記憶の多様性
今回は哲学雑談会でして、その回になっておりますが、このほど疑問に思ったことはないですかね。
自分は、頭に何かを想像して、それは画像であるとか動画とか、そういうイメージなのか、言語で考えているのか、
20歳以外について勉強したことがあって、非常にそのことについて考えてきた経緯もあるし、受験生自体もね。
これは記憶に関してだけど、考えたところがあって、それも織り交ぜてちょっとお話したいんですが。
まず記憶なんかは、くらぎょうもあるとき目からウロコだったんだけど、人によって全然記憶の仕方って違うんですね。
備わっている能力も違えば、記憶をする癖も違えば、得意な方を選んでやってるんだろうけど。
人によってはですよ。くらぎょうは絶対この音ってできないんだけど。
でも聞いたことないですかね、こういう人。
例えば単語を覚える場合、これはこれこれって覚えてるんじゃなくて、見たまま覚えてる感じ。
ありえない、その音ありえないと思うじゃないですか。
でも物理的に可能ですよね。
例えば単語を読んでくれる、音声を聞いていないら無理だろうけど、
でも一回頭にイメージしてそれを記憶するとできるかもしれないけど、
本を読んで文字を頭に入れるわけですよ。
それを一度読んで音で覚える、あとは意味を覚えていくっていうのとは全く違う思考回路の過程を得てるってわかりますかね。
人によってそうやって記憶する方法って全く違うわけですよ。
別に受験免許以外でも。
この本のここにこう書いてあったとか、そういう人って丸々暗記してるようなもんですよね。
これ数学の偏差値70近くある人はみんなこうなんだけど、逆にこうじゃなきゃいけないんだけど、
数学の解法を暗記する場合って丸々書いてることを覚えるわけじゃなくて、そんなことをしても意味ないですし、
要点というのかな、筋道というのかな、これをやった後にこれをやってということを覚えるわけですよ。
もちろん書いてることはその数字を覚えることになりますからね、数字も細かい数字も。
そんなことは必要ないですよね。
解答にたどり着くまでの経路を覚えるわけですよ。
こうやって人によって記憶の仕方って全然違うわけだし、
今話した同じように思考するという過程においても、
思考のプロセス
これも私はについて勉強してて分かったことなんだけど、
人によってどうやって考えてるかって全然違うんですよ。
でも基本的に思ったこと誰でもありますよね、イメージで考えてるのかなって他の人は。
あるいは自分はどうやって考えてるのかなって。
自分もね、さっき考えてみたんですよ、自分ってどうやって考えてるのかやっぱり分かんないんですよね。
イメージで考えてる自分は考えてるし。
人によって全然違うわけですよ。
ある発達所外の辞典を書いてる人は完全に視覚的に物音を考えてると。
そっちにだいぶ偏りがあると言ってました。
その人は言語にもだいぶ遅れがあって、そういう発達所外なんだけど。
健常者でも人によって全然違うんですよ。
これも人質縄で分かるようなことではなくて、
イメージと言語を繰り返してるっていう人もいるし、
最初イメージ化して、そこで言葉を積み出してっていう人もいれば、
一度言語化して、すごい効率が悪いですけどね。
で、またそれを話してるイメージ。
クラゲの場合はですね、人と対峙して話してる場合は完全にイメージだと思うんですよ。
割と直感的。
さの人間、うの人間とかっていう、くわけの仕方もありますよね。
で、自分で人に説明する、空想してる場合、
いつもいろんなエピソードで話してるあの空想の話ですね。
そういうのは言語化してるんですよ。
言葉を位置から積み出している感じなんですね。
でもその前の段階ではやっぱり多少はイメージもあるかもしれないし、
でもこんな研究もあるみたいです。
そもそも思考、というかまずあれだな、
発言する前に自分の意識があって発言するという行動、
内容自体もそうなのかな、だと皆さん意識してると思うんだけど、
実際はその発言ありきでその後にその発言をするに至った理由付けをしてるだけであって、
意識は後に来るんだという。
でも反射的に答えてる場合なんか間違いなくそうでしょうね。
で、あと思考自体も自分の自由意志によるものじゃなくて、
もう研究してみたらすでにもうどの細胞が動いてて、
だからまあ簡単に言うと話すことはもう決まってるということですね。
自分の自由意志によるものじゃなくて、
もう話してるような状態、考えてる状態、
くるわけがかなりこれね、理にかなってるというか信じてるんだけど。
だとすると思考自体、今イメージとか言語とか言ったけども、
この意識がつまり脳の中枢が自分というものが考えてるのを見てるだけに過ぎないんですね。
まあ目で覚えた方が記憶できるっていうし、
あとは思考もね、イメージの方が効率も上がると思って
こうしてみたけどやっぱり難しいですし。
でもね、できる人いるみたいです。
臨機応変にやってる人。
文化的影響
逆にくるわけの場合、その頭でいちいち考えてるんですよ。
でも時と場合に応じて、イメージに切り替えて、
その分処理できることが増える、効率が良くなることを実感してる人もいますし。
記憶する場合って言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
何か言葉で言うと、
モヤモヤしてる人または前で何か言っただけで、
それまで重要なこと僕も必ずそれに答えるように満遍にする経験ができれば
勉強するには勉強することができますし。
勉強することでいつもタンパクローラーの過ぎた時間を
勉強した sondern
学生の時とか
なんとなくイメージで喋っていたなと
でも学校で勉強するにつれて
論理的にある程度話すこと
考えたり話すことを学んでいたなとか
こういう経験ないですかね
だからイメージとは言っても
ある程度抽象的に
考える
能力がないと
単なる上っ面の会話になってしまうかもしれないし
イメージでいいのかどうかって人にもよるんですよだから
あとこういう経験もないですかね
イメージでなんとなく掴んでいたこと
人に説明していると
意識化されて理解できる
あとは学校で勉強したこと
なんとなくイメージで勉強しているだけだ
人に説明したり
ノードに言語化すると
しっかり理解できる
ということも起きるわけです
起こり得るわけですね
でも逆に
英語なんかはある
イメージで覚えなさい
そのために音読をしなさいと言ってましたね
イメージが理解
大事なんだ
その場合の定義がまた違うかな
視覚的な認知っていうよりも
しっかり概念を理解しなさいということ
ただね
共通する部分もあって
そのイメージというのと
イメージが必ずしも
視覚的なものと
いうことでもないと思うし
抽象的と言えばいいのかな
概念として理解すると
単語も単に
日本語訳じゃなくて
概念をイメージして理解すると
単なる暗記じゃなくて
難しかったですね
そういうのを協力しる人もいるんだろうけど
考えれば考えるほど人間ってイメージ
を語度を考えてるか言語で考えているかって
なかなかわからぬ
人によって違うし
でもさっき話した通り
意識は脳の注水だから
脳がイメージはして
言語化わかんないけどそうやって考えてるのは
それは映像というか映画を見てるような感じなんですね
それも面白い話ですね
でもね中学生くらいの時からイメージ
単なるイメージじゃなくてしっかりある程度頭の中で言語化して
そこから一度話すっていう風にしてから
割と論理的に話せるようになったかなと思いますね
説明が伝わるようになっているのかなと思います
それまで自分でも何話してるのか整理つかないで話してたんですよ
でも整理をつけるっていう意味では言語というよりも空間的な
つまりイメージのやらせる技ですよね
だから言葉化イメージ化で区分けしてしまう
人間的に考えてしまうっていうの自体がちょっと間違ってるのかなと思いますけど
それはね発達障害について勉強してる時も思ってました
もっと複雑な話なんじゃないかと
単に視覚的に認知してるってそれも無理があるんじゃないかと思ってました
でも発達障害界隈では視覚で考えるか言語で考えるか
っていう二極化させて考えてしまうわけですね
あと処理速度が必要なものはイメージにするイメージで考える
こういうこともあると思いますね例えば料理とかスポーツとか
でも人と議論したりしてる場合はイメージとか言葉で考えるとか
でも口論になったらイメージに切り替えるとか
だから口論になって感情的になって
もうぺらぺらぺらぺらぺら適当なこと言う人って完全にイメージに切り替えちゃってね
だから学生時代文章も今まではそうだけど
普通はどういう風に読むのかなって問いがありましたね
いちいち音声にするのかどうかっていうのもそうだし
全体を捉えろって言われてもそれもよくわかんないし
私は多いんだけど単に音声になるだけで
意味自体入ってこないっていう人もいるんですよクラッキーもそうなんですけど
もう完全に記憶しちゃうからそんな理解する必要もないっていう人もいますけどね
日本人は特に会話なんてテンプレートで話してるっていうし
その場の雰囲気で話しちゃってるからイメージで話してる人が多いと思いますね
だから日本人は右脳的って話も聞いたことあります
お疲れ様でしたそれでは明日