| 今回は、小児外科医である松永正訓の『運命の子 トリソミー』です。 本書との出会いは、街録chでの配信がきっかけでした。 このラジオを通じて、 ・松永先生の生きる姿勢や ・障害児をもつ両親の葛藤と受容するプロセス を深めていきたいと思います。 街録chでの放送回 https://youtu.be/a7pmeD86ML0?si=WoWGvha7-drqt0R5 |
サマリー
このエピソードでは、空久美さんが妊娠中に直面する困難な状況や、赤ちゃんが生まれる瞬間、さらにその後の医療者たちの心遣いについて語っています。医師たちの迅速な対応や赤ちゃんとの最後の瞬間が描かれ、人間の希望や命の尊厳について深く考えさせられる内容です。また、クミさんがユケちゃんの誕生から終焉までの経験を通じて、スタンスの違いが医療の在り方に与える影響について考察しています。特に、人工呼吸器や出生前診断に関する議論を通じて、命との向き合い方や家族の幸せを見つめ直す重要性が強調されています。さらに、「運命の子」という松永正訓の考えに基づいた生の肯定や威敬感の重要性についても語られており、生きる意思や愛の倫理が私たちの生活や考え方にどのように影響を与えるかを探求しています。
妊娠と緊急時の対応
これじゃあ、ちょっと、次行きましょうかね。
行きましょう、行きましょう。
そして、10月9日を迎える。
妊娠は、33週になっていた。
37週が、まあ、年収3だから近くなってきましたね。33週。
この日は、2回目の養衰戦死だった。
文弁室で処置を受けて、そのまま部屋で休んでいた。
文弁室と言っても、殺伐とした部屋ではない。
まるでホテルの一室のような内装である。
医療機器は、すべて棚の中に収まっており、目に触れることはない。
ただ、ホテルと違っていることは、天井に無影灯がついていることだ。
無影灯っていうのは、これ調べてみると、手術室とかによくある、あの、医療用の大きな照明器具のことですね。
それがついているだけだって。
この辺も内装もね、本当に配慮が行き届いているというか、ということだと思います。
続きを見ます。
横になっている時、久美さんは、
どう思った?
ハツリだった。
ナースコールを鳴らした。
ハツリしました!と叫んだ。
うちまち、5、6人の看護師がベッドに殺到した。
年明さんはこの日、横浜に出張だった。
久美さんは携帯電話を看護師に預けてやる。
久美さんが頼まなくても、看護師は年明さんに連絡を入れた。
だが、繋がらない。
看護師は何度もリダイヤルし、その都度久美さんに報告を入れた。
ついすれば、それはもう赤ちゃんの命が出ることを意味する。
命を救う方法は一つだけ。
それは、研究抵抗切解だ。
もし、破碎した場合は、
手術をすると、以前から口頭で確認はしてあった。
普通は、説明と同意というプロセスが必要になる。
ところが、美病院の3階医師団は、そんな悠長なことはしなかった。
瞬く間に、何人もの医師たちがベッドサイドに集まり、
久美さんは手術室に運ばれた。
赤ちゃんの誕生と医療者の心遣い
背中に針を刺され、
口膜外麻酔がかけられた。
医師が監視。
手術用具のことですね。
監視を使って、久美さんの下腹部をつねり、
痛みを感じますか?と聞く。
久美さんは、痛いような、痛くないような気がした。
そう返事をしようと思ったが、
医師は、赤ちゃんが苦しんでいるから切ります。
お母さんが痛くても切ります。ときっぱり言って、
メスを握った。痛くなかった。
ちょっとここで一句入れしましょうかね。
すごいシーンですね。
すごい。
本当に一つ一つの振る舞いがすごいですね。
そこに何か詰まっているものの量がすごいよね。
その説明と同意プロセスも通常は踏むが、
事前からそれほど丁寧にコミュニケーションを取っていたっていう
こともあるかもしれないし、
お母さんの願いは病院がわかっているから、
そのまま真っ直ぐ行動に移していくみたいなこともすごいですよね。
ここにもめちゃくちゃ詰まってますよね。
空久美さんもね、この病院を信じる
ルールだけありますよ。
この病院じゃないと無理だってね。
すごい。
本当に。
じゃあちょっと続きを見ますね。
母子手帳には、
分辨時間3分と書かれてある。
本当にあっという間の出来事だった。
生まれた赤ちゃんは泣かなかった。
看護師が叫んだ。
赤ちゃん、生まれましたよ。女の子です。
おめでとうございます。
これからすぐNICUに運びます。
これが22時19分。
赤ちゃんを取り出すと、
産界たちは少しペースを落として、
空久美さんのお腹を閉じ始めた。
しばらくすると、
手術室にNICUの3人の医師が入ってきた。
赤ちゃん連れてきましたよ。
と、医師が大きな声を出した。
赤ちゃんの口には、
機関内チューブが差し込まれており、
医師が酸素バッグを押していた。
赤ちゃん見えますか?
触ってあげていいですよ。
そう言って、医師は酸素バッグを押しながら
空久美さんの顔の近くに赤ちゃんを差し出した。
ようやく会えた。
自分の子供がそこにいた。
空久美さんは手を伸ばして赤ちゃんに触れた。
おそらく、生きているうちに赤ちゃんに会わせてくれたのだろう。
だけど、普通の病院ならばここまでのことはしてくれないだろうと、
医療関係者でない空久美さんにも簡単に理解できた。
医師たちの心遣いが本当に嬉しかった。
医師たちは赤ちゃんの治療を続けますと言って、
NICUに引き返して行った。
希望の象徴
すごいですね。
一つ一つの判断がすごいですね。
じゃあ、生きている赤ちゃんにお母さんは会えた。
そうなんですよ。
やっと会えたみたいな描写もすごい印象的です。
じゃあ、続きを見ますね。
やがてお腹の傷を縫い終えると、今度は空久美さんがストレッチャーに乗せられて
NICUに向かった。
赤ちゃんのいる処置台に近づいていくと、
心臓マッサージをしている医師の後ろ姿が目に入った。
ストレッチャーは赤ちゃんのすぐそばで止まった。
新生児科の医師がゆっくりと振り返って、
空久美さんを見据えた。
薬を注射したり、いろいろ手をあうっていますが、
なかなか自分の力では心臓が動かない状態です。
今、心臓マッサージをして過労死で心臓が動いているところです。
だけど赤ちゃんの体はとても脆いです。
このまま心臓マッサージを行うと、
体にあざやき傷がついてしまうと思います。
モニターの警報音がポーン、ポーンとランダされている。
医師が言葉をつなぐ。
これ以上やると大思いをさせてしまいますから、
心臓マッサージはやめたいと思います。
よろしいでしょうか。
空久美さんはうなずいた。
わかりました。
と、小さな声で言った。
医師たちも看護師たちも、
久美さんとともにその場に立ち尽くした。
モニターのスイッチが切られて静寂が広がった。
23時43分だった。
その時、ようやく、
利明さんがNICUに駆け込んできた。
医師はもう一度、利明さんに赤ちゃんの最後を説明した。
説明が終わって、利明さんがうなずき、
赤ちゃんの1時間24分の命が果てた。
これあれですね。
利明さんも駆け込んできて。
利明さんも利明さんで、
あまり描かれてないんですけど、
生きてる間の赤ちゃんには会えてないですからね。
そうですよね。急いで戻ってきたんだと思うんですけど。
覚悟されてたと思いますけれど。
そしたらちょっと次、読んでいきますね。
基板内装管チューブやモニターのコードが外されて、赤ちゃんの体はきれいになった。
看護師たちはクミさんのために患者用ベッドを分泌室に持ち込み、
30度くらいにベッドの背を立てた。
カンガルーケアをしましょう、と看護師が優しく声をかけてきた。
クミさんはベッドに横たわり、赤ちゃんを正面から抱き止めた。
肌と肌が触れ合って、クミさんのぬくもりが赤ちゃんに伝わっていく。
時間が過ぎても赤ちゃんの体温が下がることはなかった。
やはり思った通り可愛い顔をしている。
だけどそれだけではない。
不思議なくらい大人びた顔に見える。
想像していた赤ちゃんの姿はしわくちゃの顔、むちむちの手足、ぽっこりしたお腹だ。
でもこの子は幼稚園児ぐらいに見える。
どうしてだろう。
この子にとってお腹の中の1時間が1日分くらいだったのだろうか。
お腹の中で人生のすべてを駆け抜けていってしまったのだろうか。
温かい赤ちゃんを胸に抱き、クミさんはそんなことを考えながらまどろんだ。
朝が訪れ、看護師がやってきた。
クミさんと赤ちゃんは1日、16万円の特別室に移動になった。
病院の都合ですから料金はいただけません、と言われた。
その部屋に参加とNICUの看護師が1人、また1人と集まってくる。
かわいい赤ちゃんですね、と声をかけてくれる。
抱っこさせてください、と言って抱いていく。
やがてNICUの市長が現れて1つのことを提案した。
あ、うぶゆに使って赤ちゃんを黙浴させてあげたいんですけどいかがでしょうか。
もちろんクミさんととしあきさんに依存があるはずもない。
黙浴していただけるならぜひお願いします、と2人は答えた。
最初に市長は赤ちゃんの足形をとった。
肘から先の腕はあったがやや短縮しており、手足が屈折していたためとなって、
クミさんが手形を見るとつらく感じるだろうとあえて手形はとらなかった。
クミさんは友人からアロマオイルをプレゼントされていた。
入院中に心が落ち着くようにというハイルだ。
クミさんはその香りが大好きだった。
市長さん、このアロマオイルをうぶゆの中に入れていいですか?とお願いし、
うぶゆはアロマオイルの花の香りでいっぱいになった。
赤ちゃんはそこで黙浴を受けた。
急な撥水だったために夫婦は赤ちゃんの服を用意していなかった。
すると市長が言った。
ボランティアの人たちが寄付してくれたベビー服があるんです。
いくつか持ってきますからお気に召したものがあったら使ってください。
どうやら竜山を経験した人や未熟児を産んだ母親たちのグループで
裁縫を得意にしている人たちが小さなベビー服を作って病院に寄贈してくれているらしい。
クミさんは小さなベビー服を一目見てすぐ気に入り赤ちゃんに着せた。
可愛かった。
あまりの可愛さに最初は借りるだけのつもりだったがそのまま着て帰ることをお願いした。
赤ちゃんにユキエと名付けた。
これあるという字に希望の木に枝という字でユキエですね。
ユキエと名付けた。
人間というのは希望の生き物だ。
入院中に嫌というほど感じた。
希望があるのとないのとでは全く生き方が変わってしまう。
赤ちゃんには希望があるようにという気持ちを込めた。
枝が伸びていくようにこれからも希望が育ってほしい。
一旦ここでひっくりつけましょう。
すごいですねこれ本当に。
いまジュンさんが読んでくれた中にもいっぱいありましたねって。
やっぱりまずは病院やっぱすごい。
でも改めて心がね心遣いがねなんか。
カンガルーケアって生まれた時に赤ちゃんと母親で抱っこし合うんだけど
亡くなった後でもちゃんとねカンガルーケアしましょうって言ってやるんですねこれね。
これ分かんないけど病院によってはこんなのせずにもう亡くなってしまったからって言ってね。
あるところもあるかもしれないですよね。
そうですよね。
なぜかねこの美病院はその亡くなった赤ちゃんもまるで生きてる赤ちゃんのように
そのカンガルーケアもそうだし目欲も含め抱っこ。
そういうふうに接する。
おそらくね分かんないですけどね。
でもなんかすごい大事そうですねこれは。
残された親にとっても。
もちろん子さんにとっても。
人間は希望の生き物っていう言葉。
この言葉すごかったですねこれ。
でもこの子は幼稚園児ぐらいに見える。
どうしてだろう。
ユケちゃんの命の誕生
この子にとってお腹の中の1時間が1日分ぐらいだったのだろうか。
お腹の中で人生のすべてを駆け抜けていってしまったのだろうか。
すごい言葉だな。
じゃあちょっと続き読んでいきましょうかね。
ユケちゃんの命の誕生から終焉までを通じて
クミさんは何を思ったのだろうか。
これクミさんの言葉です。
A病院の産科の先生からは
人工呼吸器につながれるのは苦しい。
無理に生かすのは苦しみを増すだけ。
それよりもお母さんの胸に抱かれ
自然に任せる方がいいのではないかと言われました。
それも一理あります。
だけど18トリソビンの会の親御さんたちの指揮を読むと
必ずしもそうじゃないんです。
人工呼吸器になったり
機関石灰になったりした子もたくさんいますけど
最近うちの子が笑うんです
っていう言葉が出てくるんです。
笑うって大事です。
生きててよかった。幸せだったって
赤ちゃんが言っている一番の証拠だと思うんです。
苦しみの中にも笑う可能性がある子に対して
何もしないで否定してしまうというのは
私にはできませんでした。
クミさんはさらに言葉を続ける。
病院は患者に笑顔が出るようにすることが
大事なのではないでしょうか。
私は2つの病院の入院生活を経験しました。
同じ赤ちゃんをお腹の中に抱え
同じように点滴をして見ているだけ。
ところがちょっとした気持ちの持ち方とか
周りの人の接し方で
自分に見える世界が違うんだと実感しました。
って言うんですね。
ユキちゃんにとって何が最も幸せだったのだろうか
クミさんはしばし考え込んだ。
またクミさんが言います。
私早い段階で病気のことを知ってしまったので
あまり幸福な気持ちになれなかったんです。
でもB病院に移ってからの最後の2週間くらいは
本当に心が豊かでした。
赤ちゃんもお腹の中で大きくなっていたし
よく動いていました。
個室にいるときは音楽を流したり
ロシア文学の翻訳作業も声に出してやっていたんです。
この方ね、ロシア文学の翻訳者なんですってクミさん。
うん。
個室にいるときは音楽を流したり
ロシア文学の翻訳作業も声に出してやっていたんです。
赤ちゃんも聞いてくれてたかなって思っています。
私も幸せだったし
赤ちゃんも一緒に幸せを感じてくれていたと思います。
って言うんですね。
夫婦にとって最も辛かった出来事は何だろうか
クミさんが迷わずに答える。
病院の選択とその影響
クミさんが言います。
救命率ゼロパーと言われたときです。
病院としては下手に希望を持たせてはいけないという配慮だと思います。
その方がいいという判断なのかもしれません。
でも私の気持ちの中ではゼロはないでしょう。
1でもいい。
医学的には1もゼロも同じかもしれません。
だけどゼロは絶対に可能性がないということですから
せめて1パーくらいのことは言ってほしかった。
ゼロという言葉は本当にきつかったです。
クミさんは29週の時点で用水染種を受け
用水を利用して染色体検査を受けた。
夫婦にしてみれば少しでも赤ちゃんの情報が欲しいという一心だった。
だが妊娠中絶が不可能な週数に染色体検査を行うことが正しいのか。
これは医者の間でも議論が分かれるはずだ。
生まれる前に赤ちゃんの染色体の情報を得ることにはどういう意味があるのだろうか。
クミさんは語る。
ここからクミさんの言葉です。
18トリソミーと知ってよかったことは何もありませんでした。
知ることでこれほど苦しむとは想像もできませんでした。
今から思うと知らないほうがよかったですね。
最近、新型出生前診断に関するニュースが新聞にかなり掲載されました。
ちょうど私の妊娠の時期と重なっていたので、とても他人事とは思えませんでした。
今でも気になっています。
私はもっと多くの人に病気や障害に関する知識を持ってもらいたいと思います。
今は無知や偏見の方が多いのではないでしょうか。
私自身も今回の経験を通じて深く考えるようになりました。
娘のおかげで、私は病気や障害を抱えた人たちに対する偏見や無関心を捨てることができました。
だから十分に知った上で、障害児を望まないというのであれば、私はそういう決断をした親を責める気持ちはありません。
妊娠して初めて出生前診断を知るのではなく、結婚する前、いえ、もっと前に、学校で教育を受ける段階で、命とは何かを学んでほしいと思います。
私は全てのことをやり遂げたという気持ちがあるから、今は意外と辛くないんです。
もちろん寂しいし、生きていてほしかったけど、行方なりに精一杯生きたということが分かるんです。
私も主人もお医者さんも精一杯やった。だからこれ以上生きていてなんてとても行方には言えません。
行方には良かったねって言ってあげられるし、後悔は何もありません。
もし今度妊娠して同じ運命の子だったらですか?きっと産むことを選択すると思います。
この章の最後に松永先生が書いてあります。
私はリビングルームの中央の壁際に置かれた仏壇に手を合わせたゆけいちゃんの写真が添えられている。
開明は明皇英女と呼ぶのでしょうかね。
ゆけいの行を幸せに置き換え、来世で幸せになってほしいという思いが込められている。
開明にはそういう思いが込められている。来世で幸せになってほしいという思いが込められている。
脳骨はまだ済ませていない。一年間は一緒にいたいそうだ。
これでこの章が終わりです。
でもこれB病院出会えてなかったら、くみさんのこの後の人生もまた違ったかもしれなかったよね。
ダブルですね。本当ですよね。
ここまでA病院とB病院の違いを見て、一挙一投足がここまで違うっていうことに本当に驚くばかりで、
なんかひるがやって自分の仕事ももっとあるんじゃないかって思うぐらいですよね。
同じ職業でも。
ここまで違う。
確かに自分の職業でももっと研ぎ澄ませられるんじゃないかとかって思う。
もちろんそれは何を言うかとかどう振る舞うかとかそっちが問題なんじゃなくて、
自分自身のその在り方そのものというか、それが問われてるわけで、それが何かであれば自ずと言動が変わるってことだとは思うんですけど。
ここまで変わるのかってね。
これちょっとたくさん読んじゃった。
どうぞどうぞ。
たくさん読んじゃったからさ、本当はちょっと大事なこと最後のところにたくさん書かれてあった気がしていて。
そうですよね。たくさんあった気があったと思う。
笑うって大事です。生きててよかったって。幸せだったって赤ちゃんが言っている一番の証拠だと思うんですって。
いうのもすごく印象的で。
だからね、一概に延命治療するのが苦しめることだって本当に言えますかって。
なんか言ってるような気がしてくる。なんか僕には。
だって、基幹石灰になっても人工呼吸器につながれても笑う子いるんですよって。苦しみの中にも笑う子いるんですよって。
でも一つ、知ってしまうっていうことがどういうことなのかっていうね。ここですよね本当に。
もちろんくみさんもとしあきさんも少しでもね、この子のことが知りたいから言って、染色体検査を受けたわけですけれどもね、今振り返ってみると受けなくてもよかったのかもしれないって。
でも、この29歳の段階だともう中絶が不可能なんだから。
もうそれを知ったとて、もう産むということに進んでいくわけですから。
これB病院があったから、出会えてたから、くみさんはまだね、こうやって笑えたし。
こう出てきたし、幸福感感じれましたけれども、別にB病院ばっかりじゃないですから、その段階でこれ知ってしまってっていうことが本当にいいんだろうかって。
だから新型出生前診断に関しても、本当によくよく考えてほしいんですって。
命とは何かの問い
何だったら結婚する前、学校教育の段階から本当は考えてほしいんですって。
本当にそうですね。
そうですよね。そこの大秘的なところっていうか、障害とかそういうことについてもっと知ってほしいっていうことも書いて、書かったのかなと思うんだけど。
やっぱり何を知るか、何を知りたいかってことで、すごい大秘的だなと思ったっていうか。
赤ちゃんに障害がないかってことはみんな知りたがるけど、本当の障害ってものがどういうことか知るのって大変だから。
そうですね。
そっちを知ろうとするって結構ね、大変じゃないですか。
本当ですね。
でもそっちを知らず、結果だけ知って判断をする人もいるだろうしとか、なんかすごい色々考えさせられるなと思って。
命とは何か、生きるとは何かってことを、それが確かに人間にとって最も大事だと言ってもいいぐらいの問いな気がしてくるし、それを学校で授業したいですよね。
じゅんさんいいかもな、それ。すごい大事だと思う。
そこって、今日今読んでくれたところも絡むけど、医学の中では0パーと1パーの違いってないかもしれないけど、人間にとってはって話して。
それもすごい印象的だったけど、本当そういう底だよねというか、そこの微細な底について考えることってめちゃくちゃ大事だなっていう。
そうですね。
いやーちょっと本当にすごかったな、この章は。
この本でもってイノシシの授業をしたいですね、本当に。
そうだね。
ちょっとこれ、ここで13章終わりでね、今回この運命のごとりそみというこの本をここまでやってきたんですけれども、
この後ですね、また朝日くんの話に戻ってくるんですね。
松永先生が、この朝日くんのご両親、けいこさんとのぶとしさんとね、また話していくんですけれど、
松永先生が出会ってきたね、この子どもたち、親御さんたちの話もね、共有していくんですって。
そうなんだ、そうなんだ。
それでね、けいこさんも前向きに生きているっていう描写があって、ここ終わるんですけれども、
一応ここで本は終えたいなと思ってまして。
はい。
すごいじっくり関われた感じがします、この本と。
素晴らしかった。
本当に僕、この本を読めて幸せだったな、なんか。
そう思えるってすごいですよね。
すごいっていうか。
そう。
本当に大事なことを語りかけてくれた感じがしますし。
なんかこれ、朝日くんの家族もそうだし、今日ね読んできた組さんたちの、
こういう人が知らないところで無数にいて、そういう運命を生きているっていうのが本当になんとも尊いなって思いますよね、本当に。
本当ですよね。
ちょっと今日最後に紹介したい言葉あるんですよ。
もちろんこの本がいいのかどうかわかんないですけどね。
今日僕、昼間読んでた本、今日僕お休みだったんで読んでた本があってね。
僕の本当に敬愛する片山俊彦さんっていうね、方がいらっしゃって。
その方の「泉の子玉」っていう随筆を読んでたんですよ。
で、芝居ツアーっていう人について書かれてあるんですね。
生の肯定と意識の基盤
芝居ツアーってお医者さんなんですよ。
お医者さんでもアフリカに医師として行って多くの命を救った人なんですけどね。
ノベル平和賞とかもとってる人なんですけど。
でも本当に一流のオルガニストでもあったし、哲学者、心学者でもあったっていう中でもすごい人なんですけどね。
なんかね、僕芝居ツアー気になって仕方なくて時々読んでるんですけど、
そこにね、こんなこと書かれてあったんですよ。
芝居ツアーの考えは、彼の多くの著書に表れているように、
生の肯定ということに基づいている。
我々の意識がよってもって立つ最も共通の基盤は、生の肯定ということである。
って書いてあるんですね。
ここまではいいですよね。
我々の意識がよってもって立つ最も共通の基盤は、
誰もが持っている基盤は、生の肯定ということである。
だから我々生きてるんですよね。
生で肯定できてなかったら死んじゃいますからね。
生の肯定は、外界においてはあらゆるものの生きようとする意思として認められ、
内面的には愛の倫理の自覚として認められる。
って書いてあるんですよ。
はい、ちょっともう一回触れてほしいな、それ。
生の肯定は、外界においてはあらゆるものの生きようとする意思として認められ、
内面的には愛の倫理の自覚として認められる。
って書いてあるんです。
その生の肯定というものは、言葉を変えると、生きようとする意思でもあるし、
外面的には生きようとする意思のように見えるし、
内面的には愛というものがあるんだって言ってるんですね。
生への威敬感の深化
そして、この根本的な生の肯定は、
生への意思を人格的な思考を通じて深め、高め、精神化していくことによって、
合理的な感性の道を歩むが、
一体ここにしましょうかね。
この生への肯定っていうのはね、要はね、
どんどん深め、高め、感性への道まで歩むことができるんだって、
深められることができるんだってこと言ってるんですね。
この道が文化の道であるとともに、
この道を歩むにつれて、生への威敬感が深まってくる。
って書いてあるんですよ。
生への威敬感。
威敬。
威敬、恐れ敬う。
威敬。
恐れ敬う気持ち。
そう、威敬感が深まってくるって書いてあるんですよ。
そういう生の肯定っていうものを深めれば深めるほど、
生への威敬感っていうものが深まってくると。
逆もしかりで、
生への威敬感っていうものが深まってくると、
生への肯定感って深まってくると思うんですよ。
もうちょっと言葉変えると、
生への威敬感っていうものが深まっていくと、
より生きようとするし、
するしより愛が深まっていくんだってことを言ってくれてる気がするんですよ
僕が今回この本を通じて 恩恵に預かったのはもうこれだと思って
この本を読んだ時に生への命って言ってもいいかもしれない 命への意境みたいなものを感じるじゃないですか
ねえ これを感じて
すごくなんか生きようとする位置感じますよね だって自分より過酷な状況に生き抜いている人の姿を見るとさ
エネルギーもらえますよね 俺も生きようって思うし
この人たちの分も含めて生かされていることをちゃんと噛み締めてちゃんと生きようって やっぱ思うし
僕は愛も育ませてもらったなぁと思ってて 子供への愛情とかさ
俺やっぱ自分の息子に関わるも関わった気がするし 町中に遊んでる子供とか育った前後両親に対する自身の心みたいなものなんか
ちょっと少しは育んだ気がしてて
うん すごいです
さあ逆流逆逆方向に向かってというのだからさっきの肯定の話の逆して結果じゃあ 肯定ってところにつながっていく
育まれていくって言っていっ うんうんうんうん
そしてその生の肯定があるってことは 生の威厳感がさらに増していくってまぁこの巡回がきっとある
こっちなんでしょうけど
いやほんとだから本当に本当にこの本読んで本当にありがたい経験させてもらいました うーん
すごいね久美さんもほら生まれる前にいろんな方のブログとか読んだりそこにから さあまた何か
受け取ったものがあってって話とかさあのねー この松永先生が
聞いてきた物語をその朝日くんの参加者にも聞いてもらったみたいな話もそうだけど 本当なんかに似たようなことがこの
本と 純さんってところでもなんだろう
来てる 素晴らしい本との出会い
ごんどくさせてもらってまたここで一緒に扱わさせてもらって ありがたい時間でした
いやー いい時間でしたわ
じゃあまあ なんか言葉になってないこととか多すぎて本当はもっとね語るべきことあったかもしれない
んですけどここで終わりましょうか そうですねいや語らないこともねうん
ありがとうございます ありがとうございますはいまた次回
40:33
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