| 今回は、小児外科医である松永正訓の『運命の子 トリソミー』です。 本書との出会いは、街録chでの配信がきっかけでした。 このラジオを通じて、 ・松永先生の生きる姿勢や ・障害児をもつ両親の葛藤と受容するプロセス を深めていきたいと思います。 街録chでの放送回 https://youtu.be/a7pmeD86ML0?si=WoWGvha7-drqt0R5 |
サマリー
このエピソードでは、信斗氏とけいこ氏が短命の運命を持つ朝日くんの治療選択について率直に語り合っています。彼らの手術や人工呼吸器の使用に対する考え方は、家族の命に対する捉え方と密接に結びついています。信人氏と稽古氏は、短命の運命を受け入れながら、日々どのように愛情を注いでいるのかを語ります。また、短命という言葉の意味や家庭の幸せについても深く探求されています。さらに、障害を持った子供を育てることに伴う感情の葛藤や家族の役割についても議論されています。生命倫理や医療の限界に触れ、松永先生の実体験を通じて家族が迎える現実の厳しさが描かれています。
手術の選択
こんにちは。
こんにちは。
そしたら、前回の続きで第四章、短命という名の運命に入っていきたいと思います。
第一説って読めばいいかな。一字しか書いてないから、説って読みますけど、一説。
手術をしないという選択っていうところ。
早速読んでいきますね。
朝日くんの誕生から自宅へ帰るまでの話を聞く中で、信斗氏と慶子に尋ねたいことがいくつも浮かび上がってきた。
彼らが朝日くんの命をどのように受け止めて、自宅へ連れて帰るにあたり、何を選択し何を捨てたかだ。
以前の医療では、十三トリスミの赤ちゃんは見放されていたというのは知っていますか?
私の質問に信斗氏は、「はい。」ときっぱり答えた。
朝日くんの場合、何の治療もしないという選択肢は石川から示されたんですか?
そういう選択肢はありませんでしたね。当然だという顔で信斗氏は表情を引き締める。
重い病気ですよね。障害も残る。成長するかどうかもわからない。受け止めることができましたか?
どんな姿があっても朝日は朝日です。治療を受けるのが当たり前ですし、実際先生方もとてもよくしてくれました。
僕が病院から言われたのは、朝日くんを自宅へ連れて帰りましょうということと、奥さんの心のケアをみんなで考えていこうということですね。
だからそれをそのまま言葉通りに受け取りました。
というところがまず書かれてあるんですね。 これだから病院すごいですね。
やっぱり病院すごい。
すごいというのは、そのお母さんの心のケアも一緒に考えていきましょう、みたいなところですかね。
ちゃんと治療して自宅でやるようにやっていきましょう。
もしこういうのがあったから、このご両親もやっぱり病院に支えられて、ここまで来れてるっていう。
ちょっとじゃあ続き読んでいきますね。私は質問を重ねた。 正直なところ、自宅で朝日くんを見るのは大変なことだと思います。
在宅介護と言われて戸惑ったりしませんでしたか? もっと長く病院において欲しかったのに、退院を急がされたということはないのですか?
朝日には無呼吸不足がありましたから、自宅に帰ってそれを対応できるのかという不安はもちろんありました。
ですが、不安があるから病院に続けるというのは発想としてはなかったですね。 7ヶ月も病院にいて、試験外泊までして、状態が落ち着いていたのはだから、家に帰るのは当然だという感じでしたね。
私はその時、もし新生児科の医師から朝日くんの命を諦めたらどうですか? と聞かれたら、なんと答えたか聞こうと思った。
しかしそれはあまりにも拷問だ。答えは決まっている。 私は質問を変えた。
では手術はいかがですか? 手術を受けてから退院した方が安心して在宅介護ができるんじゃないですか?
朝日くんの動脈管改善に対して、新生児科は薬物治療を行った。 しかし効果はなく副作用だけが出た。
動脈管改善は柔度の危険ではないため、 手術自体は簡易と言っていい。
もし朝日くんが健常時ならば、薬物療法が効かなかった以上は手術になっていたはずだ。
動脈管改善は自然に治ることがある一方で、 血液の流れが悪くなって心不全になる可能性もある。
けいこは割り切ったような表情で語った。
朝日の場合は、動脈管の手術をすればそれで全てが解決されるわけではありません。
もしそうならば手術を選んだと思いますけれど、 だから自然に任せていいかなと思いましたね。
自然に動脈管が閉じてくれれば一番いいので、 手術はしないでくださいと先生にお願いしたんです。
なるほど。では行心交外律は手術しようと思いませんでしたか?
交外律とは、口の中の上あごが裂けている状態を言う。 このため口の中と鼻の中がつながってしまう。
飲む、食べる、言葉を発することが著しく障害される。
ただ朝日くんの場合は、交外律を直しても飲み物を飲み下したり、 会話をすることがありえない。
繰り返すが脳は発達していないためだ。 行心律は手術しないで放置すればかなり目立つ。
現にけいこは朝日くんの見た目を気にして、 外出するときに鼻の下にテープを貼っている。
そうであるならば、手術をして見た目を整えるという考えがあっていい。 信斗氏は少し考え込んでから口を開いた。
まあ考えはしましたが、手術を受けたいとは思いませんでしたね。 なぜですか?全身麻酔をかけられるとか、朝日くんの体にメスが入るとか、そういうことが嫌だったのですか?
けいこは、 別に私はその必要を感じませんでしたね、とあまり感情を込めずに答えた。
信斗氏の答えはまたもや意外であった。 いやー、顔を手術したら誰になっちゃうの?っていう感じでした。
誰になっちゃう?と私は思わず聞き返した。 手術をしたら朝日じゃなくなっちゃうような気がしたんです。
信斗氏は、手術をした後の顔を想像できないよね、とけいこに同意を求めた。
けいこもうなずきながら、 手術で唇を閉じてどうするのって感じかな?と返した。
私には彼女の言うどうするの?という言葉の意味がよくわからなかった。 けいこには朝日くんの顔を可能ならば綺麗にしたいという気持ちがあるはずだ。
それはつまり、13トルソミーという大きな病気の中では、 トルに足りないことという意味ですか?
けいこは そうかもしれません。
入院していた頃は命がどれだけ保つかという話ばかりでしたから、 口の手術をするということに頭が回らなかったのかもしれません、と小さく首をかしげた。
結局、甲心肛外裂もタシ症もタシッタの指が多い症状も、 医師の方から積極的に手術を提言されたことは一度もなかったらしい。
ただ朝日くんが退院した後で、信斗氏の父から、 甲心裂の手術を受けないかと聞かれたことがあったという。
信斗氏は手術に関しては自分でいろいろ調べたものの、 やはり手術を受けたいという結論には至らなかった。
その真理を信斗氏はこう解説する。
甲外裂の手術も心臓の手術と同じなんです。
もし手術をして痰が切りやすくなるとか、唾液を飲み込めるようになるとか、 何か朝日にとって良いことがあれば手術を受けると思います。
動脈管改善症は現時点では何の悪さもしていません。 手術をしても何か良くなったと実感できないでしょう。
甲外裂も手術してもおそらく何も変わらないので、 必要ないかなぁと僕は思っています。
というので第一手術は終わります。
人工呼吸器の決断
ありがとうございます。
信斗さん、これ僕の理解で前段のところなんですけど、 ここで言う私は松永先生のことです。
これ松永先生とご両親の会話っていう理解で大丈夫です。
ごめんなさい。ちょっと分かりにくかったですよね。
いやいやいや、私が聞き逃してるだけかもしれない。
一応確認。
そうですよね。
山椒とテイストがちょっと変わる。テイストというか。
そうですね。
書き手の視点がちょっと違うって感じですね。
そうですね。そうなんですよ。
いやでもそこは、様子の話すれば。
うんうんうん。
なるほど。
なんかここでも信斗さんのスタンスの取り方すごいですね。
そうなんですよ。
本当にね、これ奥さんはやっぱりでもその、 周りの目を気にするってことは当然だと思いますけどね。
新列の切れちゃってるところを直さないっていう。
気になるっていう。母として。
そうだよね。
でもこのお父さん信斗氏さんのスタンスはもう一貫してるんですよね。
だから本当に朝日コが楽になったりとか、そういう効果が見込めるんだったらやります。
でもそうじゃない。
なんかその、見てくれとかそんなのは関係ない話なんだよって。
そこが本質じゃないんだよって。
本当になんかこう命という本質を見ている。
なんか信斗氏さん。
なんかこういう領域、こういう状況においてなんか多分どっちが正解とかってないじゃないですか。
本当にそれとも。
そうだしっていう、その中でも、だから瞬中というか何だろう、葛藤とか迷いが当然多くの人にはあると思うんですけど。
信斗氏さんはその自分のこの軸を、何だろう、判断の軸が太くあるっていうのはまずすごいな。
なかなかすごいですね。
僕だったら絶対迷っちゃう。
やばいよな。
これがじゅんさんが言ってたことの一つの事例として。
なるほど。
これじゃあ続いて第2節、人工呼吸器の話になってくるんですよ。
これもするのかしないのか、これまたこれも一つの決断。
これ本当に決断の連続なんですよね。
なるほど。その決断を今松永さんが聞いてるみたいな感じで進んでいくんですか、この4週間。
そういうことです。
過去の決断を。
そういうことです。
変えました。
すいませんね、ちょっとそういう全体がなく読んじゃって。
全然です。
じゃあ読んでいきますね。
はい。
私はもう一歩踏み込んで、朝日君の命に直に関係することを聞いてみたいと思った。
それは、呼吸状態が極めて悪くなった時に、機関内送管をして人工呼吸器につなぐか否かだ。
繊細な質問ではあるが、私はこの先朝日君の家族と付き合う上で、絶対に避けて通ることのできない確認であった。
手術はすべて受けないということは分かりました。
人工呼吸器はどうなんですか。
もし朝日君の具合が悪くなっても、人工呼吸器はつけないと決めてあると、私は海浜病院の先生から聞いています。
このことは、はっきり言えば、私が地元で主治医を引き受けた理由の大きな部分を占めている。
だが今、私が知りたいのは、夫婦が朝日君の命をどのように捉えているかということだった。
はい、その通りです。と、信敏ははっきりと返事をした。
その決断はかなり大きなものだったと思いますが、いかがですか。
信敏さんが言います。
僕の中では、それほど大きくないですね。
家内に訪ねたら、彼女もそうだと賛同してくれたので、同じ気持ちなんだなと思いましたね。
松永さんが言います。
その気持ちというのは、機械によってまで生かされたくないということですか。
信敏はちょっとの間、言葉を探した。
そこまでして、支配されたくないというか、振り回されたくないというか、
人工呼吸器というのは僕らには無縁なものだと思っています。
ただ、考え方は変わるかもしれない。
でも、今の段階ではそう思っています。
私は支配という言葉に戸惑った。
こういった言葉を患者家族の口から聞いたことがない。
昨今の風潮として、人生の終末を自分の望む形で締めくくりたいという希望が増している。
全身にチューブが巻きついたような状態で最後を迎えることに拒否感を覚える人は多い。
野口氏は、朝日君のそういう姿を見たくないのかもしれない。
ちょっと痛い。まだ途中ですけど。
こういうことでした。
これは人工呼吸器をつけないと、
要は、
人工呼吸器をつけると少し命が流れるみたいなイメージがあるから、
そういうことをつけるつけないの違いが、私が素人だから。
俺もそうなんだけど。呼吸状態が悪くなるときがあるから、
やっぱりそれで命を落とすリスクはあるんだと思う。
人工呼吸器をつけると命が流れる。その通りだと思います。
リスクが軽減すると。
ただ野口さんはそれをある種、支配というか、朝日君を支配すること。
自分も含めて支配されることになると捉えてるってこと。
この本の中で、松永さんの外国チャンネルの動画でも確か語ってた気がするんだけど、
もう一人、合志病っていうのが出てきて、
その子は人工呼吸器つけてるんですよね。
それでとてもあの家族らしい幸せそうな人生を歩めるっていうことの話があって、
だからやっぱりこれも一概につけた方がいい、つけない方がいいってやっぱり言えなくて、
その家族の中で何か決断してっていうことになるんですよね。
この朝日君の家族はつけないということを決めてるという。
それがいいと思って。
いいと思ってっていうのが適切かわかんないけど、そういう判断をされてるんですね。
本当に一つ一つの判断がめっちゃ難しいなって。
ちょっとね、ここの最後松永先生の見解というか、ことが書かれてあります。
命の受け入れ
ちょっと読みますね、続き。
信人氏は朝日君の命を丸ごと受け入れている。
染色体以上も多発器系も、それらを朝日君の人格の一部と考えている。
13トリソミーという障害は、信人氏にとって乗り越えるにあたってそれほど高い山ではなかったのだろう。
だから甲心列の手術をして、かえをかえようとはしないし、人工呼吸器に支配されたくない。
家に帰ることは当たり前で、世間の自然とは無関係に生きて、朝日君の持っている命を精一杯生きさせようとしているように見える。
一方稽古の心情は何とも微妙だ。
テープで甲心列を隠しながらも、甲心列の手術に積極的な意味を見出してはいない。
諦めとは異なる受け入れの心が芽生えている一方で、完全に消化しきれない俊純や悔いみたいなものが心の中にくすぶっているように見える。
愛情は確かに深い。だが、稽古は信人氏が乗り越えていったものをまだ上り切っていない。
彼女の心の中にある二律背反は、今後朝日君に対する愛情が深まれば深まるほど拡大するだろうと私は予測した。
この説があります。
なんとなくそれまでの描写からも少しそういう感じがありましたもんね。稽古さんのそこに迷いじゃないですけど、少しそこにある葛藤みたいなことが。
稽古さんも本当に信人氏さんの存在は大きいですね。
稽古さんもし一人だったら本当に手術するかどうか悩んだだろうし、信人氏さんがもうはっきりパーンってしませんとか決めるから、いいよねって言われて。
え、え、え、あ、いいのかもしれないみたいな。わかんないけど想像するに。
そうだよね。だから稽古さん側から見えてるのがまたちょっと違った景色だったかもしれないですね。
逆にどうだったんだろう。
それがね、こっから入ってくるんですよ。こっからいいですよ。
すごくいい。
次第3節。短命だからこその人生っていうところに入っていきます。
読みますね。
誕生した日から朝日君は短命だという言葉を繰り返し投げかけられてきた。
NICUでは何度も呼吸発作が起こして命の危険があった。
そういった場面を見せつけられれば、短命という言葉は避けられない定めとして、嫌が多でも夫婦にのしかかってくるはずだ。
ところが信人氏は人工呼吸器を拒否するという朝日君の最後の姿を思い描いても、短命という言葉は需要していなかった。
こっから信人氏さんが言います。
短命という説明はわかりますけど、うちの子にそれが当てはまるかはわからないわけですよね。
彼の生きる力がどれくらいあるかによるし、先生方のお力添えもあると思います。
だからどうなるか決まっているということではない。
それより、僕ら夫婦ができることは何なのかということを考えますね。
もし短命というならば、その短い命の間にできることは何だろう。
信人氏は、死と向き合うことに今の段階では意味を認めていない。
短命という言葉に囚われるのは、彼の生き方にはさぐわないのかもしれない。
一旦ちょっとここで告げます。
これすごいですよね。
なんか、いやこれすごいな本当に。
他者から見ると、短命ということとどう向き合ってますかって聞きたくなっちゃうんですけど、
これ信人氏さんの今の現状だと、短命ということに向き合うということが適切じゃないんだということですよね。
それよりももっと適切な問いと向き合うことがあり、
それはこの子に対して、今我々ができることは何なのかって、もうこの子の身に尽きるんです。
短命かどうかはいいんです。
誰にもわからないことなんです。
だから僕らにできることは何なのかって、このことだけを今考えて向き合いたいんです。
そういう感じ。
短命に絶望するわけでもないし、
本当に自分たちにできることは何なのかってことに、
エネルギーを割いているっていう、この信人氏さんのあり方。
そうですよね。
かといって短命、少しでも長く生きてくれるだろうってことに何かこう、
縋るみたいな感じでもないもんね。
すごく、なんだろう、考えるべきことを考える。
考えなくていいことは考えない、みたいな、なんだろうな。
なんかその辺の受け止めの、そうなんですよね。
いやそうなんですよね。
なんか自分たちのコントロールできる範囲がどこまでかみたいなものとか、なんだろうな。
運命みたいなものの需要みたいなものも何かある、なんだろうな。
この辺の境をどこにするのかとか、
絶妙だと思うんだけど、何かあるんだよなこれ。
なんかここまでは受け止めるけれども、
ここまでは頑張るけれども、こっからはもう受け入れるっていうか。
何かあるんだよな。
稽古の思い
これってでも僕らというか、普通にみんなに当てはめられますもんね。
明日死ぬかもしれないし、
車に轢かれてとか。
分からないじゃないですか。
分からない中で何を考えて生きていくかみたいなことに追いつけて。
確かに。
本当ですね。
本当はそうなんですよね。
ですよね。
おっしゃる通り。
ここからね、お母さん入っていきますよ。けいこさんの話。
はい。
読んでいきます。
はい。
一方のけいこは、初めて医者の口から短命という言葉が出たとき、
気持ちが深く沈んだという。
これけいこさんの言葉です。
短命と言われて、それはそうだろうなと思いました。
これだけたくさんの障害があって、長く生きられるはずがないと思ったんです。
いわば、未完成のまま生まれてきたような状態ですから、
短命でも仕方ないかなって。
それに、もし長く生きてもつらいだけかなって松永先生が、
私は黙って次の言葉を待った。
これけいこさんが言います。
言いにくいというか、うまく言えないのですが、
短命だからほっとした部分もあるんです。
この状態がずっと続くのは、この子にもつらいし、私もつらい。
この子にもつらいし、私もつらい。
でも、いなくなるのもつらいんです。
こういう状態で生まれて、これだけ打ちのめされているのに、
さらにこの子がいなくなって、追い討ちをかけられるのは本当に悲しい。
私は、どこまで追い詰められるんだろうと思いました。
って言ってるんです。
まず続くんですけど。
これすごい本音ですよね。
これでいいなって思った。
胸の内を言葉にしてくれている感じがします。
これでいいなと思います。
やっぱり野口さんの受け止めが動くスパッと、書く早いから、
けいこさんの中で言いづらいこともあっただろうなとまた想像しちゃうし、
本当だね。
逆に葛藤した部分とかあったのかな?
分かんないですけどね、これは究極。
本当にただの無害者の想像ですけど、そういうのも感じちゃって。
短命だからホッとした部分もあるんです。
この状態がずっと続くのは、この子もつらいし、私もつらい。
でも、いなくなるのもつらいんです。
矛盾してるんですけど、そうなんですよね。
こう書いてくれるからさ、
それでダメだからホッとしていいっていうことを受け止められる人がいるかもしれないなと思って。
確かにそう思ってしまったって思っちゃいそうですもんね。
自分を責めてしまいそうだし、思っちゃいけないって思いそうですよね、このあたりって。
いいんですよ。
じゃあちょっと続き読んでいきますね。
はい。
私はけいこに尋ねた。朝日君のつらい状態が、もし仮に80歳になったら、
朝日君のつらい状態がもし仮に80年続いたら、それは母親としてつらいということですね。
だから主人が朝日が我が家に来てくれたっていう言い方をしますけど、
そういう余裕は最初は全くありませんでした。
松永先生が言います。
今はいかがですか。
けいこさん言います。
時間がたってからそういうふうに思えるようになりました。
そういうふうに思わないと私は立っていられないんです。
だから最初の頃は、あれが悪かったのかなとか、これが悪かったのかとか、自分を責めました。
最終的には運命なんだと思っていますけど、年齢のことを悔やんだり、また外からそういう声が聞こえてきたりすることもありました。
そこでしばらくけいこは黙った。やや会って、再び口を開いた。
朝日が生まれて、家族の幸せってなんだろうとつくづく考えました。
幸せの意味とか、何をもって幸せと言えるのかなって。
松永先生が、私はその先を待ったが、けいこはそこでまた沈黙した。
そんな簡単に出せる人はいないだろう。
私はシンプルに彼女に尋ねた。
朝日君を自宅で連れて帰ってよかったですか。
けいこは大きな声で答える。
それはもう当然です。
家に帰って苦いがかなったわけですから。
用意していた服も着せてあげられたし、家族も揃ったし。
もし一度も家に帰れなくて、あのままNYCUで命を落としていたら、私は立ち直れなかったと思います。
家族の幸せと運命
この言葉は鋭く私の無念をえぐった。
一旦ここで区切れます。
けいこさんのいろんな感情が入っています。
やっぱり最初は、あれが悪かった、これが悪かったって自分を責めたんだけれども、
最終的には運命なんだと思って、受け入れるようになっていったっていう。
これは本当に人間が生きるにあたって、根本から問わなければならない問いですよね、本当に。
根本から問わなきゃいけない問い?
うん、この幸せについて。
幸せについて。
幸せについて。
幸せについて。
幸せについて。
幸せについて。
幸せについて。
根本から問わなきゃいけない問い?
うん、この幸せって何なのかって。
あれはもう当然ですって答えるけいこさんの感じもすごく印象的でしたね。
家に朝日を見せて。
帰ってよかったですかって。
そこだけトーンっていうか、パワーっていうか。
あのままNICUで命を落としてたら、私は立ち直れなかったと思いますって。
うん。
それぐらい大きいんだね。
もうその実感覚ってやっぱり、結局わからないんで。
結局わからないけど、そこが大きな違い。
4人家族揃って、みんなでこの家で過ごせた。過ごせるって。
何かここに起きないっていうか、意味を感じてるのかな。
さっきじゅんさんが言ってくれた問い?幸福の問い。問いとも何かつながってそうな気がしますけどね。
そうですね。
それが私たち家族の幸せの形なんだっていうね。
じゃあちょっとこれ、続き読んでいきますね。
松永先生のまとめみたいな感じに入っていきます。
短命という言葉に、信斗氏と慶子は押し任されていない。
信斗氏はそれを無視し、慶子は自分を納得させて乗り切ろうとしている。
夫婦にとって短命という宿命は、今の段階では正面から見極むものではない。
朝日くんがどんな状態であっても、自宅へ連れて帰って一緒に暮らすということが、信斗氏と慶子の最低限の望みであり、
それが実現している以上は、この形を誰にも壊されたくないのだろう。
だから、もし朝日くんが健常だったならば、もし短命でなければ、という家庭への質問には、
何の意味もない。
短命だからといって、朝日くんの命に意味がないと思っている人間は、朝日くんの周りにはいない。
海浜病院や下静病院の医師や看護師たちが、朝日くんを懸命に支えているのは、気持ちが同じだからだろう。
障害を持った赤ちゃんの誕生を迎えると、両親が亡くなって、
亡くなって Fast surge mode
両親には喪失感が生じるという学説がある。
障害児の誕生は、
期待した健康の子供の死だからだ。
怖抱きながら死にあたって、私たちはいつまでも悲しみに浸ることができる。
あって 私たちは
いつまでも悲しみに浸ることができる そして長い時間をかけてその悲しみの中から
徐々に立ち上がっていく しかし生涯収を授かった場合には
親の務めとして 養育という仕事が待っている以上いつまでも悲しんでいる暇はない
すぐにでも需要することを急かされる 急かされることは良い方向にも悪い方向にも作用する
障害を持った子供の育成
稽古と信人氏の場合はそれが良い方向に進んだように見える 初期の段階でつまづいてしまうとそこから回復するのはなかなか難しい
信人氏の前向きな姿勢が稽古を救った部分は かなりあるのだろう
と書いております 現場でいろんな家族を見られてこられた松永先生だからこそ
すごく 描き方でしたね
この捉え方 僕ちょっとびっくりしたんですけど 障害を持った赤ちゃんの誕生を迎えると
両親には喪失感が生じる そういう学説がある
なぜかというと 障害児の誕生は期待してた健康の健常児の子供の死
だからだ
その表現が印象的でしたね
それはなんだろう思い描いてた 知らず知らずに思い描いてた未来の喪失 喪失だからってことかな
ねえそうでしょうね
でも幸か不幸か 障害児を授かった場合には
育てていかないといけない仕事が余っている 以上悲しんではいられない
言われてみれば本当そうなんだなって改めて気づかされた その日を行く
ってものが待ったなしで始まる これが
良い方向に働く家族もあれば まあ行ってみればそれによって追い詰められてしまう
ってことですよね
なんかそうかもそれが初期段階がかなり大事なんだって話もすごく多分これ本当に
松永さんが見るような方を見てきた実感覚なんだろうなぁと言って
それがやっぱり信越さんの存在が大きかったんだね
うーん ねえ信越さんみたいにやろうと思ってやれるわけじゃないからね
いやほんとほとんど多くの人が葛藤するから慶子さん 慶子さんもすごいんですけどね最終的にこれから良い方向にねえ
葛藤しながらも 進んでるからだからねー
ん
いや葛藤していいし葛藤することがむしろ当たり前だし
ちょっとこれあと少し読んでも4章が終わるので最後に読んでみますねはい この日夫婦から話を伺った後私は千葉県内の第一線で医療を行っている
3回新生児会小児神経会の間を回った そして胎児の生命が
選別される倫理の正当性と障害を持って生まれてきた子に対する医療の限界について 質問を繰り返していった
この世の中のあらゆる場所で朝日君のような弱い命が一つ残らず大事にされているか どうか知りたくなったからだ
受け付けられる話が聞けた一方で悲しい結末に至った家族の話もいくつかあり 生命倫理に明快な答えを出す難しさを改めて実感した
こうして専門家の医師たちと対話を重ねていた頃 ある章2回の書いた一本の不思議な医学論文に私は目は引き付けられた
というのでこの第4章は終わります
生命倫理と医療の限界
で 次の第5章がその
注目した論文とかそのそれを書いた章2回の方の話が入っていき また別のケースが紹介されていくことになります
なるほど 先ほどおっしゃってたちょっと今パッと忘れちゃったけど別のあのお病気
あ 本当にまだまだ違って同じく13トリトリソミンの子なんだけども 手術をたくさん受けたってこっちはね今度
ケースなんですよ こっちのケースも見ていくことによって
またこれその 生命倫理みたいなものをまた深く
ちょっと 向き合っていけるっていうことになっていきます
松永先生やっぱすごいですよねこれ このアクションを
していくって言うねこれ
ここなんだよなぁ ただ開業医としてね経営する範疇を超えて
トントンてるっていうか問いが大きいですとか すごいですよねそこからの動き方が
すごい 自分がその
この生命倫理に対する何かしらの回位を持たないとスタンスを取らないと 意思として向き合えないっていうかなんだろうな
適切な係りができないとか ねえ悔いして悔いが残ってしまうみたいなこともなんかあるのか
しっかりとやっぱスタンスとかをやっぱり決めなければいけないっていう ある種の意思としての責任感みたいなものを感じていらっしゃって
だから 自分でいろんなケースを探りに行きいろいろない人喋りに行きっていうことをして
いっていると
こういう仕事の仕方を ママすごいよなぁ
松永先生に聞いたら当たり前でしょとか言われそうですけど こういうふうにいきたいなぁ
なんか哲学者の方とかが通ってるピュアな 問い
ピュアに通ってるというよりは本当にまさが先生のある種の切実さも感じますよね これを決めないとこれがわからないと
その 仕事としてのスタンス取れないんだって話とか
もっと後現場のなんか生臭い切実さから生まれている なんか外方なんだなそういう問いに向かっていくって感じが
現場だなぁ
これがちょっと第5章もね本当に章鋭的な話が展開してくるんですよ それを聞くと
本当に ますますより一概に何かこの方がいいとかって言えなくなってくるみたいなことにちょっと入っ
ていっ ちょっとまた次回もぜひ聞いてもらえたら嬉しいなぁと思う
一旦状況は第4章ここで終わりなので終わりましょうかねはいはいありがとうございました ありがとうございました
40:21
コメント
スクロール