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2025-01-18 36:24

#32 ドストエフスキーの紹介、作品のテーマのすごさ / ヒョードル・ドストエフスキーの最高傑作『カラマーゾフの兄弟』その1

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今回は、文学史上最高傑作であるヒョードル・ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」です。

私が最も愛読している本です。
文学の魅力はあらすじではなく、具体的なシーンの中に現れます。
あらすじでは省略されるような、でも大事なシーンを集めてきました。
朗読とともに、彼が描いた深いテーマを一緒に深めていきたいと思います。
00:00
こんにちは。
こんにちは。
じゃあ、じゅうさん、今日は何にしましょう。
今日はですね、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟でございます。
来ました。
来ました。
ついに来ました。
行きました。本当についに来ました。
もう来ましたね。
山を持ちして。
そうだね。
本当に。
大長編。
そうです。文学史上最大の文学と言っても過言ではない。
来ました。
じゅうさん、折にやりたい。いつかやると言ってましたもんね、これ。初めてから。
そうですね。本当に。
いやー、なんか本当にね、いろんな方がいろんなドストエフスキーの本出してて。
でも本屋で。
あー、解説本?
ドストエフスキーの本見つけたら解説とかね、見つけるたびに買っちゃうの、とにかく。
あ、それくらい好きなんだ。
好きなのやっぱり。
そうか。
全然もちろん読めてないんだけど、なんかね、やっぱり共通してね、
やっぱりドストエフスキーって謎が多すぎるっていうものがあるんだよね。
っていうのも、例えば、鉄学者のアランとかって、ドストエフスキーを30回かそれくらい読んだ、生涯のうち。
おー。
ビトゲンシュタインとかは50回とか70回とかそれくらい読んだって言ってるのよ。
ほー。
それくらい、読むたび新しいし、読むたびに謎が残り続ける本なんだと思うんですよ。
あー。
それだけの人たちがそんだけ読んでるってことですね。
そうなんですよ。
ほー。
今回、ちょっとまず今日もドストエフスキーの紹介から少し触れていきたいなと思ってるんですけど、そもそもね。
はい。
ドストエフスキーのその表伝っていくつか出てるんですけれども、僕が用意したのは、今日のね、モチューリスキーっていう方の表伝ドストエフスキーっていう本があるんですよ。
分厚いっすよ、これも。
多分表伝の中でね、僕が見た限り一番分厚かった本ですね。
はーい。
この役者の方が、これは松下さんって方なんですけども、この方もロシア研究をもう生涯かけてやって、実際ロシアに住んで、ドストエフスキーと同じ空気吸って、この研究とかされた方なんだけど、
この方も後書きでね、何て書いてるかって言ったら、調べれば調べるほど、やっぱり分かんないんだって、謎なんだって言ってるんですよ。
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こんなに分厚いのを訳して、奥さんの手紙とかも訳されたりとか、いろんな研究してるのに、分からなかったって言うんですよ。
なんだろう、それ。面白いね。分からないっていうこと、気になるね。
気になる。気になる。
なんか、僕もやっぱり今回だからこのカラマドフの兄弟は使うんだけど、とにかく分からないというか謎というか、そういうものがたくさんあって、僕も扱いきれないんだけども、
でも、分からなくても胸に打つんですよ。これがいいんですよ。不思議なんですけど。分からないんだけど、何かがあることは分かるんです。
だから胸に打ってくるんですよ、この作品って。だから、今日もそこを紹介したいなと思ってます。
じゃあ、いつも以上に分かろうとしなくていいですね。
そうですね。
分かり得ないですね。
そうです。でね、僕も今回ちょっとこれ読むにあたって、YouTubeでいくつか見たんですけど、
オリアジのあっちゃんが解説とかなんかあらすじをね、しゃべってくれていたんですよ。
YouTube大学で。
そう。で、見たんですけれども、まああれはすごい、ものすごくすごかった。なんか喋りが上手すぎて。見事だった。
そうね。
見事だった。で、あれはね、やっぱりメインストリームなんですよ。
本筋、物語のメインストリームね。
そう。で、あれもやっぱ漫画をカラマーゾフの兄弟を読んで喋ってるって言ってたんだよね。
で、このカラマーゾフの兄弟はさ、僕が今持ってるのはまあ新潮文庫のやつなんだけど、だいたい1800ページぐらいあるのね。
で、文学ってやっぱその具体的なところに魅力があるのね。そのあらすじというよりかは。
で、何だったらカラマーゾフの兄弟に関しては、なんだろうな、ドストエブツキはそうなんだけど、メインストリームから揃えたところに魅力がものすごい詰まってるよね。
へー。
要はそれを読んできたんです。
へー。
そう。だからそのあらすじでは語られないし、えっとね、あらすじも僕もオチとかもそのメインストリームのあらすじは言うけども、それを言っても問題ない。
それを超える魅力がやっぱあるから。舞台の文章の中に。
なるほどなるほど。
はいはい。だから読んでない方もネタバレになるけど全然大丈夫。そのあらすじが問題じゃないの、これは。
うん。
この作品の魅力は。文学はそうなんだけど。
うんうん。楽しみだなー。
ねー。
うん。
ちょっとお話戻しまして、ちょっとロステルスキーの紹介。
そうですね。紹介から。僕全然知らないんで。
06:01
そうっすか。
ちょっと新鮮に聞きます。
はい。
了解です。中田さん読んだことありましたっけ?ロステルスキーの。
僕、罪と罰だっけよ、昔。
そっかそっか。
で、そのカラマーゾフは手が出てないっていう。
そうなんですね。
そういう感じで、そういう人結構いるんじゃないかなと。
多いよね。
多いと思う。
聞いてくれる人の中もね、いるかもしれない。
多いしね、面白いんだけど、保証とか、コシ屋さん行くじゃん。
そしたら、あの、大体、えーとね、そのこれ、僕たち新潮文庫、上中下巻なんだけど、
あの、上巻ばっかり置いてる。
みんな挫折してんのかな。
そう。
中巻下巻が綺麗なんすよ。
なるほどね。
3冊買って、上だけ読んで、とかなのかな。
そうそう。
途中でっていう。
そう。そういうことなんだよ。
確かにまあ、なんだろうな、難しいところはあるかもしれないけれども、
でもね、そんなことないと思うな、なんか。
それこそ筋を追わなきゃいけない、分からなきゃいけないと思って読んで挫折する人も多いそうですね。
分からなくても胸を打つところがあるね。
じゃあ、ちょっとドステフスキーの紹介なんですが、
はい。
あのね、おいたちみたいなものはなんか、ちょっと一旦今日は省いて、なんか彼のなんだろうな、
少し精神というか、なんか、そういうところをちょっと触れたいなと思ってるんですよ。
はい。
で、えっとね、彼が18歳の時にお兄さんに対して手紙を書いているんですけど、
そこの文章をちょっと読んでみますね。早速ですけど。
人間は謎です。それは置き明かさねばなりません。
もしも生涯それを説き続けたとしても、時間を無駄にしたとは言えないでしょう。
私はこの謎と取り組んでいます。なぜなら人間でありたいからです。
って言うんですよ。
おお。
すごいね、これね。
ドステフスキシギさんも謎っていう言葉を使って、
そう。
人間が分かんねえぞって言ってんだ。
そうなんですよ。
うん。
そして、なぜなら人間でありたいからですって。
それすごいですよね、なんかね。
うんですよ。人間じゃないの?ってね。
うん。
これね、ドステフスキってなんだろうな、やっぱり、
ありとあらゆる恋というか、モチーフが入ってる感じがしてるんですよ。
だから読む人によって、これは何の本だって、
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言えるのはこの人それぞれによって異なってくると思うんだね。
だけども、僕が感じてるのはね、
ドステフスキって生涯かけて、
このね、人間とは何かってことを小説を書くことによって探究し続けた人なんだ。
はあ。
でね、この人間とは何かっていう問いはね、どういう意味なのかっていうとね、
なんだろうな、
人間の行うあらゆる営みが考説されてるんですよ、そこに。
うん、その問いに?
その問いに。
例えば、罪と罰なんかもさ、人間が犯す罪だったり、悪の問題だったりっていうことがあるじゃないですか。
で、それを問わずして人間を考えることはできないってことなんですよ。
だから、人間とは何かっていうこの問いには、
罪とは何か、悪とは何かってことはもちろん入ってるし、
愛とは何かとか、ねえ、祈りとは何かとか、
この我々の日常を行う営み、すべてがこの問いに修練されていってるんだと思うんですよ。
そうっすよね。
そう。
それぐらいでかいっすよね。
それぐらいでかいし、なんだったらこの世界全て自分で見てるから、
この世界とは何かって問うてると思う。
同義ぐらいの勢いの、この家庭の広さの問いなんですよ。
この問い。
ですよね、ですよね。
そう。
別のところでね、カラマゾフって、別の手紙ではね、
こう書いてるんですよ。読み上げますよ。
意識するにせよ、しないにせよ、私が生涯苦しんできた最も大きな問題は、
神は存在するかということです。って言ってるんですよ。
これは今日扱っていきます。
神というものが存在するかどうかということが、
なぜこれほどまでに彼にとって重要で彼を苦しめてきたのかってことを、
カラマゾフの教で読んでくると分かってくるんですよ。
この神という問題も、日本で言うと、
例えば、あれに仏教がなじみがあるんで仏と言ってもいいんですけれども、
仏は存在するのかいなかとかでもいいんですけれども、
こういうものもさっきと同じで、
人間を語るには神や仏の存在を語らずして語れないだろうということなんですよ。
人間とは何かっていうところに修練されてるんだよ。
めちゃくちゃ面白いね。
その18歳の少年にそれを掛かしめる、どんな体験してきたんだろう。
そうだよね。本当に。
彼はね、10代の頃からね、ものすごい激動の人生を歩んでるんですよ。
12:05
そうなんだ。
今日ここではそんな触れられないけど、気になる人は調べてみてください。
そうだね。僕もね、この表伝とか読み切ったら、
なんかちょっとそういう会を作りたいなって気持ちもしてるんですけれども。
確かにね。特別会やってもいいかもしれないですね。
そうだね。
そうなんだよ。
この人間でありたいってことがどういうことかってことは、
ちょっとこれ、またカナマドフの兄弟読んでいくと、
もう掴めてくるから、分かってくる。
俺が作品を、全作品を貫いてるから。
この問いが、モチーフが。
それでね、
我の作品はね、どういう作品だったかってことに関して、
このモチュールスキーのね、表伝ドストウスキーの前書きのところが結構素晴らしくて、
それちょっと読んでみたいと思いますね。
ドストウスキーの生涯は極めて悲劇的だった。
その孤独は果てしがなかった。
テミトバツの作者の提起した天才的な問題は、
法廷老人大臣の理解を超えたものだったが、
それは人々が彼の中にヒューマニズムの説教者、
貧しい人々や知りたげられ恥ずかしめられた人々の大程度しか見なかったからである。
19世紀の人々には、ドストウスキーの世界は非現実的なものに思われた。
これ書いてあるんですよ。
これ、僕もこれ読んでちょっとびっくりしたんですけど、
ドストウスキーってデビュー作が、
貧しい人々っていう作品なのね。
で、そのデビュー作で一役有名になるんですよ。
もういきなり。
第二のゴーゴリーみたいな。
スターだもん。書き上がってくるな。
でも、そこから全然売れないっていう時期に入っていくんだけどね。
でも、そういう人であっても、
彼が扱ってる問題ってことを、
同時大臣は受け止めきれてなかったってことが書いてあるんですよ。
扱ってる問いの深さをみんな、もっと浅いところで見ちゃったってこと?
そうそう。
その人たちなりのレンズで受け止めてしまうから、
どうしても歪んで受け止めてしまうっていうのは人間の差がですけれども、
やっぱりある時代のメガネっていうものももちろんあって、
なかなか受け止めきれなかった部分も多いわけね。
15:03
ドストウスキーって生まれたのが1821年。
だから200年くらい前だね。
ほぼ200年前くらい。
だから、こうやって亡くなった後、
そして100年200年って経って、
真に受け止められてきた部分もたくさんあるんだってことが書いてある。
彼の作品っていうのは、
現実的なものに思われたっていう風に受け止められてたらしいんですよ。
そこ気になりますね。
これちょっと続き読むとね。
ツルゲーニフ・ゴンチャロフ・レフストルストイは、
ロシタヤ的中の揺るがぬ秩序を女子的に描き出した。
だがドストウスキーは、この宇宙は健康なものではない。
下にはカオスが揺れ動いている。
と叫んだ。
世は全て子供なし。
という状態の中で、
彼だけが文明の危機について、
世界に忍び寄るかつてない覇曲について語り続けた。
って書いてあるんですよ。
だから、世は全て子供なし、平穏。
平穏な世界に、今も戦争が起きてますけれども、
でも多くの国が平穏だったりするじゃないですか。
ドストウスキーが描いている作品って、
光というよりかは闇の側面。
悪の側面。
強さというよりかは濁った部分を、
徹底的に描いている人なんだよね。
それがとっても激しいわけ。
モームとかが言ってた企画があるんだけども、
彼の作品に出てくる人たちって、
演出に出会うことがないぐらい激しいって言うんですよ。
それぐらい激しい人たちが出てくるのね。
でも不思議なんですけど、
読んでいくと、
ああ、この激しい人は我々の中にいるなってことが、
感じ取れてくるんですよ。
でもそれを当時の人は、
少し異物、ちょっと違うように見てたっていう感じ?
当時のトレンドみたいなものからした時に。
そうなんでしょうね。
彼だけは文化の危機について、
世界に忍び寄るかつてない破局について語り続けたって書いてあるんですよ。
彼の作品って、なんだろうな、
予言的継承を鳴らしてるんですよね。
そうなんだ。
人間っていうものが、
自分自身を見失っていって、
18:03
神をも見失っていって、
彼にとって神が存在するってことはとても大きなことだったから、
神をも、人間は見失っていって、
どこまでも世界は、
私欲的な、闘争的なものになっていくっていう、
そういうことを、
現代まさにそうだと、
僕も思ってるんですよ。
それは環境破壊の問題だったり、
いろんな人類が作り出した文明病だったり、
こういう資本主義が行き過ぎているみたいな部分も含めてね、
人間中心になっていったっていうのが、
この大きな流れとしてあるじゃないですか。
大きな流れとして、
人間の中心になっていったっていうのは、
僕がこの本を、
これだけなんか惹かれているのは、
聖なるものっていうものを、
僕は、
考えたい、
大きなテーマになっている気がしてるんですね。
それは人間の中に、
人間の中に、
それは人間の中に宿っている、
聖なるものみたいなものが、
目覚めれば、
何か、
この21世紀っていう分岐点の時代の中で、
それを開花させるということが、
大きな転換になるんじゃないかって、
感じて、この本が気になって、
読んでる気がしてるんだよね。
さっき言ってた人間でありたいって言葉は、
彼にとっては、
人間が人間でなくなってしまっていってるってことが多分、
あるんだと思うんですよ。
それは、
人間っていうのは、
神の子だったり仏の子だったり、
聖なるものを宿しているんだけれども、
何かそれが、
失ってしまえば人間じゃなくなるだろうと。
それを開花することが、
それを開花することが、
人間なんじゃないかって、
僕はそういうふうに、
受け取ってるのね。
でも、人間とは何かなんて問いを持つのは、
何かしら強烈な、そういう人間に対しての、
ポジティブ・ネガティブ含めた、
あるいはそういう言葉では安っぽいぐらいの何か、
体験・感情があったんだろうなぁとは想像。
そうですね。
そうしないと問わない。
そうですね。
そうなんですよ。
彼は10代にして、
母を失い、
で、お父さんがね、
このカラマゾフの兄弟に出てくる、
父親に、
非常に似ているような方で、
21:02
とても豪欲で、
主治肉林みたいなね、
そういう感じの人で、
当時一応小さな地主みたいな方だったんだけれども、
雇ってる農家の方に殺されてるんですよ。
お父さんが。
彼にとって大きかったのは、
小説が売れない時期があって、
その時に、
反政府活動みたいなことをやるんだね。
反政府活動?
反政府活動?
今の政府に対して反対していくような、
活動を熱心にしていくわけ。
それで、
政府に捕まってしまって、
投獄されちゃうんだよね。
死刑判決を言い渡されちゃうわけ。
結果として死刑じゃなくなって、
シベリアに8人いるっていうことになったんだけれども、
その獄中の経験が、
ものすごい強烈だったみたいで、
そこで出会ったのが聖書だったんですって。
そう、聖書は、
聖書と初めて深く繋がったのが、
その獄中だったっていうことなんですよ。
聖書と出会いは作品世界にもすごく影響を与えてる感じがするってことだね。
あるね。
キリスト教のことを知ってなくても十分楽しめますけども、
もちろん、理解があったら、
それはそれで汲み取れることもあるしっていう感じなんだけどね。
この聖書が彼の、
宇宙っていう地獄の中にいる中での光だったのね。
有名な言葉があって、
ステフスキーが手紙に残してる言葉の中で、
これが、
彼に当たっては欠かせない言葉なんですけれども、
何て書いてあるかっていうと、
たとえ誰かが、キリストは真理の裸違いにいるということを僕に証明したとしても、
また事実、真理はキリストのうちにないとしても、
僕は真理と共にあるより、むしろキリストと一緒にいたいのです。
って言うんです。
なんかちょっと意外、ちょっと意外て僕は知らないですけど、
真理を求めてる人みたいな感じがしたから勝手に、
さっきの問いの立て方とかね。
そうですね。
そうなんですよ。
僕は真理と共にいるより、むしろキリストと一緒にいたいのです。
言うんですよね。
24:01
これね。
どういうことなの、それ。
分かり得ないけど、どういうことなんだろうね。
どういう思いがそれを書かせたんだろうね。
本当の真理っていうものはね、
世に皆さんが寄っている真理を遥かに超えてるんだってことなんですよ。
ここでっていう真理っていうのはなんかこう、
彼にとってはやっぱり科学だったり哲学なんかで解かないし、
心学だったりして追い求めようとしている、
さらにその先のものがあるんだっていうことだから、
真理と共にいるより、キリストと一緒にいたいのです。
って言ってるんですね、多分。
キリストとキリスト教って違うんですよ。
キリストとキリスト教会って違うんですよ。
当たり前ですけど、ここ一緒にしちゃダメなとこなんですよ。
キリストは好きなんだけど、やっぱり教会は、
キリスト教自体は嫌いだって人はいるんですよ。
リルケとかもそうだし。
キリストはさ、キリスト教っていうの作ってない。
亡くなった後にできていってるじゃないですか。
教会っていうのもあくまで人間が運営しているものじゃないですか。
だから人間が運営している限り、
至らなさとかもちろんあるわけなんですよ。
そういうキリスト教会の運営とか方針の仕方とかやり方とかに
納得がいかないって人たちって、やっぱりいたりするわけなんですよ。
まあそうですよね。
でもキリストというこの人の本当の意味での真理だったり愛だったり
っていうものがあるんだって、ステフスキーは感じてるわけなんだよね。
すごいなあ。
そういう有名な言葉があるってことなんだ。
そう。
ということで、ちょっと早速本編に行きますか。
だいぶ激動の人生なんだなっていうのを一旦だけでもわかった。
この作品自体はどんな立ちポジション、いつ描かれたの?
罪と罰の後なんですか?
そうそう、後々描かれてて、最後に描かれた作品なんだよね。
あ、最後なんですね。
1881年、60歳で亡くなってるんだけども、その1年前に出版されてる。
27:10
え、亡くなられる1年前に出版された本なんだ。
そう。
有名な話なんだけど、本当はこれ、続編があるって言われてたんですよ。
この作品ってね、最初に珍しく作者の言葉ってところがあって、
ドステフスキーがこの小説を読む前にっていう意味で言葉を書いてるんですよ。
ちょっと珍しいですね、小説ではね。
そうそう。で、自分が本当は書きたい部分があるんだけど、
その前に前提として語っておかないといけないことがあるって言って、
この作品をまずは作るって言って、
この作品を書いてるんですよ、カラマゾルの巨大。
本当に書こうとしたことはこの先らしいんですよ。
え、それがないんだ。
ない。
へぇー。
ないんだけども、
小林秀夫さんなんかも、もうこの作品はミタンなんかじゃ全くない。
もう十分に完成されてるって言ってるし。
まあ、作家が書きたいと思ってね、
生み出せるようなものじゃないから、これぐらいの超大作ってものは。
いいんですよ、これだけ残ったら。
なるほどね。
うん。
えー、ちょっとね、
作品に入るんだけど、入るんだけど入る前に、
この作者の言葉にちょっと触れときたいのに。
うん、行きましょう、確かに。
っていうのは、やっぱりね、ある言葉がこの作品をずっと貫いてるって感じるものがいくつかあるんですよね。
はい。
だから最初に味わっておきたいんですよ。
確かに。
うん。
で、えーと、まず、これ作者の言葉のところにね、
なんて書いてあるか、ちょっと読みますよ、中頃のところ。
うん。
なんて書いてあるか、ちょっと読みますよ、中頃のところ。
奇人?
そう。奇妙な、奇。
あ、奇妙な奇人?
うん、奇妙な。
人?
そう、人。
ふんふんふんふん。
この作品って、さっき言ったように、本当に激しい人たちが出てくるのね、もう。
あー。
こんな人はさすがにいないでしょう、というふうに言うんだけれども、
30:07
むしろ、彼らにこそ人間の核心を抱いていて、
そうじゃない普通の人ほど、実は奇人なのかもしれないんだってことを言ってるんですよ。
あー。
ね。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
ね。
うん。
うん。
うん。
そういうことをちょっと前段で触れてやるんだ、と思うんですよ。
ふーん。
珍しい。
ね。
いや、これどう思ったんだろうなー、ノステウスキー。
なんか、書いてあるんだよ、これ。
2ページぐらい読んで本を投げ出す人いるんじゃないだろうか、みたいなことが書いてあるんだよ。
あるんだ。
で、彼としては最後まで読んでほしいんだと思うんですよ、もちろんね。
で、だからそういうところでつまずいてほしくないっていうのがあって、こういうのを書いてると思うんだよね。
うん。
願いとしてね。
そう。
うん。
でね、本当にね、なんかもう、狂った人本当に出てくるんだけども、
その狂ってるのになぜか、まだ狂ってるだけとは感じられないんですよ。
もう。
ふーん。
もうその人のことがね、愛おしくさえ感じてくるっていうね、言葉が何か出てくると出てくるんだよね。
すっごいね、それ。
そう。そしてこの狂ってる人こそが、実は聖なるものを宿してるんじゃないか。
なんかね、そんな感じさえ感じてくる作品なんですよね。
ふーん。
うん。
じゃあまずはそういう鬼人という人が出てくるよと。
そう。
うんうん。
うん。
ちょっとじゃあ、それ生まれて中身入っていきますね。
うん。
で、えっとね、えっと中身でもちょっとね、あの、まあこれあれなんですよ、一応カラマードフの兄弟って言ってるから、
カラマードフ家っていうものが登場人物のメインの人たちで、親父がまあ殺されちゃうんだよね、誰かに。
うん。
でその裁判が最後行われるんだけど、でこのカラマードフ家には親父の息子に3人の息子がいて、
まあこれ実は4人なんだけども、まあ一旦3人の息子がいて、長男のドミートリーっていう、彼はもう親父にちょっと似てるんですよ。
ある意味でその強欲なんで、すぐ狂ったりして感情的になって、女も金も大好き、でもとっても聖なるものをね、信じてる人でもあるんですよ、同時に。
33:10
ふーん。
で次男イヴァンっていう人がとても聡明な知的な方なんですよ。
で彼は神を信じてない無心の者として出てくるんだね。
ふーん。
で三男が一応主人公だってこれまあ冒頭に書かれてあるんだけれども、アレクセイっていう、で彼は修道院に入ってるんですね。
シアセイ教会かなキリスト教に入っているという感じになっているんです。
で最初にちょっとね紹介していきたいのは、この主人公三男アレクセイの師匠であるゾシマ長老っていう方がいらっしゃるんですよ。
でまあこのゾシマ長老の言葉が本当にもう名言が出てくる出てくるっていう感じなんですよ。
もうなんと僕駆け写したことかっていう感じなんですけど。
へー。
うん。
でちょっとその言葉もね作品を貫いている感覚がするから、ちょっと紹介して最後にまた戻ってきたいって感じがして。
あ、いいですねいいですね。
だからそれもちょっと読んでみていいですか。
はい。
はい。
いきます。
ふい改めた一人に対する天の喜びは、行い正しき十人に対する喜びよりも大きい。
って言うんです。
みなさんもう一回お話いいですか。
ふい改めた一人に対する天の喜びは、行い正しき十人に対する喜びよりも大きい。
って言うんですよ。
この行い正しい十人の人たちの喜びを合算しても、ふい改めた一人の喜びには到底及ばないんです。
それぐらいふい改めた人の喜びっていうものは、もうないんだってことを言ってるんですね。
うーん。
そういうやっぱ悔いみたいなものとか、そういう悔いを改めるみたいなことが全編を通して。
ある。
その根底に流れてるみたいな感じなんですか。
そうでしょうね。
うーん。
あるしなんか僕やっぱこれ、僕も罪と罰から最初読んで、その後カナマゾフの兄弟読んだんだけども、うわーと思って。
これがあの、罪と罰の主人公のラスコール日本に言われてる言葉かもしれないと思ったら、何も言えなかったですね、本当に。
確かに今勝手に確かに繋がりを感じるの。
ええ。
うーん。
そう。
はー。
まあちょっと、そういうのも起きながら、なんかちょっとあまりにも前段長くなりすぎたところもあるんで、早速いいシーンを読んでみていいですか。
36:07
いきましょうか。
えっとね、ちょっとね、まず最初に僕が、今の僕が最も好きなシーンを読みたいと思います。
はい、いきなり。
いいっすね。
うーん。
36:24

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