2024-03-11 05:58

私は追放された  元産経新聞北京特派員・柴田穂の回想(3)

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中国の文化大革命のさなかの1967(昭和42)年、産経新聞の北京支局長だった柴田穂(みのる)記者が突然、国外退去処分となりました。柴田記者は文革を丹念に取材していたため、中国当局には都合が悪かったのです。
 柴田記者は平成4年に亡くなりましたが、帰国後に出した著書「報道されなかった北京―私は追放された」などを再構成して、改めて「新聞の自由」について考えます。
 柴田記者役は、フジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」の2代目ナレーターとしても知られる木村匡也さんです。

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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私は追放された 産経新聞社がお届けする音声ドキュメント
元北京特派員柴田穂の回想 第3話、日本人後衛兵たち
文化大革命の推進役だった後衛兵と呼ばれる若者たちの中には日本人もいました 柴田記者はその異様さに
驚きます 案内役は私、ナレーターの木村共也です
第1話で触れた通り私が追放される1ヶ月前 中国共産党との関係が悪くなって帰国しようとした
日本共産党の代表と赤旗の特派員が北京空港で日本人を含む後衛兵たちから長時間に 渡って集団暴行を受けた
1967年昭和42年の8月3日 2人が北京を絶つというので私は他の日本人記者とともに空港へ向かった
空港に着くと建物入り口の階段に日本人留学生たちが並んで歌を歌っている 日本人だけで150人くらいはいるだろう
かき分けて建物に入ると中国人の後衛兵たちが2000人くらいはいる 厳しい規制でいつまでいても取材できそうにないので
後衛兵の叫び声を聞きながら空港を後にした 次の日になってわかったのだが日本共産党の2人はこの日から翌日にかけて
丸24時間殴る蹴るの暴行を受けた 数百メートルも続いた後衛兵のトンネルの中を両手をねじ上げられて歩かされ
両脇から原骨と靴の雨が降った 2人は重傷を負いやっとのことで飛行機にたどり着いた
北京の日本人後衛兵とは日本共産党と中国共産党が親密だった頃に 日本から留学してきた学生たちで2,3年から長くて10年北京にいる
日本人が外国で同じ日本人に集団暴行を働く こんなことがあっていいのだろうか
文化大革命の異様な雰囲気がこういった国籍不明の人間を作り出してしまうのだろうか 公演のため北京に来ていた山口県のローカル劇団
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歯車座のメンバーも集団暴行に参加していたと言われている 私は北京でその歯車座の公演を見たことがある
一幕ごとに毛沢東語録を胸に抱いた女性が出てきてその一節を日本語で唱える 毛沢東主席は私たちにこうおっしゃっています
舞台は明治17年に農民が放棄した秩父事件を扱っているが 最後にまだ当時は生まれていない毛沢東の顔が幕に映る
あまりにとってつけたやり方に思わず苦笑してしまった 留学生だけではない
北京にいる日本人消費者員たちは毛沢東を支持する集会に参加しなければならない 文化大革命の勝利万歳
偉大な毛沢東主席万歳 と叫びながらでも更新するのだ
私が北京を追放されて日本に帰る途中のことだった 甲州行きの飛行機の中で日本人消費者員の一人が客室乗務員に勧められ
中国語で歌を歌った 毛沢東の言葉を集めた毛沢東語録の中身から撮った歌だ
歌の前に 我々の心の中の最も赤い太陽である毛沢東主席の健康を祈ります
という決まり文句を朗読した 北京には北ベトナムや北朝鮮
モンゴルといった共産圏の記者たちも駐在していたが 私にこんなことを言っていた
日本人って不思議ですね どうして外国の指導者である毛沢東のバッジをつけたり毛沢東語録を持ち歩いたりするんですか
我々はそんなことはしません 私は返す言葉がなかった
次回は文化大革命の混乱で置き去りにされた子どもたちについてお伝えした
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