ゴジラの誕生と初公開
戦後史開封
ゴジラ東宝VSガメラ大英
第1話 ゴジラは代わりに作った作品だった
戦後の混乱が続く昭和29年11月3日
ゴジラが初めてスクリーンに登場した
SF作家草薙慶一郎こと本名田中文夫は当時中学1年生
公開日からしばらくして宇都宮の映画館でこの映画を見たが
当時は全ての映画が面白く特にゴジラに驚いたという記憶はないと語る
ゴジラを見てから30年後
映画の製作会社である東宝のプロデューサーになって
ゴジラ復活プロジェクトを手掛けるとは夢にも思っていなかった
今にして思えばいつの間にかゴジラが頭の中に忍び込んでいたと振り返る
一方、元映画監督の岩澤範明は公開の1ヶ月前に
東宝のライバル会社である大英に入社したばかり
ゴジラは見ていなかった
公開から11年後、映画ガメラを世に送り出すときに初めて映画ゴジラを見た
ライバルとして
さらにブルーリボン賞受賞の映画監督金子修介は
初めて見たゴジラは第3作キングコング対ゴジラ
1作目のゴジラは小学2、3年のときにテレビで見た
暗いけれど迫力があった
と話す
平成になってからガメラとゴジラ両方の監督を務める
両方を監督したことがあるのは金子だけだ
ゴジラの誕生はスクリーンに登場する7ヶ月前
昭和29年4月に遡る
当時東方のプロデューサーだった田中智之はトラブルに遭遇していた
制作を任されていた日本とインドネシアの合作映画が
インドネシア側の入国ビザ発給拒否で突然制作中止に追い込まれたのだ
腹の虫は収まらないが
取り急ぎ同じスタッフで撮れる別の企画を考えなければならなかった
田中は東方特撮映画全史の中で当時の状況をそう綴っている
ちょうどその頃中部太平洋に位置するビキニ環礁で
アメリカが行った水爆実験で日本の漁船第五福龍丸が被爆し
ニュースは世間を騒がせていた
田中はこう考えた
ビキニ環礁近くの海底に恐竜が眠っていて
水爆実験のショックで目を覚まし
異常に発達して日本に上陸してきたらどうなるか
このアイデアを元に田中は
海底2万マイルから来た大怪獣というタイトルで構想を立案した
アメリカ映画キングコングにはかり知れない影響を受け
昭和28年に特撮映画サラバラバウルを作った
田中らしい発想だったかもしれない
田中が提案した海底2万マイルは
会社の企画会議で採用されすぐに製作がスタートした
監督に本田石郎
特撮担当の特殊技術につぶらや英二を起用
田中は44歳
本田が43歳
つぶらやは53歳
その後伝説となったゴジラトリオがここに誕生した
3人は怪獣映画だという照れの気持ちは絶対に持たないで撮影しよう
と誓い合ったという
映画のタイトルは社内でも極秘扱いとされ
G作品と呼ばれた
Gはゴジラのイニシャルではなく巨大
つまりジャイアントだった
その後東宝社内のある社員のニックネームである
公開後の反応と影響
グジラをもじり
なんとも語呂が良いということで
怪獣の名前をゴジラと決めた
着ぐるみの怪獣
精巧なミニチュア
職人芸ともいえる合成技術
戦争中から蓄積してきた特撮技術を
新たなアイデアを駆使し
試行錯誤の作業が数ヶ月にわたって続いた
7月にはマスコミへの制作発表が行われたが
新聞や雑誌では下手者映画と書かれ
評価はかんばしくなかった
そのようにして迎えた映画が公開される日の朝
田中は東京・渋谷の八甲前で
感動的な場面に遭遇する
駅前の交差点を挟んで
ガメラの制作と東宝・大英のライバル関係
向こう側の映画館
渋谷東宝まで長い列ができていた
ゴジラを見に来た人々だった
電撃のような感動の波が体を走り抜けた
と田中は振り返る
この日東京都内だけでおよそ10分
この日東京都内だけでおよそ15万人がゴジラを見た
なぜ東宝だけ儲けさせるんじゃ
空飛ぶ亀をテーマに企画を出せ
東宝のライバル映画制作会社大英の社長
永田正一が自社のプロデューサーに好指示を出したのは
ゴジラ誕生から11年後の昭和40年
娯楽の王者とされた映画の人気がピークを過ぎ
テレビが急速に普及している時代だった
この時までに東宝が公開したゴジラ映画は5本
いずれも500万人以上の観客を動員していた
大英社内から集まったおよそ40の案の中から選ばれたのは
斉藤米二郎の作品
社内の脚本家高橋兄さんに相談し
高橋がその日のうちに脚本を書き上げたという
題名は低い亀東京を襲撃だった
監督の言わさによると永田社長が亀をテーマに選んだのは
アメリカから帰国する飛行機で空飛ぶ亀の夢を見たから
カメラの名前も永田社長が決めたという
公開を11月と決め9月に制作スタート
監督に指名された言わさは同期入社では出世頭で
この1年前に監督に昇格したものの
初めて監督した作品で失敗していた
お客が入らなかった
会社の中ではもう二度と監督はできないだろうと言われていたから
カメラの話が来た時はみんなが断った末に
俺のところへ来たんだなと思った
大英に特撮の歴史はほとんどなく
特撮映画のセクションもなかった
あの当時東宝以外の会社が怪獣特撮物をやろうというのは傍聴だった
と言わさ
ガメラの制作と大英社の特撮映画制作
技術のなさを知恵で補って
なんとか作品を作り上げた
様子を見に来た撮影所の所長が
えらいこっちゃと頭を抱えた出来栄えだったが
意外にもその年の大英作品の中で工業成績はトップクラス
カメラは第1作目で看板映画の地位を築いた
次回第2話は
特撮の神様つぶらや英二と
特撮の素人大英
驚愕の緻密さで挑戦をお送りします
案内役は私ナレーターの中川ムックがお届けしました
ご視聴ありがとうございました