水爆実験によって太古の眠りから覚めたゴジラは、東京湾の品川沖から日本に上陸する。品川駅を壊したあと一度は海へと消えるが、再び芝浦付近に現れ、海岸線に張り巡らされた高圧電線を簡単に突破する。やがて東京の市中にたどり着いたゴジラは服部時計店、日劇といった銀座のシンボル的建物や国会議事堂などを破壊しつくして、東京の街を炎の中に包み込むー
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戦後史開封 ゴジラ
第2話 海で散った英霊の化身
第3話 水爆実験によって太古の眠りから覚めたゴジラ
第4話 シナガワ駅を壊した後、一度は海へと消えるが、再び芝浦付近に現れ、海岸線に張り巡らされた高圧電線を簡単に突破する。
やがて、東京の市中にたどり着いたゴジラは、服部時計店、日劇といった銀座のシンボル的建物や国会議事堂などを破壊し尽くして、東京の街を炎の中に包み込む。
ゴジラが初めて公開された昭和29年。映画を見た人々の脳裏をよぎったのは、まだ9年前の出来事だった戦争の記憶だった。
ゴジラは海で死んだ英霊のような存在ではないか。そんなことも考えるような時代だったのです。
こう話すのは、第一作ゴジラの音楽監督を務めた作曲家の伊福部明である。伊福部は数多くのゴジラ映画音楽を担当している。
勇壮なゴジラのテーマは、おそらく日本映画音楽史上最も有名なメロディーだ。
徴兵検査でギリギリ合格の第二オツシュだった僕も、召集令状が今日来るか明日来るかという不安の中で何年も過ごしたものです。
ところが戦争に負けると、民衆はアメリカから持ち込まれた自由を謳歌するのに懸命でした。
あの頃、熱海や箱根に消防兵の療養所がありました。
その横を楽しそうに歩いていくそれを見て、我々は苦しんでいるのに、という気持ちもあったのでしょう。
ゴジラが国会議事堂などを潰すのは、その象徴のような気がします。
伊福部の印象に残っているシーン、それはゴジラによって壊滅的な打撃を受けた焼け跡で、女性コーラスが平和の祈りを捧げる情景だ。
監督の本田石郎から、「下手でもいいから、大勢のコーラスで民衆全員が悲しんでいるという感じにしたい。」と注文を出され、
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200人もの女性を集めた。81歳で世を去った本田は第一作を始め、ゴジラ映画8本を監督した。
他にも、空の大怪獣ラドン、モッスラなど特撮映画の歴史を語るには欠かせない名監督だ。
昭和8年に東宝の前身であるPCL映画に入社したが、初めて監督を務めたのは戦後の昭和26年になってからだった。
これだけ遅れたのは、三どもの往生で戦地に赴いたためで、本田自身、戦争の影を引きずっていた。
戦場で兵を動かしていたから、エキストラを率いるのが上手くて、ゴジラに襲われるシーンなど、空襲をイメージして演出したんじゃないでしょうか。
とにかく、この作品には平和への願いが言いつくされていると思います。
と、助監督を務めた梶田光司は言う。
ゴジラには、崩れ落ちるビルの影で幼子に、
もうすぐお父ちゃんのとこへ行けるのよ、と話す母親がいたり、第8車を引いて逃げ惑う民衆がいたりするシーンがある。
まさに、空襲の恐怖そのものである。
原爆被害も生々しかったし、当時は核に対する恐怖感が充満していた。
放射能の被害を受けた日本にとって、核実験をやめてほしいというのは悲願だった。
ゴジラは核実験の落し子であり、かわいそうな被害者なんです。
と、梶田は見る。
核実験の落し子といえば、ゴジラと並び人気の高いモスラは、より鮮明に平和への願いを打ち出した怪獣である。
巨大な牙をイメージしたモスラは、核実験海域にある孤島インファント島の守り神として登場した。
初めてスクリーンに登場したのは、昭和36年の映画、モスラ。
原作は中村真一郎、堀田義絵、そして福永武彦の純文学作家3人の共作だった。
風切りのあとは、近所を歩くとモスラのおじさんといって、20人ものちびっ子がついてくるほどの英雄でしたよ。
と、当時を振り返る中村は、こんなエピソードを披露してくれた。
実は、安保で揺れる国会議事堂にモスラが眉を張り、自衛隊が出動するというストーリーを考えたんです。
安保で米軍も出動する、当時のソ連は国連で反対決議をするという筋で、国会を民衆が取り囲んでいる実際のフィルムを使おうと言ったら、
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同胞から、それなら独立プロでやってくれと言われましたね。
結局、モスラは映画の3年前に完成したばかりの東京タワーに眉を張って引き倒す。
ゴジラが最先端の建造物を破壊するパワーは、作品を重ねるごとにエスカレートする。
平成3年のゴジラ対キングギドラでは、タックスタワーと呼ばれた東京新宿の新都庁舎を破壊した。
平成4年のゴジラ対モスラでは、まだ完成していないうちから横浜のランドマークタワーが犠牲になった。
すでに戦争は遠い過去になり、東西冷戦によってもたらされた核の恐怖も、今は希薄になっている。
でも、人間の本質は変わらない。
人間の傲慢さがある限り、ゴジラは人間の本質が変わらない。
と、ゴジラの生みの親、東宝映画会長の田中智之は言う。
第1作のゴジラの主役から、2014年にアメリカで製作されたゴジラまで、7本のゴジラが生まれた。
ただ、その1本のゴジラは、2年も経っていない。
第1作のゴジラの主役から、2014年にアメリカで製作されたゴジラまで、7本のゴジラ映画に出演している宝田明はかつてこう言った。
ゴジラ映画は、どこか人間の反省を促す原点を常に持っている。
人間同士の対立は今も消えないし、戦争だって地球上のどこかでは行われている。
ゴジラはたぶん、人類に警告を与える正義の使者なのかもしれませんね。
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徳川家康、100の決断。
問題2。
桶狭間で吉本が打ち取られたとの知らせを受けた家康。
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問題14。
三河統一を成し遂げた家康が、松平から徳川への解明を決断した理由とは?
家康の生涯はピンチの連続。究極の選択と決断を順次公開。
産経ニュース 徳川家康、100の決断。
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