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2025-06-14 42:11

#58 誕生死する絶望の中の光(第十三章前半) / 松永正訓『運命の子』その6

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今回は、小児外科医である松永正訓の『運命の子 トリソミー』です。

本書との出会いは、街録chでの配信がきっかけでした。

このラジオを通じて、
・松永先生の生きる姿勢や
・障害児をもつ両親の葛藤と受容するプロセス
を深めていきたいと思います。

街録chでの放送回
https://youtu.be/a7pmeD86ML0?si=WoWGvha7-drqt0R5

サマリー

このエピソードでは、18トリソミーを抱える赤ちゃんの母親であるクミさんの経験を通じて、誕生死というテーマが扱われています。クミさんは妊娠中にさまざまな問題や感情、医療との関わりに直面しています。彼女の葛藤や希望が描かれており、治療の選択肢を探しながら、愛する赤ちゃんのために最善を尽くそうと奮闘しています。医療現場の違いが心に与える影響や、希望の光を見出す過程が示されています。母親と子供の絆が深まる瞬間も描かれ、特にB病院での経験が母としての喜びや幸福感をもたらしていることが語られています。また、絶望の中でも人は幸せを見つけることができるというメッセージが伝えられています。

誕生死の背景
おはようございます。
こんにちは。
こんにちは。
今日もよろしくお願いします。
はい、お願いします。
前回はですね、第六章、第七章っていって、朝日くんの兄さんの心情とか、おばあさんの心情とか、そういうところを扱っていきました。
で、この本自体ですね、ここから第八章に入るんですけど、八章からこれ、十五章までまだあるんですね。
おー、じゃあまだ折り返しなんだ、章でいうと。
そうなんですよ。一章一章が割と短く収まっているんですけどね。
ここからですね、朝日くんからまた少し離れて、いろんな珍しい病の方、特に生きることが難しい病のケースをいろいろ触れていくということが起こるんですね。
それは動きとしては、松永先生自体が以前に別の西田先生でしたかね、会いに行って対話したように、またいろんなケースの子供たち、ご家族と出会いに行くんですよ。
やっぱりいろんなものを見ておきたいっていうのがあって。
で、そこであれですね、概録チャンネルで松永先生が語ってくれてた豪邪病のこととか、方とかいろんなのが出てくるんですよ。
それがもう王藩半分ぐらいそういう形なんですね。
これもどれ一つ撮っても本当にゼックするしかないぐらいのエピソードだったんですけど、
特に印象深かったのが、今回13章まで飛んじゃうんですけど、13章の誕生死、誕生してすぐ死んでしまうことを誕生死って言うんですね。
誕生死した18トリソミーの子っていう、これをちょっと今日は使いたいなと思っています。
お願いします。
はい、18トリソミーなんで13番目の染色体じゃなくて18番目なんですけれども、少し似ている感じなんだとは思います。
ちょっとこの章は本当にほぼ丸々読んでいきたいなと思ってるんですけれども、本当にゼックしますね。
本当に大事な話だと思うんで、一緒に味わえたら嬉しいです。
じゃあ読んでいきます。冒頭からです。
私は、これ私はっていうのは松永先生ですね。
私は多くの人に話を聞く中で、トリソミーという病の原点に立ち戻りたいと思った。
この病気の核心にあるのは、短命という宿命だ。
この短命が最も顕著に現れるのが、流産であり、死産であり、そして誕生死という名の死の形である。
18トリソミーを合併し、なおかつ肺と心臓に重度の危険を持った赤ちゃんの母親と、私は18トリソミーの甲斐を通じて知り合った。
出生後に予想される命が短ければ短いほど、その命の重みが浮き彫りになってくるはずだ。
そういった命に対して家族は何を望み、医療は何をしてくれるのだろうか。
そこから始まるんですね。
検査と診断
18トリソミーの甲斐っていうのがあるみたいですね。
そういう珍しい病だから、そういう人たちが繋がれるような甲斐みたいなものがあるみたいですね。
そこである家族に出会ったんだっていう話になるんです。
その家族はお母さんクミさん、お父さんトシアキさんって言うんですけれどもね、この物語が始まっていきます。
ちょっと読んでいきますね。
クミさんは43歳で妊娠した。
2012年5月16日、妊娠12週でクミさんが3院で胎児超音波検査を受けると、赤ちゃんのうなじの腑臭がやや熱いことがわかった。
赤ちゃんにはダウン症を含めた染色体異常の可能性があった。
医師は赤ちゃんについてより多くの情報を知って早めに準備した方がいいと、用水検査を受けることを勧めた。
クミさんは動揺した。そして同時に、自分はダウン症に関してほとんど知識を持っていないことに気がついた。
そこでインターネットを駆使して情報を集めた。
ダウン症の親の作ったホームページを探し、療育にまつわる手記をたくさん読んだ。
知らないことがたくさん書かれていたが、クミさんの結論は、ダウン症ならば全然問題なく受け入れられるというものだった。
いやむしろ、ダウン症を歓迎するような気持ちにさえなれた。
それは、ある母親の書いた手記によるところが大きい。
その母親は、自分の子供がダウン症であることをむしろ嬉しいと書いていた。
今の世の中は、何でもスピード優先で、速い者が勝ち、遅い者が敗れる社会だ。
だがそれでいいのだろうか。クミさんは、言わば社会のエリートとして生きてきた。
人と争って、先んじる生き方を歩んできた。
だがダウン症の子はそうではない。スタートからして遅れているし、それが当たり前として周囲から認められて育っていくことになる。
もしダウン症の子供が何かを成し遂げれば、その喜びは健常時と比べてはるかに増すだろう。
競争の世の中だからこそ、ダウン症の子の生き方は大事なのではないか、とクミさんは考えるようになった。
ダウン症の赤ちゃんに魅力を感じた彼女に、陽水検査を受ける理由は全然なかった。
としだけさんも同じ結論だった。
一旦ちょっとここで区切るんですけど、こういうふうになってるんですね。
まだこれ妊娠12週の段階ですか。
だいたい37週から41週ぐらいで生まれると思うんですけど、今12週の段階でね。
ちょっと聴音波検査するとおかしいところがあり、陽水検査を受けてくださいと。
ダウン症の可能性がありますという話で、いろいろ調べてたらこういうことが書いてあることと出会い、重要性となっていったと。
ついでに出産の前に少しずつ心の準備が進んでいったっていう。
そうですね。そう言った方が適切ですね。
そっかそっか。
でもこれはあれなのかな、この先の話を想像するとまた、そういう想像せたものとまた違ったっていうことだったのかなとかも思いつつね。
そうですね。
ふんいさんはまずはでもそういうふうに事前にいろんなものを読み、触れたりしながら、そういうふうに受け入れていく準備をしていったって感じだと思う。
ね、そうなんですよ。
陽水検査もなんでも受ける必要ないだろうと。
あ、そっかそっか。
これ、ダウン症の持ってるある母親の手記っていうものをホームページで見て、こういう今の時代だからこそむしろ大事なんじゃないんだろうかっていうことを、
この久美さんは受け取ったんですけれども、これもすごく大事ですよね。
こういうふうに書いてくれてる人がいるから、こうやって受け取り方を捉え直せることができるっていうことが起きてるわけですよね。
やっぱり久美さんもそうだけど周りにいなかったら、そういう知識とか、なかなか得る機会がなかったりもして、
そうなるとそのね、そういう捉え方みたいなものが、やっぱり先人たちのというか、そこに対して悩み切った人たちの捉え方ってものがオープンになってるってことの意味ってのはすごい感じますね。
本当そうですよね。
今回のだからこの本自体もやっぱ取書13番、18番以上がある人の手記もあるのかちょっとどうかわからないんですけれども、この本がねまた一つこれやっぱり何か受け取り直せるきっかけになる本なんだろうなーって、そういうのも同時に感じますよね。
確かにこの本自体がそうですね。
じゃあちょっと続き読んでいきますね。
ところがその後の胎児超音波検査で別の異常がわかった。赤ちゃんの体格が小さいということのほかに、両方の腕の肘から先がほとんどなく、肘のあたりに指がついているように見えるというのだ。
赤ちゃんの腕の肘から先がほとんどなく、肘のあたりに指がついているように見えるというのだ。
ちょっと一旦ここで一区切りなんですね。
クミさんもなんかすごいよね。
そうなんですよね。
なんかもっともっと動揺しても自然な気がするけど、ひとつひとつ調べて、これなら大丈夫って言い切れてくってこと。
そうなんですよ。
でも医師はちょっとあまり事態はそう簡単じゃないと考えて、大きい都内の営病院っていうところに行ってきてくださいと。
そういうのが起きました。
では続き読んでいきます。
8月1日、クミさんは営病院を受診した。赤ちゃんは23週になっていた。
この日の聴音波検査で赤ちゃんには先天性オオカクマクヘルニアと両大血管ウシツキシという診断がつけられた。
オオカクマクヘルニアとは、胸とお腹の境にあるオオカクマクに穴が開いている先天器系だ。
そのため腸が胸の中へ入り込む。
だが問題はそこにあるのではない。
腸が圧迫された肺は育つことができない。肺がじじこまった状態で生まれてくる。
それは実質上ほとんど肺がないような状態であるため赤ちゃんは生まれた直後に重症の呼吸障害になる。
両大血管ウシツキシもかなり複雑な心臓の器系である。
心不全になったり全身チアノーゼになる。
したがって赤ちゃんには心臓と肺という人間にとって最も重要な臓器に重篤な病気があるということになる。
腕が欠けてしまうかもしれないという説明にはクミさんは耐えることができた。
しかしA病院を紹介された時あたりからもしかしたら何か大きな異常が隠れているのではないかという不安を持つようになっていた。
そして腕以外に器系が見つからないことをひたすら祈っていた。
だから心臓と肺の両方に異常があると言われた時クミさんは打ちのめされた。
生存の望みは極めて薄いと宣告されて泣きに泣いた。
見かねた看護師が空き部屋を用意してくれてクミさんはそこで泣き続けた。
年明さんは寄り添い慰めた。
委託したクミさんは希望の光を絶やす前と今度はオオカクマクヘルニアと両大血管ウシヅキシについて情報を集め始めた。
同じ病名でも軽症の子と重症の子がいる。たとえ重症でも助かった子どももいる。
だからそこに期待しようと思った。
赤ちゃんがお腹の中で少しでも大きく育ってくれれば助かる可能性が高まるのではないかと考えた。
検診に行くたびにクミさんは良くなってますねという言葉を待った。
だが医師の口からそういった言葉は一度も出なかった。
治療方針の決定
一旦こういうことが起きていってるんですね。
ここに何を足せばいいかわからなくなるね。
でもこれクミさん、すごいですね。
打ちのめされて泣きに泣いて、でも希望の光を絶やす前と今度は症状についてまた色々調べ始めて、
軽症の人もいるし重症でも助かった子どももいるって。
だからそこに期待をかけて。
そうですね。
ただ良くなってますねっていう一言にある種すがるように求めたみたいな気持ちも一方であるっていうのと、
すごいだからちょっと続き読んでいきますね。
そうやっておよそ一月が経った頃、クミさんは次第にお腹の張りを強く感じるようになった。
腰椎型症である。腰椎が多すぎるっていう症状みたいですね。腰椎型症である。
9月10日に英病院に入院となり、その日のうちに腰椎栓試を行って、針を刺して腰椎をとることですね。腰椎栓試を行って、1500mlの腰椎を抜いた。
3回はその腰椎を染色体検査に出すことを提案した。
もちろん29週の赤ちゃんを中絶するという選択肢はない。
そういったこととは別に、クミさんは赤ちゃんの情報が少しでも欲しかった。
もし染色体以上がなければ赤ちゃんが生きる可能性が増すことになる。
夫婦は検査に同意した。
4日後に検査が出た。18トリソニーだった。
この結果を踏まえて、病院は赤ちゃんが生まれてきても治療を行わないという方針を固めた。
それはクミさんにとっては晴天の霹靂であった。
そこまでバッサリと治療が打ち切られるとは考えもしなかったし、染色体検査を行うことの不の面に初めて気が付かされた。
3回試チームのうちの一人はこう言った。
生きられないとわかっている赤ちゃんに治療を施したとして、それは一体どういう意味があるのでしょうか。
苦しみを長くするだけですよ。
それより自然な形で見とってあげて、天獣を全うする方がいいのではないでしょうか。
決して冷たい言い方ではなかった。
患者家族を思いやって親身になって言ってくれる。
質問を投げかければどんなことにも丁寧にわかりやすく教えてくれる。
この医師の誠意や優しさには何の不満もなかった。
だが赤ちゃんの治療をしないという判断には納得できなかった。
一旦ここで区切りましょうかね。
あれですよね、前のシリーズでこういう治療をしないっていう話の、ある種病院側からの視点で触れたシリーズがあったと思うんですけど、これがまさに親側からというか。
そうですね。
これ2012年の話ですかね。
クミさんの葛藤
このA病院、ちょっとあえて隠されてますけど、やっぱりそういうのがまだあるわけですね。
ちょっと良いか悪いか置いておいて。
そうですよね。
これちょっと読んでいきましょうか。
そうですね。
本当にすごいドラマが起きてますよね。
読んでいきます。
この頃、3階は利明さんに18トリソミーの赤ちゃんの治療経験について説明した。
3階はこれまでに何人かの18トリソミーの赤ちゃんを見た経験があります。
ですが、小児階では18トリソミーの赤ちゃんに手術をした経験はありません。
赤ちゃんを治療するならば、これから病院としてどう対応するか勉強しなければいけません。
クミさんには不安な日々が続いた。
用水を抜いた後のクミさんは切迫相残の状態にあり、そのまま入院が続いていた。
そんなある日、チームリーダーの3階と話す機会があった。
彼は言う。
18トリソミーだからといって何もしないという時代ではもはやないと思うんです。
18トリソミーでも頑張って治療していこうという流れが出てきています。
なんとかできることをやっていきましょう。
この言葉にクミさんは喜び、期待を抱いた。
だが結局、その言葉通りにはならなかった。
3階にできることは、安全に赤ちゃんを誕生させることだけだ。
オオカクマクヘルニアと両大血管ウシツキシの治療は、
小2階が主人になり、小2下階と心臓下階がメスを入れる。
主人になるべき小2階から18トリソミーの赤ちゃんを治療するという賛意は得られず、
その3階は、申し訳ないけど治療はやはりできません。
と、頭を下げた。
ということが、一旦ここで一区切りつけます。
希望の光を見つける
チームリーダーの3階の方は、
なんとかやっていきましょう、治療していきましょうと言ってくれてるんだけども、
やっぱりその3階っていうのは産むところまでなんですね。
そこから手術するってなると、小2下階と心臓下階が担当していくわけですけれども、
その医師たちからは賛同入れられなかったと。
前の西田先生の時とちょっと似てるケースかもしれないですね。
やっぱり仕事によってこういう。
3階の方の葛藤みたいなのを初めて触られたのかな、これまでの中で。
そうだよね。
担当の両分があるから、そこの中での葛藤もある。
じゃあちょっと続き読んでいきます。
くみさんは精神的に追い詰められた。
当初からずっと大部屋に入院していたが、
病室では産前の妊婦と産後の母親が同部屋だった。
そしてさらに母親と赤ちゃんが同室というのが原則だった。
用水型でお腹が張ったくみさんは、
針止めの点滴を打ってベッドに寝ている毎日だった。
カーテンの向こうからは赤ちゃんの泣き声、赤ちゃんを操る母親の声、
赤ちゃんを祝福したり褒めたりする看護師や家族の声が聞こえる。
妊婦が入院してきて赤ちゃんが生まれ、看護師が母乳の指導をして退院していく。
そういう入れ替わりをくみさんは繰り返し見るのだった。
くみさんの夢は大それたことではない。
赤ちゃんを抱っこして自分の母乳を赤ちゃんの口から飲ませてやりたい。
ただそれだけだ。
だが医師からは赤ちゃんが生まれても口から母乳を飲むことはありえないと言われていた。
それなのにカーテン越しに明るく大きな声で授乳指導が行われている。
そのことは絶えがたかった。
眠れない夜、彼女は天敵台を押して深夜廊下をさまよった。
うーん。
ねえ本当に。
うーん。
続きを読んでいきますね。
少し飛ばしますけど。
病棟の看護師はみな優しかった。
自分に気を使ってくれるのが分かる。
だけどその態度そのものが自分が気に入っていた。
その態度そのものが自分がこの病棟で例外的な存在であることを如実に示していた。
感謝する気持ちを持ちながらも看護師たちに余計な気遣いをさせていることに、
彼女は罪悪感と疎外感を味わった。
ある看護師はうみさんに本当によくしてくれた。
背中を撫でながら何かあったらすぐ呼んでくださいねと同情を込めて穏やかな笑顔で語りかけてくれる。
ところがその看護師は1分後には隣のベッドで
おめでとうございますかわいい赤ちゃんですねと祝福の声をあげていた。
くみさんは思わず耳をふさげそうになった。
本来であれば自分は出産を控えて幸せな気持ちでいっぱいのはずだ。
赤ちゃんは今自分の中の中で生きている。
それなのに自分は幸福な気持ちになることはできない。
だから幸福な気持ちを赤ちゃんに伝えることができない。
その心理がくみさんを苦しめた。
赤ちゃんに対して申し訳ないという気持ちで胸が張り裂けそうだった。
こんな気持ちが続くならばいっそのこと天敵を立って
短い時間だけ個室に移り最後の時間を赤ちゃんと一緒に過ごそうかとさえ考えた。
だがそんな考えはすぐに打ち消した。
これまでも頑張ってきたしこれからも頑張らなければならない。
自分は最初に産院で陽水検査を断ったときからずっと赤ちゃんを産むと決めていたはずだ。
自分が何かを選択してそれが赤ちゃんの命を縮めるようなことに絶対になってはならないと思い直した。
一旦ここで一句言い入れです。
何かすぐ出てこないかもしれないです僕。
だから言えることないかも。
本当に尊いですね。
それもそれでいいか。
ちょっとじゃあ続き読んでいきますね。
さらにこの後のドラマがやっぱすごい良いんで。
クミさんは18トリソミンの会に入会しメイリングリストに長文のメールを投げた。
自分の心情を切々と語り本当に自分の赤ちゃんは助かる見込みがないのか。
そして赤ちゃんのことをもっと前向きに考えてくれる病院はないでしょうかと尋ねた。
そのメールに素早く反応したのがある病院の産科部長だった。
部長医師は生まれてから何の延命措置もしないという疾患はあるのでしょうかと怒りかけてきた。
18トリソミンの赤ちゃんでも可能な限りの治療を施すべきだと言っているのだ。
クミさんはその言葉に受け付けられた。
その部長医師に直接連絡を取り病状に関する詳しいデータを送り意見を求めた。
部長医師はやはり救命は難しいとの意見だったがセカンドオピニオンを受けることを勧めてきた。
そしてその候補としてB病院の産科を挙げた。
その病院の副院長が産科医だった。
18トリソミンの会の親たちから励ましのメールが次々に来た。
クミさんはその応援メッセージを読んで心を上向きに持っていくことができた。
人間というのは何もできないと諦めてしまうと気力を失うのだと知った。
今はそうではない。
自分のやるべきことは赤ちゃんのために最善の病院を見つけることだ。
何かできるかもしれないと思うと意欲が沸く。光が見えた。どん底を抜けたかと思った。
セカンドオピニオンはB病院を含めた3つの病院と決めた。
年明さんが9月26日にB病院の副院長を訪ねると、その先生は
赤ちゃんにはできる限りのことをしましょう。ただ1週間待ってください。
関係界の受け入れ体制を整えますと言った。速決だった。
だが夫婦はそのスピードに驚く間もなかった。
セカンドオピニオンを受けた日の夕方にB病院からA病院に連絡が入った。
クミさんたちに
準備はすべて整いました。
明日の朝9時30分に緊急搬送でうちの病院に来てくださいという言葉が届いた。
セカンドオピニオンはB病院だけで十分だった。
これすごいですね。1週間待ってくださいって言って、もうその日のうちにもう明日来てくださいって。
最善を尽くすことの重要性
なかなかすごい病院なんですよ。このB病院。
本当に全然違うんですね。病院で。
続きを読んでいきます。
定員が決まると参加のリーダーの医師が現れた。
彼は辛そうな表情だった。
一度はなんとかできることをやっていきましょうと言ってくれた医師である。
これあれですね。参加のリーダーの医師が現れた。
これA病院の人です。
もう一回読むと定員が決まるとA病院の参加のリーダー。
やりましょうと言ってくれたリーダーのことです。
彼は辛そうな表情だった。
葛藤してた方。
そうそうそうそう。
なぜB病院にできて自分たちの病院ではできないのだろうと悔しく思っているように見えた。
その医師は久美さんと栃木さんにこう声をかけた。
B病院の副院長先生は立派な方です。私も尊敬しています。
副院長先生が直に見てくれるチャンスなんて滅多にありません。
この機会を逃してはいけません。
こうして翌朝、救急車はB病院を目指した。書いてます。
これ、読むとすごいですね。
メーリングリストに長文を投げたところから、
宇宙繋ぎのようにここまで来ているわけですけれども。
そして、人間というのは何もできないと諦めてしまうと気力を失うのだ。今はそうではない。
アカツのために最善の病院を見つけること。
何かできるかもしれないと思うと意欲が沸く。光が見えた。
ここも印象的でしたね。
本当に。
すごいことが書かれてある。
本当に違うんだな。病院によってもね。
人ですよね、でも。突き詰めたら。
そうですね。
きっとこのA病院の参加リーダーの方もB病院にいたら同じようにやれてたかもしれないですけど。
できてたかもしれない。
また、集団の方針みたいなものもね、やっぱりあって。
B病院はすごいんですね。
ちょっと読んでいきましょうか。
久美さんはあまりの展開の速さに度肝抜かれた。
利明さんから副院長先生とのセカンドオピニオンの会話の様子を細かく聞いていたが、
それにしても副院長先生の決断の速さと実行力はすごいと思った。
この思いは定員してから改めて実感することになる。
医者は迷ってはいけない。
さっさと決めてやり遂げることが患者に対する本当の優しさだ。
というセリフは今でも脳裏に焼き付いている。
B病院に到着すると、久美さんは母体退治集中治療室の個室へ入院となった。
その日の夕方に用水洗止が行われ、2000mlの用水が抜かれた。
数日経って状態が安定すると、久美さんは分泌準備室にと呼ばれる二人部屋に入ることになった。
だが彼女は赤ちゃんの泣き声に苦しむことはなかった。
そもそもB病院では妊婦と産後の母親の病室エリアが完全に別だったからだ。
久美さんの心は一気に楽になった。
自分たちは最善の病院を見つけたと思った。
自分よりも赤ちゃんを諦めないでいいと思えることが嬉しい。
もちろん赤ちゃんが助かる見込みが限りなく薄いことはこの病院でも同じだろう。
だけど精一杯のことをやってくれるという医師や看護師の姿勢が、久美さんの心の苦しみを解き放った。
って書いてあるんですよ。
最後の方もすごい大事なこと。
本当に助かる見込みが限りなく薄いことは同じなんだけども、
最善を尽くすっていう、もうそれだけで何かなんですね。
諦めなくていいって書いてある。
結果じゃない。
そうなんですよね。
この姿勢なんですね。
そこね、それが人の心を救うみたいな。
これ何気にB病院では妊婦と産後の母親が別々のエリアだったってね。
こういうところも細かいところですけども、すごいやっぱり、
なるほど。
心情をつかんでやっぱり違いますね。
それはA病院の描写の大変にもなっているってことか。
なるほどね。
続き読んでいきましょうか。
A病院では、
看護師がクミさんのお腹を聴診して、
赤ちゃん元気ですねと声をかけてくれるととても複雑な心境になった。
生まれた瞬間に亡くなることが決まっていたからだ。
だが今は違う。
元気ですねと言われると、
我が子が褒められたように感じて、
自然と笑みが出る。
赤ちゃんの存在が認められて、
母としての喜びの発見
生きていていいと言われている気がする。
自分のお腹の中に、
命の存在をこれまで以上に強く感じ、
母としての喜びがどんどん育っていく。
って書いてあるんですよ。
これもすごいな。
同じ元気ですねって言葉は同じなんだけど、
A病院は、
A病院ではどうせ何もしてくれないんでしょって、
どうしても覚えてしまう。
でもB病院では何とかやれることをやりましょうって。
そう言ってくれる看護師から出る、
同じ元気ですねってやっぱり全然違うんですね。
すごいですよこれ。
自然と笑みが出る。
赤ちゃんの存在が認められて、
生きていていいと言われている気がする。
この元気ですねの一言ですよ。
存在を認められた感じがする。
自分のお腹の中に、
命の存在をこれまで以上に強く感じ、
母としての喜びがどんどん育っていく。
すごい大事なこれですね本当に。
何回も思い出して味わえるパート。
今この短い文章だけど。
病院の仕事ってもうここまで来るんですね。
そうか、そうだね。
ただ産むだけじゃないんですよね。
なるほど、そうだね。
こういう仕事の境地まで行きたいですね。
そうですよね。また違う職業だけど、
そういう境地。
たった一言の。
でもその一言の意味を持たせる、
前提の態度みたいなものがすごいよね。
ちょっと続き読みますね。
この病院でできないことがあれば、
それはどこでもできないだろうと思えた。
そう信じられた。
自分にとって最善の病気を見つけることができたということは、
絶望の中の幸福
自分が親として赤ちゃんに最善のことをしてあげられたということだ。
そのことにクミさんは安堵し幸福感を取り戻した。
って書いてあるんですよ。
これここまで思わせる病院ってすごいですね。
すごいね。
医療のこと素人にはわからないから、
本当に何もできないんですかって。
やっぱり何度も問うていいし、問いたくなってくるんだけども、
このB病院の振る舞いを見てると、
もうこの病院でできないんだったら、もうどこもできない。
そういうふうに信じられることができたって。
そう思わせるくらいのB病院なんですね、これね。
すごい。
カラマーゾフの亜量者なぜか今思い出しちゃって。
何だろう、欲しい言葉を言うみたいな場面あるじゃないですか。
本当に言って欲しかったその人すら気づいてなかったとか、
その声を拾って言うっていうシーンがあったなっていうのを今そう思い出して、
B病院はまさにそのお母さんが本当に言って欲しかったことを
言ったみたいなところから始まってるのかなみたいなことを思いながら今。
本当ですね。
その声を言った、返したみたいな。
そっから起きていくことがすごすぎて。
本当ですね。
亜量者的病院なんですね、このB病院は。
亜量者思い出しちゃった、今なんか。
素晴らしい彷彿ですね、それ本当に。
素晴らしい彷彿。
映しましたね、今なんかね。
それを思わせてくれたということは、ひっくり返すと自分が親として赤ちゃんに
やってやれる最高のことをしてあげられたんだ、最善のことをしてあげられたんだって。
それが結果がどうなるかは置いといて、
もうある種の反動をもたらしてくれて、
幸福感を与えてくれたんだっていうね。
これはなんかちょっとそう言われると、あれですね。
長男ドミートリー思い出しますね、本当にね、これ。
結果、裁判で有罪判決を与えられたとしても、
もう自分のことを信じてくれたっていう一言が。
ありましたね、そういう場面。
何事にも変え難い幸福感をもたらしてくれたんだって。
結果、そうなんだよな。だから結果は変わってないというか、
動いてないというか、その結果がどうなるかに関してって。
いや、本当そうかも。結果じゃないんだなって思わせられますね、なんかね。
いや、これちょっともう本当に人生で大事なことが書かれてある気がしてならないね、これね。
本当そうですね。
この母と子っていう話だけじゃないことも含めためちゃくちゃ大事なことが書いてある。
なんていうの、そこだけに閉じない話に書いてますよね。
これだって絶望の中でも人間は幸せになれるんだってことが書かれてあるわけでしょ。
確かにそうなんだよ。
これじゃあちょっと次行きましょうかね。
行きましょう行きましょう。
42:11

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