「G委員会」‥昭和59年、東宝社内にこんな組織が発足した。正式名称は「ゴジラ復活準備委員会」。昭和29年の第一作「ゴジラ」製作の際に使われた「G(ジャイアント)作品」がオーバーラップするが、今度のGはゴジラだった。9年間の“眠り”で、ゴジラ復活を渇望するファンの声は頂点に達していた‥‥

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サマリー

GE委員会は昭和59年に発足し、ゴジラの復活の準備を進めています。一方、平成7年にはダイエーはガメラの復活を果たし、リアルな映画を作ることを目指しています。

ゴジラの復活準備委員会
戦後史開封、ゴジラ東宝VSガメラ大映
第四話、東宝のゴジラ復活準備委員会と、CGを駆使した大映ガメラ
GE委員会、昭和59年、東宝の社内にこんな組織が発足した。
正式名称は、ゴジラ復活準備委員会
昭和29年の第一作、ゴジラ企画中の時は、ジャイアントのイニシャルで、
アルファベットのGだけを取って、G作品と呼ばれたこともあったが、
今度のGは、ゴジラのイニシャルのGだ。
9年間の眠りを経て、ゴジラ復活を渇望するファンの声は、頂点に達していた。
再びゴジラをスクリーンに、との動きは、G委員会の6年前から始まった。
昭和53年、第一作目からのプロデューサー、田中智之は、東京築地に、
映画評論家や新聞記者らを集め、ゴジラ復活のための会議を開く。
そこでの決定をもとに、脚本も作っていた。
怪獣映画を求める気が熟したことに加え、
当時、東方では外注する作品が多く、東方の内部で作る作品がなくなっていたという事情もあった。
復活ゴジラのプロデューサー、田中文夫は、復活の背景をこう振り返った。
G委員会は、公開をその年の年末、12月15日と決定して制作を開始。
監督には橋本浩二、特技監督には、つぶら屋英二の弟子、中野ペルヨシを起用した。
ゴジラが放射能を求めて日本を襲うストーリーで、
核の恐怖を訴えた第一作へと回帰する、シリアスなドラマに仕立てた。
田中文夫は、この作品で初代プロデューサーの田中智之さんは、
不死身で強く、怖いゴジラ、深刻化したゴジラを求めた。
ストーリー展開について、昼に納得して変更したことを、夜に電話してきて、元通りに戻せ、と言ったりした。
めばっこかった、と振り返った。
同年7月にクランクイン。
小林圭司、夏木陽介、田中健、沢口康子ら、豪華な顔ぶれを配役し、石坂浩二や武田徹やら、ゴジラファンの俳優がゲスト出演。
昭和29年から昭和50年まで続いた第一シリーズで培った特撮の美術、造形、合成技術を駆使して、製作が進められた。
最終的に作品は配給収入17億円を稼ぐ大ヒット。
大映ガメラの復活とCG技術の導入
平成ゴジラシリーズへと続く突破口となった。
一方のダイエー。ゴジラが復活、大ヒットしてから11年たった平成7年、ガメラも復活した。
製作会社は倒産した後に経営再建されたダイエー。
メガホンを取った監督は怪獣好きを辞任する金子修介だった。
ゴジラの仇をガメラで取りましょうよ。
復活公開から遡ること3年前、金子は新宿の喫茶店でダイエーの企画部員にこう持ちかけられた。
誘われたのには理由があった。
金子が当時公開中のゴジラ対キングギドラを渋谷で見たところ、
予告編として東宝のゴジラ対モスラの製作が発表されたが、監督の名前が明記されていなかった。
ゴジラ作品を2本撮った大森和樹が、この次の作品では監督をやらない、そう噂されていた。
事情を耳にした金子は東宝の映画プロデューサーに念願状を書き、ゴジラの監督に立候補したのだ。
しかし監督は実は決まっていると断られた。
金子が立候補した事実は業界の中で知れ渡った。
そして大映画金子をガメラの監督として誘うことになったのだ。
金子は、「ゴジラを見て育った。正直なところガメラをやったらゴジラが撮れないかもしれない。」
と思ったが、「撮りたい映画は怪獣映画。」と日頃から公言する金子にとって、大映の誘いは魅力的だった。
正式に監督就任の要請が来て、金子は昭和のガメラとは違うリアルな映画を作ろうと思った。
脚本はアニメの脚本などを手掛けていた伊藤和則が担当。
特技監督には若手の樋口真嗣が決まった。
企画を担当したプロデューサーの佐藤直樹は、「当時のゴジラは軸がはっきりせず流れていた。
だから逆にガメラで怪獣映画の王道をやろうとした。ゴジラとの差別化を図った。」と振り返る。
受け継いできた特撮技術に加え、CGをはじめとするデジタル合成を導入。
出来上がった作品は映画関係者の高い評価を受け、怪獣ファンの心をつかんだ。
業界の空気たるや褒め殺しというか、とにかく凄い作品だと。東方の役員からも良かったよと握手を求められた。と佐藤。
B級映画などと揶揄され続けたガメラは、この時確実にゴジラを捕らえたのだ。
次回最終話は、夢はゴジラとガメラの直接対決。世界を視野に果てなく暴れ続ける。をお送りします。
案内役は私、ナレーターの中川ムックがお届けしました。
ご視聴ありがとうございました。
07:22

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