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2022-11-04 06:15

加藤登紀子さん(1)戦争を生き抜いたピアフと母

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終戦の年、ソ連軍(当時)が満州に攻め込んできたとき、後に歌手となる加藤登紀子さんは満州のハルビンに住んでいた。加藤さんが当時を振り返る。

 「父(幸四郎(こうしろう)さん=平成4年死去)は戦争へ行ったまま。守ってくれる国も部隊もなくなり、ハルビンに残された30歳の母は3人の幼子を抱えて自分を奮い立たせました。『私の生き抜く力と判断だけが頼りなんだ』と。そこから母の本当の人生が始まったのです。仕事を、食料を懸命に探し、略奪に来たソ連兵にも毅然と対応しました。一対一の人間同士なら、必ず分かりあえる。母の言葉は私の教訓になりました」

加藤さんが、自らの反省を回顧する。

※このエピソードは、2016年に産経新聞紙面に掲載された「話の肖像画」を、加藤登紀子さんの次女である、半農半歌手の Yae さんが代読したものです。

加藤登紀子プロデュース『Yaeコンサート2022「for you」今、あなたに伝えたい @東京・渋谷伝承ホール』が11月10日に開催されます。
詳細はこちら(リンク)

■加藤登紀子(かとう・ときこ)
昭和18年、ハルビン(現・中国東北部)生まれ。東大文学部卒。在学中の40年にシャンソンコンクールで優勝。41年「赤い風船」でレコード大賞新人賞、46年「知床旅情」で同歌唱賞。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」などヒット曲多数。女優、声優としても活躍した。

■Yae(やえ)
昭和50年、東京都生まれ。加藤登紀子さんの次女。平成13年に歌手としてデビューし、 NHK「みんなのうた」や人気ゲームソフトの主題歌などを歌唱。代表曲「名も知らぬ花のように」は東日本大震災応援メッセージソングとして採用された。現在は、千葉県鴨川市の「鴨川自然王国」でスローライフを送りながら音楽活動を続けている。

 


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みなさん、こんにちは。反応・反歌手の八重です。
私の母は、しれとこ漁場や百万本の薔薇などで知られるシンガーソングライターの加藤時子です。
今年2022年に79歳になります。
母は、6年前の産経新聞に連載された話の肖像画で人生を振り返っています。
この度、ここ、父藤本敏夫が残した千葉県の鴨川自然王国から音声にてお届けします。
話の肖像画
歌手 加藤時子
1.戦争 生き抜いたピアフと母を重ねて
70年前の1946年、満州ハルビンから母子4人で命からがら引き上げてきた。
まだ3歳にならない末っ子の時子に、
自分で歩きなさい。そうしないと死ぬのよ、と知ったした母、
としこ。
愛の産花、薔薇色の人生で知られるフランスシャンソン歌手エディット・ピアフは、
同じ1915年の12月にパリで生まれている。
戦争の時代をたくましく生き抜いた女性たちの思いを重ねて、
加藤時子は今、ピアフを歌う。
終戦の年、ソ連軍が満州に攻め込んできた時、
父、甲子郎は戦争へ行ったまま。
守ってくれる国も部隊もなくなり、
ハルビンに残された30歳の母は、
3人の幼子を抱えて自分を奮い立たせた。
私の生き抜く力と判断だけが頼りなんだって。
そこから母の本当の人生が始まる。
仕事を、食料を懸命に探し、
略奪に来たソ連兵にも毅然と対応した。
一対一の人間同士なら必ず分かり合える。
母の言葉は私の教訓になりました。
1981年にハルビンで初めてコンサートを開き、
母と一緒に35年前に貨物列車で引き上げた時と同じ線路を逆に走りました。
幼すぎて覚えているはずがないのに、
ハルビン駅の駅舎やモスグリーンのホームの天井を見た途端、
03:03
ああ懐かしいなあって、
記憶のどこかに刻まれていたのかもしれません。
その時、残留孤児の方と会う機会があり、
めったに泣かない母が彼らを強く抱きしめて号泣しました。
よく生き抜いたね。
あなたはお母さんに捨てられたんじゃない。
そうしなければあなたが生きられなかったから。
20世紀最高の歌姫と称えられ、
華麗な恋愛遍歴や酒、事故、病気にまつわる壮絶な生涯は有名だが、
こうした戦時下の抵抗活動はあまり知られていない。
ピアフが1963年に47歳で亡くなった時、
私は19歳でした。
恋に恋するたかんな時期。
20歳で初めて出場したシャンソンコンクールで
ピアフの七つの大罪を歌ったのです。
すると審査員から
あなたのような幼い顔にピアフはまだ早い。
男心はつかめないなってコテンパンにやられました。
同時に私はいわゆる和製シャンソンに違和感を持ち始めていて、
いつか自分の役でちゃんとピアフを歌えるようになりたいなって思ったのです。
それからピアフの生涯を改めて調べてみた。
戦争を生き抜いた強さ。
晩年の奇跡のような輝き。
ピアフは苦難の時代でも前を向き、
晴れ晴れとそして思い通りに生きた。
その生き様が母と重なるんですよ。
私が歳を重ねたからこそ表現できるピアフがある。
今こそピアフの物語を歌いたい。
話の肖像画
話の肖像画をお聴きいただきありがとうございます。
今回語りを担当していただいた加藤時子さんの次女で反応半歌手の八重さん。
コンサートが2022年11月10日木曜日東京渋谷の伝唱ホールで行われます。
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タイトルは八重コンサート2022 加藤時子プロデュース for you 今大切なあなたに伝えたい。
詳細は概要欄のリンクからご覧ください。
06:15

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