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2022-07-11 27:32

河合美智子、夫と語る脳出血からの生還【話の肖像画】(後編)

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NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」(平成8~9年)でオーロラ輝子を演じたことで知られる女優の河合美智子さんは、平成28年に脳出血で倒れ、リハビリを経て復帰しました。

インタビューの前半はふたりっ子や紅白歌合戦出場の思い出を、後半は闘病生活などを夫の峯村純一さんとともに語っていただきました。(聞き手・産経新聞社 三宅令)


■河合美智子(かわい・みちこ)
昭和43年、神奈川県出身。58年に映画「ションベン・ライダー」でデビュー。平成8年のNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」で演じたオーロラ輝子が人気を呼び、ドラマ内で歌った「夫婦みち」もCD化され大ヒット。翌年のNHK紅白歌合戦に出場した。演技派女優として活躍していたが、28年に脳出血を発症。懸命のリハビリで仕事に復帰し、女優業のほか、講演活動なども行っている。30年に兵庫県豊岡市に移住。たじま観光大使も務める。

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■河合美智子さんがナレーションを務める、産経ニュース「おしんブームが残したもの」もぜひご覧ください。

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00:00
話の肖像画。本日は、女優の河合美智子さんにお話を伺います。
ということで、今回のお芯の話で、お芯ブームが残したものということですね。ナレーションをされるということなんですけれども、
お芯についてどういうイメージというか、どういう印象を持たれてますか?
やっぱり、とてつもないドラマでしたし、話題にもなってたし、普通に学校に行く前に朝ドラを見るのは日常当たり前だったので、
もちろんお芯も見てるんですが、ちょうどですね、お芯の頃は小学生で、
8時15分からですよね、15分間。15分から見れるんですけど、半まで見てると遅刻しちゃうので、
多分25分とか出なきゃいけないので、一番いいところは見逃してるんですけど、
でも、やっぱりお芯っていうのは、何ですかね、画面から来るエネルギーの凄さみたいなのは、本当に覚えているので、すぐ絵とか浮かびますね。
やっぱり言い方のね、一番有名なシーンが思い浮かびますけど、本当になんていうか、ひどいじゃないですか。
ひどいですね。
ひどいし、やっぱりお芯かわいそうだし、でも、お芯もただ弱いわけじゃないじゃないですか、小林彩子さんがね、演じる。
芯は強い感じはするし、なんかすごいですね、あのエネルギーがね、もう夢中になって見てましたね。
そう、だから本当、学校に行かなきゃいけないから、いっぱいスタッフをしなきゃいけないけどね、やらなきゃいけないのに、手が止まって止まって大変だったなっていう印象ですね。
私は伊藤志郎さんが大好きなので、お父さんのね、厳しいのに実は優しいみたいな愛情がある、走ってくるところとか、やっぱり思い出に残ってますけどね。
お芯に出た方、皆さん、なんでしょう、その後も活躍されてますもんね、泉ピン子さんもそうですし。
そうですね。
そうですよね。
やっぱりそのアサドラっていうのはなんかそういう力があるんですね、特にヒットした。
03:03
そうですね、やっぱり本当にNHKが作ってるし、予算も豊富にあるし、それはもう時間をかけてしっかり作ってると思いますし、今はリハーサルとかなくなったかもしれないけど、
当時はもうしっかりリハーサルをしてやってるので、本当に映画撮ってるみたいな感じなんじゃないですかね。それはもう、あのエネルギーは損じゃないと。
今回ナレーションとして取り組まれるということなんですけど、そのことについて意気込み等々、あとは魅力のPRとかもしあれば。
そうですね。最初がね、やっぱりおシーンだったので、なんとなく見てた見てた、アサドラって思って、原稿をいただいて読んでみると、えーみたいなこともいっぱいあって、すごい楽しかったので。
だからその自分が感じた楽しさ、面白みを私の声でちゃんと聞いてくださる方に表現できてるかな、大丈夫かなっていう不安はありますけど、でも頑張りました。
はい。今、へー、こうだったんだっていうふうにおっしゃいましたけれども、その一端をちょっと。
でもなんかね、特に好きなのはあれですかね、小林彩子さんがおシーンおシーンって言われるっていう。
エジプト?
エジプト、エジプト、エジプトで、なんかもうみんなにおシーンおシーンって言われたっていう。
中東で人気ですもんね、エジプト中東でいいんですかね、ちょっとあれですけど。
で、その、なんかそう、自分がやったからおシーン、おシーンおシーンって役名で呼んでくれてるのではなく、日本人の女性はみんなおシーンだっていう感じとかが、すごい面白いと思った。
へー、そうですね。
そのエピソードはとても好きです。
それもおシーンブームが残したものなんですね。日本人女性の代名詞になったおシーンっていう。
なるぐらいっていう。
そういうのが面白かったし。
本当にあんなに仕掛けられた女の子ばっかりだとあまり思ってほしくない。
そうだし、やっぱりそんなのって日本人だから面白いと思うのかなと思ってたら、海外の人の心をつかんだっていうのは、それすごいなーってやっぱり思いますね。
普遍的な魅力がある。
だって本当に、最初はね、こんな明治の暗い話なんてどこも買ってくれなかったって言われましたけど、
そりゃあね、朝っ端からそんなの見たくないわって、なんかちょっと重い感じじゃないですか。
でも始まってみたら、やっぱすごいわけですよね。
06:01
それにはもうみんながね、夢中になったんだなーと思って。
確かにそうだったわーっていう。
また、ご自身のことをお伺いするんですけれども。
真の強い女性ってお芯のことを教えましたけれども、ご自身もいろいろと苦労されてといいますか、糖尿生活の話も。
そこそこ大きな病気をしましたので。
これは、2016年の8月13日に映画のリハーサル見学中に脳出血を発症し救急搬送という。
今から6年前ですかね。
夏に脳出血をやりまして。
まあ、もともと血圧は高かったです。
それは知ってました、一応。
私も毎日きちんと血圧を測ったりだとかもしてなかったし、お医者さんで高圧剤を処方してもらったりもなかったです。
当時48歳。まだ若いと思ってたし。
そんな脳出血だ、脳梗塞だという脳の病気なんていうものは、もっと60とか70とかになるものかなーなんて思ってたし。
脳卒中っていうのは、脳出血と脳梗塞とクモマカ出血のこの3つの相性だっていうことさえも知らなかったし。
私も今知りました。
なんか脳出血、昔は脳一血っていうのが脳出血に変わったっていうのをその時知りましたし。
だから自分が搬送された時も、本当に真ん中から右半分がびっくりとも動かない状態だったんですよ。
だからなんとなくドラマとかで見てて、これは脳だなとは思ったんです。
脳だなと思ったけど、脳なんだか分からなかったみたいな。
主人、その時はまだ付き合ってただけですけど、にもあれだよね、分かる分かる、脳なんとかでしょって。
そんな落ち着いた感じでお話しされてたんですか、ミレイさんと。
そうですね、4日後とか5日後くらいですけどね。
搬送された時は、映画のリハーサルを見学で、その映画に別に出てなくて、後々その映画には出ることになるんですけど、
その日にオファーされたので、出演の映画のリハーサルなんですけど、
単純にその時は知り合いの監督さんに、リハーサルやってるからちょっと見に行こないと言われたので見学に行ったので、
09:06
だから無害者な感じでそこにいたんですよね。
そうしたら見てる最中に発症しまして、床に座って見てたんですけど、休憩になったから立ち上がろうと思ったら立ち上がれなかったんです。
右足が固くて重くて、丸高くついてるみたいな感覚で、上がれなくて。
でも別に頭が痛いとか気持ち悪いとかもないし、足だけなんですね。
だから痺れたのかなとか、夏だったから熱中症なのかなとか思いながら、普通に笑って話してて、その辺に最初に椅子に上げてもらって、
しばらく喋ってたんですけど、私の足を見て、プロデューサーさんがたまたまご家族に脳腫血をやられた経験があったので、
その足を見て、「これは救急車だ!」ってすぐ呼んでくれたので、こんなもので済んだのかなと思うんですけど、
でも本当に救急車呼んだからって言ったら、それからどんどんどんどん、あるよあるよという間に上に来て、路列が回らなくなって、
病院に行った時には半分全く動かない状態で、3日間くらいICUにいて。
言葉は1日で戻ったけれども、右半身の麻痺が残る。
路列が本当に回らなくなって、何を喋っても、「うー!」とか、「あー!」とかしか喋れなかったのが、それが一晩で回復したのは良かったんですけど、
多分だから血がどんどん流れてて、血糸になってたので、圧迫されてたから喋れなくなったのが、引いたから喋れるようになったのかなってことだと思うんですけど。
でもそこからリハビリ?
そこからリハビリ、4日目くらいからリハビリ始めて、こんなに何も受けないのにリハビリって何するのって感じでしたけど、
病室で動く方の左手で指を持って動かしたり、
人差し指を今つまんで動かされてますね。
そんなところから、ベッドで起き上がる練習だとかみたいなところから始めて、
運び込まれた病院、救世機病院と言いますけど、そこは1ヶ月半くらいで退院して転院します。
回復機病院に。そっちが3ヶ月半くらい。
そしてトータルで5ヶ月、リハビリをやりまして、
なんとか杖もなく、装具もつけず、歩いて退院っていう感じになりましたけど、
すごく変な歩き方をしてたので、そこからはまた外来でリハビリを続けて、
12:05
1年後くらいに部隊に復帰みたいな感じですかね。
そこにずっと献身的に支えていらっしゃったのが峰村さんというふうにお伺いしているんですけれども、
どういう役割を果たしてこられたのか。
ではここで、河合さんと結婚されて6年目を迎えた峰村純一さんにもお話を伺います。
すみません、峰村純一と申します。どうぞよろしくお願いします。
当時は、別にそんなにしっかり婚約してたわけではないですけど、
結婚しようねっていう約束の下、一緒に住んでいて、
いきなり脳出血で運び込まれるわけで、全く動かなくなったし、
この先どうなるかわからないじゃないですか。仕事に復帰できるかどうかもわからないし、
あんまり仕事のこととか考えてなかったですけど、
なので、私、実はそれ覚えてないんですけど、何回か結婚しなくていいとは言ってるらしいんです。
覚えてないんですか。
覚えてないです。
全然覚えてないんですけど、何回か言ってるんだよね。
そうですね、病室に時計がないから、時計を買ってきてほしい。
あと、結婚のことは考えなくていいから。
ついでじゃないですか。
そういえば、エアコンの調子が暑い、サーモンセンサーが壊れた状態で、暑くなったり寒くなったり。
エアコンを調整してほしい。あと、結婚のことは考えなくていいから、みたいな。
なんか言ってるらしいんですけど。
照れ隠し?
多分悪いなと思ったんでしょうね。
その時僕は舞台をやりながら、舞台がない時はゲームセンターで契約社員で仕事をしていたので、毎日行ってたので、その仕事に。
なのに病室にいるから大丈夫なの?みたいな。
有給を取らせてもらったから大丈夫だねって言いながら。
心配されて。
じゃあ結婚はしなくていい。
ちょっと待って、そんなことあるんですか。
3回くらいそんなこと言ってましたけど。
自分としては、それはこんなに記憶なくて、1週間くらいは天敵気の中でぼーっとしてるんですよ。
常に眠いし、あんま覚えてないんですけど、言ったらしいんです。
それを1週間くらいに聞くんですけど、え?と思って。
でも私の本心としては、こんな人なかなかいないから、私は絶対に失いたくないなと思ってるはずなのに、そんなこと言う?みたいな感じで。
15:00
どうか?って言ったって言うから。
でもそれはあれだと思うよ。結婚はしなくてもいいけど、別れるって言ってないと思う。みたいな。
ツンデレ?
ツンデレ?
さすがに悪いなと思ったんじゃないですかね。
だからそう、結婚するのはしなくてもいいって思うから言ってるけど、こっちもそんなこといいか?みたいな感じで。
それを真に受けて、そうか別れようとは思ってなかったからよかったんですけど、でもそれでも献身的だね。毎日来てくれるし。
とにかくお医者さん的には、なぜ出血したかというと、血圧が異常に上がったんだって言われて、だから今後も血圧が上がらないようにした方がいいですよって言われたっていうのはあるので、
その結婚の話とかして、なんか変な答えとかして、血圧が上がったらどうしようってあるじゃないですか。
刺激してはいけないっていう。
出血がいけないと思うので、こちらもおんびんに先送り先送りにしようっていう。
まあまあ今その結婚のこととか今いいから。とにかく今治療だからね。
で、時計ね、分かった分かったね。みたいなことでごまかして、血圧を上げないっていうことが僕の目的ですから。
まあまあそんなこともいいから。
お腹空いたの?
あ、空かない。あ、そう。
でもまあ毎日来てくれるし、まあいいな嬉しいなと思ってて。
で、一番本当にありがたいなと思っているのは、ぼーっとしてるからね、本当に分かってないわけですよ。
それも何回か先生に脳出血ですよっていう説明を受けてるはずなんですけど、それもあんまりよく覚えてなくて。
で、それでさっきのね、ミネちゃんあれだよね、私大変なことになっちゃったよね。
分かる分かる。それは私でも分かる。脳なんとかだよね。みたいなのがその時になされるわけですけど、
その時にミネちゃんが言ったのが、あ、そうそう脳出血なんだって。
でもね、先生に聞いてきたんだけど、なんか血糸があって神経を圧迫してるのか、切れちゃったのかは分かんないんだって。
今動かないのはどっちか分かんないんだけども、ただ圧迫してるだけだったら治るかもしれないんだけど、
切れてたらね、もう動かないでしょ。でも神経っていうのは面白くてね。
周りの神経がね、その変わりをすることがあるんだって。面白いでしょって言うわけですね。
そしたら、面白いねってなって、え、じゃあ切れてた方がいいねみたいな。
いやいや、よくないですけどね。
そういう会話になって。
はい。だからなんかその、楽しくなっちゃったんです。その今の状態が。
18:04
なんかね、やっぱりドラマもいっぱいやってたし、実際に見てもいるしやってもいるから、
そういう時っていうのは、聞きそうな感じでね、
溜め息だとか涙だとかと共に、ごめんなさい、私がこんな便利になって、
私もあなたに迷惑かけてみたいな感じにしなきゃいけないのかなって、なんとなく思ってて。
今までやった役場的にですか。
はい。みんなこんな感じなんだろうなと思ってるから、そのようにしなきゃいけないのかなと思いながら、
だから結婚しなくてもいいよだったのかもしれないんですけどね。
でも面白いよねっていう風に。
って言ってくれたから、あ、いいんだと思って。
予測をしてますから、こっちはだいたいそうやって落ち込むだろうなって、
こういう状態だったらそんなこといつか言い出すんだろうなとは思ってたので。
器すごく広いんですね。
いやいや、とにかく責任を置いたくないという先送りにしたいだけなんですけど。
いやいやいや。
予測するじゃないですか、今後そういうことを言われるんだろうな、落ち込んだ告白みたいなのがあるんだろうなって思ったら、
翌日ぐらいに会ったから、もう来たかみたいなことで、
とにかくないないない、今考えなくていいんじゃないの、そんなことは。
そんなことよりも面白いよってこうやってごまかすっていうんですか。
でも予測しててもそんなに100点満点の考え方を叩けたことないですよね。
たまたまです。
たまたまです。
すごいですね。
たまたまです。
だから予測することは世の中では大事だなって思うし、
一番最悪なことも考えて、大丈夫も考えといたら、
本当に怒った時には対処できるんだろうなっていうのは、
でもこっちも必死ですからね。
だからもう気にしなくていい、とにかく今は治療に集中してねって、
ちょっとトイレ行ってくるわって言って病室に出たら、
ドキドキしますよ、こっちは。
どうしようどうしよう。
結婚しなくていいって言われたらショックですよね。
それは今答えを出すべきなんだろうかといろいろ思いますけど。
でも私自身は、本当にそれは自分でもよくわからないんですけど、
あんまりその状態を期間することなく、
理学療法士さん見たら、
え、理学療法士ってすごくてかっこいいとか思って、
今度理学療法士の役やるんだったらいいし、
今勉強しておこうみたいな。
主宰だわみたいに思ったりとか、
というかあれだね、患者の役もできるねとか思って。
すごいバイタリティですね。
多分究極の現実逃避なんだと思うんですよ。
そのことについて考えちゃうと、
多分暗いくなっちゃうから、
そこをあえて考えないようにしてたのかなと、
21:00
今思うんですけどね。
無事復帰されて、すべて直って。
すべて直ってはないですね。
やっぱり麻痺があるので。
でも外見からじゃ全然。
そうなんです。
喋ってたら多分全然わからないと思います。
でも自分としてはやっぱり言葉が出てこなかったりはしつこくしてるので、
記憶もすごく曖昧だし。
11月23日と覚えてらっしゃる。
昔のことは。
病気の前のことは覚えてますけど、
病気後はやっぱり記憶力がすごい落ちてるし、
人の名前がとにかくするとは覚えられないです。
だからさっきもミヤンケさん、
名刺をいただいた時はミヤンケさんと思うけど、
ここに座った時は名前わからない。
忘れちゃったら大丈夫です。
本当にそういうことはあるし、
喋ってても真っ白になっちゃうこととかもいっぱいあるし、
ただやっぱり私はもともとではそうだな、
やっぱり役者をやってるのもあるので、
その覚え方のコツみたいなのがあったりとか、
それから普通の人よりはごまかしが効くのかなとは思いますけど、
だからぱっと見多分全然大丈夫だと思いますけど、
歩いたら、今は整形靴っていうのを履いているので、
だいぶまっすぐ歩けますけど、
これ脱いだらもうすごい麻痺あるし、
スリッパとか履けないですね。
履けないです。
でもいっぱい持ってきてくださるよね、みなさんね。
スリッパ履いてないと。
スリッパ履けないですね。
スリッパ履くと動けない。
パカパカするものは履けないので。
ちょっと不便は残っていますか?
不便はありますけど、
私はあんまりもとから病気前に戻るとは思わなかったので、
これ100%戻ることなんて絶対ないだろうなっていうのは思ってたから、
そんなにあんまり悲しくなかったかもしれないですね。
やっぱり色々な話を、みなさんの話を聞いていると、
病気をする以前の自分と比べてしまうので、
なんでできないんだろうって落ち込んでしまうみたいなんですけど、
私は動かなくなった時から、
あ、動かないんだってところから始まったので、
なんかそっかゼロからのスタートだから、
できることがどんどん増えていってる感じなので、
あんまり落ち込んだりとかっていうことにならなかったのかな。
24:01
今、豊岡、田島の方にお引越しされてですね、
移住されて、2018年に兵庫県豊岡市に移住されて、
今そちらで田島観光大使をされていて、
お伺いしたところによると、
私は作り事よりも実社会に関わる活動がしたいというふうにおっしゃってましたけれども、
そうですね、ずっと役者をやって、
嘘の世界を演じてきましたけど、
命に関わる病気をして、
いろんな人に出会って、
今までの生活を続けてたら出会わないだろうなっていう人にいっぱい出会ったし、
そうするとですね、現実のほうが面白くて。
だから、ドラマとか映画とか見るのは好きだけど、
自分でやるのは、現実のほうがいいかなと思って、
ちょっと今、お芝居をしたいという方に興味が薄れているっていうのはありますけどね。
観光大使として魅力をPRしたり、今後の活動は他には何か考えていらっしゃるんですか?
そうですね、せっかくこういう病気をして、リハビリとかを再建して、
いろいろなんでだろうとかいうこともあるわけですね。
東京なんてバリアフリーすべてすごいんだろうなと思ってたけど、
自分がいざこういう体になってみると、全然バリアフリーじゃないわと思うし、
道はまっすぐじゃないんだって思うし、
そういうこととかを、私が発信することによって何かが変わっていったりすればいいなと思うし、
リハビリとかでも、やっぱり暗い気持ちでやるのと楽しい気持ちでやるのとでは、
効果に差があるんじゃないかなとか思っているし、
こういう仕事をしているので、いろんなことを試していて、
本当にいいものっていうのを知ってるから、そういうのはどんどん発信していきたいなとか思って、
だから公演活動とか、そんなこともやっていきたいなと思っています。
ありがとうございました。
本日は河合美智子さんと峰村純一さんのご夫婦にお話を伺いました。
話の肖像画。
27:22
運転しながら。地下鉄でも大丈夫。ぜひフォローをお願いします。
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