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2021-12-13 1:10:24

第七十六回 ゾンビは社会に包摂されてはいけない?──雑談・オブ・ザ・デッド4 ゲスト:Ryotaさん

ごく一部の熱狂的な支持を得ているゾンビ談義第四弾!『CURED』と『マギー』を中心に「ゾンビになること」について語ります。するとなぜゾンビ映画を観るのか、という根源的なところにまで話は及び──?

00:29
はい、こんにちは。ポイエティークラジオです。
本日は、雑談・オブ・ザ・デッド第四弾ということで、
私、柿内正午と一緒にこの方に来ていただいております。
Ryotaです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、特に誰も待っていないかもしれないゾンビ企画。
第四弾。ちなみにこれですね、めでたく書籍化が決まりました。
やったー!
やったー!
素晴らしいですね。
僕らは勝手に本にするんですけど、日が早いですが、来年2022年5月の文学振り間東京で、
雑談・オブ・ザ・デッドの書籍版が出ますので、やってる予定ですので、
数少ない、たぶん2、30人ぐらいのファンの皆様は、ちょっと楽しみにしていただければなと思いますので、よろしくお願いします。
鋭意製作中ですからね。
鋭意製作中ですからね。
張り切って表紙だけ勝手に作っちゃってるっていう、謎の仕事の早さ。
収録するおしゃべりをまだこれからしていくっていう状況ですが、
というところで、まずはですね、
ちょっとツイッターっぽい、エティックのツイッターだったりでも書いてるんですが、
非常にですね、このゾンビ回の再生回数が、
割と他のものと比べて相対的に弱かったりもするんですが、
その分熱烈なファンがですね、ついてくださっていたりもして、
とうとう、りょうたさんと僕宛てにお便りが今回届いておりますので、
嬉しい。
その紹介をさせてください。
ラジオネーム、竹花舞子さんからのお便りでございます。
こんばんはいつも楽しく拝聴しております。
ゾンビ映画が大好きでよく見るのですが、お二人の熱いお話を聞いていると、
03:00
そんな意味があったんだ、など発見が多くとても楽しいです。
全6回ぐらい聞きたいと勇気を出して、ツイッターに書いて本当によかったです。
嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、
こういうテイクラジオのおかげで、最近私は毎日がかなり充実しているように感じます。
嬉しいですね。
キュアードはいかがでしたか?お二人の感想を聞くのが楽しみです。
前回柿内さんがお話しされていたゾンビアットホームは知らなかったので、見てみたいと思います。
ものすごく面白い作品というわけではないのですが、
2013年公開のウォームボディーズは、人間の時の記憶を所々を持ったゾンビ、
ニコラス・ホルドが人間の女の子に恋をするという話でした。
近未来の人間vsゾンビという世界で、ガイコツと呼ばれるもう一種類のゾンビも出てきたりします。
前回チラリとゾンビーバーという単語が出ていたので、こちらもご存知かもしれないですが、
2007年公開、日本では2020年公開のブラックシープという映画があり、
遺伝子操作により凶暴になった羊が人間を襲うというニュージーランドのゾンビ羊の映画です。
噛まれると羊になります。丘を駆け下りてくる羊の大群のシーンが良いです。
ヒューマントラストシネマ渋谷で毎年行っている未体験ゾーンの映画たちというイベントで見たのですが、
上映後に場内から拍手が起こりました。
長くなってしまいすみません。お二人のゾンビ映画への熱量は最高です。
これからも楽しみに聞きたいと思います。
ということで
ありがたい
嬉しい
これはとても嬉しい
嬉しいですね
お便りですね
リコメンド付きで
嬉しいですね。やっぱり漠然とした再生回数とかそういうことよりも、
具体的に何か誰かの生活の彩りになっているのであれば、
僕らのこの勝手な雑談も励みになりますね。
ちなみにウォームボディーズのブラックシープもタイトルは知っていたのですが、
まだ見れていないので、ぜひ今後
もし何か言及したいことがあれば
言及したいなと思います。
恋人がゾンビになるものとか、ゾンビと人間の恋愛ものみたいなのも
ちょこちょこ作品はあったりはすると思うので
多分そこまでがっちり話せるぐらいあるかは分からないですけど
ちょっと見てみて、確かにそうですね
ブラックシープとかゾンビーバーとか、人間以外がゾンビになるものも
もしかしたら掘ると思っていっぱいあるかもしれないし
そうですね。面白そうですね。
06:02
僕もウォームボディーズもブラックシープも未チェックなので
ウォームボディーズの方だと多分配信とかにも入ってそうだから
ちょっと今後チェックしてまたお話できたらなと思っています。
ちなみにまだ第5回6回分の録音をする予定でいますので
これを聞いている方でゾンビ映画のレコメンドであったりとか
単純に聞いてるぞというような励ましのお便りだったりを
また僕やりょうたさん宛にいただけたら
こんな感じでとっても喜びますので
ぜひよろしくお願いします。
もう嬉しいですね。
嬉しいですね。
単純に自分たちが楽しいから喋ってるだけっちゃだけなんですけど
やっぱりせっかくだったらそれで誰かが喜んでくれてたり
何か思いついたりするっていう
良き反応があると楽しさの連鎖があると
やっぱりそれは嬉しいですね。
ということで今日はキュアードはいかがでしたかという話もあったんですけど
前回の告知通りキュアードであったりとか
主にゾンビになってしまうことみたいなところをテーマに
ちょっとゾンビ映画の話をしていければなと思っているんですが
まずはキュアードの話ですかね。
今回僕らの中で見ている映画を先にちょっと言っておくと
多分今日はキュアードの話をメインに
あとマギー
そして余裕があったらゾンビの中心で愛を叫ぶの話も入るのかなと思いつつ
あとはリョウタさんだけが見て僕がちょっと見れなかったコリンであるとか
ちょっとそのあたりの映画の話もちょっと交えながら
していければなと思うんですが
はいはいはい
キュアード
どうでしたか
えっと
面白くて
多分この後のもしマギーの話もそうだと思うんですけど
多分柿内さんが言ってた好みはどっちかというと
ロメロゾンビ的な
ゾンビになる理由がわからないゾンビ映画の方が
ある種柿内さんの好みだって話をされてたと思うんですけど
僕も割と不条理なゾンビものっていうことに関して言うと
そういう不条理なものも結構好きで
理由がなく増えていく不気味さに比べると
キュアードとかこの後話すかもしれないマギーっていうのは
両方とも割とちゃんとウイルス性であるっていうことが示されてるんですが
09:02
逆にウイルス性であるっていうことをかっちり決めたことによって
ゾンビものに新しいストーリーテリングみたいなものを
持ち込むことができるんだなということを
特にこの2作同じようなタイミングに見て思ったところですね
特にキュアードとかは大きな設定の説明をすると
一旦ゾンビウイルスがかなり蔓延してしまって
ワクチンが開発されるんですよね
全体のうちゾンビの75%はワクチンが効いて人間に戻れるんだけれども
残りの25%はゾンビのままで薬が効かない
その中でもともとゾンビだったワクチン投与を受けた人たち
そして人間に戻った人たちは
社会復帰してくださいねっていう感じで
外に送り出されるんだけど
まず元ゾンビ自身は人間を殺した記憶
食った記憶 襲った記憶っていうのが
完全に残ったままで社会復帰している
しかも社会復帰したら下でゾンビにならなかった人間たちは
お前たちは人殺しだろっていうことで
元ゾンビを急断し差別するっていう
非常に恐ろしい
違反をちゃんと
ゾンビが人間に戻ったらっていうことを
結構ちゃんとリアルな
そうでしょうね こうなるなりうりますよねっていうところまで
落とし込んでいるのは
作劇としてめっちゃしっかりしてるなと思いながら見てました
とりあえず最初の感想としては
ありがとうございます
本当にもうその通りでというか
いやもうなんだろうな
先に言っておくと今回取り上げるゾンビ物に関しては
僕は全部すごく面白い作品で
いい作品だなっていうのは前提とした上で
すごい好みじゃないんですよね
ちょっと前回両田さんと
事前にどっちかというと本にしましょうっていう打ち合わせで
別でちょっとお話したときに
ちらっと話しちゃったんですけど
今回お話しするゾンビ映画って
基本的にしみったれゾンビ物なんですよ
僕はカラッとしたゾンビ物が好きなんだなっていうところがあって
ちょっと好みと外れてるっていうところで
もしかしたら今日の僕の
テンション低めかもしれないんですけど
とはいえ
すごいキュアードに関しても
嫌いさをめちゃくちゃえぐってくるというか
僕にとって嫌な部分を全部ついてくる
心が揺さぶられたという意味では
12:00
やっぱりめちゃくちゃ上手い映画だったな
その演出一つ撮っても
生きた人間の方がゾンビだったり
クリーチャーに見える瞬間だったりとか
ある意味ベタベタなホラーのカメラワークだったり
音響の使い方をしながら
むしろ不気味さを際立てていくのは
正気を保っている人間の側なんだっていうような
演出の上手さだったりとかっていうところに
非常に
何だろう
嫌な気持ちになりましたね
たぶんちゃんと嫌な気持ちにしようっていう作りなんですよね
そうなんですよ
だから別にゾンビ映画見て
大体のゾンビ映画は嫌な気持ちになるんですけど
とはいえ
治っちゃったらどうしようっていう方が怖いんですよね
その怖さ
怖さって言っていいのか分からないですけど
居心地の悪さだったり
胃に穴が空きそうな感じだったり
しかもそれを日々の生活にくたびれる役をやらせたら
ピカイチのエレンペイジが
そういうわけですよ
ゾンビから蘇生した
家族を
しかもちょっと複雑な関係にある家族を
義理の弟かな
を迎え入れて
保護する家の
母親役がエレンペイジなんですけど
打ちひしがれたエレンペイジの顔を見るだけで
ただでさえつらいのに
つらすぎるっていうところで
僕だから
つらすぎて
iPadで見てたんですけど
途中で風呂掃除始めたり
皿洗いしたりしながら
具体的な自分の生活をしながらじゃないと
とてもじゃないけどこのつらさ浴びれないみたいな感じで
見てしまうぐらい
半分逃げてしまうぐらい個人的には
嫌な映画でしたね
そうですね
語りだすと
褒める意味での嫌さが
いっぱいある
嫌って言ってるのはかけがえさんも僕も
褒める意味で言ってるんですけど
すごい嫌な映画なんですよ
その話をすごいしたいんですよね
だから
すごい
面白くて
さっきも言ったとおり
ゾンビから人間に戻った人たちは
実社会に戻ろうとすると
お前たちは人殺しただろうという差別を受けると
なんなら
15:01
もともとの職業から
転落する人も出てくるわけですね
元ゾンビのレジスタンスのリーダーのやつは
元々弁護士やってて
選挙にまで立候補しようとしてたんだけれども
ゾンビになってから
多分母親を殺してしまったりとかもして
父親から絶縁状態にされ
結局仕事も元の仕事には戻れなくて
今は清掃員をやってるみたいな
そういう状況で明らかに元ゾンビというのは
差別を受けて人殺しだというふうに
言われているんだが
しかし人間側の社会では
元ゾンビではなくて
人間に戻れない残り25%のゾンビに対して
何をやってるかというと
収容施設に閉じ込めて安楽死をさせようとしてるわけ
ということは
君たち75%の元ゾンビを人殺しだって言ってるけど
残りの25%殺す気満々じゃないですか
人間たちって
そういう状況で
ものすごい
ゾンビ映画で
過去の回でも喋りましたけど
結局ゾンビって言ってるけど
人殺しであるということを棚に上げているだけでは
という問題が元ゾンビっていう
もう一個入ってくるファクターによって
かなり浮き彫りになっているし
しかもそれが割と
ゾンビ映画でありつつも
新しい語り口だなっていうところですよね
それがすごい嫌だっていう
作りなんですよね
そうなんですよ
ある意味
パンデミックの収束後の話なわけじゃないですか
だから
ゾンビから治ってしまった後の地獄を描く
という時点で
ゾンビ映画というのは
本当に
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
自分の
18:01
自分の
っていうのは排除の論理であったりとか差別であったりとかまあいろんな地獄が ずっとあるよねっていう一度ぶっ壊したところで結局社会はこんなもんだよって
むしろどんどん酷くなっていくよっていうような書かれ方をしていくってところがやっぱり キュアだの得意性なのかなっていうことを
思っていて なんで
そうなんですよね いや嫌な映画なんですよだからそのなんかその最終的にそのこう
ある意味最後 あるあるのゾンビものというかクリーチャーものとして最終的にこう軍隊が
全部駆逐してくれて助かったハッピーって終わり方をするじゃないですか 実はその後にこそ
地獄は待ってるんだぞっていうのを突きつけてくるっていうのが 単純にその設定の上手さとかだけじゃなくてちゃんとそこに徹底して
その子社会に対する批評性であったりとか マーリンゾンビであるからこそストレートに描ける部分っていうのを
まあかなり容赦なく 一番最悪な方向に考えた想像した展開が全部やってくるような映画になっているっていう
のが うーんやっぱりだからうまいんですよねー
ん そのそうなんですだから本当に
その 他のゾンビ映画と同じぐらい下手したら息苦しい
それ以上に下手したら息苦しい感触がずっとある 多分
その まだ閉鎖空間の中でそれこそロメロのゾンビみたいな
ショッピングモールの中で閉じこもってライダーちょっと楽しい時間があります みたいな感じじゃなくて
ずっとその元ゾンビが人間界に復帰した後も 例えば家族で過ごしているささやかな時間はあるんだが
うっすらとその アフターゾンビの世界を生きている感触が漂ってるっていうところで
やっぱりずっと息苦しい感触があるのは すごく
あの多分その撮り方のテイストとかもいわゆる ジャンルムービーみたいな感じというよりはちょっとリアルよりなんですよね
手ぶれがあったりね 着方というか
タッチとかがそういうのもあって その
割とずっと息苦しい話を見させられている感じっていうのはありますよね うん
だからゾンビの小哲学っていう本があるんですけど それはどちらかというとゾンビという表彰が
だったらイメージがどういう意味を持っているのかっていうような本なんですけど その中で一つ言われていることとしてその近代社会に生きる人間にとって
むしろアポカリプスというのは忌避するべきものでもありながら どこかで待ち望んでいるようなところもあるんだと
21:06
今このある社会というもの崩壊する様を見てみたいみたいな 後ろ暗い欲望っていうものを人は持っていて
それがこうあの 映画の中に現れるとやっぱりそこに何かしら背徳的な喜びを感じるもん
なんだみたいなことを書いていて 僕は結構それに納得してるんですけど
キュアドに関してはゾンビ映画でありながらも 待望される週末というものがやってこなかった
世界 だからロメロ映画に対しては閉鎖空間っていうところから外に飛び出していって 例えば南の島だったりに行くっていうのは
一つの救いでありカタルシスなんですよね なんですけどキュアドにおいてはもうすでにそのアポカリプスが終わっている時点で
ある意味社会の外部がほぼない想像できない状況っていうものがある意味その スーパーマーケットや地下の軍事施設よりも
逃げ場の無さだったり息苦しさっていうものを強める これすごい面白いなと思って病室にいるよりも社会復帰しなさいねって言って
外に出されてからの方がずっと窮屈に息苦しい絵が続くんですよね こんなそうなんか逆転というか外に出たところで一体何があるのみたいな
書き方にもう維持の悪さ をすごい感じてまでもすごいだ非常に高いとこ知的な映画だなっていう
そうすごい思いますね また非常にさらに意地悪なのが
では元ゾンビ側は その差別を受け続けるかわいそうな存在なのかというと
果たしそうなのかっていう問題もありそうですねにそれを固くされているのはさっき 言ったその弁護士から転落してしまう
コナンっていう元ゾンビ軍団のレジスタンス勢力のリーダー格の男なんですけど まず過激思想の持ち主な上に何かねエレンペイジに対する距離感とかがセクハラ臭い
というのもあるんですけど いやあいつ最悪なんですよね
俺に会いに来たのかとか言うんですねあれね いやもうほんと最悪なんですけどでその上でまあその主人公を騙して
あの人が寝てる家に火炎日放り投げさせたりとかそういうことをしたりするんだ 最終的にえっと
終盤彼らが起こす一番まあ テロ行為っていうのは俺たちは元ゾンビだから元ゾンビは8現ゾンビの人たちに
襲われないんだ俺たちは平気だねー 現ゾンビを収容所から逃がして世の中に解き放つことで俺たちの存在というの
アピールするぞみたいな感じのテロ行為に出るんですけど あのそれって元ゾンビのあなたたちも現ゾンビのことを人間扱いはしてい
24:10
ませんよねっていう 問題が一つあり
いやのなんていうのかな これまでのゾンビ映画だと
まあ書きなさも受けましたけどある種その人間側が えっと隔てたところから
8 その外部がもう一回内部に戻ってくる
何かしらの過失とかによってっていうところがあったのが そこに元ゾンビの人たちがゾンビ側から彼らの勝手な倫理で社会もう一回穴を開け
ようとするとした時に あれ果たしてこのゾンビっていうものは
その今までの最終的に人間たちを駆逐する弱者としてもゾンビ みたいなものとまた違っていわゆる弱者の中でさらに弱者側に追いやられた人たちが
その外に借り立てられて 殺されていってしまっているだけなのではないかと思うと
非常にカタルシスがない そうなんですよねいわゆる人間世界を食い破れっていう
まあゾンビ映画でいうところの僕たちが一番その見ていてある種のその創作した カタルシスをバーンと浴びるところは人間世界をゾンビたちがわーっと追い尽くすところの
はずなんだけども そのゾンビの中で元ゾンビの奴らがゾンビという弱者を利用して自分たちの
g 行為に使おうとしていると デモストレーションとして使おうとしているって言うことが
コードが1個入ったことによって これも全然ある意味でカタルシス
ないそういう展開になっていても非常にね もうそういう意味でもね
あれに確かにそのかけんさんが言ってる通り ゾンビ映画を見る楽しみが逆にこの意識的に入りされているのかなっていうふうな
意味でもうんそこはすごくチャレンジ そうですねだしちゃんといい意味で嫌な映画になってそうなんですよ
あーでもそうなんですよね すごい
よかったぞっていうのが大前提で文句ばっかり言ってるみたいになっちゃうんですけど あの特に大事なネタバレになっちゃうかもしれないんでここからちょっとネタバレ
度が増しますがその元弁護士だったゾンビっていうのはその ゾンビのゾンビ時代からすでにそのゾンビ感でコミュニケーションが取れていたっていう
あの要素が入ってくるじゃないですか なんでなんていうのかな ゾンビの中にも序列があってある意味リーダー閣のやつらが
その他のゾンビを従えていたみたいな話が出てくる 場面があるんですけど僕そこでちょっとそのキュア度のいいところっていうのある意味
27:06
ゾンビ映画のカタルシス部分っていうのを徹底的に排除して 徹底的にその気持ちよくはさせないぞ嫌な気持ちにさせるぞっていうことを徹底した
映画だと思ってるんですがなんかそれだったらあの 明確なビランプリみたいな設定いらなかったんじゃないのかなっていうところが
一つこう引っかかる部分で最終的にある意味その個人のめちゃくちゃゴリゴリの 支配力が強くて自己顕著力の強い
個人の悪みたいなものに原因を集約していってしまうような取り方にもなって しまっているような感じがしてある意味その何だろうな
僕やっぱりゾンビ映画について自由意志っていう問題がすごい大事だと思っていて ゾンビ時期に自由意志に基づかない
蛮行っていうものがありその記憶やそこから直した後も社会的な差別というものに 苦しんでいく中で人が追い詰められていって
テロ行為であったりとかさらなる弱者つたきの方に追い込まれていってしまうっていう のがやっぱりその大枠の子作りであってそれ実はとてもビターである意味
とてもこっち的な誠実さのある 作りだと思うんですけどそこにあそこに一つゾンビの時期にまで
その自由意志が保持されている人間がいたんだであるとか 明確にそこまでは言ってないですけどあの何かしらその子
コミュニケーションや意思疎通というもののもとに 暴力行為に及んでいた可能性みたいなものがご示唆された時点で
ちょっと救われちゃうんですよね見てる側はなんかこいつが極端に悪いやつだったんだ みたいな気持ちにさせられてしまう
なんか僕はそこにちょっとだけしらけてしまってなんか嫌な気分にさせるんだったら 徹底的にやるせなくしてくれよとその
なんか明確に善悪により分けられるような セロタイプに暗中できない心地の悪さっていうものを徹底してコキュアドっていうのを描いていたはずなのに
なんか最後の最後で明確なビランを設定しちゃったよねってなんかそこで急にこう ある意味漫画チックにしないように頑張ってきた映画のはずなのに
最後の最後になんかこう漫画になっちゃったなぁみたいなところで 少し僕はこうよりもやもやしたんですよね
ある意味せっかくここまで嫌な気持ちになったのになんかちょっとだけ 結局映画だなぁみたいな気持ちにさせられちゃう感じがあって
僕はそこが 一番こう引っかかりポイントだったんですよね
うん確かにねー あのキャラクターだけキャラ立ちめっちゃすごいそうなんですよ
あいつはねあのまあ俳優さんの佇まい雰囲気も相まってねー すごいねキャラとしてはすごい良いキャラなんですけど
まあ今言ってた意味でそのビラン性が高すぎるは高すぎる
うんそれは確かにそうだなうん 結構だそこが難しいところだなまあその
30:03
なんか別にそのリアリティを追求するときに漫画的な綺麗味のあるキャラが言っちゃいけ ないとかそういう話でも全然ないですし
漫画だとリアリティがないのかというとそういうわけでもないというのはあるんです けど
なんかちょっと一人だけそのリアリティラインの設定の仕方が 違ったというか
なんかあのキャラクターの設定によって なんかああ良かったこの映画も一応作りものなんだみたいな
こうある意味それこそその観客に対する逃げ場だったりアリバイみたいなものを作って もらえちゃってる感じがあって
そうですねでその上であのキャラクターが最終的にもうほんと一番最終的にああなる そうなんですよ
あーなるっていうことを考えると
そうかーみたいな そうそうなんですよね
まあそうだから映画なんかでもねあの着地は着地で一番 リアリティがありそうな着地でもあるそうなんですよラストはすごい良かったと思いますよ
あのキャラのああいうキャラクターああいう人物が最終的にあそこにたどり着くっていうのは
あのすごいまあ一番最後のお家として すごいリアリティのあるお年取る頃だなとは
そう思いますそう思います でも確かにそうそうそうその
実が悪いんじゃんにちょっとなりすぎてるのは 確かにあれですよねそうなんかあくまでもそのやっぱりその集団のリーダーみたいな
存在として彼が先導しているように見えるからもうちょっとなんかね あるいはなんかみんなの空気感でだんだん
うーん あの破滅に向かっていくとかね
あっても良かったかもしれないですけど でもねそうそう面白いは面白い面白い面白い面白いですよ
とてもとてもいいがですよとてもいいがなんですよ あの
ワクチン開発の担当していたあの先生のエピソードとかねそうですね すごいねあの先生のエピソードとかもね本当素晴らしくて
あの先生のエピソードが一番ゾンビ映画っぽかったな そうあのまあ
ワクチン開発をしている先生女性の先生がいて その収容施設の中で一箇所だけなんかあれなんか水も入ってねプー
屋内プールうん 広々としたところにあのベッドにくくりつけた女性のゾンビをずっと治療している先生
で後でわかるのがこの 先生とその女性ゾンビというのはもともと共同研究者でゾンビワクチンを研究して
いることがわかって彼女をどうしても助けたいということで レジスタンスに協力するんだけども
33:03
いよいよその女性ゾンビが薬が効いたのか元の人間に戻った時に 2人が再会するシーンがあるわけですよね
であっ そうかこの2人ってただ同僚っていうだけでもなくて
ちょっとまた違った関係性の人たちだったんだっていうことが 示唆された瞬間に偉いことが起きるって言う
そうですねあのヘラゾンビの海辺みたいなもんですよ そうですよ
あそこ見事で ああそうかって言うとこ時に見事な
あの 展開になってしまう
そういう意味でもねあのちゃんとドアは閉めないといけない そうですね閉じまりは大事だぞっていう
ホラー映画の2回ありますからね あのドア開けっぱなしであの外から入られるのとドア開けっぱなしで家を
開けたから あの後で大変な目に遭うのと
結構あるね そうなんですよやっぱ閉じまりは大事っていう いや閉じまりは大事なんですよ
いやでも本当に閉じまり大事は本当にゾンビ映画の基本であの地球最後の男 ロメロがあれは厳密にゾンビ映画ではないですがロメロのナイトオブザリーミング
デッドのインスピレーションを基だとされているあの小説の あの地球最後の男も閉じまりは大事っていう話なんですよね
ああそうなんです あれもその買い物をちょっと行くだけだから開けといていいかって開けっぱなしに
ガレージのドア開けっぱなしにしとくことによって大変な目に遭うっていう話が 出てくるので実はそのまあゾンビものではなくあれは吸血鬼ものですが
その頃からすでに閉じまりの大事さっていうのはこう 描かれていたっていうのは結構面白いところだなと
いうふうに思いますね
いやーそうですねキュアードねー キュアード面白いんですけどねあのそれこそさっき言ってた
あいつらは意思があって動いてるんだ っていうことを聞いてめちゃめちゃ動揺するエレンページのシーン
そうそうそう やっぱりあの
やっぱりあの元ゾンビの主人公がまあ終盤のその 現ゾンビが
逃がされた まあ大パニックになるシーンで彼は元ゾンビでありながら
ゾンビを殺す側に回る しかない場面になっていくわけで
あそこがやっぱりそのちょっと境界線にあったはずの元ゾンビ という立場本当なら何かしらもっと人間と現ゾンビの間の中間的な存在として
36:07
何か他に筋道があった可能性もある立場なんだけども あれが現ゾンビが放たれることによって
人間側を選ばざるを得ないというかどちらか側にしか行かざるを得ないっていうこと になってしまうのがすごくなんかリアルというか
そうですね あのいろんな立場のその境界線である個人が
その経験からもしかしたら何か架け橋的なことになれたんじゃないかなとも 実際にパニックが起きると
人間側というどちらかに分断されたどちらかに入ることを 無意識的というかあそこの場面はある意味仕方なく
ですけれども仕方なく選ばざるを得ない すごいある意味その元ゾンビっていう第三項を設けたことによって
逆にその あの半端にその中間で
架け橋となるというよりもどちらかになってしまうんだっていうことの方がすごい 描写としてはリアル
思いますね そうですね
怖い怖い映画というか嫌な映画ですよ 寒い時期に見るもんじゃなかったですね
夏とかメンタルに余裕がある時期に見たかったなって思いますね 確かにね本当にあのゾンビの誰かがゾンビになる
とか 襲われて怖いよりももっと精神的に来る
辛悩さがあるんでそうですねあの もっとメンタル的に余裕がある
この後面白い映画を見る予定の時とかに先に見る そうなんですよね
僕なんかはやっぱりそのメンタル弱っている時に救われたくてゾンビ映画見るところがあるので
ちょっとそういう用途でキュアートは見ちゃいけないなっていう 確かにことですね
カタルシス的なところを求めると逆にダウナーに行く 映画ではあるのでそんなに内蔵も見えないし
そうですねおすすめはするんですけどおすすめ あの何回も繰り返しますけどめちゃめちゃ面白いんですけど
あの 凹む絵見たら凹むタイプの映画なので
そういう意味ではやっぱりその癒さがある 映画なのでちょっと見るときのコンディションは選んだ方がいいなと
そうですねそう思います そうなんですよ
多分これ同じような話が マギーにも言えると思うんですよね
で何だろうな やっぱりそのさっきまでちょっとさっき多分すごいその終盤になってついにその
39:02
元ゾンビの主人公すらもゾンビを殺す側に回ってしまうみたいな話とも 繋がってくるというかやっぱりそのゾンビ映画の一つのスリリングな部分ってどのタイミングでその相手を
撃てる 殺す対象として見れてしまうかってどこで境界線を引くかっていうその
この葛藤部分っていうのにやっぱり一つのサスペンスが生まれてくる というのをやっぱりこう強調していく映画としてやっぱりそのゾンビになってしまうっていうところに
フォーカスを当てる映画っていうのはあると思っていて やっぱりなんかそういう意味ではこの
シュアちゃんが シュアちゃんとあの
なんでしたっけなんとかアビゲイルさん リトル・ミス・サンシャインとかの
ゾンビランドにも出てる あそうそうそうそう
まあアビゲイルさんが ダブル主演のマギーという映画が
ありました アビゲイル・ブレスリンですね
アビゲイル・ブレスリンですね まあもうリトル・ミス・サンシャインの
子というイメージが僕の中ではずっとこう どうしても強烈に残ってますが
まあそのお二人が主演の映画がありまして これもまたまあそのざっくり言うと
シュアちゃんがパパで娘さんであるアビゲイル・ブレスリンがゾンビにこう
なりゆく中
どう過ごしていくかっていう映画なんですけど この映画の設定の肝はゾンビに噛まれてから
ゾンビになるまでに2ヶ月ぐらいかかる
っていう設定があって これがめちゃくちゃ効いてるんですよね
これもだからこうゾンビに噛まれた側はもう2ヶ月以内にはゾンビになるということを
分かった上でどうしていくのかっていう 描かれ方がしていくという意味で
さっきのキュアードはゾンビだったことを覚えているっていう いやさがありましたけど
今回はゾンビになってしまうっていう未来が分かってしまっているっていう
その人間側の嫌さっていうものを 描いた映画だなというところがあって
これもね好きか嫌いかで言えば嫌いなんですけど なかなか
面白い映画だったなっていう感じで ちょっとどうしましょうね 一旦これ僕が何が好きじゃなかった
もうあの簡単にもっともうちょっと 大枠の説明をすると
ゾンビ映画 あのマギーっていう作品の割とその肝を浅けた期間があるっていうことでゾンビになるまでの
だからゾンビ映画かける難病者なんです そうなんですよそうなんですよね
42:01
そこが割と映画としては ゾンビ映画の設定としてフレッシュなところで
ゾンビって基本噛まれたら割とすぐになるパターンとか多いものを ちゃんとゾンビ映画っていうのは
ゾンビウイルス ゾンビになるまでの期間はもうウイルス性のものなのでもう何週間
6週から8週とかなんですよね確かに そうですそうですそうです 6週から8週
かかりますよって言った時に だんだんと体が腐ってくる
でちゃんとその意識があるのに自分の体が腐ってくることに関するまず恐怖が ゾンビになる側もある
で一方でそれを間近で見ている家族側の 恐怖もありしかし何もできないという
不安もある中にはご近所さんとかが実は 家族がゾンビに
噛まれていたんだけども ずっと家の中で匿っていたということが明らかになり
しかしゾンビになったら殺さなければいけないので あの
シュワちゃん自ら そのご近所さんゾンビ殺してしまうというシーンがあり
俺の いわば末路はこのお隣さんだと
お隣さんも家族を愛してずっとゾンビになっても囲まっていたけども最終的に破滅 してしまったと
じゃあ娘を今殺すか殺さないかゾンビになりよく娘をどうするか悩んでいる 俺の行く末もこれであるっていうことをシュワちゃんはまだまだ
見せられるっていうでも成す術がないまま時間だけが過ぎていく 非常にシュワちゃんのそのいわゆる皆さんが想像しているところである
ターミネーターだったりとかコマンドであったりとか ムキムキのバンバン
あのゾンビをめちゃめちゃ殺すのかなっていうぐらいの イメージで見始めると本当にあの最強の男シュワちゃんが成す術のない
父親を演じているというところにキャスティングの妙もあってそうですねそういう意味でも 非常にあの
設定込みでまたキャスティング込みで非常によくできた 映画ではある
という中で柿内さんがこれから嫌いなところを
嫌いなところをちょっと挙げてほしい 嫌いなところの前にちょっと先にちょっといいとこ行っておくと
あのこれシュワちゃんプロデューサーもやってるんですよね だから割とキャスティングとしてここにこうシュワちゃんが入って無力な父親の役でシュワちゃんが入ってるっていうのは
すごい評価するべきところだと思っていて イーストウッドにおけるグラントリノだったり
45:00
まだ見てないですけど 暗いマッチョとの系譜にあると思うんですよ ある意味だからそのマチズモのある意味こう功材というものを背負っている
あのシュワちゃんが こういう役をやって提示していくっていうところにかなり大きな意味があるというか
その男性性というもののあり方を あのある意味老眼ほどそのマッチョに対するノスタラジーを持つこともなくちゃんと無力な人間として
こうシュワちゃんがいるっていうのは映画として非常にこう あの意味のあることだなっていうのはまずあってそういう意味ではすごいだからやっぱ僕は
シュワちゃんすごい好きでシュワちゃんの映画を見ながら育ってきたところがあるので まあそこはすごいこうなんかシュワちゃんがこういい
おじいちゃんになってて嬉しいなっていう気持ちがまず何よりもあるんですが ちょっと根本的にあれなんですよね
何秒ものすごい嫌いなんですよ なるほどで何秒ものすごい嫌いで
だからもうマギーがどうかじゃなくて何秒ものであるという時点で ちょっと受け入れられないんですけどその好きが嫌いかというと
なんでその何秒ものが嫌いかっていうのが実はゾンビ映画がなぜ好きかっていうところとも ちょっと繋がってくるところがあると思っていて
何秒ものっていうのは死がロマンチックなんですよ で死はロマンチックなものではないので
あの なんか物語を盛り上げたりとか泣かせにかかるために死というものを
なんかこうロマン化するなっていうのが 一番こう僕の中での何秒ものに対するアレルギーの原因であって
なんつうんですか実はサバイバル映画というかゾンビ映画みたいのものの良さって 命が軽いことなんですよねあの僕ジェームスガーン監督のスーサイドスクワットとかもすごい好き
なんですけど あれ軽いですよね人の命が羽のなんか羽ぐらい軽い方が実は人命というものに対して
個人が持ち得る主体性であったりとか あの自己決定権みたいなものっていうのはむしろ
重みが増すんですよね 確かに
いやそれこれキュアドにもつながるんですけど人命っていうものかけがえのないものなんだって 人命を重く見れば見るほどに実はそういった
命というものに対する決定権であったり主体性であったりとか あの個人のある意味そこに持てる責任であったり権限みたいなものってどんどん遠ざかって
いくんですよ でもこれって本当にそのこう
そのなんだろうなそれこそなんだろう思想家のイヴァンギリーチが病院というものを 徹底的にこき下ろすときの一つのあの根拠でもあるんですけどやっぱりその近代
社会におけるクソさって何かっていうと あの本来一番プライベートであるはずの死っていうものをあのシステムの中に管理できる
ものとしてこう押し込めてしまうっていうところなんですよね ある意味そのどういうふうに死にたいかとかなんかそれこそ土層がいいのか
48:06
仮想がいいのとかとかも含めて衛生管理であるとか その人命は尊重するべきだみたいなこうある意味こう近代的な価値観によって
確立化されていってしまう それはだからある意味もうそろそろいいかなっていう気持ちすらもなるべく否定され
ながらどんどん延命することだけを考えられていく でその結果キュアドのように隔離施設の中で管理されていったりだとか
あのあるいはマギーの投薬をされながらも最後のその決定的な瞬間を迎えるまでの間は 生き延びることをゼトされるであるとか
なんかそういうその それってじゃあ誰に誰の命だったんだっけとか誰の人生なんだっけみたいなとかどんどんわかんなく
なっていくんですよね 何秒ものっていうのはそのわかんなくなりっぷりが激しいと しかもそれを何かさも
なけるいい話のように取り上がるっていうところで 結構だからなんか割とだから僕の中でその根幹的な部分に対して
こう 触れてくるというかなのか
はい嫌な意味で魚でしてくるジャンルなんですよ何秒ものって やっぱりそのある一人の死というものがあまりにロマンチックに描かれすぎて
しかもその死というものが絶対にその子なんだろうなある意味こう 悲劇的なカタルシスのための装置にしかなってないみたいな
設定の仕方よりもやっぱりこう なんかいつ死ぬかわかんないであっけなくなんかさっさと死んじゃったりもするけれども
俺の内蔵をなんか食らいやがれみたいでこうなんか あの踏んづまっちまえみたいなことを言いながら死ぬみたいなあの輝かしさって何が
輝かしいかってゴミみたいに死んでいくんだけど やっぱりその死にざまっていうところにその人のありようっていうのはちゃんとこう現れて
くるっていうのはある意味一種の救いだと思うんですよね 何秒ものはもうないじゃないですかなんかこうなんかこうなんか
あの白っぽい淡いライティングをもとなんかこういい感じに なんか焦点してってなんか周りの人が泣いてるみたいな非常に画質的なイメージに
死が回収されていっちゃうんだけど ゾンビ映画におけるこう死にっぷりっていうのはみんなすごいこう
尾の尾の子ないそれこそ内蔵をさらけ出して その人にしかない身体勢を持って死んでいくんです
やっぱりそこがすごいこういいところだなっていう気がしていて やっぱりねそういう意味で僕がゾンビ映画が好きな理由と何秒ものが嫌いな理由
とか ある意味非常にこう間合ったりしてしまった結果何秒ものの癒さが勝ってしまった映画っていう
のが僕にとってのマギーだったなっていう感じです いやー今ね聞いててすごいね
なるほどと思ったのが まあちょっと先に脱線するとスーサイドスクワッドのジェームスガンバンマジでその命の軽さが
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最高なのとまあ軽いからこそね いやー最高なんですよバーで飲むシーンとかね
うーんラストやっぱり 走り始めてしまうシーンとかが彼ら個人の選択が輝くという意味で素晴らしい
まあ言及しつつそのマギーの話に戻ると今面白かったのは あの
まあ個人の死というものがその個人のものではなくてどんどん えっとストーリー的な感動であったりとか誰かのものに回収されていってしまうことが嫌って
いうことを考えた時にゾンビものでこの人は将来的に死んだ後ゾンビになるんです っていう時に
これは 個人の死が公共の福利の問題というか
公共衛生の問題になるんですよね要するにこの人はこの後ゾンビになってしまうと人を襲うので その後その人を襲うゾンビになってしまった後は我々の手で殺さなければ
じゃないと他の人に迷惑がかかるというのは個人の死からすごいプライベートなものを ゾンビ化っていうことに剥奪されてしまうん
まさしくまさしく すごいあの他のゾンビ映画だとそこまで気にならないんですけど
いかんせんそのマギーっていうものがそのさっき言ってた病院とか ある種のそのゾンビウイルスっていう
ゾンビというものもある種の医療の文脈に組み込まれてこういう現象だ 社会の一文脈に組み込まれてこういう現象だってなった時にゾンビっていう本来なら社会の倫理から飛び出した
存在だったものが社会の倫理内に 再度組み込まれてしまう結果本当は個人の死だったはずのものが例えば
お前もゾンビなんだから ゾンビ化したらおとなしく
もう病院行くなり死ぬなりしなきゃいけないんだって 家族が説得するようなシーンありますよね
ありますあります 主人公の女の子の友達 ゾンビ化している女の子の友達というかちょっと彼氏っぽい存在の人ですよね確かね
もう家の中に部屋の中閉じこもって 家族が外で説得をしたり警察が来てるでなんならヒロインの女の子もそこであなたは
ちゃんとそれを受け入れる人だと思ってたみたいな 言い方とかちょっとするじゃないですかそれがすごい今柿井さんが嫌なところを
すごいピンポイントでついてきましたよね ゾンビっていうのは個人の死が
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割と公共の利益というか公共に迷惑をかけるものになってしまう
それがすごい拡大して 描かれているっていうことはすごい今柿井さんの話を聞いてめっちゃわかりました
なるほどそこを嫌っていうのはすごいわかりましたね そうなんですよ本当にもうそこが一番
の僕の中で地雷ポイントなんだなっていうのが非常に こうよくわかるという意味ではこうすごい良い
日本立てだったなっていう感じをしていて キュアードとマギーを一緒に見るっていうのは
やっぱりだからなんかその なんだろうなぁ
非常にそのアメリカっていうのはでかく出ますけどアメリカ って不思議な国だなっていうのをすごいやっぱり思うというか
あれキュアードはアメリカじゃなかったっけ ちょっと
キュアードもしかしたら制作違うか あれなんかカナダとかイギリスっぽいですよね
雰囲気として まあいやなんかマギーに関してはなんだろう
その個人の自由みたいなものを非常に大事にするお国柄みたいなフリをしながら 割とその公共の利益であったりとか
こうアメリカという国家のこう 治安維持みたいなものであったりとかっていう大義みたいな部分に非常に
こうナイーブな ところもあるというかまあそのなんだろうな警察者がすごい人気とかも一緒だと思うん
ですけどその権力構造を維持する側の人間っていうものをある意味こう ふったくなく応援できちゃうみたいな
映画の作り方を割とこうしていくところに何かこう微妙なこう ズレというか矛盾を感じたりもするんですけど
マギーは本当にそのこうある意味 風光がいうような政権力みたいなものをある意味ふったくなく内面化した後の
の映画でもあるっていうだからこう なんだろうなゾンビになってしまったら殺すけどゾンビになる前はゾンビになると分かっている
人間でもなんか一応こう人間として扱うわけじゃないですか ここの欺瞞の凄さですよあの数ヶ月後にはもう施設を送りにするので殺すなり
するって決まっているのにその数ヶ月の間はきちんと独立した個人として扱うっていう ところに非常にこうアメリカという国の懐の広さと
同時に怖さを感じるみたいなところが ちょっとこうマギーの
面白いところだったなっていうことですよね ちなみにキュアードはアイルランドとフランスの合作らしい
そうだアイルランドだアイルランドですよねあれそうだ結構アイルランドだったのも 重要だでしたもんね
映画においてはそうだそうだ だから面白いですねキュアードとマギー両方ともそのゾンビになるっていうこと
ゾンビから人間に戻ることテーマだったんですけど加えてそのある種のゾンビっていう あのかけやしさんが掌握してたところのある種の社会の外部的なところ
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のものが改めて社会のシステムに組み込まれ直されてしまった時に こんなに嫌な感じになるのかっていうことはまさに味わう日本だけだったんですよね
そうなんですよ
確かにかけやしさんが嫌がるのもわかるなぁ
なるほどすごいあのすごい良い日本だけでしたねそういう意味で そうですね
いやでもだからやっぱりでもなんかいいなって思いましたね なんだろうこういう企画でもなかったら僕多分最初から嫌いだって分かってたから見なかった
と思うんですよ キュアードもマギーもでもあえてこうりょうたさんと話すしなんか話の流れで見なきゃ
いけなくなっちゃったから見るかって言ってみると やっぱり嫌いではあるんですけどやっぱりその嫌いの解像度が上がったりとか
自分がゾンビにとってゾンビ映画と何なのかみたいなところは結構明確になってたり するところもあるのでやっぱり好き嫌いじゃなく
別の回路で面白く見るみたいなことができるっていうのもやっぱりこうなんか一つの その子なんだろうな論理であったり批評みたいなものを果たす
大きな 良さの一つじゃないですかなんか好き嫌いじゃない部分で作品面白がれる楽しめるっていう
そういう意味ではやっぱりこう なんか
いやとはいえ好き好んで自分でもちろんやんないんですけどこういう機会を見ていくと やっぱりそれはそれで別の楽しみ方があるんだよなって思う
僕はすごいこう まあいっかって感じでしたね
えっ
だからそういう意味で言うとまぁこれはちょっとだけの言及になりますけど ゾンビの中心で愛を叫ぶ
うん ラストですよ
ラストの あの
まあ軍隊側が 最後ゾンビを殺す前にやることがあるじゃないですか
あれとかも本当 うわぁそうかってなりますよね
システムに組み込んで仮に人間扱いさっき言ってた通りその 殺す前までは人間扱いするのに
殺すとなったらまあゾンビは殺すじゃないかいうことで言うと ゾンビの中心で愛を叫ぶのラストにまあゾンビを殺す
軍隊がゾンビを殺すシーンがあるんですよ その時に
彼らがやることっていうのは いや一応人間扱いしてますよ
うん 言いつつ人間扱いを全然していないことだったりするんで そうなんですよねうん
そこもねちょっと あの合わせて
見てほしいですねそうですね うん
やっぱりだからそういう意味だとゾンビの中心で愛を叫ぶは僕好みのゾンビ映画側 なんですよね
あるものとしてやっぱりその結局最終的にあれは個人の選択の話になっていく から
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そうですね そうかそうか
確か途中まで途中変ですけどね途中すげー変な いやそうなんですよあの変さは結構喋りたいところはあるんですけど
ちょっと今日のあれから全体の流れからちょっと外れてきちゃうかなって思うので またもし機会があったらかなと思うんですが
あれもいい そうだから
柿内さんが言った話で言うと割とラストは 割と国家が
そのまあ人として扱ってますよと言いながらバチバチっとゾンビを殺してしまうんだが そこに至るまでのプロセスで誰も見ていないんだけどもこの2人に何かしらの
人生があったのであるということが まあしっかり提示されるという意味では
そういう意味でありにその その個人の生を
商用するという意味ではすごい あの楽しい映画ですよいや楽しい映画ですよね
放題最悪ですけど そうね
あれねえだって8現代がずそうズーですからね その方がいいじゃん
おしゃれおしゃれおしゃれな映画のはずなんでおしゃれな絵がそう あれはネタ楽しいシーンがねいっぱいあるんですよね
そうでもっ
段階で略奪したりとかねそうそうそうそう でも実はそのキュアードマーギーゾンビの中心で愛を叫ぶの
3作品に共通して言えることとしてゾンビ映画において楽しい部分って実はゾンビが 出てない部シーンだったりするよねっていうのを割と高
あの意識的にやってる映画なんだよなっていうところはあるかもしれないですね 非常にその3作ともあのいわゆるゾンビ映画の見どころ的なゾンビがバンバン
襲ってくるとかどこから急に襲撃するみたいなシーンは極端にやっぱ少ない そうですねうんうんそうそうそう
そういう意味では 面白いと思いますね
またやっぱりゾンビの協力者とジャンルの協力者もそこにあるんだなっていうか何て言うん だろうなもうあるあるネタはやんなくても明確にゾンビ出さなくても
ゾンビ映画なんだって思っていれば もうなんかお客さんの中である程度こう措置が一気に整っていく
でその上でそこから何を裏切っていくかと何を立つかとかっていう方向に話を進められる っていう意味で
なんかこう なんだろうある意味こう非常にこう定食としてゾンビ映画っていうのは
明確に出来上がってて そこで小鉢だったりをちょっとカスタマイズしていくだけで全然こう違うものになっていくっていうところに
やっぱり強みがあるんだなっていう感じがしますね
いやー面白いですね 面白いですね
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どうしましょうかでも時間的にちょうどいいからあれですかねコリンの話だったりまた 別の回に
どうしますいますどうしよう僕はこれ見てないから今日のこの話の中でもし 接続できそうなところがあったら
今日でも 逆にでもねコリンはねあの
言ったらね初めてのお使いみたいな感じではいはいはい 割とね
コリン自身自我がないんですよ なるほど
まあ簡単に言うとコリンっていう主人公の名前なんですけど彼は
家帰ってきたら友達と暮らしてるのかなで友達がゾンビ化してて噛まれちゃって そっからゾンビになるんですね
で結構ちゃんと自我がなくてはいはいはい 結構ちゃんと自我がない
なんか部屋から出ようとするんだけどなんか部屋の鍵が閉まっちゃってて ドアをガチャガチャやりながら一晩開けるんです
なるほどなるほど あーってなってどうしようみたいな感じで
うー出られねーみたいな感じになってたら部屋の窓が開いててそっちに後ろから転落して 外に出れるみたいな
はいはいはいラッキーパンチで外に出たりとか 基本的にはすげー自我のないまま街をうろついてるコリンっていうのを
カメラが追っかけてる なんか初めてのお使いとかを見てる気分
でコリンが自我が基本的にない存在なんで人間側の行動とかを割と見る作品になってきて
例えば彼が履いてるスニーカーを盗もうとしてるやつも出てきた あと途中でコリンも家族が出てきて
まあ言ったらその コリンがゾンビになってしまってしかもお姉ちゃん
コリンのお姉ちゃんもコリンに噛まれてしまって この後ゾンビ化するっていう時に
お母さんとあとお姉ちゃんの旦那さんかなとか家族が どうしようみたいな感じでずっと外で喧嘩してるらしい
はいはいはいはい窓際からコリンがずっと 見てるんだけど見てるって言ってもその
家族が何の話してるかわからずにずっと あーって言ってるだけなんですけど
そこに何か寄り添って僕らは勝手にコリンの不眠さを見てはしまうんだけど 基本的にはすごいねうろうろしてるだけなんですよ
ただうろうろしてるだけなんですけど 実はうっすら残ってる彼の最後の記憶みたいなものが
最終的にここに来させたのかなぐらいの 着地で終わる
なるほど
基本的にはその 加計さんが言ってたような
1:06:00
そのゾンビが自由にやってる映画としては 非常に
あの見てて楽しいものだとは思いますね 結構予算が少ないみたいな感じで
なんかすごく極端な予算です2500本とかです そうそうそう
ただあの結構フェイスブックで集めた友人とかがめっちゃ参加してるらしくて
結構ちゃんと人がいるなって感じもあるし その人間がゾンビにうわーって追いかぶさられるシーンが
結構ちゃんと迫力あるんですよ 上から人がバーンと落ちてくるシーンとか
映像はなんか家庭用ビデオカメラっぽいなぁみたいなところもいっぱいあるんで 低予算な感じはすごい出てるんですけど
でも映像としてすごい ここの撮り方凝ってる
すごいあの なんていうか低予算だけどちゃんと面白いこのアイディア出して作りましたっていう感じが
人気にしてくる 絶対好きなんだよなぁ
そうでやっぱりあの僕とした前々からその資料の餌食のことを第1回で話したときに そうなんですけどやっぱりゾンビっていうものはゾンビっていうラベリングをされるけど
もともと個人だよっていうことを 考えた時にあの資料の餌食のバブちゃんは
そっちにフランケンシュタインの名前をつけられてバブちゃんになるのでまぁ後付けの名前 なんですけど改めてコリンっていうタイトルはあの
僕らがうぞうむぞうだと思っているこのゾンビ にもそれぞれ性があるんだよ一人一人の性があるんだよっていうことをちゃんとタイトルでも
させ示していて映画としても ただゾンビがウロウロしているだけなんだけどもそこにいろいろなことを感じ取ってしまう
すごくなんか僕もやっぱそうだよね一人一人の 性
があり なんかそのゾンビってうぞうむぞうでくくることはもちろんそのゾンビ映画としての楽しさとしてはありばありなんですけど
一方でその 群れの中にも一人一人人間がいるんだっていうことをちゃんとやりつつでもちゃんと
ゾンビ映画にしてるっていう すごいいいなと思う
みたいなっていう感じです いやめちゃくちゃ面白そうですね
なんだろう 無理やりキュアードに接続して言うならば
キュアードにおいてすらゾンビから治った人たちの固有名っていうものは復活させる ことができたけれどもゾンビのままの人たちに対してやっぱり群衆のメタファーのままであった
キュアードに対してゾンビのままでも固有性っていうものはあるんだよっていうのを ある意味コリンは示しているところがあるっていうことなんだなっていうのを今
1:09:08
聞いていて思って 絶対好きだなぁちょっと
見るの大変そうですけど頑張ってレンタルとかして 見たいですね
楽しい映画ですよ なんかいろいろと工夫しているところが見えて
非常に良い いいですね
じゃあちょっとというところで
多分ちょうどいいお時間になったと多分今日も2万字ぐらいしゃべったかなと思いますので わぁすごい文字起こしが大変だ
今日も雑談オブザデッド第4回かな キュアードマギーゾンビの中心で愛を叫ぶコリンの4本
主に最初の2本をメインにお話をさせていただきました 雑談オブザデッドは誰に求められなくてもまだまだ続きますが誰かに求められた方が
張り切りますので りょうたさんと僕宛てに励ましのお便りなど
どしどしお待ちしております というわけでまた
どこかでお会いしましょう お相手は私が来ないしょうごと
りょうたでしたありがとうございました ありがとうございました
01:10:24

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