1. 人間観察の哲学
  2. 第5869回 収束しない回
第5869回 収束しない回
2026-07-07 49:25

第5869回 収束しない回

意味がないのはもう前提で処理してる。深く考えたりもしないし、説明もしない。ただ今日も動いてるから、それをそのまま残してるだけ。崩れないように最低限のルールだけ回してる感じ。

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00:06
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
番組、イントロジングルのことやって、でも全滅で全然何やっても
03:05
思い通りのものできなくて
そうですね、いつも通りやってるつもりなんですよ
いつも通りの
週間で、ほぼほぼ毎日過ごしてるつもりなのに
以前より
だいぶ負荷があって
結構
焦燥感、あと
なんだろ、そういったものあって
なんでなのか
っていうことを
ひたすら探るんですけど
いや、昨日、今回は
同じでしたね、昼間も
以前とやってること変わんないし
じゃあなんでこんな
苦痛が強いのか、まあ
これが10年以上前よりと比べてのことだったら
それは人間って老いるよなって思うんですけど
一番恐れてるのは絶望じゃなくて
希望や意欲なんですね
自分は、でですね
希望、幸福ってのも恐れてて
幸福は勘違いでしかないと思ってて
これからもうまくいくとか
人生素晴らしいとか
あの時
あの時話しといてよかったとか
やはりこれを大切にしようとか
全て物語という嘘だと思ってるんですよ
まあ、希望とか意欲を持つと
期待が上がるほど外れた時の落差も大きいため
脳が先にリスクとして
処理してる状態なんでしょうね
だから上がることに対する恐怖なんですよ
人間がする解釈ってほぼほぼ虚構だと思ってるんですよ
現実そのものはあまり見えてないんですね
でですね
あとですね、神はいるとか
生きてる理由はあると
世間の人で
一手ずつやって思わせようとする人
あの手この手使って
思わせようとする人っていますけど
神はいるとか生きてる理由はあると
思い込みたいんだろうなと思います
仲間を作りたいだけ
共同幻想でしかないですよね
絶対などないこと
証明する必要さえないのは明らかだし
みんな分かってるはず
妄心する人たちが理解できないんですよ
一番そんなことはしないですね
そういうプライドが生まれつき
あるんですけど正義感ではないんですよ
06:02
もちろん不確実性が高いこと
イコール虚構ではないかもしれないけど
どうでしょうか
絶対なんてあると信じるのはどうなんでしょうかね
自分はさっき言ったように物語家は
自己防衛とか集団機能でしかないと
思ってますね
もうちょっとわかりやすく言うと
人生には意味があるとか神がいる
それは人が作った考えで
目的は安心したいとか仲間を作りたい
だから本当の世界の話ではなくて
都合のいい話だと思うんですね
だから全部ただ物語に見えてしまう
内容よりも発言の理由
この人たちの考えの理由
っていうことに目が行ってしまいますね
やっぱり安心したいだけ
例えばお守りで運が良くなるっていうのも
安心材料を作ってるだけにしか見えないし
希望を持つってことは自己防衛だし
宗教は不安対策だし
価値観っていうのは集団を維持しようとする
ものでしかないと思っちゃうんですね
次の話
幻想と気づいてしまう
矛盾に気づいてしまう
生きるのが辛い
っていうことをこの番組で伝えたいんですけど
虚無ということを凝視していたら
辛いんですね
でもですね
続けると救いは不要になるんですよ
人生に意味なんてないという事実が起きれれば
生きていていいと思えること
をお伝えしたいんですね
だから何か思想を押し付けたいとか
何か主張したいという思いはないんですよ
でももちろん人生に意味がないというのも
事実というより解釈の一つなんですよね
でもそれを言っていると
虚無を受け入れることはできないわけですよ
だから
人生の答えみたいのを
一生探すことになりますよね
実際に意味があるかないかは置いておいて
絶対的な生きる意味というのがない
というふうにすると
何かに執着しなくていいんじゃないかなと思うんですね
虚無を見続けると楽になるというのは
絶対起こり得ることなんですよ
期待を下げるし
失望するのが減るし
ただ人によっては
欲は間違いなく下がるでしょうね
それは重々承知なんですよ
行動の理由が弱くなるし
人間で意味を作るという回路もあるし
09:02
それを疑う回路もある
同時に持っているんですよね
だからどっちかに過談してしまうのも
問題だというのもとても分かる考えだし
自分もそういうことは思います
自分も意味を作る回路も
普段稼働させているし
でもですね
意味と実際に行動するかと
混戦させてしまうと
意味がなくなったら行動できない
というふうになっちゃうんですよ
意味を自分はですね
意味があると信じているというよりも
意味を使いこなしているという感覚にしかないですね
都合のいい時に使うという感じ
そもそもそういった実態はないからこそ
使いこなしていいと
頭の中にあるものは
使いこなしていればいいんじゃないかという考えなんですね
でも虚無を受け入れる必要がない人が多いと思いますけど
新たな人生の意味を探して
紛争してしまう人もいるんですよ
だからまあ
答えが別に必要のない人にとっては問題ではないんですよね
でも意味が確定してほしいという欲求がある人は
答え探し地獄に落ちるんですよね
そういう人たちにとっては正解を求めるんだけど
でも実際正解なんてあるんでしょうかね
ないですよね
おそらくないですね
だから一生さまよい続けるんですよ
もちろん現代人のほとんどは
食事は快適さのため
仕事は生活維持や経験のために使ってるから
人生の意味があるかどうかは中心から外れてるんですけど
でも実際にいますよね
人生苦しくて
どうせいつか無くなるのに何で生きてるんだみたいな
人は逆にそうやって意味を求めてしまうことをすると
大変なことになるんです
さっきから言ってるのなんか
ちょっと紛らわしいと思うんですけど
人生の意味は否定してるんですね
行動に必要な意味は
持ちすぎないようにしてるんですよ
だから会議的な部分と
つまりブレーキとなる部分と
その意味となるアクセルとなる部分と
行ったり来たりしてる感じ
常に意味を感じながらやってると
意味が暴走してしまって
ある時に自分の場合パタッと
これ何に意味があるんだろうと
そもそも人生に意味がないのに
これだって意味がないだろうと考えてしまうんですよ
でも人生の意味がないことと
12:00
目の前の行動するかどうかとは
話が変わるんです
別なんです
それは一緒くたにしちゃいけないんですよね
だから意味を信念じゃなくて道具として
扱ってるような感じですね
だから意味もそうだし虚無ということもそう
人生に意味がないということに絶望をするとか
逆に希望を持つわけでもなく
それを飼い慣らしてるような状態
意味がないんならないで
別に自由にやらせてもらうよって感じなんですね
次の話
世間の人は幻想を抱いて
滑稽だなとしか思えないんですね
理解できないんですよ
すごい偏った考え方なのも分かるんですけど
なぜ逃げなければいけないのか
どうせつらい思いをするのに
って思いも多少あります
多分遺伝的にバランスよく
そして都合よく
救いとなるものを自分は生活に取り入れて
捨てていってまた作りができないんですね
なぜかというとそんなものを
持っていても幻想だと気づいたら
絶望するからですね
生きる絶対的理由ないのは知ってる
これが
意味だと思い込むつもりもないんですね
幻想だから嘘だと知っている
救いは救いでしかないくて
真理ではないですよね
そして救いは
自分には絶対聞かないんですよ
残念ながら聞いても一瞬なんですね
自分は遺伝的なのか環境になるのかは置いておいて
都合よく生きることが難しい現実がありますね
一番救いとなる向上的な根拠であってほしいんですよ
でも救いは本来
一時的な支えでしかないんですよね
なんか救いっていう意味自体に
そういう意味が含まれてますよね
救いっていう言葉自体に
自分は生きる理由って絶対的にないから
その幻想にしがみつく理由もないと思ってて
世間の人とはずれてるっていう
孤立感ってありますね
世間の人の幻想っていう言語と
互換性が全くないので
あったらあったでそれも困るけど
では次
感情をとだめることはやめたんですね
煩悩ってないっていうのが分かったから
快感っていうのは迷惑なんですね
15:00
感情の起伏は恐ろしい
快感の反動は恐ろしいし
意欲的に何かをすることはないんですね
生きなければ
生きなければいけないから生きるって感じなんですよ
ルーティンをこなし
しかし義務感でなくて嫌々でもない
生きる覚悟はあるんですよね
自暴自棄という逃げに行く暇はないんですよ
もちろん快楽主義でもないし
禁欲主義とも違いますよね
快感を悪と見ている人よりは快感による大きな抵抗性は
覚悟を連れてくると思ってるんですね
その不安定さを警戒しますね
目指しているのは高揚感ではなくて
大きく上がらず大きく下がらない状態
ずっと下がっているのも嫌ですけど
大きく上がるのも困るわけです
生きたいから生きるというわけでもないし
人生を投げ出すというわけでもないし
生きると決めたから生きるという立場ですね
仏教でいえば執着を弱める方向に出ているんですよね
快感を減らすということですかね
救いや悟りというのは目的にしないんですよ
支えになるもの消えたという感覚はないんですね
宗教をやめて
救いに戻っても一時のごまかしにしかならないと分かっていたし
宗教の力でなんとかなるという思いはなくなったんですね
なくなったから将来の不安の思いは強まってしまった
という問題はあるんですよね
現実主義になり
ちなみにです
もし自分が世界生活を送っていたら
宗教はかなり怪奇的だけどやめることができていなかったと思います
現実主義になり
現実をしっかり見れるようになった
オカリティは絶対は嘘だということも気づいたんですね
宗教をやめてそのタイミングで引きこもりになって
引きこもりになったのが良かったとは肯定する思いはないですけど
ただそもそもその時に絶対的な価値観とか
社会的な基準みたいなのが全部剥ぎ取られたんで
失敗だとも成功だとも思っていない
とりあえず宗教やめると良かったという感じ
以前は少なからず宗教
救いとか絶対的に意味は
心理的な支えとして機能はしていたんです
でも今は
18:03
一時的な安心にしかならない
根本的な解決にはならないと考えるようになって
現実そのものを見れるようになった
不安は増えたけど
現実認識が強くなった
現実を見ると病気事故
社会の不安定さが多いが見えてきますよね
将来の不安が強くなるのは不思議ではないんです
でも絶対的なものはもう信じられなくなった
救いに戻る選択肢はなくなったんですね
普通は幻想が崩れると不安が減るんです
でもそれはそうですよね
神様が守ってくれる
努力すれば報われる
自分だけ大丈夫
それが失われると不安が減る
そんな保証がないとなって不安になるんですよね
だからもう結果をコントロールするのはやめようと考えると
期待が減って逆に不安が減ることってあるんですよね
そういう状態なのかな
自分は現実がしっかり見れるようになった結果
心が楽になることはなかったんですね
宗教を辞めて不安が増える人
不安が楽になる人っていて
両方っていう人もいるし
自分はどっちとも言えないんです
宗教に入ってた頃は
来世がどうのこうのでという
現実とは離れた不安があったんですよ
今は前のは幻想であって
人間はいつ事故に遭うか
いつどうなるかはわからない
この世界は生き地獄と言ってもしまってもいい
そこまで言ったら言い過ぎかもしれないけど
それくらい自分には思えたんですね
それまで宗教に入ってて
その事実を見てこなかったわけですよ
その意味では不安になった
けれどもそういう現実に敵わない
変な来世が不安だとか
そういう不安はなくなったんですよ
あと宗教に教えに反していないかとか
正しい道を止めてる方
救われるのかとか
そういう不安もありますよね
強迫観念的な
これは宗教をやってると誰でもあると思います
これは信念とか価値観との関係で生まれる不安ですね
今の不安は病気になるかもしれない
置いていくかもしれない
事故も起こり得る
死ぬとは限らないという
現実の条件から生じる不安に近いんですよ
では次の話ですが
神は全ての運命を既に作ってるという考え方
台本作ってるという意味で
21:02
いつも言ってる
人間が頭の中で物語を作ってるんじゃなくて
神が物語をそのまま作っちゃってるっていうことになりますよね
今までは人間が人生の意味とか希望という物語を書いてると思ってたんですよ
神も同じように書いてるじゃないかな
これもすごい考え方ですよね
日本人には理解できない
人間が人生の物語を書いてると思ってるけど神が書いてるという
神が自分の物語を書いてると言いたいのではなくて
いつも言ってる物語と神も台本を書いてるという考えの関係性を知りたくてですね
両方共存はできない考え方ですよね
作者がどっちかって振り分けられるわけですから
神が台本を書いてるんだとしたら
その神自体も自分は幻想でしかない物語でしかないと思ってるんで
自分にとっては関係ない話ですよ
勘のいい人は気づいたと思うんですよ
神が台本を書いてるんだとしたら
人が普段書く人生の意味とか希望とかっていう物語で書かないのかって思いませんか
でも神というものを信じてる時点でやっぱり物語が書いてますよね
あと夢を持つとか将来の計画を立てるとか努力するとか
努力に意味があるとか
自分の希望も神が与えたのかもしれないという風に考えるかもしれないけど
でも希望がなくなるわけじゃないから
出来事を一つの筋書きとして理解してることになりますよね
自分が物語を書いてるというより神が作った一連の人生の
生まれてからの物語を取り扱ってるわけですけど
その人たちはその時に一つの筋書きとして理解してるという意味では
自分で作ってるというよりは物語を渡されて見てるような感じ
どこかにあるんだなって感じなんですよね
だからそれを発見していこうとする感じなんですよね
人間が勝手に物語を作るのと神の計画を信じるのでは
当人の感覚としては全然違うんだろうけど自分からすると
出来事は意味のあるストーリーとして結びつけてるという点では似て見えるんですよね
自分は説明がついてしまうこととか説明されてしまうことって
24:01
普通の人と逆で嫌なんですよ
普通は説明がつくと安心するんですよ
世界が説明されると落ち着く
でも説明がついてしまうとですね
それに違和感を感じるんですよ
それに固定された考え方になってしまうのも恐れてるのかもしれない
恐れてるんですね
自分とは何だろうということに確定的に説明されるのに抵抗があるし
それは発達障害というものもそうだし人間としても人格としてもそうだし
ただ自分は完璧を求めてしまうんですよ
でもそれは客観的に存在する絶対の完璧というよりも
自分が納得する完璧に近いんですね
だから完璧という幻想を求めてるんじゃないかと思うことなんですよ
でも完璧などかは自分で判断するもの
だから幻想とも言えないしだから目指すわけですよね
さっき言った完璧を目指すと言っても
完璧という幻想を求めてしまうと言っても
絶対的なもの、完璧が実在すると信じているというより
自分のいいものを目指したいという感覚だから
でも完璧というものが実在しているという幻想なのかもしれないですよね
頭ではわかっていてもそういう幻想を求めてしまうかもしれない
完璧かどうか自分で判断するなら
社会とか神とかから与えられた基準ではないし
自分なりの基準でいいものを目指すということはできると思うんですね
だから説明で世界というものを固定したり閉じたくないけど
でも改善とか追求は続けたいというのが共存しているんですね
この自分が目指している完璧というのは
もちろん目指さないほうがいいんだけどでも目指してしまう
これは現実が完璧があると言い出したらある意味幻想である意味違うんですよ
理想が高すぎると現実とずれてて幻想みたいになってしまうんですよね
現実って不確実性があるし人間には限界があるし
こうでなければならないという理想が高くなると
やっぱり現実との距離が大きくなって
現実が見えているのではなくて
だから完璧を目指すことイコール自分の中で
完璧が存在すると信じることになってしまっている
単純に自分がいい方向へ進もうとしているのはいいんだけど
ちなみに絶対というものがないなら目指すべき場所はないんですけど
27:02
じゃあなぜそうやってゴールとまでは言わないまでも何かを目指すということができるっていうのは
ある程度指標があるからなんですね人間
やっぱり動物だから頭の中でいくら哲学宗教を教えたって
この体がある以上頭がある以上やっぱり快楽快苦という感情もあるし
ある程度指標は出てくるんですよ苦しいことは苦しいし
哲学とはまた別なんですね
今話しているのはじゃあ完璧を目指しているのは何なのか
例えば山頂は存在しないって分かっている登山で
違う登山していて山頂は存在しないと思っているのに登っているような状態なんではないんですね
今よりより良い状態はありますよって信じて目の前のことをやっている感じ
だから宇宙的な絶対正解だと考えて完璧を目指していないんですよ
だからもっと良くなるという方向に近いのかもしれない
ちなみに芸術家が完成なんてないと
これは学者でもあることじゃないですか
と言いながら作品を磨き上げるのって矛盾しているのに感じるけど
似ていますねでもですねここで問題が出てくるんですよ
絶対がないならより良いという概念は生まれないですよね
ゴールがないなら近づけないはずなんですよ
より良いという言葉自体の根拠がどこにあるかという問題が出てきますよね
より良いというのは何かとの比較だから
比較基準が全くなければ良くなる悪くなる改善する進歩するって定義しにくくなる
これやっぱり自分の基準っていうのが人間はあるのかなやっぱりさっき言ったように
人間だから自分のプライドというか遺伝的な
じゃないと人類ここまでこんなに人間っていろんな哲学で悩んできて
人類がここまで700万年続いてこれだってのはやっぱり先祖本能で生きてるからなんですよね
納得ができるとか美しいとも一貫しているごまかしが少ない
芸術にしろ考え方にしろだいたいその4つのパターンですね自分の場合
が基準になっている
正直自分は絶対なくても目指すべきとこ分からなくて
頭ぐるんぐるんで人類滅亡してても良いはずなのに生存してるのはやっぱり生存本能だと思いますよね
30:07
だから生きる意味があるから人間って生きてこれたんじゃなくて
生物として生き続けようとする力が働いてるからだと思うんですよね
だから世界観が崩れたり意味を失ったり目標が曖昧でも
人間って消滅しないんですよね心臓は動き続けるし腹減るし眠くのもなるし
自分は生きてる理由なんかはどうでもよくて生きてるという事実に重きを置いてるんですよ
では次
自分は宗教27年やってたんですね実は
で救いに今はもういけなくてかといって絶望にもいけないかといってニュートラルな訳でもないかが崩れる訳でもいかない
その結果機械のようにルーティンをこなす日々なんですね
感情がないという意味じゃなくて救いを求めて功用する事もないし絶望して投げる訳でもない
だから決めた事をやるという感覚に近いんですよ
希望に大きく人生をかけるなんて事もしないし救いにも頼らないし
で今日やる事をやるという感じ
だから機械的というよりも何も感じてないから続けてるという感じ
不安もあるし迷いもあるけどもそれでも崩れないように続けている
だから自分は機械だから続いてたという機械みたいな人間だというより粘り強さとか感性とかいろいろ物
先頭本能もあるしあるいは覚悟もあったかもしれない
さっきですね会議と意味会議的なのと意味を持って何かするというのと
両方ないとつまりだからブレーキとアクセル両方ないと困るっていう風に言いましたけど
でも意味と稼働できるかどうかって別なんですよね
だから意味はないと常に思っていても停止するわけではないんですよ
あと腹が減るとか眠くなるとかっていうのは人生の意味とか
全く生活に意味を感じていない人でも起こる事ですよね必ず
だから意味がアクセルになるって普遍的な考え方じゃないんですよね
自分の場合は生存とか習慣とか覚悟とか感性がアクセルになってる
だから意味がなくても動くっていうのは成立してるんですよ
33:00
で中にはそうやってもあれですね何て言うんだろう
人生の意味を感じれないっていう宗教やってたか云々とは別に
まあ丸突き打つ傾向が強かったりあんまり意欲突きになれないっていう人
にとってはこういう生き方いいと思うんですけど
でですね今着替えてきて撮ってるんですが
昨日ですねまず英語会で失敗してもう絶望して
少し寝れたけどでも夜ずっと寝れなくて
そしたら昨日はちょっといつもとイレギュラーで
父親が遅く帰ってきて寝ればなくじかれて寝れなくて
それでですねやっぱり寝る前にそういうストレスがあると
二次災害が起きるんですよ自分なりの二次災害っていうかあってですね
それで夜起きてなんですけどうまく失敗に対処したんですけど
それが意味なかったんではないかと気づいて
さっきもですね思ってました
あれ時間の無駄だったんじゃないかと思ってですね
だんだんパニックってしまったんですね
でですねさっき着替えたんですけど
いや間違って着替える時もいつもとちょっとルーティンが違って
で上脱いで下に引いて床につかないようにして着替えるんですけど
それを横に置いてしまってそれでだからルーティンと崩れてしまって
でタオルを引いたんですけど
いやー大失敗ですね
ずっと前もそういう失敗何度も繰り返してて
やっとちゃんとできるように習慣化できたんですけど
まあちょっといつもと違うことをするとダメですね
であとはもう一つ手を洗う時に
この後どうせ体腹死と思って軽くやったら
それは逆にちょっと足りない感じがして失敗したなと思ったんですよね
あとですね昨日野球のチームの監督が途中で交代するということで
理由はあったんですけどうちの親がですね
好きになる人が逆に辞める人だと思ってらしくて
まあ別にどうでもいい話だし今回は自分もどうでもいいと思ってたんだけど
何て言うんだろう
まあこの人の発言は本当に責任感がないし
まあこういうことが一つでもあると小さなこととはいえ
なんか信用ならなくなるんですし
今までの同じ失敗を繰り返してきたわけですから
そういうことをよく発言
ああやって自信持ってまたできるなと思ったんですね
昨日も自信満々に言ってましたね
あとですね昨日もその宗教のイレギュラーなことがあって
36:03
話し合いしてたんですよやっと
したらまたすっとぼけた言葉と言うんですよね
内容は忘れたんですけど
で一瞬驚きますよね
でうまくそれについて誤魔化されるというか
お茶を飲むされるというか言い訳なのか
言い訳言うつもりもないんだろうけど
それでまあなかったことにしちゃうんですけど
気分は良くないですよね
あと朝からまあまあほんと眠くて
眠いっていうか体疲れてるし
だけど日本語会撮ってこうやって撮っていて
いやでもなかなか効率的にできなくて
いやどうだったのかなと考えてしまうし
あとですね今聞いてるポッドキャスト
これ最近これ聞いてもどうなのかなと思ってたし
哲学的な話もあって面白いかなと思ったんだけど
そもそもポッドキャスト今聞いてる場合じゃないかな
とか思ってですね
で昨日みたいななんか嫌な問題が起きると
時間ってものを異常に大切にし始めて
だから時間に意味を感じてくるんですよ
でいつも言ってる暴走が起きて
そんなもっと何かできることあるという風に考えてしまうんですよ
いやでもちょっと悩みどころですね
このまま最後まで聞いていたいし
せっかくお気に入りに入れてるし
というか聞くのがまだあるし
そういえば以前ですね父親が
高校生の時ですけど
食事中箸投げてて
で自分は食事食べてる状態で
うちは親が寝てるから
起こさないでおいた状態
で起きてきて怒って箸投げて
あれやっぱり改めて考えたら何でだったのか
不思議で考えてましたね
なぜ起こさなかったんだっていう話ならちょっと
なんか数字違いな気がするし
単に寝起きで腹が立ってたのか
そんなわけはそれだったらおかしな話だし
そんなことで起こることもないと思うし
では次の話です
さっきの続きですが
救いはあるのか
以前にあってもなくても機能しないんですね
絶対的な救い
なくても幻想抱くことで普段
外笑いだりしてるんだから
あるかないかより
機能があるかないかが大事だと思うんですね
で自分にとっては救いが機能にはならないんですよ
逆に言うと
救いなんて実際に絶対的な救いなんて
ないだろうと思ってるし
39:01
ないからこそ自由に救いというものを
作ることができるような気がするんですよね
そうですねやっぱり
この前ですね
神の定義については散々考えましたよ
どうなったのかな
結局神は定義上もよくわからないし
世間の定義がよくわからないながらにも
信じてる
宗教自体が
神というものをどう扱ってるか
非常に考えたら頭が壊れそうなので
大変なことになりましたけど
でもですね
とにかく定義もバラバラだし
たくさんあるという宗教もあれば
一つだという宗教もあるわけですよね
それだけじゃない本当に
だから神の定義自体が
いろいろだけど
でも神がいるとみんな共通して
でも一つの
みんな共通して持ってるみたいな
イメージでいるそんなものですけど
絶対的な
神という一つの言葉で表そうとしてる時点で
そうですよね
全く定義が違うくせに
神という一つの言葉で
表わしちゃってるんですよ
絶対な救いなんてないからこそ
自由に神というものを作れてそれぞれの宗教で
で大量に宗教があるんだと思います
だからですよ例えばあるバンドを神格化して神だとか言うのもある意味神ですよね
そういう自由だってあるわけですよ
でもある意味だからもう絶対的な救いもないだろうけど
いや自分にとってあるって考えるんだって訪問はちょっと大丈夫かって感じなんですよ
で絶対的な救いが実在してるかどうかってあんまりどうでもよくいいかもしれなくて
実在したとしてもその人の不安や苦しみ何も作用しない
実質的には機能しないでも逆に実在しない救いであっても
信じればやるわけになればこれはもう神なんてだから
まあそっかでもこれ難しいところで
例えば好きなものを好きなものを食べるってなって
それに実態がなかったらちょっと楽しみがないんですよね
救われないですよねそれと同じで神がいると思わなきゃダメなのかでも
どうでもいい話なんですけどケーキも同じで実態なくてもいいんですよ
誰かが嘘ついてケーキ冷蔵庫に入ってるからねって嘘つけば楽しみができるわけですよね
まあいいやでですねだから神ってそういうもんですよ
それで親の嘘を信じてケーキあるんだと思えたらそれが希望になるし
それと同じで救いとか希望って実態あるかないかよりも機能するかどうかが大事な気がするんですね
だから真実かどうかなんてどうでもよくてやっぱり宗教ってそういうもんだと思ったんですよ
42:03
自分は宗教入ってたからわかるんですけどいかに信じるかが大事なんですね
信じてたら不安は減らせるし生活も維持できるし
まあそれを信じれればの話ですけど全くちょっと信憑性がない信憑性というか
あまり信じれるものじゃないとちょっと怪異的になってしまうだろうけど
だから自分は人間や宗教というものは実態はもう機能的なもの
人間が不安や苦しみや死に向け合うための機能として様々な形が生まれた
だから芸術とか科学と似たような構造だと思ってるんですよ
でも宗教やってる人も宗教作ってる人もいやいや絶対があると思ってるだろうけど
まあもちろんそれがあると信じるものですからあるとは言うでしょうね教祖だって
でも教祖なんかは逆に信者と違って本当はそんなものはあるわけないと分かってるからできる人とかっていると思うんですよ
案外どうでしょうスピリチュラル関係もそういう人多いんじゃないでしょうか
前世両方霊媒師とか実際はそんなものないと分かってる共同幻想だと分かってるから
ここには何かいるとかいるのかもしれないです本当にそういうことを信じてたらだって疑ってしまいますよね
自分はちょっとできないですよねそれはそんな目に見えないものを信じて一生それを成り割にするなんてちょっとできないですね
今まで見えてたものは見えなくなる可能性があるじゃないですか何故かというと霊が見るなんていうのは幻想だから
脳の覆いによって何か構造が変わって見えなくなるかもしれないし
ドーパミンとか脳内物質とか何か分からないけどあと視覚やとかそういう関係でうまく幻想というものを作り出すんだろうけど
脳内物質とかによって見えなくなる可能性ってあるわけですよね
まあでも自分はちょっと変な話で普通は実際に真理や救いがあるから宗教ができたと言うだろうけど
でも自分は救いが証明できないからこそ作られたという変な考え方ですけど
今の話神くだくとそういうことですよね
では次の話
救いをいつかは持てるという希望を持てるに比べるような人もいるんですよね
それさえないんですよ
希望をいつかは持てるという希望を持ってない人っていると思いませんか
いつかは持てるんだと今はないけどって
救い希望絶望目的やりがいこの人なら信じられる
この人を信用してればうまくいく
これが自分の大切なものという物語が機能しなくなったんですね
徹底した会議とかいう言葉では説明されたり
そういうふうに閉じられて欲しくはないんですけど
45:02
自分の問いはですね
それよりも意味が救いがなくても行動できるのかどうかということ
行動できてるのは何でなのかということでした
でも意味と救いがなくても行動できるんですよ
という話ですね
では次
普通救い一生持てなくなったら辛いじゃないですか
でも一生絶対というものを一生持てないという覚悟とも違うんですよ
自分は諦めに近い
救いというものを一生持てないんだという覚悟というよりは
ほぼほぼ諦めに近い感じ
するとですね
辛くなくなったんですよ諦めると
救い拒否してるのではなくて
救いなんてそもそも存在しないと
頭の中で生み出してるあると勘違いさせるための何か
見てるだけつまり幻想だと思ってるんですね
だから一生救われないという絶望とも違うんですよ
絶望って通常欲しいものが手にあらないという構造なんですね
最初は苦しかったとしてもないものを追い続ける必要もないという考え
人生の意味もそうですよ
人生の意味がないから止まる必要もないし
追う必要もないし
毎日生きることしか残らないですよね
仏教ではですね
執着の手放すと救いになるみたいな考えがあるんですけど
自分は救いがないとそもそも救い自体は否定してるんですよ
幻想ではないかと思ってるんですね
こう決めてつけてしまうのは仏教では否定するんですけど
自分はもう完全に幻だとしか思ってないですね
人間が生み出したものだということを観察して見てきたという感じです
この17年間やっているのは救いを現実の前提として必要としなくなったということですね
疑ってるのはもちろんですけど
あらないよりも必要なくなったということですね
49:25

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