃないですか。
だからうちの親が共通してるんだけど、
見てる部分がずれてるとしか思えないんですよね。
あと昨日ポッドキャット聞いてて、
友達の田中さんに対して怒ってたんですよ。
でもですね、自分はなんとも思わなかったし、
こうやって自分は正義感強いから、
人のちょっとずれた部分が気になるんですけど、
じゃあそうやって正義感を振りかざす人の話聞いて、
ああよくぞ言ってくれたと思うことないんですね。
いやーどこまで行っても孤独だなと思わされます。
誰とも感性が合わないなと思ってしまいますね。
では次。以前はですね、虚無の中にいたら
心が腐食されてくる感覚ってのがあって、
これを防ぐ方法としてですね、
さっき言ったようにそぎ落としてきて残ったのが、
安定させないってことですね。
そこにも着地させないと言えるけれども、
だから安定しないってことになるんですけど、
だからこれをやっとけば大丈夫だとか、
これを信じていいよとか、
生活の中でこれを取り入れたらうまくいくんじゃないかとか、
そういったものをもちろん持ちたいし、
人以上にそういうものを持ちたい性格でもあるんですけど、
そこはもう諦めがついてるんです。
そういったものを持ってはいけないと思ってるし、
あとはですね、リソースを埋めてしまうってこと。
42:01
リソースをいっぱいにしてしまうだから、
忙しくはないんだけど、
なんでしょうね、これはもうだから長年の積み重ねなんですけど、
常に気を張ってる状態って言うと、
常に交換真剣優位とか、
常に緊張感があるみたいなことだけど、
それじゃあちょっとストレスだろう、
なんか緊張してるからリラックスなのかとかじゃないんですね。
常に神経張ってる状態なんでしょうね。
変な緊張感ではないんですよ。
堅いってリラックスもしてるわけでもないんですけど、
他の人からしてみたら相当張り詰めて生きてるんだろうけど、
まあそういうことなんですよ。
まあ自由なんてものはないし、だから、
行動的なものはないし、
行動も縛ってるからこそそういった緊張感があるわけですけど、
人間って絶対そうですよ。
行動を縛ることで緊張感が絶対生まれるんですよね。
そうやってリソースを埋めてしまうってことは、
隙を与えないってことですね。
侵食されないんですよ、その方が。
だから変な脅迫観念も出てこないし、
脅迫観念、まあ確かにね、
常に行動してるわけじゃないし、考え事してる時なんか、
だから行動してなくても行動してるみたいなことなんですよね。
あとは、規律正しく生きてることによって、
ずっと同じことで自己犠牲に走ったり、
変な物語を書いてしまうってことがなかったってのもあるでしょうね。
何かに追われてるっていうこととか、
その感覚とは違うんですよね。
無理してスケジュールを詰めてるような感じでもないし、
かといって忙しくないとか忙しいとか、
そういう基準では当てはまらないんですよ、これ不思議なもので。
常に頭の中、だからそういうルールとか決まりでいっぱいだから、
完全に引っ張り付けてる状態だから、
ある意味忙しい人にも一瞬一瞬やることで、
忙しいはずだけど忙しいってのとは違うんですよね。
しかもここで語ってることって割と、
食事中だったり何か手洗ってる時だったり、
何か集中してるルーティン中のことが結構あるんですよ、
そういう空想してしまったり。
やっぱりある意味行動とは関係ないのかもしれないし、
そもそも物語を取り入れないようにしてた、観察してたっていうのはあるんですけど、
45:00
じゃあ結局規律は必要なかったのかっていう話になってしまうし、
もちろん物語とか取り入れなかったっていうのはそうなんだけど、
幻想いなかったっていうのはそうなんですけど、
今言ってるのは虚無の中で立ち続けていることによる問題が払拭なんですよ。
そこで払拭が起きるという意味では、
それはやっぱり規律によって保たれてたはずなんですけど、
でも以前思ったことがあるんですけど、
例えば1年あることを続けるっていうのと、
例外があって10日くらい休んでしまっていいっていうのとでは、
ものすごく緊張感も違うし、全く生活の行動違うんですよ。
その1日とか少しでも休んでいいっていう余裕、
気持ちの余裕があるのとないといったらやっぱり違うのは容易に想像つきますよね。
自分はこの停止をしてはいけないという決まりという意味での規律、
がやっぱり大きかったんでしょうね。
それで24時間やっぱり生きる姿勢が変わるんですよ。
だから程よい生物学的に言うと程よいストレスで程よい緊張感だったからと思ってたのかもしれないし、
単純に緊張感が全くなくてストレスがない状態だと。
それはそれで機能的にうまくいかないんですよ。
医学的に何て説明されるかわかんないけど。
緊張し続けるのも精神的に良くないんですよ。
例外を作らない方が潜在意識に働きかけるみたいなことを昔、
心理学の本に書いてありましたね。
集中力についての本に書いてありました。
潜在意識に働きかけると、
潜在意識が納得してくれると、
それはすなわち境界線みたいなもんだったんでしょうね。
単なるヒューにすぎないけど。
境界線と言ってしまっていいんじゃないかなと思います。
例外を作らないっていうのは、
ここから外には出ませんよっていう出口を作らなかったわけですよね。
希望とか救いっていう出口を作らなかったことが、
そしてその規律が出口を作らないことになり、
潜在意識に働きかけ、
潜在意識が納得してっていう心理学的に言うと、
48:00
そういうことだし、崩壊せずに済んだんですね。
ただ、潜在意識に納得させるっていうのは、
継続するっていうことにおいて大事だったんですね。
あとはですね、客観的に見れてるわけじゃないんですけど、
ただ、今自分は不安であるいは精神的な揺れによって、
変な物語を書いてしまうんだっていうことが、
本当に意識の10%くらいかもしれないけど、
それでもそれを持ってることが大きかったのかもしれないし、
それを結論付けてしまわなくて済んだからですね。
イメージとしてはフィクションだっていう感覚が常に、
常にじゃなくてもいいんですよ。
あったのが大きかったんでしょうね。
だから払拭されなくて済んだんでしょうね。
だから虚無が、
違う、規律が防いでたのは思考そのものではなくて、
それが物語化することですね。
つまり、人生来てもしょうがないとか、
虚無感に押されてもそういうところまでいかないっていうのと、
あとは、やっぱり考えること自体が問題なんじゃなくて、
考える内容自体が問題につながるんだと思いました。
あと今日あったことなんですけど、
衣替えするっていうことが頭にあるんで、
まだしてないにも関わらずこういうときは、
ルーティン中やっぱり行動が止まってしまいますね。
あとですね、最近、
スマホを置きに行くってことで、
ちょっとルーティンが変わって、そのせいで
取っ手の部分を触ってしまって、それで、
ミスなんですよ。
この後、着替え取りに行かなきゃいけないから。
こうやってルーティンを崩すとですね、
こういうことが起きるんですよ。
ただ、別に不注意なわけじゃなくて、
いつもその触る場所は、
かなり気は使ってはいるんですけどね。
行動の変化があったがために、
以前だったら戸の触る方は統一できたんですけど、
今は取っ手を触って1階に降りることがあるんで、
こういうミスが起きるんですよね、別のパターンのときに。
自分がですね、
恐れているのって自暴自棄になることなんてなさそうだけど、
でも、やけくそになってしまうこと、
51:00
あとそれに近いのは、
なんだろう、無神経っていうのかな。
詐欺って例外を作ってはいけないんですよ。
だからこそ、食事中とか確認作業で
食事中集中できなくなるんですけど、
一瞬のおころびが、
やけくそに繋がるって分かっているからなんですね。
何らかんだだから、一瞬一瞬にルールみたいなものがあるんですよね。
ルールっていう言葉では表せないほど細かいんですけど、
決まりっていう言い方をした方がいいのかな、
こだわりっていう言い方をした方がいいのかな。
だからさっき言ったポートキャストだけは誠実でいるっていうのもそうだし、
そもそもやけくそになることは絶対大前提としてないですね。
例えばですよ、
別に届く人に届けばいいんだみたいな、
刺さる人に刺さればいいんだみたいな、
ことは自分にとってやけくそでしかないんですよ。
というか、それもそうだし、
全然意味が通じなくたって、
とりあえず録音できてればいいんだみたいな、
誰にも分かってもらえなくても別にいいやみたいな、
そういうやけくそ?
やれたら楽かもしれないけど、
やけくそっていうのはこの前話した
どうでもいいっていうことと繋がるところがあると思うし、
どうでもいいっていうのはつまり無関心?
うーん、それってちょっと投げやりですよね。
なんかやっぱりさに構えたにひるなんですよ、それって。
にひるじゃないんですね、にひる風なんですよ。
にひる風なのとにひるって違ってほとんどの人は
にひる風なんですよね、もうどうでもいいって言って、
カッコつけてるだけなんですよ。
カッコつけてればいいけど、自分は
やっぱり虚無の中で直立してきたんで、
それが自分の生きる姿勢なんですよ。
あとですね、最近ちょっと特別会が多くて、
日本語会のイレギュラーが多くて、
そういう変化によって変化を起こしてしまったせいで、
英語会にも影響が出て、あせっかちになる自分が出てきてしまったり、
やっぱり変化は変化を呼んでるんですよね。
変化は変化を呼んで、問題が起きない人はいいけど、
54:01
基本的に変化を起こすことが問題だと思うし、
自分の場合、やっぱり問題が大きくなりますね。
変化に弱いのと問題が目についてしまうのと。
今日はですね、朝早くルーティンが終わったんですけど、
朝食まで時間があって、しかも考えることがなくて、
という時はなぜかファニックなんですよ。
ルーティンをきっちり作ってる人ってですね、
ちょっとでも崩れたらですね、そう崩れしてしまうんだけど、
自分の場合今日は考えることはなくて、あればいいんですけど、
それが嫌になったら2回で何かしとけばよかったとか、
余計な思考の連鎖が始まるんですね。
では次、味に飽きてしまったり。
食事中味を感じない時ってですね、その後食べるもの。
いつも以上に色々味を感じたりするんですよ。
あとですね、同じ種類のものをたくさん食べてるとその日は飽きるんだけど、
長い期間で考えると飽きなくなるっていうこともあったり。
ということは、人間って構造上バランスよくできるようになってて、
自分も飽きないようにするにはどうすればいいか。
いろんな物事に対して飽きないようにすればどうすればいいかって考えるんですけど、
多分どうやったって同じなんですね。
それでバランスを取るようにできてしまっているから。
ありがたいことにできてしまってるから。
飽きるものは飽きるし。
逆に今飽きなかったら別な意味で、長い期間で考えると飽きてしまうとか。
プラマイゼロなんですよ。だから今飽きないようにしようとしたとしても。
でも自分の姿勢としてはですね、それでも飽きないように工夫はしようっていう姿勢だけは持っていたいと思います。
まあまあそれこそ幻想なんですけどね。
それでなんとかなると思っちゃってるけど、それは本当に必要最低限の工夫ですけど。
夕食の話ですが、今日は煮物なんだけど久しぶりに揚げを食べましたね。
やしたら稲荷寿司とかおいしかったなと思ってしまって。
なんだかずいぶん変にストイックになったなと思ってました。
かといっていずれまた健康でありものを食べるのも不安だし。
あと大根もニンジンもおいしかったですけど。
57:01
大連にニンジン入ってましたね。
さつま揚げは全く愛じしなかったです。
あと豚肉、あれロースですね多分。
ちょっと今までの煮物とは違いますね。
うま煮じゃなくてあれはなんだ。
煮物とも違うし。
煮物かな。
確かに前揚げ入ってたことはあったか。
あとですね、魚。
今日のはベニジャケだと思います。
ベニジャケ多分油がだいぶ少ないですね。
白ジャケだっけなあれとか。
ベニジャケと比べると。
おにぎりってそぼろ状のと焼き魚がゴロンゴロン入ってるのと分かれて。
たぶんそぼろ状のがコンビニでおいしい。
そっちが好きだって人多いみたいですね。
でもコンビニのそぼろ状のも好きだったし。
野球部時代はゴロンと入ってたやつは好きだったかな。