| 今回は、日本のヒルティとも言われる、法哲学者・三谷隆正の遺著『幸福論』です。 三谷さんの師匠は、新渡戸稲造、内村鑑三です。 ゆえに、この本には、武士道の精神と、福音的音色が混ざり合った幸福論が説かれています。 三谷さんを師としたのは、政治学者の丸山眞男さん、精神科医の神谷美恵子さんです。 幸福論という、人間の普遍的なテーマを、一緒に深めていければと思います。 |
サマリー
三谷隆正の『幸福論』について、彼が日本のヒルティとして知られる背景や、その美しい文語体がもたらす感動が語られています。彼の思想は武士道やキリスト教的要素が融合したユニークなものであり、文学や教育界に影響を与えた人物として紹介されています。『幸福論』は、彼の人生の苦悩と幸せの観点から幸福を探求する作品です。番組では、彼の著作に込められた哲学的視点や、彼が幸福とは何かを掘り下げる過程について議論されています。
三谷隆正と『幸福論』の背景
こんにちは。
こんにちは。
はい。
じゃあ、詩人さん、今日は久しぶりに新しい本ということですけど。
そうですね。
はい、何ですか?
はい、今日はね、三谷隆正さんの幸福論っていう本。
おー。
なんですよ。岩波文庫から出てるね。
三谷隆正さん。
おー、三谷さん。
うん。初めて見ます?
はい。幸福論って言うと、やっぱりアランに浮かべてしまいますが、初めて拝見しました。
アランとかヒルティとかね。三谷さんはこの幸福論っていうのを書いて、日本のヒルティって言われたりしてるんですよ。
文語体の美しさと影響
ヒルティ。ヒルティさんって人もいるんですね。
そう、ヒルティの幸福論も有名で、そうなんですよ。
三谷さんは何年ぐらいに時代的には生きてた人なんですか?
三谷さんはね、1889年に生まれてる。
へー。100年、130年ぐらい前?
そうだね。久喜修造さんって。
ほぼ同年代ですよね、たぶん。100年ぐらい前ですよね、久喜さんって。
そうそうそう。柳文義さんもこれ1889年。
和辻哲郎もそうだし、久松真一もそうだし。
文学者で言ったら室井才生とか、その辺りの人が生まれた時代で。
ほうほうほう。
一応ね、専門は法徹学なんですよね。
法徹学。
法徹学中の、法というものが人間の精神とか道徳とどう繋がっているのか、みたいなこととかを深めるような人なんですよ。
これこないだ東京行った時に、それこそ見つけて。
古書店で。
そう、古書店でね。
掘り出してきたんです。もともと欲しかったんですか、それを。
いやいや、今自分が幸福について考えたいなと思ってて。
それで幸福論であったから手に取ったんですよ。
へー。
じゃあ文さんにとっても三谷さんの方が初めて?
初めてなんですよ、そうなんですよ。
で、手に取ってみて、ページ開いたら、
あの、丸山雅男さんって有名な政治学者がいらっしゃるんですけど、のサインが書かれてあって。
え、なんでだろうと思ったら、その丸山雅男さんの師匠がこの三谷敬雅さんだったっていう。
ほうほうほう。
そういうことなんですよ。
へー、そんなつながりがあるのかと思って。
で、前書きを読んだら、めちゃくちゃ感動して。
おお、なるほど。
なんかね、まずこれあの、文語体なんですよ。
うんうん。
文語体ってあの、明治のね、書き言葉みたいなやつですよ。
あ、そうなんすか。
じゃあこれ今日この後読んでもらえたらその文語体の漢字もわかるってこと?
そう。
ちょっと今パッと想像できてないんですけど。
古い言葉ですよ。夏目漱石とか森鴎外の言葉とかって文語体なんですよ。
泉京華とか。
めちゃくちゃ美しい、文語体って。
もうあの平安時代の欧語言葉みたいなものが、そのまま書き言葉として凍結されて、この千年に千年を重ねて、もうなんかこう美が結実したような言葉なんですけど。
へー。
で、文語体にもいろんな幅があるのね。
僕も今その文語体が好きだから、夏目漱石とか森鴎外ってもう一回読み直し言ってるんですけど、その岩波文庫とかのちょっとだけ現代語訳されちゃってるのね。
あ、そういうの調整されてるんだ。
そう。文語体残ってるんだけども、ちょっとだけわかりやすい文語体になってるっていう。
で、当時の単行本とか渡るとガチの文語体なんですよ。だから文語体にも結構幅があるんですよね。
で、この三谷さんのやつとかはすごく現代語に近い感じ。
うーん。
そう。もともと文語体ってやっぱ明治の途中ぐらいまで残ってたんだけど、そっから近代化の流れでどんどんどんどん原文一体って言って統一しようって言って、こう言葉に。
まあちょっと文語体の中で話は別にちょっとなんかしたいぐらいなんですけど。
教育者としての三谷隆正
確かにね。なんかありそうだね、じゅうさん。語れそうだね。
文化は本当にいいんですよ。で、だからその途中からどんどん変わっていくんですよね。その今の形のいわゆる今僕らが使ってる言葉遣いに。
うんうん。
だからこの本が出たって1944年だから、終戦間近のところ。だからまあこの時代にしてはちょっと珍しいかもみたいな感じ。
へー。
で、その前書き本で美しいなってなったってことなんですか。
美しいなってなったねやっぱり。
うーん。
うーん。
なんかこの本はだからどうなんだろうな。まあ幸福論として哲学としての深まりがどこまであるかっていうことはまあ僕は学習じゃないからわかんないんですけれども。
なんか僕もちょっと反論したくなる気持ち多々あったんで。
それはさすがにちょっとその捉え方は仏教の捉え方をちょっとちょっと偏ってませんかねみたいなこととか言いたくなる時あったんですけど。
うんうん。
あのーでもなんかまあ文語体の言葉が美しいから胸に入ってくるっていうのはありましたね。
うーん。
面白いね。中身と中身じゃないところも含めた。
そうですね。
うーん。
そっかじゃあ買ったばっかだけどもうバーッと読んで。
そうですねなんかまだ僕も咀嚼しきれてないんですけど今日ちょっとこの時間で扱うことによってもうちょっとまた理解深めれたら嬉しいなと思っております。
楽しみ。
はい。でちょっとだけ三谷徳雅さんのことあの調べたんですよ。
はい。
なのでちょっとその紹介から今日も入っていいですか。
もちろんっす。
はい。
生まれた年はねさっき言ったように1889年生まれですと。
うん。
であのとても聡明な方なんですね。
うんうん。
で一校出身なんですね。一校って第一高等学校の略なんですけれども明治の時代にあった教育機関であって今でいう東大の一年生二年生のところに該当するのがこの一校だったんです。
その東京大学って当時は帝国大学だったんですけれども一年生二年生というので教養を学んでその後3、4年生になって専門の方に進んでいくというところになってました。
で明治はその3、4年のところが帝国大学になっていてこの1、2年の教養を学ぶところが一校だったとそういうところでございます。
へー。
多くの人が東大に入っていくっていうのでそこ出身なんですよ。
うん。
一校出身者の方って堀田都男とか川端康成さんとか高川隆之介とかまあそういう方々なんですね。
そうそうたる。
そう。
うん。
で一校で三谷さんの恩師と出会ってるんですね。
うーん。
これがびっくりして。
うん。
で一人が二戸稲造なんですよ。
へー。
一校の校長先生だったらしくて。
はあはあはあ。
まじか。
全然知らないわそれの。
あ、そう。
二戸稲造さんってさ武士道の本書いた人。
うんうんうん。
ですよね。
昔お札になってた。
そうですよね。
校長先生だったんですね。
そう。
うーん。
そうなんですよ。
で、
そうだからこの幸福論にも非常に武士道的精神入ってるんですよ。
うーん。
って僕は感じたなんか。
うんうんうん。
そう。
またちょっとそれ読んでいく時にまた触れていけたらいいなと思ってるんですけど。
うーん。
それは師匠ってのはいわゆる単純な校長生との関係じゃなくてもうちょい結構濃厚な時間を過ごしたのかな。
そうなんか読書会を一緒にやったりとかなんかこの後書き解説のところとかに結構三谷さんの人物像みたいなこと触れてくれてて結構な影響を受けたっていう風に書いてある。
そうだよね。
うん。
単純な校長先生って感じじゃなさそうですよね。
そうですよね。
関係性としてはね。
そうだね。
うーん。
でもう一人恩師がいるのね。
はい。
それはね内村勘造なんですよ。
へー。
なんか登場人物がすごいっすよね。
そうですよ。
すごいでしょ。
マーベルみたいな。
そうなんですよ。
うわーすごいって思って。
はい。
うん。
僕も二戸稲造も内村勘造も好きだから。
うわーそうなんすか。
うん好きです好きです。
それは。
これは読まねばってなんかなって。
確かに。
そうなんですよ。
変わらないっすねその系譜ね。
そうなんですよ。
へー。
内村勘造と二戸稲造も大親友なんですよここ二人とも。
うーん。
うん。
やっぱ内村勘造さん詳しくないですけどその方は学校とは関係なく出会ってんのかなみたいな。
内村勘造も市校にいたらしい。
市校にいたんだ。
うんうん。
へー。
でもね内村勘造もね二戸稲造もねその反戦的な立場に立つから結局学校辞めさせられたりしてるんですよね。
えー首ってことですか。
そうそう。
はいはい。
その教える内容が教育に良くないということで。
なるほど。
うん。
でも彼らは本当に正しいことを教えてると思ってやってるんだけども。
はいはい。
だから受言密にはね三谷さんがその市校いた時に内村勘造さんがいたかどうかはちょっと分かってないんだけども。
うーん。
でも内村勘造に二戸稲造から紹介してもらったのかな。
とにかくめちゃくちゃ内村勘造にも影響を受けたっていうふうなことが書かれてあって。
三谷さん自身も高校の時に洗礼を受けてクリスチャーになってるんですよ。
へー。
そう。
そういうことも影響しそうでした?読んでて。
めちゃくちゃある。
これだからキリスト教的幸福論と言ってもいいような感じがしてます。
うーん。
この幸福論には武士道の香りとともに福音的音色が響いてるわけですね。
美しい紹介ですね。
素晴らしいですね。
そこがこうちょっと混ぜ合ってるっていうのを聞くだけでちょっとワクワクしますね。
どういうことなのか。
そういうことなんですよ。
ここが近しい部分があるんですよ。
もちろん違う部分たくさんあるんだけど、共通点ってたくさんあって。
うーん。
それだからニトベイナ像も内村勘造も親しかったでしょうしね。
うん。
へー、そういう高校時代だったんだ。
で、その東大行くってことですか?東大中学。
今でいう東大。
そう、行く、帝国大学行くね。
で、その後、先生をずっとやってたみたいですね。
卒業後。
そう。
えー、学校の先生だったんですね。
そうなんですよ。
それは一校とはまた違うのかな。
で、一校でもう教鞭取ったみたいで。
えー。
名物教師だったみたいですよ。
あ、そうなんすか。
うーん。
授業が面白いぞと。
そう。
へー。
本当にやっぱ火花を散らすような魂と魂のぶつかり合いみたいなものがあったんじゃないですかね。
その時代のね。
ちょっと羨ましく思いますね、なんか。
いや、そうですよ、本当に。
うーん。
教師になったんだろうっていうのがちょっと気になりますけどね。
確かにね。
うーん。
うーん。
まあでも、人格形成においては重要な時期だしね。
うーん。
そこがやっぱり重要な教育の場だと思ったんでしょうね。
自分自身も高校時代のその時間がすごい濃密だったりしたのかな。
三谷隆正の人生と著作
それともすごくそこがいい出会いがいろいろあったのかな。
うーん。
うーん。
ああ。
うーん。
長いことやられてたのかな。
そう。
1944年に亡くなられてて、55歳で亡くなられてるのに。
で、その2年前の1942年まで一校に勤められてたみたい。
うん。
あれ、この本が、報復論を書いたのが1944って。
そういうことなんですよ。
はあ。
亡くなる直前に書かれてるんですよ。
今の時代感覚だと若いよね、明らかに。
若い。
55歳で亡くなられたんだ。
若い。
なんか結核をずっと患ってたみたい。
うーん。
そっか。
34歳の時に結婚してるんですね。
はいはい。
で、翌年35歳で長女が生まれてるんですけれども。
うん。
その生後3週間で亡くなってしまうんですって。
うん。
で、その娘が亡くなった4ヶ月後に奥さんも亡くなってしまうっていう。
え。
はあ。
その頃も先生。
その頃先生してる。
で、結核を患ってしまって、そっから。
うーん。
で、そっからね、いろいろ執筆されていくんですよね。
書き始めるのはその後なんだじゃ。
そうなんですよ。
はあ。
その後一番最初の本、信仰の論理っていう。
まあ人で心学的だよね。
宗教と哲学の間みたいななんかやっぱり。
うーん。
本を出して、まあこの本は記念のタムケなんですって言って。
亡くなった2人に対して。
うーん。
タムケル本として書き。
そっから何冊かこう書いていき。
うん。
多分健康状態の浮き沈みっていうのはまあいろいろある中で。
うん。
1944年に最後の幸福感を出すと。
ああ。
この本も厳密には、その後世に目を通してないって書いてあった。
後世?あの本の後世?
そうそうそうそう。
だからバーって書いて、その編集者とか後世史とかわかんないけど、
まあ後世史当時ないんかな。
まあ編集者が目を通した後のものを見ずに、もう亡くなってしまったって。
ああそういうことか。本人が目を通してないってことか。
そうそうそうそう。
うーん。
厳密には亡くなった1ヶ月後に出された本。
幸福とは何か
じゃあ本当のもう本当にギリギリまで書いてたものですね。
うーん。そうなんですよ。
何ならもう病に苦しみながら書いてたんじゃないかぐらいの。
そういうことだと思いますね。
うーん。
だからその前髪がね、なんか響きますね。
ちょっと読んでいっていいですか前髪。
いきましょうか。
いきますね。
短い前髪なんですけどね、ちょっとある部分だけちょっと引っ張りますね。
私は生まれてから今日に至るまで数え切れぬ幸福に預かるとともに、
また幾度か人が見て不幸とみなすような目にもあってきた。
私は幸せ者であり、また不幸せ者でもあるようである。
私は今ここにこの幸福論をものして、
我こそは各々の幸福をつかんで持っている。
だって我が幸福にならえと言えるような、
そんな幸福をこじし得るものではない。
私の心はしばしば鉛よりも重く、
私の目は断じ致命にして、
時になお女のごとくに涙に漂う。
私ごときは卑怯、病要衰残の、
憐れむべき一無用人にほかならぬかもしれない。
しかし、かかる私にもまた奪うべからざる幸福がある。
それは決してただの諦めではない。
もっと強い、もっと深い、もっと盛んな幸福とその喜びとがある。
私はその喜びを語りたい。静かに語りたい。
読者よ、静かに私の語るところを聞いてください。
っていう風に書いてあるんですよ。
このストーリーを含めて聞くと、
細部の意味合いが分からない言葉が確かにあるなと思った。
文体とか。
でも大きな流れとして伝わっているという感じでした。
今日はじゅんさんにちょこちょこ解説してもらいながら。
そもそも文語体って漢字とかを結構多用していって、
こういう言葉じゃどうしても同音異語が区別できないからさ、
漢字はすごく分けることができるから。
ちょっとね、そもそも文語体のものをこの朗読だけで伝えるのあれなんですけど。
まあそうなんですよ。
でもさっきちょっと読んでたところ、
私の心はしばしば鉛読みも重くて、
私の目は男児知名にしてっていう。
これ男児と男の子ですね。
で、知名にしてっていうのは論語の言葉でさ。
我十五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わす、五十にして天命を知るって言葉があるじゃないですか。
五十にして天命を知るの。
知名っていうのは知る。
知る名。
知る名。
これ五十にして天命を知るの、この名を知るところから来て、
知名って書くと五十歳って意味なんですよね。
だから私は男五十にしてってことですよこれね。
男児知名にして。
ときになお女のごとくに涙に漂う。
私ごときは卑怯。病よ衰残の。
これ病のもった衰弱したものですということですね。
病よ衰残の。
憐れむべき一無用人に他ならぬかもしれない。
しかしかかる私にもまた奪うべからざる幸福がある。
それは決してただの諦めではない。
もっと強い、もっと深い、もっと盛んな幸福とその喜びとがある。
私はその喜びを語りたい。
静かに語りたい。
読者よ、静かに私の語るところを聞いてください。
って言うんですね。
うん。
いいね。
いいですね。
いいですね。
いいですね。
本当になんかね、
いや一応亡くなった後に出たから一応になりますけど、
本当に遺書みたいな感じというか。
ここだけ聞くとその幸福みたいなことをすごく哲学的になんだろう、
めちゃくちゃ論理的に追跡して、
搬球してったっていう本っていうよりはなんだろう、
三谷さん自身のこの実感を含めた幸福、その喜びみたいなのを語っていく。
なるほどね。
聞こえるけど。
確かに確かに。
これはちょっとこの後も楽しみですね。
非常にこの本はね、哲学的論理立てで章が成り立ってる。
はぁ。
1章から6章まであるんだけど、
見事な論理展開でした。
例えば1章は何かタイトルついてるんですか?
1章はまずね、幸福論の歴史ってところから入って、
歴史からいくんだ。
ソクラテス学派から入り、
あ、なるほど。
プラトン、アリストテレス、
その後の弟子たち、ストア派、
ローマ時代、
ローマ時代って言ったら、
マルクサウェリウスとか、
その辺も扱っていき、
幸福論、哲学の共通点、
みたいなものを第1章で扱っていくと。
第2章はそれを踏まえて、
ここから三谷さんなりの幸福論が書かれていき、
幸福とは何かという章になっていくんですよ。
幸福とは何かですよね、やっぱり。
ちょっとこの今日、
第2章の幸福とは何かって、
ここちょっと読んでいきたいなと思ってるんですよ。
それが全編連絡テーマですか?
そうです。ずっと幸福とは何か。
タイトルだけ言うと、
第3章は苦難と人生。
第4章は新しき創造。
第5章が不幸の原因。
第6章は往復の鍵。
というので終わります。
著作の構成とテーマ
なんかいいですね、その章のタイトル。
いいですね。
なんかいいですね。
そうかそうか。楽しい。
今日はじゃあ2章とかを中心に。
でもね、2章から入り、
全体を扱っていきます、そこから。
一通り。
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