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戦後史開封、ゴジラ東宝VSガメラ大映
第3話、ゴジラがシェーをする大変貌と映画産業の斜陽化で眠りにつくガメラ
ゴジラとキングコングの対決
東宝が昭和37年に公開したゴジラ第3作、キングコングVSゴジラでは、日本とアメリカの二大キャラクターが激突した。
第2作から7年が経っており、万を辞してのゴジラ映画は本格的な対決もの。
観客動員数は実に1,255万人となる大ヒットとなった。映画は第1作目、第2作目とは趣を事にしていた。
志村隆が演じた山根博士など、前作まで登場していた人物が消え、明るさが画面全体に漂った。
東宝が自社で編参、出版した東宝特撮映画全史によれば、東宝創立30周年の記念映画、戦いは祝祭的な一大ページェントと位置付けられている。
ゴジラの生みの親のプロデューサー、田中智之は、第1作では原案を冒険者が得意な作家、香山茂に依頼。
その後制作したモスラでは、中村真一郎など純文学の作家3人に原案を担当させ、怪獣映画に理論的な裏付けと物語性を追求した。
ところが、キングコング対ゴジラは、東宝専属の脚本家であった関沢真一が担当。
関沢は、東宝で人気の喜劇映画、森重久弥主演の社長シリーズや、香山雄三主演の青春映画、若代賞シリーズのタッチをゴジラ映画に持ち込んだ。
監督の本田石郎は、自身の著書、ゴジラと我が映画人生の中で、クールにこう分析している。
確かに変質と言われても仕方ない。東宝の怪獣ものの路線の作り方っていうのはこういうことだと。戦わせたら面白いだろうというだけのもの。
ゴジラシリーズは第3作のキングコング対ゴジラ以降、対決ものとして1年に1作のペースで製作される。
第4作目のゴジラ対モスラで、悪役を演じるゴジラは最後となった。
第5作目、三大怪獣地球最大の決戦では、モスラやラドンと共に宇宙怪獣キングギドラに対する地球の守護者となり、
第8作目の怪獣島の決戦、ゴジラの息子ではミニラの親になった。
田中智之は東宝特撮映画全史の中でこう記している。
ミニラは苦し紛れに考え出したアイデアの一つである。
しかしこの企画は一つの落とし穴を持っていた。
交際相半ばゴジラの擬人化の問題である。
ゴジラは凄みを失いつつあった。
第6作、怪獣大戦争ではキングギドラに勝利した瞬間、
ゴジラが当時流行っていたギャグシェーをしたり、
ラドンと連携して戦ったりする。
そこにはもはやゴジラを生んだ核の脅威も、
第1作がテーマとした科学者の責任といった重厚なテーマはなかった。
この路線の中で平映、つまり2本立てで同時上映する作品が子供向けの映画となり、
ゴジラの観客ターゲットは完璧に子供に移行。
映画産業全体の潮落と気を逸にして観客動員数は激減し、
ついに昭和50年のメカゴジラの逆襲を最後に、
ゴジラはしばらくスクリーンから姿を消すことになった。
一方の大映である。
ガメラの長い眠り
ガメラは子供が好きだという設定を第1作目から念頭に置いていた、
と話すのは元大映の監督、湯浅範明。
怪獣ブームの到来と時期を合わせてスクリーンに誕生したガメラは、
迷うことなく子供をターゲットにした。
湯浅は続ける。
ゴジラはどちらかというと破壊の神みたいな感じで人格がなかったけれど、
ガメラにはキャラクターを最初から持たせた。
エンターテイメントに徹した。
とはいえ、第1作目大怪獣ガメラ、
第2作目大怪獣決闘ガメラ対バルゴンの初期2作と、
第3作目大怪獣空中戦ガメラ対ギャオスイコウとの間には、
若干のテイストの違いがある。
3作目以降は、海中で子供と遊ぶガメラ、
主人公の子供を背中に乗せて飛ぶガメラなど、
夢の世界が散りばめられた。
もしかしたらそういうこともあり得る、という現実感とは無縁の世界。
宇宙まで舞台を広げて活躍するガメラは、子供の味方として人気を得た。
ゴジラが擬人化によって矛盾を抱えたのに対し、
ガメラは人間味を全面に出し、ゴジラとの差別化を図った。
大英の看板ガメラは、
初登場の昭和40年から7年連続で制作されたが、
大英が倒産したことで制作はストップ。
映画産業の社養化に飲み込まれ、復活まで長い眠りにつくことになる。
次回第4話は東宝のゴジラ復活準備委員会と、
CGを駆使した大英ガメラをお送りします。
案内役は私、ナレーターの中川ムックがお届けしました。