今回は、文学史上最高傑作であるヒョードル・ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」です。 私が最も愛読している本です。 文学の魅力はあらすじではなく、具体的なシーンの中に現れます。 あらすじでは省略されるような、でも大事なシーンを集めてきました。 朗読とともに、彼が描いた深いテーマを一緒に深めていきたいと思います。 |
サマリー
このエピソードでは、『カラマーゾフの兄弟』に登場する重要人物スメルジャコフについて詳しく掘り下げています。彼の母親であるリザベータ・スメルジャーシチャヤの背景や、独特な存在感や振る舞いがスメルジャコフの人生にどのように影響を与えたかを探ります。また、彼の複雑な感情や育ち方についても考察されています。父親ヒョードルから認められず、孤独と苦悩の中で成長したことから、彼の人間性への探求が行われます。彼の内面に潜む恐怖や葛藤、聖なる父を持ちながらも不幸な境遇に育った彼の物語が描かれています。
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では、次行きます。
はい。
スメルジャコフの人物像
はい。いよいよ、イワンがスメルジャコフに会いに行く場面ですが、このスメルジャコフは、ちょっと丁寧に扱いたいと思ってまして。
はい。
ちょっとね、イワンとスメルジャコフが会話する場面の前に、まずスメルジャコフがどういう人間なのかっていうことを話したいと思います。
うん。初めてでしっかり扱いますもんね。
そうですね。
はい。
なんかね、僕、これも昨日、改めて明日何話そうかなと思って読んでたんですよね。
うん。
で、ふと思ったんですよ。
あの、アレクセイとスメルジャコフが対話するシーンってないなって。
おー。
あ、まあ厳密にはあるんですけれども、さっきみたいにアレクセイがね、スメルジャコフに神の言葉を運ぶっていうシーンはないんですよ。
うん。
うん。でも、本当はね、実は一番悲惨な人生を歩んでいるのがスメルジャコフかもしれないと思っていて。
本当はだからスメルジャコフに運ばないといけないような気がして。
うん。
運ばないといけないような気がしてというか、なんだろうな。
スメルジャコフは本当にね、すごい人生を歩んでいる人だから。
うん。
なんだろうな、こういう人に本当は誰かが神の言葉を運ばないといけないのに、やっぱり何かの縁でアレクセイが運ぶということではなかった。
うん。
これちょっと変な表現なんですけど、アレクセイがね、もしこのカラマーゾフの兄弟を読んだとしたら、アレクセイみたいな人が、ドステウスキーのカラマーゾフの兄弟の本を読んだら、スメルジャコフに一番眼差しを向けるんじゃないかって思うんです。
あ〜。
うん。
ユニークな表現、なるほど。
だから僕やっぱスメルジャコフって今回大事に扱いたいなって昨日思ったんですよね。
う〜ん。
じゃあちょっと話していきますね。
はい。
はい。
ちょっとあの、さっき前回読んでたのは下巻の中盤ぐらいなんですよ。
本当に終盤になってくんだ。
そうなんですけど、これちょっと上巻戻ります。
リザベータ・スメルジャーシチャヤのバックグラウンド
上巻いくつか何ページかパラパラスメルジャコフについて語ってる大事なところをちょっと昨日選んできたので、そこちょっと読んでいきたいなと思ってます。
はい。
で、まずね、執事が結構大事なんですよ。どういう生まれか。
で、スメルジャコフのお母さんの話をちょっとしたいと思ってます。
はい。
で、スメルジャコフのお母さんはリザベータ・スメルジャーシチャヤって言うんですね。
うん。
で、このスメルジャーシチャヤっていうのは悪臭のひどい女って意味なんですよ。
うん?
うん。
うん。
そういう名前?
これね、あだ名らしいっすね、これは。
お〜。
う〜ん。
うん。
人々がそう呼んだっていうことなんだと思うんです。
う〜ん。ひどいあだ名だね。
う〜ん。でね、スメルジャコフという名前はこのスメルジャーシチャヤっていうところから来ている。
で、スメルジャコフは悪臭のひどい男って意味なんですよ。
うん。
まずね、名がね、まずこれ。
うん。
で、じゃあこのお母さんリザベータ、これどういう人かちょっと読んでいきます。
このリザベータ・スメルジャーシチャヤというのは、
死後、この町の新人深い老婆たちの多くが目を潤ませて改装した通り、140センチそこそこしかない非常に小柄な娘だった。
二十歳の娘らしい健康そうな幅の広い血色のいい顔は完全に白痴の顔だったし、眼差しはニューワでこそあったが少しも動かず不快だった。
一生の間、夏も冬も粗末な朝の肌着一つに裸足で通していた。
羊の毛のように縮れた恐ろしく濃いほとんど真っ黒な髪がまるで何か巨大な帽子みたいに頭にかぶさっていた。
それだけでなく、いつも地べたやぬかるみで寝るため、いつ見ても髪は土や泥にまみれ、この早、気変やカンナクズなどがこびりついていた。
ちょっと飛びます。
もっとも彼女は神がかり業者ということで、町中どこでも食べさせてもらえてたから、家に帰ることは滅多になかった。
主に商人や商家のおかみさんたちだが、町の情け深い人たちの多くも一度ならずリザベータに肌着一つでいるよりは真っ白な格好をさせようとしたし、
冬になるといつも革街灯を着て長靴を履かせてやるのだが、彼女は大抵おとなしく着せてもらって立ち去り、
どこか主に教会の入り口あたりで、プラトーク良し、スカート良し、革街灯良し、長靴良し、恵んでもらったものを必ずそっくり脱いで、全部その場に置き捨て、
それまで通りの肌着一つに裸足という姿で行ってしまうのだった。
髪がかり行者、初めて聞いた。
行者っていうのは修行僧のことですね。髪がかった修行僧。みなが。
そうか。
みなが崇めたというか、みなが敬愛したというか。
これちょっとイメージ湧かなくないですか。外見、冒頭読んでいくとホームレスみたいな感じに見える?
そうだね。だからちょっと意外だった。
差別を受けていたような感じとかなのかなと思いながら聞いてたら、そういう髪がかり行者。
そうなんですよ。
これね、不思議なんですよね。
ホームレスの人たちって、日本でももちろんいて、多くの人が見て見ぬふりをして通り過ぎるじゃないですか。
もちろんホームレスを、ためのNPOっていくつもあるし、そういうふうに働きかけてくれる人もたくさんいる。たくさんいるんだけども、一方で見て見ぬふりをして通り過ぎる人もいる。
下げすむ人もいる。嫌悪感を感じる人もいる。
それなのに、みなが服を渡したりとかしてっていうことを行うんですね。
これね、ロシア聖教の中にね、聖愚者っていうのがあるんですよ。愚者。愚かなもの。愚者の前に聖なるもの。聖愚者。これ聖人の一つなんですよ。
これね、聖愚者ってネットで検索するとね、写真が出てくるんですけどもね、中田さんに今見せるけれどもね、たとえばこういう感じなんですよ。
ちょっと言葉奪われるんですけどね、こういう姿をした聖人がいるっていうのがロシア聖教にはあるんですね。
それは家代々とかじゃなくて。
そう、家代々とかではなくて。ボロ切れ一枚で徘徊していて、暑さ寒さ上に耐え、だけども人々のために祈ったりする。
何か世俗を逆境した存在なんですね。
そういうふうに崇められてるっていうのがあるんですよ。
でも崇められてるにしてはひどい名前だよね、あだ名とかね。
だから片方ではそういうふうにしか見ない人もいたってことなんでしょうね、きっとね。
その両面があるんだ、そう見るか。
でもねこれね、多くの人が彼女に施しを行うんですよ。ちょっと続き読んでいっていいですか。
はい。
やがて父親が死ぬとほかならぬそのことによって彼女は、これリザベーターのことね。
リザベーターの父親が死んでってことですね。
やがて父親が死ぬとほかならぬそのことによって彼女は、町中の新人深い人たちすべてにとってみなしごとして一層愛すべき存在になった。
また実際誰もが彼女を愛しているかのようだったし、少年たちでさえからかったりいじめたりしなかった。
この町の少年たち、それも特に小学校の生徒などはわんぱくな連中なのである。
知らぬ家へ彼女が入っても誰一人追い出そうとはせず、むしろみんなが可愛がり小銭を恵んでやる。
小銭をもらっても彼女は受け取るなり、すぐに教会や刑務所の募金箱に入れてしまう。
市場で若田や三日月方の白パンをもらえば、必ず最初に出会った子供にその白パンをやってしまうか。
出なければこの町の一番裕福な奥さんか誰かを呼び止めて与えるのだった。
いやーすごいなぁ。振る舞いとしても。
こういう振る舞いをするからみんな神がかり行者として、成人のように揉み出して、子供たちでさえ。
そっか。それがスメルジャコフのお母さんか。
ちょっとイメージで違いました最初。勝手にイメージしてた。
そうでしょ。すごいでしょ。
最後の一文も何気ない文章ですけど、これすごいこと書いてるなと思ってね。
もう一回。
市場で白パンをもらえば、必ず最初に出会った子供にその白パンをやってしまうか。
出なければこの町の一番裕福な奥さんか誰かを呼び止めて与えるのだった。
確かに改めて聞くと。
子供に渡すのわかりますね。
十分すごいけどねそれも。でもわかる。
出なければこの町の一番裕福な奥さんにって言うんですよ。
これどうしてだろうな。一瞬わかんないね。
そうなんですよ。こういうのが神がかりなんでしょうね。これで。
しれっとこんなことが、ロスティーブ付き入れてくるんですよね。
詳しくは書いてないってことですね。
書いてない書いてない。こんなのはもう。
さらっと読み飛ばしちゃいそうな。
言われてみると確かに。
これ読むと、奥さんたちもむしろ喜んで頂戴していた。
彼女自身の食事は黒パンに水だけと決まっていた。
こうやって次の話に入っていくんですけど。
俺これ読んだときに、これすごいなと思って。
持たざる者が持つ者に与えてるんでしょう。
聖書に貧しい人は幸いであるって言葉ありますけど。
これ体現してるなと思って。
あなたは物質的には豊かだけども、
あなたの内面は空っぽなんじゃないんですかって。
そんなこと言わないですよ。
そんなこと言うと反発しますしね。
でもそういうのが振る舞いから語られてる感じがするというか。
これ奥さんもわかってないですけど、受け取った奥さんも受け取ってるから。
でもこの行為自体が一つの問いかけ?
なってるかもしれない。
問いかけない。
だからその裕福な奥様をある種救おうとしてるような行為なのかもしれない。
そういうことですね。
スラハンそのものじゃなくて。
彼女にはその人たちもある種の苦しんでる人のように見えるんでしょうね。
そうだよね。すごいね。
すごい人ですね。
そのさらっとした一文の味わいの深さがやっぱりちょっとすごいですね。
俺じゃあちょっと入っていきますよ。こっからです。
さらにすごくなっていきます。
ヒョードルとの関わり
さて、こんな出来事があった。
もうだいぶ以前の話だが。
ある時、満月の明るい暖かな9月の夜。
我々の概念ではもう極めて遅い時刻に。
夜遊びしてきたこの街の上流人士たち5、6人の
したたか者ばかりの酔っ払った一団が
クラブから裏道伝いに我が家に向かっていた。
小道の両脇には生垣が続き、
その向こうには立ち並ぶ家々の栽園が長く伸びていた。
小道はこの街では時として小川と呼ぶ習わしのある
悪臭のひどい細長い水たまりに駆け渡された木橋に通じていた。
生垣の脇のイラクサとヤマゴボウの茂みの中に
この一行は眠りこけているリザベルタの姿を見出した。
いっぱい機嫌の紳士たちは笑いながら彼女を覗き込むように立ち止まり、
ありとあらゆるハレンチな冗談を飛ばし始めた。
ふいに去る若い貴族の頭に
誰でもいいがこんな獣を女として扱うことができるだろうか。
なんなら今すぐにでも。
という許しがたい問題に対する全く常軌を逸した疑問が浮かんだ。
皆は傲慢な嫌悪な色を浮かべてできないと結論をした。
ところがたまたまこの一段の中にヒョードルがいて。
ヒョードルってお父さんのことですね。
アレクセタ氏のお父さんね。
ヒョードルがいて、すぐさま飛び出すなり、
女として扱えるばかりか、むしろ大いに望むところだし、
一種特別な刺激があっていい、などと言い切ったということが起こるんです。
そうか、その兄弟とミトリたちのお父さんが出会うんだね。
すごい嫌な嫌悪感のあるシーンだけどね、ここまでのときね。
こういうことが起きてしまって、スメルジャコフって生まれてきたんですよ。
そっか。父親との関わりはあったのか。ヒョードルとの関わりは。
スメルジャコフの出自
そうなんですよ。スメルジャコフって父親ヒョードルのお召し使いなんですね。
ヒョードルは知ってる?息子だって。
どうなんかな、そこな。
知ってますよ、それは。だって自分が犯して生まれた子がスメルジャコフってわかってます。
だけども、自分の息子と認めてないです。
そこにもね、スメルジャコフの悲しみがあるんですね。
だから本当はね、4人兄弟なんですよ。カラマゾフ家って。
カラマゾフの兄弟って。
そう。お母さんだってこれ、あれですもん。
ヒョードル二回結婚してて一人目の奥さんとできたのが長男とミトリで、
イワンとアレクセイは二人目の奥さんとできてますからね。
二人目の奥さんはもう亡くなってしまって、今ヒョードルを一人ですけどもね。
みんなお母さんが違うけれども、スメルジャコフも4人兄弟なんですよ。
でもそう認められてはなかった。
どうなのかな。その事実も知らないんじゃないかな。どうなんだろう。
ヒョードルとかイワンとか他の兄弟たちが。
明確に書かれてないんだ。それが知られてるとか知られてないとか。
知らないんじゃないかな。知らないでしょうね。
だって三兄弟ってなってるし、もしアレクセイしてたらスメルジャコフに対してもやっぱり会いに行くでしょ。
育ての親の影響
そうだよね。
だからこの物語はスメルジャコフの視点で見た時にまた全然違う風に見えてくる感じがしました。
少し飛んで生まれてくるところを話しますね。
赤ん坊は助かったが、リザベーターは明け方、息を引き取った。
リザベーターは産んで亡くなってしまったんだけども、
世の人もリザベーターが妊娠してるのを見て、誰がやったんだって。なるじゃないですか。心痛めた。
ヒョードルじゃないかって噂もたち。ヒョードルは知らねえみたいな感じですよ。
でもこの子供をヒョードルが家に置くことになるんですよ。
グレゴーリーっていう人がいて、これはヒョードルの召使いなんですね。召使い何人かいるんで。
グレゴーリーの奥さんがマルファーという人で一緒の家に住んでますからね。
実質この召使いのご夫妻がスムージャクを育ててくれたと。
これずっと読むと、リザベーターは明け方、息を引き取った。
グレゴーリーは子供を抱き上げて家に連れて行き、妻を座らせると、その胸にあてがうように子供を膝に乗せてやった。
これグレゴーリーが言います。
神の御子であるミナシゴは、すべての人にとって血縁というが、わしらにはなおさらのことだ。
これは死んだうちの坊やが授けてくれたんだよ。
これは悪魔の息子と新人深い娘との間にできた子供だ。育ててやれ。これからは泣くんじゃないぞ。
こうしてワルファは子供を育てることになった。
このご夫妻も子供を亡くしてるんですよね。
そういう悲しみを抱えてたところに、子供が来てくれた。
そのやりとりだけ見てると、すごくそういう劣悪な状況で育てられたっていうよりは、
悪種。大事に育てられた感じ。
スメルジャコフがこうやって大事に育てられてきたけれども、どういう人として育ってきたかってところを読んでいきますね。
ちょっとだいぶ飛ぶんですけど、上巻にいくつか大事なスメルジャコフの描写があるので読んでいきます。
せいぜい24かそこらのまだ若い男なのに、恐ろしく人嫌いで過目だった。
人見知りするとか、何か恥ずかしがっているというわけではなく、むしろ反対に、性格は傲慢であらゆる人間を軽蔑しているかのようだった。
ところで、この召使いに関しても、
せめて双子と巫女となりと、それも特に今語らずには済まされない。
彼はマルファーとグリゴーリーに育てられたのだが、グリゴーリーの表現を借りるなら、およそ感謝の念を知らずに育ち、
いつも隅の方から世間を伺う人見知りの激しい少年になった。
少年時代には猫を縛り首にして、その後葬式をするのが大好きだった。
宝位のように見せるためシーツを身にまとい、猫の死骸の上で功労よろしく何かを振り回しながら歌を歌うのだ。
すべてごく内緒にこっそり行われた。
ある日、グリゴーリーが葬式の稽古をやっているところを抑え、無知でこっぴどくお仕置きをした。
少年は片隅に潜り込み、一週間くらい、そこから白い目で睨んでいた。
俺たちを嫌ってやがるんだよ、あの小悪目。
グリゴーリーはマルファに言った。
誰のこともすいちゃいねえんだ。
おめえ、それでも人間かよ。
出し抜けに彼はスメルジャコフに直接食ってかかった。
お前なんぞ人間でねえわさ。
お前は古場の湯気の中から湧いて出たんだ。
それがお前さ。
あとでわかったことだが、スメルジャコフはこの言葉を絶対に許すことができなかったのだった。
って言うんですか。
なんか思ってたのとまた違かった。
さっき前の展開と。
グレゴーリーのスメルジャコフに対する関わり方とかも。
そういう感じなんですね。
こういう質疑に生まれてきたスメルジャコフって、
すべての人間を軽蔑しているような人なんですね。
そして、もうこの世界そのものを呪ってるような。
グレゴーリーとマルファも大事に育てたんですよ。
なんだけども、スメルジャコフの自我がどんどん芽生えていって。
いった時に、やっぱり普通の子じゃないんですね。
これさっきも書いてましたけど、2個を縛り首にして。
2個殺すんですよこれ。
で、その自尊死害の葬式をしてみたいな。
こういうことをするんですよ。
でもやめなさいって言うじゃないですか、親として。
ものすごく睨む。
だからある種、グレゴーリーもね、だんだん手に負えなくなって。
こいつは人間じゃないっていうことすら思えちゃうぐらい、
狂ってる子ないよ、スメルジャコフはしてると。
スメルジャコフもすごく苦しんでるように感じますね。
そうですね、そうなんですよ。
そう振る舞ってしまうんですね。
自分でもわかんないでしょうね。
そうでしょうね。
一緒に暮らしてたら限界かもしれないですね。
グレゴーリーも。
自分たちの直接の子でもないですしね。
その子を育ててて、今そういう振る舞いをする子になっていった。
かなりタフですよね。限界ですよね。
これで最後の言葉すごいんですよね。
スメルジャコフの心の闇
お前なんぞ人間でねえわさ。
スメルジャコフはこの言葉を絶対に許すことができなかったんだ。
お前には何か欠けている。
お前は人間ではない。
これがスメルジャコフの悲しみですね。
人間でありたいって。
スメルジャコフは思ってますよ。
俺だって人間でありたいんだって。
これは初回でじゅんさんが紹介してくれたドスタフスキー自体が持っていた問いと
人間っていうキーワードではつながるんですかね。
スメルジャコフも人間ですからね。
スメルジャコフにまなざしを一番向けたいって言ったのは、スメルジャコフはやっぱり人間の持つ弱さというか、愚かさというか。
そういうのをやっぱり描いてくれてるんですね。
カタヤアレクセイミとような人を描きながら、片方でスメルジャコフのような人間の持つ弱さみたいなものを描いて。
ここまで含めて人間の深さというか、そういうのを描いている。
これちょっとこの場面最後のところ読みたいんですよ。
スメルジャコフの言葉なんですけどね。
彼はね、こんなこと言うんですよ。ある人に。
近所の人に言うんですよ。
ごく小さいガキの頃からあんな運命じゃなかったら、私はもっといろんなことができたでしょうね。
もっと物知りになってましたよ。
あいつはスメルジャーシチャイアの産んだ乳無し子だから癒しい人間だ。
なんていう奴がいたら、私は決闘してピストルで殺してやりますさ。
私はモスクワにいた頃にも、面と向かってそう言われたことがあるんです。
グリゴーリーのおかげで、ここから噂が伝わったんですよ。
グレゴーリーは、私が自分の誕生に対して反旗を翻しているなんて叱りますがね。
お前はあの女の小袋を引き裂いたんだぞ。なんて言うんでさ。
小袋なら小袋でも構やしないけど、私はこの世に丸切り生まれてこずに済むんだったら、
腹の中にいるうちに自殺していたかったですよ。って言うんです。
いやー、言葉にするのが難しいな。
腹の中にいるうちに自殺していたかったですよって。
それくらい生きるの苦しいんですよ。スメルジャコフってね。
こういう人なんです。スメルジャコフは。
今まで名前だけ出てたけど、よりそこの背景が見えてきた。
スメルジャコフ、なぜここまで言わせしめたのかってことを、やっぱりちょっと思いをめぐらしたいなっていうのがあって、
改めてこれ読んでるときに、そういうことをちょっと思いをめぐらして読んでたんですよ。
で、彼はグリゴーリーとマルファーに大事に育てられたわけじゃないですか。
大事に育てられたのに、どうしてこういうふうなことになってしまったのか。
何が彼をここまで言わせたのかっていうことを、なんかそれをちょっと考えてたんですけど。
これどこまで言ってもね、想像しがたいんですけども。
お母さんがやっぱりリザベーターっていうのは、まず大きい。
この執事がやっぱり大きいなと思っていて、文章の中でも乳無し子って言葉があったんですけど、
彼って乳無し子だっていうふうに言われて、
そういう強い偏見でもって、周囲は彼を詐欺すんでたっていう中で彼は育ってきたんだと思うんですよね。
つまり、誰かに侵されてしまって生まれてきた子供、望まれない命として、
自分は生まれてきたんじゃないんだろうかって、おそらく思ってるんだと思うんですよ。
スペルジェゴフってね。
こういうのって、今の日本でも異常だけども、やっぱり当時のロシアでもやっぱり異常なことで、
自分の性を肯定するってことは極めて難しかったんだと思うんですよね。
うん。
そうですよね。すごく存在の根幹みたいなところに関わる問題なのかなって思いを馳せながら聞いてましたけど。
ね。
でもどうなんすか、じゅんさん的にこのスペルジェゴフを取り扱った時の、このスペルジェゴフの人生のある種一側面を今ここまで読んでくれたじゃないですか。
取り扱いたかったところはまた別の側面もあったり、取り扱いここでまだちょっと補足的に何か言っときたいこととかあったりするんですか。
あーそうね。いやー、そうだな。
いやこれね、あのね、いやそれ言われてね、ちょっと面白い場面あったんですよ、そういえば。
あのちょっと読むつもりなかった場面なんですけど、違う側面って言われるとね、ちょっとなんかね気になる側面ってあって。
えー。
えっとね、さっきあの自分は腹の中で死んでいたかったですよ、隣人のね、マリアコンドラチエビナっていう方に喋ってるんですよ。
はい。
で、えっとね、これあの、イワンとスペルジェゴフが対話する、お父さん亡くなった後対話する場面のところあたりにこれ書いてあった記述なんですけど、ちょっと読んでみるとね。
一方の小屋にはマリアコンドラチエビナが母親と住み、もう一方にスペルジェゴフが一人で暮らしていた。
どんな条件で彼がここに住むことになったのか、ただで厄介になっているのか、それとも金を払っていたのかわからない。
後日の推測では彼はマリアコンドラチエビナの婚約者という形でこの家に入り、差し当たりただで厄介になっているようだった。
母も娘も彼を非常に尊敬し、自分たちより偉い人間として見ていた、っていう記述があるんですよ。
これちなみに時系列はどの辺なの?その父親殺しが起きる。
起きた後の後にこういう記述がある。
いやーこれ俺びっくりしてちょっと。
はいはいはいはい。
スメルジャコフのキャラクター分析
隣に住んでいるマリアコンドラチエビナの人たちこととスペルジェゴフって結婚する予定で、
彼女たちはスペルジェゴフのことを自分たちより偉い人間とみなしていた。
これはちょっとどう捉えたらいいんだって思って。
また違う眼差しをスペルジェゴフに向ける人がいたっていう記述ですよね。
そういうことなんですよ。
彼女らはどういう人なんですか?普通の市民っていうか、普通って言うとあれだけどなんだろうな。
いやー貧しいんだと思いますね。あんまり記述がないんですけれども。
スペルジェゴフって一応聡明な方なんですよね。
イワンに似て。
だから彼女たちからするととても賢い人に見えたっていうのがあるんだと思うんですよ。
でもスペルジェゴフの内面で恐ろしいものを秘めているというか、そういう人を尊敬する人がいるっていうね。
いやーこれちょっと恐ろしいなと思った。
あー恐ろしいなって思ったんだ。
恐ろしいなって思った。
だって殺人を、スペルジェゴフって殺人をよかれと思ってやってしまってる人間だからね。
そういう人のことを尊敬の眼差しで見る人がいるっていうことってちょっと恐ろしいかもなってやっぱ思う。
この辺もドストエフスキー見事なんだよね。
うーん、そうか。なるほどな。
信仰宗教はいろいろあるけれども、いい宗教もあるけれども、やっぱり統一教会とかいろいろなんか絶対やってはいけないことをやってしまってる団体ってあると思うんですよ。
そういう団体にも尊敬している人たちっているわけでしょとかね。
うん。
なんかそういうこととかもちょっと重ねて思えちゃったな。
うーん、興味深いな。
なんかこういう、さっきのああいう執事、そしてそういう少年時代で最後その殺人を犯すっていう、ある種わかりやすいストーリーで紡がれそうな、
要は誰からも尊敬されず仕掛けられて、で最後そういう罪を犯すっていう、
一本のわかりやすいストーリーラインで紡がれそうなところに対してこういう角度からまた違う側面で捉えてる人がいるっていうことそのものがすごく興味深いなって思いました。
うーん。
その辺本当にドスティフスキーのすごいところだよね。
うーん。
その一本のわかりやすいところだけでは描かないって感じなのかな。
なんかすごい興味深いね、そこね。
そこは何なの?じゃああんまり詳しく、それ以上このそこの過程とスメル・ジャコフのストーリーはあんまり描かれきらない感じ。
そう、描かれてない。
描かれてないけど、これはやっぱりスメル・ジャコフにとっては大きいことだと思ってて。
自分がなんだろうな、俺はやっぱりこんな男じゃないと思ってると思うんですよ。
自分の知性を持ってばもっと本当はいろんなことができるはずなのに、自分は下僕としての一生を歩むことを余儀なくされてるってことにやっぱり抗いたいと思うんですよね。
で、やっぱりそれを認めてくれてる人がいた。
自分のことを尊敬する人がいたっていうのは大きいし、自分を結婚することができるということも大きいし、
ここからやっぱりの仕上がっていくっていうところはあるんだと思うんですよね。
なんか場合によっては良い方向に転換する雰囲気なようにも見えますけどね、こういう人との出会いっていう。
でもそうではないんですよね。
そうではないんだ。
俺の何か誤った方向へより何かグザグザグザしているって感じがあるかもな。
スメルジャコフの背景と次回の展望
いやこれさ、お母さんやっぱりリザベーターじゃないですか。
はい。
聖人としてね、神聖な方として見られてた方ですよ。
でね、亜量者のお母さんがリザベーターだったら何かわかるじゃないですか。
やっぱりお母さんもそういう人なんですねってなるじゃないですか。
聖人たちを引き継いでんだっていう。
引き継いでるっていうね。
お母さんが聖人なのにスメルジャコブはやっぱりこういう形になってしまった。
何か世の中を憎むような。
これが何だろうな。
これもやっぱりちょっと見事だなと思ってて。
見事っていうのは?
その、やっぱりスメルジャコブの中にも聖なる父をやっぱり引き継いでいる側面が実はあるんじゃないかっていうことを。
それ、絶対に出てこないけれども。
やっぱりそういうふうに多分思うこともできるはずだし、そういうふうに彼を信じることもできるはずだし。
一方、やっぱりそういう人から生まれた子であっても、この不幸な境遇を背負って社会からこのように下げ積まれ受け入れられることなく育っていったっていうことであれば、
いかに聖人の血を引いてたとしても、やっぱりこうならざるを得なかったっていう。
もっと社会の受け止め方が変わると、彼も変わってたんじゃないかなっていうことを思わざるを得ない。
本当だね。この辺りほんとすごいね。
そっかそっか。でもこの辺りまでちょっとスメルジャコブのことも少し触れられて、なんかすごい良かった感じが今聞いててします。
そうなんですよ。
それでスメルジャコブとユアンが会いに行くってこの場面をちょっと扱いたかったんだよね。
だから次回ちょっとそれを扱いたいと思っています。これは本当にもう一つのクライマックスなんですよ、この小説の中で。
で、一応やっぱりユートスのスメルジャコブがやっぱり父親を殺したっていうことなんだけども、
この殺した背景というのがものすごい複合的な要因で絡み合っているんですけれども、
やっぱりこのスメルジャコブのこの生い立ちということと、
ユアンの大心論文館で扱った無心論という考え、この辺りがやっぱり重要なポイントになるんで、
ちょっとそれもあえて次回扱っていきたいと思います。
楽しみです。
ではでは。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
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