ポッドキャスト参加のお知らせ
月曜日のミンチ側、過激雑談。批判的な話や人に理解されない話、アングラ話やお色気話、そして感情的に話したい話題は月曜日に。今日の話題に行ってみましょう。
まずお知らせから、11月1日から11月9日までの間に科学系ポッドキャストの日という催しに参加させていただきます。
トークテーマは教会。前回も科学系ポッドキャストの日に参加させてもらったんですけど、今回も参加させてもらいまして、
トークテーマが教会と見た時に、ああ、それだったら何か科学っぽいことも喋れないこともないかなっていうのがね、一個浮かんだんですよ。
だから、ちょっとやってみようかなーって思ってまた参加させていただきます。
そして11月の2、3か、2、3に下北沢でポッドキャストウィークエンドという模様をし、リアルイベントがあるんですけど、
そちらに私、両日ともいる予定ですので、
トーフテウルフさんのアラサーゲイのホエタイラジオというね、ウルフさんの俺は唐揚げを食いに行くだけみたいな気持ちなんですけど、
よかったらね、いるよーとか会いたいよーなんていう人とか、またステッカー欲しいよーみたいな人がもしもいらっしゃって下北まで来ることがあるのであれば、
DMなりね、概要欄から直目ください。私はいつでも適当に会えます。
はい、ということで、スウェップタンガチャガチャ!みんな違ってみんないい!
はい、ごきげんよう。スウェップタン男のっつんです。
この番組はみんな違ってみんないいよ!基本に私の独断とね、私の独断まみれのお話をしていきます。
えーと、話半分で聞いてください。なんか飛んだね、飛んだけどまぁそんな感じです。
まずはね、お便りから!
はい、ただの野生の主婦、ばばしでございます。先日マイパワースポットを募集していらっしゃいましたね。
私にとってはどこだろうと考えていて、気づいたことを書きたくなりました。
読んでいただいてもいただかなくてもお気遣いなく、ということなんですけど読ませていただきますね。
続いて、私のパワースポット、それは美術館です。
心が疲れて病気になりそうな時、行ったらパワーチャージをして元気になれる場所。
芸術作品はただ美しいだけでなく、傷つきもがきながら生きた人間が真摯に何かを表現しようと取り組んでいる果敢な姿を時も空間も超えて見せてくれます。
作者の神のような圧倒的な勇気と狂気の前では、自分のちっぽけさやモヤモヤなんてもはやどうでもいい。
温泉に浸かって体を癒すように、神様の領域に漂って心のメンテナンス。
人間の体には、接触、消化、排泄をすることで生きています。
と同時に人間の精神は、情報や感動の摂取、消化、表現という流れがあって生きているのではないでしょうか。
私は特に精神的な流れの燃費が悪いので活発に動いていないと死ぬという業を背負って生きているタイプです。
だから人生にアートが必要不可欠なのです。
すごいね。
ということで紹介させていただきましたババシさんありがとうございます。
ババシさんは実は結構真面目にお便りくれているんです。いつも本当にありがとうございます。
わかるよね。美術がないと俺も多分死ぬんだよね。アートがないと俺もね、死にます。
アートっていうものをどこからどこまでかっていう線引きするのはすごく難しいんだけど、
村上隆はね、確か芸術大学を出ているか出ていないかで芸術かどうかが決まるみたいなことも言っていたりしている人もいるし、
かといってね、文字や文章の二文字目からもうそれがアートとして成り立つみたいな人もいるのでね、
アートっていうのはとても包含しにくい分野の言葉ではあるけど、
まあ芸術ですね。芸術。わかるなぁ。何点が好きだったんだろう。
何の美術館、どこの美術館が好きだろう。
俺はね結構ねやっぱり西洋美術館が好きかなぁ。模様子で言うとねフェルメルテンが一番好きだったかなぁ。
なんていうふうに思うんですけど。
今日はねその芸術についてちょっと話していこうと思います。
まずさ、まず、やめよう。
まず一番私が最近行った中でおすすめの美術館。
モネです。モネ。
モネのモネ展がね、どこだ?西洋美術館だよ。
西洋美術館でモネがやってます。スイレンの時というモネ展をやっているんですけど、
一つね、言うんだったら、モネというね、作家はすごく綺麗で、
なんか絶対にモネの絵も見たことあるんじゃないかな、どっかで。有名な。
あんまりね激しい系ではなくすごく綺麗だなぁ系なんだけど、
光とか木とか水とかがそういうものの中で、心の中にふっと落ちる系だね。
ただでかいんですよ。でかい。だからね、かっこいいし、いいなって思います。
で、今ね、あるモネ展、今やってるモネ展は最大規模のスイレンのものなのらしいので、
ぜひともね行ってみてください。来年の2月までやってます。
いやぁ、もっかい行きてぇなぁ。もっかい行きてぇなぁ。
それでね、モネ展が最近だと一番直近に行ったものでよかったかな。
それで、今ね、行こうと思っているのはね、ルイーズブルジョワ展。
六本木の森火でやってるんですけど、六本木に行ったことある人は見たことがあると思うんだけど、
六本木ヒルズにさ、でかい雲のモニュメントあるじゃん。
なんか、ジブリに出てきそうな雲のさ、でかいモニュメント。
あれを作った人がルイーズブルジョワっていう人なんですけど、
その人のね、展覧会がやってるんですよ、今。
森火で。そう、六本木でね。
そう、それもね、1月19日までやっていて、
それで、今行きたいのはその人の獲物と、ベルエポック展。
ベルエポックはね、一口ではなんとも言えないんですけど、
時代なんですよ、ベルエポックって。
なんだ?って言われたら、時代のものなんですけど、
パリにね、集まった人、芸術だね。
1900?何年だ?
20年とか30年とかその辺なんだけど、
工芸とか美術とか舞台とか音楽とか文学とか、
もう全部いろんなものが、もう花開いたんだよね。
その時のパリって。
その中のブルジョワ達が、金持ち達が金を使って、
もう服とか装飾品とか、絵とか工芸品とか、
いろんなものを、いろんなものを描いたり作らせたりしたのよ。
そう、それが美しいっていうね。
またね、ポスターとかもまたいいんですよ。
そう、その時代のね、ものがね、ベルエポック展っていう、
その時代を見に行けるっていうものがね、
塩留美術館でね。
これは年末までかな、12月15日と書いてありますね。
まだやっているので、いずれしてもね、
それを見ているのも、絵がね、見ているのが苦手だなっていう人はね、
絵もある、で、装飾品もある、服もあるみたいなね、
ごちゃついた展示?
ただ一つのテーマがある美術館、美術展に行ってみると、
案外楽しいかもしれません。
ベルエポック、美しき時代塩留美術館で12月15日までですね。
で、もう一つ、行きたいなと思ってて、
俺はもう行こうと決めてるんだけど、
これはね、まだ行ってないんですけど、
日本科学未来館、お台場ですね。
ゴッホの独自性
パリ・ノートルダム大聖堂展というものがね、
来年の2月までやっているんです。
あのね、ぜひね、ググってください。
これはね、子供がいる方でも楽しめると思う。
子供と一緒に行っても、きっと楽しめるものだと思うんですよ。
パリ・ノートルダム大聖堂展。
なんか、えー、難しいな。
難しいな。どういうアート展だという説明が正しいのだろう。
まあ、パリのノートルダム大聖堂の演覧会なんですけど、
あの、日本科学未来館なので、日本科学館なんですよ。
日本科学未来館ってね、なんだろう、
それ以前に行くだけでワクワクして楽しい体験型のものもあるし、
大人が行っても科学が楽しめるので、
で、毎知識もいらないし、バカでも楽しいから、
文字が読める方はぜひとも行ってみてもいいんじゃないかな、
なんて思う。
俺の今三つ、おすすめですね。
ルイーズ・ブルジョワ展とベル・エポック展と
パリ・ノートルダム大聖堂展。
えー、全部ね、東京です。
六本木、塩戸目、お台場になります。
気になる方は行ってみてはいかがでしょうか。
またね、俺はこれ行ったらね、
行った時に金曜日かなんかにね、
行きましたーっていう感想のポッドキャストをやるんじゃないかなとは思います。
そう、それでこのババシさんの何が良かったかって、
情報や感動の摂取をして、
消化をして表現をする。
なぜアートが人生に必要かといったら、
小説を読むように、映画を見るように、
人と寄り添うように、
大切な人間の人生を感じるように、
そういう感動を自分の中に入れるんだよね。
ついた意見ができるんだよね、人生。
だからその気持ちや感情とかを、
しかも物に残せているわけじゃん。
絵とか、特に。
それを消化することで、
自分の中にそれが蓄積されて、
経験として蓄積されるじゃん。
共感知もできるわけだよ。
共感知もできて、
それが生きやすさに繋がっていく。
なぜなら、こういう人もいるっていうのは、
個々の当然あまり変わらないからね、精神性は。
その中で消化をしたら、元気になるんだよね。
精神性が元気になるから。
だから、自分でまた表現に繋がっていく。
それは他者に対してどうなのかとか、
仕事でするのかとか、
またまた作品を作るのかっていうのは、
みんな違うと思うけど、
自分が持てる施設になります。
だからね、この情報や感動の摂取、
そして消化、
そして最後に表現に繋がるっていうのはね、
あーすっげーわかるなーって思って、
ちょっと感動しちゃったんですけど、
ありがとうございました。
えー、
今日はね、その感動の摂取、
俺ね、感動の摂取、
いつかはもう話したけど、やっぱりね、
そんぽビルにある、
ゴッホのひまわりの絵を見に行ってくれって言ったと思うんだけど、
今日はね、俺は、
一押しの作家、ゴッホの話をね、
しようと思います。
でもゴッホって、
絵は知っている、ひまわりは知っているでしょ?
ひまわりは知っていると思うんだけど、
なんだろう、
ゴッホがどんな人間かというのを知っている人って、
どのくらいいるんだろうって思って、
あんまりね、実は、
ゴッホの人生とメンヘラ
あんまり知らない人が多いよね。
たまに見るんだけど、
まあ、ね、
ゴッホはどんな人間かというと、
もう一言で言うと、
メンヘラの紐の男なんですよ。
しかも生涯貧乏。
うん。
で、あの、拳銃で、
最後、自殺、
多分俺はね、
自分で自害、自害っていうか、
撃って、
自分のこと撃って、
ううううう、撃っちゃった、撃っちゃった、
ってなって、
最終的に病気で死ぬんですけど、
えー、
ドメンヘラなんですよ。
ゴッホって。
うん。
で、
もうすごくそれが、
力強くて、
その中で、
いいなって、
いいなって思える、
人生を送っているんですね、彼は。
そうで、その中でゴッホは生まれて、
えー、キリスト教の、
教、
教師になろうと思ったりして、
そしたら、お前はキリストの教のこと何も分かってねえって、
クビになって、
あのー、
は?ふざけんな、じゃあやめろらーってなってやめて、
官釈持ちだったし、切りやすかったと。
で、それで、
親のコネで和尚に入って、
で、和尚でもうまくやれなくてやめて、
そして、
弟は超有名な偉い和尚になってくるんですよ。
テオって言うんですけど。
で、そのテオが人生を支えたんですよ。
テオがずーっと、
ゴッホに、
テオとの兄弟関係
金を送って、
いくらでも金を送ってってやったんですよ。
で、そのー、
なんだろうな、
仕送りが滞ると、
てめえモデルが、
モデル雇えねえだろうが、
金が送んねえと、
さっさと金を送れバカ野郎!
っていうような、
クソ兄貴だったんですよ。
うん。
すごいよね。
ん、もう、
何もできないダメ人間だ、みたいなね。
もう、
現代風に言うとシャフなんですよ。
ほんとに。
でも、それは、
なんだろう、
精神的にもう患っていたとか、
いろんな説が、
今はあるんだけど、
たぶんね、
なんか、
自己愛性境界性障害みたいなね、
ものをもう、
こじらせていたのか、
またね、
糖質だったんじゃないか、
みたいなことも言われてたり、
また目が弱視とか、
色毛だったんじゃないか、
なんていう風にね、
言われていることもあるんですけど、
その、
自分が正しいはずで、
自分は、
愛されたいと思っているのに、
全然愛されなくて、
自分がうまくいかない、
っていう孤独感、
の中で、
絵を描いていくんです。
永遠と絵を描いていくんですよ。
それが、
素敵じゃない?
もうなんか、
苦しいなって思うんだけど、
ぜひね、
ざっくりどんなんかっていうと、
電気映画とかにもなってるのでね、
炎の人ゴッホという、
電気映画も見てみても、
面白いんじゃないかなと、
思います。
ニートでね、
ニートだったんですよ、
もうずっと。
しかも、
絵売れないんだよ、
ゴッホは。
全然。
もうなんだろうな、
ほんと、
一生、
死ぬまで貧乏だったから、
で、
弟が、
テオがね、
金を送って、
大丈夫だよ、
兄さんの絵を、
俺が飾るよ、
とかやって、
永遠とゴッホは、
人物画とか風景画を、
ゴッホとゴーギャンの争い
描いていくんですけど、
ただ、
すごいのは、
ゴッホってめちゃくちゃ作品数があるんですよ。
もう寝ずに、
食わずに、
倒れるまで、
描いていたって、
だから、
画材の、
何だろう、
減りが尋常じゃなかった、
とか、
そういう風な逸話もあるんですけど、
もうそれで、
あれだよね、
好きな、
好きになった女に、
愛してるって、
結婚してくれ、
って言ったら、
お前ひもだろ、
ふざけんなって言われて、
すごい、
諦めたりね、
うん、
あと実家に押しかけたりするんですよ、
うん、
俺と結婚してくれ、
振られたけど考えてくれ、
あー、
って実家にね、
押しかけたりする感じで、
またそれで振られて、
あの、
病んで鬱になるっていうね、
それでその鬱になった時に、
描いた絵とかもあるんですよ、
もうどの時代、
そのゴッホの精神的な気持ちが、
どんな時代だったんだろう、
みたいな、
で、
そう、
えー、
ゴッホは、
そう、
それで風俗場とか、
そういう人間たちも呼んでいたりして、
その風俗場みたいな、
ものーに、
また恋してしまったりして、
うん、
なんかー、
いろいろね、
ほんとにダメ人間なんですよね、
そう、
愛せるところが、
すごくなんだろうな、
人間っぽいんですよ、
ダメな人間が、
必死こいて生きてて、
で、
その気持ちとか、
イライラとかをぶつける先が、
たぶんね、
絵しかなかったんだよね、
えー、
当時なんか、
特に正しく生きなきゃいけないとか、
特にえー、
ゴッホは幼い頃、
フランス革命で、
亡命も経験してたりするから、
そんな時代を、
だから、
正しく生きることとか、
で、
結構重視されてたと思うの、
品性方向に、
だから、
その中で、
自分の正しさが、
誰にも理解されないっていう、
苦しさとか、
侘しさみたいなものを、
絵にぶつけてたんだろうね、
ながら、
こんなに絵が、
力を持っているのだろうな、
なんていう風に、
思います。
でー、
やっぱり、
その中で、
ゴッホとゴーギャン、
ゴーギャンが一緒にね、
住んでいた、
という話を聞いたことがある人も、
いると思うんだけど、
ゴーギャンっていう、
偉大な作家がいるんですよ。
大人で、
とても優しくて、
えー、
ピカソにもね、
影響を与えたと言われている、
ゴーギャン。
そのゴーギャンと、
一緒に住んでいたんですね。
そう、
でー、
ゴッホが、
ゴーギャンのことを尊敬してて、
でー、
めちゃくちゃ好きだったんすよ。
お前は天才だ!
ってなって、
だから、
金払うから、
一緒に住もうぜ!
って言って、
一緒に住んでいたんですよ。
で、
その金を払ったのは、
テオなんだけど、
もう、
それで一緒に共同生活をしてて、
超短いんすよ。
ほんと、
9週間とか10週間とか、
確かそんなもんなんすよ。
一緒に住んでいるのって。
うーん、
2、
3ヶ月、
3ヶ月だったっけな、
どこかしか住んでないんすよ。
でも、
一緒に生活してて、
で、
超喧嘩になるんすよ。
もう、
メンヘラで、
あー!
ってなってるから、
そう。
それで、
ゴッホがね、
また、
なんだろうな、
お前の絵なんか全然、
意味がわからない!
みたいなことを言って、
それでゴーギャンも、
まあ、
ムカついたりするから、
また、
喧嘩になるんすよ。
いや、
ほんと、
ゴッホは色彩感覚で、
すごい、
なんだろうな、
奥行きがあって、
色で、
心を掴むんだよね。
でも、
ゴーギャンって、
なんだろうな、
奥行きが、
あって、
なんだろう、
トリックアートに近いような、
感じの見せ方なんだよね。
遠くにあるものが近くに感じたり、
柔らかさがあったり、
とか、
そう、
ゴーギャンは、
温かみのあるものが多いんすよ。
ゴッホって、
悲痛とか、
苦しさとか、
トゲトゲしい魅力なんすよ。
そう、
その中で、
全然二人が違うんですよ。
だから、
ゴッホって、
ゴッホって、
ゴッホって、
ゴッホって、
ゴッホって、
ゴッホって、
ゴッホって、
そう、
その中で、
全然二人が違くて、
同じものを描いてても、
全然違うんだよね。
そう、
でも、
ゴッホは、
ゴーギャンの、
その、
技法とか、
絵の描き方みたいなものを、
すごく盗もうとしたり、
いっぱいやったりしてて、
で、
めちゃくちゃこれで、
喧嘩になってて、
そう、
でも、
その後、
ゴーギャンも、
ゴッホのいいところを、
どんどんどんどん入れてって、
みたいな、
風になってて、
それで結局やっぱり、
なんだろう、
ゴッホ、
なんだろうな、
画家との方向性の違い、
みたいな感じでね、
喧嘩になるんだけど、
それで最後に、
ゴーギャンが、
お前の自画像、
耳、
おかしいぞ!って、
耳の形、
変だぞ!って、
言ったんですよ。
そう、
そしたら、
あの、
ゴーギャンは、
なんかいろんな説があるんだけど、
もう、
ゴッホの苦悩と表現
それで出てっちゃうんですよ。
うん、
お前、
お前の自画像、
耳の形、
変だぞ!って、
死ね!って言って、
多分出てったんですよ。
そしたら、
昔ね、
ゴーギャン、
耳の形が、
変なことに、
コンプレックスを持ってたんですよ。
小学生の頃、
からかわれたことがあるとか言って、
そう、
それで、
ゴーギャンにそんなことを言われて、
大好きなゴーギャンが出てっちゃったと。
もうなんか、
ゴホはゴーギャンのこと大好きなんですよ。
喧嘩もするし、
ムカつくし、
で、
でもゴーギャンが出てっちゃったー!
ってなって、
それで、
あのー、
付き合っている、
あのー、
風俗場に、
あのー、
髪剃りで自分で耳、
落として、
これは、
大事に取っておいてくれ!
って、
手を渡すんですよ。
あーもう、
メンヘラが過ぎない、
ほんと。
大好きなゴーギャンが出てったから、
あのー、
付き合っている風俗場に、
自分の耳切り落として、
大事なものだから、
取っておいてくれ!
って渡すんだよ。
やばくない?
うん。
そう、
そしたらね、
もちろん警察が来るよね。
そう、
それで入院します。
うん。
こいつはやばい奴だ!
って、
もう精神的に狂ってるって。
もう気が違ってしまっているということでね、
入院されるんだけど、
もうね、
かわいそうだよね。
テオが。
そう、
それをね、
テオがね、
またね、
手紙に書いて、
金を送ったりね、
病院行ったりしてるんですよ。
弟エラ!
って。
よく見捨てなかったね。
まあ見捨てるなんていう、
そんな時代じゃなかったのかもしれないね。
うん。
まあね、
それで入院したんだけど、
もうなんかすぐ、
俺はもう、
きちがいじゃない!
って。
俺はもう治った!
いい!
帰る!
つって帰って、
家に帰って、
耳がない自画像を描くんですよ。
はい。
だから、
耳がない自画像、
あの、
よく、
ぐるぐる巻きの包帯、
ぐるぐる巻きの耳、
あの、
耳がない5本絵を描いた、
描いて、
見たことがある人もいるでしょ。
あれは、
ゴーギャンを失った悲しみと、
そのー、
なんだ、
付き合っていた女に、
通報された、
裏切られたっていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
という切なさと、
でも自分で耳を切ったから、
もう俺にはおかしくない、
っていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
という切なさと、
でも自分で耳を切ったから、
もう俺にはおかしいところは何もない、
っていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
という切なさと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
っていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
っていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
っていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
っていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
っていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
っていう悲しみと、
なんで誰も分かってくれないんだ、
っていう悲しみと、
鬱であろうと、
どんだけ世の中のことに打ちのめされようと、
飯食わなくて風邪気味だろうと、
喘息が起こってようと、
永遠と絵を描いてるんですよ。
永遠と絵を描いてる。
だから、
なんだろう、
その時の感情とか、
苛立ちとか、
もう感情の表現方法が、
やっぱりぶつけどころが絵しかなかったんだよ。
だからゴッホテンっていうのはすごく魅力的。
耳を切った自画像も、
すごく、
なんだろうな、
自分と向き合ってんだよね。
どんな気持ちでゴッホはこれを描いたんだろう、
っていう風に思えるんですよ。
でね、
最後はね、
あの拳銃で、
自分の胸を打って、
病院に運ばれて、
テオが、
何をや、
兄さん大丈夫かいって、
病院から電話が来て、
って言って、
看病して、
弟と最後、
弟に見取られて死ぬんだけど、
そう、で、
今もね、
えー、
テオとゴッホは、
お墓は隣同士だ、
なんていう風には言われているんだけどね。
そう、
ね、
そうやっていう風に、
なんだろうな、
ゴッホ、
なんていうのは、
ちょっと昔の話だし、
手紙と絵がめちゃくちゃ残っているから、
どういう風に生きたっていう足跡が、
結構わかるけど、
けど本当のところは、
想像するしかないじゃん。
その想像が、
なんだろうな、
それこそ消化なんだよね。
とか共感、
勝手な決めつけでもいいよね。
だって、
なんだろう、
アートって、
見る側の感想に正解はないから、
そう、
えー、
俺は今、
今話した言葉に嘘があるかもしれないし、
間違いがあるかもしれないけど、
多分ざっくりそんな感じなんすよ、
ゴッホ。
是非ともね、
ゴッホ展、
しょっちゅうやってるんでね、
ゴッホっていうものを見に行ってもいいんじゃないかな、
と思います。
本物をね、
見るのって大事だよ。
本当に、
印刷物とか、
なんだろう、
モチーフになっているものじゃなくて、
その本物を、
目の前にして、
自分の目で見る、
スマートフォンなんかじゃ、
撮ったらもったいない、
何にも伝わんないって、
カメラなんかを通したら、
何も伝わらないっていうぐらいの感動と、
熱さと、
悲しさが、
絵には、
ちゃんと感じることがある。
はい、
という、
ゴッホの話でした。
是非ともね、
メンヘラになってね、
耳切り落としそうになってもね、
死のうなんて思わないで、
絵とかね、
表現方法にぶつけて、
生きてみてはいかがですか。
テオとの絆
ミンチガでは常にトークテーマを募集しています。
適当に何でも気軽に送ってください。
フッツーオーター感想もお待ちしております。
ツイッターでは、
ハッシュタグミンチガでつぶやいてみたり、
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またねー。