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はい、こんにちは。ポイエティークラジオです。お相手は、私、柿内正午と、本日はゲストでこの方です。
Ryotaです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
というわけで、大好評ということに勝手にしている雑談・オブ・ザ・デッドゾンビ談議第二回というところで、今日はRyotaさんと一緒にやっていければと思っておりますが、
前回はゾンビの全般についていろいろと話していくというやり方をしていたんですけど、今回は一作品に絞ってがっつりと深めていければと思っておりまして、取り上げる作品がですね、
セーラーゾンビという、あれはテレ東だったんでしたっけ?
テレ東ですね。
テレ東ですかね。
関東ローカルです。
関東ローカルの深夜ドラマ。しかも多分、あれ2014年ぐらいでしたっけ?
えっと、2014年の四月クールですね。
もう7年も前の深夜ドラマ、しかも関東ローカルについて、これからがっつりと語っていこうという、どういうタイミングやねんっていうのも含めて。
全くね、何の記念とかでもないですね。
そうなんですよ。
何周年とかでもないしね。
一応念のため僕自分のフォロワーに限るで、セーラーゾンビでツイッターで検索してみたんですよ。
見事にRyotaさんしか出てこなかったので。
そうですね。
おそらくこのポリエティックラジオ聞いてる方の中で見ている方の方がいない、いいんじゃないかなと思いつつも、
今日はちょっともう、前回同様容赦なくネタバレガンガンにやりながら、この作品について論じていければと思っております。
すごいですね。
どうしましょうね。
僕はあんまりこう、作品のざっくり概要解説みたいなのってあんま得意じゃないんですけど、
Ryotaさんからどんな作品だよみたいなのっていうのを簡単に説明していただけたりできますか。
大枠で言いますと、2014年の、今wikipediaを見ながらwikipedia情報を元に整理してお話しますと、
2014年の4月から7月にかけて、テレビ東京の毎週土曜0時52分から1時23分、金曜深夜に放送されていたテレビドラマです。
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で、もともとはですね、これは秋元康案件なんですよ。AKB案件なんですけど、
もともと秋元康が制作会社か何かとAKB×ゾンビ者みたいな企画やらないかみたいな話を最初大枠としてやってたと。
で、ただどういうストーリーにするかとかが全く決まってないので、コンテンツ化するにあたって、
クリエイターにストーリーとかキャラクター設定とかを全部お任せしますという形で、クリエイターにぶん投げてですね。
で、その時の総合演出とか企画のそのコンテンツのストーリー部分を担当したのが犬戸一新監督。
ジョゼと虎と魚たちとかで有名な監督ですよね。
で、この犬戸一新監督が一応企画総合演出という形で加わり、脚本もやってます。
で、共同脚本は渡辺良平さんっていう人で、この人は最近だと哀愁シンデレラかなっていう映画、
土屋太夫の棚掛け映画出てた映画とかを最近撮ってたり、あとはドラマ版の時掛けの脚本とかも持ちにあったりするような人。
で、主にこの犬戸一新と渡辺良平の2人が、もうほぼストーリーのクリエイティブをやったみたいな感じみたいです。
監督は渡辺さんと、あと多分古川さんっていう方はテレビドラマ畑の方だと思うんですけど、それともう一人、今泉力也監督っていう愛がバカ売れしちゃった、今めちゃくちゃ人気が異常に出ている監督だと思うんですけど、
多分2014年とかなので、まだ世間的にはそこまで映画監督としての認知度はないかなっていう感じですね。愛がなんだか2019年、この5年後に、5年後に大ブレイクするかもしれないですけど。
っていうまず、なので座組としては、クリエイターの座組はテレ東の深夜の終わりにめちゃくちゃ映画畑ですね。
で、一方でさっき言った通り秋元康氏案件なので、AKBがもちろん絡んでくるんですよ。AKB企画なので。で、主演3人がまずAKBの人。
当時どちらかというと売り出し中の人で、一番主演の大和田さんっていう人は多分演技初挑戦、当時14歳とか15歳ぐらいの超若手の人なんですね。
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で、あとは今めちゃめちゃ出てるかわいいりなさん。もう次の朝ドラのカムカムエブリバディーで3大ヒロインのうちの1人を多分やってますけど。あとは高橋じゅりさん。
高橋じゅりさん。この人は今AKBを卒業して、今韓国のガールズグループに所属してるらしいです。
あ、そうなんですね。なんていう感じです。だからもうここに載ってる人、この主演3人は多分全員AKB卒業してるんだよね。
7年前ですね。7年前。で、あとAKB周りでいうと渡辺真由さんとか、あと2人ぐらい。横山優衣さんとかが、ドラマの世界の中でのアイドルグループとして出演しているっていう感じですね。
あとは、大枠の話でプラスして言うと、メディアミックス的な展開もやっていて、このセーラーゾンビって。ドラマ版とコミックス版とアーケードゲーム版があるんですよ。
あ、そんなに色々あったんだ。で、ややこしいのがですね、コミックス版は主人公のキャラクターとか共通しているキャラクターはいるんだけども、結構ストーリーが違うっぽいんです。僕ちょっとコミックス版まで追ってないんで。
もっと言うと、アーケードゲーム版に関してはドラマと全く関係がなくて、ゾンビ化してしまったAKBのアイドルをワクチン弾を撃って助けるっていうシューティングゲーム。そういう別のゲームになってるんですね。
これは結構、どうやら当時ファンからは、テイとしてはゾンビになったアイドルを救うなんですけど、やってることは自分の推しアイドルを撃つっていうゲームなので、かなりファンからの評価が高い。
アイドル界隈の雰囲気はあんまりよくは追ってなかったんで、どれくらいのあれだったのかわかんないですけど、ゾンビ映画の自分の身内とか大切な人がゾンビ化した時に銃を向けられるかどうか。倫理的に一番揺らいでくるところをかなり軽薄にシューティングゲームに持って行ってしまって。
なるほど、なるほど。
っていうことをやってたらしいです。っていう感じで、一応メディアミックス展開はしてたんですけども、僕が当時追ってた、そのやいずみ劇屋さんとかユーロ石井さんとか、かなり映画畑の人が急にドラマでゾンビをやるっていうことになって、そっちきっかけでドラマを見始めたっていう感じですね。
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アイアンマヒーローの実写版とかよりもっと前なので、今よりも、最近だったら日テレのウォールデンタイムのドラマでもゾンビものをやったりしてますけど、君と世界が終わる日とか。
あとはカメ止めがある、ゾンビものをメタ的な企画として成功して、アイアンマヒーローみたいなメジャーな日本映画的な文脈でもゾンビものが撮られる、もっと前にやられた企画なので、
カントローカルではあるんですけど、日本でゾンビものでレンドラでしかも犬戸一新とかある程度キャリアのあるフィルムメーカーが参加した企画っていうことで、結構これは面白い企画だなと思って、僕は当時見てたっていう感じですかね。
ありがとうございます。
はい。
はい、というわけで、今のちょっと説明の端々でも分かったと思うんですけど、僕も多分りょうたさんもそんなにAKBの方の文脈には疎いというか、僕に関しては割とどちらかというと秋元康を憎んでいるので、どっちかというと積極的に。
僕も憎んではいないですけど、そこまで好きではないですね。
みたいなところがあるので、ちょっとだからそういう、りょうたさんがもともと別で出されてた同人誌の対談のような形で、このセーラーゾンビを論じているっていう原稿を読ませていただいたんですけれども、その時のあれを読むと、当時はやっぱりどうしてもアイドルものというかAKBありきの発行者なんでしょうみたいなところで、割とコアな映像ファンからは特に相手にももともとされず、
かといってそのAKB三宅で見てた人に関しても割と途中で脱落してる人たちもいたりとかで、正当な評価を受けないままにある作品だっていうところで、いろいろと面白い観点を出しながら評価していくような同人誌を出されていたと思うんですけど、
実際に見てみると、ゾンビものとしてめちゃくちゃこれは語りがいがある作品じゃないかっていうところを、両田さんからのプレゼンを受けてみた僕としてもかなり思うところがあって、今見ようとすると配信サービスだって限られてくるので、
パッと気軽に見れる感じではないんですけど、とはいえ何かしら工夫すれば見れなくはない作品なので、これを聞いてもっと見る人が増えたり論じる人が増えたら、なぜこのタイミングでっていうところで面白いんじゃないかなっていうのも含めて、今回の目標としては今泉監督に聞いてもらうところまでかなっていう。
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あり得ますね。
そうなんですよ。
ツイッターの稼働の感じを見ると。
そうなんですよ。ツイッターによくいらっしゃるから、いけるんじゃねえかって思いながら、それを目指してガッツリ話していければなと思うんですけど、論点が多すぎてどこから話そうかなっていうふうに思っていて。
はい、そうですね。
根本的なところから僕ちょっと話すと、そもそもセーラーゾンビに限らずですね、僕すごい日本のゾンビものにあんまり詳しくないんですよ。
そもそもゾンビの成り立ちからして、あんまり今の日本でゾンビってそもそも成立しないんじゃないのかなみたいなところが結構あったんですよ。
2010年代以降のゾンビっていうのは、生きる屍ではなくて、謎のウイルスによって凶暴化した人間なんだみたいな、28日後以降のゾンビ感でいうと、それこそアイアマヒーローだったりも含めて、何かしらあり得る、
ゾキュンみたいな形で、ゾンビの亜種としてのゾンビものっていうのは作り得るかもしれないけれども、正確にゾンビみたいなものっていうのと日本って相性悪いんじゃないのかなっていうのがまず何よりも思っているところで、その理由が日本には幽霊がいるんですよ。
そうですね。
ここ多分、後々セーラーゾンビの話をガッツリするときに、僕は10話がめっちゃ引っかかってて、10話がまさに日本的なゾンビだなって思っていて、要するにゾンビに自由意志っていうのを認めていいのかっていうところが、かなりゾンビにおいて重要だと思ってるんですよ。
どちらかというと、植物的に、精神というものがなくなってしまった後に、肉体がずっと稼働し続けているっていう、遊戯物論的なゾンビ感で僕はいるので、そのゾンビの中に何かしらまだ自由意志のようなものが残っていて、聖者と交信することができるみたいな予知が、セーラーゾンビの場合10話で1個示されるわけなんですけど、僕はそれにすごいもやもやしたんですよ。
すごいもやもやしたんですけど、ちょっと多分ここからまた深掘りしていくと思うんですけど、セーラーゾンビにおいて一つ大事なところに、ゾンビだけじゃなくて幽霊というか死者が出てくるんですよね。
聖者と交信している死者っていう、ある意味日本的と言うと微妙なんですけど、遊戯物論とはまた別の、精神に優位を持たせるような、肉体より精神に優位を持たせるような発想での恒例みたいな、霊と交わるような発想っていうものと、
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非常に近代的な、遊戯物論的なゾンビっていう存在とが、そのままなぜか丸ごと同居してしまっているっていうところにこそ、まずちょっと僕の中ではこのセーラーゾンビっていうものの、論じる取っ掛かりっていうのがあるんじゃないのかなっていうのが、思っているところなんですよ。
いきなりでけぇところから入っちゃいますけど。
そうですね、ストーリー上の話に説明すると、セーラーゾンビっていうタイトル通り、序盤は女子校が舞台です。
もう周りにゾンビが溢れている世界で、生き残った不死身女子高校っていう女子校の生徒と先生たちが校舎内で共同生活を送って、何とかゾンビから逃れて生きている。
そこに主人公となる女の子の舞子ちゃんっていうのが、家族がゾンビとかになっちゃってもう居場所がなくなっちゃったからっていうので、その不死身女子高校に流れ着いてきて、ある種転校生という扱いで受け入れられると。
なので、外がゾンビ浮世にいる世界なんだけども、それと同時に、その舞子ちゃんは時々妄想の世界で、自分が大好きなアイドルのミルクプラネットっていう、すごい軽薄なアイドルグループなんですよ、森が。
そのアイドルグループと妄想の世界で交信をするんです。最初はその妄想の世界にはミルクプラネットたちしかいなかったのが、どうやら作中で人が死ぬと、それはゾンビという形ではなくて、例えば体を食べられて完全に絶命してしまうと、その死者たちはミルクプラネットたちがいる時空の方に
移動するように。つまりそのミルクプラネットたちの世界というのは舞子の妄想の世界であり、死者たちが集まる世界になっているっていう、そういう意味で、さっき柿内さんが言った
リビングデッドとしてのゾンビと、あと死者としての幽霊っていうのが何か一作品の中で同時に存在するっていうのが、このセーラーゾンビっていう作品のある種一番の特徴であり、ものすごい歪なところを
そうなんですよ。やっぱりその幽霊の存在を認めてしまった途端にゾンビの不気味さってだいぶ損なわれちゃうと思うんですけど、でもなんかそれでもやっぱりあれが同居してるからこその、あの意味みたいなものをセーラーゾンビが獲得してしまってるってところに、やっぱりこうなんかただものじゃなさを感じるんですよね。
そうですよね。なんであんな形になっちゃったのかが全然わかんない。そうなんですよ。そうなんですよ。
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やっぱりなんか、そうですね、僕はやっぱりそのもともとこのセーラーゾンビ見ようって思ったのは両田さんからのこうお勧めされたからなんですけど、やっぱりその両田さんがもともとこうお話しされていた、そのセーラーゾンビっていうのは要するにその過去というものとどう向き合っていくかっていう物語なんだっていう整理のされ方をされているのをちょっと聞いて、へーなるほどなって思いながらこう見たっていうのがあるんですけど、
その何だろう両田さん的なこうなんだろうな読み方というか見方をしていくと確かにゾンビと幽霊が同居しているっていういびつさはすごい効果的な配置なんですよね。
やっぱりそこが何よりやっぱりこう大きいのかなと思っていて、あの同人誌はあれなんですか、あんまり広くこれから広めていく感じではない。
一応かきなりさんにお勧めした通りですね、AmazonのKindle版で一応買えるんですけど、うっかり僕本名をね、名前を出しているので、あんまり表だっては広めてないので、教えてほしい人がいたらこっそり教えていただければリンクを送れます。
ちょっと言ってくれれば。
今悩んでいるのは、対談で両田さんが示されてた過去との向き合い方みたいなところのセーラーゾンビの整理をもう一回ここで再演した方がいいか。
でもそれはそれでもう別にある意味前提として、僕と両田さんだけで吹っ飛ばして先に進んじゃうかっていうところをちょっと悩んでたんですよ。
ちょっとね、どっちにしろハイコンテクストなんで分かんないですよね。
そうですね。まあじゃあいいや。何か必要になったらなんか注釈入れる感じにひとつで。
適宜。適宜。
僕もどちらかというと過去との向き合い方みたいなところで見たときに、やっぱり一番思ったのは、霊とゾンビっていうものが両方とも同居していることの意味だったんですけど、
実はここで過去っていうものが固くされているのはゾンビではなくて死者の方なんだと。幽霊の方なんじゃないかなっていう風に見ていて、
マイコが折々に妄想するミルクプラネットのいる世界、それを一つの死者たちの理解として、そこで向き合ってコミュニケーションするところっていうところに過去っていうものがあって、
実はゾンビっていうのは、そもそもロメロイコのゾンビっていうのは生前の習慣を反復するみたいなところがあるじゃないですか。
そこも含めて実は未来が付在である現在を常に反復し続けている存在なんだっていうようなところが多分セーラーゾンビにおいてかなり強くて、
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割とそこで過去と現在っていうものをそれぞれ幽霊とゾンビに託して物語が進んでいく感じがあるなというふうに思っていて、
だからこそその主人公たちマイコ、モモカ、ムツミの3人っていうのは、特にマイコがなんですけれども、アイドルになりたいという夢を持って日々生き延びていくわけじゃないですか。
やっぱりそこで夢を持つっていうことにある意味そこに初めてその主人公サイドだけがある意味何かしらの未来っていうものを
一つ持ちながら生きているというところに非常に、めちゃくちゃストレートなメッセージがありつつ、
とはいえ何が一番ここで複雑なのが、その未来を一番夢見ているマイコっていう人が、他ならぬマイコが過去の象徴である幽霊たちとの唯一コミュニケーションできる個人でもあるんですよね。
そこの、もうある意味過去と未来を両方とも引き連れた上で生きていく人間っていう意味で言うと、本当にまずこのマイコっていう主人公の設定がかなりしっかりと設定されていて、
やっぱりここに何だろうな、実はめちゃくちゃしっかり行動的に作られた作品なんじゃないかというか、逆にガッツリ読み解いていきたくなるような、
服がすごいあるなと思っていて。何でしょうね。両田さん、軽くやっぱり説明しちゃいますけど、両田さんの対談の方でお話しされていたのは、やっぱりゾンビであったり、ある意味過去であったり、これ未来のない存在っていうものをいかに断ち切っていけるかっていうところにゾンビモノの生存するっていうことの要件は一つあるんだけれども、
あまりにも過去っていうものをゾンビたちを否定しつくしてしまうと、今度はその後出てくる大人たちの世界のように過去をただ切り捨てていってしまうっていうことは、今10代を生きている私たちっていうものも未来においてはゾンビのような存在として否定する対象になってしまうのではないかっていうところに問いがちょっと変わっていくっていうところに
一つこのセーラーゾンビの特徴があるんじゃないかっていう話をされてたんですけど、すごい子供と大人の対比で言うと大人は割とゾンビに近い存在として描かれるんですよね。
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さっきのセリで言うと、僕にとってゾンビっていうのはもう未来はないけれども、ひたすらに現在を反復し続ける存在なんだっていうところで言うと、先ほどの過去をあまり捨てすぎてしまうと結局自分たちのことも否定することになるんじゃないかって気づくのが最終回近くになって、主人公たちが学校からいられなくなって逃避行を続ける中で最終的にたどり着いた大人たちの
国みたいなのがあって、そこに行くと、それまで持ってた持ち物を全部捨てないとその国に入れませんよっていうところで、まず全ての過去から切り離された上で参入していくわけですよね。これはまさにそのすごいロコゾギイニシュエーションというか、まさに学生から社会人になるような段階が進んでいくと。
中に入ると今度は中に入ったで、その将来の夢っていうものを全部捨てろっていうことを言い付けられると。ここにおいて過去というものからまず切断された上で、未来というものからも切断されること余儀なくされる。
そこでその今のこの現在というところだけを生きるっていうことをやれば、君たちは生き延びられるんだよって言うんだけれども、そこのその国の中で現在だけを生きている大人たちの姿っていうのがほぼゾンビメイクしてないだけで、ほぼ大体ゾンビに見えてくるっていう。
あそこがすごいこう、あの、青春者ならではの意地悪さですよね。やっぱりだから大人になるっていうのはほぼゾンビになることと変わらないじゃないかってなったときに、でもじゃあそうじゃない、なんだろう、ちゃんとこう人間として生きるようにやりようっていうのはどこにあるんだろうかっていうのを最後にいろいろ考えていくっていうところがかなり重要だと思っていて。
やっぱりそうなってきたときに、過去というものを否定してはいけないと。過去というものをきちんと引き連れた上で生きていかなきゃいけないんだっていうところと、同時にやっぱり何かしら未来を思考して夢に向かっていかないといけないんだっていう。
未来からも過去からも切断された現在っていうのは非常に虚しいんだっていう話としてまとめやすいのかなっていうのが、まずはこう、なんていうのかな、基本線としてありつつ、どうしても僕が気になってしまうのが、とはいえゾンビものって未来ないんですよね。
そうですね。
っていうところで。
そこがね、難しいところ。
そう。
そうなんですよ。
だから、えーとですね、今どれくらい振り落とされたかわかんないですけど。
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もう気にしないですよ、今回は。
12話あるうちの、12話あるうちの序盤、前半、中盤くらいまでは高校が舞台になっていて、そこでは女子高生たちは主に人間の振りをしたゾンビがいるんじゃないかという不安に襲われていると。
で、自分たちの中にゾンビが潜んでいるんじゃないかということで、ゾンビっていうのは敵であり、先ほどの垣谷さんが言ってたような感じで、払わなければいけない過去の象徴的な感じで描かれていると。
ただ、第7話くらいからゾンビが校舎に侵入してきて、もう学校内にいられなくなったということで、ちょっとロードムービー的なパートが中盤に始まって、ここでちょっと年上の世代のお姉さん2人と合流して、ある種、ここは大学時代的なストーリー。
学校という学部から卒業して、ちょっと年上の人たちと一緒にモラトリアムの時期を過ごして、その中で過去のことも思い出話をするし、思い出話を知らせるんですよね、ここでね。
それでいて、未来どうしようかな、みたいな話も知らすっていう、まさに大学のモラトリアムみたいな時期をやりつつ、さっき言った通り、最後にニューアールみたいなところが、ある種の終点としてこの作品では置かれていて、遊園地ですよね。
遊園地をブラザー・トムが管理していて、DJマーロンというキャラクターなんですけど、ブラザー・トムというDJマーロンが管理していて、ここは安全なんだけれども、ここに入るにはさっき言った通り、荷物を捨てなきゃいけないということで、中に入るとみんな遊園地の乗り物にね、遊園地の乗り物に乗ってるんだけど、微動だにしないっていう人たちなんですよ。
中にいる大人たちっていうのは全部捨てちゃって。またその遊園地の乗り物っていうのも行ったり来たりして、実はその場から動いていないっていう、すごい象徴だったり。バイキングに乗ってるんですよね。
するんですけど、そういうふうに考えると、まずドラマのシリーズ構成が高校から始まって、大学を経て、モラトリアムな時期を経て、最終的にたどり着いた大人の世界は、なんだゾンビと変わらないじゃないかっていうシリーズ構成になっていて、これはゾンビもののレンドラしかも青春者としてめちゃくちゃ実は考えられている。
うん、そうなんですよね。
というふうに思います。
で、その中で、最終的に前子たちは、他の奴らはゾンビに、さっき言ったブラザーともに最終的にゾンビに食べられてしまうんですけど、ゾンビが聞くと、人を襲うのをやめて踊り出す曲っていうのがあって、
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で、ムンムンラルっていうすごいチープな、すごいふんぱんものの曲があるんですけど、
あれひどいですよね。
すごい、なんか適当に作ったインド映画の曲みたいな曲を流すと、ゾンビが勝手に踊り出して人を襲うのをやめるの。
で、その前子の友達であるむつみちゃんが、前子のアイドルになった時にデビュー曲を作ってあげるよって。
ただ曲をちゃんと作るのはめんどくさいから、メロディーはムンムンラルからパクったっていう。
その曲を前子が、自分の最後のアイドルとして、自分の曲を歌って死にたいと思って歌い始めたら、ゾンビが踊ってくれるので、
歌っている間はゾンビに襲われない。で、終わるんです。
そうなんですよね。
そう。
で、これをどう見るかっていうところですごいね。
でも、大人の世界で歌ったり踊ったりすることっていうのが、あれが単になんとなくアイドルになったこと。
アイドルになれました、ゾンビの世界だけど。
で、なんとなく最後の慰めです、ちゃんちゃんみたいな感じでもないじゃないですか。
そうですよね。だから桃子の夢が叶ってよかったねではないんですよね。
夢が叶ってよかったねではなくて、何かその何も希望なりなんなりを得ることなく、ただ現在現在しかないっていう、その世界でゾンビとして生きるよりは、何も望みがなくても歌うのだっていう。
それはものすごくビターなんだけども、しかし希望が全くないとも言えない、すごい絶妙な塩梅の着地に行ってて。
そうですね。
すごいそれがね、手放しでも喜べないし、しかし絶望的とも思えないみたいな、すごい複雑な要因で終わる。
そうですね。
そうなんですよね。
そうなんですよ。だから本当に、いやなんだろうな、僕は本当にあのラストに関しては、実はだから舞妓を中心に見てしまうと、何かわかんなくなるのかなって思ったんですよね。
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というのも、僕は舞妓を、もともと舞妓は何かしら車でどこかから流れていくわけじゃないですか、車の中で居眠りしてる間にゾンビに襲われて、
藤見高校のみんなに助けてもらって、学校での共同生活が始まっていくっていう一番の導入があるんですけど、そこからしてAKBものだからっていうのもあって、実は舞妓だけが主役じゃないんですよね。
そこでその襲われている舞妓を助けて、それ以降もずっと良き親友として一緒にやっていく藤見っていう人と、もう一人、当初はすごい嫌な奴な読者モデルをやっているっていう桃子っていう奴とかが出てきて、
この3人の物語なんだっていうふうに見ていくと、最後にステージに立つのも基本的にはこの3人じゃないですか。フロントにいるのは桃子なんだけれども、その曲を作ったのは
むつみだし、かなり急展開な感じはありましたけど、その場をセッティングしたというか、そういうような状況を作ったのは桃子なわけじゃないですか、みたいなところがあって、その3人の観点からいくと、まずむつみって最初からずっと唯一一貫してるんですよ。
決め台詞が。ずっとめんどくさい。汗かきたくないんだけどっていうのをずっと言い続ける。何かしら動こうとするたびにそれを言い続けて、とにかくずっとだらだらしてた。もしかしたらヘッドホンをつけて好きな音楽だけ聞いてたいっていうキャラクターで、ある意味一番ゾンビに近いんですよ。
今の快楽が楽しければいい。しかも何話かで舞妓とむつみとがドラム缶のお風呂に入りながら将来の夢を語っているときに、むつみはもう夢は叶ったって言うんですよね。
でなんかもうこの課題とか家族とかだるい世界が終わってしまえばいいのにって思ってたから、今超ハッピーみたいなことを言うのも含めて、非常にこうゾンビ的な感性を一番持っていて、一番この世界と親和性が高いのがむつみっていうキャラクターで、そう考えて汗かきたくないんだけどっていうセリフがめちゃくちゃ生えてくるんですよね。ゾンビ汗かかないですかね。
すごいねキャスティングぴったりなんですよね。ちゃんとね高橋ジェリーさん、目が死んでるんですよ。そうなんですよ。あれすごい。ちゃんと目が死んでて、すごいキャラ造形としてもめちゃくちゃ素晴らしい。ベストキャスティングだと思います。いや最高ですよね。
やっぱりそこである意味むつみっていうのは一番そういう元からゾンビ的な世界感の中でやってきた人なんだけれども、そのゾンビ的な価値観がなければそもそも曲がなかったっていう、歌う曲が存在していなかったっていうところに結構僕はグッとくるところがあって。
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結構僕やっぱりは秋元康氏アンチだからかもしれないんですけど、夢とかいうワードにすごいアレルギーを感じちゃうんですよ。
割とだから舞妓が物語上やっぱり未来を思考した方がいいみたいなところでいた方がいいのはわかるんですけど、やっぱりあんまピンとこないんですよね。
なんかやっぱりそもそもそこでその夢イデオロギーじゃないですけど、未来っていうものを常に考えてなきゃいけないんだみたいな、むしろその考え方によって
ディストピア的な状況ってどんどん加速してるんじゃなかったっけみたいなところをどうしても考えてしまうので、むしろその未来っていうもの全く欲しがろうとしない
むつみみたいな態度っていうものが最後にラストシーンにまでつながる状況を一つ準備してるっていうところに結構こう
ある意味それはもう未来に期待せずに今が楽しければいいじゃんっていうあり方、今のこのあり方をどう楽しむかっていうその態度っていうものに
実は音楽っていうものの意義ってそこにあるんじゃないかなというか、しみったれた過去だとかクソみたいな未来なんていうのはどうでもいいから今ここで踊ろうぜっていう態度っていうのは
やっぱり音楽には必ず重要なところだと思っていて、その態度こそがむしろやっぱり命をつないでいくんだっていうような
そういう整理の仕方でいくと割とラストシーンにおいてむつみ主観で言うとね
むつみ主観で言うとあのラストはかなりそういう僕として好みな読み解き方ができるなというふうに
そうですね、その一方でむつみはめんどくさいと言いながらやるっていうのは
そうなんですよね
すごいね、いいキャラなんですよね
そうなんですよ
めんどくさいと言いつつ、実はやるときはちゃんとやるし、なんなら一番仲間思いでもある
誰よりもクラスメイトのことを見てますからね
そう、あとでたぶん喋るだろう、桃香とも実はすごい仲悪いのかなと思ってたんだけども
実はものすごい桃香のことをめちゃめちゃちゃんと考えて、ちゃんと辛辣なことも言うっていう
そういう意味でもすごいいいキャラクターだし
今のそのそうですね、めんどくさいとかある種その夢を追っている舞妓だけが万歳っていう終わり方でないときの
そのむつみのポジションっていうのはすごい大切だなっていう
そうなんですよね
確かに今思いましたね
なるほどね
39:02
実はこの舞妓桃香むつみの中にもある意味舞妓が未来思考で
むつみが現在思考で桃香は過去を向いているみたいなところが
割と綺麗に配役されてるんですよね
やっぱりちょっとこの流れで桃香の話をしないとだと思うんで
桃香の話をすると
いいですよね
ちょっと僕多分これめちゃくちゃあのしゃべりすぎちゃうと思うので随時撮って言ってください
桃香に関してはその第6話かな
あのもともとその最初の第7話ぐらいまでがその学校パートなんですけど
その学校編の中で一番大きなサスペンス要素としてあるのが
生きた人間と見分けがつかないゾンビがこの学校にいるらしいっていう噂が流れていて
実際学校の中にはゾンビが侵入してこないにもかかわらず
不審な死を遂げたり行方不明になる生徒が何人も出てくるっていうのが
一つ
そうですね最初だからAKBドラマでゾンビ者だからゆるーく学園者なんでしょと思って見てたら
一番最初に舞妓に優しくしてくれる
かなり主要人物っぽかった中島さんっていう最初的な人が
第1話の最後で足首だけになって派遣されるっていう
あれ衝撃ですね
すごいね
これ結構あれなんですけど若干話の腰を下りますけど
テレ東の深夜ドラマでAKBドラマっていう情報を聞くと
ゆるいゾンビコメディみたいな感じかな構えで見るし
第2話いきなり巨大ゾンビとか出てくる
ある意味コメディ的な要素ポップなコメディ要素ももちろんあるドラマなんですけど
例えば第1話で主要人物がいきなり足首だけで発見されたり
あと途中で外に物資を回収しに行くときに外に出たら
この世は墓なんで警察官が拳銃自殺してる死体を発見するっていう
そこはちゃんと頭を撃ち抜いてる死んでる警官をちゃんと取ったりとか
結構ひきえーみたいなちょっとグロいというか
ギョッとするようなことを随所にやってきているドラマですっていうのは
情報として
なめんじゃねーぞっていうところありますよね
ちゃんとゾンビやってるぞっていう
今犬道側の意見
犬道側の意見として
それこそ主要人物だと思わせてた人たちもどんどん死んでいく中
42:03
誰が犯人というか人間と見分けがつかないゾンビなんだっていうときに
このモモカっていう最後の3人目の主人公が
最初からずっと嫌なやつなんですよ
さっきの主人公が転校してきて学校に囲まれたっていうときに
助けてくれるのはムツミなんです
さっき言ってた途中で足首だけになっちゃう中島さんとかみんなで
ようこそこの学校へって言ってるんですけど
モモカだけはうちにそんなもう一人足並みの余裕ないっしょみたいな
早く出てってみたいなことを言ったりとか
もともと同社モデルをやってたんで金があるんですよね高校生にしては
だから5万円やるから今すぐ出てけとか
すごい最初から割と不寛容な態度を示すキャラクターなんですけど
そういったこともあってどんどんどんどん学区内で孤立してっちゃうんですよ
この一番嫌なやつな
このモモカなんか全然最近うちのクラスにも馴染んでないし
あいつがゾンビなんじゃないかみたいなところで
疑いをかけられて
実際に状況証拠も割と揃っているっていうところで
学校裁判みたいなのが開かれるんですよね
そこでそのモモカのそれまでの行いだったりを
避難しながら追放するか否かみたいな
割と陰厳な回が
そう
すごい嫌な回ですよね
嫌な回があるんですよ
ゾンビの裁判なはずなのに
全然ゾンビかどうかと関係なしに
単純にどんどん丸口ガスになっていくっていう
ひどい回があるんですけど
でも割とあの回
すごい実は重要だったんじゃないかっていう風に思っていて
ちょっとこれ話また1回横道とれますけど
さっきから随分言ってるように
やっぱり青春モノとゾンビっていうのが
うまく融合している作品っていう中で
ひとつ大人への不信感っていうのが
すごいあるんです
大人は裏切り病にかかってるみたいなセリフも何回か出てくるように
やっぱり子どもたちっていうのは結構連帯して
手に手を取り合って頑張っていこうねっていう
ことをやれるんだけれども
大人たちっていうのは自分のことばっかり考えて
他人を蹴落としていきながら
生きていこうとするズルい奴らなんだっていう書かれ方は
結構繰り返しされるんですけど
この場合じゃ大人たちが裏切ってるのって誰なのっていうと
実は内輪の人間じゃないんですよ
その外部の人たちを裏切ってるんですよね
自分たちじゃない他の人たち
他人っていうのはもうどうでもいいから
自分とその仲間だけが生き延びられればいいやっていう
利己心なんですよ
大人たちが持っている裏切り病っていうのは
っていう風に考えていくと
モモカっていうのはもともと読者モデルで
45:02
外の世界を知ってるんですよ
それはある意味では
あの高校の中で大人になりかけている
ないしはもう大人になった
一度なった高校生としてモモカっていうのはいるはずで
そうなってくると
その背外的な態度というか
私たちだけ良ければ他の人はいい
自分と仲のいい人以外は別にどうなってもいい
だから転校してきた
まいこも別に早くいなくなってほしい
みたいなところで
割とその大人的な合理性
それこそ自分たちの仲間うちさえ良ければ
外部のことはどれだけ裏切ってもいいっていう
メンタリティをずっと持ってきた
キャラクターとして描かれていくんです
一度の転換点となるのが
学校裁判で
学校裁判であれは何が起きてるかっていうと
あれは子供たちっていうのはみんなで
それは仲良しごっこだったり同調圧力みたいな
陰謙なものにもなり得るかもしれないけど
それより前にまずみんなでちゃんと手に手を取り合って
頑張っていこうよっていう
大人たちのように内と外を分けて
内側だけの利害を守ろうとするっていう態度に対する
あれは弾圧なんですよ
そもそも内も外もないから
もう内も外もないからみんなちゃんとしっかりやっていこうよっていう
そこに取り戻す
側からの
あれは裁判なんですよ
っていうことを考えていくとその後モモカが
最終的に大人の国に対して
否を突きつけて
ある意味そこで内側に自閉することで
自分たちを守ろうとするっていう
大人たちの世界に対する
否を突きつけるのがモモカであることであるとか
急にその後手のひらを返してモモカがいいやつになることとか
っていうのは実はかなり
その理にかなったことで
早早熟な大人になりかけていたモモカっていうのを
ガツンともう一度子供の側に
ある意味それは内部な
博愛主義の方に戻す役割が
あの裁判にはあったんだっていうのが
結構思うところで
そうなってくるとやっぱりモモカにとっても
セーラーゾンビの全体を通しても
マイコが
転校生であるっていうのが
非常にでかいんですよ
やっぱり実はこの話っていうのは
他者をいかにして
勧退できるか
歓迎し
求め合わせるかっていう話でもあるんだと
ここでちょっと微妙につまらない話をすると
そこでようやくセーラーゾンビは
ある意味アイドルと
アイドル論としても
接続し得ると思うんですよ
なんですけど
一旦そこはちょっと置いといて
やっぱりそのセーラーゾンビは
すごいな
チラ見せして
文脈をチラ見せして戻った今
すごいな
マイコという転校生を受け入れられるかどうか
であるとか
もしくはその大人たちの世界に
無条件に子供たちを受け入れられるかどうかとか
48:02
今現在という
現在のサバイブに必死なこの状況の中に
いかにして思い出であったりとか
将来の夢であったりとか
現在からしたら他者である
過去や未来っていうものを
自分の中に受け入れることができるかどうか
もしくは窓の外側にいる
ゾンビっていうものを
自分たちの側に
扉を開くことができるかどうかっていう形で
常にあなたは他者っていうものを
勧退できますかっていうことを
問い続けてる話としても
実はこの
セーラーゾンビっていうのは
全編通して
読み解けるんじゃないのかっていうのが
実はこのモモカの
ある意味一番
ビルグスロマンっぽいのって
モモカなんですよね
一番成長してるのはモモカなんですけど
その成長の仕方がねじれてるんです
大人っぽかったモモカが
崖になって帰ってくるっていうところに
人はやっぱりこの作品の
モモカだけが逆行してるんですよ
高校生から
大学生っぽいモラトリアに入って
社会人になってっていう全体の筋書きの中で
モモカだけが読者モデルから
ただの女子高生に戻って
なるほど
面白いな
それはどういうことかっていうと
内と外を瞬別して
それぞれに自分たちの利害だけ
守っていこうっていう合理性から
一度降りて
今一度子供っぽい
みんなで何かしようよっていうところに戻ってくる
それが戻ってきた結果が
やっぱり生きてる人もゾンビも含めて
みんなで歌って踊ろうよっていう
やっぱり歌と踊りっていうのは
艦隊ですから
ここでようやくアイドルに来るんですけど
やっぱり何か歌って踊って
目の前の他者を楽しませよう
っていう
その原理がまず第一に
アイドルってあるんじゃないの
っていうところに
戻ってくるっていうところに
かなり
セーラーゾンビの
僕としてはだからセーラーゾンビは
艦隊の話だったっていうのが
なるほど
僕の中で今日
りょうたさんに一回提示したかった結論です
めっちゃ面白いな
なるほど
最終的に原アイドル論に戻ってくる
そうなんですよ
なるほど
やっぱりそれこそ
チームが違うだの
順位がどっちが上だの
っていうところで
大化をして
一番大人としての内と外の論理みたいな
誰担当みたいなところを
持ってくること自体見にくいじゃないかと
やっぱり
そこはちゃんと健全に箱押しで
一緒にゾンビと踊ろうぜっていうところに
行けないんじゃないか
っていうところでいうと
実はあれは
セーラーゾンビを通して
当時のAKBの在り方みたいなものを
一個批判することも
できたんじゃないかみたいなところを
なるほどな
と思いましたね
AKBをある種逆転させる
51:01
キロが
そこにあったのではないか
なるほど
あの頃のAKBの在り方っていうのは結局みんな初期モモか
じゃねえかみたいなところが
一つ批評として
ピリリと聞いているのかもしれないな
みたいな
アイドル系の話によっていくと
僕あまり苦手なのでわからないんですけど
とにかくやっぱり
ゾンビっていうものを
他者というか
自分たちを脅かすものとして書くっていうのが
ゾンビのスタンダードだと思うんですけど
そこからゾンビも含めて
あなたは
見ず知らずの他者
っていうのはどれだけ受け入れられますか
っていうことを最後に問いかけられた感じがして
そうなってくると
かなりゾンビモノとして
すげえとこまで踏み込んだな
っていう
気がする
ゾンビモノでは
なかなかありえない
最終回にして武器を置くっていう
結論なんですよね
武器を置いて楽器を持つ
っていうのが結論なんですよね
そういう意味では確かに
ある種の寛大であり
しかもそれが
ゾンビもあれば
ゾンビたちも踊るんですけど
さっき言ったミルクプラネットの軸にいる
死者たちも踊るっていう
そうなんですよね
全てが踊るっていう
寛大であるっていうのは
すごいね
僕は大林信彦の
映画で
この空の花っていう
映画があって
あれもラストシーンで
花火を生者も死者も一緒に見る
っていう
くだりがあるんですけど
そことかのその
実際感を感じてたんですけど
あれは寛大の感覚だったのか
なるほどな
っていうのを今思いました
なるほどね
結構そう考えると
めちゃくちゃだから
次は作品なんだぞっていう
気持ちになりますね
なりますね
なりますね
そう
キャラクターとかも
あんまり
今回メイン3人の話とかを
いっぱいしてますけど
基本的に主要キャラがみんなちゃんと
キャラ立ちしてるし
すごいドラマとしてもね
面白い
そうですね
見応えあるんですよね
それこそ両田さんは
覚えてた
田淵ね
田淵っていうね
かわいいポッチャリした女の子がいるんですよ
田淵はね
別に性格いいわけでもないんですよ
さっき言ったモモカの裁判の下りとかは
すごい嫌なことモモカに言うんですよ
だけど
ちょっとドン臭いところもあるんだけど
なんかすごいみんなから
可愛がられてて
ちょっとぽっちょこちょいキャラなんですけど
その田淵が
学校を出て
みんなでちょっと放浪する
54:01
ターンになった時に
先輩たちの代わりに
ちょっと何か食料とかを探してきました
で
同級生同じ
同い年の
前の子よりも田淵は
1校学年が下なんですけど
中央のキャラクターより
同級生の仲間と一緒になった時に
初めて田淵が
今まで何とかしようっていう
後輩キャラだったのが
先輩たちにも優しくしてくれるからさ
私なりに
できることが
なんか自分にできることを
見つけてやりたい
自分にできることを見つけて
やれるチャンスをずっと探してたんだよね
っていう話を
撮ろし始め
そしてその田淵が何をしようとしたのか
っていうところが
ドラマを見てるとすごく泣かせるんですよね
いやー本当にそうなんですよね
あれ
すごい泣かせるんですよね
僕当時
叫びましたもんね
あの田淵の
あの回で
あれが見つかったって
あれじゃん
ってなった時に
いや本当に
ここはね
ぜひ見てほしい
8話まで見ていただくと
あれはだからすごい
本当に
レンドラっていう
フォーマット自体が
歴史を作っていくじゃないですか
1話1話の積み重ねで
見ている側と
共通のコンテクストがどんどんできていく
ってやっぱりそこがレンドラの一つの強みだな
と思っていて
やっぱり8話において
田淵がやったことっていうのは
すごいだからこう
ある意味過去と現在と
ってのはやっぱり地続きなんだよ
っていうことであったりとか
その過去っていうものでにおいて
評価していたもの
っていうものと
現在の行いっていうものとか
によって
その
ある何かと
結んでいた関係性っていうものが
180度がらっと変わったりすることが
あり得るんだよっていう
過去っていうものはずっと引き連れて
いくものなんだけれども
常に普遍なものではなくて
割と現在の行いによって
いくらでも転換し得るものなんだっていうことを
提示した
話であると思って
あれは非常にレンドラ的な
そう
ささやかなものすごいささやかな
行動なんですけど
あれは素晴らしい
そうなんです
あとキャラでいうと
鍋島先生の話を
したいんですけど
鍋島先生
っていう先生がいるんですよ
これは主に
第7話ぐらいまでの
学校パーク
で登場する先生で
ゾンビ
ゾンビあふれた世界で
生きる希望もなくして
57:01
超てんぱってるし
もう
なんか
ちょっと目を離したときに
逃げ出したりするし
自暴自棄になって
さっき言ったサイバーのシーンでも
桃子だけじゃなくても
子供たち全体に当たり散らす
すごいね
最悪な大人なんですよ
最悪な大人なんですよ
鍋島先生は
でもなんとなく桃子は
そこにちょっと
シンパシーを感じてる部分もあり
なぜか桃子は
孤立してるんだけども
鍋島先生には
ちょっと優しい
それはたぶんさっき言ってた
外の世界を一旦見ている
でまたこの
居心地の悪い子供たちの世界に
帰ってきた桃子と
ある種もう自暴自棄になって
子供の世界にある種
閉じ込められて
正気をなくしている
鍋島先生の
シンパシーなんだと思うんですけど
鍋島先生は
まずキャラ造形として
素晴らしいのは
序盤のそのテンパってる
もう全然使い物にならない
鍋島先生って
服装めちゃくちゃなんです
ピンクの
ファーがついた上着に
ジャージを履いてるんですよ
衣服も全部混乱してる
ぶっちゃぐちゃになってるし
さっきの裁判の下りでも
いつ暴走するか
分かんないから腰に縄を
つけられて
上はジャケット羽織ってるんですけど
下はジャージ
チグハグなんです
そんなチグハグの服装の
全然先生としての
責任なり何なりを
全く果たそうとしないし
大人としても全く機能してない
ある意味
何て言ったらいいのかな
一周回って子供に
帰ってしまった感じもある
そうですね
その鍋島先生が
でもその第7話で
桃子を
救う
後に救ったんだってことが分かる
展開の時に
鍋島先生が
ビシッと教師の風に
服装をしながら血まみれで立ってる
そこで彼は
ごちゃごちゃだった
アイデンティティが
最後の最後で俺はでも教師として
学校に残って
子供たちを守れるだけ
守るし俺はここで死のう
っていう覚悟を決めて
スーツを着て
すごい穏やかな境地で
立ってる
他の教師は
別々と意味で裏切りを
行う教師たちが出てくるんですけど
それに比べると
鍋島先生っていう
キャラクターとかのことを
考えると
ちょっとね
また
鍋島先生
1:00:01
最後にかっこよかったよみたいな
気持ちにもなるんですよ
すごいそうなんですよね
鍋島先生だけが
割とその
セーラーゾンビにおける大人感って
意図的にめっちゃ単純化されてるじゃないですか
基本的にろくね奴らじゃねえっていう
ことがされてるんですけど
なんかやっぱり
そこにおいて
一つ複雑さというか
余地を残してくれてるのがやっぱり
鍋島先生の存在
なんですよね
さっきの桃子との
ある意味共感を持った
関係みたいなものも
やっぱり桃子も
桃子と鍋島先生だけが
大人と子供の区別って
実はそんなに
はっきり分かれてないってことを
知ってるんですよね
子供だからって言って大人を
ある意味
さっき僕は内と外を分けないのが
子供の特権だって言いましたけど
実は子供における外部ってのが
やっぱりいてそれがやっぱり大人なんです
お前たちはそうやって
全てをきちんと手に取り合って
頑張っていこうよって言ってるけれども
俺はその中に入ってないじゃないか
っていう
指摘の場面でもあったと思うんですよね
裁判というか鍋島の叫びっていうのは
やっぱりそこで実は
やっぱり大人と子供っていうものの
曖昧、区別の曖昧さを
自覚した上でそこに橋を架ける
ことができるのは
やっぱり桃子だけだったっていうところで
やっぱりこの桃子と鍋島先生との
関係性っていうのは非常に
こうやっぱりこう
ぐっとくるところがありますよね
なんかね、なんかペタに
なんかペタなドラマだと
あそこでちょっと恋愛っぽい感じに
臭わせたり
しそうなところを
結構ちゃんとしないっていうのが
ここはシンパシーだよっていう
ところで
ちゃんと臭わせる演出の
妙がちょっと効いてて
そことかもね
すごく上品
上品
そこは上品
そうですね
感じはしません
あとね
いろいろ
あとですね
キャラクター
っていうと
名前が
マリナ
マリナかな
アリナ
アリナが
やっぱりすごいいいところを
撮っていってて
さっきチラッと言った
巨大ゾンビが襲ってくるときとかには
主人公サイドが
割と合理的に
どうやったらそのゾンビを
回避できるかっていうのを考えて
実際に手を動かしながら
どうにか危機を回避していこう
っていう中
アリナゼは神頼みなんですよね
まじないみたいなことに
こだわって
何かこう呪文を唱えれば
思いが通ずるはず
1:03:01
みたいなことを言うようなキャラなんですけど
常に思い出を大事にして
写真を撮りまくったり
っていうキャラなんですけど
なんかすごい
なんていうんでしょうね
このさっきの
鍋島
桃子のような
中間性みたいなものと
また別のマージナルな部分を
アリナは持っている感じがあって
要するにオカルト少女じゃないですか
で
今あるこの
世界というものと
そうじゃない異世界みたいなものを無双する
っていう意味で言うと
ちょっと舞妓と似てるんですよね
そのまじないの世界
通用する世界と
今現在のこの世界っていうの
両方とも生きている
ふわふわした存在っていう
このアリナが
一回ゾンビになって
人間に戻ってくるっていう
役割を負ってるっていうのが
上手いの
どっちか人間の世界にだけ
執着しているわけでもない人に
ある意味何かしらの曖昧な部分っていうのを
オカルト的な想像力を
持っているキャラクターに
ゾンビと人間とって
間の境を
踏み越えさせるんだっていう
ここでもやっぱり
実はすごい非常に大人と子供とか
人間とゾンビとか
聖者と使者みたいな感じでパッケリと
二項を立てて
それぞれに存じているように見せかけて
いながらも
桃子であったり鍋島先生であったり
何かしらそういう中間的な存在を実は
要所要所に配置しているんだよっていうところの
一つのやっぱり
媒介工として
アリナのキャラ造形っていうのは
結構上手かったんじゃないかなっていうのを
ちょっと思っています
オカルト少女
なんだけども
一方で一番スマホで
写真撮ってる
そう
このドラマ
僕一番
上手いと思って感心したのが
携帯の使い方
なんですよ
ゾンビ世界なので
コミュニケーションツールとしての
携帯電話は
意味を成してないんですね
ドラマの前半は
スマホって
写真撮影のために
使われている
アリナが使ってるんですけど
つまり今の現在をどんどん
過去化していく装置なんですよ
どんどん現在を過去のものとして
切り離していく装置になっていて
で
アリナは
ドラマの途中で
人間っていうのは思い出でできてるんだよっていう
見方もするし
ある意味で
ゾンビに近くて戻ってくる
っていうのは
マージナルが境界線を超えるっていうのもそうですし
あの子にとっては
過去っていうものの方が
大事で
未来に対しての
未来への批准はないんだけども
過去への
1:06:01
執着だけが
なので
ゾンビっていう
過去に閉じこもっている
人たちのところに生き生きできる
存在にもなっているような気がするんですが
そういう形で
前半の
女子高パートでは
スマホっていうのは
写真を撮って
現在を過去化する装置になっていたのが
後半の
あるシーンで
動画を撮影するっていう
ものすごく
多分このドラマでも
最も感動的なシーンが
来るんですけど
僕今回見直しても
やっぱりこのシーンめっちゃいいなと思っていて
今まで
現在を
過去として切り離して
終わったものとして
保管していた
するための装置だったものが
過去の自分が
未来の自分に対して
メッセージを送ることによって
過去を切り離すのではなく
過去から
今の自分もしかしたら
未来の自分に
関係を繋ぎ直すための装置として
携帯が
切り替わっていると
意味が
メディアとしての意味が切り替わっていると
何なら180度逆になっていると
その転換の中で
舞妓が
この将来なんてあるのかどうか
分からないという
いわゆるパート的には
モラトリア向きのパートなので
もしかしたら
未来の私は
こんなことを言ったら
アイドル目指してるなんて言ったら
笑うかもしれないと思いながら
それでも
私はアイドルになることを
ずっと夢見ていますと
未来の私は
今の私を笑わないよね
っていうメッセージを
過去から未来に投げかけることによって
時間の
接続がここでなされる
っていうものすごく
感動的な
シーンになっていて
あのね
めちゃめちゃ映像もいいんですよね
あそこはやっぱり
その主演の
大和田さんは
正直演技初めて
なのっていうこともあって
やっぱり
他割と演技うまい
あの
俳優さんも生徒役にいっぱいいたりするので
そこでちょっと演技の
拙さは出るは出るんですけど
あそこのやっぱり
ビデオムービーのシーンは
やっぱアイドル映画とか
アイドルドラマでいうところの
一番なんかすげえ
決まってる
シーンとして
ちゃんと成立してるのもあって
すごくいいな
っていうのを今回改めて思い
でもう一個さらに
話をずらすとですね
この渡辺良平さんが
後に時をかける少女をやるんですよ
1:09:01
はいはいはい
でこれ時をかける少女も
合わせて見ていただくと
ちょっとセーラーゾンビと通停
通停するというかちょっと響く部分があって
あれって何度でも
選択できる
時間を選択できる
っていうタイムリープの話で
で
未来からある青年がやってくるんですけど
その未来は割と
セーラーゾンビのニューワールド的な
ある種ちょっと時間が止まったような
世界として
描かれている
なるほど
でその中で
主人公の黒島ユイナイジェル
時掛けのあの主人公のヒロインの女の子は
最初はタイムリープで何回でも選択できる
っていうことを
謳歌していたんだけども
その中で失敗もして
ちゃんと今一瞬の
この青春を選ばなければいけないんだ
っていうところに
向かっていくんですが
そこでキーとなっているのが写真なんですよ
うん
主人公はカメラでシャッターを切ることによって
何度でも繰り返される
タイムリープではなく
一回きりの選択でシャッターを切る
っていうことを選ぶっていうような
モチーフの使い方として
写真が選択されている
なるほど
これを
同じ渡辺良平が
同じ渡辺良平がですよ
携帯から
ビデオカメラに
意味を切り替え
解きかけでは写真を
そういう使い方で使うという
このメディアとしての
写真、映像、動画の
モチーフ使いの
上手さたるや
ここで
ぜひ解きかけもね
解きかけも見ないとですね
解きかけは全5話で終わるんだよ
そっかそっか
オリンピックの兼ね合いで
ちょっと短めだったんで
本当にそんな最近だったんですね
なるほど
解きかけはリオオリンピックです
夏の
2016年
7年ぐらいの
黒島優吾さん主演の
解きかけも渡辺良平さんキャプテンで
僕は個人的な
時間に関する
青春ものとして
かけるジャンルムービー
ジャンルコンテンツとして
ゾンビものが
あるので
ドラマ版解きかけが
タイムリープものとして
その観点で
個人的に僕渡辺良平
二部作として
その青春かける
ジャンルもの
二部作ドラマとして思っているので
ぜひね
セーラーゾンビ長いなって
思ったら
見るの足りないなって思って
あの解きかけはね
でも1時間ドラマだから
そんなに正直長さは変わらないと思うんですけど
そうですね
セーラーゾンビは
1:12:01
20何分とかですかね
30分ものでしたからね
の12話なんで
同じぐらいか長さとして
はいということで
そういう意味でも
面白い
ドラマなんですよっていうことも
言いつつ
これは誰が
聞いてるんですかね
いやもう
いいんですよ
そもそも
特に
長さ数とか
人気とか聞きやすさとか
何一つ考慮していない
番組なので
僕らが楽しけりゃいいんですよ
確かにただね
セーラーゾンビ見た後に
これ聞くと面白いですよ
セーラーゾンビはね
ちょっとここまでどうしようかと思いつつ
一応
何かしらちょっとずつ取手つけたり説明しながら
喋ってますけど
本当に
いろいろといろんな角度から
論じがいのある
作品なので
ちょっとぜひね
特に何にも
それこそ何かしらのスポンサードつけてほしい
ぐらい押しますけど
見られて
そうですね
ちゃんとゾンビモノである意味もあり
なおかつ
柿原さんが言ってた通り
ゾンビと幽霊が一緒に出るみたいな
ものすごくゾンビモノとしては
変なことをやってる
という意味でも
もちろんテレ東深夜の
低予算枠
っていうこともあり
若干のチープさとか
あと今見ると
女性感きついなみたいなところとかもあるんですけど
うん
割と
女性感だったり
家族感みたいなものに関しては
クソだなって思いながら見てましたね
そうそう
その塩梅はちょっと
そこの
完璧なドラマっていうことでもないんですけど
面白いと思いますよ
そうなんですよ
ゾンビっていうものと青春
モノっていうものがこんなにも
相性がいいんだというか
この2つを合わせるとこういう語り口が
いろいろ出てくるんだっていうのは
結構見てて驚きだったな
っていうところなので
ほんとにこうなかなか
他でないんだよなっていう
ものになってますね
そうですね
あとですね
ちなみになんですけど
この
あとですね
テレビ東京はですね
これ2014年の
セーラーゾンビだったじゃないですか
テレ東は
2014年の10月から
玉川区役所オブザデッド
っていう
ゾンビドラマもやってるんですよ
はいはいはい
テレ東とゾンビ
なぜか
1:15:01
この年は2014年だけ
他はこんなことないのに
2014年
テレ東は深夜に
ゾンビモノのレンドラを2本やってる
っていうおかしい年なんですよ
その年
ゾンビメーカーの塗料が余ったんですかね
ちなみに
これもね
主演はやしけんとひろせありさん
割といいキャスティングで
これは
ゾンビがたくさん
ある程度
うようよしてる世界で
玉川区役所の職員が
頑張っていろんなゾンビ絡みの
事案に対応するっていう
公務員お仕事モノですね
なるほど
これは割とベタに
ゾンビモノ
ゾンビがいる日常モノみたいな感じの
割と
セーラーゾンビみたいな
とがり散らしてるドラマよりは
見やすい
として
これも面白いかな
と思いますね
意外といろいろあるんですね
日本のゾンビ自体
あんまり触れてなかったのもあって
そもそも日本人が
ゾンビと対決してるだけで結構
新鮮さがあったんですけど
テレ東とゾンビが
テレ東ゾンビ枠が
出来つけて
ほぼその2本
2014年
誰かが何かやったんですか
やっぱりそこでテレ東とゾンビって
絶対相性いいはずで
ゾンビってやっぱり
低予算が基本じゃないですか
基本的に多くのホラー映画
ホラー映画っていうのは基本的に低予算
なんですけどやっぱり
テレ東も基本的に
予算ないからこその
面白さを
追求する曲じゃないですか
っていうのもあって
相性は良さそうだなって思いました
そうですね
そっか
予算感の話もあるんだな
結構やっぱり僕
ゾンビ映画の好きなところの一つに
低予算で
だけどなんか情熱と
アイディアだけはある人たちが
一生懸命なんか作るっていう
その一生懸命さんに
グッと来ちゃうみたいなところもあるんですよね
だからやっぱり
今回もセーラーゾンビとかもある意味
主演の3人とかはそこまで
演技が上手いわけでもないし
ゾンビ
メイクにしてもすごい
完成度がめちゃくちゃ高いわけでもないし
全体を通して
割とチープなんだけれども
チープでも
なんか尖ったことやったるぜっていう
気概はビシビシ感じるっていう
やっぱりそこに
潤沢な予算があって
綺麗に何か整えてみたいなこと
ではやれない自由さみたいな
本当にだから
初期衝動に近いような
ものを
感じられるっていう意味でも
やっぱりいいジャンルだなって思うんですよね
なんか
バンドのファースト
1:18:01
聴いてるみたいな
確かにね
ちょっとパンク
パンクというか
いろいろやってるなっていう
そうなんですよ
詰め込み過ぎ
ぐらいほど詰め込んであるっていう
結局それを実は若手監督やってるわけじゃなくて
割とベテランの人たちが
ちゃんと基礎に入ってるってところも含めて
ちょっと面白いなと思うんですけど
そうですね
いや本当ね
マジでテレ東の深夜だと思って
舐めてかかると
割と主要な
思い入れたキャラクターが
そんな死に方する?
みたいな
浜辺で
そんな
急に腕が
みたいな
そういうね
こととかがあったりするから
舐めてかかるとね
アイドル物でしょ
と思って見てると
もちろん作りとしては
チープかもしれないんですけど
結構精神的には来る
描写がね
ちゃんとある
やっぱり
アイドルとゾンビの
相性が果たしていいかっていうと
ちょっと
わかんないなっていうところがあるんですよね
相性がいいとすると
予算調達がしやすいとかだろうな
みたいな
キャスティングに入れれば
事務所から多少何かしらあるんだろうな
ぐらいの
大人な事情部分だけで
たてつけとして
ゾンビとアイドルっていうものを
軸で
何かを語ろうとすると
割と迷子になりやすい
ところもあるなと思っていて
そこが
なんだろうな
難しいところですね
純粋に青春ものと
青春ものっていう
ジャンルとゾンビものっていう
ジャンルとの
ものすごい幸福な形での
出会いだったんだっていうような
見方をしていった方が
多分面白く見れるんじゃないかと
気は個人的にしていますね
2014年当時に
孤独に見ていた僕が
今報われましたよ
このドラマ面白いよって
ずっとツイートしてた
俺の気持ちが
7年越しに
7年越しに
成仏していきました
これまさに
それってあれですよね
セーラーゾンビの世界観ですよね
やっぱり実は
セーラーゾンビってやっぱり
実は未来あんまりやっぱり
僕の中で重要じゃないと思っていて
過去と現在との
関係性の話だと思っていた時に
やっぱり先ほど
現在の自分を
ある意味過去にビデオメッセージに残して
未来に
問いかけていくっていうのは
1:21:00
実は未来に問いかけてるわけじゃなくて
今現在っていうものも
過去として扱うっていう
態度だったと思っていて
やっぱり現在っていうのは常に
過去っていうものから
何かしら問いかけられているし
何かしら応答され続けているんだ
っていう価値観がある感じがして
それで言うとやっぱり
過去において
自分が投げかけたものっていうものは
常に今現在に響いている
逆にもしくは
自分が今やっている行動っていうのは
常に過去に響いている
過去の自分の発言っていうものを
どんどんその価値をどんどん
変質させてしまう行いでもある
っていう風に考えていくと
なんだろう
それこそ幽霊っていうものと
生まれてきた人たちっていうのが
どう付き合っていくのか
やっぱりつながってくるところで
過去っていうのは常に
ずれ変わっていくものであって
その過去っていうものをいかに裏切らないで
今というものを過ごせるかっていうのを
常に考え続けないといけないよね
っていうのがやっぱり
今現在を生きるものが
死者に対してできる唯一の
過去に対してできる
誠実な態度の取り方だと思うんですよ
ってところで言うとやっぱり
ツイートによって今ここでこう 僕がなぜか急に夢中になって語り
出しているっていうことである とかっていうのはやっぱり僕の
この発言によって7年前のりょう とさんのツイートの意味合いが
ちょっとずつ変わっていくっていう 部分もあるし逆に言うと7年前の
ツイートに対して僕がようやく 応答してるっていう意味でもある
っていうところで言うとやっぱり 常に何かしら過去から問いかけ
られ続けているし現在っていう のはそれに対して答え続けてい
かないといけないんだっていう 態度表明としてのビデオメッセージ
だったっていうところもあるかな と思っていてそれで言うとやっぱり
今7年越しにこうしてセーラーゾンビ を語っているっていうのは非常
にこうセーラーゾンビという作品 に対しての応答としても完璧なん
じゃないかって気がしてきました ね
いや素晴らしいじゃないですか あれはそうかあの頃の俺はビデオ
メッセージを送ってたんだな笑わない ですよね私のこと笑わないです
よねありがとうございますって言う のを今岸井さんに向かって投げ
かけられてたわけですね
そうですねそういうことですよ
そうだったのかそうだこれはもはや 俺しか分かってないなこの感触
もうこれは誰が聞いても今分からないん じゃないかっていう気がしてきました
ね
そうですね今もうどんどん振り 落としていきましたね
俺しかこの乗り物に乗ってない 感じがすごいしてきましたよ
いや最高ですねもう1時間半近く 喋ってますからね
やばいなぁなんかねまだセーラー ゾンビの話しかしてないですから
1:24:03
ね
そうですねセーラーゾンビの話です から今日は
そうですね
どうしましょう一旦セーラーゾンビ 回としては切りますもうちょっと
セーラーゾンビについて語って おきます
そうですねまぁちょっと軽く触れ とくとやっぱり2014年の4月っていう
タイミングだったのが結構まぁクリエイティブ の人がそこまで意識してるか分かんない
ですけど
3.11の後のタイミングで例えば高校 に入った人はちょうど2014年の4月
って高校を卒業して次のステップに 踏み出してるタイミングだった
と思うんですよ
なるほど
でそのタイミングであの作品が作られた っていうことは犬戸さんなりその
クリエイター人がどこまで意識してた か分からないんですけどむしろ
あの物語であの作品が作られたって 言うことは
それでもまだ高校の中で友達とかが いたりとかまだ誰かがいたっていう
安全な高校っていう枠の中にいられた 時からまたちょっと外に踏み出さ
なければいけないタイミングそれこそ 大学とか社会とか
なるほど
踏み出さなければいけないタイミング だったと思うんですよ
外に踏み出さなければいけないタイミング
それこそ大学とか社会とか
なるほど
踏み出さなければいけないタイミング に
もうすごく偶然なのかどこまで測って たのかわからないんだけども
ぴったり複合したという意味ですごく
ドラマとしてのタイミングも僕はすごく
バッチシだったんじゃないかなって 思いますね
思いますねポスト3.11の青春ドラマとしても ちゃんと意味のあるタイミングで
描かれていたししかもそれを要するにその ああいうカタストロフが起きた後の
学生たちその直後の学生たちではなくてそういうものでいったん何か うーんと思った通りの青春を描けなかったりとか何かちょっと外側と
の帰りが起きてしまった中でいよいよ外に出なきゃいけない子たち に向けてそのタイミングで送り届けられたのだとすれば
ものすごくタイミングとしてもいいドラマだったと思うし 加えて言うなら途中で8コンセーラーゾンビというドラマはあのゾンビのワクチンが
実はあるんだけども そのワクチンが従前に届けられていない
まあある種 外になかなか出られないというほどの時点ではこのコロナタイミングで見ても特にその若い人とかが見るタイミングとしては決して
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今見てもセーラーゾンビはまあその当時の受け取り方とはまた違うかもしれないけども 今見ても
なんか この今のご時世と
重ね合わせて 何かしら感じ取ることができるタイミングとしては
今見てもいいんじゃないのっていう 素晴らしいですねそうですね
で いろいろ
いろんな人が死んだりとかもするしね 悲しいことがいっぱいあるドラマなんですけど
怖いシーンは薄めで見つつ 当時の秋元康の
顔とかがちらついたり家族感がめちゃめちゃきついところとかもあるけど でも何かしらなんかこう
得るものは あるドラマになっているのではないかなという
なんかねそのいい話っぽいしつつ ゾンビドラマなり
青春ドラマとしてなんか面白いこといろいろめちゃくちゃやってる ゆるくて楽しい
ポイントもたくさんあるし第2話の僕 巨大ゾンビの下りとか普通にコメディとしてめっちゃ楽しい
あのすごいあの舞妓の透かし なんかとぼけた感じの反応とかすごい第2話と久しぶりに見直すと
コメディとして普通にちょっと笑っちゃうところとかもあったりしたので 単純に見て
まあ面白いとか逆にまぁちょっとやっぱ あのちょっと見てらんないなっていう人もしかしたらね
いるかもしれないけどなんて言うんだろう あのまったくで感想ゼロのドラマではない
うんそうちょっと乗るめちゃめちゃ乗れないとか めちゃめちゃ面白いあると思うんですけど
なんか全く何も感じないんだよなことは多分ないのではないん よしよかったらなんか
思い出したタイミングでそうですねいただければ 当時の僕がまた報われるんじゃないかなと思います
そしてこのポッドキャストねー 数年後に
ビデオレター的に未来の誰かにそうですね僕と もう素晴らしいんじゃないかなとそうですねこの未来の誰かがこのポッドキャストを聞いて
でも人笑わないでいてくれるだろうと信じて ネットの海に放流しようと思います
はい着地ですね綺麗に綺麗に終わったということで ストイエティークラジオ
お相手は私柏井翔子と 平田でした
ありがとうございました ありがとうございました