軍票とは、軍が戦地で発行する、お金の代用品=代用紙幣のことだ。当然のことながら戦争で負ければ軍票は紙切れ同然となる。現にアジア各地で発行した日本軍の軍票は終戦と同時に使いものにならなくなった。しかし、インドネシアでは日本軍の軍票が戦後も通用していた

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サマリー

日本軍の軍票は戦後も通用しており、インドネシアの独立に賛同している日本人兵士が存在しています。

戦後史開封 インドネシアに残った日本兵
戦後史開封 インドネシアに残った日本兵
最終話 戦後も通用し続けた日本の軍票
軍票とは軍が戦地で発行するお金の代用品 代用士兵のことだ
当然のことながら戦争で負ければ軍票は紙切れ同然となる
現にアジア各地で発行した日本軍の軍票は終戦と同時に使い物にならなくなった
しかしインドネシアでは日本軍の軍票が戦後も通用していた このエホ兵第4連隊通信中隊長としてスマトラで終戦を迎えた
ふさやま鷹尾は語る 上陸してきたイギリス軍オランダ軍も軍票を発行しましたがインドネシア人は見向きもしません
日本軍の軍票でなければ何も買えないのです バナナや野菜などを買うためにイギリス軍オランダ軍は仕方なく
日本軍のもとに来てタバコを売り軍票を手に入れていました ふさやまは終戦からちょうど1年後に復印したが軍票は日本軍の復印が終わるまで通用していたという
日本に対する親近感やイギリスオランダに対する反発がそれを可能にしたのだろう 初代大統領のスカルノと副大統領のハッタが終戦2日後に独立宣言文を
読み上げたスカルノの旧宅は今独立記念公演になっており 記念碑には独立宣言文が刻まれている
宣言文の日付は05年8月17日になっているがこの05年という数字は日本固有の記念 法である
後期すなわち日本初期にある 神武天皇即位の都市を元年として記算した年号の下二桁を意味する
宣言文が読み上げられた昭和20年は後期2605年にあたるからだ インドネシアとしてはオランダへの反発から政力を使わず
日本占領時代の後期を使うことでオランダの再支配を許さないという姿勢を示した とされる
こうしたインドネシア人のオランダへの反発 独立への強い意思
そして旧日本兵も参加した4年間のゲリラ戦の結果 インドネシアの独立は国際的に承認されることになる
当初オランダはインドネシアの独立を認めず戦闘を継続したが国際世論の非難が強まり 昭和24年のハーグ協定の締結でついに独立を承認
翌年インドネシアは国連にも加盟した 1955年スカルノ大統領はジャワ島西部のバンドンで初のアジアアフリカ会議を開催
自由独立平等語形のバンドン精神を打ち出し アメリカソ連以外の第三勢力の団結を図った
1958年には日本と国交を結んだ 独立戦争を戦った兵は日本人も含めて45年起承を授与された
深山は2つのことに取り組んだ 一つはインドネシアの歴史教科書問題
もう一つは残留日本兵への保障問題だ インドネシアの歴史教科書には
日本軍は悪しき侵略者という書かれ方ばかりされた 深山は取材にこう話した
昭和43年にイギリスに留学経験のある文部大臣が就任し イギリスの歴史館に基づいてインドネシアの教科書を書き換えたのです
スハルト大統領自身は独立戦争を戦った人なので 旧日本兵の活躍はよく知っている
だが教科書の内容がそのように書き換えられたことは知らなかったようです 最近になって見直しの動きが出てきました
最終話 戦後も通用し続けた日本の軍票
順調に経済成長を続けている余裕かもしれません 独立戦争に参加した一人であるオツドノボルは
当時の日本の異性者には侵略的考えもあったかもしれないがと前置きして 我々はアジアの解放を信じて戦った
だからこそ戦後も残留して独立戦争をやったのです それを悪しき侵略者と言われては立つせがない
細川森博元首相のような侵略戦争発言は思いやりのないものです と不快感を隠さない
オツドは日本に対して苦言を呈する 我々は軍国主義を賛美しているのではない
しかし外国から謝罪しろと言われれば謝罪し 教科書を書き換え
国家も国旗も認めないような国を独立国と呼べるかと心配しています 保障問題も深刻だ
インドネシア残留日本兵は戦後の日本政府においては脱走兵の扱いだった 彼らのほとんどが昭和30年代にインドネシア国籍を取るため
日本国籍を捨てたこともあって旧厚生省は 日本人で亡くなった以上恩求などの対象とはならないとした
しかし世論の高まりから一時金を支払った オツドは
ホランダ政府は独立戦争でホランダ側について戦ったインドネシア人に対してさえも 今でも恩求を支給している
戦争中に日本に協力したインドネシア人に日本政府は何もしていない 我々は捨てられた民の扱いです
と不満を募らせている だが当然のことながら日本への思いは強い
残留兵の多くが子供を日本に留学させた 福祉友の会は平成6年
理事長に初めて残留日本兵の2世を選んだ リチャード石峰だ
父が残留日本兵母はインドネシア人だ 日本人がインドネシア独立のために戦ったことは素晴らしいこと
占領中の日本軍の行為には問題もあったが 戦争だから仕方がない
それより我々は日本とインドネシアの友好のために全力を尽くしたいのです と話した
オツドと石峰は口を揃える 一番必要なのは日本とインドネシアの相互の理解と協力
それができるのは我々しかない それが独立戦争で死んだ
残留日本兵の心に応える道だと確信しています お届けしたのは産経ポッドキャスト
インドネシアに残った日本兵の最終話でした 案内役は私
ナレーターの菅俊介がお届けしました このシリーズは産経新聞に連載された戦後紙開封をもとにポッドキャスト用に再構成したものです
登場人物の肩書や発言などは取材当時のものです 産経新聞社が発行するタブロイド新聞
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