1. ポイエティークRADIO
  2. 第百三回 コントロールを手放..
2022-06-20 1:13:53

第百三回 コントロールを手放したいのかもしれない

おしゃべりしてたら元気になってくる回。6月26日(日)開催の高田公太さん・蛙坂須美さんとのトークイベントに向けて、実話怪談の話をとっかかりにミクロからマクロ、具体から抽象までぐるぐる行き来しつつあれこれおしゃべり。久しぶりに本への言及も豊富。充実回です。 【主な登場本】ミルトン『失楽園』、小津夜景『いつかたこぶねになる日』(素粒社)、『「腹の虫」の研究』(名古屋大学出版会)

00:08
今回の話題は、第百三回コントロールを手放したいのかもしれない、です。
今回の話題は、第百三回コントロールを手放したいのかもしれない、です。
今回の話題は、第百三回コントロールを手放したいのかもしれない、です。
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私柿内正午と奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
具合が悪いですね。
具合が悪いぞー!
ということで、具合が悪いんですが、
何を今日は話そうかなというところで、
えーっとですね、
あれですね、楽しい話をまずしときましょう。
宣伝です。
あ、そうだ!
この配信が始まっているこの週の日曜日。
なんかちゃんと喋りたいって言ってました。
26日の日曜日に、東京はお台、
円盤に乗る場というアトリエメンバーたちの発表会みたいなものがありまして、
そちらで26日日曜日の5時から7時まで、
怪談作家の高田剛太さんと浅川澄さんをお招きして、
実は怪談についておしゃべりするというイベントがございます。
東京にお住まいの方、近郊にお住まいの方、
ぜひぜひ会場まで足を運びいただけるといいんじゃないのかなというようなことを思っております。
というところで、
ぜひ来てほしいなって思うんですけど、
実は怪談って多分ゾンビよりニッチでしょ?
うん、ニッチ。
僕にとっては全てが怪談に見えてくるとかありますけど、
これさ、面白いなっていきなり脱線するけどね。
脱線する前に、もう一回全部言ったか、とりあえずね。
リンク貼っておきますから、ぜひ来てください。
結局配信やんないの?
あのね、これはね、録音のところで言うことはないんだけども、
ちょっとね、運営スタッフがバタついてて、配信の体制が整ってなくて、
よくわかってなくて、配信自体をやるって言ってないけど、
03:03
配信の詳細が全然僕にまで来てないので。
そのすぐ出せるっていうよりはアーカイブ的なね。
もしかしたら直前になって配信ができるかもしれないし、
普通に、まあとりあえずせめて配信無理になっちゃうんだったら録画自体はしとくだろうから、
それのアーカイブで回流にしといてねとは言ってあるから、
何かしらの形でお届けできる、遠方の方にもお届けできるんじゃないかなと思っているんですが、
ちょっとね、1週間前のこのタイミングでまだそれを行わないとできないということには、
ちょっとね、申し訳ないなというところなんですが、
まあそもそもエメントルバという場所がね、
そういう本番以前のものっていうものを作る場所として作っているっていうのがあるとは言うね。
あんまりこう、イベントであんだったらそこ言い訳にはできないだろうっていうのはあるんですが、
ちょっと具合悪いからちょっと口が悪いですもんね。
口が悪いわー。
はい。
まあそれも、
じゃあじゃあ、
ちょっとやぶへまでしたね。
とりあえずだからイベントとしては大変楽しめるもんじゃないかなと思っていて、
実は怪談というのはですね、
はい。
まあゾンビと同じぐらい面白いものだと。
あのね、正直ね、私ももうわからない。
何が?
実は怪談というものに対してあなたから得た情報しかないから、
この間友達とその旦那さんが実は怪談にハマってて、
でその友達の中でも実は怪談、実は怪談好きみたいな子がいて、
だからなんか私はあなたの代理で、
そのこと、いやその創作怪談と実は怪談っていうのがざっくりあって、
みたいな話をして、
でもなんか、何だろう、
実は怪談ってこういうのじゃんみたいな感じにもう私がなっちゃってるからうまく説明できなくて。
なるほどね。
そうそう。
だからそもそも実は怪談って言葉自体があんまり馴染みがないわけじゃん。
怪談はわかるけど、実は怪談。
やっぱり私たちの世代で怪談といえば本校とか足耳袋だから、
とにかくびっくり怖いみたいなものに怪談というのがついてる。
あとは稲川隼二?
うーんとね、今のあなたのラインナップをパブリックイメージとするならば、
それ全部大体実は怪談じゃんってなっちゃうんだけど、
そうなんだよ。
そうなんだ。
そもそも実は怪談の割と走りだから足耳袋っていうのはね。
どっから話そうかな。
06:00
とにかく僕もちょっと今もかなりふわっとしちゃってるんだけど、
要するに実は、
本当にあった。
あったっていうところに重きを置かれているジャンルが、
実は怪談というものです。
それ以外にどんなものがあるかというと、
創作ホラーであったりとか、
都市伝説みたいなものがあったりとか、
要するに厳密な定義があるというわけじゃないんだろうけど、
僕なりの解釈で言うと、
一時ソースがあるっていうことを、
ちゃんと読みても書きても、
ないしは語りても聞いても了解している、
というお約束が成立している怪談っていうのが、
まず実は怪談というものの一つの定義というかお約束かなというところで、
本当にこういう話とかも、
要するにあれは投稿者Aさんからの体験談みたいな感じで、
あるわけじゃん。
別にあれは映像作品だから、
またちょっと一つフィクションの度合いが高まるかもしれないけど、
基本的に投稿者であったりとか、
情報提供者の方がいるっていう、
その人の話を聞くっていうのが、
まず第一にある。
まず第一に取材というものから入っているっていうところが、
実は怪談というものにおいてすごい大事なところで、
単純に自分でゼロから作る、
想像して作る話とは違うわけだよね。
ここが僕は一番面白いところだと思っていて、
要するにそれがどれだけよく分からない話でも、
逆に出来すぎた話でも、
とにかくその人の話をまず全部一旦聞く、
そしてそれをなるべくそのまま信じるっていうことが、
無実は怪談においてのすごい大事なポイントなわけですよね。
そこには書き手や語り手の、
ある意味作家性であったり英語みたいなものっていうものが、
まず一旦ないところから始まるっていうところが非常に面白いポイントで、
とはいえ、聞いた話をそのまま再現するだけだったら、
それこそボイスレコーダーで録音して聞かせればいいんだけど、
そうじゃなくて、それをちゃんと面白い話として整理させるための、
編集であったりとか、情報の取捨選択みたいなものが、
その語り手によって独自に育まれていくわけだよね。
みたいなところがあるわけですよ。
09:02
だからその素材としてはまず第一に、
その情報提供者の人が何を見聞きしたのかっていうのが絶対に第一にあるんだけれども、
その見聞きしたものをどうすれば広く伝えられるだろうかっていうところを、
怪談作家の人たちが考えて変換しながら、
その元の体験っていうものをなるべく損ねずに、
むしろ効果的に伝えるための技法として、
その書く技術であったりとか語る技術であったりとか、
構成の力みたいなものがそこで働いていくっていうのが、
実は怪談の現場で起きていることなんじゃなかろうかっていうようなことをね、
僕は考えていて。
例えばタクシーの運転手の何々さんから聞いた話ですから始まって、
そこでこういうことが起こったんですみたいなのが、
フォーマットがまず実は怪談でありがちな世界なわけじゃないですかというようなところの、
そのフォーマットっていうのもある意味すごい決まっているわけだよね。
実は怪談って単行本というか文庫本で一冊出ているとすると中にも30、40ぐらいの、
でも1個4ページぐらいで読めるようなものがたくさん入っているっていうのが基本のフォーマットなんだけど、
これもすごい重要というか、長い怪談はそんなに、
だから基本的に短いことが大事なんだよね。
短くてすぐ読めてちゃんと怖い。
そしてちゃんとそれが実話っぽい。
だから実話であるということに説得力があるっていうところを目指さないといけないってなると、
さっき言ったような何々さんから聞いた話ですから始まって、
こういう日にこういうことがあって、こうこうこうなってこんなことが起きましたっていう、
もうある意味構造的には定型に近いようなものがあるわけですよ。
あなたには何個かさ、僕が好きなの読み聞かせて。
僕が好きなのは変なのが多いから、ちょっと波長したのが多いかもしれないけど、
とはいえやっぱり定型文があるわけじゃん。
やっぱりそこね、その昨日面白かったのは、
僕が一人面白いなって思っている赤妻俊樹さんという怪談作家なんですけど、
その人なんか単歌もやってる人らしいんだよね。
やっぱりその定型に落とし込んでいきながら、
何をそこでバリエーションつけれるかっていうところでの面白さっていうところで言うと、
本当に自分で好き勝手にやる三文的な書き方であったりとかっていうものとはまたちょっと違った勝負の仕方というか、
制作の仕方っていうのがそこには現場としてあるんだっていうのが、
実は怪談の面白いところで。
これだからすごいホラーとかそういうジャンルに興味がない人でも、
12:00
ある意味それってすごい人の話をちゃんと人の話として聞くってどういうことだろうかとか、
自分の理屈とか自分の信念みたいなものを一旦訳において、
相手がどういう理屈でどういう順序でどんなことを考えているのかっていうことをちゃんと一回受け止める技術であったりとか、
その上で自分なりの解釈は入れずに、
自分なりにその相手の考えっていうものを他の人に伝えるためにはどういう風に語り直すとわかりやすくなるだろうかっていう風に、
編集する力とっていうのは非常に重要なというか、
その俺が俺が的なグイグイ前に出ていくような制作の仕方ではなくて、
他にある世界観っていうものをそのまま一度自分の中に飲み込んで、
自分の色をなるべく加えずにそれを出力し直す。
それをより広く一般に届け得る形で出力し直すっていう技術だと思うので、
それこそ制作に限らず、あらゆるコミュニケーションにもかなり応用が効く技術だと思うんですよ。
そのあたりの技術的な話に今回ゲストという高田さんっていう会談作家の方、かなり言語化に長けている方なので、
そういうどういうことを考えて、どういう風な態度で話を聞いて、どういうような態度でそれを文章にするのかみたいなところを、
かなりテクニカルなところも含めてねほりはほり聞いていこうかなという回になっていますと。
これ相当面白いと思う。だから僕は冗談半分で思っているのは、
医学書院のシリーズケアを開くで、実は会談について一冊あってもいいんじゃないかと思っているぐらい、
要するにそれはケアの話でもあり、人の話を聞くっていうのはどういうことなのかっていう話でもあり、
他人と分かり合えないって思いながらも、その相手の全く分からない相手なりの理屈であったりとか、
相手の中にある世界の見え方であったりとか、相手のこれまでの自分で描いている自分史みたいなものを、
いかに自分の価値判断というものと関係のないところで一度体系化できるかっていうところのお話になっていくと思うので、
非常にいい話ができるんじゃないかっていうのと、とはいえ前提としてホラーなので、
でもね、さあ行こう言っていい?
どうぞ。
今じゃない?
まあいいやどうぞ。
いやなんかこの間ね、赤間家で喋っててね、
15:01
こういう話とかって話してたんだけど、結局あなたが、私がホラーはダメだからさ、
あなたが私に聞かせてくれるのってさ、怖くないじゃんあんまり。なんか変な話じゃん。
変な話はそうだね。
だから怪しいと怖いって違くて、怪談って怪しい話じゃん。
ああでもそこはね、あなたはちょっとごめん。それは僕の教育が働いてるわ。
あああなたの教育がダメ、あれか。ああじゃあ何でもない。
ああでもいいよ。言ってごらん今の。
いやなんか怖いだけが怪談じゃないというかさ、
怖がらせるための話もあるけど、だから本校とかは本当にやったら怖い話だから、
怖くてなんぼだから私はすごい苦手だけど、
だから怪談なんて、あなたが怪談にはまり始めた時にいいってなったけど、
なんかそういうのばっかじゃないんだって思ったけど、それは私が苦手だから気使ってるだけなのかな。
そういうのばっかじゃないっていうのが重要なわけですよ。
だから怪談って言った時にただただ嫌な気持ちになったりとか怖い気持ちになったりするが、
全てではないというのが結構大事なことで、
これはねもしかしたらトークの中でも言う話かもしれないんだけども、
もう一人の朝霞さんっていう怪談作家の方は、
怪談っていうのは要するに多くは脳のバグなんだっていうことを言ってるわけ。
その脳のバグによって見えてしまったものだったり、
自分はそうだと思い込んでしまったことっていうのを、
世間一般はそれこそだから精神の病であったりとか、
気の迷いみたいなところで一旦合理化してしまうんだけれども、
怪談作家っていうのは一旦それをそのまま面白がって、
そのバグによって見えたものっていうのをちゃんと形にするっていうことをするんだけれども、
基本的には脳のバグが多いんだけれども、
どう考えても世界の方がバグっているとしか思えない話っていうのもあるんだという話をしていて、
世界の方にバグがあるとしか思えないような話っていうのを得意としている作家として、
スザック・モン・イズルっていう怪談作家がいるんだっていうようなことを、
その時は坂さんが書いてたんだけど、
僕が好きなのはそっちなの。脳のバグというよりも世界のバグとしか思えない、
なんか起きたみたいなことが好きで、
そういうものをあなたに対しては結構披露しているんだけれども、
これを怪しい話、変な話って思うかどうかっていうのは結構面白いところで、
恐怖とは何かっていう話になってくるわけですよ。
18:03
何を怖いと思うかっていうのは人それぞれなんだけど、
すごいざっくりと抽象化して言うと、
今自分が信じている世界っていうものへの心が揺らぐ時に、
恐怖っていうものが生まれるわけじゃないですか。
だから安心して、
例えば家の中だったら安心できる空間であるっていう基本的な世界観があるわけじゃない。
世界の信頼があるわけじゃない。みたいなものに対して、
そこに何か知らずの人の物音がするとかっていうことが起きると怖いのは、
そこで思ってたことと違うことが起きて動揺するわけじゃない。
それと一緒でやっぱりおいしすぎるかゆとかね、カープテとかね、
鈴木文さんの話っていうのは、
確かにそれだけ聞いても怖くはないんだけど、
世界って思ってたのと違うかもって気持ちにはさせられるわけじゃない。
なんかよくわかんないことが確かにあるみたいな、
その手応えっていうのは結構だから禁じだと思うんだよね、恐怖というものと。
みたいなところがあって、
僕の好みとしてはその世界で人を壊すジャンルがあるわけじゃないですか。
幽霊とかよりも人間のほうが怖いみたいなやつね。
すごい嫌いなんだけど、
それ別にも、ある意味恐怖でもなんでもない。
そういうのが好きだったり、
ワイドショーでも見てれば嫌でもなんか入ってくるわけじゃん。
あとそれこそ、
Wikipediaとか読んでるでしょ。
怖い事件とか言うので、
そういう怖さは別にどうでもいい。
どうでもいい。
そういう怪談もたくさんあるからね。
あれなんだけど僕はそこはどうでもいい感じがあって。
それはどういうことかっていうと、
僕は怪談を読むときに何を求めてるかっていうと、
何を揺るがせにしたいかっていうと、
人間への信頼を揺るがせにするものがあんまり好きじゃなくて、
世界への信頼が揺るがせになるものが好きなの。
この違いはかなりでかいと思うね。
結局ね、ここすごい大事だと思うんだよ。
僕が怪談に対して関心を持ってる一番の理由っていうのは、
怪談っていうのはある意味ものすごい俗悪なジャンルなわけだよね。
低俗なジャンルなわけですよ。
やっぱりどうしたってホラーって聞いたときにさ、
お上品ねとはならないじゃん。
そうだね。
怪談ライブのためにみんな清掃してピシッとドレスアップしていかなきゃとはあんまりならないじゃん。
基本的には。
21:00
なんだけど、低俗なジャンルだからこそ、
ハイソサイティな人たちがそのままで救い上げることができない話っていうのを、
ある意味同じ目線から一緒に聞いて作り上げることができていくってジャンルでもあるわけだよ。
これだからある意味低俗さも含めて重要で、
社会学的な形で一つ分析対象として何か話を聞いてライフヒストリーを作っていくっていうのは、
それ自体はなるべくもちろんフラットにしようっていう学術的な技術ってあるんだけれども、
とはいえどうしても構造的に研究者と研究対象者っていう、
非対象性がどうしたって出てきちゃう。
怪談社の場合は結局その話を自分で売り物にしていくっていうところで言うと、
ある意味作詞の関係にはあるんだけれども、
とはいえもともとあるのは、
なんかこういうことがあったんだよねって話を聞いて面白がって、
じゃあそれをちょっとお話にしてもいいですかって言ってお話しするっていうところで言うと、
そもそものこのスタート地点が全然違うんだよねみたいなところに僕はすごい可能性を感じているっていうところで言うと、
僕はどっちかというと人間に対して真をどう持てばいいだろうかっていう関心を多分怪談に対して持ってて、
だからヒトコに対してすごいこう、
いやちょっと僕はそれはいいですわってなっちゃうのはそういうところだと思うんだけど、
なんかそこの何だろうな態度みたいなところに面白いなみたいなことを思っているんだよ。
ちょっと今ね喋ってたらだんだん元気になってきたんだけど、
なんでこんな話してんだっけ?
日曜日の宣伝?
そうじゃない、そこまで根本的なことじゃなくて、
今僕なんかちょっとね文字数喋りすぎて、
ケアを開くに一本あってもいいんじゃない?
違う違う違う、
え、なになに?
なんかあなたからなんか言われて、
怪しいと怖いは違うよねって話して。
だから怪しいと怖いは違うが違くないんじゃないかっていうのが、
これ今の僕の話の中で言いたかったこと。
怪しいと怖いかも、え?怪しいの中に怖いがある?
そうそうそうそう、
要するに怖いっていうのは何か、何かそのこう、
確かだと思っていたものの確かさが揺らぐ瞬間なわけじゃないですか。
確かなものが揺らぐ瞬間っていうものを、
怪しいとも言えるし怖いとも言えるわけじゃん。
で、そこの違いが何なのかっていうと、
そんなにあんまり差はないんじゃないかというか。
だからなんかね、あのね、
なんかいきなり迷子になっちゃった感覚っていうのが、
多分僕が怪談に求めている怖さなのかなって。
24:01
なんか、喋ってもいいですか?
いいよ。
なんか本校アミュー的なものに思う怖さって、
そういう揺らぎとかじゃなくて、見つかっちゃったみたいな怖さで、
なんか、何かで読んだのかな?誰かが言ってたのかな?
なんかその西洋圏のね、
そういうあの、頂上的な恐怖っていうのは、
神に見放される恐怖だと。
でもその日本ヤオヨロズ的なざっくりとしたね、
言い方で言うと、神様に見つかっちゃう方が怖いんだと。
神様とか怪異とか、
そういうものに因果があってもなくても、目をつけられてしまう。
それは人間の論理では逃げることができない。
っていうのに恐怖を感じるっていう、
そういうホラー的なものの作りに、
なんか結構違いを感じるみたいなことを言っている人を見かけて、
あーその見つかっちゃう話、すごい嫌いだなって思って。
なんかその、ひとコアがまだあんまり怖くないのは、
なんか因果がはっきりしている。
それこそなんかアメリカホラー的な感じで、
まあじゃあしょうがないみたいな気持ちになるけど、
その見つかっちゃう系って本当にどうしようもなくて、
で別に、ある意味バグなんだけど、
なんかさ、関係ないじゃん。
カープテとかはさ、うっかり間違って世界の隠しコマンドを押しちゃったから、
なんか変なもの見えちゃったみたいな。
見つけちゃった話で。
見つけちゃった話で。
それは面白いって思えるんだけど、
なんかもうただ巻き込まれて何かに見つかってしまった話、
すごい怖くて嫌だな。
うん、怖いよね。
その怖いはどっちかというとなんか、
変質者に気に入られちゃったとかそういうのに近い怖さだから、
なんか別に人でも怪異でもそういうのは嫌ってなっちゃう。
でもまあ嫌ってなりたくて読んでるっていう考えもあるからね。
だからそこはそこで今のはすごい面白い話で、
やっぱりその恐怖って何なのかっていうことを考えていくと、
割とこれもだからね、かなりいろんなバリエーションがあって一口に言えない。
そして何でもいいからその恐怖だったり嫌な気持ちを呼び覚ませばそれで成功なわけじゃないですか。
怪談としては。
わざわざそんな嫌になる気持ちになるものなんで読むんだみたいな話は別であるかもしれないけど、
あるんだけど、でもなんかまあね、僕はそういうの読む。
27:04
あともう一個もうちょっと真面目な話をすると、
僕も素人ですから。
うちの父がね、
見える人が見えてるものを再現する作品が好きなんで、
希望愛子ものってこと?
わかんない。
これはマジで見える人に聞いたらこういう感じですよって言われたからすごいリアルらしいみたいなのをね、
一時期すごい見ててたんだけど、
だから当時はね、私はホラーダメだから、
一瞬ザッピングしてて本校を見ちゃっただけで、
2日くらい夜寝れないみたいな子なので、
信じられない。
嫌だって思って、
特に考えたことがなかったんだけど、
ケアを開くに一本あってもいいんじゃないかって、
あなたが言ってるのを聞いて、
父って大学で心理学専攻で、
逃亡失調症の人が幻覚、
まあいろいろ見えたり聞こえたりしてるものを、
そのまんま聞いて書き起こすっていう話がすごい好きで、
まあそういうことを本当はやりたくて心理学行ったけど、
結局ネズミの世話をしてたみたいな話なんだけど、
あ、そこって繋がってたんだって、
あなたがジェザー階段にハマって初めて思い立ったというか、
見えてる人には見えてるんだっていうことを一旦受け止めるっていうスタンスとしては、
精神系の医学…なんていうの?
あ、でもそうそうそう。
うまく言えないけど。
精神分析じゃないけど、精神病系の現場とか、
あと本当に最近流行りの社会学とか民族学みたいなところとも、
多分接続し得る態度なんだよね。
ちょっと話してもいい?
うん。
まだ途中大丈夫?
大丈夫。
あのね、ちょっと油断すると主語がでかくなっちゃうかもしれない。
それ止めたほうがいいの?
いや違う違う。なるべくあなたに引き寄せて話すけど、
途中であなたの話はなくなるかもしれないと思って聞いててね。
わかった。
弱さ。
弱さ。
嘘だよ。
あなたと話してて面白いなって思う。
僕があなたに限らずいろんな人と話してて面白いなって思うのは、
30:00
なんかみんな原理原則とか論理っていうものの適応範囲を
思っているより広くとってんだなって思うのね。
ちょっとやっぱり一回大きくするけど、
これは本当にもうなんていうのかな、
僕の世界ことツイッターだけじゃなくて、
戦後以降の言論空間を見ててもそうなんだけど、
基本的に左派と右派みたいな話になってくるときって絶対話が通じないわけじゃない?
あとそれこそ例えば、いわゆるフェミニズム周りの言説っていうのも全然違うわけじゃない?
最近読んでる本で言うとフェミニズムの方が自分の中で今、
あぞさんが言うとこのカセットが今入ってるから話しやすいから話すとすると、
要するに今のフェミニズムの態度として、
世界観として二つの世界観が対立しているのと。
一つはそもそも古来から中世からずっとかけて、
特に近代以降っていうのは性別による役割分担っていうものが
構造の中に埋め込まれていて、
個人がどうあれ基本的に社会構造として
女性というものは不利な立場にあるんだっていう事実があるよねっていう態度がまず一つあるわけ。
もう一つそれに対してのアンチの人たちっていうのはどういう世界観で生きているかというと、
男女平等なんて当然21世紀においては実現してるじゃないかという中で、
もうすでに実現している中で、
今問題になっているのはそれこそ真自由主義的な能力主義なんだと。
一人一人能力の話になっていて、
能力のある人たちはどんどん成功するけど、
そうじゃない人たちは結局くすぶったままだと。
という中で一生懸命みんなで頑張ってちょっとで上に行こうと努力しているのに、
そんな中女性にだけ桁を剥がせるなんておかしいじゃないかみたいな世界観が
おそらくあるんだという話があって、
この時点でそもそも見えている世界の事実が全然違うわけだよ。
でもこの見えている世界が全然違うっていう時に、
例えば、多分僕やあなただと、
あの、とっさに今話した校舎の方の世界観っていうのを攻撃したくなるわけ。
いやいや、じゃああの偉大な話をなんで下体剥がせられてたらどっちだよとか、
いろいろと反論したくなるんだよ。
実際、僕らの信念としてはそちらが正しいし、
そこに関しては事実としてそっちが正しいじゃんみたいなことを言いたくなっちゃうんだけど、
そういう価値判断を一旦保留した上で、
相手の世界観の中ではどういうような理屈があるのかだったり、
相手の中でどういうストーリーが組み上がっているのかっていうところを、
33:02
ある程度理解しようとしない限り、その人たちと対話なんかできないじゃん。
だってもう世界が違うんだから、
そこでその前提の違うことに対してお前の前提は間違ってるって言うだけじゃ、
そもそもどうにもならない。
で、この時、今すごいずっとこの袋小路がさ、
この10年、20年、もっと言うと戦後の言論ずっとだよね。
70年、80年、ずっとそういう交わらない平行性の議論っていうものを延々とやり続けているわけじゃない。
で、なんかそういう時どうすりゃいいんだろうなみたいな。
途方に暮れちゃうわけだよね。
で、これはだから今ちょっとどうしても大きい話でするけれども、
別に今こんな大きい話しなくても本当はよくて、
でもなんかその、だからそれこそこう職場の休憩室で話してると、
素朴になんか与党を支持してる人ばっかりでびっくりしちゃうみたいなのとかも含めて、
なんだ?ってなる時に、
それをだからこう理論武装して時不正に行こうとしたらそんなの無理なんだよ。
でもそういう人たちと一応その、
休憩所という単位では一応対話を成立するわけじゃない。
で、そこで何が起きてるんだっけっていうのを考えていくと、
すごい遠回りしたけれども、さっき言ったような、
その、幻覚っていうものがその人にはどう見えているのかっていうのはまずちゃんと一回聞くとか、
どういうふうに、そういう世界に見えているとすると、
じゃあ次どんな行動を通るだろうかっていうのを考えるっていう態度のあり方。
で、これは本当に階段話における、
階段話においても全部一緒なんだけど、
お前のなんかこう、頭が調子が悪いからそんなふうなありもしないことを見てるんだよって言うんじゃなくて、
そうか、そういうのが見えるんだねっていうところから、
一旦そのこう、話を受け取った上でちゃんと物語化して整理して、
で、その上で点検していくっていう作業っていうのは、がすごい重要なんだと。
それはこれまではそれこそだから、
おかたいところだと精神分析だったりとか、社会学であったりとか、
で、まあ民族学はちょっとだんだん役立ちになってくるかもしれないけど、民族学とか、
というところに一つあるんだけれども、やっぱりそれはどうしたって、
研究であったりとか、ちょっと牽引付けられた世界の中での営みの中でしかなくて、
それを日常の実践の中でどうやっていくのかっていうヒントには、
なかなか落とし込むのに結構苦労する、噛み砕くのに苦労する世界の話だったという中で、
なんと、実話階段っていう世界にも同じような方法論が実は蓄積されてるんじゃないかっていうところで、
面白みがあるよねっていうことを考えてるんだよね。
だからなんかそういえば、すごいさっきのあなたのお父様の話と、
多分だいぶ接続するというか、やっぱりだからその、
36:02
なんで相手の話を相手の話のままで一旦受けることが重要なのかっていうときの、
まあ全部を全部そういう役立つような話にしていくのはつまんないんだけど、
まあ一個なんかこう、あるというか、なんか今こそ求められるジャンルなんじゃないかって思うところは、
そういうところにもあるなっていうのをね、思っておくんですよ。
ちょっと今日僕の一文が長い日だけど、
ゾンビの話もそうなんだけど、なんか僕が喋りすぎちゃったんだよね。
なんか、なんだっけ、今なんか思ったんだ。
ああ、そのさ、その相手の世界観に一回合わせてみるって話だと、
まあこれは全然ただ思い出した話なんだけど、
あのミルトンの失楽園あるじゃないですか。
私あれを読んだときに、そりゃダンソンジョヒになるわって思ったんだよね。
もう、あの、イヴはマジ最低で、
ルシファーはすごい、なんか、
こう、ちょっと魔がさしちゃった、本当は聡明で可哀想で賢い子みたいな、
経験のキーストキョートであるミルトンの世界観でこれだったら、
それは女性めしにはなるって思った。
まあだからそれこそだからミルトン世界観で言うと、
女性っていうものはこき下ろした書き方をする対象だったっていうことだよね。
これ、なんか、中学生ぐらいのときに読んでた。
そっか、こういうふうに思われてるならしょうがないのかもしれないって読んでるときはなった。
でもそれすごく面白いというかいい話だね。
そのなんていうのかな、最近あるものでさ、
もうずいぶん前からあるけれども、
一つの盛り上がりを見せていると僕の中では観測しているんですが、
あれも要するに今の話で言うとさ、
出楽園を読んでミルトンのミソジニーを挙げつらうじゃないけど、
こんな書き方をしているけれども、
この書き方はミルトン自身が内面化しているミソジニーの現れに過ぎないみたいなことを感化していくみたいな読み方が一つあるわけじゃん。
それが要するにミルトンの世界っていうものを一旦フェミニズム的観点から読み直して脱構築していくみたいな表の仕方が一個はあるんだけど、
それはだからさっきの話で言うと、めっちゃ理論武装して相手を論破する態度でもあるわけじゃない。
それはそれで絶対上々なんだけど、
でも今のあなたの話ってある意味なんかすごい素朴に読むっていうことだから、
それこそだから怪談作家が情報提供者からの話を聞くときの態度そのものだよなって思う。
すごい良い素朴な読みというか、それでとどまるわけじゃないっていうのが大事なんだけど、
だなって思って面白いなって思う。
39:03
最初に読んだのが弱波文庫版で、その後に差し絵がよく出てくるんですけど、
その後に読んだのが弱波文庫版で、
その後に差し絵がよく出てくるんですけど、
その後に読んだのが弱波文庫版で、
最初に読んだのが弱波文庫版で、
その後に差し絵がよかったから、
割と新しく出た版も別の人の役でもってて、
全然違うんだよね。
全然ルシファーはかっこよくないんですよ。
弱波で出した頃はあれが通ったけど、
今はそっちと線は行けなかったんだなっていうのもすごい感じで。
翻訳問題はそこもあるんだよね。
翻訳者がそもそも書き込まれてない女性別資的な態度っていうのを
勝手に無意識化で付与しちゃうことっていうのもあるわけじゃない。
それこそ原文に当たらないとどのくらいニュートラルなものなのかっていうのは
正直あんまりわかんないみたいなのは別の問題としてあるよね、今の話で。
弱波役はめちゃめちゃかっこいいから、
ルシファーが悪魔たちを引いて攻撃を仕掛けるっていう時に、
誰が切り込み退治をするんだってなって、
ルシファーがリーダーというのは最も責任の多いリスクを負うものだからリーダーなんだって言って、
自分が行くっていう、めっちゃかっこいい。
なんか一回人間に嫉妬して間違えちゃったけど、
魂は崇高なんだねみたいなので、
とにかくルシファーが一番推しで、
アダムをそれでもやっぱり神は人間が今トレンドっていうのを
仕方ないなって思わせるためにイヴをダシにアダムをあげるみたいな、
力関係になってて。
だから新役はそこまで傾斜がついてなくて、
何が言いたいのって、誰が推しなんてなったから、
普通にファンタジーとして読むんだったら岩並みの方がずっと好きで、
でもどっちがゲームに近いかは本当にわからないなって思った。
割と語り方によって全然傾斜がついちゃうわけじゃん。
キャラクターの印象とかにも。
でもそこの傾斜をつけることは悪いわけでもない。
ニュートラルであればそれが一番実態に即しているとは限らない。
42:02
中立っていうのは別に間を取ることじゃねえぞみたいな話となってて、
どういう傾斜を持つかみたいなところも結構塩梅は難しいし、
それによって印象がガラリと変わったりするのもね、
今の僕の実話階段の話だなって思うんだよ。
だから翻訳もどう編集するかって。
いいこと言うね。まさにそうだよ。
この間あなたが読んでた漢詩を趣味で翻訳してるみたいな。
超面白いね。いつかタコ舟になる日ね。おどやけさん。
漢詩の訳が超かっこいい。
だって多分同じ文章を私たちは古文で読んでたりもするわけじゃない。
情報一緒。1文5文字とかの漢字の裏列で一緒のはずなのに。
そう。
なんか全然違うものが出てくる。
なんでこんなにかっこよくなるんだろうなっていうぐらいかっこいいよね。
ちょっとね、今全然違う話になるけど、
このおどやけさんがいつかタコ舟になる日はね、
まだね、20ページぐらいしか読んでないんだけど、
ちょっと好きすぎてゆっくり読まなきゃいけないと思って、
大事に読んでまだ20ページぐらいしか読んでないんだけどめちゃくちゃいい本だと思う。
極泉さんで買ったの。極泉さんでおすすめしてもらって買ったんだけど、
これはね、おすすめしてもらってよかったなっていう本なので、
実話会談に興味がないけど、
助けてここまで聞いてくださった方のための実話会談以外の有益情報で言うと、
このおどやけさんがいつかタコ舟になる日は激烈おすすめなので、
ぜひ本屋さんに走ってください。
CM。
CMでした。
だからそういうのがすごい面白いなっていうふうに思って、
実はどの時代でもそうなんだろうけど、
現代人だからさ、自己中心的な現代人だから現代を中心にして言うと、
やっぱり現代時代においてその素朴に読むとか、
一旦自分のことは脇に置いといて、それこそ翻訳的な態度で、
原文であったりとか一時操作をしっかりと読み込んで、
それをちゃんと自分なりに変換していくっていうところの態度だったり、
そこに必要な端力だったり忍耐力だったりも含めて、
すごい求められてるんだろうなっていうのをすごい感じるんだよね。
それは別に何だろう、実話会談に限らず何でもいいんだけど、
実話会談のいいところはゾンビと一緒で、
ある意味なめられるジャンルというか、
偉そうじゃないジャンルなわけじゃん。
結構大事だと思うんだよ、なめられてるジャンルっていうものって。
45:01
敷居が低いというか、入り間口が広いというか。
それもあるし、
自分の世界観を更新するような没入感って、
やっぱり一回全部受け取らなきゃいけないじゃん。
でも自分よりでかそうなものとか偉そうなものって、
最初からちょっと遠慮しちゃうというか、
そこに自分が没入するという感じにならない。
勉強させてもらいますみたいな態度になっちゃう。
そうすると体が固くなっちゃうんだよね。
そうじゃなくてフラッとウースみたいな感じで行った上で、
なんかめっちゃ楽しかったみたいになった時の方が、
やっぱり変わる瞬間だと思うんだよ、自分の物の見方が。
そういうとこで言うと普通にただ、
うわ、めっちゃヤダこれとか、
うわ怖い、うわヤッみたいになった後に、
よくよくなんだろうあれって考えちゃう。
考えちゃった上でなんか気づいたら、
あれなんかそういうのもあるかもってなる瞬間があり得るっていうところで言うと、
実はね、肩肘張ったものだけでは開けない扉っていくつもあるんじゃないかなっていうのを
すごい常々思っているんでね。
でもなんかそういう話でいくと、
私は高校生ぐらいの時かな、ヘタリアが流行ってて、
ヘタリアにドハマリした結果私学系に行ったんですけど、
やっぱりあれもさ、4コマ漫画みたいな感じで行ったからもっと、
なんかすごい入りやすくて、
ちゃんとその歴史上の面白いところが、
教育漫画的ではなく抑えられてて、
単純にキャラクターの愛嬌として回収されてたりするんだけど、
で、あともう、今の話で言うと、
バラ王の創立っていう舞台が、
今日先週予約なんですけど、
まあ日曜日、今日曜日撮ってるんであるんですけど、
あれもともと原案としては、
シェイクスピアのバラ戦争系のシリーズを元にしていて、
それを菅野綾先生が漫画化して、
バラ王の創立っていう漫画を描いていて、
だから、元の元を辿った歴史上の人物の話を、
シェイクスピアが戯曲にしたものを、
さらに現代版にアレンジして漫画にしているものを、
舞台化しているっていうことが起きてて、
その間の翻訳が全部積み重なって、今やってる。
だから私は現地一回見に行ったけど、
浴びた後、浴びて考え出すものを、
48:08
多分最初から戯曲を読んでてもそうはならない。
あなたはもう3日4日ぐらいずっと考えてるもんね。
まあでも結構いつもそうなんだけどね、舞台行くと。
でもあなたは割と好きか嫌いかとかの判断は早くしてたじゃん。
これまでは。
だから当日僕がどうだったって、
しつこく聞いて、毎回うーんみたいな、
逃げ切らない態度だったから、
あまり気にならなかったってことなのかなって、
僕はそこでせっかちに解釈してたんだけど、
その後あなたがずっと考え続けてるのを見て、
あ、よかった、というかなんだろうかな。
幼稚園じゃないから、
今日幼稚園楽しかった、楽しかったっていう情報量じゃないの。
そうそうそう、っていうことなんだなって思って、
ちょっとね、あーって。
てかね、久しぶりだったの、そういうお芝居。
エーステとかをね、ずっと見てるとさ、
あれはだから幼稚園じゃん。
これは全然貶める意味じゃなくて、
普通にもう純粋に楽しいから、楽しかったねっていうものだし、
それだから世の楽しさを増やすためのお芝居だから、
そういうものだよねっていう感じなんだけど、
今回はそういうのじゃなかったんだなって思って、
反省して、感想をせかしちゃったこと。
そういうのじゃなかったんだなって思って、
たくさんいろんなものを受け取れたんだねっていうのをすごい最近は。
だからさ、たぶん階段もさ、
人怖とかはさ、うわ怖い、人怖いっていうのじゃん。
そうそう、人怖とか悪いとかそこなんだよ。
世界バグ系はさ、
ん?これ怖いの?って一回なってからじわじわ、
でもなんか自分がいきなり瓦で顔面を見つけてしまったりしたら、
なんか一瞬意味がわかんなくなるんだろうなとかさ、
だから一回自分を通過させるとさ、
なんかその瞬発力的な怖さとは別のさ、
そうなんだよ。
実は深い意味でゾッとするのは、やっぱり変な話の方だったりするんだよな。
なんかそのセンセーショナルな怖さってさ、
ある意味物語一つをしてできてるからさ、
あー怖かったで、人事として終わらせられるんだよ。
教えないって。
そうそうそう、みたいなのは確かに。
うん。
だからその見つかっちゃう系でも、
あの、なんか、明らかな悪意じゃないやつに見つかっちゃうのは結構やだよ。
そうだね。
なんていうの?
やだっていうのは、もう思わないとかじゃなくて、
51:04
本気でやなやつね。
なんか、よくわかんないけど助けてくれちゃうみたいなやつとかは、
なんか後が怖いなみたいな。
なんかそれもちょっと世界バグ系というかさ。
そうだね。
それはなんか代わりに寿命を取られてたりするの?というのはさ、
人間からはわからないっていう。
そうだね。
あーだから。
あと別にその人間の中での等価交換という原則みたいなものは特に通用しないわけじゃない。
だからギリシャ神話とかも近いじゃない。
そうだね。
見染められちゃったら人間の意思は関係ない。
連れ去られちゃう。
なんならそれを光栄だと思うことしか人間には残されてないみたいなさ。
まあ気になるかね。
そうそう気になってでも逃げたいってなるか。
そういう感じ。
なるほど。
でもすごい重要な気がするな。
なんだろう。
ちょっと今日でかい話になりがちだけどでかい話をするならば、
近代以降の人間の病っていうのはね、
コントロールできると思ってる。
うんうんうん。
思いすぎてるところにあると思うんだよ。
要するに人間というものは理性や知恵の力によって自然というものを乗り越えられるし、
運命というものを自分で作っていくことができるんだっていう感覚っていうのがさ、
これまで4,5世紀くらいかけて人類って培ってきたわけじゃん。
だから今はそれが行き過ぎて苦しくなってる時代というか、
全部自分でコントロールできるはずなのにやりきれない自分って何なんだろうって。
毎日早寝早起きしたいのに昼過ぎまでダラダラ寝ちゃうのは何でなんだろうとか、
せっかく8時には目が覚めてたのにずっとスマホいじって布団から出られない自分って何て愚かなんだろうみたいな気持ちになるのは、
そもそもその気になれば起きれるっていう世界観で生きてるからなわけじゃん。
でなんかそういう世界観苦しいんだよね。やっぱり。
12時まで寝ちゃうんだったら寝ちゃうでいいじゃんっていうさ、
そういうもんっていう世界観をちょっとバランス的には混ぜていきたいじゃんっていう感覚があるわけ。
これ全然人類にまで広げる人なかったんでしょうな。
何が言いたいかっていうと、割とその、
神話の時代まで行っちゃうと分かんないんだけど、
今の時代における怪談受容のされ方とかっていうのは、
実はそのコントロールを奪われたいというか手放したいみたいな欲望っていうのが絶対あるんだろうなって思う。
それはそのゾンビ映画における窓が破られる瞬間のハタルシスとかとも結構似てて、
自分がこうなんか、もうダメだコントロールできなくなっちゃうみたいな瞬間っていうのは、
54:03
なんか実はすごい怖がってるんだけど、一つ求めてるものでもあるんじゃないかなっていう気がしてて。
あのね、あんまり良くない言葉というか、あんまり僕が好きではない言葉をあえて使うんですが、
インターネットにおけるオタクの使うような意味での性癖の話をするならば、
僕はすごいそのね、なんていうのが言うの?
圧倒的、それこそ見つかっちゃう系の恋愛話が大好物なんですよ。
サムハタール的なこと?
えっとね、というよりも、例えばFGOで言うならば、キングプロテアとか、
まだその、ヘブンズフィールのさくらとか、
あとね、最近だとツイッターでね、可愛い彼女ちゃんっていう漫画が連載されてるんだけどとか、
とにかく、やばい、ちょっとここではどうしても男女関係になっちゃうから、
あえて言うならば、やばい女に見つかっちゃう系がすごい好きなんだよ。
だから絶対に。
サムハタールじゃないの?
サムハタール、まあでも。
でもそこまでこちら側の、こちら側に魅了が入ってるわけじゃないのに逃げられないってこと?
サムハタールものって言うと、どうしてもなんじゃなくて、
相手側というか女性側に多少の確信犯的な悪意があるみたいな印象を受けちゃうんだよね。
これは僕の辞書の偏り?
まあ、いろんなパターン。
まあいろんなパターン。
俺らのパターンだったら、
いろんなパターンだったら、
いろんなパターンだったら、
いろんなパターンだったら、
いろんなパターンだったら、
まあ、いろんなパターン。
俺のファンファタールをみんながやってるから、
一概に言えないけど。
一つのファンファタールの足だと思うんだけど、
要するにそのめちゃくちゃ純情、
ファンファタールものがすごい。
振り回す。
無邪気に振り回される。
すごいキラキラした目でストーキング行為を行っちゃうみたいな感じとか、
そういうのに、
すごい絶対ダメじゃんって思いながらも、
なぜか落ちていくところを見るのがすごい好きだよね。
これってだからまさしく、
絶対見つかっちゃいけない、
その頂上的なものに見つかってしまった上で、
抗うことも、
ギリギリまで抗うっていう近代的理性が働くんだけど、
結局それは圧倒的なヤバさの前には、
どこかのタイミングで陥落してしまう、
崩壊してしまう、
コントロールを手放してしまうっていう、
その手放す瞬間がすごい好きなんだよね。
この好きさっていうのは結構階段の好きさと通じるところがあると思っていて、
実は階段も、
そういう、
ある意味、
57:01
アレと言って正解で言うならば、
ヤンデレファンファタル系みたいなものも、
ゾンビものも、
割と一貫してずっと、
手に負えない、
ってなる瞬間。
自分のことは自分でコントロールできないんだってなる瞬間っていうものを、
消費しているなっていう感じがするんだよね。
よくわかりました。
友達と、
かなり前だけど、
大学生くらいの頃から、
私読んでないんだけど、
進撃の巨人がすごいワーッと盛り上がってた。
ちょいちょい盛り上がるからどのタイミングかわかんないけど、
進撃の巨人と、
なんだっけ、
当時他にも人が捕食される感じのコンテンツがあって、
友達と話してたのは、
食物連鎖からの阻害に人間が耐えられなくなってきたんじゃないかって話をしてて、
自分の寿命を人間たちは全うしなきゃいけない。
何かの脅威から必死に逃げてここまでは生きれたねっていうんじゃなくて、
もう動かなくなるまで動き続けなきゃいけないっていうことが、
しんどくなった結果、
フィクションでそういう、
必死に生きようとしないと生きていけないみたいなものが、
受けるようになったんじゃないかって思い出した。
それもでも確かに繋がってそうなんですね。
進撃の巨人とか見つかっちゃうわけじゃん。
見つかっちゃうわけね。
見つかったってなお、私読んでないからそんなにわかんないけど、
まあいろいろ策を講じて身を守るわけでしょ。
僕も読んでないからその話はわかんないけど。
でも実は見つかっちゃった話はすごい嫌なんだが、
見つかっちゃいたいというか、
それなんでそんなに嫌なんだろうみたいなところとか、
っていうのは結構面白い話なんだと思うんだよね。
なんかさ、これもはや怪談じゃなくて現実の話になっちゃうんだけどさ、
だいぶ前からそんな感じになってる。
私が好きな漫画家で住吉良さんって、
ジンバとか描いてる人がいて、
あの人が今、もともと同人も描く人なんだけど、
昆虫擬人化をずっとやってて、
最近すごい昆虫同士の寄生関係、
1:00:03
昆虫と虫の寄生みたいな話をつい昨日今日ぐらい盛り上がってて、
なんかもはや怪談なんですよ、ああいう昆虫の。
特定の種にだけ、特定の種が寄生関係をずっと構築してて、
なんていうの、
それこそドラッグ的な、その虫に効くドラッグ的な体液を飲ませることによって、
桜にさせて、自分の卵を孵化するまで守らせる、
そういうのが現実の昆虫の生態としてはあって、
それを擬人化でやるわけ。
それは昆虫無理な人にも、
昆虫ってすげえんだぜって教えてあげたいから、
昆虫無理な人がギリギリ見れる、
人間、擬人化状態でそれをかき起こしたりするんですけど、
それがすごい好きで、
なんかね、だからその擬人化の状態を、
なんか無邪気に見るともはや怪談なんだけど、
それはその昆虫の本来の姿にとってはただの現実で、
なんか怪談みたいなことがマジで起きている、
生態系が存在することまで考えると、
なんか事実は小説より気になりというか、
すげえなって気持ちになるっていう脱線でした。
面白そうだね。
面白そうだね。
擬人化はまたね、ちょっと難しい問題というか、
虫は人じゃないからね。
虫は人じゃないから、
そうなんだ、すごい不思議なこともあるもんだねっていうのを、
人間の形にされるだけでこんなに、
そんな特殊性癖みたいなことになるっていう。
やっぱり少しでも自分ごとのように、
なんか理解するのに一つ、やっぱり有効な手段の一つだねって思う。
それは間違いないよね。
やっぱり最近読んだ狙われた身体っていうさ、
介意とジェンダーかな、
複題忘れちゃったけど、
っていう本を読んだんだけど、
あれもまさにそういう、
まだ今ほど精密な顕微鏡というものがない、
近世日本において、
どのようにその疫病というものを考えていくのかっていうときには、
あとは身体の不調というものを考えていくのかっていうときに、
やっぱり大事なのは、
やっぱりまず擬人化なんだと。
薬というものだったり、腹痛みたいなものを擬人化することによって、
鬼のような姿で、
1:03:01
病の方を擬人化して、
それを懲らしめる憲兵として、
薬というものを擬人化する方向を出したりすることで、
今すぐ目の前には、
実感として見えないものに対しての、
実感を作り出すための方法として擬人化というのがあるんだ、
ということを一つ書いている。
それはだからまさに今あなたが言ったような。
住吉さんはお薬も擬人化しているし、
低気圧も擬人化しているから、
たぶんその本を教えてあげたら喜びそう。
そうだね。本当にそういうことになると思う。
擬人化というのは古くからずっとある人間の一つだよね。
そうだね。
それでやっぱりね、
会談だったらこれの話もしないと。
今読んでいる本でね、
名古屋大学出版会から出ている
腹の虫の研究という本があるんですけど、
久々にめっちゃ分厚い本で、
500ページくらいあるのかな。
これ超面白くてね、
これは擬人化せずに虫というものを考えていく話なんだけど、
まさにそうなんだよ。
擬人化なんですよね。
それに、腹の虫がどうとかさ、
腹の虫が鳴くかとかさ、
虫の居所が悪いとかさ、
虫の知らせとか、
今の日本語にも残っているように、
日本の身体感覚の中には虫というものが何かを目指している。
今はほぼ言葉の上での中でしかないけれども、
実際の近世日本の医療においては大真面目に、
病気の原因として虫というものが考えられていた。
それは例えば本当に、
しかも芯芯両方に対して作用するものとして、
虫というものがどういう悪さをしているかという考え方をしている。
僕らは漢方ユーザーだからさ、
五臓四臓というものって多分親和性が高いじゃない。
芯が弱るとこうなるとか、
今は作用関係まで分からないけど、
一応ね、一応見せてもらうね。
こういう気分の不調になるみたいなのがあるじゃない。
それと同じで、
その五臓に対してどんな虫が入ってくるかによって、
それは別に必ずしも悪いこととは限らずに、
助けてくれたりもするんだけども、
悪さもするみたいなものとして虫というものがある。
この表紙にあるこれ、これ顕微鏡なのね。
江戸時代にはもうすでに顕微鏡というのがあったんだけれども、
その大真面目に当時の医学者っていうのは、
顕微鏡を見ながら虫を発見するんだよ。
ここがすごい面白いところ。
さっきの階段と同じで、
実際その医者の世界観から、近世の世界観からすると、
体の中で虫がその悪さをするっていうのは、
当然のことなわけよ。
だから当然そこにあるものを見に行ったら見えちゃうんだよ。
顕微鏡の中にこういう虫たちが悪さをしている虫たちが。
うにょうにょしてる。
うにょうにょしてる。
そのかなりいろんな姿の異様の者たちがそこで見えちゃう。
1:06:00
すごいアースラの洞窟にいるやつみたいな。
そうそうそうそう。
これはすごい面白い話で。
でもこれを単純に未開の日本がとんでもねえ衛生科学に陥ってたんだなみたいな話に、
落とすかどうかって結構難しいところで。
だって実際これってやってることとしては観察と実証なわけじゃないですか。
実際その対応関係によって患者が治ったりもするわけだよね。
臨床的に正しいわけだよ。
これまさに慶楽ってなんやねんとか五蔵ってなんやねんみたいなことを思いつつも漢方とか神経がなんか聞いちゃうみたいなのと
多分同じような話で、その臨床における現実的な合理性だったりとか検証性という意味では
虫というものが非常に大きく実効性があったと。
しかもさらに言うと顕微鏡を除いてもいない虫を探すっていう好奇心っていうのは
その後きちんと西洋医学の体系が入ってきた後の日本において
いかにその細菌学とか免疫学っていうのがどれだけ進歩したかっていうことを考えていくと
そうバカにできたものじゃないんだよね。
実際の細菌だったりウイルスだったりの研究っていうものにおいて
かなり目覚ましい飛躍を遂げる瞬間があったわけですよ。
今のこの国の諸々の手たらくを見ていると
とてもそんなところに国力をちゃんと避けてた時代があったので
信じられなかったりもしますがとか余計な一言が入っちゃいますけど
そういう時代があったわけですよ。
それすごいことじゃない。
だからそれは実はだからやっぱりその世界観的に
今発見を握っている世界観って今のから見たらとんでもかもしれないけれども
そこにはそこで一定の合理性があったりとか
一定の細菌だった一貫性があり得るというような話になってきたりとか
あとはだからそれこそこの虫というものを通して
その当時の近世日本人にとっての身体感覚ってどんなものだったんだろう
というところまで踏み込んでいく本なんですよね。
これだからある意味本当に今の僕らからすると
その病気のウイルスだったり細菌というものの擬中化なんだけれども
当時の人からしたらそれをまさに虫そのものとして見ていた
時の話を紐解いていくという本として
うなはらの虫の研究は超面白いなと思っている。
これも擬中化というのはすごい家という意味で
要するに目に見えないものをいかにして見える形にして
対処できるものとしていくかという話なわけじゃない。
虫であれ人であれ形が与えられたら
名付けの効能みたいなね。
何がすごいかというとこの近世の医学者というのは
非常にある意味この時代においては一番信仰的な人たちなんだ。
この人たちは虫だといった一番の理由は何かというと
それまでは精神病的な今で言うところの精神病みたいなものというのは
全部幽霊のせいだった。
霊に取り憑かれていた。それこそ源氏物語がずっとそうだよね。
1:09:02
疲れて物の気によって作乱しちゃう。
でもそんな進歩的な考え方を持っていた当時の江戸の医学者たちは
許せなかったわけだ。
ないよ幽霊なんか。つかないからみたいなところですごいイライラするわけだ。
だけどそのこそだから色々調べてみても何も見つからないわけだよね。
そうするとほら幽霊じゃんみたいになるとすごい嫌なわけだ。
そこで違います。
虫です。
虫はだから今から見ると一見比較的不合理な
それこそだから超常現象地味な想像力なんだけど
実はもともとは霊っていうものを否定するための
もっとより臨床の医学に近づけたものを何か作っていこうねっていう中で
医者が見出したものとして
わけのわからない桜みたいなものは腹の虫が悪さを知っているんだと
だからその虫を下すための薬を煎ずれば治るんだっていうような形で
合理化していくための一つのステップだったんだよね。
だからどう足掻いても見えないものから顕微鏡を作れば見えるもの
だから見えないんじゃなくて肉眼じゃ見えないだけでいるんだよっていうところに
一個転換があるってことでしょ?
段階として幽霊のせい、虫のせい、その後に細菌のせいだったりとか
いろいろそういう他の病院に
神経系が
神経のっていう話にステップアップしていくわけで
そこの日本におけるステップ感っていうところにおいて
虫っていうのはすごい重要なフックだった
まずつかめるもの、物理的に何か捉えられるものであるって
転換しないと始まらないから
その優位物論的な発想に転換していく
かなり大きなターニングポイントとして
この腹の虫というものを発見するっていうことは
すごい重要だったんだっていう本だと思うんですよ
ここまでたくさん話しておきながら
500ページ中僕まで120ページしか読んでないっていう
ここからどうなるかわからないんですが
超面白い本ですのでぜひぜひ皆さん読んでください
という感じで
今日は久々に本をたくさんお勧めした気がするよ
ところでね
今日はこういう話で
結構いろんなところにあちこち飛んじゃいましたが
たぶん当日26日のトークは
こういうふうにあっちゃこちゃ飛んじゃうと
みんな疲れちゃうから
もっと本当にさっき言った
聞いて書くってどういうことなの?みたいなところ
書くって何?みたいな
割と実践的なお話ができたらいいなと思っていて
なるべく脱線しないように
何でもいい
本当に文章を書いている人でもいいし
お芝居作っている人でもいいし
音楽作っている人でもいいし
何かそういう
制作をしている人に
すごい大きくヒントがになるような話を
1:12:00
いろいろお伺いできるんじゃないのかなと
何よりこれメイントークは僕じゃないから
僕その日はどちらかというと
司会に入っていくつもりでいるから
進行なの?
そうそう
だからその朝香さんと高田さんのお話をね
ぜひ皆さんにどんどん聞いて欲しいと
いうところで
今日僕はもう話したい
ここで話しといたから
じゃあグッと押さえて
そうだからもちろん
なんか限りないうるせーのって
人こそ来て欲しいというかね
ぜひね
本当に楽しみなんですよ
なんでぜひ皆さん
多少無理してでも来てください
あ、体調悪い人はダメだよ
体調悪い人はダメだけど
遠いなーみたいな
腹の虫の居所がいい人たちね
遠いなーとかそういう人たちは
いや来た方がいいよっていう
これは無料なの?
1000円かな
1000円
かかります
あとその円盤に乗る場の活動報告会っていう
文化祭みたいなのは
この配信が始まって2日から既に始まっていて
1週間ずっといろんな出し物があるんだけれども
その出し物全部を
見れる投資券が3000円で売ってて
各それぞれの出し物は
個別で買うと1000円っていうような形になっているので
個別で買ってもいいし
全部投資で一旦楽しんでいただくのも楽しいんじゃないかな
というところですね
そんな形でございます
本当に3000円1000円
十分僕らのイベントだけでもと取れるぐらいのものになる
自信がありますので
ぜひ皆さんもお運びいただければと思います
というところで
VTグラジオ
お相手は私柿根翔太
奥さんでした
どうもありがとうございました
01:13:53

コメント

スクロール