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2025-04-26 13:18

#49 祈り方・苦難について / マルクス・アウレリウス『自省録』(神谷美恵子訳)朗読解説その3

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今回は、マルクス・アウレリウスの『自省録』です。

本書を取り上げたのは、三谷隆正さんの高弟である神谷美恵子さん訳だからであります。

本書は、マルクス・アウレリウスの手記、いわゆる日記のようなものであり、
それゆえに、後世の人々に響くものになっています。

私のお気に入りの箇所をピックアップして、叡智を探求できればと思います。

サマリー

本エピソードでは、マルクス・アウレリウスの『自省録』を通じて、苦難に対する受け止め方や祈りのあり方について深く考察されています。特に、苦難を避けるのではなく、心を折れさせないようにする祈りの重要性が強調されています。

00:00
じゃあちょっと行きましょうか。
行きましょう。
はい。
ちょっと私が一番好きなところから行こうかな。
いいっすね。好きなものから食べるタイプっすね、ジョンさんね。
弁当とかもね。いいっすね。
読んでいきますね。
はい。
祈りの本質
神々は何もできないか、それとも何かできるか、そのいずれかだ。
もし何もできないならば、どうして君は祈るのだ。
もし何かできるならば、これこれのことが起こるようにしてくれとか、起こらないようにしてくれとか、祈るよりも、
これらの中の何者をも恐れず、何者をも欲せず、何者についても悲しまぬようにしてくださいと、なぜ祈らないのか。
って書いてあるんですよ。
おー。
ちょっとジョンさん、それ意味は伝わってる感じがするけど。
そうだよね。
ちょっとちょうだい、なんか解説じゃないけど。
神々は何もできないのか、それとも何かできるのか、そのいずれかだ。
これはいいね。
もし何もできないのならば、どうして君は祈るのだ。
何かできると思ってるから君は祈るのだろうって。
そうだよね。
だから神々はきっと何かできるんだよ。何かしてくれるんだよ。
もし何かできるんだったら、これこれ怒るようにとかこれこれ怒らないようにって祈るよりも、そうじゃなくて、何も恐れず、何も欲せず、何についても悲しまぬようにしてくださいと、なぜ祈らないのかって言ってるんですね。
ちょっと飛ばすと具体例があるんですよ。
他の者は祈る。
あの人間を厄介払いできますようにと。
ところが君は厄介払いをする必要を感じないことができますようにと祈るのだ。
もう一人の人間は祈る。
どうか私の子供を失うことのないようにと。
ところが君は失うことを恐れずにいることができますようにと祈るのだ。
って言ってるんですよ。
なるほどね。
確かに出来事を祈るよね。
もう一回もう一回。
二つ例を出してくれてたね。
一つは自分の嫌いな人を厄介払い。
もうあの人いなくなりますよって言うんじゃなくて、厄介払いの必要を感じないようにしてくれますようにと祈りましょうと。
自分の子供を失うことのないようにって、これもう戦争ばっかりの時代だから。
で、まだ医学も発展しないし、すぐに病になったり危機になったりとかっていうことで、そういう時代だから自分の子供を失うことのないようにと。
そうじゃなくて、失うことを恐れずにいることができますようにと祈るのだって。
なるほどね。
確かに手合わせて受験合格しますようにみたいな話とか。
大事な人が今年も幸せでいられますようにみたいな。
出来事を祈る。
けども、そうじゃなく、出来事をコントロールすることを祈るんじゃなくて、自分の受け止め方とか心みたいなものを変えるようにっていうか、コントロールできるように祈るみたいなことなのかな。
そういうことなんですよ。
目から鱗かもしんない、結構。
そうだよね。
苦難との向き合い
やっぱりどこまで行っても生きてる限り苦難は起こるし、もちろんそれが少ないことである方がいいし、健康でいられますようにってもちろん思うんだけど、でもいつかは病になるし、いつかは老いて亡くなっていくわけだしってことを考えるとやっぱり避けることはできなくて。
だからその受け止め方を自分が心が折れませんようにとか、非常に仏教的でもあるし、やっぱり苦難の重要さってこともわかっているのかもしれないなというか。
苦難の重要さ?
ドストエフスキーのカラマゾフの兄弟を呼んだ時もさ、やっぱり苦難というものが戒心をしてくれている。その人を神聖させてくれるっていうことがあるから、苦難は本当は人生にとって必要なものだったりもするわけじゃないですか。
ってことを考えると、その苦難が起こりませんように、というよりかは苦難に自分の心が折れません。
そこから自分は大事なものをちゃんと見つけるものにありますようにというかさ、そういう祈り方っていうね。
祈り方ってあるんだなって今知りました。
本当だね。
祈りの方向性とか。取り除きたくなっちゃうもんね、苦難とかね。起きませんようにってやっぱり。
忍者としては痛くなる感じと。
え、でもじゅうさん何なの?これ好き。一番好きって言ってたけど。
やっぱこれ目から泥汚れだったんですよ。
そういうことか。
でもこういうバリエーションがある。祈りには祈り方があるんだって思うと、途端にその祈りに対しての問いが出てくるよね。
そこから始まっていく祈りみたいな行為との関係性みたいなのがあるんだろうなってすごい思う。
この目から鱗体験っていうのもすごい大事そうですよね。
だしその方、何回聞いても名前は思い出せないんだけど、作者の方も何だろう。
その日何かそれを思うことがあったんだろうね、最後。着火点としては。ずっと考えてたかもしれないけど。
そうだね。これ、自分が自分に書いているということを踏まえると、あれなんじゃない?そういうふうに祈ってしまうっていう自分もいて。
それはそれでもちろんいいんだけれども、やっぱりもっと違う祈り方があるだろうって。
苦難との向き合い方っていうことを自分に今、占めてるんじゃないかな。
やっぱその苦難みたいなものが結構根底にあるんですね。苦難との向き合い方みたいなこととか。
まあ状況的にもこの方のポジション的にも当然そうなのかもしれないと。
そうですね。そういう言葉いくつか出てきてますね。今日も紹介しますけど。
向き合わせられないか時代的にも、役割的にも。
ちょっとじゃあ近いところ読んでみていいですか。
ぜひ。
いきますよ。短い言葉ですけど。
自己の内面への言葉
君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂の方が先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。って書いてあるんですよ。
君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂の方が先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。って。
しかもこれ前提が大事になってくるけど、誰かに読んでもらうために書いてるわけじゃないですよね。
そうですよ。
とした時のこの君は自分も入ってるよね。
むしろ自分。
自分だよね。
そうです。
古い立たせようとしてる言葉に。
そうなんだと思う。
そこにも味合いがあるよね。
味合いがある。
確かにそうだって。
教訓として受け取ることもできるけどさ、この人は自分で古い立たせだなって思うとそこに違う味合いがあるよね。
そうですね。
もう一回読んでください。
君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂の方が先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。
いやー確かにな。
いいでしょう。
いい。
それからね、これもちょっと近いところで読むと、生まれつき耐えられぬようなことは誰にも起こらないって言ってんですよ。
生まれつき耐えられぬようなことは誰にも起こらない。
これはもうね、ものすごく耐えられないことが起きているときにこれ書いてるんだと思いますよ。
これいつ書かれてるのかもちろん残ってないからね。
書き付けみたいなのはないんだ。
ないない。
でもマルク・サルリウスって奥さんに詐欺立たれてるし、子供も多くなくなってしまってるし。
いろんな悲しいことがあったわけですしね。
なんかドストエフスキーの亜量者が本当に、誰かの本当に苦しい瞬間にその欲しい言葉を泣いてみたいな回あったじゃないですか。
はいはい。
こういう言葉も誰かのそれになるのかなみたいな。
本当ですね。
この人はそれを自分で絞り出した、その状況の時にみたいな。
自分にかけたみたいなこととかもあったなって今聞きながら思い出してました。
本当ですね。
なるほどな。
いやなんかさ、これさ、生まれつき耐えられるようなことは誰にも起こらないって。
だから大丈夫。
ねえ、お前は耐えられるって。
ということさ、他人に言われたらさ、いやお前に何がわかるって。
なるよね。
なる。
だから自分が欲してる言葉はやっぱり自分の深いところから生み出さないといけない。
僕はその実感で自分でやっぱり詩を書いてるし随筆書いてるし、中田さんもそれがあってあれ書いてるんだと思うけれども。
でも方や有料者みたいな方に言ってもらえるからこそ響くってことはもちろんあるんだと思うんだよね。
僕らもこれ今マルクサウルリウスが言ってくれて受け止められるってところもあるし。
もちろんそういう側面もあるんだけど。
確かにね。
その両方なんだね。
もう人間の言葉じゃないんだよな、この辺の言葉って。
人間の言葉じゃない。だからこの方が自分の言葉として言ってるっていうよりはもうちょっと遠いところから掴んで表出してくれてる言葉みたいな感覚?
そう。人類の中に眠ってる英知の言葉。
そうだよね。誰にも怒らないとかさ、君とかささっきの。
この自分に投げかけてるんだったらその表現しなくていいような言葉もすごい印象に残りますね。
広いなと思って。
そうですよね。
俺の人生にはそんなことは起こらないって書くこともできるじゃないですか。
俺は全ての苦難を乗り越えられるんだとか言えることもできるけど、なんかもうちょっと広い言葉が。
ここにポンって置かれてる感じが。誰にも怒らない。君とか。
すごいそれが印象的だなと思って。
そうですよね。
ちょっとじゃあ、次。
確かにもうちょっと触れたいね。
行きますか?
うん。
13:18

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