大阪1箇所での開催予定に対し、神戸と滋賀に地盤を持つ河野一郎が納得しなかった。政界の実力者・河野一郎を抑えたのは、ある人物だった。

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00:01
戦後史開封
昭和45年の大阪万博
第2話 河野一郎を抑えた関西の在海
後に、作家・堺谷大一となる大阪出身の若き通産官僚・池口小太郎は
大阪万博の開催をパリの博覧会国際事務局に申請する前、万博調査室勤務になっていました。
池口は大倉省の主計局次長と奇妙な論争をしていました。
大倉省は、「どのくらい金がいるのか?」と聞いてくるのです。
案内役は私、ナレーターの中川睦です。
まだどこで万博を開くのかも決まっていなくて、
肝心の用地買収費がわからないから何とも言えないのですが、
外国の例などを見て一応428億円という金額を出して、
これだけかかりますと答えました。
ところが、主計局次長は詰めてくるんです。
大倉省がこだわったのは事務費。
先住する職員を420人と計算していたら、
なぜこれだけ必要なのか、と必要な鉛筆の数まで聞いてきたという。
クタクタになるまで議論しました。
しかし、事務費が終わると大倉省もあっさり賛成してくれました。
時間がないことがわかったんでしょうけど。
費用など簡単に出せないのも無理はない。
昭和39年の臨時国会で世界博覧会条約を批准し、
45年の開催に向けて踏み出したとはいえ、
どこで開催するのかさえ直前まで決まらなかった。
39年のオリンピックが東京だっただけに万博は関西で、
ということでコンセンサスは早くから得られていた。
しかし、具体的に関西のどこかとなると、
水田市の千里丘陵、大阪南港の埋立地、
滋賀県の美輪湖埋立地、神戸の埋立地などが
候補地に上がり調整がつかない。
このうち大阪では千里丘陵に一本化したものの、
神戸と滋賀には政界の実力者で国務大臣の河野一郎がついていて、
簡単には譲らない。
その河野を押さえたのは大阪商工会議所会頭で、
万国博大阪誘致委員長の小田原大蔵だった。
43年3月のある日、小田原は東京の河野の自宅に乗り込んだ。
通産省からはこの日まで会場を一本化できないなら、
03:03
近畿での開催は保証できないと最後通告を突きつけられていた。
小田原は、「見学者の便から言っても、国の投資効率から言っても、
大阪で開くのが筋です。大阪の地域英語で言うてるんとちゃう。」
と迫った。
だが河野は、「大阪一カ所じゃダメだ。」と譲らない。
黙っていても相手を震え上がらせると言われた河野だが、
小田原も無好気は強い。
「分かりました。では大阪に帰って、担当大臣でもないあなたが
ダメだと言っていると新聞に発表します。
関西財界として今後あなたに協力はできません。」
さすがの河野も黙り込んだ。
河野のタガが外れた自民党の近畿地区第一士会は、
会場問題を通産大臣に与えた。
大阪の自民党は河野さんに、
近畿地区大医師会は、会場問題を通算大臣に一任
千里での開催が正式に決まった
次の問題は用地買収だった
すでに開発が始まっていた千里ニュータウンの北側に
格好の山林や田畑の土地が残っていた
だが調べると五線筆にも分かれており
すでに入居済みの分譲住宅104個も含まれていた
用地買収を担当したのは大阪府だった
40年7月
借り上げではなく全面買収という方針を決めた府は9月
地元の水田市山田地区の公民館で最初の説明会を開き
ここに知事の佐藤義仙が乗り込んだ
公民館周辺には
万博開催反対のビラが張られ
険悪な雰囲気だった
初めから万博の取材に当たっていた
元読売新聞記者の前田昭雄が振り返る
佐藤さんはあまり酒が飲めませんでしたが
最後は地主と膝つき合わせて話をし
酒を勧められて無理に飲んでいました
佐藤さんの万博に対する情熱を感じましたよ
大阪府の元万博協力局長も
佐藤さんは用地買収する上で必要なことができると
すぐその部署に指示してやってくれました
と振り返る
しかし土地の買い上げの苦労は続く
元局長はこんな話も思い出す
御地区に分けて説明会をしたんですが
土産に持っていた普通のまんじゅうが
公民館の暗い伝統でそう見えたのか
こらお前らもう買収ができた思って
紅白まんじゅう持ってきたんか
と言って投げ返されたんです
06:02
12月大阪府は壺1万9500円といった基本方針を発表
翌41年3月にはおよそ5000円アップした
壺2万4000円を提示
一気に買収は進んだ
それでも一部の強硬派や
せっかくマイホームを得たばかりの
文庄住宅居住者からの買収が難航したが
43年3月最後まで抵抗した
水田市職員の土地について
大阪府就業委員会の採決を得て
全ての土地の就業を完了した
開幕まであと2年と迫っていた
元局長は最悪の場合
千里ニュータウンのうちまだ
住宅がなかった南千里駅より
北の土地でやるしかないと思っていました
と打ち明けるが
買収成功の秘訣についてこう言う
最初から千里と決めて迷わなかったことや
佐藤さんの情熱
それに縦割り行政を破って
買収のための措置を取ってくれたことがありました
第3話の次回は
シンボルマークをめぐるごたごたをお送りします
最後までお聞きいただきありがとうございます
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