1. ポイエティークRADIO
  2. 第百八十二回 『ポスト・サブ..
2023-12-25 1:39:28

第百八十二回 『ポスト・サブカル焼け跡派』を読んで

TVOD『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)がめちゃくちゃ面白かった。


来年は沖縄でお会いしましょう。https://hamahiga-aruhi.net/news/657e76fa3fd2e1002e69f7c9

00:30
はい、こんにちは、ポイエティークラジオです。お相手は、私、柿内正午と奥さんです。どうぞ、よろしくお願いします。
いやいや、メリークリスマスですわね。
ああ、メリークリスマス。
はい、さっきちょっと話したんだけど、
メリークリスマスって本当に言うべきタイミングがいつなのかっていうのでね、
なんか日付が変わるタイミングなのか、そもそも生まれたの何時だよみたいなね、
話などしていましたけど。
はい。
別に生まれた時間にピッタリ言わなきゃいけないというわけでもないんでしょうけど、
まあ、あれだね、どちらかというと、あれだね、
あの、まあいいや。
お?
うん、まあそんな感じでございますけれども、
ここからお正月にかけてお誕生日の方、お誕生日おめでとうございます。
ありがとうございます。
ということで、
とりあえずやる?
うん。
スクラッチね。
別にどうせ盛り上がらないから。
どうせ盛り上がらないからね。
あの年末ジャンボ買おうと思ったら、なんか。
ついでにスクラッチもどうですかって言われたから、
ああ、じゃあくださいって言ったらスクラッチ全種類。
全種類くれた。
くれた。くれたわけじゃない。
でもなんかさ、年末ジャンボ毎年買えないんだよな。
なんかそろそろ年末だから、年末ジャンボ買おうって思うと、
終わってんじゃん、年末ジャンボって発売日が。
あれさ、毎回なってはいかないんだけど、年末ジャンボって言うんだから、年末まで売ってくれれば。
だって年末に発表するんだから、
あ、そっか。
うん。だからそれを買って、わくわくして待ってて、で。
年末にわくわくするジャンボでやって年末に買うジャンボじゃないってこと?
じゃない。だって大晦日にさ、
なんか生放送かなんかでさ、
あ、そうなの?
お姉さんが回転盤を回して、何番何番みたいなので番号を発表して、
ああ、そうなんだ。
わーってなるらしいのよ。
たまたまね、チャンネル回してたら見たことあるけど、
そういうことなんだ。
そうやって番号、当選番号が決まって、それを年末のお楽しみにっていうジャンボだから、
あ、そういうジャンボなんだ。じゃああれ年末にそういうのをやってるんだ。
やってるやってる。
えー。なんか大体さ、そのさ、次の日にさ、お正月のさ、新聞かなんかに載るじゃない?
03:04
ああ、載るね。
だから新聞で見るのかと思ってた。
それが、その番号が決まる瞬間は、なんか放送されてるんだよ。
じゃあもう新聞に出る前にネタバレ踏んでるんだ、みんな。
うん。
ああ、フラゲなんだね。
年末にフラ、年末のフラゲ日。
そこが、
フラゲ日ってそれが。
だからライブと再配信みたいなもんよ。
ああ、そういうことなんだ。
うん。
知らなかった。
うん。
じゃあ僕が間違ってたわ。
うん。
じゃあオモブロに削るね。
うん。まずね、100円で買ったね、なんか猫のやつね。
うん。
どうやったら当たるかって。
同じ、3つ枠があって、
その中、それを削って出た柄がいくつ同じかで当選何等か決まる。
なるほどね。
1個目が窓枠。
なるほど。
あ、2個目すでに違う。
ん?
え?窓枠じゃない?
え?
あ、削って出てくるS字、M字は業務用のものですか。
あ、じゃあ関係ないんだ。
え、でもじゃあ一緒ってこと?窓枠2つ?
窓枠2つ。
あれ?ん?あれ?当たった?これ。
窓枠3つじゃん。
あれ?
窓枠3つだと当たるの?
当たった?え?これ、え?ん?わかんない。
これ柄ってさ、窓枠だけじゃなくてさ、
なんかあの、あの、なんだっけ、あれ。
入れ墨人品みたいな柄も入ってるんだけどこれも一緒じゃなきゃいけないのかな。
あ、入れ墨人品みたいな柄があるの?
あ、ほらこの赤いさ、謎の線あるじゃん。
あー、その。
これ、これは?
これもう当たんなきゃいけないのか?
わかんない。
え、これ当たり?
わかんない。
あ、わかんないね。
すごい。当たったかどうかわかんない。
え、あ、ちょっと。
まじか。え?
え、当たったの?これ。
え、ちょっと、わかんないねこれ。
当たったのかな。
え?え?
当たるといくらなの?
あ、嘘ごめん。嘘ついた。
ん?
猫の絵柄だった。
あ、猫の絵柄が出ないといけない。じゃあスカじゃん。
スカだ。
あ、これさ、スクラッチの種類によってさ、当たりの判定が違くて。
あ、そういうことね。
ワニャンスクラッチは猫の絵柄が一個以上出れば当たり。
で、今回は全部窓枠しか出なかったからハズレ。
削りカス捨てよ。
削りカス捨てたい。
ハズレだった。
なんだ、もう、全然ハズレなんだ。
ぬか喜びした。
ぬか喜びしたわ。
で、次、レッサーパンダは三かげさんの赤枠があって、
それがビンゴみたいな感じで、
縦横斜めのどれでも一列同じ絵柄が三個並んだら当たりで、絵柄に応じて何等か決まる。
なるほどね。
はい。
06:00
じゃあいきましょう。
何か実況して。
あー、なんかね、今のところ二列もうすでにあって、
お、当たったんじゃない?
5等。
元が取れた。
200円当たった。
雪のマークがね、当たりましたね。
5等当たりました。200円。
じゃあこれは、お玉の主婦がペイで来たってこと。
そうだね。
100円のスクラッチの200円が当たりました。
猫が100円でスカだったから、
マイナスです。
マイナス100円ですね。
マイナス100円の負け。
まあでも、いいんじゃない?
100円でこんだけ楽しめたっていう。
100円らしい楽しい量だったね。
そうだね。まあ順当なとこだったわ。
じゃあまあ他のスクラッチとか。
結局買ったのは、名末情報じゃなくて、
なんかなんだっけ?
新春?
新春?
初夢?
初夢県みたいなやつじゃなかった?
書いてない。書いてないっていうか、
開かないとタイトル分かんない。
新春のやつ。
あと何か。
抽選日は1月19日。
結構後だね。
うん、ね。
もう、松取れてんじゃん。
新春なのに。
うん、そうだね。
それはいいの?
年末情報は厳密に年末にやるのにさ。
新春はちゃんと新春にやってほしくない?
やかましいな。
やかましいよね。
うるさいよね。そんなこと嫌なんて感じだよね。
そう思うよ。
はい。
終わり。
楽しかったね。
楽しかったね。
スクラッチ、削るのが楽しいね。
そうだね。
ファミレスとかでさ、たまにもらうやつのスクラッチはちょっと楽しいもんね。
他のやつは普通に捨てちゃうけどね。
スクラッチね。スクラッチっていくらぐらいで印刷できるんだろう?
でもなんかさ、小学校の時にさ、文房具屋さんでスクラッチにできるペンとかシールとか売ってたよね。
あー、そういうのがあるんだ。
ある。
なるほどね。
文房具屋でスクラッチ売るか。
当たると何があるのか分かんないけど。
1文字ずつ削って読む。
1文字ずつ削って読む。
だる。
迷路小説。
あー、でもなんかそういうのいいよね。楽しいよね。
そんなこんなですが。
いやー、寒いね。
本題に入ろう。
本題に入ろう。
本題に入る前に、年明け。
09:02
はい。
19日。
あー、告知?
新春の9時の。
あ、そっか。
そうだ。
決まる頃。
我々は沖縄におりますので。
おりますので。
ぜひ皆さんも沖縄にいらっしゃってください。
うるま市にあるね。本田明のある日という。
学芸大学のサニーボーイブックスの高地さんが新しく。
もう1年?2年?かな?ぐらい前にオープンしたお店でございますが。
やっと行けるということで。
やっと行けるぞー。
楽しみでございます。
ルチャリブロの青木さんと。
はい。
というか、革命児さんとマスクさんのね、お二人と行きますんで。
はい。
初めて我々4人が一堂に会するということで。
実態を持って。
そうだね。オンラインでね、録音とかはしてましたけど。
実存するぞーということを確認する。
まあきっとだから沖縄の道中とかに4本ぐらい撮るんじゃない?
ん?
4本ぐらい撮るんじゃない?オムラジオとボイエティックラジオをさ。
そうだね。
オムラジオは移動式スタジオとしてさ。
だいたいいつも車の中で撮ってたりしますんで。
我々もついに移動式レンタルスタジオで。
そうか。デビューするんじゃない?
そう、デビューするんじゃない?っていうのがちょっと楽しみでもあったりしますし。
なんか読書会があったりもして、告知がたぶんそろそろ出ているので。
詳しくはまたそちらで見ていただければと思いますが。
ちょっと遠いかもしれませんが、人によっては。
よかったら来てくださいなという感じでございます。
なんかまだ向こうはあったかいみたい。
まだ?
ずっとあったかいみたいだし。
ちょっとね、天気はね、そこまで。
ものすごい台風とかはないけど、ちょっと崩れやすい時期ではあるという話は聞いておりますが。
楽しく過ごせたかなと思っておりますので。
楽しみでございますというところですね。
あとは、まあいいか。そんなとこですか?
いいんじゃない?
そんなとこですよ。
まあなんで、そんな感じで来年も楽しくやれたらいいなと。
今からならきっと日程調整できるよね。
そうできるんじゃない?
という感じでね、正月気分を延長させていっていこうという感じでございます。
というところで、今日はね、読んだ本の話をするよ。
久しぶりにガッツリしそうだね。
あのね、このね、まずね、
ブックサムっていうね、上北沢かなんかでやってるさ、本のイベントがあって。
12:04
それはいつだったんだっけな。
まあ結構前にあって、秋口ぐらいかな。
そこで買った本なんだっけ。
きっと。
あれ、9月だか10月にブックサムってイベントがあって。
行ったら誰か知り合いがいて、そっちも行くから一緒に行きませんかって誘われてついて行っちゃったら本買っちゃったみたいな話しちゃったやつ?
そうそうそうそう。だからあれはあれだ。あれは、まあいいや。分かんないけど。
まあ、あったんですよ。
そこで買ったのか、福岡のブンフリで買ったのかどっちか分かんないんだけど。
どちらにもね、100万年書房っていうさ。
今度年明けはカニの親子さんの脳のお休みだっけ。
ちょっとタイトルが今、短著が出ますんで。日記じゃない本がね。
100万年書房から出るということで。
暮らしレーベルというエッセイのレーベルがありますよ。そこから出るということで。
もう2024年の最大の注目本ですよ。現時点で。
カニの親子さんの本が出るということで。大変楽しみなんですが。
その藩元の100万年書房が2020年の2月に出している本で。
ポスト・サブカル・焼跡派っていうね。
TVODというコメカさんとパンスさんっていうお二人のユニットが
このサブカルと政治について語るっていう本なんですけど。
この本ね、わりと話題になってたんだよ。2020年の時点で。
2月の時点で。僕のTwitterとかでいろんな人が面白いって言ってるのは見てたの。
でね、みんなが面白いって思ってるから。
今はまぁいっかって思ってずっとスルーし続けてたのね。
もっと言うとね、ずっとね、ポスト・サブカル・焼跡派だと思ってたの。
で、あんまり面白くなさそうな本だなって思って。
文字が読めない。
あんまりサブカルに。
サブカルというものにさ、この時期に関心を持つっていうことにあんまりピンとこなくて。
だからちょっとこう、まぁいっかって思ってたんだけど、焼跡派だったんだよ。
焼跡派なんだっていうのに気づいたのは、なんとね、買ってからなんだよね。
買うときもなんとなく100万円商売さんで、ちょっとそろそろ3年ぐらい経ってるし、いっかって思って買ってたんだけど。
なんかね、読んでいなかったことを後悔するほどいい本だったね、これは。
15:03
でも今読んでよかった本でもあるなっていう感じで。
あのね、さっきも言ったけどね、サブカルチャーと政治を同時に語るっていうのが1個テーマになっているんだけれども、
僕がこの本に興味を持たなかった理由として、タイトルしか知らなかったわけ。
しかもタイトル間違えてたしね。
その中で基本的にサブカルやけの原というものに興味が持てない。
まあ違うんだけど、まずね。
違うけど。
違うけど、そもそもやけの原と化しているサブカルに対して何も興味が持てない。
サブカルに対して特にもう愛着が、というか関心がなくなってしまっている。
そしてその中でそれをポストって言われて、その次って言われてももう良くないみたいな。
だからもう焼けたままにしとけばいいじゃんって思ってたところがある。
だけど違ったんだよ。
焼け跡の跡だから。
そういうサブカルの延命みたいなこととか、そこに対する同型とか、
カイコみたいな本なんだったら別にいいやって思ってたところがあるんだけど、
全然そういう本じゃなかったっていうところで、
むしろ牽引してた理由がそのまま読むべき理由になってた本だったっていうところで、
ちょっとね、文字はちゃんと読んだ方がいいなっていう。
さっきのスクラッチみたいになるね。
勘違い起こるからさ。
本当だよ。
そう、という本なんですけど、
もともと何でこれに興味を持ち出したかって、
そもそも最初ね、このTVODっていうユニット名もよくわかんない。
なんかチャラそうだし、
最初なんかチャラそうだし、
ちょっとね、表紙もね。
そう、タイトルもなんかあんまり、
これなんていうの?
西尾一心の表紙かなみたいな。
そうそう、それこそサブカルっぽさが強すぎて、
なんか苦手な話かもって思ってたんだよ。
だけど、ユニットの一人のコメカさんっていう人が、
どこだっけな?
ちょっと、高円寺だったかな?
違うかな?
え?
まあ、なんかあの辺よ。
中央線A線の。
あの辺で、
サブカルちゃんが感じると。
そう、早春書店っていう古本屋さんもやってるんだけどね。
そこまで行ったことないんだけど行ってみたいんですけど、
そこのコメカさんって人の記事が結構面白くて、
その後結構いろいろ見てたの。
それこそ地域科学会の時に、
すごい僕が地域科に対して、
この気持ちをどうしたらいいんだろうって思った時に、
調べた時に出てきて一番良かった記事が
このコメカさんの記事だったわけ。
言うならば地域科の悪口書いて
だいたいコメカさんが言ってたことの
受け売りみたいなところもあるぐらいの
だからさ、あれなんですけど。
っていうので、
なんかこの人は面白い人なんだなって思って、
そっからまあいろいろこう見てて、
18:00
面白かったわけ。
だからやっとつながったの。
その人が語るんだったら、
まあおもろいやろうって思って読み出したら、
まあおもろくてね、これがさ。
まあおもろいんですよ。
まずちょっと真面目にこの班の話を紹介をしますね。
このポスト・サブカル・焼跡派っていう本は、
基本的にもうね、
サブカルって言うといろいろあるじゃない。
アニメとか漫画とかさ、演劇とかさ、
まあそのあらゆるものがそこに
言葉として内包されてるんですけど、
この二人は基本的に音楽が好きなんだ。
だからその音楽をベースに語っていくと。
で、それを70年代から、
まあこの本が出る直後が20年の2月だから、
まあ10年代の終わりまでっていうところの、
まあそれぞれの10年間を大雑把な括りとしながら、
70年代、80年代、90年代、0年代、10年代の、
まあそれぞれのシーンを代表するミュージシャンを、
まあそれぞれ3組ずつ上げて、
まあこう語っていくっていう本なんですけど、
まずね、この70年代のね、
初め、第一章がカウンターカルチャーからサブカルチャーへっていうタイトルで、
まあここがまあ意向期として位置づけられていて、
まあこれはまあ割とベタな見方というかさ、
68年、69年あたりまでの学生運動の、
まあこう反動期というか、
まあその中で、それこそ対抗文化みたいなものが、
まあそれぞれ消費罪としてのイメージに回収されていくような時期に、
まあサブカルチャーが出てきたっていう、
まあそれこそ分かりやすいところで言うと、
糸井茂里的なものが、
こう台頭してくる時期になるわけですけれども、
ここの最初の3人が矢沢英吉、沢田賢治、坂本隆一なんだよ。
もうさ、こっからは面白くない?
矢沢英吉から始まるんだよ。
だから最初にはっきりと、そう、ハッピーエンドではなくキャロルですって。
ハッピーエンドから始めずにキャロルから始めますっていうことを、
こう明確にこう打ち出していって、
この時点で、お、なんかこれは違うぞってなるわけですよ。
超面白いわけ。
で、この3人を受けて80年代に入ると、今度はビートたけし、戸川順、江戸明。
で、90年代がフリッパーズギター、電気グルーヴ、Xジャパン。
で、0年代がシーナリンゴ、クレバー、バンプオブチキン。
この辺りになってくるとだんだん一言じゃなくなってくる。
でも一言じゃなくなってくるからこそ、
この0年代がシーナリンゴ、クレバー、バンプオブチキンなんだっていうところで結構、
やっぱりなんかなるわけじゃない?
なるね。
で、そっから10年代に入って、星野源、秋本康、大森聖子って。
ところで、言ってしまえばね、僕ね、この中でほぼ全員通ってないんだよ。
すごいなって思って。
21:00
だからなんか僕は音楽に関して、なんか自分のことを割と辞任としてはさ、
サドカルに経由してきた人間だとぼんやり思ってたわけ。
だけど全然違ったんだなって思って。
ここで書かれてる内容が全部一言のようにも思えるところがあって、
なんか僕は全然このカルチャーに特にコミットできていなかったんだってことに気づく。
サブカルチャーですらなかった。
っていう意味でもすごい面白かった本でしたね。
だからなんかね、本当にどっから話そうかなっていう感じなんですけど、
非常に面白い本で、僕はこの本を読む前に、
割と明治期のあれこれに、文学系の本に最近は偏ってたけど、
その前は割と政治的な、政策的なところだったり、思想史みたいなところで、
なんか明治が気になってね、明治の本ばっかりやたら読んでたんですけど、
明治の話だった。
全部明治になるよこの人。
てかやっぱり歴史。
大きい政変があった後の焼け跡をどうするか。
この本のすごいところは、やっぱりまだ生きてるんだよ、60年代の当事者とかが。
そうなると68年、69年史観とか、ハッピーエンド史観とか、みんなそれぞれの歴史を語り出すわけ。
あんまおもろくない。
1個個人史にしかならないというか、そこに1本クールに背骨を通す作業っていうのは非常に難しい。
このティーブンデーのお二人が大体84年ぐらいの生まれなのかな。
だから7個上ぐらいなんだけど、やっぱり今言った70年代から語り始めるっていうところで言うと、
70年、80年はまだ人事というか過去なんだよ。
文献的にいくしかないし、90年代は生まれたばかりだからそんなにリアルタイムではないっていうところで。
ちょうど間ぐらいに語られる50年史の。
その間から過去を振り返っていくところと当事者としての体感とか、両方ともブリッジされてるっていうバランスも非常に良くて。
まだ歴史化しようがないような難しい、近すぎるものに対していかに歴史的な文脈を通していくかっていう話をしていくわけだけど、
そういう作業をしていくと基本的にどの局面も似通っていくんだよね。
歴史は繰り返し的なさ。
サイクルがあるからね。
あれじゃん、決まり文句というかクリシェがさ。
でも結構それに近いところを感じていて、明治期っていうのは基本的に、明治への話をちょっとだけするとさ、
幕末から明治への変遷って非常に面白くてさ、そもそも革命じゃないんだよね。
24:04
革命的なイメージで語られることも多いというかさ、
新しい日本のいわけ勢を的な雰囲気で語られることが多いけどさ、
もともとあれ実質的には上からの改革というかさ、頭がすげえ変わってるだけなんだよね。
だから市民革命ではない。最初から官僚システムの挿身にしかなってないっていうところで、
そこで誰がそれをやったかというと、それまでくすぶってた下級武士たちが、
もう俺たちこのままじゃ嫌だっていう、レサンチマンから頭をすげえ変えてしまってということが起こっていて、
その明治の初めの頃の、
あれこれとさ、ごちゃつく時期っていうのは、
要するにそこで革命に俺は参加したのに、結局俺の生活パッとしないままじゃねえかっていう、
下級武士たちの食いっ端れた、上にそびれた下級武士たちの怒りから始まっていくわけだよ。
内村勘蔵とかね、キリスト教がそこでまた出てくるみたいなものも、
晴谷康二なんかに言わせると、自分の内面っていうものを見つめていって、
その内面に対して私は正直で、この内面に関してだけは私が最大の権威なんだみたいな、
ルサンチマの裏返しとしてのものであって、
戦うフィールドとして外にある社会っていうものに勝てないんだったら俺は中に入っていくみたいな、
ようなところから始まっていたりして、
一番初めの明治になってからしばらくの間っていうのは、
江戸の時期から引き継がれてきたあらゆるルサンチマに対して、
こんな社会はポイズンだから変えようっていう人たちの公害の時代だったわけだよね。
公害っていうのは激おこぷんぷん丸っていうね。
公害の時代っていうものがあって、その公害の時代を生きてきて、
でも結局のところ、既存の上積みにいたところの人たちが、
うまい汁を結局すすっていって、俺たちは使い捨てられたっていうことがはっきりしていくわけじゃん。
明治期のロスジェネよね。
無理なんだってなった後の世代の人たちっていうのは、
その時期は、最初の明治期の変革の時期っていうのは、
具体的に政権が変わっているから、
これから世の中が変わっていくかもしれないっていうことを本気で思えた時代なわけだ。
これはまさに68年、69年の世界的に同時的に、
その左翼的な運動が盛り上がっていた時期の、
何かが変わるかもしれないっていう時期の期待と、
ちょっとそうじなわけですよ。
なんだけど、その次に出てくる世代っていうのは、
その頃の何かが本当に変わるかもしれないっていう予感を、
肌感覚として知らない世代が出てくるわけだよ。
そうすると、もうその抵抗の運動としてあった、
ヨスガっていうものが何もなくなる。
何も変えられないってなると、
さっき言ったような内村勘蔵的な、
27:01
内面へのフォーカスにしか逃げ込めなくなってくるというか、
社会に対して、その内面を研ぎ澄ませていった結果、
社会変革に出ていくっていう、
その社会変革に出ていく経路に対して、
期待が持てなくなった結果、
どんどんどんどん打ち打ちに入っていくしかなくなっていく。
打ち打ちに入っていくしかなくなると、
自分の内面世界として怖いものなのに、
世界はそうではないってことに気づいていくわけだよ。
そうすると人生不可解になっていくわけだよね。
そこで反問青年っていうのが出てくるんだよ。
公害していた青年たちが反問する青年になって、
カゴの滝に飛び込んでいくわけだよ。
っていう、そこで反転していくわけ、そのエネルギーが。
発散するエネルギーが社会に向かずに、
社会に向かわなくなった経路を外されてしまった熱量っていうのは、
そのまま自分の中に中にいって、
どんどん入っていった結果、
反問していくしかなくなっていく。
っていう、そこがまさに、
ポストサブカルヤケアトハの中でいうならば、
60年代から70年代になっていくところの時期の、
まだ公害を知っていた時期の人間たち。
それは伊藤石瀬里もそうだし、
坂本隆一もそうだよね。
っていうような人たちが、
基本的にその頃の社会を変革できるはずだった、
っていう熱い思いの行き場を失っていった世代と、
そもそも最初からなくて、
どんどん反問していた世代とっていうところがあるんだけど、
さらにもう一個後の世代になってくると、
これがまたね、
トクトミソフォーっていう人の、
変革する文体という本を読んでましたけど、
あの人とか、その頃のアジテーションによって、
育ってきた世代っていうのは、
さらに変わっていくんだよ。
公害から反問へ、そして成功へってなってくる。
反問青年のように、
うちうちで何かやってるのはつまらんと、
そうではなくて、成功する青年を目指しなさいっていう、
アジテーションにね、
胸を熱くする青年たちがイメージ的な、
その第三世代としては出てくるわけで。
彼らは、要するに社会というものを、
プラスチックなもの、変革できるものとして考えてない。
その社会の中において、
どう成功していくかっていう、
ITベンチャーのような山っ気を持って、
俺たちはこのレールの上で成功していくんだと。
立志、空学、出世の世界ですよね。
こうやって一生懸命、
受験勉強して、官僚制のトップに上り詰めていって、
うまい汁を吸ってやるぞと。
そういうような、
社会に対しての批判の目線じゃなく、
それは所有のものとして成功していくんだ、
のし上がっていくんだっていう世代になっていくと。
それぞれの時期の変遷がある中で、
成功するっていうところには、
それぞれやっぱり反動があるわけで、
公害に対して反問があったわけだし、
反問のカウンターとして成功というのが出てきたわけだよね。
30:03
成功のカウンターとして次に何が出てくるかというと、
それこそ個人主義というか、
近代的な個人みたいなもの。
明治期の文学観でいうと、
自然主義的なもの。
国気だどっぽうであったり、
田山家体みたいな、
とにかく成功とかそういうのじゃなくない?
人生って、
おのずとしからしむるものじゃん?みたいな。
宇宙とバイブス合わせてこうっていう方向に
行くという流れがあると。
まさにその辺は、
学生運動の当事者としてやりながらも、
うまくそこから、
結局のところ社会の成功青年の方に
回収されていってしまった坂本隆一の
反問であったりとか。
逆にそこはもう食ったくなく、
初めから成功に向かっていった矢沢恵吉だったり、
公害というものに対して
一歩を引いた目線で見ながらも、
反問にも者に構えて、
あらゆるものを相対化していく、
非常にポストモダン的なビートたけしという存在であったりとか。
それぞれの時代に対してどう対応していくかというところで言うと、
ここに出てくるこの音楽ミュージシャン達っていうのが、
結構ダブついてくる部分がね、
もちろん完璧に何か対応してるってわけじゃなくて、
なるほどなっていう、
それぞれの対応物としてキャラクターが出てくるんだっていう話が
非常に面白くて、
どういうことかって言うと、
音楽家をここで出す理由がね、
分かるんだよ。
どういうことかって言うと、
僕らが90年代生まれの僕らがさ、
音楽雑誌とか読むときってさ、
大体6万字インタビューとか3万字インタビューとかってさ、
何が書かれてるかって言うと、
音楽なら死ねんだよね。
なんか老いたちとかさ、
友人関係とかさ、
それこそ内面に迫っていく方向が多かったというかさ、
になっていく。
だけどここで語られる話っていうのは、
そういう話がほぼないの。
だからその、
受容詞なんだよ。
キャラクターっていうものは、
その人個人がどうだったとかではなくて、
その人のパフォーマンスがどのように
世間で受容されていって、
どういうようなキャラクター像、
虚構が立ち上がっていったかっていうところに
フォーカスして語っていくわけ。
だからその人の振る舞いが実質、
その社会の中でどういう機能を持ち得たかっていう話で、
で、なぜそれがそういう機能を持ち得たかっていうと、
文脈としてこういう文脈があったからだよねっていう話になっていくわけ。
さっき僕が明治の話をするときに、
公害から反問、そして成功へみたいな図式を描いたけれども、
33:02
それぞれの時代を生きている当事者たちが、
それぞれその、
それぞれの一色他に染まっているわけがないんだよ。
わけがないんだけど、
それぞれが自分たちの実存をかけて振る舞っていた行為っていうのが、
それこそ人生不可解的な感じで、
何か反問の象徴になってしまうことはあるんだよ。
でもそこには本人はいない。
本人はいなくて、本人の行動によって増幅されたキャラクターがあるだけなんだと。
そのキャラクターの受容師として描いていくと、
いかにして、なぜ僕がそのサブカルっていう言葉に
なんとなくもういいやって思っているところがあるような、
言ってしまえば政治との分離。
社会というものと切れている、
すごい狭い世界に自閉している感じっていうものに、
なぜ陥っていってしまったのかっていう話に、
接続されていくわけですよね。
それが非常に明快に整理されていて、
大変面白い本でした。
やっぱりね、
今日は脱線しまくって、
とりあえず一旦喋るけど、
雑なオブジェデッドっていうね、
いい本があるんですけど、
あんなかでね、ディズニー作品のさ、
ゾンビかなっていう作品があるんですよ。
これはどういう話かっていうと、
ゾンビパンデミックが収まった後、
ゾンビというものが人格を取り戻して、
人間と共存を始めた後の世界を描くっていう作品なんだけど、
これ何が重要かっていうと、
そのゾンビによって、
事件が起きていた時代から、
鎮静化した後40年が経った後なんだよ。
だからそこで出てくる若い世代っていうのは、
ゾンビたちがひどいことをした時代を知らない。
不当に差別されているゾンビたちと、
自分たち人間っていうような線引きの中で、
暮らしているわけだよ。
だから昔ゾンビがどんなことをしたかっていうのは、
もちろん知ってるし、
それはもう自分の父親母親世代でも、
生々しく残っているものだけれども、
私たちは、うちらはうちらじゃん。
だからうちらが仲良くしちゃいけないなんてことはない。
っていう話なの。
個人のトラウマを乗り越えるって話はちょっと違うけど、
社会的に植え付けられてしまったトラウマを、
くったくなく乗り越えられるのは、
やっぱりそれを肌感覚として、
知らない世代が乗り越えていくんだっていう話で、
この知らないっていうのはすごい重要なんだ。
っていう話があるじゃないですか。
最初の矢沢恵吉だったりジョリーだったり坂本隆一っていうのは、
60年代を知ってる世代。
この後に出てくる美戸武史とかもそうだよね。
36:01
そこはあえて政治から離れていくっていう選択をしているわけだよ。
もう、だるくねってなっていくというか、
結局、美戸武史なんかに一番顕著だけれども、
学生運動の矢沢恵吉は上積みのインテリたちだけで、
結局のところ、太い実家の子ねで、
卒業後はいい企業に入って、
ノンノンと暮らしていくようなところを見ちゃってるわけだよ。
そうなってくると、全部馬鹿らしいなってなっていって、
そこに付き合ってらんねえよっていうところから入ってきている、
非常に政治的な非政治性を持っているんだよね、彼らは。
あえての状況に対しての逆転りだったり、
カウンターとしての非政治性っていうものがあったんだけれども、
すっかりそれが消費罪として定着してしまった後の世代っていうのは、
すべての非政治性を、
非政治性としてしか受けられなくなっていく。
だから次の世代っていうのは、
なんとなくサンプリング感覚で、
それを使っていくほうがなくなっていく。
これは戸川純から椎名林檎園の移り変わりの中に非常に大きく出てくるんだけど、
戸川純の時期の対象エロブロテイストっていうのは、
この時期に出てきた鳥肌実れもそうだけれども、
そこにちゃんとヤバさがあった。
こんなキッチュなもの、悪趣味なものっていうものを一度再開発して、
なんとなくかっこいいものを出すけれども、
そこにちゃんとそのあたりまでの文脈がかろうじて残っていた。
けれども椎名林檎の世代になってくると、
もう単純にそういう対象。
ファッションとして。
ガーリー的なものがファッションとして、
記号にしかなっていなくて、
そこに内実の伴ったものがなくなってきているというところでいくと、
そこに何をサンプリングしようが勝手になってくる。
今でもヨーロッパの若い子たちのバンドとかだと、
ファッション感覚でカゲジョイで使って、
大変なことになるみたいなのは、
それこそこの前も日本の星とかのPVでそういうのがあったけど、
全てフラットになって、
全ての記号が何の文脈も歴史性もない記号に上積みだけになっていって、
それを自由にサンプリングしていけるような環境がどんどん整っていく。
というような問題意識をずっとこの本には通定していて、
言うならば、
もう一回そこに意味だったり文脈を取り戻そうというか、
どういう意味があったのかというのをちゃんと点検しておかないと、
どんどんどんどん全てが、
おもみづけのない記号だけが残っている状態になっていってしまって、
39:04
それは非常に危険であるという話になっていくわけだよ。
なぜ危険かというと、
鳥肌みのるもそうだし、椎名林吾もそうだけど、
ちょっと違うけど、鳥肌みのるはガチで右翼に接近しているわけじゃない、今。
そして椎名林吾というのは、どんどんどんどん国策の方に取り込まれていく。
椎名林吾自体が国粋主義者がどうかはわからないか、
ファッション感覚としてそういう表紙を使ってきたことによって、
本人の自覚がどうこうとかではなく、
それがそのまま、そういう都合のいい形に、
大きい物語の方に回収されていってしまうということ自体が危険であると。
そういった危険を真っ先に体験していたのが、
ただの気のいいバンドマンのあんちゃんであったXジャパンなんだというような話がされるわけ。
天皇に歌っていたりするわけでしょ。
僕はXジャパンは全然通っていないから、この本の中でしかまだ知らないんだけど、
実は何か信念があって、あえての振る舞いとかではどんどんなくなっていく。
ただただ、表装の部分の記号だけを何かかっこいいからで身にまとっていくと、
気づいたらそれががんじがらめに、何かの極端な思想の方に取り込まれていってしまう。
というのはむしろ政治的な足腰が弱くなっていっていく。
いいマスコットにされちゃうんだよね。
そうそう。それは結構やべえよっていう話がされていくわけですよ。
これは僕が好きそうな話でしょ。
よく喋るだけは。
面白いんだよ。これは面白くてさ。
非常に面白かったの。
だから、なんかね、これはいい本ですね。
しかも、がっつり40ページくらい年表がついてるっていうのも非常に好ましいところで。
やっぱり歴史として語っていく。
ちゃんと整理していくぞっていう気概にしていてね。
このね、表紙のイメージとかね、著者の名前のイメージとかから感じるね、
軽薄さはね、みじんもないね。
全然じゃなくなかった。
非常に重たい本でして。
超よかった。
超よかったんですよ。
49年生まれだと、69年、20歳か。やっぱそうだよね。
音楽の話だとちょっとわかんないけど、昭和24年組。
はいはいはい。
それこそ大学生の頃に、安保とかの時代で。
多分、トンマの心臓で大学の時にレポート書いたんだけど、
42:02
その時に、それこそさっき言ってた、実際ガンガン運動とかやってた男の子たちは、
みんな、もう、素知らぬ顔して、一流企業に勤めてた。
その熱気に当てられちゃった私たち女たちは、もちろんそんなものなくて。
で、まあ、漫画家になるような人たちっていう、
一括にするのはあれだけど、かなり内面的な表現を少女漫画に持ち込んだ人たちとして、昭和24年組っていうのは大きくあるけど、
だからそもそも女にも内面があるっていう話をし始めたのが彼女たちだっていう話があって。
だからその運動自体をするわけじゃないけど、もちろんその時代に対する怒りみたいなものは共感はするし、
なんかそういう雰囲気がすごくあったと。
で、それに対して、そういう時期があったということを忘れたような顔をできる同世代も見て、
そしてそこで語られる当事者の中に女たちは入ってない。
で、それはそれとして自分は漫画家になりたかった。
私は萩尾本ベースで調べてるから、萩尾本は本当にお母さんに認めてもらってなくてずっと。
ゲゲゲの女房を見て、あんたがやってる仕事ってすごいよねって言われたって。
そこで初めて何かが、呪いが解けたみたいな話をしてて。
だってもう最近ってほど最近じゃないんだと思うけど、
まあ最近じゃん。だから本当に大学1年生の時にそのレポート書いたけど、
それ数年前とかだもんね多分。
それまでずっと何かいつ辞めるのって言われてたけど、
私には意思があるから、私は漫画をやるんだ。
漫画が自己表現に、漫画でしか自己表現をできないんだという私を表現するために、
黙らないために漫画を書き続けるんだっていうので、
どこまで本心かっていうのはすごい野暮な考察だけど、
やっぱり母親が恐ろしいものとして常に出てくるっていう話とか、
45:07
それは個人のイメージとか少女漫画の一つのプロットの典型として、
母というものを扱うっていうスタイルを確立してたけど、
でもそれ以前って基本的にかっこいい男の子に恋して宇宙庭の私っていうもの、
ないしヒーローに助けられるヒロインっていう女の子がベースだったところから、
そもそも少女の話じゃない。
ポーノ一族とかは少女の話じゃないとか、
作家として女にも内面があり、
ふわふわして可愛い絵の子たちにも内面があるんだっていうことを提示した漫画家たちとして、
昭和24年組っていう存在が大きいと思うんだけど、
だからそれは反問の一つの結晶だよね。
まあでも、24年組の漫画はそれこそ非常に歴史性を引き受けているからね。
あの、今東さんに名前出てこない。
何の人?
あのさ、あれ、めっちゃ歴史のやつを描く人。
じゃあ木原敏。
木原敏はちょっと世代が違うのかな。
いや一緒一緒。私が一番好きなのは木原敏。
木原さんはめちゃくちゃ視覚的な知見を導入していくわけじゃない。
あの人の趣味だと思うけど、趣味じゃなかったらあそこまでやれないと思うけど、
でもそうね。
かなり歴史の範囲写にフォーカスした話を描くのが好きだなっていう。
好きなのもあるし、
割とスケールがでかい話が多いじゃない?みんな。
SF、初純漫画でSFやるとかもね。
そうそう。ちゃんと作画を作っていくみたいな意思も割とあるわよね。
だから火の鳥は手塚治虫にしか描けないものなのかっていう。
そんなことないでしょっていう。
そうそう。
それこそね、戸川隼の講演24年組の話がね、ちょろっと言及されるんだけど。
戸川隼はまさに80年代のリートたけしっていうものが、
一種のサブカルダンス的なテンプレートを用意した存在として描かれるわけだよ。
要するに全ての状況に冷笑的に距離を置いて振る舞った上で、
48:00
軍団を作ってめちゃくちゃホモソーシャルな、
なんていうのかな。
お礼の城を作り上げたよね。
城を作り上げるっていう。
今まさに欠産期というか、あれこれと生産をさせられている
サブカルの在の部分としてのホモソー仕草を
基本的に全て準備したロールモデルはビートたけしなんだっていう。
一個の見立てがね、提示されるわけだけど。
サブカル女子的なもののフォーマットの起源は戸川淳にあるんだ。
戸川淳の偉大なところは、今だとメインヘラとか不思議ちゃんとか、
レッテルとして嫌な言葉に、
いやゆう的に使われる言葉のテンプレートとして回収されちゃいそうなフォーマットではあるが、
何が新しかったかというと、
三浦淳的な情けない俺たち的な共同体の作り方。
何をやってもダメな自分っていうフォーマットを
一個作ったのが戸川淳なんじゃないかって話をしているわけだ。
要するに立派にちゃんと、
全部、全方位にいけているみたいなのじゃなくて、
舞を潜められるようなだらしなさも含めて、
別にこれはこれでこうなんだからっていうことを
居直れるフォーマットがある意味なかった男たちにしか。
みたいなところに一個準備していったのが
音楽の世界だと戸川淳なんじゃないかっていう話がされていて、
その中でそれを準備したのは
70年代の25年組の作品だったりっていうところに
イメージとしていろいろあってみたいな話がなされていて。
この本の面白いところは最後が大森聖子で終わるところで、
最後の10年代が保守の弦秋元康大森聖子なんだけど、
この中で言うと保守の弦が一番僕としてはリアルタイム性を持ってるというか、
名古屋のヴィレッジヴァンガードで酒ロックのファーストアルバムを買うところから
割と始まっているから、分かりますって感じなんだけど。
何が言いたいかというと、保守の弦の振る舞いっていうのは
非常に男の子なんだと。
ビートたけしの系譜のある意味終着点というか、どん詰まりにいると。
保守の弦さんとしての振る舞いとのラジオで新聞ネタを連発する、
51:06
そしてエッセイとかでもミソジニのきつい保守の弦の振る舞いと
っていうところのコンフレクトを起こしている、ここがもう行き詰まり。
サブカルの仕草としての男っていうものは保守の弦ぐらいまでしか行けない。
ここから先はどうしようもないっていう見立てがあって、
そのまま有害なサブカルの男性性みたいなものの
ゴンゲとして秋元橋が出てくるんだけど、
そのどっちにも限界があるからというところで最後に
締めくくりは大森聖子で終わるっていうところが
わりとこの本の明確な意思を感じるところがあって、
やっぱりだからサブカルの嫌さの一つは非政治性だとして、
もう一つはすごいめっちゃ男の子臭いっていうところだから。
でもそれだけじゃなくそこの文脈の中からこういう人たちが出てきてるっていう話を
して終わっていくっていうのはなかなか強めの意思を感じてね。
大森聖子だけでは僕あんまりピンときてないんだけど、個人的に。
だけどそこも含め良かったんで。
この本は結構クールにあれこれと
表層部分を救い取ってそこから歴史を語り起こしていくっていうスタイルになってるんだけど、
なんかね、人事として語らないんだよ全然。
特にこの米香さんがね、フリッパーズギターと大森聖子だけ様子がおかしいの。
他のところは全部愛情半ばでありつくつ、
ちゃんと冷静に一歩引くところからクールにふがけしていくっていう態度を崩さないんだけど、
フリッパーズギターと大森聖子に関してはね、途中ちょっと何言ってるかわからないところがある。
オタクの早口。
オタクの早口になっちゃう。なんかね気持ちがね、前に向かってね。
重心がね。
パンスさんっていうもう一人の人がね、合図打ちを打っていく形になるんだけど、
え、それってどういうことなの?とか、
今言ってたこれってつまりどういうことを言ってるんだろう?みたいなことを基本的に言いながら、
基本的に米香さんの語りを引き出していくっていう役割に、
大森聖子のところになるよね。他のところは割とバランスよく二人で喋ってるんだけど、
大森聖子の一番アンバランスで、
まあねの一言だけだったり、うーんって一言だけ書いてあったり、
ふーむ、それはどういうことなんだろう?とかね。
なんかそういう合図打ちの打ち方を、
卒談無駄だったじゃん。
そう、していくんだよ。
あとそこまで言うかね?とかね。
そうなんだ、みたいな一言だけポンっておいて、
なんか喋っていくっていう、
なんかねこの熱量の差がね、なんか面白くて、
54:04
なんかそのクールになりきれない。
ちゃんとそれぞれなんかそこに何かが乗っかっているところに関しては、
多少無理めでも熱さを優先していくっていう態度が、
割と誠実だなって思うわけですよ。
なんかだから、いやでもだからそういったバランスがいいよね。
うん。
っていう思う。
そうだね。
今日のこの回は僕がそういう、
わーって言ってあなたがうーん、そうかねっていう回になり、
まあそういう回多いですけど、
でもなんかそれ結構大事っちゃ大事でさ、
っていう感じがしてね。
面白いね。
でも二人ともめっちゃ好きな話をすると泣き始めちゃうからさ。
そう、二人とも泣き始めちゃうからね。
でもね、でもね、
だからといってパンスさんがすごいその、
なんていうの弾いてるかってそういうわけでもなくて、
あとがきがね、そのパンスさんが書いてるんだけど、
めっちゃ熱いんだよ。
なんか、なんかだいたいもうさ世の中がさ、
なんかひでえことになっているっていうのはさ、
割と今さ、共通認識としてあるとしてさ、
なんでこうなっちゃったんだろうっていうところで学区してきちゃうけど、
そのなんでっていうことを真剣に考え続けたのはこの本なんだ、
みたいなことを書いているわけ。
その80年代に書かれた本の引用とかがね、
こう、社会学者の引用が書いてたりするんだけど、
そのね引用文がね、めっちゃよくて、
まさにここに対してどう対抗していくかというか、
どういうふうに処していけばいいのかっていうところの問題意識がすごくね、あって、
ちょっとそのまま読まないですけど、これは。
読んでほしいから。
すごいんだよ。
なんか、今あるこの閉塞感ってつまりどういうことだったんだっけみたいなところが、
すごいよくわかる。
本で。
何よりね、すごいよかったんですよね。
こういうカルチャー語りの本でさ、あんまり基本的に、
よくわからんのよ。
今言ったって僕もさ、今回ここに出てる人たちの中でさ、
真面目に、まともに撮ってんの。
ビートたけし。
ビートたけしも撮ってない。
北野たけしは撮ってるけどぐらいの感じだしさ、
フリパーズギター全くわかんないしさ、
クレバーもわかんないしさ、
バンプは流行ってた。
真のリンゴはそこそこ聴いてた。
星野源はさっき言った通り。
秋元康は大嫌い。
大森聖子は、なんか結構前、ずいぶん前。
15年ぐらい前、もっとかな。
だからなんか学生の頃に、
ジョニー大倉大臣のお店で、ミニライブで聴いて、
57:00
あんまりちょっとわかんないって思ったのが、
最後の記憶で。
だからなんかね、基本的にね、
全部ね、通りそびれてる。
だからあんまり、
よくわかんないんだけど、
で、中に出てくる話とかもね、
さっき言ったそのね、明治期のさ、
反文青年が成功へみたいな文脈についてもね、
パンスさんがちらっと触れてたりするわけ。
でも非常に、ものすごい物知り。
なの。
2人とも。
だから注釈もめっちゃ多いしさ。
なんだよ。
で、僕らはこのポッドキャストで何度も言ってるけどさ、
データ中に憧れがあるけどで、
慣れない。
要するに年号とか、
人の名前とか覚えられないんだよ。
だから、歴史的な文脈について、
あれこれと、
なんか必要なことはわかるし、
てかなんなら割とそういうものの方が好きなんだけど、
細かい出た方が出てこない。
だからあれはね、あれがあれなんだよ、
ってしか言えないんだよ。
ある人とかね。
そうそうそう。
それがね、もう全部さ、
どこまで、本だからね。
本だからできることでもあるからね。
あるけど、でもすごい、
なんか、めっちゃ明確に固有名詞と大きな文脈が
繋がっていく様がめっちゃ気持ちいい本で、
超憧れるんだけど、
バランスがすごい良くてそこの、
固有名詞の力強だけで大きい物語を作らない人というか、
それをハッピーエンド主観みたいに一つの固有名詞に
全てを集約させる人が大半なんだよね、
カルチャー語りって大体。
なんか俺の考えた最強の何々主観みたいになりがちというか、
それがなくて、
なんかあらゆるこれもあるしこれもあるしこれもあるし
っていうのをポンポンポンポン出しながら、
ざっくりとその固有名詞それぞれの書く論には深入りせずに、
大きなスケッチを描いていくってことに徹していて、
そこのバランスに書くのがフリッパーズ・ギターと
大森聖子のショーだったと僕は感じてるから、
そこは何か目立つというか浮いて見えたけど、
でも多分そこもフリッパーズ・ギターと大森聖子真面目に
撮ってる人だともうちょっと納得できるんじゃないかなと思う。
要するに僕ここに出てくる固有名詞のほぼ全てに
そんなに馴染みがなかった。
だからそこに体重乗せれるほどの思い出が全部なかった。
だからこそその思い出のある部分に対して
ある意味固有名詞が増えていくんだよそこで。
固有名詞とかカタカナが増えてきたところで
ちょっとよくわかんなくなっちゃうっていう感じだったの。
でもある意味そこだけだった。
わかんないところが。
それ以外の書が全部わかんなくても聞いてられる。
その物知りのお兄さん方の面白い話に
えーそうなんだって。
ワクワクできるみたいな本になってて。
全然嫌味な感じがないというか
落ち込むじゃんそういうデータ中の本って。
1:00:00
これもこれもこれもこれも俺は聞いてるみたいな。
俺なんか本当に何にも撮ってなかったんだなみたいな。
あるじゃん。
1枚のアルバム300回聞いてれば満足だからな。
数でさ、量で圧倒されるときのさ
発言権ないみたいな。
シュンってなる感じですか。
別に今からでもさ、ある程度巻き返せるっちゃ巻き返せるけどさ
とはやっぱりね、もう無理なんだよね。
てか出会うべくして出会う時期というより
過ぎてるものがサブカルだよね。
だって今そのサブカルを当時のように
何がいいってね、この注釈のところにね
中学時代のコメカバーとか
高校時代のコメ、友達のいなかったコメカバー
図書室でグミチョコレートパンを読んで胸を熱くしていたとか
何々の歌詞に胸を熱くしていたとか
結構ね、レトリックが乏しくなっていくの注釈。
みんな胸を熱くしてんの。
でもこれすごい大事で。
まだ自分の声が形成されていなくて
そういう通知的なものをクールに語れるようになる前の時期に
とにかく胸が熱くなる経験っていうのがやっぱり大事でさ。
胸が熱くなる経験はもうできないんだよね。
最初からクールな目線でしか我々は見れなくなっちゃってる。
多分この時期の。
というかね、
なんだろう、
サブカルが自分のものではなくなるというのは
引き出しが多くなりすぎてるからなんだよなっていうさ。
こんなの初めてっていうさ、
そういう時だからこそ
すごいのめり込めるみたいな。
その奇跡的に同じタイミングで
同じコンテンツに初めて出会って
すごい新しいものを見せてもらってるみたいな
勢いによってそのコンテンツそのものがさ
次のフェーズに行けるみたいなさ。
それはもうさ、そのリアルタイムだけのお祭りでさ。
それに初めてじゃない人が行ったり
後から履修したりしても
それには乗れないよねっていう。
でもそれはなんかそういう波を回すためにさ
めっちゃアンテナ張ってるみたいなのはさ
それができる人はすごいと思うけど
ちょっとなんか別に
出会えた時に出会えばいいんじゃないですかってスタッフだけど
今度出待ちに行く対バンのね
対バン相手をあんまり真面目に聞いてこなかったから
プレイリスト作ってもらって聞いてるんだけど
この録音で何回か出てきてるさ
1:03:02
マイナス人形人生オーケストラっていうバンドの
まあ同期ぐらいのバンドで今度行くのが
私には魔女があったからなっていう気持ちになっちゃう
魔女っていうのはマイナス人形オーケストラの略なんですけど
なんかすごい
で魔女は解散しちゃったわけ
解散するべくしてしたなとは思ってるけど
生き残ってる方は
すっごいマーケティングしてるというか
自分たちを好きになってくれそうな人たちが
どういうものを好きなのかすごい研究して
研究して真っ合体させた結果
あなたたちのオリジナリティって何なんですかみたいな
何でもあることがオリジナリティなのかもしれないけど
それこそ戸川純の表層を借りているように見える
椎名林檎じゃないけど
本当最初の幸福論とかの頃のさ
椎名林檎らしさだったんだけどさ
だんだんさ椎名林檎っぽさを椎名林檎がやってるみたいなことになってくるじゃん
その空想さに近いみたいな
この界隈の番組はこれが好きをやっているバンドに見えてきちゃう
でもそれを本当知らないで初めて言ったら
バンドがそこだったらこんなの初めてってなると思うの
それはその状態で出会えなかったのは
縁がなかったねっていう
私が見てる界隈なんて最初に名古屋向けをガッツリ通ってたら
全部3番戦時みたいなバンドしかないわけだから
そうなるのも嫌であえてOK音もはや通らないみたいな
もう履修してる人たちを聴いてれば
キリコンと一緒でしょ理論で通らないみたいなところはありますけどね
そうなんだよね
それで本当に洋楽を聴いてこなかったから
ハイドーのソロを聴いた時に
こういうのもあるんだって思っていい
その後マリリン・ワンソンの結構前のアルバムも聴いたら
全部バグりじゃんって
だってマリリン・ワンソンがやってあげたかったんだって
知ってしまったみたいな
そうなんだよね
だから今の話でそのバンドをどこに位置づけられるかは
あんまり詳しくないからしないけど
1:06:02
この本の中で言ってる話として
今のあなたのマーケティング思考だけで
音楽そのものよりも
こういうのがウケるんやろっていう話の方で
経営者として音楽をやっていくっていうものとして
矢沢恵吉が一つ出てくるんだけど
キャロルの位置づけとして
ハッピーエンドとの対比で何が一番違うかっていうと
ハッピーエンドはインテリ
要するに今の話で言うと
ちゃんとそういう今現状のVKの音楽
ある種のVKの音楽っていうものを
なごむのKFから聴き込んでいるからこそ
その音楽になっているっていう人たちだとすると
キャロルはどちらかというと
都市生活者というか
その頃の金の卵として東京に流入していった世代としての
音楽ってなると
なんていうのかな
ちょっと意味合いが違うんだよね
その文脈を共有してないっていう
だけどその時代の中で
ここなんやろっていう嗅覚で
音楽をやっていくっていう世代が
そこに一個あるわけで
そこに明確に文脈のありなしに
階層の問題が絡んでいたと
だけどそれこそシーナリンゴくらいの時期になってくると
そういう階層とか関係なしに
全部がフラットな規模になってしまっているから
そこにもう階級
なんていうのかな
だからお前たちはそういうあらゆる文脈を踏まえて
はいその音楽やってるかもしれないけど
そうじゃないっていう
すみ分けすらなくなってきてしまっている
何の模倣してるかよくわかんないものは
それっぽい記号だけあちこちが拾ってきたことによって
生まれてくるそれっぽさにだんだんこうなって
要するに地に足がだんだんつかなくなっていってるっていうさ
話がこの中に出てくるんだけど
だからまさになんか面白いよね
ちゃんと体系的に聴き込んでやっていた人たちと
今よくわかんないけど
なんかザッピングしていい感じのところを
拾っていくときにできるものとっていうものが
どれだけ区別があるだろうかっていうところはさ
結構その状況が全然違うから
具体的にさレコードをさ
たくさん買えるか買えないかだったんだよ
この時代っていうのは
見落としがつかない
インテリになれるかどうかはね
この本の中に何度も出てくるんだけど
今だと全部トーチに効けちゃうから
想像しづらいかもしれないけどとか
今だと一発写真をツイッターに上げれば炎上しやすいから
フライデー衝撃事件の頃のフライデーの
そのヤバさっていうか
なんでもさらし上げちゃうっていうことの
ヤバさがちょっとピンとこないかもしれないけど
みたいなことを言うわけで
確かにピンとこないんだよもう
なんかその頃のメディアの強さっていうものがさ
メディア自体が特権的なものであるっていうのが
1:09:06
投稿者とか消費者が
ただ口を開けたまってるんじゃなくて
自分たちも冴えずるようになっちゃった
それはでかいの
実はこの本の中で出てくるミトリウスを得た上で
双方向になってしまった後の世界っていうものを
どう考えていくかはね
各々まだ考えていくところだなっていう
現在過ぎて
そうなんだけど
だからこそ今のこの状況の中だと
あまりにも当然のことのようになっている状況
今はもう誰もがフライデーになれるし
誰もがビート作品になれる時代でもあるんだよ
そういう状況の中で
サブカルテムの要件を考えていくと
簡単に言うと
メディアっていうものが
一方向のものである
そして
闘争的なものが表面化しないぐらい
平和な時代で景気が良かった時代にしか
成立しないものであった
だからやっぱり90年代までに
一旦そこのピークを迎えて
そこから先はちょっと
変質していかざるを得なかったんだっていうね
ミトリウスが一個書かれていくわけだけどさ
なんかね
そうなんだよね
なんか
むずいよね
今より一層そこで
双方向でかつさ
どの時代の音楽も
レコードを集めることなく
聴けるようになっているからさ
より一層その歴史の無価
というか歴史性の無さだったり
階級の重み
量に対しての階級の重みみたいなものがさ
こう
いくとこまでいってるわけじゃん
だからそこの
ここからの
ここからどうしたら
ここから先をこのスタンスで書いていくには
どうしたらいいんだろうかっていう気持ち
なって
でもなんかすごい色々と
とっかかりをもらった気もするが
まだあんまりうまくしゃべれないなっていう
感じの本音だよ
反問して成功してどうなるの?
その後ってこと?
だから
ちょっとまだ僕明治までしかさ
追ってないからその後のことはあれやけど
でもだから今
一個見取り図作るとすると
ここは10年代までの
だとしてここから今もうさ
3年ぐらい経ってるわけか
でもその3年だけじゃないけど
1:12:02
でもこのぐらいの日からすでにあった話だけど
割とさ
郊外は
見始めてるよね
みんな怒りだしてるよね
だからまたそこに戻っていくみたいな
見取り図になるのかなみたいなのは
もんやり思うけどなんか
要素それだけでいいのか知らんっていうのは
まだ分からない
っていう感じ
面白いね
サブカルね
サブカルか
でもやっぱりねなんかね
この本の中でも出てくるところとして
サブカル
良いところがあるとするならば
それは
なんか切実な
嫌さ
生きづらさ
的なもの
みっともない
ダメな自分みたいなものを
何かその
社会的に断大する以外の方向で評価する
理論をちゃんと確保しているっていう意味だと
それは非常に大事なことだと思う
わけですよ
なんかすごい切実な
ものにこうして
ひとまず何か踏みとどまる
ための機能っていうのは
あるわけじゃん
フィンランドのデスメタルみたいなもんだよね
やっぱりなんかその鬱屈したもののさ
出す先
発散するところっていうのはやっぱり必ずなきゃいけない
っていうのはあるんだけど
それが結局権力機構にとって
都合のいいガス抜きにも
なりかねないっていうところにも
ひとつ危ういところもさ
あるわけでっていう
のが
あってさ
今何の話をしてたんだっけ
今目薄だったな
今何の話してたんだ
私は
反問から成功して
成功に向かいその次ってどうなるのって聞いた
ああそうそう
でその後
サブカルカーって言ってた
なんだっけな
忘れちゃったな
サブであるからこそ
要はそのなんだろうな
正道ではない
ある種成功を
目指せない
人たちがやるのがサブカルチャーってこと
正道いける人はメインカルチャーやればいいってこと
1:15:02
そうそうそうそう
だからなんていうのかな
もともとサブカルチャー
自体がそういうさ
うまくいかない人たちの受け皿なの
てかうまくいかない人たちのための表現なわけじゃない
そこ
じゃあその理屈で言った時の
サブカルチャーない音楽ってのは
ポップミュージックってこと
いやでもここに出てる人たちも割とポップだからね
なんなんだろうって思って
えっとね
なんていうのかな
非常に難しいなあそこは
えっとねえっとねえっとね
ジャンル音楽というジャンルそのものを
サブカルチャー的であるというのか
音楽の中にサブカルな音楽があるというのか
ないしサブカルな表現者がいるよねっていう話なのか
えっとどこまでのマスカルチャーとするかっていうのは
置いておくわ
非常に面倒な話だから
そういう話じゃないと思う
何が言いたいかっていうと
うんとね
要するにそのサブカルというものが
きちんと成立していたのは70年代から90年代であると
まあそこが過労死でそこからの残死として
ゼロ年代があって
10年代にはすでにそれが執行し始めていくっていう
まあこの歯科にまず立つとするじゃないですか
でこれ何が起こっているかというと
要するに経済の地盤進化が起こっているわけですよ
サブカルっていうものが何かっていうと
要するにその始まりからして
非社会性を持つということ
非政治性を持つということ
要するに自分たちの政治というものは関係ない場所っていうものを作って
その中で有儀的に
その情報を協力的に消費していく場所としてあるわけ
だよね
それは何を起こしたかというと
そもそも社会というものから疎外観を感じている人たちの
救済の場所
居場所でもあり得た場所ではあるけれども
その場所を作っているときの
それを担保しているものっていうのは
ある種万弱だと信じている社会というものの信頼がないと
成立しない場所なわけだ
要するに本当にそれは何でもいいの
例えばこの本の中でも一つ出てくる
そのめちゃくちゃホモソーシャルなサブカル観というものを作っていく
一番の理由というのはロマンチックラブ
イデオロギーなわけじゃないですか
つまりモテ非モテの対比でいくと
非モテ側なんだよねサブカルっていうのは
要するに何かしらの屈託
何かしらの
上手くいっていない部分っていうものを
持っている人たちの表現が
1:18:00
この中でサブカルだと
この中で大枠の僕の解釈としては
あるわけですよ
この本の中で象徴的に出てくるのは
電気グループなんだけど
なんかあるじゃん
バカなヤングは陽気にアクティブ
それを横目に舌打ち一つみたいなさ
歌詞があるんだよ
あのNOの中に
でまさにそういうことなんだ
バカなヤングたちが
すごい現状肯定的に
何かアクティブである様に対して
シニカルに舌打ちを飛ばすっていう
態度が
そのサブカルだったんだけど
景気が悪くなって
クソな構造に対しての
肯定できる
口実が何一つなくなってしまった今
もうそんなこと言ってられないわけ
要するにもう個人的なことの
ほとんどが政治的なことになってしまう
状況になっていくわけで
そうなったらもうないのサブは
非政治的な場所っていうのはもうないの
いやだからさっき
だからだよ夜景の後
反問と
反問から成功の後何があるのって聞いたけど
きっと戦前があるんだなって思って
やっぱり後悔なんだよねそれは
やっぱりその後悔っていうのが
変革の後のイラ立ち
何しろ変革の余波があるからこその
イラ立ちなわけじゃん
っていうところで言うとやっぱり今もう何か
変えていく
ってか直接アクセスして
そこにアクセスして変えていくほかないっていう
局面なんだとするとやっぱりもうね
でもそれはさ
混乱の後の反問と
後悔とはさ別じゃん
そうなんだよ
その前にあったのは一体何なのかっていうと
義憤とかなのかなっていう感じ
そう義憤とか
追い詰められていく
それこそガス抜きとしてのサブカルが成立しなくなって
そうじゃなくてもシステム的にさ
それこそ火球節が
そうそう
でも結局ここでさ
ここでまた一つさ
がっかりするところとしてさ
繰り返していく史観で言うとさ
この国はさ
いまだかつて市民革命が起きたことがないからさ
結局上でわたわたしてるのに
割を食うほうがないっていうのがさ
一番の原なりポイントなんだよね
そうだね
1:21:03
こうなるから日本史の話が嫌いなんだけどね
でも
はーって言いながらね
だからそこにこう
ちゃんとある程度真面目に取り組まないと
あっという間にね
都合のいい言説に流れていきますから
だからやっぱりさこのさ
3コンボ
えっと
ゼロワン
ゲゲナゾー
トットちゃん
あーそうだね
なんかきっと30年後に
いや結構
語り草になるんだろうなみたいな
ゴジラとトットちゃんは見てないけど
見てないけど
いやでもそれはそうなんだよな
てかその前の日本でさ
なんかお互い参照が多すぎて
めっちゃもう
なんか何なんだろうって言ってるところにさ
もうトットちゃんでさ
決定的になった感じがさ
見てないけどさ
すごい伝わってくるじゃん
くるよね
いやそうだから本当にね
基本的に暗い気持ちにしかならないんですけど
そうゴジラという霊族に援護されたトットちゃん
いや本当にね
げんなりするよ
げんなりするよね
でもげんなりしてるだけだと
何もしてないのと一緒なんだよね
そうなんですよ
そうだからさ
さっきさ
なんていうの
サブカル的なものの
あり方として
そもそもだから消費するさ
ただ消費する側と
キャラクターとして祭り上げていく側が
明確に分離されていた
時代の話をしているわけだけれども
今その
大きな時代のうねりの中で
それぞれにキャラクターをプレゼンスするっていうさ
状況はさ
もう誰でもあるわけだよね
そこでどう振る舞っていくのかっていうさ
だって1回社員が書いている日記に出てくるだけの奥さんに
奥さんが良かったって書かれるんだよ
でもさそれはね
結構それは本当に
ちょっとこれまた長くなっちゃうけど
結構大事な話で
既に長いと思うけどね
このさポストサブカル
ポストサブカル明け野原のさ
秋元康大森成功の流れ
大森成功のところの過剰な熱量も含め
非常に大事な話をされていて
秋元康はクソなんだけど
これは変わらないんだけど
何がクソかっていうと要するにそのね
1:24:00
昨日もちょっと話したけど
今のこのね日本のねクソな構造のね
象徴なわけ
要するに
一番トップに
一番強い立場にいる人が
一番責任を取らなくていい体系の象徴なわけですよ
なんか自分で作っておきながら
中で起こることに何一つ責任を取らない
なんか自分で作ったその構造の中で
なんかその自分が作った構造の中で
一生懸命やってる子たちを見ながら
センチメンタルにふけているっていう
クソ野郎なわけじゃないですか
点火だけして暴走列車を見送ってるんですか
そうそう
なんかすごい綺麗に燃えていますねって
なんか僕にはこれはどうすることもできない
っていうところにすごいこうさ
勝手にエモがってる
キモい親父なわけじゃん
マジで嫌いだから
口がどんどん悪くなって
抽象度が高くなってるけど
冷静に
マジで最悪
それはもうさ全部そうなの
この日本のさ
行政の修学さを見ていてもさ
基本的にさ
全ての芝居のせが実務者のさ
言ってしまえばその仮想の階級の方にさ
どんどんどんどん降りていってさ
上の人たちは責任を全く取らないで済む
こういうことができてるわけじゃないですか
なんか覚えていないということは
つまり記憶にないということです
みたいなことを言ってればいいわけでしょ
あいつらは
みたいな
でまあ
理科的に言ってしまうけど
実際そういう構造として
基本的に上に行けば行くほど
責任を取らなくていい構造って
どんどんできていってしまっている
っていうのが
まず最悪だとして
大森聖子に
ここの本において期待されているのは
そこの
あのアイドルのプロデュースとかもやってるんだよね
あんまりよく知らないんだけど
だから基本的に
自分が責任主体として
その責任を引き受けた上で
キャラクターを打ち出していく
ってことをやろうとしているとこが
希望なんだって話をしているわけ
要するにその周りから見て
どんなに痛いだとか
なんかダサいだとか言われていても
自分が認めたこの自分っていうものを
お前らが認めるんだよ
お前らが認めるか認めないかじゃないんだと
もうこっちが認めてるんだから
お前がそれを認めろっていう
でもそれはまさに
自分で作った体系に対して
自分で責任を持った上で
他者に対して対峙していくっていう
その
これまでのサブカルの人たちがやってきた
自分たちは場を作っただけで
そこでみんなが盛り上がっているのを
でワイワイしているのを
ニコニコ眺めてるけど
そこで起こることは
制御できないよっていう姿勢と
対照なしているんだと
で今これ今
そのこう全部が全部キャラ化していく
でもそれは別にその
クラスに教室でもそうだったじゃんみたいな
だけどその教室の中に出てくるキャラクターっていうのは
非常にコンサバティブな
なんか
なんていうのかな
学級院だったら明るいんじゃんみたいなさ
なんかそういうこう
コンサバティブな決めつけの中で
そういうキャラクターのゲームがあるけれども
1:27:00
お前らが
その俺のキャラクターを決めるんじゃないと
自分のキャラクターは自分でこうだと決めるから
それに対して
お前らがそれを認めさせるために
俺は今からやっていくんだっていう
その態度っていうのは
すごい大事なことだと
で例えば今のその
これちょっと本からない
飛躍していくけど
そのSNSにおけるさ
なんか
超どうでもいいクソリプとかさ
クソバイス
こういう言葉使うからいいわけですね
クソみたいなアドバイスがさ
大きなお世話
があるわけじゃん
でもああいうのって何かっていうと
そのある意味
旧来のホモソーシャルなサブカル仕草そのものなんだと
要するに
まあその
コロの
その深夜ラジオ的なとか
まあ言ってしまえば2チャンネル的なこう仕草っていうのは
全員が全員なんとなく
その
教室的な位置関係の中でできてくる
キャラ付けの中で
キャラ的に振る舞っていれば
孤立しないっていうさ
仕組みなわけじゃん
だからなんかその
何事においてもそこで出てくるクソリプ的なこと
何か言いたがるっていうのは
その教室の中で
俺ちゃんとそのキャラ付け分かってますよっていうのを
再生産の目振りなわけじゃないですか
それやってるとずっと常に
そのおしけせの
キャラクターの中での振る舞いだけになっていって
それは結局
シジナリンゴ的な
こう
大きい文脈への回収
と補強にしかなっていかないよっていう
苛立ちが
を受け取ってるわけ
それに対して確かに
そうじゃなくて
一人ずつが
自分の考えた最強の折キャラで
勝負していけると
だからもうその
大きな一方通行のメディアの中で
増幅される人たちだけが
キャラクターというものになっていた時代から
そうじゃなくて
それぞれが一人一人が
何かキャラというものを
持ち得るというか
双方向的なメディアが
今優勢な時代において
その不和雷動的な
その
惜しき性の
既存の
キャラクターの中から
自分に合うものを選んで
それに安住していれば
いいんだっていう時期は
もう党に超えていると
お前はお前の
折キャラを作る
そしてその折キャラを
こう
社会に向けて
ちゃんとこう
発信していけみたいな
こう態度を
思い成功に
固くしているわけですよ
この本の結論部分ではね
だからなんかもう
そこからだよなって思うよ
割とこれはでも本当に
すごい真相が同意するよ
最近僕は
その文章
表現に対して
演技という言葉を
やたら使いがちですけど
割とだからなんかね
そういうことなんじゃないって思った
演技っていうとさ
1:30:00
それこそ教室で自分に
与えられたキャラを演じるみたいな
デブキャラとして
カレーの日は絶対おかわりする
みたいなことをさ
演技だとさ
多分思われがちだから
ちょっとそこはまだね
もっとうまいこと
やらなきゃいけないなって思うんだけど
そうじゃない
だと
デブキャラではない
自分の中では
俺はこうなんだ
っていうキャラをちゃんと作った上で
その演技を完璧に
完遂しろっていうような
話をしたいわけ
デブキャラじゃなくてデブだから
自分が本当に食べたいものの時は
おかわりするし
食べたくなかったら
おかわりしないってことでしょ
そうそうそうそう
っていうやっぱりそこの
なんかね
感じ
がなんかね
まだあんまりうまく言えないんだけど
小さくてあんまり
食べない子だった
食いしん坊で終わった
が何故か給食で
20個
トマト食べたみたいな
そうそうそう
だから多分ね
こういう話ずっとね
このプレイテクラジアムしてきてるんだけど
この話をね
空で手ぶらですると
あなたに全くピンとこない理由は
多分あなたは最初から自分で
自分のキャラを押し通して
生きたんだろうなっていうか
あなたすごい属性としてはさ
非常にさ
押し消せられがちなさ
小さくてさ
目がクリクリでさ
カーフーって聞かれる
そうそうそう
表情をさ
持ってしまっているわけじゃない
だからなんか
それに対して最初から
馴染むことができなかったのか
馴染み気がなかったのか
そういうサブカル的なものに触れた時に
自分がロリーと来たら
100に合うのは分かってるけど
私がやりたいのはゴシックで
低身長がゴシックやっちゃダメだから
私は何もやらないって
中学2年生の時に思った
そこはやっぱり結構ね
得意な存在かなって思うんだよね
今だったらそこでさ
今の状況としては
そこで
でもゴスが好きだから
ゴスを着るんだっていう
段階だと思うんだよ
それで
いいのか良くないのか
っていうところが
今後問われていくんじゃないかとは思うけど
でもそれはさ
ゴスの側をさ
改変してさ
自分ライザーしようっていうことじゃん
だからその
なんだろうな
大きなお世話的なリプ
とかもそうだけど
それを
一応
親切の手でやるのである
親切で他人を変えようとしてくる時点で
それは親切じゃないから
やめろっていう
そのなんだろう
推しを変えようとするオタクは
お前はファンじゃないから
1:33:00
みたいなのと同じ
そうだね
それは愛情ではない
ただ
おせっかいしたい
おせっかいである自覚があって
でも言わずには終われないから
言わせてもらえますけど
だったら
ノーサンキューです
いいわけだけどさ
愛情だと思ってさ
押し付けてくるから拒否したときにさ
失礼な奴らみたいなことになるわけじゃない
頼んでないから
っていう
なんだろう
対等以上の相手
対等を含む
相手
を変容させようとする
意志そのものが
割とグロテスクだと私は思っているから
自分が
こういう
有沢の
ビジュアルイメージになれないのであれば
私はそこに乗らないし
乗ること
乗ろうとして
自分の変えられない属性
身長とか骨格とかを
にコンプレックスを抱くぐらいだったら
それは
場外から眺めてる
楽しむものとしよう
っていう判断
本当に非常にね
今ね
抑圧的な状況があるとしてさ
その一つにさ
観客
のいなさ
というか
一丁がみんな当事者になりたがる感じ
っていうのはすごいあると思うんだよね
この数年ずっとその当事者性みたいなものがさ
一つの対抗面接の足掛かりとしてさ
出てくるというかさ
素人は黙っとれ的なね
部外者は黙っとれ的な
のがすごい強まっていく
わけじゃない
でもね部外者ってすごい大事なんだと思うんだよね
そこで結局
誰も彼もが
その
結局その誰も彼もが
話す
当事者として話そうとすることによってさ
今あなたが言ってるのさ
人を自分好みに変えようとするようなさ
大きなお世話が
発生するわけじゃない
なんかね
迷いますね
なんかある気がするんだけど
ちょっとまだわかんないけど
だからあんまり期待はできないけど
黄金少女が
もう一回朝日のような夕日を連れて
描いたらどうなるかだね
うーんあんまり期待できないけどな
でもね21世紀版の時点でさ
みんな自分のたこつぼの中に入って
批評ばっかりしやがる
っていう話もしてるからさ
もうあれは方向になった後の
そうだね
に描くとああなるっていうことじゃん
でもね
1:36:01
実はその時代分析も本当に合ってんのか
ってとこあるよね
たこつぼ化してさ一人一人引きこもってると
言いつつさむしろさみんな似てる
ってことしか言わなくなってきてる
自分のたこつぼの中しか見えてないからね
うん
引きこもって
たこつぼ化することっていうのは
オリジナリティの創出にしか繋がらないんだよね
獲得ではなくっていうさ
そういう文脈でしょだってあれは
そうか
うん
あんまり覚えてない
ちゃんと批評する前に芝居を見ろっていう話でしょ
まあね
批評でも芝居でも何でもいいんだけど
消費者としてやることが
本当に消費者として楽しむ
以前に
なんくせつけるというかさ
コメントをすることが
消費になってるけど
あれは一応
おもちゃ会社の話だから
批評する前に遊べよっていう
ところじゃないですか
うん
そうなんだよ
ただ見る
ただ読む
ないとダメだよ
本当に
最近なんか見たりなんか読んだりすると
なんか言いたがってしまう
ってことに対する嫌気がすごいあるんですよ
うん
その結果のベイブ
ベイブ論は本当に読んでほしくて
色んな人に
一生懸命見た
ほとんど自分
もちろんするんだけど
ただ見るんだっていう
ことに
やってるからね
それを踏まえて
その後
しゃべりするのと
最初からどこでしゃべれるかな
って思って見るのは別のこと
そうそうそうそう
まず黙ってみる
っていうことを
自分に対しての苛立ちも含め
そう思うわけですよ
その結果0.6倍
見るという不行を自分にね
見そぎとして課してるから
でも本当にそうなの
ただ見るただ読む
ただ読むは結構ね
元からあれでやってるけど
すごい大事なんで
なんか言おうとしなくていいの
っていうのを
最近の
気分としては思っております
っていうところですね
長くなってしまいましたね
でもまあ身のある長さだった
身のある長さだったし
これはちょっと次回予告にもなるんだけど
近日中にね
こんなにこのただ見ろ
ただ読めって言ってるのに
実際それこそ
評価するという観点で
読んだり見たりすると
途端に
人は読めなくなる
途端に人はクソリプ見えたことに
陥っていくっていうのが
今の僕の設立の悩みだから
その話を次回は
次回以降どっかで
1:39:00
しましょうということで
と言っていくラジオ
お相手は私かけない正宗と奥さんでした
良いお年を
25だから良いお年を
次1日
今日が24で
25配信でしょ
そっか
それでは皆さん
良いお年を
ありがとうございました
01:39:28

コメント

スクロール