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2025-05-31 58:09

#56 延命・救命治療をするのか否かの生命観(第五章) / 松永正訓『運命の子』その4

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今回は、小児外科医である松永正訓の『運命の子 トリソミー』です。

本書との出会いは、街録chでの配信がきっかけでした。

このラジオを通じて、
・松永先生の生きる姿勢や
・障害児をもつ両親の葛藤と受容するプロセス
を深めていきたいと思います。

街録chでの放送回
https://youtu.be/a7pmeD86ML0?si=WoWGvha7-drqt0R5

サマリー

このエピソードでは、13トリソミーの子どもたちに対する医療の倫理的観点が探求され、手術の必要性について議論が展開されます。また、具体的な医療ケースを説明しながら、短命の子どもに対する医師の心情が描かれています。13トリソミーを持つ赤ちゃんカオル君の治療についても語られ、西内医師は救命治療の判断を迫られ、医師間の哲学的な相違が明らかになります。延命と救命治療についての生命観が探求され、特に13トリソミーの子供に対する医療的選択の難しさが焦点を当てられています。医師と親の意見の相違や、手術のリスク、その結果が親子の時間に与える影響について深く考察されています。命の選択に関する難しさや、医療における親と医師の役割についても深く探求され、特に小児外科の現場で直面する倫理的な葛藤や手術の意義について考察されています。

短命と生命倫理の考察
こんにちは。
こんにちは。
はい。
続きですね。
そうですね。
我々収録日的には3回目の収録で、前回の収録から2週間空いてるんですけれども、
今日から第5章に入っていきます。
で、ちょっとだけ復習しとくとですね、前回第4章って、短命という名の運命っていうのを扱ってたんですよ。
で、そこでどんなことが語られてたかっていうと、短命っていうことをどういうふうに受け止めるのかとか、
手術っていうこととかを、特に例としては甲心裂、口が裂けてるっていうことを治すのかどうかとか、
人工呼吸器をつけるのか否かみたいなこととか、そういうことを、朝日君のケースを使って話してきましたと。
で、難しい選択なんだけど、結論せざるを得ない状況だから何かしら結論をつけてきましたと。
で、松永先生自体は、そういうお話を伺った後に、やっぱりいろいろまだまだ考えてみたくなっていったと。
それでいろんな小児会とか産会とか回ってですね、
そういう胎児の生命が選別されてしまう倫理の正当性みたいなこととか、
こういう障害を持って生まれてきた子どもに対する医療みたいなものをどういうふうに捉えてるのかとか、
そういうのを聞きたくなったし調べたくなったということでいろいろ当たっていく中で、
ある一つの小児会が書いた不思議な論文に出会ったんだっていうところで終わったところでございました。
手術の意義と葛藤
第5章はですね、論文の書いた先生に会って聞いたことを書いてくださっているんですね。
なのでこの朝日君のケースからまたちょっと変わっていって、
また別の十三トリソミーの子どもたちと医師の関わりについて見ていきます。
なるほどなるほど。
第5章はですね、タイトルは5回の手術を受けた十三トリソミーの子っていうタイトルなんですね。
朝日君のケースは手術受けないっていうことでやってきたんですけれども、
今回扱う子は5回手術を受けてきたっていうケースなんですよ。
なるほど。
それで生命倫理みたいなものとか、
そういう生涯生まれてきた子どもの医療の限界みたいなことをまた別のケースでちょっと見ていきたいということでございます。
はい。
大丈夫ですか。
大丈夫です。
OKです。
じゃあ読んでいきましょう。
読みます。
私が着目した論文はとても変わった結末になっていた。
普通、医学論文というのはデータに基づいて考案を練り、自分の下した結論をはっきりと書く。
そして自分の医療行為や研究成果の正当性を医学界にアピールする。
だがその論文の結末には揺らぎがあった。
13トリソミーの子どもに外科手術をして家族に満足してもらったが、必ずしも13トリソミーの子どもに手術をするべきではないと書かれていたのだ。
って書いてあるんですよ。
ここちょっと大事だからもう一回読みますけど。
13トリソミーの子どもに外科手術をして家族に満足してもらったが、必ずしも13トリソミーの子どもに手術をするべきではないと書かれた。
いたのだ。だからご両親は手術を希望したんだね。で、医師としても手術をしたんですね。
なんだけれども必ずしもするわけではない。って書かれてあったと。
するべきではない?
結末としてはね。だけど結論としては揺らぎがあるわけです。あるって書いてあるんですよ。
確かにね。論文としては珍しそうですよね。そういうことなんですよ。
こういうことをお勧めするとか、推奨する、こっちの方がいいって風に言い切る方が多そうですね。
そうですね。でもこういうのはやっぱり揺らぎがあるんですね。言い切れないところがあるっていうこと。
それがどういうことなのかってことをこれからちょっと見ていけたらと思うんですけど、続きを読んでいきますよ。
それはなぜだろう。朝日くんの両親は手術を拒否したけれど、この論文の赤ちゃんはなぜ繰り返し手術を受けたのだろうか。
論文を書いた小逃げ回の心の内にあるものを詳しく聞きたいと私は思った。
真夏のある夕刻に私はJR八王子駅でその小逃げ回と待ち合わせた。
時間が遅いせいで暑さは和らいでいたが、駅のコンコースを行き交う人の多さで日記を感じた。
八王子に隣接するビルの中にある北原ライフサポートクリニックで西名孝子医師に話を伺った。
西名医師は医師人生のスタートの時点にあたる研修医時代から話を起こした。
ここから西名さんが語ります。
私が研修医の頃、上司の先生から教わられたことは、13トリソミーや18トリソミーの子供に手術はしてはいけないということでした。
そもそも小逃げ回がなぜ赤ちゃんに手術をするのかというと、それは命を救うことによって子供が成長していくからです。
だけど、重症・染色体以上の赤ちゃんは短命です。
ですから、成長できないならば目の前に病気があるからと言って手術をするのは医者として正しくない。
単に子供の体に傷をつけているだけだと教育されたのです。
言ってるんですね。
で、これは私も全く同じことを言われました。松永先生も書いてます。
もう一回大事なところで確認しますけれども、
なぜ13トリソミーや18トリソミーの子供に手術をしないのかというと、
手術をそもそもするというのは命を救うためなんですけれども、
13トリソミーや18トリソミーの子供は、手術をしてもしなくても短命なんですよね。
だから手術をすることによる、むしろ負荷があったりするわけですから、
そこに苦痛を与えてしまうこともあるわけですから、
だから手術はしないほうがいいのであるっていうのが、
昔から続いてた、こういう子供たちへの対応方針だったわけなんです。
両方の先生もそういうふうに習ってきたというか、教わってきたってことだったんですね。
そうなんです。
そのことについて松永先生は、私もそういうふうに習いました。
西田先生はどう思いましたかって聞いたんですよ。
そうすると西田先生が答えます。
A、納得できる面はありました。
その頃は小児外科と成人外科の考え方の対立が議論されていた時代です。
大人の医療は、救命をすればいい。だけど小児は違う。
生きられない子供に対して、医学の名の下にメスを入れてはいけないという考え方です。
この考え方は基本的には正しいと判断して、
その後、東京大学医学部附属病院や国立小児病院で研修を重ねていきました。
って言ってるんですね。
この西田先生はそういう病棟で、そういうふうな考えに従ってやってきましたと。
でね、この国立小児病院とか西田先生が勤めてたところは、
日本で最大級の規模を誇る小児病棟なんですって。
なので、13トリソミンとか18トリソミンの赤ちゃんに出会う機会も多いんですって。
他の病棟よりも、病院よりも。
でね、そういった赤ちゃんに、下界的な病域があっても手術をしないということをどう思いますか?
下界的な病域があっても手術をしないということをどう思ったのか?
西田先生はこういうふうに言うんです。
普通の赤ちゃんと変わりがないんです。
染色体以上の赤ちゃんには特有の顔つきがありますけれど、
それでも一人一人に個性があって、普通に息をして、普通に生きているんです。
私、そういった赤ちゃんを見て、なぜ助けてはいけないだろうと疑問が少しずつ湧いてきました。
ってなっていったんですって。
直接相対してるもんね。目の前でね。
生きてるその子を見たら、いろいろ考えそうだったのね、確かに。
論理では確かにそうなんだけれども、いざ目の前にその人と、その命と出会った時に、
それでいいのかって、すごい大事な疑問ですよね。
そうですよね。
そう思ったんだけれども、病院って患者に対して手術をするかどうかっていうのは、
病院によるのかもしれないんだけれども、下界とか麻酔界とか、
いろんな手術に関わる面々が合同で会議をして決めてたんですね。
だから自分一人がそういうふうな疑問を出しても、
やっぱり即座に却下されるってことがもう目に見えていたから、
飲み込んでたということだったんです。
で、なんだけれども、この西田先生もキャリアを積んでいってですね、
やがて定居大学医学部付属病院の責任者、小児科医の責任者になった。
自分がだから決定できる権利を持つっていうことの立場になりました。
っていうことに入っていきます。
医療現場での選択
でね、読んでいきます。
ある日、定居大学病院に搬送されてきた赤ちゃんは、
18トリソミーの先定性食道閉鎖であった。先定性の新規系もあった。
西田医師は新生児科医から相談を受けたが、治療の対象外という結論になり、
赤ちゃんの命は天敵だけで支えられていた。
生後3週間を過ぎた頃、両親から申し出があった。
どうしても赤ちゃんに口からミルクを飲ませてやりたい。
だから食道閉鎖の手術をしてほしいという希望だった。
西田医師はこの要求を待っていたかのように手術の決断をした。
トリソミーの赤ちゃんに対する初めての手術だ。
手術の手配を済ませ、明日手術をしようと準備を整えた後、
夜明け前に赤ちゃんの心臓は突然止まった。
この体験は西田医師にとって強烈な記憶となって残った。
ということが起きたみたいなんです。
待っていたかのようにって。
やっとそれを手術できると。
やっぱりどっかで手術する方がいいのではないだろうかって思ってる気持ちもあり、
両親が口からミルクを飲ませてやりたいんだって。
口からミルクを飲ませるってことがどれくらい大事なことかってね。
なんかその思いも伝わってきて、よし手術しましょうってことになったんだけど、毎日が尽きちゃったと。
それでね、続きを読んでいきますね。
次に東京都立八王子小児病院に西田先生は勤めることになったんです。
ここでもまた18トリソミーの赤ちゃんと出会うことになります。
これちょっと読んでいきます。西田先生の言葉です。
ある時、18トリソミーの赤ちゃんが生まれてきて、その子には食道閉鎖がありました。
手術をするかどうか、この赤ちゃんに関しても私たちは悩みました。
ところがご両親が生後6日の段階で手術をしてほしいと言ってこられたので、私たちは準備に入りました。
でもやはり翌朝未明にその子は亡くなったんです。
って言ってんですね。
小松永先生の抱えている言葉ですけど、
手術の直前に心臓が止まってしまう赤ちゃんに続けざまに出会いにしないしは、改めて短命という言葉を深くかみしめた。
研修医時代の上司の言葉は、やはり正しくトリソミーの赤ちゃんには手術をしないというのが適切な判断に思えてきた。
だが果たして本当にそうだろうかと西内氏は考える。
ここから西内氏が言います。
カオル君の治療の始まり
短命と言っても、ご両親にとってはたとえ1週間でも意味のある命だったかもしれませんよね。
それと同時にこうも思いました。
二人の赤ちゃんは手術を受けたくなかったのかなと。
まあ私の勝手な思い込みですけれど、赤ちゃんに手術を拒否されたような感傷が湧いてきましたね。
って言ってんです。
ここから松永先生が書いている言葉ですけど、
上司の教えに反発する思い、現実を見せつけられた時の仕方がないという気持ち、
そしてまるで赤ちゃんに手術を拒まれたような落胆する心が交差する。
西内氏の気持ちは大きく揺れ動いていた。
そして2000年に13トリスミの赤ちゃん、かおるくん、カッコカメに出会う。
っていうので一旦ここ一区切りなんです。
うん。
ね。
2回続けたまでそう思うなったと。
うん。
赤さんにも拒否されてるんじゃないかってやっぱ思うほど。
揺れ動いてる感じが伝わってきて。
なかなかこんなにね、13トリスミ、18トリスミの赤ちゃんのこの手術の場面に出くわすというのもなんか珍しそうな気もしますよね。
わからないですけど。
これでね、まあちょっとこういう状況をした中で西田先生が次出会っていくこのかおるくんっていうケースに入っていきます。
読んでいきますね。
かおるくんは低出張体重児として生まれ、呼吸障害のために八王子小児病院へ搬入された。
かおるくんには抗心抗害率、多死症、小児症があった。
ところが幸いなことに手術を要するような新規経営はなかった。
染色体検査の結果は13トリスミを示していた。
病院の治療方針は胃管を使って栄養を送り込むことはする。
しかし呼吸が止まったときには、気管内相関や人工呼吸管理はしないというものであった。
つまり通常の治療はするが、救命や延命といった命に関する治療はしないということだ。
両親もこれに同意した。
これは新政治家だけの単独の判断ではなく、病院全体で会議を開いて医師の統一を図った。
手術の決断
この病院でも従来の方針のまま行っていた。
手術するかしないかというのも、病院全体での会議を開いて決めている。
だがカオル君は短命ではなかった。胃管を使った栄養によってカオル君は成長し1歳を超えた。
医師たちはカオル君を自宅へ返すことを考え始めた。
両親も喜んでそれに賛同した。
自宅へ帰るにあたり、両親はカオル君の甲心裂を気にするようになり、甲心裂の形成手術が行われることになった。
甲心裂の手術はいかに仕上がりをきれいにするかが問題なので簡単には進まない。
手術は2回に分割して行われ、カオル君は1歳7ヶ月と1歳10ヶ月の時に手術を受けた。
アサヒ君の時は同じように自宅へ帰っていく時に甲心裂の口が下げちゃってることの手術はしなかったんですけれども、
このカオル君のケースの時はしたんだと。
まあする方が一般的になんか思えちゃいますけどね、なんか素人的に考えるとね。
で別にいいと思うんですよ、いろいろあってね。
で、ここのカオル君のとこはまあしたということなんです。
はい。
はい。
で、2回目の手術が終わった直後に異変が起きた。
カオル君のお腹がパンパンに張ってしまい、黄色い腸液を嘔吐し始めたのだ。
急変の報を聞いて西内史は病棟に駆けつけた。
腹部のX線写真と腸の造影写真を撮影し、腸回転異常症による腸粘点という診断をつけた。
腸粘点っていうのは腸がねじれている、転換してねじれている、周りねじれているっていうことですね。
うーん。
腸がねじれてしまってるんで、閉じてしまったりして、うまく従案できずにオートしたり、みたいなことが起きちゃうという病のようです。
うーん。
はい。
腸粘点という診断をつけた。
もちろん甲心列の手術を行ったこととは何の関係もない。
カオル君には元々腸の先天器系があり、それが症状を表さずに隠れていたのが、
この時期になって突然腸粘点となってカオル君を襲ったのだ。
普通の子供であれば何の迷いもなく、
回復手術って読むのかな?腹を開く手術だ。
早くお腹を開かなければ腸が腐ってしまう。
ここに至って西内志は13トリソミーの子供に手術を行うか否かの判断を迫られた。
言ってみれば、研修院の頃からずっと疑問に思っていた命題に対して、
自分で回答しなければならないという状況に立たされたのである。
ね、ということになりました。
自分が意思としてどうするか決断する。
決断をもう一刻も迫って決断しないという状況になりました。
めんどくさいですからね。
そうなんです。突然予期もしなかったことが起きたっていう。
教科書がないのと違いますよね。
そうですよね。ほんとね。
そこで判断をする。
方針は決まってても迷いますよね。目の前でそういうことに出会うとね。
子供が苦しんでるわけですね。
それでね、カオル君の母親がずっとベッドサイドの椅子に座っていた。
母親が西内志に問いかける。
先生痛いんですか?カオルはすごく機嫌が悪いんですけれど痛いんですか?
西内志は即答していた。すごく痛いと思いますよ。
母親が言います。痛いのを取ってやれないんですか?
外科ではこの子を手術してくれないんですか?
西内志は考え込んだ。
この子はもうすでに後進列の手術を二回もやっている。
だから手術をやってはいけないというルールはない。
もし手術をしないのならばこの子の命を見放すということになる。
その場合何ができるだろう?
痛み止めとして麻酔を使ったとしても、
カオル君の長年点の痛みは取れないかもしれない。
痛みを取るためにも手術が必要だ。
その時時刻は深夜だった。
病院の各科の医師を招集して会議をやることなどとても現実的ではない。
西内志は自分一人の医師で手術を行うことを決断した。
外科にはもう一人若手の医師が病院に泊まっていた。
あとは麻酔科だ。
当時の八王子病院は院長がただ一人の麻酔科医だった。
西内志は病院長の自宅に電話を入れると病院長はすぐに車を飛ばして病院にやってきた。
こうして手術が行われた。
他名という言葉で括られる13トリソミーのカオル君に手術を行うことで
西内志は患者の痛みを取ることも目の前の病気を治すことも
そしてその後の命を延ばすことも同時に成し遂げた。
医師の哲学的相違
しかしこの手術は小二外科と小二科の間に大きな圧力をもたらした。
っていう一旦一区切り。
ここでちょっとつけますけど。
手術は無事成功した。
けども病院内の合気のプロセスをスキップしたことによって
圧力が生まれていくということなんです。
ややこしいですな。
なんかこの経験をするとさ、患者の痛みも取れたし、両親も希望してたし
命も得てきたし、いいことしかないじゃないかって思ってしまいますけどね。
素人目線でいくと思っちゃいますね。
何がそんな圧力になるんだろうと思っちゃいますよね。
あまり知らない世界。
そうなんですよ。
医療の世界。
そうなんですよ。
これ続き読んでいきますね。
はい。
もともとはカオル君に対して救命措置や延命措置は行わないというのが病院全体のコンセンサスであった。
それが西田医師の一晩の、そして一人の決断で、一人の判断で崩れたのだ。
小児科の医師の中には、トリソミーの子供を治療することに対して非常に否定的な考え方を持つ人間もいた。
そういった医師は、カオル君が心停止を来たした場合に心臓マッサージをしてもいいのかということに関して疑問を持っていた。
外科医が手術するからこういうことになる。
と、西田医師の緊急手術を否定的に捉える医師もいた。
この先、カオル君を誰がどのように見ていくのか。
小児科と小児外科の間で何度も会議が持たれた。
しかしそれは医学論争ではなかった。
医学的にどちらが正しいという問題ならば議論の末に決着がある。
だがカオル君の場合は医師の哲学の相違が両科の考え方の違いになっていた。
議論の決着を見ない間、両親の不安は募るばかりであった。
カオル君が生まれた時には延命治療はしないということに同意をしていた両親は、
いかなる手段を使ってもカオル君を長く生かしてほしいとこの頃には考え方が変化していた。
西田医師はそんな両親の気持ちを聞くに及び、小児科の医師たちに宣言した。
今後カオル君は外科で見ていきます。
一旦ここで告げます。
西田医師、西田先生っていうのは小児外科なんですね。
小児外科と小児科で論争があるんですよ。
小児科の先生たちは手術するべきではないっていうことを言っていて、
もういいです。私の方で見ていきます。
西田先生は言ったと。
よっぽど珍しいことなんでしょうね。
おそらく小児外科で重症患者の方を見ていくってことは、
結構なかったのかなと思う。
見ていくと。
どうなんだろうね。病院はいろいろ連携してやっていくものなのに、
もういいです。私のことでやりますからみたいな。
口出ししないでくださいと。
小児科の人たちの倫理もあるんだろうね。論理とね。
そうなんですよね。
ここがだから、我々素人には不思議に思えてきちゃうというかどうしても。
これは医学的にどちらが正しいとかはなくて、
医師の哲学の相違なんだって。
哲学の違いなんだっていうことを言うんですけど、
哲学って何なんだみたいなことになってくる気がしてて。
どういう哲学ですかそれはみたいなことを。
聞きたくなりますね。
そうですね。確かに。
今回はリシンナー先生側の視点ですもんね。
でもどういうことなんだろう。
推察するとそういうふうに、要は短命で救命することが難しい子さんに、
また痛みや、手術っていう苦しみを付与することが、
倫理的によろしくないんじゃないかっていう考え方なんですかね。
ちょっとわからない想像なんですが。
なんかもうちょっとありそうな気はするんですけどね。
本当に聞いてみたい感じするんですけど、
でも基本的には今述べてくれた手術としても結局変わらないし、
手術すること自体に負荷がそもそも伴うっていう、
この2点が大きいんだとは思うんですね。
これちょっと生命倫理に関わる部分だから、
素人なりに考えたいんですけどね。
そういう一般的な病院の考えがある中で、
手術の選択と変化する意志
自分の子供がそういう子供だったときに、
自分が親として医師に手術はできないんですって言われたときに、
どう反応するかって。
そういう考えならわかりました。手術しなくていいです。
そういうのも一つだし、
でも手術してほしいから手術してくださいって訴えるのも一つじゃないですか。
ってまず普通に思うんですよね。
このご両親も最初はそれに従ってたんだけど、
だんだんやっぱり状況が変わってきて、
今は何があっても手術してほしいんですって変わってきてるわけじゃないですか。
そもそもこれ変わるもんだと思うんですよね。
その変化していくことに、
親としても敏感になっていいし、何回も決断書いてもいいしっていうことがあると思っていて、
その気持ちを意思にぶつけるべきだって思ってるんですね。
で、かたや自分が意思だったときにどうするかって問題ももちろんあって、
意思は意思なりに意思決定が求められると思うんです。
このときに、僕これ読んだときに、
少なくとも周囲の声を考慮すべきだなって思うんですよ。
特にその実際のご両親の意思ってことを一旦は聞いてほしいなって思うんですよね。
そのご両親の意思をそのまま鵜呑みにするっていうのはまたちょっと違うんだとは思うんですけれども、
仮にご両親が手術してほしくないって言っても手術したほうがいいケースってあるかもしれないし、
逆もしかりで両親が手術してほしいって言っても手術しないほうがいいって決断もあるかもしれないから、
そこは最後意思が決めることも大事な部分が少しあるようには思うんですけれども、
少なくともご両親の声を聞いてほしいなとは思いますよね。
これ読みながら思ったのは、
13トリソミと一口に言うけれども、症状はすごい多様なわけですよね。
どこに危険や障害みたいなものが合併しているかっていうのも人それぞれ違うし、
その子の生命力みたいなものだって違うわけですよね。
で、なったときに、
さっきあった手術否定派の論理っていうのはもちろんわかるんだけれども、
じゃあ手術しても生きながられる可能性が低いって言うけど、それ本当ですかって、
手術して生き延びる人も実際1人以上生きている人もいるわけですよねと、
そうなったらうちの子供もその可能性ありませんかねって、
問うていいし、あるいは生きながられなかったとしても、
今の苦痛を取り除くために手術したいんですって、
その方がよくありませんかってことを問うていいと思うんですよ。
そういう意味では、これだけは嫌だなって僕は思ったのは、
13トリソミだから手術はしませんみたいな判断はね、この子見てないじゃないですか。
向き合わずに病床と向き合ってるだけというか。
これは本当に嫌だなって思ったのか。
医者のよくある仕事の姿勢な気がしてて、
普通に僕も体調崩して近くの内科行った時に、
なんか僕の方一切見ずに、僕の話もほとんど聞かずに、
ただの夏風邪ですみたいな。いやいやちょっと待ってくださいみたいな。
いつも以上になんか体だるくて喉痛いんですけどみたいなこととか、
なんかもっとこっちの話聞いてほしいし、
薬が何がいいかとかそういうのもなんかもうちょっと対話させてほしいし、
っていう気持ちに普通はやっぱなるなってやっぱ思ってて、
なんかそういうのを一切しない医者で、
っていうのはなんかすごい嫌だなって僕もなんか常々思ってて。
なんかそういうことが同じようなことが、やっぱり言えるんじゃないかなって思って。
そうだよね。実際そんだけやっぱそういうふうに手術を求める親御さんも
たくさんいらっしゃったから西田先生たちもほら、
もともとのね病院でも結構会議開かれたってことは、
多分求めてる人たちがたくさんいて。
でじゃあその会議に参加してた人たちがどれほどその子供を見ていたかっていう。
そうなんですよ。
まあちょっと難しそうだよね想像するには。
確かにそうだよね。
基本的には文業っていうかして、
担当医が話を聞くぐらい西田先生が話を聞くぐらいでしょうしね。
結構根深い話ともつながってそうですよね。
医療のね現場の医者は医者の大変さの日々いろんな人がどんどん来て超激無で、
一人一人をある種人として扱ってじっくり話を聞けない現場の根深い現状みたいなものも何かありそう。
そうその辺ともねつながってきそうだなとか。
そうですよね。
だからやっぱりその子一人一人を毎回丁寧に見る時にはもちろん行かないっていうのも分かるし、
なんだけどなんか、
とはいえ一つの命なんですよね。
なんかもどかしいよねだからね。
でも今回のこのさ、何でした?長年転の場合はさ、これは手術をしてよかったんじゃないかってなんか思えちゃう。
だからやっぱりこういうケースもあるんだってことを病院の学びにしていってほしい気がするんですよね。
分かんないししようとしてんだけど。
そうだね。
普通にそう思うよ本当に。
感情としては思うね。
べきだとまで行くかちょっと僕は何も分からない。
言い切れないんだけど。
まあね。
感情としてはそう思う。
よかったって思うよね。
確かにここ本の中には医師の哲学の創意って言ってくれてたから、どっちかっていうとこの生命倫理系の話かなと思ったけれども、
今中田さんと対話してみて実際にはこういう何だろう、業務としての効率性とか何だろうな、そういう話の部分とこの一つ一つを大事にするっていうこの思想の話との葛藤みたいなものもありそうですね。
ありそうですね。いろんな哲学、職業哲学みたいな話とか、バイノティア経営哲学みたいな話とかいろんなものが入った別にそうな感じですね。
だから価値が開かない議論そうですよね、想像するに。なんかこう折り合わなそうですよね、葛藤と対話しないと。この対立した考え方は。
それでちょっと西田先生はもう私の方で見ます、みたいなことを言って、これ対立ある状態で、
引き取っていくっていうことでちょっと読んでいきますね。
その後、河村君の腸の機器は一筋縄にはいかず、2歳と5歳の時にさらに回復手術、お腹を開く手術を要した。
後進列の手術を含めれば、河村君は合計で5回もの手術を受けたことになる。
腸の切除を繰り返したため、腸の長さが不十分になり、中心静脈栄養という点滴の管を心臓の近くにまで入れた。
この管から高カロリー有益という特殊な点滴を行い、胃管から注入する栄養剤と同時並行とした。
河村君は在宅介護と八王子小児病院での入院治療を交互に繰り返すときを重ねていった。
非常にゆっくりだが精神の発達も見られるようになり、親しく接する人には河村君の表情に笑顔が見て取れた。
両親も外来に顔を出すたびに満足そうな笑顔を見せていた。
ただ、全く平穏に自宅での生活ができていたわけではない。
痙攣は月に何度か起こしていたし、それがひどくなれば呼吸が止まることもあった。
両親はいつでもアンビューバックで肺に酸素を送り込む心構えをしていた。
一旦ここで一つの章が区切ります。
医療現場の現状と葛藤
2歳5歳の時にさらに手術をしたって書いてあるから、生きならが入ってますね。
で、もちろん手術しちゃって超短くなっちゃったから、その不都合ももちろん出ちゃって、
遺憾で直接いろいろ送っていってると、そういうことになっているようです。
続き読んでいきますね。
13トリソミーの子供を手術したことは西内志の心に何を投げかけたのだろうか。
西内志が言います。
大元にあった考え方は、手術してはいけない、助けてはいけないというものでしたが、
河森くんを見て、同じ13トリソミーでも一人一人違うし、やはり生きているという事実は重いと感じました。
13トリソミー、18トリソミーという概念で、すべて一緒くたにしてはいけないと思います。
さっき周りが話したことですね。話してしまいましたけど。
松永先生の記載です。
では、トリソミーの赤ちゃんに対して積極的に延命をしていくべきだと考えているのかと問うと、
西内志はそれも少し違うと言う。
西内志が答えます。
手術を受けると、手術の後で人工呼吸器管理になってしまう。
もしその期間を乗り越えて赤ちゃんが元気になればいいのだけれども、
もし人工呼吸器をつけている間に亡くなってしまえば、親との振り合いの時間を減らしたことになります。
それはよくありません。
だから手術を行うことで親子が一緒にいられる時間が増えるのか減るのか、
それを考えるということが一人一人違うといった理由なんです。
松永先生が記載しています。
しかしそれは相当に難しい判断だ。
答えを知っているのは神様だけかもしれない。
そうなんですよね。手術をした結果、亡くなってしまうということが起きれば、
親子が一緒にいれる時間が減ってしまったことになるから、
結局手術というものがうまくいくかいかないかって結果わからない世界があるから、難しいですねって。
仮にうまくいったとしても、人工呼吸器みたいなものをつけている期間が増えるみたいな話なのかな。
ちょっと読み違えてたらあれなんですけど。
だからその結果親子との振り合いの時間が減ってしまう。
単純に手術をするっていうのはリスクがある。
命を落としてしまうリスクがあるみたいな話以上の複雑なものがあるのかなって今聞いてて。
確かにね。それどういうことだろうな。
もし人工呼吸器をつけている間に亡くなってしまえば、親との振り合いの時間を減らしたことになります。
なるほど。本来それが手術がなければ、もうちょっと短く、命は短かったかもしれないけど、
親子との振り合いはたくさん取れたかもしれない。
手術することで少し生きながらやるかもしれないけど、
人工呼吸器の期間が長くなっちゃうから振り合いの送料が、
生きてる間の振り合いの送料は減ってしまうかもしれない。
そういうことなんでしょうね。
僕が素人ながらにさっきの長年点のとき、これはいいじゃないですか手術してって言っちゃったんですけど、
実際それも結果論良かっただけであって、それをしたことによって、
思っても見ない何か症状が何か起きてきたら、
結果良かったって言えます?みたいなことはもちろんあって、
だから難しい話、難しい判断なんですね、やっぱね。
神様のみみたいな、松原先生が書いてるけど、
AとBで比較してみたいな話でもない難しさがありますよね。
命の選択の難しさ
命、長生きすることと、少しでも長く生きることと、
それこそ例えば親子との振り合いの時間、少しでも多くあることと、
どっちがいいです?なんてことに言い切れる人っているのかな?みたいな話ですよね。
そうなんですよね。
それでね、そういう難しい判断で、答えを知ってるのは神様だけかもしれないって、
そう言うと西田先生はにっこりと微笑んだ。
これ西田先生が言います。
ええ、だから家族と一緒に考えるんです。
カオル君の場合は両親がああいう結論を出してくれました。
だけどもしあの時に親が、もういいです、これはカオルの寿命ですと言ったら、
自分はどうしたのだろうかと今でも考えるんです。
親を説得して手術をしたのか、それとも諦めて大量の麻薬を使って眠らせてしまったのかなと。
って言ってるんですよ。
だからそういう、おっしゃる通り難しいからこそ家族と一緒に考える。
家族と一緒に結論をひとまず出してみる。
なんだけども、それも一口に言うけれども、実際難しいよねと。
親が今回は手術してくれって言って、私もそう思ったから、一致したから、
手術したけれども、しなくていいって言われたら、私はしたほうがいいと思ってんのに、どうする。
ねえ。
親御さん自身も自分の本心がどこにあるかわからなくなってしまいそうに思うよね。
ねえ、ほんとに。
親と医師の役割
さらに小児外科の世界ってより難しそうだなと思ったのが、ここに本人が語れないっていう。
そうなんですよ。
大人だったらね、まだ自分の意思を示せるかもしれないんだけど、明示してほしくないとか。
ここに子供の声が聞ききれないままなのか、もしかしたら親御さんはそれを聞き取れるのかもしれない、わからないんだけど。
大人ほどが有名に語れない世界、それも難しそうだよね。
周囲の大人たちがそれを決定していく。本人のことを思いながら決定していくっていうのが。
それで次、こう書かれてあるんです。
はい。
命の選択をめぐって、これ松永先生の言葉なんですけど、命の選択をめぐって誰にも正当を出せない時がある。
西内志は、決めるのは親であり、責任を負うのは医者であるべきだと考える。
決めるのは親であり、責任を負うのは医者。
どういうことか、西内志が言います。
どうしても諦めざるを得ない命があるのも事実です。
手術をしないというのも立派な選択です。
しかし、手術を受けないと親が結論を出す時は、その最後の決定は医師がすべきです。
だってご両親はお子さんの思い出とともにずっと生きていくわけですよね。
後になって手術をお願いしておけばよかったと後悔することもあるかもしれません。
そういう心の負荷を親に負わせないように、形としては最後は医師が決めるようにすべきです。
親が手術をしないでくださいと言ったからそれに従うという態度は承認害としてはいけないと思います。
じゃあ親が決めて、医者が責任を持つってさっき書いてあったけど、
今のやつを読むと、最後は先生が決めるべきだと西田さんは語ってくださってるのかな?
そういうことです。
その決めたことには責任を持つと。
難しいけどね、それもね。
だって手術しないでくださいって親が言って、医師としては絶対後悔するから手術しますって手術して、
手術が失敗してしまったら、これ医師として同責任取るよってなるもんね。
そうだよね、すごい驚いたな、ある種。
親の決定を受け入れるものだと思っていました。
でも西田先生はそういうことも踏まえて、自分はこういうふうな医師としてのスタンス、
こういう仕事感を持つようになっていったと、この経験を通じて。
短命と生きる意味
でもすごく信頼したくなる感じがします。
そうですよね。
続き読んでいきますね。
カオルクに対して行った3回の腸の手術は、子供がよりよく生きることの意味の最高を西内志に迫った。
西内志がたどり着いた結論は、結論を決めないということだった。
そして人間らしくよりよく生きるというのも重要だ。
ある施設からの報告では、食堂閉鎖を伴う18トリソミーの赤ちゃんたちに手術をしたところ、
結局赤ちゃんの生存期間はさして伸びなかったという。
そのデータを単純に解釈すれば、18トリソミーの赤ちゃんに食堂閉鎖の手術をしても意味がないということになる。
西内先生が言います。
食堂閉鎖の手術というのは、かなり大掛かりな手術です。
生存期間が伸びなかったと言いますが、逆に言えば短縮もしなかったということです。
つまり、命を縮めるような手術ではなかったという考え方も成り立ちます。
すごい話だなこれ。
そうなんですよ。
これすごい話ですね。
意味をどう捉えるかって話。
意味がなかったって本当?意味って何ってことなのか。
そうなんですよ。
それによって親御さんが例えば後悔しない人生を歩めるかもしれないとか、もっとすごく複合的な、
単純にそれで延命できた、できなかったっていう話以上の意味みたいなものがあるって話なのかな。
受け取りながら今勝手に聞いてただけなんで、全然違う話かもしれないですけど。
だったら短くならないんだったらした方がいいって判断もあるんじゃないか。
そういうことだと思う。
一般的には生存期間が伸びてないんだから手術意味ないじゃんって言うけど、
いやいやいやいやって。むしろ短くしなかったっていうふうにも捉えられますよね。
それはどういう、その心はみたいなこともその後書いてあるんですか?
ここで西田さんが語ってる。
そこまで書いてあるんですか?
続きを読むと、こういった手術が赤ちゃんにとって命を脅かすリスクがないならば、
場合によっては赤ちゃんの延命につながるケースが出てくるかもしれない。
そうならば手術をやる価値はあるということになる。って書いてます。
そういう意味合いなんですね。
万に一つ伸びる可能性もあるし。
って話なのか。
一方失敗してしまうリスクもやっぱりゼロではないんですかね。
その辺はなんか。
そうなんですよ。
でもこれ西田先生は一般的なそういう解釈に対してでも、
いやそうじゃないんじゃないか。もっと違うことがあるんじゃないかってことを出して言ってるっていうのはすごくいいですね。
大事なことだと思う。
西田先生が言います。
手術の後にずっと人工呼吸器から外れなかったのならば、あまり良かったとは言えないでしょう。
でももし呼吸器から外れることができて口からミルクを飲むことができたらどうでしょうか。
お母さんにとって手術の後の命がたとえ1ヶ月でも口からミルクが飲めたらこんなに嬉しいことはありません。
これは大事なことだと思います。
って言うんですね。
これこの後松永先生が書いてます。
私の思考は巡り巡って短命というキーワードに戻った。
食道閉鎖の手術をしても命が伸びないから意味がないと考えてしまうと、長く生きることに史上の価値を認めることになる。
短命だから価値が低いというのはちょっと違っているような気がする。
書いてるんですよ。
そんな思いを私が口にすると西田石は目を細めてうなずいた。
西田先生が言います。
はい、そう思います。たとえ短くても生き抜くことに価値があるのではないでしょうか。
これちょっと読んだらもうこの書割りなので読みます。
松永先生が書いてます。
よりよく生きるということが何よりも重要ならば、朝日君の外科疾患は彼を苦しめていない以上やはり放置するのが正解なのかもしれない。
朝日君に心臓の手術を施せば少しは余命が長くなるかもしれない。
だがそこに喜びを見出してしまうと、短命と定まっている朝日君の今を否定しかねない危うさがある。
信人氏と慶子はそれを拒んだのかもしれない。
二人の決断は一見あっさりしたように見えたが、熟考の末にあったのかもしれないと私は思い直した。
この章の終わりにあたって書きたくないことを書かねばならない。
朝日君は11歳で生涯を閉じた。
病院の待合室で診察を待っている間に様態が急変し、命が果てた。
なぜ急変したのか、その時の担当医師にもよくわからなかったという、霧の中に溶けて消えるような命の終わり方だった。
って言って終わります。
今回の章もすごい、すごかった。
ねえ。
すごいなんか大事なこと書いてますね。
本当に、今を生きてる人、自分も含め、いろんな人に対して一言じゃない話というか、大事な話だと思いましたね。
ねえ、短命って難しいっすね、捉え方なんか。
とはいえ、短命だから価値が低いっていうのはちょっと違うような気がするって、それは本当にその通りで、その通りなんだけど、
でもそれをわかった上で、でも長く生きてほしいって気持ちは消えないわけではないしね、っていう気持ちもなんかあるから。
そうですね。特に自分の大事な人とか、身近な人に。
どっちもある。
ある種矛盾した気持ちが。
でもね、これここやっぱ印象的ですね。
お母さんにとって、手術の後の命がたとえ1ヶ月でも、口からミルクが飲めたらこんなに嬉しいことはありません。
これは大事なことだと思います。
ここはちょっとなんか大事にしときたいですね、やっぱね。
その一瞬の瞬間、ミルクが飲めたこの一瞬の体験って、ずっと母さんの中で大事なものとして残り続けますもんね。
その子にとってもそうかもしれないですね。
本当ですね。
これをその涼しいとこで、気上で議論してるわけじゃないってところに、このすごく切実さとこの本に書かれてることの、なんかこうとっても大事なとこがあるなと。
自分の大事な人、もちろん子供。
だから長く生きてほしい気持ちもあるし。
でも短命だから価値がないとも言いたくないみたいな。
お医者さんもそうですけど、これを本当にその現場で葛藤して判断してるっていう。
ここはもう、なんかここがすごいなんかすごい大事なとこなんだなって思いましたね。
すごい試練ですね、本当に。
これで終わりなので、一区切りつけましょうかね。
ちょっと続きまた、農大学書を読んでいきたいと思います。
はい。
はい。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
58:09

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